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2014年9月30日火曜日

貧しくてもハッピーだった(起業家イーロン・マスク)

EV(電気自動車)のテスラ・モーターズや米国西海岸の超高速交通システム構想などで名を馳せているイーロン・マスク氏の特集記事が、最新号の日経ビジネス(2014/9/29号, No.1759)で掲載されていました。もしかしたら日本の一般紙では彼をよくとりあげていて、世間のみなさんはすでにご存じのことかもしれません。しかし個人的には彼に関するまとまった文章をはじめて読んだので、いろいろと響くものがありました。今回は、彼にインタビューした記事から印象に残った箇所を引用します。

なお引用元の記事は、日経ビジネスのWebサイトでも公開されていました。登録ユーザーの方は無料で読めるはずです。(2014/9/29 21:30現在)

世界に役立たないなら、会社の存在意義はない (日経ビジネスONLINE)

はじめに、ベンチャーを立ち上げていた頃の生活や心持ちについてです。

本当に貧乏だったんです。私が学生時代に弟と最初のベンチャーを起業した当時は、文字通り無一文でした。学費をローンで借りており、むしろ借金があったほどです。家を借りるよりも安かったので、小さなオフィスを借りました。そこで寝泊まりして、シャワーを浴びるのは、歩いて数ブロック先にあった「YMCA」でした。

すごく貧しかったのですが、私はそれを恐れたりはしませんでした。なぜなら私は貧しくても不幸ではなかったからです。1999年に住んでいたアパートは2人の友人とシェアしていました。大人数で住むと家賃や光熱費はとても安上がりになります。貧しくてもハッピーであることは、リスクを取る際に非常に大きな助けになります。


つぎは問題の火星移住計画について。

スペースXでは、人類が複数の惑星で生存できる道があるかどうかを確かめたいと思っています。人類の文明と技術が高いレベルにあるうちに、宇宙を探検し、火星に恒久的な基地を建設したいのです。

私は悲観主義者ではなく、未来に関して楽観的です。終末論が好きなわけでもありません。しかし歴史は、技術が波のように進歩したり、後退したりすることを示唆している。歴史上の多くの文明はそのような経験を繰り返してきました。そうならないことを願いますが、技術の後退が起きる前に火星に基地を作ることは重要だと思います。


今までは彼の狙いを知らなかったため、とんでもない話だと思っていました。しかし、この発言を読んで印象が変わりました。わたしも自分なりに似たような想いを抱いていたからです(ずっと先のことだと考えていましたが)。

最後の引用です。こちらもいいです。

私は単純な成長だけを目的に企業を成長させようとは思っていません。会社の成長よりもEVをもっと普及させることの方がはるかに重要です。それが世界にとって良いことだからです。株価うんぬんは関係ありません。「私たちは世界に役立つことをしている」。それが一番大事で、それこそが私のモットーです。(p.49)


もうひとつ、こちらはイーロン・マスクの言葉ではなく、少し前にチャーリー・マンガーが彼を評した言葉です。(日本語は拙訳)

Munger Hosts Groupies, Mocks Wall Street, Praises Buffett (Bloomberg)

「イーロン・マスクは天才だと思います。私はその言葉を軽々しくは使いませんが」。彼らが会話をしたかどうか質問されて、マンガーはそう答えた。「その上、この世に現れた最高に大胆で果敢な人間の一人でもあります。私は『IQが190なのに自分では250だと考えている人間は誰であろうと、いかにも危ないと思うね』と言ってきたので、その件は非難してくれてかまいません」。

"I think Elon Musk is a genius, and I don't use that word lightly," Munger said in response to a question about whether they'd talked. "He's also one of the boldest men who ever came down the pike. So put me down as saying I've always been afraid of the guy whose IQ is 190 and he thinks it's 250."

2014年9月28日日曜日

慈善財団における資産運用の現状(チャーリー・マンガー)

本ブログではチャーリー・マンガーの講演を翻訳付きでご紹介しています。今回から始まるこのシリーズでは、1998年の秋に行われた講演を取りあげます。『Poor Charlie's Almanack』に収録されている講演その6(Talk Six)で、慈善財団における投資慣行を話題にしたものです。(日本語は拙訳)

講演その6

代表的な慈善財団における資産運用の現状
財団財務責任者の会合における講演
開催日: 1998年10月14日
場所: カリフォルニア州サンタモニカ、ミラマー・シェラトン・ホテル
協賛者: コンラッド・ヒルトン財団、アマチュア・アスレチック財団、J・ポール・ゲッティー信託、リオ・ホンド記念財団

今日ここで私がお話しするに至ったのは、友人のジョン・アーギューに依頼されたからです。式次第にあげられている他の話し手とは違って、私にはみなさんのどなたにも売り込む必要がないことを、ジョンはよく理解しています。私の話は、慈善財団を含んだ大組織で現在行われているさまざまな投資慣行に対して無礼になるかもしれません。しかし、湧き上がった敵意はジョン・アーギュー氏に対して向けるのが筋でしょう。彼は法律のプロですので、そのことをあえて楽しみにしているかもしれません。

