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2015年4月30日木曜日

2015年デイリー・ジャーナル株主総会(3)他人の知らぬMoatをみつけたい

チャーリー・マンガーが臨席するデイリー・ジャーナル社の株主総会の記事から、Moat(モート)に関する質疑応答を引用します。チャーリーらしさがみなぎった受け答えです。引用元は前回と同じForbesですが、今回はPart4からになります。なおMoatとは経済的な堀を意味する言葉で、転じて「堅牢強固な強み」を示しています。(日本語は拙訳)

Charlie Munger's 2015 Daily Journal Annual Meeting - Part 4 (Forbes)

<質問者> ビジネスに関するMoatの中で、ほとんど取りあげられなかったり、もっとも誤解されているものには、どんなMoatがあるとお考えですか。

<マンガー> 誤解されたMoatを見出したいとは、実にだれもが考えていることです。そういった人の中でも、あなたは最高に欲ばりですね。(笑)

自分には理解できるが、他の人には理解できない。そんなMoatを知っているかという質問ですから、ささやかなお望みですな。(笑)

91歳の人間に向かって、その方法を問いかけているわけですね。ならば、私の好きな小話のひとつを紹介しましょう。モーツァルトのところに来た若者がこう言ったそうです。「わたしにも交響曲が作曲できるよう、あなたのお力添えを頂きたいのです」

モーツァルトは答えました。「交響曲を作曲するには、まだ若すぎです」

その若者は答えました。「しかし、あなたは10歳のときに交響曲を生みだしたではないですか。もはやわたしは21歳です」

モーツァルトは答えました。「たしかに。ですがわたしのときは、そのやりかたを訊いて回ることはなかったですから」(拍手)

Q: What do you think is the least talked about or most misunderstood moat around a business ?

Mr. Munger: Everybody would really like to have a misunderstood moat. You're the greediest fellow that's spoken.

[laughter]

All you want to know is if I have a moat that you can understand that other people don't. A modest wish.

[laughter]

You're going to ask a 91-year-old man how to do it? Reminds me of one of my favorite stories. A young man comes to Mozart and says, "With your help I want to compose symphonies."

Mozart says, "You're too young to be composing symphonies."

He says, "Look, you were doing symphonies when you were 10 years of age. I'm 21."

Mozart says, "Yes, but I wasn't running around asking other people how to do it."

[applause]

2015年4月28日火曜日

昨年のバークシャー・ハサウェイ株主総会に参加された方からのお土産


いよいよ今週末の5/2にバークシャー・ハサウェイの株主総会が開催されます。上の写真は昨年の総会に参加した方から頂いたハインツのトマト・ケチャップ「株主総会記念ラベル」版です(中身は豚肉料理の味付けに使いました)。

ケチャップだけでなく土産話もしてくださった投資家T・Nさんは、わたしより一回り若い世代の方です。ここ数年間はバークシャーの総会に毎年出席されており、5kmのロードレースにも参加されています。

「バークシャーの総会は出席するだけの価値はある」と誘ってくれますが、わたしのほうはつまらぬ事情を言い訳に、いつもお断りしています。もし総会の様子にご興味があったり、参加したいと考えている方がいらっしゃれば、コメント欄などでお問い合わせ頂けると、ご本人が返答してくださるかもしれません。

2015年4月26日日曜日

エクソンモービル前CEO;短期の価格予測は重視しない(『石油の帝国』)

投資候補として石油ガス業界に注目していることもあり、業界の筆頭企業エクソンモービル社を取りあげた著書『石油の帝国』を少し前に読了しました。同社や業界環境を知ることができたのはもちろんですが、ある種のエンターテイメントとしても楽しんで読めました。同社のことは以前から「あつかましい企業」の最右翼とみなしていました。本書を読み始めてもその通りで、むしろ想像していた以上にあつかましい企業行動の描写がつづきます。主役がアンチヒーロー的な存在なので感情移入しづらく、読みにくさをはらんでいる反面、サスペンス小説や映画のような展開が目白押しで、意図せずして話に引き込まれました。そしてある話題では当社を応援している自分に気づき(ベネズエラの案件)、著者の巧みな文章と構成に感心させられました。

今回は同書から一部を引用します。はじめは、同社の社風を表した3か所の文章です。

エクソンのように世界的に散らばった事務所や製油所、油田等で何万人もの従業員を抱えた大規模で多様性に富んだ会社においては、「規律ある結果を得るための唯一の方法は、やりすぎるくらい徹底することだ。つまり、机をたたき脅しをかけなければ、これだけ大規模な従業員たちは易きに流れ、凡庸な結果しか残せない」と彼は考えた。[前CEOのレイモンド氏](p.46)

ブッシュ政権による野心的なエネルギー外交が開始されたころのエクソンモービルのプーチン政権との関係はこのような状態だった。サハリンは成功裏に船出した。しかし、そこには条件をめぐる厳しい闘いがあった。ロシア流の脅しとはったりによる交渉カルチャーは、エクソンモービルが得意とするものでもあった。エクソンモービルとロシアは、似た者同士だった。初期の厳しい交渉姿勢こそがプーチンをサハリンに歩み寄らせた、と幹部たちは確信していた。(p.257)

ブッシュは、アメリカ政府は石油外交としてプーチンの再交渉要求を押し返す用意がある、と言った。ティラソン[現CEO]は大統領に謝意を表したが、その後、ワシントン事務所を通じて、手出しをしないことを要望する、とブッシュ政権に伝えてきた。エクソンモービルのKストリート事務所がホワイトハウスに伝えたことは、要するに、プーチンは我々が相手にしている各国元首の中では比較的おとなしいほうであり、自分たちで処理したほうが上手くいく、ということだった。(p.417)

もうひとつは、同社による需給予測や価格予測についてです。なお同社のWebサイトでは一般向けの需給予測資料『The Outlook for Energy: A View to 2040』[PDF]を公開しています。わたしも参考にしています。

エクソンモービルの経営戦略企画部門の書庫には、1940年代ごろからの、エネルギー需要と石油価格についての20年予測が所蔵されていた。(中略)分析の結果判明したことは、1980年代に、エクソンの予測担当者たちは将来について半分正しく半分間違っていた、ということだった。彼らは、2000年の世界のエネルギー消費量見通しについては、わずか1パーセントの誤差で正確に予想していた。特筆すべき成功だった。しかしながら、石油価格の見通しについては大きく外していた。1970年代の急変動や高騰を踏まえて予想した価格トレンドは高すぎた。この失敗を分析してみて、レイモンドたちは2つの結論にたどり着いた。1つ目は、新たな油層の発見を助ける技術革新をあまりにも軽視していたことだった。これがグローバルな供給を増やし価格を抑えていた。2つ目は、地政学的な変化が石油価格に及ぼす影響が非常に大きいため、需要と供給の均衡のみに依拠した通常の価格見通しは現実的ではない、ということである。(中略)「我々は短期の価格予測はできない。ではどうやってビジネスをするのか?」レイモンドは同僚に尋ねた。答えは、「堅実でムラなく管理すること、そしてファンダメンタルを正しく保つようにすることだ」と返事が返ってきた。価格を予測することよりも、レイモンドは量を予測することに力を入れた。世界の消費者が必要とする石油その他エネルギー資源の量及び供給可能な量である。(p.304)

