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2017年7月28日金曜日

逃げることが英雄的だった(『進化は万能である』)

英国の著述家マット・リドレーの作品は楽しみにしており、昨年翻訳された『進化は万能である』をようやく読了しました。

題名が示すように、本書では「進化」現象が生物に限定されるものではなく、さまざまな領域でみられることを論じています。たとえば、経済・教育・政府・宗教・通貨といったソフト・サイエンスの章が登場します。過激な論調あり、やや飛躍的(に感じられるよう)な論理もありますが、リチャード・ドーキンスの系譜を感じさせるスタイルや主張は、個人的には十分に楽しめました。

ところで、同氏は興味の対象がハード・サイエンスにとどまらず、拡散するタイプの人なのだろうかと感じて少し調べてみたところ、いまさらながら納得しました。そもそも貴族の家系で世襲議員でもあり、金融危機前の一時期には銀行の取締役会会長も務めていたのですね。元気のいい、一介のサイエンス・ライターかと思っていましたが、大違いでした。

さて今回ご紹介する文章は、本題からはずれた内容です。「逃げる」話題について、2つの章から引用します。まずは、第10章「教育の進化」からです。

経済史学者のスティーヴン・デイヴィスは、現代の学校形態はナポレオンがプロイセン王国を破った1806年にその起源を有すると考えている。苦汁をなめたプロイセンは、同国でも並ぶ者のない知識人のヴィルヘルム・フォン・フンボルトに意見を乞い、厳格な義務教育プログラムを策定した。おもな目的は、若者を戦争中に逃亡しない従順な兵士に育成することにあった。現在の私たちが当然と受け止めている学校教育の特徴の多くは、これらのプロイセンの学校で導入されたものだ。

(中略)

『教育の再生』という著書でラント・プリチェットは、19世紀日本の文部大臣の次のようなあからさまな発言を引用している。「あらゆる学校の管理において、なすべきことは生徒のためではなく、国家のためであることを忘れてはならない」(訳注 初代文部大臣、森有礼の言葉。原文は「学政上に於ては生徒其人の為にするに非ずして国家の為にすることを始終記憶せざるべからず」)。(p. 233)

改めて考えてみれば、自由を尊重するリベラルな人々が、5歳の子供を12-16年にわたって一種の刑務所のような場所に送り出すというのも少々おかしな話だ。そこでは罰をほのめかして教室という監獄に児童を収容し、罰を匂わせて椅子にすわって指示に従うよう強いる。もちろん、現在はディケンズの時代とは違うし、多くの児童がすばらしい教育成果を上げるが、それでも学校は人を教化しようとする、いたって全体主義的な場所だ。私の場合、刑務所のたとえはまさにぴったりだった。私が8歳から12歳のあいだを過ごした寄宿学校は規則が厳しく、苦痛を伴う体罰が頻繁に用いられ、ナチス・ドイツの戦争捕虜がトンネルを掘り、食べ物を貯め込み、鉄道の駅まで田園地帯を逃亡するルートを計画した話に、生徒は共鳴したものだった。逃亡はしょっちゅうで、厳しい罰が与えられたが、周囲からは英雄扱いされた。(p. 233)

もうひとつ、こちらは第11章「人口の進化」からです。

イギリス、フランス、そしてアメリカ政府はドイツからのユダヤ人移民の受け入れに強く抵抗し、それを正当化する理由として、あからさまな優生学的主張を使った。既存の定員に加えて、ユダヤ人の子どもたちをさらに2万人アメリカに受け入れることを認める法案は、1939年初頭、ハリー・ラフリンが組織した移民排斥主義者と優生学的圧力団体の連合によって連邦議会で否決された。1939年5月、ドイツを逃れた930名のユダヤ人を乗せた客船セントルイス号がアメリカにたどり着いた。船が入港許可を待つそのさなかにラフリンは、アメリカはその「優生学的、人種的水準」を下げるべきでないと主張する報告書を提出している。結局乗客のほとんどがヨーロッパに戻され、そこで大勢が殺されてしまった。(p. 268)

2017年7月24日月曜日

負けぬが勝ち(スティーブン・ローミック)

ファンド・マネージャーであるスティーブン・ローミックの文章を久しぶりに取り上げます。バリュー志向の投資家の代表格であるウォーレン・バフェットと同じように、市場全般が好調な現在は相対的な成績という意味で彼も遅れをとっています。今回引用する文章は、そんな彼を信じて資金を託してくれている投資家に向けた経過報告であり、啓蒙の言葉でもあります。引用元の文章は以下のリンク先にあります。(日本語は拙訳)