さて、大規模な慈善財団での運用として長らく通例となっていたのは、借入れはほとんど行わずに、市場で流通している米国の証券、それもほとんどは株式に投資することでした。株式の銘柄選択は、単一あるいは非常に限定された数の、投資顧問を業とする組織が実行していました。しかし近年になると、より複雑な方向へと偏ってきました。イェール大学のような組織の先例に従うことで、バーニー・コーンフェルドが売り出した「ファンド・オブ・ファンズ」の優れた形態になろうと試みてきた財団が見受けられます。これはなんとも驚くべき事態ですね。コーンフェルドが面目を失ったずっと後になって、まさか有名大学がコーンフェルドの企んだカラクリへと他の財団を導くことになろうとは、だれにも予想できなかったことです。

今では投資顧問の数がわずかでとどまらず、多数となっている財団もあります。そこでは1階層追加された投資顧問が別の投資顧問を選抜しています。追加の階層として雇われた投資顧問が実施する仕事とは、どの投資顧問が最高かを判断したり、資金をさまざまな分野に配分する手助けをしたり、自国内の証券にこだわって外国の証券を無視すべきでないことを確証させたり、[選び出した投資顧問へ]要望した投資結果が妥当か否か確認したり、要請した投資スタイルが入念に踏襲されるように保証したり、さらには企業財務の学者が近年になって使っているボラティリティーやベータといった概念に適合するやりかたを以って、すでに広く分散されている投資先をさらに分散させる手伝いをすること等です。

しかし、このような驚くほどに活動的で博学たろうとする顧問、つまり普通株を選択するための別個の投資顧問を選ぶための階層が加わっても、第3の階層に位置する顧問をかなりの程度頼ることになります。その第3階層とは、投資銀行によって雇われている証券アナリストで構成されています。それらの証券アナリストは莫大な給料を受け取っており、ときには競り合いの末に億円単位の金額に達しています。雇用者である投資銀行には、それらの給料を埋め合わせるために2つの資金源があります。ひとつめは証券の買い手が支払う手数料及び売買時の利ざやです(そのいくらかは、[顧客の]運用マネージャーへ「ソフト・ダラー」として渡されています[非公式の礼金])。そしてもうひとつは、アナリストによって熱狂的なまでに証券を推奨された企業が、感謝を込めて投資銀行へ支払う代金です。

Talk Six

Investment Practices of Leading Charitable Foundations
Speech to the Foundation Financial Officers Group at Miramar Sheraton Hotel, Santa Monica, California, October 14, 1998, sponsored by the Conrad Hilton Foundation, the Amateur Athletic Foundation, the J. Paul Getty Trust, and Rio Hondo Memorial Foundation.

I am speaking here today because my friend, John Argue, asked me. And John well knew that I, who, unlike many other speakers on your agenda, have nothing to sell any of you, would be irreverent about much current investment practice in large institutions, including charitable foundations. Therefore any hostility my talk will cause should be directed at John Argue, who comes from the legal profession and may even enjoy it.

It was long the norm at large charitable foundations to invest mostly in unleveraged, marketable, domestic securities, mostly equities. The equities were selected by one or a very few investment counselling organizations. But, in recent years, there has been a drift toward more complexity. Some foundations, following the lead of institutions like Yale, have tried to become much better versions of Bernie Cornfeld's "fund of funds." This is an amazing development. Few would have predicted that long after Cornfeld's fall into disgrace, major universities would be leading foundations into Cornfeld's system.

Now, in some foundations, there are not few but many investment counselors, chosen by an additional layer of consultants who are hired to decide which investment counselors are best, help in allocating funds to various categories, make sure that foreign securities are not neglected in favor of domestic securities, check validity of claimed investment records, ensure that claimed investment styles are scrupulously followed, and help augment an already large diversification in a way that conforms to the latest notions of corporate finance professors about volatility and "beta."

But even with this amazingly active, would-be-polymathic new layer of consultant-choosing consultants, the individual investment counselors, in picking common stocks, still rely to a considerable extent on a third layer of consultants. The third layer consists of the security analysts employed by investment banks. These security analysts receive enormous salaries, sometimes set in seven figures after bidding wars. The hiring investment banks recoup these salaries from two sources: (1) commissions and trading spreads borne by security buyers (some of which are rebated as "soft dollars" to money managers) plus (2) investment banking charges paid by corporations that appreciate the enthusiastic way their securities are being recommended by the security analysts.

2014年9月26日金曜日

評価方法の選択について(セス・クラーマン)

マネー・マネージャーのセス・クラーマンの著書『Margin of Safety』から、価値評価の話題がつづきます。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

評価方法の選択について

投資家はどのようにしてそれら複数の評価方法から選びだすべきだろうか。ある方法が明らかに好ましいのは、どのようなときだろうか。また、ある方法だけが非常に異なった価値を示しているときに、それと他の方法のどちらを信用すべきだろうか。

ある特定の方法が突出して適切だと思われることが少なからずある。たとえば、安定したキャッシュフローを生み出す消費財製造会社のような高いリターンを得られる企業を評価するには、正味現在価値(NPV)分析がもっとも適切である。清算価値だと低すぎるだろう。同様に、公益事業のような資産利益率が規制された企業でも、正味現在価値分析を使うのが最適だろう。一方、評価方法として清算価値分析がもっとも適切だと思われるのは、株価が簿価を大幅に下回っている赤字企業を評価する場合である。そしてクローズ・エンド型のファンドや有価証券しか保有しない企業は市場価値分析によって評価すべきであり、それ以外は適切ではない。

複数の評価方法を同時に適用すべき状況はよくあることだ。たとえば、大きく異なった複数の事業を営むコングロマリットのような複雑な企業体を評価するには、資産の一部を評価するにはある方法が最適だが、残りは別の方法を使う、という具合になる。またある企業を評価する際に、価値にどれだけ幅があるかを知ろうと複数の方法を使いたがる例もよくみられる。この場合、強力な理由がある場合を除いて、低い評価のほうを採用して保守的な見方をとるべきだ。保守的に取り組むと、結果的には成功していた投資でも踏み切らずにとどまる可能性がある。しかしそれと同時に、あまり保守的でない事業評価方法を採用していれば結局は被うことになる大きな損失を、たびたび防ぐことにもなるのだ。

Choosing Among Valuation Methods

How should investors choose among these several valuation methods? When is one clearly preferable to the others? When one method yields very different values from the others, which should be trusted?