蛇足の話題です。上の文章で「あつかましい」企業と書きましたが、これは私企業が存続発展する上での必要条件ととらえています(少なくとも一時的には)。社会人道的には称賛しかねるものの、生物学的な見方をすれば「あつかましさ」が種(しゅ)の相対的な適応度を高めると考えるからです。名を成した大企業をあげれば、それぞれのニッチで「あつかましさ」を発揮した歴史が思い当たります。従業員に対して(京都系等の部品メーカー)、下請け企業に対して(自動車OEMメーカー)、国民に対して(大銀行)、世界に対して(エクソンやロッキード・マーティン)、パートナー企業に対して(任天堂)、競合他社に対して(マイクロソフトやインテル)、消費者に対して(製薬・嗜好品メーカーや公益企業)、子会社のCEOをよいしょして(ウォーレン・バフェット)。大切なのは「あつかましさ」が度を越さないことです。いかにして変曲点のこちら側に踏みとどまるか。経営をアートと呼ぶのもそのひとつだと思います。

2015年4月24日金曜日

報告利益を合法的に5倍にする方法(チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の5回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

かねてより金融面で抜け目のなかったクァント・テック社の新たな経営者らには、即座にわかったことがありました。驚くべき特異な会計慣行と所得税の法令に従えば、単純な行動をとるだけで同社の報告利益を増大できる、驚くほどに大きな機会があったことです。クァント・テック社の年間費用のうち、インセンティブ・ボーナスが大きな部分を占めていました。その事実が「現代的な金融工学」を発揮するまたとない機会をもたらしました。

彼らからすれば、クァント・テック社の従業員向けストック・オプションの行使益を、4億ドルになるインセンティブ・ボーナス費用全額と置き換えるなどは、容易にみてとれるものでした。付与するオプションの代金を支払った上で、浮いたボーナス用の現金を費やしてオプション行使時に発行される全株式を買い戻すのです。そしてその他一切は元の状態を保てば、つまり発行済み株式数は同じまま、1982年度のクァント・テック社の報告利益をなんと1億ドルから400%増の5億ドルまで増加させることが可能でした。そのため、従業員向けストック・オプション行使益をインセンティブ・ボーナスと置き換える作業に着手することは、新任経営者らからすれば当然正しい策略だと思えたのです。受け取るボーナスが現金であろうと、あるいは事実上完全に現金と同じものであろうと、数字の得意なエンジニア集団がその違いを気にすべき理由があるでしょうか。どのような計画が望ましいとしても、そのような変更をお膳立てする作業が困難なものだとは思えませんでした。

しかし、新たな策略を実行するには一定の注意と自制が望まれると認識するのも、これまた新任経営者らには容易なことでした。新たな企てを単年度内で進めすぎるのは、当然ながらクァント・テック社の会計士から抵抗されたり、別のところから望ましくない反対が起こることになりかねません。少なくとも彼ら新任経営者にとっては、金の卵を産んでくれる大変な能力を持つガチョウです。それを殺してしまう恐れがありました。つまるところ彼らのとるべき策略とは、報告利益を増加させるために真の利益に対して「まやかし」の利益の部分を加えるにとどめる、とするものでした。「まやかし」とは、策を講じて増加した部分の報告利益は、ありがたい本物の経済的成果としてクァント・テック社が享受できるものではない、という意味です(期末の在庫を過剰評価するのと同じように、詐欺的な効果が一時的にもたらされますが、それは含みません)。新任のCEOはこの魅力ある慎重なやりかたを、ひそかに「賢明にも抑制された偽り」と呼びました。

Quant Tech's new officers, financially shrewd as they were, could see at a glance that, given the amazingly peculiar accounting convention and the sound income tax rules in place, Quant Tech had a breathtakingly large opportunity to increase its reported profits by taking very simple action. The fact that so large a share of Quant Tech's annual expense was incentive bonus expense provided a "modern financial engineering" opportunity second to none.

For instance, it was mere child's play for the executives to realize that if in 1982 Quant Tech had substituted employee stock option exercise profits for all its incentive bonus expense of $400 million while using bonus money saved plus option prices paid to buy back all shares issued in option exercises and keeping all else the same, the result would have been to drive Quant Tech 1982 reported earnings up by 400 percent to $500 million from $100 million while shares outstanding remained exactly the same! And so it seemed that the obviously correct ploy for the officers was to start substituting employee stock option exercise profits for incentive bonuses. Why should a group of numerate engineers care whether their bonuses were in cash or virtually perfect equivalents of cash? Arranging such substitutions, on any schedule desired, seemed like no difficult chore.

However, it was also mere child's play for the new officers to realize that a certain amount of caution and restraint would be desirable in pushing their new ploy. Obviously, if they pushed their new ploy too hard in any single year, there might be rebellion from Quant Tech's accountants or undesirable hostility from other sources. This, in turn, would risk killing a goose with a vast ability to deliver golden eggs, at least to the officers. After all, it was quite clear that their ploy would be increasing reported earnings only by adding to real earnings an element of phony earnings - phony in the sense that Quant Tech would enjoy no true favorable economic effect (except temporary fraud-type effect similar to that from overcounting closing inventory) from that part of reported earnings increases attributable to use of the ploy. The new CEO privately called the desirable, cautious approach "wisely restrained falsehood".

2015年4月22日水曜日

人間は戦士型か心配性型のどちらかである(『競争の科学』)

何回か前の投稿でご紹介した『競争の科学』から再び引用します。前回は女性の判断能力に関する話題でしたが、今回はその神経科学的なメカニズムを取りあげた箇所です。

はじめは、ドーパミン処理能力に個人差がある話題です。
身体はCOMTタンパク質をつくる際、遺伝コードに従って、数百もの連鎖するアミノ酸を形成する。コドン158に到達すると、遺伝コードが指示する2つのうちのどちらかのアミノ酸がつくられる。人によって、数百ものアミノ酸配列の158番目に位置するCOMTが、バリンのタイプと、メチオニンのタイプがある。

この1文字のコード、この1つのアミノ酸の違いが、人のCOMTが働き者か怠け者かを決定している。働き者のCOMTは、怠け者よりも4倍も速く動く。働き者のCOMTはバリン、怠け者のCOMTはメチオニンで作られる。(中略)

ストレスが生じると、前頭前皮質のシナプスには大量のドーパミンが溢れる。基本的に、ドーパミンは脳にとって必要なものである。それは神経の増幅器や充電器に相当するものだ。だが、ドーパミンが多すぎると、過負荷になってしまう。

高速のCOMTを持つ脳は、ストレスをうまく処理できる。COMTが余分なドーパミンを素早く取り除くことができるからだ。

低速のCOMTを持つ脳は、ストレスをうまく処理できない。COMTが余分なドーパミンを簡単には除去できないからだ。脳はストレスによって過度に興奮し、うまく機能できなくなってしまう。

ここまでの説明だと、速いCOMTがすべてにおいて良いもので、遅いCOMTは悪いものであると思うかもしれない。だが、実際はそうではない。どちらが良いか悪いかは、ストレスを感じているかどうかによって決まる。

速いCOMTはごく短期間で機能するため、強いストレスのない平常時でも、正常に放出されているドーパミンを除去してしまう。そのため、これらの速いCOMTを持つ人は、標準的なドーパミンレベルが慢性的に低くなる。燃料室に十分なガソリンがない状態だ。前頭前皮質は機能するが、それは最適なものではない。精神を最適なレベルで機能させるためには、ストレス(とドーパミン)が必要になる。これらの人々は、最善に機能するためには、締め切りや競争、重要な試験などの、ストレスが必要なのである。