Two Decades of Winning by Not Losing by Steven Romick [PDFファイル]

本質的にパッシブ投資(受動的投資)とは、長期間継続する上昇相場の間は常にすばらしく見えるものです。

もし市場なみの収益率を望んでおり、なおかつ上下変動に抵抗できるのであれば、パッシブ投資は効率的で低コストな道具としても働きます。下落相場から離れるほど、「市場が下落しても対応できる」と自負する人の数は増す一方です。もちろん、次がやってくるまでの話ですが。

同時に、指数の成績が好調なときは、「上昇に乗れるものなら何でも実行すべき」という圧力を感じる投資家が、個人であれプロであれ大勢いるのは相違ないでしょう。

他者と違うことを恐れるわけです。他者から逸脱するのはまずいわけです。ですから、あらゆるセクターにわたる証券を過度なまでに多数保有しておけば、他者と違うことでクビになる事態を確実に回避できます。しかし、そのような投資をしなければいけないとしたら、わたしならばサーフィンに出かけて時間をつぶします。

パッシブ投資は加速的に増加し、今や米国市場で40%前後を占めるようになりました。しかしそれゆえに、「ベンチマークを上回るのは実に容易だ」と思える時期ができる一方、そうは思えない時期が続いてやってくるのは間違いないと思います。

先ほど触れたアクティブ投資に対する学術的な反論は、根本的な部分で間違っています。というのも、誤った前提に基づいているからです。「最高の成績をあげる株式だけが投資成績を左右する」とありましたが、別の面を考慮していません。わが心に刻んでいる格言をです..。

つまり、成績が最低の株式を避けることでも良い数字をつくれる点です(わたしが自分自身の成績を話しているとすれば、結論がどうなのかはみなさんにお任せしましょう)

さらに、そういった批判者は単年度の成績を重視しすぎています。そして市場サイクル1周分にわたる成績を無視しています。そのような見方は短期志向につながります。変節して群衆に加わることで、頭のいい人たちがあらゆる類の認知的不協和の犠牲となりますが、短期的な見方がそういった認知的不協和を生み出す土壌になっています。

1990年代末期におけるインターネットは、破壊的な変革者として急成長するとみられていました。たしかにそうなりましたが、当時のインターネット株の大半は、みなさんもご存知の通り、まったくもって不合理な水準の値段が付けられていました。

しかし、それを見送ることのできなかった頭のいい人たちが大勢いました。おそらく彼らは、友人のように儲けられないことを心配したのでしょう。あるいは、クビになるのが怖かったのでしょう。理由はどうであれ、参加した人たちは概して大きな損失を出しました。

2008年は恐慌の瀬戸際に立たされた年でした。悪化する経済と共に株も下落し続けると信じて、多くの投資家が早々に持ち株や債券を処分しました。その行動が正しかったように見えたものの、それはしばらくの間だけでした。

市場を離れたものの自分の過ちを認識し、後になってから、つまり経済の足取りが堅実だとわかってから市場へ戻ってきた人もいました。しかしまた、価格はすでに反発していました。

これらは短期的な見方と言えます。

投資で成功するためにはカギがあります。辛抱すること、長期的視点を持つこと、流行りものを避けることです。この数十年間において米国でもっとも成功した株式投資家のなかには、最新・最高を探し当てたわけではない人もいます。

少しばかり名前を挙げてみましょう。ウォーレン・バフェット、セス・クラーマン、ジャン=マリー・エベヤール、そして20年間にわたって私のパートナーだったボブ・ロドリゲスです。それらの人たちは、あらゆる種類の投資家から尊敬される成績を長期間築いてきました。

彼らは大きな成功をおさめました。しかし、うらやむほどの成績をあげるために、ある年に最高だった数少ない銘柄を保有していた人は、皆無です。ホームランを打つことではなく、三振をとられないことで彼らは成功したのです。言い換えれば「負けないことで勝った」わけで、これはわたしたちのやりかたを象徴する言葉でもあります。(p. 2)

Fundamentally, passive investment is always going to look great during a long-lasting bull market.

If someone wants market rates of return and can withstand some volatility, then it can also serve as an efficient, low-cost tool. The further you get away from a bear market, the greater the number of people who have convinced themselves they can handle the downside - until the next time, of course

In the interim, if the indices are performing well, then you can bet that many investors - individuals and professionals, alike - are going to feel pressure to do whatever they can to ride the bull.

They fear being different. Tracking error is bad. Owning too many securities in every sector is a sure way to avoid being fired for being different. I’d rather spend my time surfing than to have to invest like that.

