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2015年9月30日水曜日

専門家をしのぐ方法(チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガーが2007年に南カリフォルニア大学グールド・ロースクールの卒業式で述べた祝辞の6回目です。今回の話題はチャーリーの中心教義である「学際的メンタル・モデル」です。おなじみの話題ですが「95%」という統計的マジックナンバーも登場しており、彼の信念がよく伝わってきます。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

ロースクールで次の発言を聴いたときに得たアイデアは、途方もなく有用なものでした。おどけた感じの教授がこう言ったときのことです。「2つの物事が互いに入り組んで作用しあっているときに、片方は考慮せずにもう一方だけを検討する。法律家的な思考とは、そのようなやりかたを実現可能かつ有用だとみなす精神なのだよ」。(そのような「法律家的な」やりかたは、何であろうとバカげているね)、彼の遠回しな軽蔑的表現はそう言っているように、私には感じられました。この件によってなおさら私は、あらゆる重要な分野におけるあらゆる重要なアイデアを学ぶほうへと自然に向くようになったのです。そのおかげで、その先生が描写したようなまるっきりのおバカさんにならないで済みました。いいですか、本当に重要なアイデアがあれば、全体の95%を担うことができます。自分が欲するものの95%を手に入れるためにあらゆる分野から得たアイデアを使うのは、私にとってはちっとも難しくありませんでした。得た知識を標準的なものとして思考手順の一部に含めることも同じでした。もちろんひとたびアイデアを覚えたら、それを使う練習をずっと続ける必要があります。ピアノの演奏家のように、うまい演奏をするには練習が欠かせないからですね。ですから、私はその学際的なやりかたを人生を通じて繰り返し練習してきました。

この習慣によってたくさんのものが得られました。生活をずっと楽しくしてくれましたし、より建設的に考えられるようになりました。私にとっては、他の人よりもずっと役に立つものでしたよ。「遺伝によって受け継いだ長所のおかげ」と言えるどれよりも、この身を裕福にしてくれました。適切に練習を積んだことで、私の思考手順は実際に役に立ったのです。ただし効き目抜群なので、その使い方には危険を伴います。自分とはちがう分野の専門家が専門能力を適用してある問題に取り組むよりも、隣りに座ったみなさんのほうがよくわかっている。先に述べた能力をみなさんが使うと、そういう状況がよく起きるようになります。ときには、その専門家には当てられない正答をみなさんが当てることもあります。しかしその専門家が自分の雇い主で、悪影響をもたらせる強い権限を有していることも考えられます。そのような立場は非常に危険ですね。ものごとを正しく進めた結果、相手を責め立てることになり、その人の専門領域や権限階層における面目をつぶしてしまうのです。どうすれば、その深刻な問題がもたらす悪影響を避けることができるのか。いまだに私にはぴったりな方法がわかりません。

Another idea that was hugely useful to me was one I obtained when I listened in law school when some waggish professor said, "A legal mind is a mind that considers it feasible and useful, when two things are all twisted up together and interacting, to try to think about one thing without considering the other." Well, I could see from that indirectly pejorative sentence that any such “legal” approach was ridiculous. And this pushed me further along in my natural drift, which was toward learning all the big ideas in all the big disciplines, so I wouldn't be a perfect damn fool the professor described. And because the really big ideas carry 95% of the freight, it wasn't at all hard for me to pick up about 95% of what I needed from all the disciplines and to include use of this knowledge as a standard part of my mental routines. Once you have the ideas, of course, you must continuously practice their use. Like a concert pianist, if you don't practice you can't perform well. So I went through life constantly practicing a multi-disciplinary approach.

Well, this habit has done a lot for me. It's made life more fun. It's made me more constructive. It's made me more helpful to others. It's made me richer than can be explained by any genetic gifts. My mental routine, properly practiced, really helps. Now, there are dangers in it, because it works so well. If you use it you will frequently find when you're with some expert from another discipline - maybe even an expert who is your employer with a vast ability to harm you - that you know more than he does about fitting his specialty to the problem at hand. You'll sometimes see the correct answer when he's missed it. That is a very dangerous position to be in. You can cause enormous offense by being right in a way that causes somebody else to lose face in his own discipline or hierarchy. I never found the perfect way to avoid harm from this serious problem.

備考です。重要なメンタル・モデルの数はいくつ必要なのかについて、過去の投稿「いくつのモデルが必要なのか」でとりあげています。分野は異なりますが、使う側の認知能力や世の中のフラクタル性を考えると、それほど外れた数字ではないと感じています。

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