遅いCOMTはドーパミンを除去する能力が低い。だがこれは、強いストレスを感じていないときには、有利な働きをする。ドーパミンレベルが高く保たれ、前頭前皮質に満タンのガソリンが供給されるために、最適なパフォーマンスが可能になるのだ。特別な日を除けば、遅いCOMTを持つことはメリットになる。だがストレスとプレッシャーに直面し、ドーパミンが大量に放出された場合、問題が生じる。(p.101)

次は、心配性型が実は攻撃的かもしれない点について。
人間はすべて、戦士型または心配性型のどちらかであるという科学的な主張がある。ドーパミンを素早く除去する酵素を持つ人は戦士型で、恐怖や苦痛などの脅威に直面しつつも最大限のパフォーマンスが求められる環境にすぐに対処できる。ドーパミンの除去に時間がかかる酵素を持つ人は心配性型で、起こりうる事態について、事前に複雑な計画や思考をする能力がある。戦士型と心配性型のアプローチはどちらも、人類が生き残るために必要なものであった。

一見、戦士型の方が攻撃的だと思われるが、実際にはそうとも言えない。心配性型は平常時のドーパミンのレベルが高く、攻撃的反応の閾値の近くにいる。こうした人は神経質であり、感情を爆発させやすい。簡単に腹を立てるし、感情を表に出す。だがその攻撃性が効果的なものだとは限らない。「適切な攻撃性」とは、他社の攻撃的意図を正確に読み取り、解釈し、それに対処することである。心配性型は、相手にその意図がないときに攻撃性を見いだし、相手にその意図があるときに攻撃性を見逃してしまう傾向がある。一方の戦士型は、現実への備えができている。(p.103)

最後は、ドーパミン処理能力の男女差についてです。
ローアン・ブリゼンティーン博士は、著書『The Female Brain(女性の脳)』のなかで、エストロゲンをホルモンの女王と呼んでいる。曰く、エストロゲンは「パワフルで、状況をコントロールし、人を没頭させ、ときにはビジネス一辺倒で、ときには積極的に男を誘惑する女である」。エストロゲンは主要な女性ホルモンだ。それは意欲や野心を高める。

エストロゲンは、細胞内に入り込み、大量の遺伝子の転写を制御することで作用する。

そのうちの1つがCOMT遺伝子だ。

COMTプロセスに対するエストロゲンの効果は極めて劇的だ。その女性がどちらの遺伝子型かにかかわらず、それはドーパミン再吸収の速度を30%遅くする。

そのため、女性のドーパミンの基準値は男性よりも高くなる。特に排卵前と月経前の、月に2度のエストロゲンのピーク時はそうである。これにストレスが加われば、女性は簡単にドーパミン過負荷になってしまう。一般的に知られている男女の性格や行動の違いは、ストレスのもとではさらに際立つようになる。その一部は、こうしたドーパミンのレベルの違いによってもたらされるものなのである。(中略)

ライトホールとマザーは、今度はゲーム中の被験者の脳をスキャンしながら同じ実験を行い、「ストレスは男性と女性に反対の影響を及ぼす」と結論づけた。女性の場合、ストレスを感じると、脳の感情を司る部分が活性化し、それによって意思決定が混乱していた。だが男性には、感情の高まりは見られなかった。男性は、ストレスによって冷静な判断をするようになっていたのである。

ライトホールらは、脳の後部に位置する視覚大脳皮質に注目した。この領域は、相手の細かな表情から感情を読み取ることに関連している。女性がストレスを感じている場合、この領域は著しく活性化した。しかし男性の場合、この領域の活動は抑制されていた。

つまりストレス下では、男性の脳は感情的な合図を無視し、女性の脳は感情的な合図を探し求める。ライトホールとマザーの研究から学べる教訓は、女性と男性は異なる方法でストレスに対処しようとするかもしれないということだ。(p.113)

「心理学は他の学問と統合して研究するように」とは、チャーリー・マンガーがたびたび繰り返す主張です。今回引用した箇所では、その重要性がはっきりと表れています。他方、こういった学問的知見は世知のひとつとして人生の各種局面で活用できるはずです(以前とくらべると、力説できるようになりました)。それは投資戦略においても同じだと思います。この手の本は学術的な成果をわかりやすい形で示してくれるので、ありがたい本です。

2015年4月20日月曜日

価値評価の実例:エスコ・エレクトロニクス社(セス・クラーマン)

前回から間隔があきましたが、マネー・マネージャーのセス・クラーマンの著書『Margin of Safety』、第8章の価値評価に関する話題のつづきです。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

エスコ・エレクトロニクス社を題材にした、証券の価値評価の実演

ここで証券の価値を評価するプロセスの具体的な例をあげてみたい。その対象は、軍需企業のエスコ・エレクトロニクス社である。同社は1990年10月にエマーソン・エレクトリック社から分離された。その際にエスコ社の株式は、エマーソン社の株主に対して無償で交付された。エスコが競っている領域はさまざまな国防関連の領域にわたり、電子機器、兵器、測定機器、無線戦術システムを含んでいた。エマーソン株の保有者は、エスコ株を20対1の割合で受け取った。つまりエマーソン株を1,000株保有していれば、エスコ株を50株受け取ることになった。エスコ株は当初5ドル前後で取引されていたが、速やかに3ドルまで下落した。企業分割によって生じた価値に対して市場の付けた値段は、エマーソン1株につき15セントにしかならなかったのだ(本体自体は約40ドルで取引されていた)。言うまでもないが、エマーソン株を保有する者の多くはエスコ社のささやかな持ち株を早々に売却した。

分割当時のエスコ社にはどれだけの価値があったのだろうか。市場で過小評価されていたとしたら、なぜだったのか。バリュー投資先として魅力ある候補だったのか。そういった疑問に答えるには、バリュー投資家が採用する各種の方法を使ってエスコ社を評価すればよい。

はじめに言えるのが、エスコ社がかなりの規模の企業だったことである。年間の売上高はおよそ5億ドルで、従業員は6,000名だった。職場総面積は約30万平米で、そのうち16万平米弱を自社で所有していた。近年においてエスコ社が果たした成長は、1986年末にハゼルティン社を1億9千万ドルで買収したことだけだった(エスコ社1株につき15ドル超に相当した)。そして企業分割に至った主な検討理由は、エスコの税引き後(報告)利益が1985年に3,630万ドルだったところから、1989年には非継続的損失820万ドルを計上後の数字で670万ドルへと減少し(これは試算上の値で、企業分割に関連する調整済)、さらに1990年には非継続的損失が1,380万ドル発生した上で520万ドルの損失(試算値)となったことにある。企業分割に当たっては保守的な資本構成がとられた。自己資本5億ドルに対して、負債は4,500万ドルだった。有形資産の簿価は1株当たり25ドルを超えていた。そしてネット・ネット運転資本、つまり流動資産から負債全額を減じた金額は、1株当たり15ドル以上あった。