Thanks to the accelerated increase of passive investing - now around 40% of the U.S. market - I’m confident that there will be a period when it will look really easy to beat a benchmark - followed by another time when, again, it won’t.

This academic argument against active investment is fundamentally flawed because it’s built on a false premise, which holds that only the best performing stocks will drive returns. The argument doesn’t consider the other side…. A maxim I’ve taken to heart….

If you avoid the worst performing stocks, you can still put up good numbers. (I’ll leave it to you to conclude if I’m just talking my book.)

Further, these critics place too much weight on performance in each year… and ignore performance over a full-market cycle. This leads to short-termism. And short-termism is a breeding ground for all sorts of cognitive dissonance to which smart people fall prey when trying to adapt and join the crowd.

People viewed the internet as a fast-growing disruptive game changer in the late 1990s. And so it was, but as you know, internet stocks of that era were largely priced at wholly illogical levels.

Yet, many smart people couldn’t handle not participating. Maybe they were worried about not making as much as their friends. Or maybe they were worried about being fired. Whatever the reason, if they participated they generally lost badly.

In 2008, we sat on the precipice of a depression and many investors quickly liquidated their stocks and bonds, believing the economy would get worse, and stocks would continue to decline. It appeared correct to do so… for a time.

Some of those who exited the market realized their mistakes and came back to the market… down the road… after the economy found firmer footing… but also after prices had already rebounded.

Short-termism.

Patience, a long-term focus, and avoiding the fads are key for successful investing. Some of the most successful stock investors of the last few decades in the United States aren’t known for finding the latest and greatest.

I give you as just a few examples: Warren Buffett, Seth Klarman, Jean-Marie Eveillard, and my former partner of two decades, Bob Rodriguez. Each compiled a long track record respected by investors of all types.

Each had their share of winners, but none created their enviable performance by owning those few golden stocks of a given year. They won by not striking out, rather than by hitting grand slams. In other words, they won by not losing - emblematic of our approach.

2017年7月20日木曜日

『日進工具のニッチトップ戦略』(元会長、後藤勇氏(故人))

震災後の2011年から投資している企業に、日進工具(6157)という小さな会社があります(過去記事の一例はこちら)。同社の会長だった後藤勇氏は、先月開催された株主総会の直前に69才でお亡くなりになりました。過去に一度総会に参加した際に、細々とした質問にも気軽に答えてくださったことを覚えています。「カラッとした陽気な性格の、たたき上げの創業者一族経営者」という印象の方でした。

同氏は2年前に『日進工具のニッチトップ戦略』という本を出版されていました。その中から印象に残った箇所をご紹介します。ひとつめの引用は、製造を担当していた同氏が営業の最前線も担当することになった頃の話です。

飛び込み営業を始めた初期においては、訪問先から「エンドミルは大手メーカーのもので間に合っているから、テストカットなどしなくてよい」とか、「今、忙しいから、帰れ」-など、罵声に近い言い方を何度もされた。

"営業担当として、訪問先からのお断りをいかにして乗り越えるか"-追い詰められていた私は、いろいろ考えた。

こうした局面においては、他社の営業担当は、サンプル品を置いて、後日、再訪問して売り込むケースが見られた。お客様からも「サンプルを置いていけ」とよく言われた。

私はこれをやらず、訪問先から材料と機械を借りて、私が自ら段取りを行い、切削加工してみせた。すると、お客様は関心を示し、加工で困っていることなどを話し始めてくれた。入社以来、地道に製造に携わり、培ってきた知識とノウハウが役立ったのだ。嬉しかった。いわゆる"実演販売"である。

同時に、大切なことを学んだ。それは、顧客は製品の価値を理解して購入して下さるのだから、絶対に、大幅な値引き販売、安易なサンプル品提供などは行わないことである。あわせて、常に、顧客のニーズを探求し、これをベースに製品開発する重要性も学んだ。これを怠ると、他社製品との差別化が進まず、過当競争を招き、その結果、価格の維持が困難になる。大事なことは、使い手と作り手双方に利益をもたらす"価値の等価交換"である。(p. 29)

"実演販売"の部分は心理的なうまいやりかたが何重にも組み込まれていて、つくづく感心しました。

もうひとつは株式投資家にはおなじみの概念、「逆張り」についてです。

中小企業にとって、優秀な人材を確保することは、至難の業に近い。このため、私は、常に、世の中が不景気な時に、意欲的に、社員を採用するようにしている。不景気になると、大企業は採用を必要最小限に止める。この時こそ、中小企業にとってはチャンスとなる。

