本書『物理学者のすごい思考法』を読んで強く印象に残ったのは、実は前回の奥義開陳ではなく、今回引用する文章のほうでした。「緑の散歩道と科学」という詩的な題名がつけられたエッセイのなかで、著者の橋本さんは植物に関する美学的な疑問を、最終的には物理学的な観点に還元して解決しています(実際には解決ではなく答え合わせですが)。これは本ブログでたびたび取り上げているチャーリー・マンガーが主張する、「学問分野を根源性の観点によって順序付け、その順序に従って適用する」、言いかえれば根本原理へとさかのぼって問題解決をはかる好例です。以下に引用します。
朝の散歩は心地いい。散歩道のほとりには、色々な花が咲いている。黄色い花やピンクの花。綺麗だな、と眺めているうち、ふと思った。なぜ僕は花を綺麗だと思うのだろう。(中略)
花には様々な色がある。そうか、花が目立つのは、葉っぱが全部緑でつまらないからなのではないか。そうに違いない。(中略)
なぜ、すべての葉っぱは緑なのか?
答えはもちろん、中学校の理科で学んだように、植物は光合成でエネルギーを作り出すのであり、光合成を行うのは、葉っぱの中にある葉緑体だからである。
ここで注意すべきは、光の反射の性質である。物が緑色に見えるという時には、実はその物は、他の色の光を吸収しているのだ。これも中学校の理科で学ぶのだが、太陽の光は、赤や青、緑、といった様々な色の光が重なっていて、全部で白くなっている。その光が葉っぱに当たった時、赤や青が葉っぱに吸収されて、緑だけが吸収されない。だから、緑の光だけが反射されて、葉っぱは緑色に見えるのだ。葉緑体は、もっぱら、赤や青といった、緑ではない色の光を吸収して光合成をしているのだ。 それではなぜ、植物は緑色の光を吸収しないのだろうか?(中略)
有力な解を思いつかず、足を速めて、自宅へ直行した。(中略)急いでパソコンを開き、検索してみた。すると、日本の大学の研究成果のプレスリリースがいくつか見つかった。
僕は仰天した。答えは、僕の専門の物理学に帰着するからだ。その生物学的研究では、植物が緑色の光を吸収しないのは、太陽からの様々な色の光のうち緑色の光が強すぎるからだ、と主張されていた。つまり、あまりにも光を吸収しすぎるとダメージがあるため、最も強い緑色の光はなるべく吸収しない仕組みになっているという。 この説を信用するとすれば、原因は太陽の光の構成にある、ということになる。実は、太陽の光は「黒体輻射」と呼ばれるルールで構成されている。黒体輻射は温度だけで決まる光だ。太陽の表面温度はおよそ6000度だと習った記憶がある。手元のメモ用紙で計算する。黒体輻射の数式に表面温度を代入し、最も強い光の波長を計算すると、約500ナノメートル。おお、これは、緑色を示す波長ではないか! (p.208)
橋本さん自身が2つの根源的学問(数学と物理学)の使い手であることが、この問題を解決する大きな要因だったのは、まちがいありません。そして彼は前回の投稿で示していたように「自分の専門性で解決できる問題に落とし込む」ことをこころがけていました。つまり橋本さんは、チャーリー・マンガー的問題解決をするのにもってこいの人物だったといえます。
だからといってあらゆる事象や問題を把握解決する際に、かならずしも物理学までさかのぼる必要はないでしょう。もっとソフトな応用科学、たとえば工学や統計学や進化生物学や心理学や化学あるいは算数といった分野でみられるモデルが役立つことも多いでしょう。ただし、そういった分野でとりあげられているモデルを学んで試して咀嚼して身につける場合でも、それなりの時間がかかるものです。そうであっても、学問を実用的な知恵として使いこなしたいと願う人にとっては、楽しみながら取り組める時間になると思います。著者の橋本さんも実践しているように、チャーリーの教えを実践する道に終わりはなさそうです。「根源的学問分野すべてにおける真に基礎的な部分を、流暢に使いこなせるまで実際に練習し、そして日常的に使うこと」。
(なお可視光線スペクトルの画像は、東邦大学理学部生物分子科学科のwebサイトからお借りしました)