投資家が不安視したのは、エスコ社の将来に関する2つの点で疑問があったからだ。ひとつめは、近年になって収益性が急激に低下している状況が反転するかという点である。これは、同社が請けていた軍需関連の契約で赤字を出していたことと関連した。もうひとつの不安点は、エスコ社と米連邦政府との間で係争中の契約2件がどのような結末となるかである。まずい結果となれば、エスコ社は何十億ドルもの費用を負担する可能性があり、巨額の損失を計上することを意味した。そのような不確実さゆえに、エマーソン社が分離したのは普通株ではなく、第三者に預託した普通株の担保保管証だった。そのねらいは、特定の顧客に関する契約保証についてエマーソン社に対する保証義務をエスコ社が確実に果たせるようにするためだった。(p.137)

Esco Electronics: An Exercise in Securities Valuation

Let me offer a specific example of the security valuation process. Esco Electronics Corporation is a defense company that was spun off from Emerson Electric Company in October 1990; the shares were distributed free to shareholders of Emerson. Esco competes in a variety of defense-related businesses, including electronics, armaments, test equipment, and mobile tactical systems. Holders of Emerson received Esco shares on a one-for-twenty basis; that is, a holder of one thousand Emerson shares received fifty shares of Esco. Esco first traded at around $5 per share and quickly declined to $3; the spinoff valued at market prices was worth only fifteen cents per Emerson share (which itself traded around $40). Needless to say, many holders of Emerson quickly sold their trivial Esco holdings.

What was Esco worth at the time of spinoff? Was it undervalued in the marketplace, and if so, why? Was it an attractive value-investment opportunity? The way to answer these questions is to evaluate Esco using each of the methods that value investors employ.

To begin with, Esco is a substantial company, having approximately $500 million in annual sales and six thousand employees, who occupy 3.2 million square feet of space, 1.7 million of which are owned by the company. Esco's only recent growth has come from its acquisition of Hazeltine Corporation in late 1986 for $190 million (over $15 per Esco share). A major consideration leading to the spinoff was that Esco's after-tax profits had declined from $36.3 million in 1985 (actual) to $6.7 million (pro forma, to reflect adjustments related to the spinoff) in 1989 after $8.2 million of nonrecurring charges and to a loss of $5.2 million (pro forma) in 1990 after $13.8 million of nonrecurring charges. The company was spun off with a conservative capitalization, having only $45 million in debt compared with almost $500 million in equity. Tangible book value exceeded $25 per share, and net-net working capital, current assets less all liabilities, exceeded $15 per share.

Two questions regarding Esco's future worried investors. One was whether the sharp recent drop in profitability, related to money-losing defense contracts the company had taken on, would reverse. The second concerned the outcome of two pending contract disputes between Esco and the U.S. government; an adverse outcome could have cost Esco tens of millions of dollars in cash and forced it to report sizable losses. These uncertainties caused Emerson to spin off, not shares of common stock, but common stock trust receipts held in escrow in order to ensure that Esco would meet its obligation to indemnify Emerson for certain customer-contract guarantees.

2015年4月18日土曜日

2015年デイリー・ジャーナル株主総会(2)過ぎ去りし最上の50年間

チャーリー・マンガーが質問に答えるデイリー・ジャーナル社の株主総会、今回はインフレ等の話題です。前回とは違う引用元からご紹介します。

Charlie Munger's 2015 Daily Journal Annual Meeting - Part 1 (Forbes)

<質問者> 米国のバランスシートは2007年には9,000億ドルでしたが、今では6兆ドルほどになっています[原文ママ。おそらくFRBのことで、後者の数字も4兆ドル強と思われる]。このような信用経済の下で、この会場にいるだれかが生きている間に9,000億ドルに戻ると考えられますか。

<マンガー>言うまでもなくわたしはかなりの年ですから、コーヒーが5セントだったり、カフェテリアでの食べ放題が25セントだったり、新発売の自動車が600ドルだった時代のことを覚えています。何十年という期間でみると、民主主義の社会では金銭の価値は減価することが予想されます。人間の性質を考えれば、これは今後もつづくでしょう。加速せざるを得ないことになるかもしれません。

我々が経験した数々の厳しいインフレの時期はどれも短く、イタリアやアルゼンチンそしてブラジルのような場所で起きたことを考えると、私からすればうれしい驚きでした。もっとひどくなるだろうと予想していました。

過去50年の人生を振り返ると、普通株の平均リターン(配当込み)は税引き前で年率10%ほどでした。そのうち真水の上昇分がどれだけで、インフレ分がどれだけの割合なのかはわかりません。しかしたとえば実質的な上昇が7%でインフレが3%とすれば、私ならば信じがたいほどに良い数字だと考えます。

私の年代の人たちは、有史をつうじて最上かつもっとも安楽な時期を生きてきました。死亡率は過去最低、投資利益は過去最高、生活水準の向上率もほぼすべての人において過去最高でした。戦争を含んだあらゆることによる精死亡率も低下しています。スティーブン・ピンカーの主張するとおりですね[著書『暴力の人類史』]。過去最高のすばらしい時期だったのです。

これまで過ごしてきた50年間を不幸せな時期だったと考えるのは、残念なことに自分の人生をまちがって評価しています。これ以上は望めない時代だったのです。これからは悪くなる可能性が高いでしょうね。どんなときであろうとも、悪化することに備えておくのは賢明な姿勢です。うれしい驚きとはたやすいものですが、問題を引き起こすのは好ましくない驚きが起きた場合ですから。

金融上の政策という点でみれば、金銭の購買力は時を追うごとに低下すると考えられます。今後50年間のほうが今まで以上の問題を抱えることになるのは、ほぼ確実と言えるでしょう。技術は発展し続けますから、イカレポンチが何人かいるだけで、世界貿易センターでの事件がピクニックのように思える、そうなる可能性もあります。厳しい世の中へと変わることに対して備えるべきです。

Q: The U.S. had a $0.9 trillion balance sheet in 2007. Now it's about six trillion. In anyone's lifetime in this room, will it ever go back to $0.9 trillion under the credit economy?

Mr. Munger: Of course, I'm so old I remember coffee at five cents, and all-you-can-eat cafeterias at 25 cents, and brand new automobiles for $600. Over a span of many decades you can count on democracy to cause the money to deteriorate. That will continue because of human nature. It may even accelerate eventually.

Considering the experiences in places like Italy and Argentina and Brazil, I have been pleasantly surprised after the many bouts of inflation we went through. I anticipated more trouble than we actually had.

In my lifetime, over the past 50 years, the common stock averages (including their dividends) produced about 10 percent per annum pre-tax. I don't know what percent of that is real gain, and how much is inflation. Let's say it's seven percent real gain and three percent inflation. I work out those figures as unbelievably good.

Somebody my age has lived through the best and easiest period that ever happened in the history of the world, with the lowest death rates, the highest investment production, the biggest increases per annum that most people's standard of living ever got. The net death rate from war, from everything is better. Steven Pinker is right. It's the most fabulous period that ever happened.

If you're unhappy with what you've had over the last 50 years, you have an unfortunate misappraisal of life. It's as good as it gets, and it's very likely to get worse. It's always wise to be prepared for it getting worse. Favorable surprises are easy to handle. It's the unfavorable surprises that cause the trouble.

In terms of monetary authorities, you can count on the purchasing power of money to go down over time. You can almost count on the fact that you'll have way more trouble in the next 50 years than we had in the last. The technology is changing, so that a few nutcases could make the World Trade Center look like a picnic. We should all be prepared to adjust to a world that is harder.