At times a particular method may stand out as the most appropriate. Net present value would be most applicable, for example, in valuing a high-return business with stable cash flows such as a consumer-products company; its liquidation value would be far too low. Similarly, a business with regulated rates of return on assets such as a utility might best be valued using NPV analysis. Liquidation analysis is probably the most appropriate method for valuing an unprofitable business whose stock trades well below book value. A closed-end fund or other company that owns only marketable securities should be valued by the stock market method; no other makes sense.

Often several valuation methods should be employed simultaneously. To value a complex entity such as a conglomerate operating several distinct businesses, for example, some portion of the assets might be best valued using one method and the rest with another. Frequently investors will want to use several methods to value a single business in order to obtain a range of values. In this case investors should err on the side of conservatism, adopting lower values over higher ones unless there is strong reason to do otherwise. True, conservatism may cause investors to refrain from making some investments that in hindsight would have been successful, but it will also prevent some sizable losses that would ensue from adopting less conservative business valuations.

2014年9月24日水曜日

チャーリー・マンガーの炉辺談話(1)

米ウォール・ストリート・ジャーナルのブログで、ジェイソン・ツヴァイク氏がチャーリー・マンガーにインタビューした記事が載せられています。チャーリーが会長を務めるデイリー・ジャーナル社の株主総会が開催された際に実現したとのことです。質疑応答が10件ほどの短い記事ですが、和訳のほうはゆっくり(味わいながら?)進めることをご了承ください。お急ぎの方は、リンク先に原文記事があります。

A Fireside Chat With Charlie Munger (The Wall Street Journal)

<質問> ウォーレン・バフェットから受けた影響について

<マンガー> ウォーレンは私に法律稼業をやめるよう持ちかけてきました。それは私にとって非常に大きな影響を及ぼしました。フルタイムの投資家になろうとは以前から考えていましたが、そのほうがすごく合っているとウォーレンが言ってくれたのです。彼の言うことは正解でした。いずれ自分で踏み切ったとは思いますが、彼が背中を押してくれました。しかし、かなりの経歴を築くために何年間も賢明に働いてきたあげく、その経歴をあえて葬るというのは容易なことではないですよ(マンガー氏は自らが設立した法律事務所マンガー・トーレス・アンド・オルソンを1965年に離れ、バークシャーでバフェット氏の右腕として仕えるとともに、非公開の投資組合を運営した)。ウォーレンの影響がなければ、そうするのはひどく難儀だったでしょうね。

その選択は、まちがいではなかったですよ(笑)。我々のどちらにとっても驚くほどうまく働きましたし、他の大勢の人たち(バークシャーの株主)にもそうですよ。

On how Warren Buffett influenced him:

Warren talked me into leaving the law business, and that was a very significant influence on me. I was already thinking about becoming a full-time investor, and Warren told me I was far better suited to that. He was right. I would probably have done it myself, but he pushed me to it. I have to say, it isn't an easy thing to work very hard for many years to build up a significant career, as I had done, and then to destroy that career on purpose. [Mr. Munger left the law firm he founded, Munger, Tolles & Olson LLP, in 1965 to serve as Mr. Buffett's right-hand man at Berkshire and to run a private investment partnership.] That would have been a lot harder to do if not for Warren's influence on me.

It wasn't a mistake. [Laughter.] It worked out remarkably well for both of us and for a lot of other people as well [the investors in Berkshire].

2014年9月22日月曜日

2013年度バフェットからの手紙 - (付録)企業年金制度について(1)

半年前に発表された2013年度「バフェットからの手紙」では、企業年金や公的年金の問題についてウォーレン・バフェットは短いながらも警告を出しています。そして年金問題を理解する材料としてワシントン・ポストのキャサリン・グラハムに書いた文章のコピーを掲載し、一読するように勧めています。今回から始まるこのシリーズでは、キャサリン向けの文章を全訳します。

なお原文が再掲されているのは、いわゆる「バフェットからの手紙」のみのPDFファイルではなく、アニュアル・レポートPDFファイル(ページ数:140ページ)のほうになります。

BERKSHIRE HATHAWAY INC. 2013 ANNUAL REPORT [PDF]

まずは2013年度「バフェットからの手紙」に書かれている文章から引用します。

地方自治体や州政府の財政問題は加速しています。その原因の多くは、年金制度において維持できないほどの保証をしてきたからです。財政に寄生する巨大なサナダムシのことを、市民も役人もたいていは過小評価してきました。それが生まれたのは、資金を手当てしたいとする意思と対立する約束がなされたときでした。残念なことに、今日の年金数理はほとんどの国民には謎のままとなっています。

それと同じように、投資におけるポリシーもそれらの問題において重要な役割を果たしています。1975年にわたしは、ワシントン・ポスト社の会長だったキャサリン・グラハムのために文章を書きました。企業年金における落とし穴と、投資上のポリシーの重要性を説明したものです。その文章は118-136ページに添付しています。

次の10年間は、公的年金制度に関するニュースをみなさんもいろいろと目にすることでしょう。それも悪いニュースです。問題の存在する箇所において速やかに対応策を講じる必要性があることを理解する上で、わたしの書いた文章がお役に立てれば幸いです。 (p.21)

Local and state financial problems are accelerating, in large part because public entities promised pensions they couldn't afford. Citizens and public officials typically under-appreciated the gigantic financial tapeworm that was born when promises were made that conflicted with a willingness to fund them. Unfortunately, pension mathematics today remain a mystery to most Americans.