また、機械を設備する時も同様で、不景気の時に行うようにしている。不景気になると、売り手市場から買い手市場になるので、納期が早まり、手間の掛かる特別仕様に対しても柔軟に対応してくれる。それに、価格交渉も有利となる。

工場用地の取得や工場建設に関しても、事情は同じ。土地の価格交渉でも有利だし、建設資材は値下がりし、工期も早まる。

私は、こうした不景気での対応を"逆張り経営"と称し、これを実践してきた。この結果、大きな成果を生み出すことができた。

ただし、常に、思い切った"勇気"と"決断"を要した。社内では、「人は不足していないのに、なぜ、不景気な時に社員を採用するのか」といった反対の声が聞かれた。機械を設備する時も同じで、「今は間に合っているのだから、わざわざ、不景気な時に設備することはない」など、ブーイングに近い声が私の耳に届いた。

そうした時、私は、「責任はすべて社長にある」とし、信念を持って、実行した。(p. 155)

よくあるエピソードなのかもしれませんが、厳しい時期に投資に踏み切れる経営者こそ、視点を共有できるという意味で投資家が探すべき経営者だと思います。

2017年7月18日火曜日

予測に関する5つの警句(ハワード・マークス)

ハワード・マークスが1月に書いたレターから、最後のご紹介です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

最後に特別付録です。予測のことを話題にした引用文ばかりを、私は40年来収集して(再利用もして)きましたが、その中から珠玉の5本をご紹介します。全体としてみれば、今回の主題について語るべき内容が事実上すべて盛り込まれています。

未来を予測する者たちは、2つの種族に分けられる。物事をわかっていない者たちと、自分が物事をわかっていないことを理解していない者たちだ。
(ジョン・ケネス・ガルブレイス[経済学者])

どれだけ洗練させようとも、「みずからが持つあらゆる知識は過去についてであり、みずからが下すあらゆる判断は未来についてである」という事実の重みを減じることはない。
(GE社の元重役イアン・ウィルソン)

予測をすると、未来がわかるという幻想が生まれる。
(ピーター・バーンスタイン[著述家、経済学者])

予測というものは、未来よりも予測者について語ってくれることが多い。
(ウォーレン・バフェット)

未来のことなど考えないですよ。すぐにやってきますから。
(アルバート・アインシュタイン)


Bonus section: I’ve been collecting (and recycling) quotations for almost forty years, more of them concerning forecasts than anything else. Here are five of the very best. Together they say virtually everything that has to be said on the subject:

We have two classes of forecasters: Those who don’t know – and those who don’t know they don’t know.
– John Kenneth Galbraith

No amount of sophistication is going to allay the fact that all of your knowledge is about the past and all your decisions are about the future.
– Ian Wilson (former GE executive)

Forecasts create the mirage that the future is knowable.
– Peter Bernstein

Forecasts usually tell us more of the forecaster than of the future.
– Warren Buffett

I never think of the future – it comes soon enough.
– Albert Einstein

2017年7月16日日曜日

自分を向上させたいのであれば(ハワード・マークス)

オークツリーのハワード・マークスが1月に書いたレターから引用が続きます(前回分はこちら)。常識感覚に富んでいて、良い文章です。(日本語は拙訳)

第一に、1年前にウォーレン・バフェットと夕食を共にしたとき、彼が次のように指摘した件です。「そういった情報に追い求める価値があるとしたら、それが重要なものであり、さらに[客観的に]認知できるものでなければいけませんよ」。今日の投資家はマクロ的な未来に対する識見をかつてないほど要求しています。それが重要だからです。つまり市場を動かすからです。ところが、ここで待ったがかかります。私もそうですが、「その手のものはかなりの部分が認知できない」とウォーレンはみているのです。それらに基づいて彼が投資の行動を起こすことは稀ですし、オークツリーでも同様です。

第二に、先ほど取り上げたメディアに関するObserver[ウェブサイト]の記事にあった極めつけの段落をここに含めたいと思います。圧巻です。

「自分を向上させたいのであれば」、とエピクテトス(1世紀のギリシャ人哲学者)がかつて言った。「畑違いのことについては、無知か愚鈍に見えるよう、みずから進んで振る舞うこと」。現代のような相互接続おびただしい24時間休日なしのメディア漬けの世の中では、「私にはわかりません」と答えるのが、我々の取り得る最強の一手だろう。あるいはもっと挑発的に、「それがどうかしましたか」と。もちろん全てというわけではないが、ほとんどはそうだと言える。なぜならば、ほとんどのことは問題とは言えないし、ほとんどのニュースには追いかける価値がないからだ。(強調部は原著者ハワード・マークスによるもの)(p. 11)


First, I had dinner with Warren Buffett about a year ago, and he pointed out that for a piece of information to be worth pursuing, it should be important, and it should be knowable. These days, investors are clamoring more than ever for insights regarding the macro future, because it’s important: it moves markets. But there’ s a hitch: Warren and I both consider these things largely unknowable. He rarely bases his investment actions on them, and neither does Oaktree.