2015年4月16日木曜日

シェールオイルについて(エクソンモービルCEOレックス・ティラソン)

少し前にエクソンモービル社をえがいた『石油の帝国』を読了し、その流れで先だって同社が開催したアナリスト向けミーティングのトランスクリプトを読みました。目新しい情報はあまりなかったように思います。が、現在の市場動向に振り回されることなく以前からの基本戦略を踏襲しようとする経営姿勢は、同書に描かれているとおりでいかにも同社らしいと感じました。今回引用するのは、CEOのティラソン氏がアナリストの質問に答える形で、原油の価格動向とシェールオイル業界について触れた部分です。(日本語は拙訳)

Exxon Mobil's (XOM) CEO Rex Tillerson Hosts 2015 Analyst Meeting (Transcript) (Seeking Alpha)

<ティラソン> 世界中の地政学的イベントによって、ある程度の供給量が阻害されてきました。そのことが長期にわたってものごとを維持してきた、というのが私の見方です。しかし昨年になってからマーケットは実際に起こっていることを認識しはじめ、それで価格の訂正が始まったのだと思います。つまり、供給が需要を超過しているだけの問題です。その期間がどれだけ継続するかを言葉で表すのは常に困難なことですが、いくつか気づいた点があります。そのひとつが、北米でのタイトオイル[シェールオイル等]の供給は、一部の人たちが考えているよりも弾力的な点です。それと直接は関連しないものの、この5年から7年間にシェールガスの領域で生じた掘削リグの稼働本数の減少から類推できることがあります(以降、音声不良)。

[シェールガス田における]リグの稼働数は、1,600基超から現在の280基まで減少しました。しかしリグが減少している環境下で、ガスの生産能力は日産550億立方フィートから740億立方フィート へと50%増加しています。価格の下落動向はもっとひどいもので、8.25ドルから3ドル以下まで落ち込みました。しかしタイトオイルはあきらめたらどうかと示唆してはいません。それらの知見から学べるものがある、というのが私の考えです。最初に申した見解、つまり北米のタイトオイルはある人たちが予想する以上に弾力的な動向を示すものと考えられるわけです。

The geopolitical events of the world were keeping some supplies disrupted. And so, I think that's what supported things for a long time until last year the market began to realize what was happening. And I think that's when the correction occurred. So it's simply supply outstripping demand. In terms of the duration, it's always hard to say the duration, but I would just make a few observations. One, I think the North American tight oil supply is more resilient than some people think it is. And I would draw some -- not direct correlation, but I would draw some analogy from the shale gas experience of the last 5 to 7 years where reductions of rig counts [Technical Difficulty].

Where rig counts went from north of 1600, down to 280 today and gas capacity went from 55 billion cubic feet a day to 74 billion cubic feet a day, a 50% increase in a declining rig environment, and a terribly declining price environment, $8.25 to south of $3. Now I am not suggesting you're going to have a lay down on tight oil, but I think there are a few lessons you can learn from observing that. So I think the first comment, I'll make is I think North America tight oil is going to be more resilient than some people think it's going to be.

『石油の帝国』については、あらためて取り上げるつもりです。読みごたえたっぷりの著作です。

2015年4月14日火曜日

女性が競争に加わるとき(『競争の科学』)

読み進めるうちにすなおに引き込まれる本とは、読み手の興味と一致しているか、あるいは書き手の筆力や構成がすぐれているか、そのいずれかのことが多いように感じます。少し前に読んだ本『競争の科学』はいかにも現代風の装丁で、手にした段階ではそれほど興味をひきませんでした。ところが内容のほうは先に示した両方を満たしており、おおいに楽しめ、そして勉強になった本でした。個人的な今年の上位にあげたい一冊です。

今回ご紹介するのは、競争に対して女性がどのような意識を持っているのかを説明した箇所です。これと同じ話題は前にもとりあげましたが、大切なことは繰り返し触れるのが師匠の教えです。

成功の見込みが高いとき、男女の間に野心の差はなくなる。むしろ女性の方が積極的になる。男性は、勝つ見込みの少ない勝負にも賭けることがある。ときには、愚かしいまでに勝ち目のない戦いに挑むこともある。だが、女性はそのような賭けをしない。(p.130)

フルトンが説明する。「男性が戦略的でないということではなく、女性の方がコストやメリットを強く意識しているのだ。勝つ見込みが変わっても、男性が競争に参加するかどうかはあまり変化がない。だが女性が競争に参加するかどうかは、勝つ見込みと深く結びついている。女性は、勝てるかどうかに極めて敏感なのだ」(中略)「女性は極めて戦略的に競争に参加するかどうかを考え、極めて慎重に行動している」フルトンは言う。(p.132)

女性は、チャンスがあると確信するとき、男性よりも積極的に競争に参加する。また、負けて時間を浪費することを、男性よりも強く拒絶する。(p.133)

競争とは、負けのリスクをとることだ。競争に投資(時間、金、感情)をするほど、負けて失うものも多くなる。このリスクの判断方法が、女性(この場合は政治家)と男性とでは異なる。(p.135)

勝者総取り方式を選択した73%の男性の計算能力は、平均レベルを上回るものではなかった。にもかかわらず、男性はそれでも自分は勝てるという誤った考えを持っていたのである。

対照的に、女性は自らの能力を適切に評価していた。ほとんどの女性は、負ける確率が高いという理由で、勝者総取り方式には参加しなかった。だがこれは、女性には生得的にリスク回避志向があるということではない。女性は、正確にリスクを認識しているのである。女性は競争そのものを恐れているのではないし、競争を楽しんでいないわけでもない。女性は、負ける可能性を認識することに優れているだけなのだ。

一方の男性は、負ける可能性をうまく認識できず、自信過剰である。男性は、勝利だけに注目する傾向がある。競争を挑まれると、簡単には抵抗できない。(p.139)

2015年4月12日日曜日

会計士の決めた慣行を税務当局が認めない例(チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の4回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

クァント・テック社の経営者として新たに選任された者は早々に、会社をうまく経営しても現在以上の割合で売上高の伸び率を高めたり、利益率を増加させられないことに気づきました。そのどちらにおいても、創業者がすでに最適な状態へと到達させていたからです。さらに新任経営者らは、うまく機能しているエンジニアリング文化に対して、下手に手を出す気もありませんでした。それゆえに新任者が惹きつけられたのは、彼らが言うところの「現代的な金融工学」を活用することでした。報告利益を増大させるためには、合法的と思われる方法は何であろうとすべてを速やかに実行する必要がありました。そのためにはまず、単純ながらも大きな変更を実施することになりました。

なんとも奇妙な運命の皮肉によって、クァント・テックの創業者が嫌っていたストックオプションに関する会計慣行は、新たな経営者の仕事を非常に楽なものにしました。そして最終的にはクァント・テック社の評判を失墜させることになります。当時の米国では次のような会計慣行がありました。まず従業員がオプションを付与されて、次にその従業員に対して市場で容易に売却できる株式を市場価格未満で発行したとき、従業員に対して値引きした部分はほぼ現金と等しいながらも、会社の報告利益を決定する上で報酬費用に含めてはならない、とするものでした。会計士業界はこの驚くべき特異な会計慣行を、もっとも賢明かつ倫理的なメンバーらが反対したにもかかわらず、選択しました。概して企業の経営者とは、雇用元企業の株を対象にしたオプションを行使して得られる利益が、その企業の業績を決定する費用に含まれないことを好むもので、それゆえの反対意見だったのです。しかし会計士業界が驚嘆すべき特異な決定をくだしたのは、単に要請に従っただけのことでした。裕福で確固たる地位にある会計士とはまったく異なる人たちであれば、その手の要請に従うことはよくありました。ただし通常それは、不確実で権力を持たない、つまり「食い扶持を出してくれる者のために歌う」人たちでした。幸いなことに、所得税を管轄する当局は会計士業界とは違っていました。会計士のように驚愕特異な会計上の概念を抱くことはありませんでした。そこでは初歩的な常識が勝ったのです。ストック・オプション行使時に発生する割引分の金額は明白なる報酬費用として扱われ、税法上の所得を決定する際の控除対象とされました。

The newly installed Quant Tech officers quickly realized that the company could not wisely either drive its revenues up at an annual rate higher than the rate in place or increase Quant Tech profit margin. The founder had plainly achieved an optimum in each case. Nor did the new officers dare tinker with an engineering culture that was working so well. Therefore, the new officers were attracted to employing what they called "modern financial engineering" which required prompt use of any and all arguably lawful methods for driving up reported earnings, with big, simple changes to be made first.