Investment policies, as well, play an important role in these problems. In 1975, I wrote a memo to Katharine Graham, then chairman of The Washington Post Company, about the pitfalls of pension promises and the importance of investment policy. That memo is reproduced on pages 118 - 136.

During the next decade, you will read a lot of news - bad news - about public pension plans. I hope my memo is helpful to you in understanding the necessity for prompt remedial action where problems exist.


つづいて、ここからが本文になります。

年金について

企業年金の費用において、経営者が重大な影響を及ぼし得る課題には2つの側面があります。ひとつめは従業員に提供する年金制度上の保証内容を、冷静に統制しつづけることです。もうひとつは、年金資産があげる投資リターンを増大させることです。

年金における保証内容の不可逆的性質について

保証内容を合理的に統制するには、年金計画を支配する基本的な算術や実際的な規則を理解する必要があります。

年金給付について何を決定する際でも、最初に認識しておくべきことがあります。それは、この問題がほぼ間違いなく、真剣に取り組むことになる点です。つまり水準以下の利益しか出せなくても、決定した内容は今後取り消すことができなくなります。

現実的な問題として、利益の出ている大企業で年金給付を削減することはほぼ不可能です。なんとか利益を出している大企業でも、これは同じことです。制度の決まりでは、会社側にはいかなる時点でも打ち切る権利があり、拠出の有無を選択できるのは会社側だけであると、非常に強調して明文化しているかもしれません。しかしながら法律は、そのような"時代遅れの"条項が持つものと見做されていたさまざまな意義を浸食してきました。そして実際的な慣習として、非現実的な施策を終結するためのあらゆる残余的権利がもたらされています。

そのため年金費用に関する第一の掟は、契約を締結する前にこれからどこへ足を踏み入れようとしているのかを知っておくことです。飛びつく前によく見ておいてください。経営者がよくわかっていないという点では、重要性の面でほど遠いどんな費用よりも、おそらく年金費用のほうがひどい状況です。これは国民にとって将来高くつくのが明白なことと同じです。公的年金費用に対して、有権者はますます理解しなくなっています。数理計算上の考え方自体が、ほとんどの人には直観的に理解できません。使われている用語は難解ですし、数字が現実離れしています。ですから契約を締結しようとする際でも、小切手を切るときに思い起こされるような、体の中から湧き上がる反応が起きないのです。

年金債務では年次費用や現金の支出が累進的に増加していくため、合計すると非常に大きくなる債務です。しかしそれはたやすく作られながらも、直近では財務上の痛みがほとんど生じません。このような債務は、経営上の他の領域ではみられないものです。プレスルームにおける労働慣習のように、小さなあやまりが大きく膨らんでいきます。配慮や注意が望まれます。 (p.118)

PENSIONS

There are two aspects of the pension cost problem upon which management can have a significant impact: (1) maintaining rational control over pension plan promises to employees and (2) increasing investment returns on pension plan assets.

The Irreversible Nature of Pension Promises

To control promises rationally, it is necessary to understand the basic arithmetic and practical rules governing pension plans.

The first thing to recognize, with every pension benefit decision, is that you almost certainly are playing for keeps and won't be able to reverse your decision subsequently if it produces subnormal profitability.

As a practical matter, it is next to impossible to decrease pension benefits in a large profitable company - or even a large marginal one. The plan may embody language unequivocally declaring the company's right to terminate at any time and providing that contributions shall be solely at the option of the company. But the law has eroded much of the significance such "out" clauses were presumed to have, and operating practicalities render any residual rights to terminate moot.

So, rule number one regarding pension costs has to be to know what you are getting into before signing up. Look before you leap. There probably is more managerial ignorance on pension costs than any other cost item of remotely similar magnitude. And, as will become so expensively clear to citizens in future decades, there has been even greater electorate ignorance of governmental pension costs. Actuarial thinking simply is not intuitive to most minds. The lexicon is arcane, the numbers seem unreal, and making promises never quite triggers the visceral response evoked by writing a check.

In no other managerial area can such huge aggregate liabilities - which will be reflected in progressively increasing annual costs and cash requirements - be created so quickly and with so little immediate financial pain. Like pressroom labor practices, small errors will compound. Care and caution are in order.