Second, I want to include a final paragraph from the Observer article about the media that I mentioned earlier. I think it’s golden:

“If you wish to improve,” Epictetus [first-century Greek philosopher] once said, “be content to appear clueless or stupid in extraneous matters.” One of the most powerful things we can do as a human being in our hyperconnected, 24/7 media world is say: “I don’t know.” Or more provocatively, “I don’t care.” Not about everything, of course – just most things. Because most things don’t matter, and most news stories aren’t worth tracking. (Emphasis added)

2017年7月14日金曜日

電子が感情を持ち合わせていたら(ハワード・マークス)

前回につづいて、ハワード・マークスのレターから短い文章ですが引用します。「予測」に関する話題です。(日本語は拙訳)

未来については、事実というものは存在しません。あるのは、ただの見解です。自分が予想したマクロ的な将来を心底から断言する人は、無知ゆえの発言なのか、それとも自信過剰か、あるいは嘘をついているのか、いずれもみずからの先見性を誇張しています。

経済や金利や通貨や市場の動向は、科学的なプロセスに従った結果として進展するものではありません。そこには感情や弱さや偏向をいだいた人間が介在するので、大幅に予測不能なものが形成されます。物理学者のリチャード・ファインマンは、かつて次のように述べました。「それぞれの電子が感情を持ち合わせていたら、物理学はどれだけ難しくなるんだろうね」と。

不確実なことに対する予測に基づいて大胆な行動に出るのは、単に筋ちがいなだけではなく、危険なやりかたです。マーク・トウェインは次のように言っています。「やっかいごとになるのを知らないのが問題ではない。確信していたのに当たらないのが問題なのだ」。(p. 9)

There are no facts about the future, just opinions. Anyone who asserts with conviction what he thinks will happen in the macro future is overstating his foresight, whether out of ignorance, hubris or dishonesty.

Developments in economies, interest rates, currencies and markets aren’t the result of scientific processes. The involvement in them of people – with their emotions, foibles and biases – renders them highly unpredictable. As physicist Richard Feynman put it, “Imagine how much harder physics would be if electrons had feelings!”

Taking bold action based on forecasts of things that are uncertain isn’t just misguided; it’s dangerous. As Mark Twain said, “It ain’t what you don’t know that gets you into trouble. it’s what you know for certain that just ain’t true.”

蛇足ですが、とんちんかんな発言を見聞きしたときには、わたし自身も上記のような二者択一(無知あるいは嘘つき)でとらえているので、上の文章には共感できました。

2017年7月12日水曜日

時間の無駄かもしれない(ハワード・マークス)

Oaktreeのハワード・マークスが1月に書いたレターは、「専門家の見解(Expert Opinion)」と題したものでした。「専門家による予測は、あまり当てにならない」とする主旨が、彼らしい実際的な視点から説明されていました。そのなかで気に入ったいくつかの箇所を、少しずつ引用してご紹介します。原文のリンク先は以下のとおりです。(日本語は拙訳)

memo from Howard Marks: Expert Opinion [PDF] (Oaktree Capital Management)

息子アンドリューの助力を得て、メディアが及ぼす効果を解き明かしてみました。

・あるできごとに関心を持ち続ける人は、「その件へ積極的に関わっていると共に十分な情報を得ている」と感じるようになります。
・情報を得ていると自覚する人は、自信をもって考えたり、行動したりするものです。
・しかしメディアに登場する評論家であっても、他の人と同程度の洞察力しかないことがよくあります。
・それはともかく人間とは、自分の考えに逆らう内容ではなく、自分の信念を支持する内容を発するメディアへと関心を寄せがちです。
・それがために、メディアに登場する専門家に耳を傾けるのは、楽しいひとときではあるものの、知性の点からすると時間の無駄と言えるかもしれません。(p. 4)

My son Andrew has helped me dope out the media effects:

- Following events makes people feel they're actively involved in them and well informed.
- People think and act with more confidence when they consider themselves informed.
- But the media pundits often are no more insightful than the rest of us.
- And anyway, people tend to follow media outlets that confirm their beliefs rather than challenge them.
- Thus following the media experts, while entertaining, can be a waste of time intellectually.