By a strange irony of fate, the accounting convention for stock options that had so displeased Quant Tech's founder now made the new officers' job very easy and would ultimately ruin Quant Tech's reputation. There was now an accounting convention in the United States that, provided employees were first given options, required that when easily marketable stock was issued to employees at a below-market price, the bargain element for the employees, although roughly equivalent to cash, could not count as compensation expense in determining a company's reported profits. This amazingly peculiar accounting convention had been selected by the accounting profession, over the objection of some of its wisest and most ethical members, because corporate managers, by and large, preferred that their gains from exercising options covering their employers' stock not be counted as expense in determining their employers' earnings. The accounting profession, in making its amazingly peculiar decision, had simply followed the injunction so often followed by persons quite different from prosperous, entrenched accountants. The injunction was that normally followed by insecure and powerless people: "Whose bread I eat, his song I sing." Fortunately, the income tax authorities did not have the same amazingly peculiar accounting idea as the accounting profession. Elementary common sense prevailed, and the bargain element in stock option exercises was treated as an obvious compensation expense, deductible in determining income for tax purposes.

2015年4月10日金曜日

強気相場で備えること、弱気相場で腹を決めること(セス・クラーマン)

ヘッジファンドのマネージャーであるセス・クラーマンが書いた2014年度の顧客投資家向けレターが、以下のサイトで一部引用されています。その中から印象に残った2段落を拙訳付きでご紹介します。

Baupost Group 2014 Letter: Market Psychology (ValueWalk)

はじめは、強気相場でやっておくべきことについて。
経験豊富な投資家であっても、弱気相場では苦しむものです。だからこそ何よりも重要なのが、強気相場にいるうちに来たる弱気相場に備えようと、人としてできるあらゆることを実行しておくことです。プロセスや手順を改善し、チームを鍛え上げ、自分たちの路線を守り、ポートフォリオに借入れを組み込まず、売却時の原則を守り続ける。(中略)そして将来やってくる機会を逃さぬように、現金を保有しておくことです。

Even experienced investors struggle in bear markets. That's why it is of paramount importance to do everything humanly possible in a bull market to prepare for the next bear market: Improve processes and procedures. Train up your team. Stick to your knitting. Avoid portfolio leverage. Maintain sell discipline…Hold some cash in reserve to take advantage of future opportunity…

もうひとつは、弱気相場でやるべきことについて。
肝心なのは、弱気相場と言ってもしょせんは市場のひとつだと覚えておくことです。市場という場所は需要と供給によって、また強欲と恐怖によって左右されます。ベンジャミン・グレアムが記したように、そこで形成されるものは投票機であって秤量機ではありません。市場を占めつくすのは感情に支配された人たちです。強気相場が永遠には続かないように、そして弱気相場も同じように、(中略)弱気相場であらわれる安値の機会に乗じるには、下げている最中に買わねばなりません。おそらくは、下げているあいだずっとです。どん底を完ぺきにとらえる術はありませんし、資金の相当な部分を投じる方法として他には考えられません。

it's crucial to remember that a bear market is still a market. Markets are driven by supply and demand, and greed and fear. They constitute, as Benjamin Graham noted, a voting machine, not a weighing machine. Emotion-driven individuals dominate markets, and just as no bull market goes on forever, neither does any bear market…To take advantage of the low prices in a bear market, you have to have been buying on the way down, perhaps all the way down. There is no way to perfectly time the bottom, and no other way to put substantial capital to work.

2015年4月8日水曜日

1982年、バリュー投資家の出番が来た年(チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の3回目です。話が動き出してきました。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

クァント・テック社は強力な財務基盤と生産的な社風を備え、急速に変化成長するビジネスにおいて臨界量に達した専門能力を有していました。御大のやりかたに従った同社は1982年までに、その後20年間において売上高成長率が年率20%、売上高利益率が10%を維持できる水準に達していました。20年間が経過した後の2003年以降には、利益率10%は非常に長い間維持できるでしょうが、売上高の伸び率は年率4%へと縮小すると思われます。しかし低成長が不可避となる時期がいつから始まるものか、同社のだれにも正確にはわかりませんでした。

クァント・テックの大将がとっていた配当政策は単純そのものでした。配当金を一切払わなかったのです。そうするかわりに、すべての利益を現金等価物として単に積み上げていきました。

普通株の領域で本当に熟達した投資家であればだれでも、現金豊富なクァント・テック社は1982年の投資先としてめざましい機会をもたらすとわかったでしょう。その輝かしい将来にもかかわらず、市場が付けていた値段は純利益の15倍にすぎない15億ドルだったからです。麗しき将来性とくらべて時価総額が低かったのは、1982年には他のすばらしい普通株も15倍かそれ以下で売られていたせいでした。金利が高かったことの当然の成り行きとして、そのような情勢が広まっていたのです。そして普通株に分散投資した典型的なポートフォリオを有する者は、それ以前に何年も享受していたような成果を得られずに失望した時期でした。

1982年にクァント・テック社の時価総額が低かったことで、同社の取締役は御大が亡くなって早々に不満や不愉快な想いを抱くようになりました。賢明なる取締役であれば、そのようなときにはクァント・テック社の株を大々的に買うものです。手元の資金を使い果たし、さらには同じことのために資金を借りたでしょう。しかし1982年当時の伝統的な企業の知恵からすると、そのような決定は許されませんでした。そこで取締役会は伝統的な道を選びました。新たなCEOとCFOを社外から雇ったのです。それも、当時すでに従業員向けのストック・オプション制度を採用しており、報告利益の20倍に達する時価総額が付いていた会社からです。ところが、その会社の財務基盤はクァント・テック社より貧弱で、純利益の成長率もクァント・テックよりゆるやかでした。これが示すことは明白です。その新経営陣を雇った理由は、クァント・テック社の取締役諸氏が「会社の時価総額を可能な限りすみやかに高めたい」と望んでいたからでした。

Possessing a strong balance sheet and a productive culture and also holding a critical mass of expertise in a rapidly changing and rapidly growing business, Quant Tech, using the old man's methods, by 1982 was destined for twenty years ahead to maintain profits at ten percent of revenues while revenues increased at twenty percent per year. After this twenty years, commencing in 2003, Quant Tech's profit margin would hold for a very long time at ten percent while revenue growth would slow down to four percnt per year. But no one at Quant Tech knew precisely when its inevitable period of slow revenue growth would begin.