2014年9月20日土曜日

現在における投資家のリスク感覚(セス・クラーマン)

ヘッジ・ファンドBaupost(バウポスト)のボスであるセス・クラーマンが顧客向けに書いた新しいレターの一部が、以下のWebサイトで取りあげられていました。昨年度末(過去記事)のときよりも慎重な姿勢が強まっているように感じられます。引用されている段落は5つだけですので、すべて翻訳を付けて孫引きします。

Seth Klarman Cautions Against The Complacency Bubble (掲載元: ValueWalk)

まるで実現しそうにない、あるいは実現してもだれの問題にもならない。そう思えるリスキーな筋書きを心配するのはうんざりだ、と投資家が感じるようになったのは明らかです。たとえば米国の2014年の第1四半期のGDP成長率は、最近になってマイナス2.9%に修正されました。通常であれば、これだけ大幅に下落すると景気後退の予兆です。それにもかかわらず、株式は絶え間なく上昇しつづけました。

Investors have clearly grown weary of worrying about risky scenarios that never seem to materialize or, when they do, don't seem to matter to anyone else. U.S. GDP, for example, was recently restated to minus 2.9% for the first quarter of 2014. Normally, this magnitude drop signals recession. Equities, nevertheless, marched relentlessly higher.


あるいは、物事がこれまでときっかり同じようにずっとつづくのかもしれません。なまぬるい経済活動や鈍い価格変動、そして低金利が継続することで生じた「ちょうどいい(ゴルディロックな)」株式市場です。株価上昇がつづく市場環境に自己満足している投資家は、世界中で次々と生じている問題を無視しつづけています。しかしオバマ政権の主張とは反対に、現在の世界は平穏な場所ではありません。それらによって投資家にふりかかるリスクは増加していると思われます。しかし市場はまだ価格に織り込んでいません。

...Or perhaps things can go on forever exactly as they are: a "Goldilocks" stock market resulting from a tepid economy, dampened volatility, and relentlessly low interest rates. Amidst the market rally, complacent investors continue to ignore a growing array of global trouble spots. Contrary to claims from the Obama Administration, the world is not a tranquil place at present. As such, risks facing investors seem to be rising but are not yet priced into the markets.


ウォール街は規制が変更されたことで、急増するジャンク証券の発行やそれに付随して生じる債券ETF市場での急騰局面において、取引を支えるだけの資本を持たなくなりました。そのため、金利や市場心理が突如変化すれば、市場は深刻な不安定状態へと変わるかもしれません。ただし、いつそうなるかを予測するほうはずっと難題です。私たちがやっているのは、差し迫った崩壊を予測することではありません(マーケット・タイミングは私たちの領分ではないからです)。今日の水準を考えると、株価の急落や価格変動の増大、そして投資家が損失を被る事態が来るのはちっとも驚くことではない、と申し上げているだけです。

Given changes in regulation, Wall Street has far less capital available to support the trading of this burgeoning junk issuance and the corresponding surge in debt ETFs. A sudden change in rates or sentiment could lead to serious market instability. When is harder to predict than if. While we are not predicting imminent collapse (market timing is not our thing), we are saying that a selloff, greater volatility, and investor losses would hardly be surprising from today's levels.


投資家はリスクに対する感覚を失ってしまいました。そのような政策が継続しているために、それが永続するだろうと受けとめています。また新たな手段(欧州や、さらには中国の量的緩和さえも)が定期的に告げられて、コストがかからない上に確実に効果を発揮すると主張されている影響もあります。しかし、これを信じるには程遠い状況です。実際、評価水準が上がって自己満足の度合いが高くなるにつれて、懸念が大きくなるからです。発表されているインフレがかなり抑制されたものであっても、コスト増加の初期的な徴候はますます明白となっています。家賃や建築コスト、新たに産みだされた工学分野の院卒生や原油採掘現場で働く労働者の給料などがその例です。

Investors have become numb to risk because such policies continue, seemingly forever, and new measures (such as European and now even Chinese QE) are regularly threatened and claimed to be costless and reliably effective. We are far from convinced of this; indeed, the higher the level of valuations and the greater the level of complacency, the more there is to be concerned about. Even as reported inflation remains quite subdued, signs of incipient cost increases are increasingly evident. We are seeing them, for example, in apartment rents, construction costs, and salaries of newly minted engineering graduates and oilfield workers.


S&P500指数が突如として1/3あるいは半分下落したら、どのようになるでしょうか。下落によって思いがけない良い買い物となるでしょうか。あるいは米国経済が早々につまずき、失業問題や、連邦・州・地方自治体の財政赤字、長期的な財政問題、突如として不吉に見えはじめる大多数の国の信用格付け、といった問題が悪化するでしょうか。その結論に到達するのはむずかしくありません。非常に多くの投資家が満足を感じていますが、それはものごとが順調だからではなく、満足を感じること自体に惹かれているためです。これは別名「資産効果」と呼ばれるものです。

How would everything feel if the S&P 500 were suddenly cut by one-third or one-half? Would such a drop drive astonishing bargains, or would the U.S. economy soon falter, with festering problems such as unemployment, the federal, state and local deficits, the long-term fiscal situation, and the creditworthiness of most sovereigns suddenly seeming ominous? It's not hard to reach the conclusion that so many investors feel good not because things are good, but because investors have been seduced into feeling good - otherwise known as "the wealth effect."