参考となる過去記事としては、確証バイアスの話題になったときによくご紹介している「ダーウィンの『逆ひねり』」があります。さらに今回は別の記事、「動物はパターンを見つけずにはいられない」も挙げておきます。

2017年7月10日月曜日

2016年度バフェットからの手紙(12)譲渡益や受取配当金の所得税率

2016年度「バフェットからの手紙」から、譲渡益と配当金のそれぞれにかかる税金の話題です。(日本語は拙訳)

配当と税金について学んでおいたほうがよい事柄がいくつかありますので、それらを取り上げたうえで、投資に関する本章をおわりにしたいと思います。ほとんどの他社と同じようにバークシャーでも、譲渡益として稼ぐ金額よりも受け取る配当金のほうがかなり多額になります。「譲渡益こそ、税金面で有利なリターンが得られる手段だ」とふだんから考えておられる株主のかたは、たぶん驚かれるかと思います。

しかしここで、企業における金勘定を説明しておきます。ある会社が譲渡益を1ドル発生させると、35セントの連邦所得税が課されます(同様に、所得税を課す州も多いです)。しかし内国企業から受け取る配当金に課される税率のほうは、受取り側の状況によって異なりますが一貫して低い値です。

非保険会社の場合、つまり親会社であるバークシャー・ハサウェイのことですが、連邦税の実質税率は受け取った配当金1ドルにつき10.5セントです。さらには、投資先を20%超保有する非保険会社の場合、その配当金1ドルにつき7セントしか課税されません。たとえば当社はクラフト・ハインツ社の27%を、親会社自身ですべて保有しています。そのため同社から受け取る多額の配当金には、その税率が適用されます。(配当金に対する法人税率が低いことの理由は、配当金を支払う側である投資先企業が、配分することになる損益に対してすでに自社の段階で法人税を支払っているためです)

バークシャーの保険子会社では、非保険会社に適用されるよりもいくぶん高い税率が配当金にかかっています。しかしそれでも譲渡益に課税される35%よりもかなり低い税率です。損害保険会社には、受取配当金のほとんどに対して14%の税金が課されます。もし投資先が米国籍であり、なおかつその20%超を保有している場合は、税率が11%前後へ下がります。

税金に関する今回の勉強はここまでです。

Before we leave this investment section, a few educational words about dividends and taxes: Berkshire, like most corporations, nets considerably more from a dollar of dividends than it reaps from a dollar of capital gains. That will probably surprise those of our shareholders who are accustomed to thinking of capital gains as the route to tax-favored returns.

But here’s the corporate math. Every $1 of capital gains that a corporation realizes carries with it 35 cents of federal income tax (and often state income tax as well). The tax on dividends received from domestic corporations, however, is consistently lower, though rates vary depending on the status of the recipient.

For a non-insurance company - which describes Berkshire Hathaway, the parent - the federal tax rate is effectively 10.5 cents per $1 of dividends received. Furthermore, a non-insurance company that owns more than 20% of an investee owes taxes of only 7 cents per $1 of dividends. That rate applies, for example, to the substantial dividends we receive from our 27% ownership of Kraft Heinz, all of it held by the parent company. (The rationale for the low corporate taxes on dividends is that the dividend-paying investee has already paid its own corporate tax on the earnings being distributed.)

Berkshire’s insurance subsidiaries pay a tax rate on dividends that is somewhat higher than that applying to non-insurance companies, though the rate is still well below the 35% hitting capital gains. Property/casualty companies owe about 14% in taxes on most dividends they receive. Their tax rate falls, though, to about 11% if they own more than 20% of a U.S.-based investee.

And that’s our tax lesson for today.

今年分の拙訳付きご紹介も、ひとまずは終わりです。

2017年7月8日土曜日

2016年度バフェットからの手紙(11)永久に保有?