The old man's dividend policy for Quant Tech was simplicity itself: He never paid a dividend. Instead, all earnings simply piled up in cash equivalents.

Every truly sophisticated investor in common stocks could see that the stock of cash-rich Quant Tech provided a splendid investment opportunity in 1982 when it sold at a mere fifteen times earnings and, despite its brilliant prospects, had a market capitalization of only $1.5 billion. This low market capitalization, despite brilliant prospects, existed in 1982 because other wonderful common stocks were also then selling at fifteen times earnings, or less, as a natural consequence of high interest rates then prevailing plus disappointing investment returns that had occurred over many previous years for holders of typical diversified portfolios of common stocks.

One result of Quant Tech's low market capitalization in 1982 was that it made Quant Tech's directors uneasy and dissatisfied right after the old man's death. A wiser board would then have bought in Quant Tech's stock very aggressively, using up all cash on hand and also borrowing funds to use in the same way. However, such a decision was not in accord with conventional corporate wisdom in 1982. And so the directors made a conventional decision. They recruited a new CEO and CFO from outside Quant Tech, in particular from a company that then had a conventional stock option plan for employees and also possessed a market capitalization at twenty times reported earnings, even though its balance sheet was weaker than Quant Tech's and its earnings were growing more slowly than earnings at Quant Tech. Incident to the recruitment of the new executives, it was made plain that Quant Tech's directors wanted a higher market capitalization, as soon as feasible.

2015年4月6日月曜日

2015年デイリー・ジャーナル株主総会(1)今振り返るウェルズ・ファーゴ

チャーリー・マンガーが会長を務めるデイリー・ジャーナル社の株主総会が3月下旬に開催されました。昨年は決算報告のごたごたで時期が遅れたようで、前回からあまり離れていません。チャーリーに対する質疑応答は以下のWebサイトなどに掲載されています。辛口の回答が多いですが、このような時期こそ望まれるものだと思います。

Charlie Munger Daily Journal 2015 Meeting [FULL NOTES] (Value Walk)

このシリーズでは同サイトの記事から一部を引用します。なお拙訳の末尾にあるページ番号は、リンク先にあるPDFファイルのページを示しています。

読書について。
<質問> たいへんな読書量ですが、たくさんのお子さんがおられますので、どうやってバランスをとっていますか。

<マンガー> 読み物をしたいときは、他のことはすべて遠ざけます。大量に読まないのに知恵が深い人など、知りませんね。同時並行で作業をする人は、高くついていると思いますよ。物事を深く考えられないわけですから、他人をわざわざ有利にしてあげているわけです。私なら、そのやりかたではうまくいかないですね。私が人生を通じて成功できたのは頭脳の明晰さではなく、集中して考える時間を長く持ったからです。(2ページ目)

How did you balance reading that much and having so many children?

When I want to read something I tune everything else down. I don't know a wise person who doesn't read a lot. I think that people who multitask pay a huge price - they can't think of anything deeply, giving the world an advantage, which they shouldn't give. I wouldn't succeed doing it. I did not succeed in life by intelligence - I succeeded because I have a long attention span.

2008年の金融危機の際に、チャーリーがデイリー・ジャーナル社の余剰資金を使ってウェルズ・ファーゴ株を買った件について[参考記事]。
<マンガー> ウェルズ・ファーゴを買ったのは8ドルのころでした。そのような好機がもう一度来るとは思えませんね。(3ページ目)

We bought Wells Fargo stock when it was at $8, and I don't think we will have another opportunity like that.

高い希望を抱く投資家に対する冷静な助言。
<質問> 投資によって金銭的自由を獲得したいと考える人に対して、なにかご助言をお願いします。

<マンガー> 私の時代には、投資で成功するのはもっと簡単でした。合理的かつ規律に従って行動すれば、年率10%の追い風を受けられたのです。しかし今では、世の中全体が10%を得られるとは思いません。昔と違ってむずかしくなるでしょうし、大型株を保有したままでは不可能な数字です。(3ページ目)

What is your advice for people who try to achieve financial freedom through investing?

In my life time success in investing was easier. If you were rational and disciplined you had a tailwind of 10% per annum. Now, I doubt that the world will be able to get 10%, so it will be more difficult; and it is impossible if you are staying in big stocks.

2015年4月4日土曜日

それなりのエンジニアであれば期待されること(チャーリー・マンガー)

少し間隔がひらきましたが、チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の2回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

1982年には、クァント・テック社は業界シェアの大半を獲得していました。同社の売上高は10億ドル、純利益は1億ドルでした。売上原価は、設計作業に携わる技術系従業員への報酬によって事実上占められていました。売上高のうちの70%が従業員へ直接給付される報酬で、そのうち30%が基本給、40%がインセンティブ・ボーナス[業績連動賞与]でした。それらの支払いは、創業者が設計した緻密な体系によるものでした。報酬の全額が現金で支払われ、ストック・オプションはありませんでした。ご老体からすれば、ストック・オプションに要求される会計上の取り扱いは、「薄弱で堕落しており、尊敬に値しない」ものだったからです。彼は低品質のエンジニアリング以上に、質の低い会計処理を望んでいませんでした。ご老人はさらに、自分の作ったインセンティブ・ボーナスの割合が大きな仕組みは、各人や小集団の業績基準を正確に示すようにあつらえてある、と確信していました。他社のストック・オプション制度では、高低両面において望ましくない報酬が支払われる結果を招く、と彼は信じていたのです。

しかしながらご老人の仕組みにおいてでさえも、クァント・テックに昔から仕えてきた従業員はすでに裕福となっていたか、間違いなくそうなる人ばかりでした。それというのも従業員は、そうでない一般の株主と同じようにクァント・テックの株を市場で買っていたからです。発電所を設計できるほどに十分頭がよく、自発的に規律をきちんと守れる人であれば、そのような方法で自身の財政的問題に対応できておかしくない、とご老人はいつもそう考えていました。時折彼はあえて家父長的な姿勢をみせて、クァント・テックの株を買うように従業員へうながしたものでした。

創業者が1982年に亡くなるまでのクァント・テックは、無借金でした。どれだけ急激に売上げが伸びようとも、事業を継続する上で株主資本は一切不要でした。評判を高める目的しかありませんでした。しかしご老体はベン・フランクリンの言葉「からっぽの袋は立たせにくい」を信奉しており、クァント・テックにもきちんと立っていてほしいと望んでいました[参考記事]。その上、彼は事業と職場仲間に惚れこんでいたので、予期せぬ困難や機会が来た時になるべくうまく解決したり好機を最大に生かせるよう、多額の現金等価物を常に持っておきたいと考えていました。そのおかげで、1982年にクァント・テックが有していた現金等価物は5億ドルとなり、売上高の50%に達していたのです。

By 1982, Quant Tech had a dominant market share in its business and was earning $100 million on revenues of $1 billion. Its costs were virtually all costs to compensate technical employees engaged in design work. Direct employee compensation cost amounted to seventy percent of revenues. Of this seventy percent, thirty percent was base salaries and forty percent was incentive bonuses being paid out under an elaborate system designed by the founder. All compensation was paid in cash. There were no stock options because the old man had considered the accounting treatment required for stock options to be "weak, corrupt, and contemptible," and he no more wanted bad accounting in his business than he wanted bad engineering. Moreover, the old man believed in tailoring his huge incentive bonuses to precise performance standards established for individuals or small groups, instead of allowing what he considered undesirable compensation outcomes, both high and low, such as he believed occurred under other companies' stock option plans.