2014年9月18日木曜日

日本の製造業とサンリオの共通点(鳩山玲人常務)

DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー2014/10月号の内容は「特集:2020年のマーケティング」ということで、サンリオ鳩山常務の小論文が掲載されていました。同社で成功した基本戦略が簡潔にまとめられています。結びの文章を一部引用します。

ブランドやキャラクターといった無形資産は、数値で管理したり、論理的に価値を説明したりすることが難しい。そのため、とかくデザイナーやクリエイターのセンスに依存しがちであった。いいものさえつくれば売れるという思考の下、偶然性に左右されるビジネスを行っていた。どうしてもコンテンツの側面ばかりからビジネスを考えてしまうのだ。

この構図は、技術開発ばかりに熱を上げ、市場の動向を読み違えた、日本の製造業の苦境と同じである。しかし、感覚的なものを感覚的に扱うことから、再現性あるビジネスは生まれない。感性で訴えるものだからこそ、論理の鎧で武装する必要がある。培った経験や感性を、どれだけ仕組みとして根づかせていけるか。そのためには、アカデミックな理論に学ぶ姿勢が必要である。

ビジネスの世界が理論通りいかないのは当然だが、理論は、複雑なビジネス環境で戦略を構築する土台となる。頑強な土台を前提にすることで、複雑な環境でも柔軟に思考する軸となるのだ。(p.89)


サンリオの話題は、過去記事で一度取りあげています。そのときに買った株は継続保有中です。

2014年9月16日火曜日

リスクについて再び考える(5)終(ハワード・マークス)

ハワード・マークスの新しいメモ"Risk Revisited"から、最後の引用です。原文(PDFファイル)のリンク先はこちらの投稿にあります。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

それら6つの観察結果から、チャーリー・マンガーが投資一般について指摘した手厳しい言葉が、リスク管理にも見事に当てはまるのは当然だと思います。彼の言葉はこうでした、「簡単ではないですよ。投資を簡単だと思っている人は愚か者ですね」[過去記事]。リスク管理が効果を発揮するには、深い洞察や妙技を必要とします。その際には、将来のできごとを統べる確率分布を深く理解していることが前提となります。それができる人には、次のようなことをうまく把握できる力も求められます。かなめとなる可動部はどこか、影響を及ぼすものは何か、想定できる結果にはどのようなものがあるのか、そして結果の各々が起こる可能性はどれぐらいか。チャーリーの考えに従えば、「リスク管理なんて楽勝だ」と考えるのは投資において最大の落とし穴になると思います。というのは、制御下にあるリスクに対して行き過ぎた自信を持っていると、投資家は非常に危険な行動をとることがあるからです。

そのためリスク管理において決め手となる前提条件には、謙虚であって、尊大でなく、そして自分が何を知らないかをわきまえていること、これらも含んでいます。予知能力がないことを自認したり、リスク意識が高かったり、果ては投資を恐れている人が問題を抱えたことはありません。リスクをコントロールすると、危機的状況や極端に過小評価されている時期から反発する局面では、投資の成果を抑制してしまう可能性があります。そのような時期は一般に、最もリスクをとった者が最も利益をあげることができます。しかしリスク管理を行うことによって、投資業界における経歴を発展させ、長期的に成功する確率が高まることも期待できます。だからこそ、リスク管理が「もっとも重要である」という信念に基づいてオークツリーを築いたのです。

あくまでも一般論になりますが、最後に指摘しておきたいことがあります。それは、リスク管理は不可欠であるものの、リスク回避を目標としてめざすのは適切ではないという点です。その理由は単純です。リスクを回避すれば、たいていの場合、リターンを回避することと同じ意味になります。リスクを受け入れるだけで利益が得られると期待すべきではありません。しかし、リスクをとらなければ利益を期待することもできません。 (p.14)

Taken together these six observations convince me that Charlie Munger's trenchant comment on investing in general - "It's not supposed to be easy. Anyone who finds it easy is stupid." - is profoundly applicable to risk management. Effective risk management requires deep insight and a deft touch. It has to be based on a superior understanding of the probability distributions that will govern future events. Those who would achieve it have to have a good sense for what the crucial moving parts are, what will influence them, what outcomes are possible, and how likely each one is. Following on with Charlie's idea, thinking risk control is easy is perhaps the greatest trap in investing, since excessive confidence that they have risk under control can make investors do very risky things.

Thus the key prerequisites for risk control also include humility, lack of hubris, and knowing what you don't know. No one ever got into trouble for confessing a lack of prescience, being highly risk-conscious, and even investing scared. Risk control may restrain results during a rebound from crisis conditions or extreme under-valuations, when those who take the most risk generally make the most money. But it will also extend an investment career and increase the likelihood of long-term success. That's why Oaktree was built on the belief that risk control is "the most important thing."

Lastly while dealing in generalities, I want to point out that whereas risk control is indispensable, risk avoidance isn't an appropriate goal. The reason is simple: risk avoidance usually goes hand-in-hand with return avoidance. While you shouldn't expect to make money just for bearing risk, you also shouldn't expect to make money without bearing risk.


攻めと守り、あるいは資金を失う不安と機会を逃す心配のバランスをうまくとることは、投資家の仕事です。今日の段階では、利益を追求するよりも損失を防ぐほうに意識を向けることが重要だと私は感じています。この3年間、オークツリーで唱えていた文句は「前進せよ、ただし注意深く」でした。今となってはその言葉を繰り返す上で、最後の言葉をなおさら強調したいものです。「ただし注意深く」と。 (p.15)

It's the job of investors to strike a proper balance between offense and defense, and between worrying about losing money and worrying about missing opportunity. Today I feel it's important to pay more attention to loss prevention than to the pursuit of gain. For the last three years Oaktree's mantra has been "move forward, but with caution." At this time, in reiterating that mantra, I would increase the emphasis on those last three words: "but with caution."