2016年度「バフェットからの手紙」から、証券の保有方針に関する話題を引用します。「ウォーレン後」に備えた布石のようにも読める文章です。(日本語は拙訳)

ときに株主の方やメディアからのコメントで、「当社には『永久に』保有しつづけると決めている株式がある」とほのめかすものがあります。たしかに保有株式のなかには、目の見えている間に(視力のことですよ)売却するつもりがないものもあります。しかしわたしどもは、「バークシャーには永久に保有する証券がある」とは確約していません。

この点について混乱を招いているのは、本書[2016年度の年次報告書;PDFファイル]の110-111ページに載せている「事業経営上の原則その11」の読みかたが大まかすぎるせいかもしれません。当社の年次報告書にその文章を含めるようになったのは1983年でした。その原則は支配下の事業に対しては適用されますが、保有する市場流通証券に対してはそうではありません。今年からは「その11」の最後に一文を付け加えました。わたしどもがいかなる市場流通証券も売却可能なものとみなしていることを、株主のみなさんが確実に理解できるようにするためです。とは言うものの現段階では、そのような売却は起こりそうにありません。(PDFファイル22ページ)

Sometimes the comments of shareholders or media imply that we will own certain stocks “forever.” It is true that we own some stocks that I have no intention of selling for as far as the eye can see (and we’re talking 20/20 vision). But we have made no commitment that Berkshire will hold any of its marketable securities forever.

Confusion about this point may have resulted from a too-casual reading of Economic Principle 11 on pages 110 - 111, which has been included in our annual reports since 1983. That principle covers controlled businesses, not marketable securities. This year I’ve added a final sentence to #11 to ensure that our owners understand that we regard any marketable security as available for sale, however unlikely such a sale now seems.

2017年7月6日木曜日

2016年度バフェットからの手紙(10)バークシャーの保有資金について

2016年度「バフェットからの手紙」から、短めの文章をいくつか引用します。今回はバークシャーが連結ベースで保有する現金資産の話題です。バークシャーの現状を把握する「いろは」のひとつにあたると思います。(日本語は拙訳)

当社の貸借対照表における「現金及び等価物」860億ドルのうち(わたしとしては米国財務省証券T-Billも含めています)の95%が、米国内に籍をおく事業体によって保有されています。つまりどのような資金還流税であっても、その課税対象にはなりません。このことを理解しておくのは大切です。さらには、それ以外の資金を米国内へ還流させる場合でも、わずかな税金しか発生しません。それら資金の多くは、かなりの法人税が課されている国であげた益金だからです。資金を本国へ送金する際には、そういった既払い分と連邦税が相殺されることになります。

このような説明は重要です。というのも、現金が潤沢な多くの米国企業は、その資金の大きな割合を非常に小さな税率しかかからない法的管轄域で保有しているからです。そういった企業は、それらの資金を米国へ持ち込む際に課される税金が大幅に削減されるよう望んでいますし、それが適切な行動だったとなるかもしれません。しかしそれまでの間は、その資金をどのように使えるかという点において、そういった企業は行動を制限されています。言い換えれば、海外にある現金は本国にある現金とは「単純に同じ価値とは言えない」わけです。

バークシャーは地理的にみて好ましい場所で現金を保有していますが、それを部分的に相殺している点があります。現金の多くを当社の保険子会社が保有している点です。それらの資金を投資目的で使う方策はいろいろと考えられますが、もし親会社であるバークシャーが保有していたら堪能できたはずの無制限な選択肢ほどではありません。また子会社の各保険会社から親会社へと多額の現金を毎年配分する能力もありますが、こちらも同じように限界があります。結局のところ、各保険会社の手元にある現金は非常に有用な資産ではあるものの、親会社の階層で保有する現金にくらべると、若干ながら価値が落ちるきらいがあります。(PDFファイル19ページ)

It’s important for you to understand that 95% of the $86 billion of “cash and equivalents” (which in my mind includes U.S. Treasury Bills) shown on our balance sheet are held by entities in the United States and, consequently, is not subject to any repatriation tax. Moreover, repatriation of the remaining funds would trigger only minor taxes because much of that money has been earned in countries that themselves impose meaningful corporate taxes. Those payments become an offset to U.S. tax when money is brought home.

These explanations are important because many cash-rich American companies hold a large portion of their funds in jurisdictions imposing very low taxes. Such companies hope - and may well be proved right - that the tax levied for bringing these funds to America will soon be materially reduced. In the meantime, these companies are limited as to how they can use that cash. In other words, off-shore cash is simply not worth as much as cash held at home.

Berkshire has a partial offset to the favorable geographical location of its cash, which is that much of it is held in our insurance subsidiaries. Though we have many alternatives for investing this cash, we do not have the unlimited choices that we would enjoy if the cash were held by the parent company, Berkshire. We do have an ability annually to distribute large amounts of cash from our insurers to the parent - though here, too, there are limits. Overall, cash held at our insurers is a very valuable asset, but one slightly less valuable to us than is cash held at the parent level.