Yet, even under the old man's system, most of Quant Tech's devoted longtime employees were becoming rich, or sure to get rich. This was happening because the employees were buying Quant Tech stock in the market, just like non-employee shareholders. The old man had always figured that people smart enough, and self-disciplined enough, to design power plants could reasonably be expected to take care of their own financial affairs in this way. He would sometimes advise an employee to buy Quant Tech stock, but more paternalistic than that he would not become.

By the time the founder died in 1982, Quant Tech was debt free and, except as a reputation-enhancer, really didn't need any shareholders' equity to run its business, no matter how fast revenues grew. However, the old man believed with Ben Franklin that "it is hard for an empty sack to stand upright," and he wanted Quant Tech to stand upright. Moreover, he loved his business and his coworkers and always wanted to have on hand large amounts of cash equivalents so as to be able to maximize work-out or work-up chances if an unexpected adversity or opportunity came along. And so, in 1982, Quant Tech had on hand $500 million in cash equivalents, amounting to fifty percent of revenues.

2015年4月2日木曜日

不要な時にたくさんあり、必要な時にほとんどない(ハワード・マークス)

ハワード・マークスの新しいメモが公開されていました。今回は流動性(Liquidity)についてです。いつものように機関投資家向けの文章なので、そのまま個人投資家に当てはまるものではありませんが、本質的な考えは同じだと思います。今回引用するのは「流動性のイロハ」に当たる文章です。(日本語は拙訳)

Liquidity [PDF] (Oaktree Capital Management)

たいていの場合、資産を売却したい気持ちが高まるほど(保有しているのが怖くなったから)、保有者がそれを売却できる能力は減少します(保有することをだれもが恐れるから)。そのためまず言えるのが、流動性を必要としないときほど流動的になりがちな点で、もう一つ言えるのが、もっとも必要とするちょうどそのときこそ流動性は手に入れにくい点です(今月初めに公開されたバークシャー・ハサウェイの2014年度年次書簡で、ウォーレン・バフェットは忌避しているものを次のように表現しています。「そういった現金相当物は、要求に応じて流動性を提供され、実際そうなりますが、本当に必要なときはそうなりません」)。実際のところ、売るときよりも買うときのほうが流動的になりがちだと言えます。(p.2)

Usually, just as a holder's desire to sell an asset increases (because he has become afraid to hold it), his ability to sell it decreases (because everyone has also become afraid to hold it). Thus (a) things tend to be liquid when you don't need liquidity, and (b) just when you need liquidity most, it tends not to be there. (In the 2014 Berkshire Hathaway Annual Letter, released early this month, Warren Buffett expresses his dislike for "substitutes for cash that are claimed to deliver liquidity and actually do so, except when it is truly needed.") The truth is, things often seem more liquid when you buy than when you go to sell.

10年に一度の暴落がきたときに流動性を供給して大安売りを買いあされるようにと、常に大量の現金のまま備えておく。しかし、それが良い考えだとは言えないかもしれません。部分最適同然かもしれないからです。1990年から1991年、2001年から2002年、そして2008年から2009年であれば、そのやりかたでうまくいったでしょう。しかしこの25年間でそれ以外だった19年間は、一体どうなったでしょうか。

非流動性に対する不安が昂じることで、それを避けようとする投資家が行き過ぎた行動をとる可能性があります。たとえば、その性質上長期投資のアプローチを許されている機関投資家が、投資する対象を素早く退出できるものに限定することがあります。これは慎重さゆえの判断なのでしょうか、それとも単に部分最適しているだけなのでしょうか。脅威の実現する可能性が合理的に考えられる上での反応なのか、それとも危機に際した記憶(「先の戦争を戦った」)が鮮明だからでしょうか。現実的なものなのか、あるいはポートフォリオ全体を今すぐ現金化したいという非合理的な願望によるものでしょうか。それとも、上司や投資委員会からの売却命令に常に従えるようにする決まりだからでしょうか。(他の条件がすべて同じであれば)流動性とは良いものです。しかし、予想される換金要求よりも大量の流動性を持つようにポートフォリオを構成するのは、賢明と言えるでしょうか。流動性は無料ではないことを思い返してください。たいていは、別で使われた場合のリターンという形での費用がかかっています。

私が思うに、この流動性の問題に取り組む最良の方法は、ポートフォリオをとらえる上で流動性の高いものから完璧に非流動的なものまで層をなしていると考えるやりかたです。ある時点における各階層の適切なサイズは、各投資家の固有の状況によって決まります。また同じように、市場がサイクルにおいてどの位置にあるかも検討材料になります。

言うまでもなく、各層の大きさを決める上で現実が許す以上の非流動性は背負い込まないことです。2008年には深刻な結末をむかえた基金がありました。ポートフォリオに必要と考えられる条件には、次のようなものがあります。第一に、ポートフォリオの保有者が現在の運営上必要とする現金需要を満たすこと。第二に、ロックアップ中の[投資先]ファンドが分配をしない間、資金の減少を賄えること。第三に、下落した価格で資産を売却せねばならない事態を避けられること。そのため、状況が悪いときでもそれらのニーズを満たせるように、ポートフォリオの流動性を設定すべきです。

しかし、悪いとは一体どう悪いということでしょうか。直近で悪かった年に対応できればよいのか、それとも直近で悪かった年の5回分の平均か、それとも過去最悪の年か、あるいは別の観点の悪さか。それについては、なんらかの判断を下す必要があります。(p.5)

But it may not be a good idea to always sit with a large amount of cash so as to be able to provide liquidity and scoop up bargains in a once-a-decade crash. This may equate to sub-optimizing. It would have paid off in 1990-91, 2001-02 and 2008-09, but what about the other 19 years in the last 25?

A high degree of concern over illiquidity can push investors to avoid it to excess. For example, institutions whose realities could permit a long-term investment approach sometimes decide to invest only in things they can get out of quickly. Is this prudence, or merely sub-optimizing? Is it done in response to a threat that has a reasonable likelihood of materializing, or to a crisis while it is fresh in memory ("fighting the last war")? Is it realistic, or the result of an irrational desire to be able to turn the whole portfolio into cash in short order? Or is it done in orders to always be able to comply with a sell order from the boss or the investment committee? Liquidity is a good thing (everything else being equal). But is it smart to require that a portfolio be able to provide more liquidity than is ever likely to be called on? Let's remember that liquidity isn't free. There's usually a cost, and it comes in the form of return forgone.

I think the best way to deal with the issue of liquidity is to think of the portfolio in terms of layers ranging from highly liquid to totally illiquid. The appropriate size for each layer at a given point in time is a function of each investor's specific situation, as well as the position of the market in its cycle.

In sizing those layers, it's clear that no investor should shoulder more illiquidity than its realities permit, as happened in 2008 with serious consequences for some endowments. Portfolios may be required to (a) meet their owners' needs for current cash with which to operate, (b) fund capital drawdowns at a time when lock-up funds aren't making distributions, or (c) enable the owners to avoid having to sell assets at depressed prices. Thus portfolio liquidity should be set so these needs can be met in bad times.

But how bad is bad? Should the portfolio have to respond to the last bad year, the average of the last five bad years, the worst year ever... or something worse? These decisions require judgment.