2014年9月14日日曜日

リスクについて再び考える(4)(ハワード・マークス)

ハワード・マークスの新しいメモ"Risk Revisited"から、さらに引用します。原文(PDFファイル)のリンク先はこちらの投稿にあります。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

[リスク全般に関して述べたい]第一の点は、リスクは直観に反するものだということです。

・「リスクが存在しない」と広く信じられている状況こそ、この世で最もリスキーなことです。

・「市場はリスキーな状況だ」との恐れ自体が、まさに安全をもたらすことがあります(それによって慎重な投資家がとった行動も然り)。

・資産価格が下落すればリスキーだとみなされます。しかし(他の条件が同じであれば)実際には危険は小さくなっています。

・資産価格が上昇すると、もっと上がるのではとみなされるようになりますが、逆にリスキーになっていきます。

・保有しているものが「安全な」資産だとしても、それが1種類だけであれば、ポートフォリオの分散が不足しています。一度の衝撃にも耐えられないほど脆いかもしれません。

・安全な資産からなるポートフォリオに対して「リスキーな」資産を少しばかり加えると、分散度が増していっそう安全になることがあります。この件を指摘したことで、ウィリアム・シャープ[俗に言うノーベル経済学賞の受賞者]は大きな貢献を果たしました。 (p.12)

The first is that risk is counterintuitive.

・The riskiest thing in the world is the widespread belief that there's no risk.

・Fear that the market is risky (and the prudent investor behavior that results) can render it quite safe.

・As an asset declines in price, making people view it as riskier. it becomes less risky (all else being equal).

・As an asset appreciates, causing people to think more highly of it, it becomes riskier.

・Holding only "safe" assets of one type can render a portfolio under-diversified and make it vulnerable to a single shock.

・Adding a few "risky" assets to a portfolio of safe assets can make it safer by increasing its diversification. Pointing this out was one of Professor William Sharpe's great contributions.


第三の点は、リスクは隠れていることがよくあり、それゆえに見る人を欺くことです。損失が発生するのは、リスクつまり損失を出す可能性が好ましからぬ出来事とぶつかったときです。そのため向かい風の状況で試練にさらされた時でないと、その投資がどれだけリスキーなのかは明らかにはなりません。望ましい環境である限りは、リスキーであっても損失につながらないことがあるわけです。相当ひどい展開は稀にしか起こらないので「未曾有の災厄」と私は呼んでいますが、ある投資がそのような状況下では脆弱であるという事実によって、実際よりも安全にみえている可能性があります。ですから好ましい環境が何年間か続いた後では、リスキーな投資でも安全だとみなされやすいわけです。ウォーレン・バフェットがあの有名な言葉を残したのは、そのためです。「裸で泳いでいるのは誰なのかは、潮が引いた後でないと見わけられません」。

ポートフォリオを構成するにあたって、リスクをきちんと管理すると同時に、利益が得られるように考慮することは、見事な功績と言えます。しかしほとんどの場合、努力の痕跡は見えないまま終わります。リスクが生じて損失を出すのは潮が引いたときだけで、時々しか起こらないからです。 (p.13)

The third is that risk is often hidden and thus deceptive. Loss occurs when risk - the possibility of loss - collides with negative events. Thus the riskiness of an investment becomes apparent only when it is tested in a negative environment. It can be risky but not show losses as long as the environment remains salutary. The fact that an investment is susceptible to a serious negative development that will occur only infrequently - what I call "the improbable disaster" - can make it appear safer than it really is. Thus after several years of a benign environment, a risky investment can easily pass for safe. That's why Warren Buffett famously said, "... you only find out who's swimming naked when the tide goes out."

Assembling a portfolio that incorporates risk control as well as the potential for gains is a great accomplishment. But it's a hidden accomplishment most of the time, since risk only turns into loss occasionally … when the tide goes out.

2014年9月12日金曜日

リスクについて再び考える(3)(ハワード・マークス)

ハワード・マークスの新しいメモ"Risk Revisited"から、もう少し引用します。原文(PDFファイル)のリンク先はこちらの投稿にあります。また前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

不十分なリターンにとどまる原因は、実は2つ考えられます。ひとつめは、高いリターンを狙ったものの、まずいできごとによって阻まれること。もうひとつは、低いリターンを狙ってそのとおりになることです。言いかえると、投資家が直面している大きなリスクは、ひとつではなくて2つあることになります。それは資金を失うリスクと機会を逃すリスクです。どちらかひとつであれば排除できますが、両方はできません。どちらかを回避することばかり気にしていると、もう片方の餌食になろうと身を差し出しているかもしれません。 (p.7)

There are actually two possible causes of inadequate returns: (a) targeting a high return and being thwarted by negative events and (b) targeting a low return and achieving it. In other words, investors face not one but two major risks: the risk of losing money and the risk of missing opportunities. Either can be eliminated but not both. And leaning too far in order to avoid one can set you up to be victimized by the other.