2017年7月4日火曜日

2016年度バフェットからの手紙(9)金持ちが熟練者と出会うとき

2016年度「バフェットからの手紙」から、「ロング・ベッツ」の話題は今回で終わりです。(日本語は拙訳)

公務員が加入している年金基金に、多額の金銭的損害が生じました。それら基金の多くは痛々しいまでに積み立て不足ですが、「巨額の手数料を払ったあげく、投資の成績はお粗末」という往復ビンタをくらったことも、その原因の一部です。運用資産に生じた不足分は、地元の納税者が何十年もかけて埋め合わせなければいけないでしょう。

人間の行動とは変わらないものです。裕福な個人や年金基金、財団などは、「投資上の『特別な』助言を受ける資格がある」と、これからも感じ続けることでしょう。そのような期待を抜け目なく利用できる助言者は、大金持ちになれると思います。今年の秘薬はヘッジ・ファンドになるかもしれない。あるいは来年は別のものかもしれない。その手の約束が目白押しに続くとどんな結末になりそうか、ある警句が次のように予言しています。「金のある者が経験のある者と出会えば、ついには経験のある者に金がわたり、金のある者の手元には経験が残る」と。

昔のことですが、オマハの市場で卸売業者として働いていた義理の兄であるホーマー・ロジャーズに尋ねたことがあります[スーザンの姉ドッティーの配偶者]。「農家や畜産家をどう説得したら、食肉業界大手4社(スウィフト、クダヘイ、ウィルソン、アーマー)の買い付け人へ豚や牛を売りさばく仕事を任せてもらえるのですか」。結局は豚は豚であって、どの動物にどれだけの価値があるか、専門家である買い手はきっかり知り尽くしているわけです。さらに、もうひとつ質問しました。「他の人よりも良い成績をあげる代理人がいるのは、一体どういうわけですかね」。

残念そうなまなざしを向けながら、ホーマーはこう答えました。「ちがうんだ、ウォーレン。彼らにどうやって売るかではなくて、どう話すかなんだよ」。市場で使えたその技は、今もなおウォール街で使えています。

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最後になりますが、ウォール街には良き友人も多くいますので、このあたりで仲直りできればと思います。買収案件を持ってきてくれる投資銀行には、たとえ膨大な金額であってもバークシャーは喜んで手数料をお支払いします。さらに言いますと、当社に在籍している2名の投資マネージャーには、好成績をおさめた際に多額の報酬を支払っており、かなうならばもっと多額を払いたいと望んでおります。

新約聖書の言葉に倣えば(エフェソ書3:18)、「手数料」という単純な3文字の言葉をウォール街へ投げかけたときに、その言葉から流れ出すエネルギーの「高さ、深さ、長さ、広さ」がどのようなものか承知しています。そのエネルギーがバークシャーへ価値をもたらしてくれるのでしたら、よろこんで高額の小切手を切りたいと思います。

(この章おわり)

Much of the financial damage befell pension funds for public employees. Many of these funds are woefully underfunded, in part because they have suffered a double whammy: poor investment performance accompanied by huge fees. The resulting shortfalls in their assets will for decades have to be made up by local taxpayers.

Human behavior won’t change. Wealthy individuals, pension funds, endowments and the like will continue to feel they deserve something “extra” in investment advice. Those advisors who cleverly play to this expectation will get very rich. This year the magic potion may be hedge funds, next year something else. The likely result from this parade of promises is predicted in an adage: “When a person with money meets a person with experience, the one with experience ends up with the money and the one with money leaves with experience.”

Long ago, a brother-in-law of mine, Homer Rogers, was a commission agent working in the Omaha stockyards. I asked him how he induced a farmer or rancher to hire him to handle the sale of their hogs or cattle to the buyers from the big four packers (Swift, Cudahy, Wilson and Armour). After all, hogs were hogs and the buyers were experts who knew to the penny how much any animal was worth. How then, I asked Homer, could any sales agent get a better result than any other?

Homer gave me a pitying look and said: “Warren, it’s not how you sell ‘em, it’s how you tell ‘em.” What worked in the stockyards continues to work in Wall Street.

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And, finally, let me offer an olive branch to Wall Streeters, many of them good friends of mine. Berkshire loves to pay fees - even outrageous fees - to investment bankers who bring us acquisitions. Moreover, we have paid substantial sums for over-performance to our two in-house investment managers - and we hope to make even larger payments to them in the future.

To get biblical (Ephesians 3:18), I know the height and the depth and the length and the breadth of the energy flowing from that simple four-letter word - fees - when it is spoken to Wall Street. And when that energy delivers value to Berkshire, I will cheerfully write a big check.