投資の成功を妨げるものは、多岐にわたります。その中でも主な2つが、ファンダメンタル上のリスク(企業や資産が現実世界においてどのように振舞うか)と、価値評価上のリスク(その成果に対して市場がどのように値付けするか)です。投資家や信託、立法者は、長い間にわたって「質の高い資産を購入すれば安全だが、質の低い資産を購入するのはリスキーだ」との信念に基づいて行動してきました。しかし、1968年から1973年に「ニフティー・フィフティー」(アメリカで最も急成長中の優秀な企業の株)を買った多くの投資家が、資金の80-90%を失いました。当時とくらべると現在は意識が改善され、「質が高ければファンダメンタル・リスクを防げる」との思いこみは少なくなり、質自体に対する盲信はそれ以上に小さくなっています。

その一方で投資家は、価格が担っている中核的な役割に対してますます敏感になっています。本質的に最もリスキーなのは、購入する資産に対して(その質に関わらず)払いすぎることです。ですからリスクを抑える最善の方法は、とんでもないほど安値でしか払わないことです(その質に関わらず)。安値はすなわち「安全余裕」を生み出します。「リスクをコントロールした投資」とは、まさにそれがすべてだと言えます。価値評価リスクに対抗するのは簡単です。投資家自身をコントロールできるかどうかに大きくかかっているからです。ファンダメンタルに対して価格が高すぎれば、買うのをやめればよいだけです。「高いとわかって買う人など、いるでしょうかね」と思える人は、テック・バブル時代に買っていた人たちのことを思い出してください。 (p.11)

There are many ways for an investment to be unsuccessful. The two main ones are fundamental risk (relating to how a company or asset performs in the real world) and valuation risk (relating to how the market prices that performance). For years investors, fiduciaries and rule-makers acted on the belief that it's safe to buy high-quality assets and risky to buy low-quality assets. But between 1968 and 1973, many investors in the "Nifty Fifty" (the stocks of the fifty fastest-growing and best companies in America) lost 80-90% of the money. Attitudes have evolved since then, and today there's less of an assumption that high quality prevents fundamental risk, and much less preoccupation with quality for its own sake.

On the other hand, investors are more sensitive to the pivotal role played by price. At bottom, the riskiest thing is overpaying for an asset (regardless of its quality), and the best way to reduce risk is by paying a price that's irrationally low (ditto). A low price provides a "margin of safety," and that's what risk-controlled investing is all about. Valuation risk should be easily combatted, since it's largely within the investor's control. All you have to do is refuse to buy if the price is too high given the fundamentals. "Who wouldn't do that?" you might ask. Just think about the people who bought into the tech bubble.

2014年9月10日水曜日

リスクについて再び考える(2)(ハワード・マークス)

ハワード・マークスの新しいメモ"Risk Revisited"より、さらに引用します。原文(PDFファイル)のリンク先は、前回の投稿で示してあります。(日本語は拙訳)

2006年にリスクについて書いた元のメモで、ある重要な考えをはじめて思いつきました。「事前[アプリオリ、先験的]のことは忘れよ」というものです。もしリスクの定義を価格変動幅以外のものとしたら、事実が生じた後でもそれを測定することはできません。たとえば10ドルで買ったものを1年後に20ドルで売った場合、それはリスキーでしょうか、ちがうでしょうか。初心者であれば「利益の出たことが安全の証拠」と言うでしょうし、学術界は「1年間で100%の利益を上げるには、大きなリスクをとるしかない」ので、明らかにリスキーだと言うでしょう。私であれば、こう述べます。「倍増すること請け合いの、見事で安全な投資だったかもしれません。あるいは、リスキーなダーツ投げで幸運を射止めただけかもしれません」と。

2012年に投資した資金を2014年に確かめてみるとしましょう。(どれだけ)失われたかどうかはわかりますが、その投資がリスキーだったのかどうかは判断できません。損失を出す可能性とは、投資した時点での問題だからです。たとえ話を続けると、たとえば明日の天気は雨かもしれないし、ちがうかもしれない。しかし明日の天気が雨の確率は今日の時点でどの程度かは、明日になって起こることが教えてくれるわけではありません。この降雨リスクのたとえ話は、損失リスクを語る上でもってこいの相似だと思います(完全なものではないことはよくわかっていますが)。 (p.2)

While writing the original memo on risk in 2006, an important thought came to me for the first time. Forget about a priori; if you define risk as anything other than volatility, it can't be measured even after the fact. If you buy something for $10 and sell it a year later for $20, was it risky or not? The novice would say the profit proves it was safe, while the academic would say it was clearly risky, since the only way to make 100% in a year is by taking a lot of risk. I'd say it might have been a brilliant, safe investment that was sure to double or a risky dart throw that got lucky.

If you make an investment in 2012, you'll know in 2014 whether you lost money (and how much), but you won't know whether it was a risky investment - that is, what the probability of loss was at the time you made it. To continue the analogy, it may rain tomorrow, or it may not, but nothing that happens tomorrow will tell you what the probability of rain was as of today. And the risk of rain is a very good analogue (although I'm sure not perfect) for the risk of loss.


その一方で、未来を事前に知ることはできないと私は強く確信しています。次の発言をしたジョン・ケネス・ガルブレイスに共感します。「予測家には2種類いる。ひとつは未来がわからぬ者たちで、もうひとつは未来がわからぬ自分自身をわかっていない者たちだ」。予測ができない理由はいくつかあげられます。

・将来のできごとに影響しうる要因が数多くあることは、だれもが重々承知しています。政策の実施や、個人消費における意思決定、商品(コモディティー)価格の変化などです。しかしそれらを予測するのは困難です。ですから、それらすべての要因を含めた上で検討できる人がいるとは、とても思えません。(この分類は、ドナルド・ラムズフェルドが言い表した「無知の知」に相当すると言われたことがあります。知らぬを知る、ということですね) (p.2)

On the other hand, I'm solidly convinced the future isn't knowable. I side with John Kenneth Galbraith who said, "We have two classes of forecasters: Those who don't know - and those who don't know they don't know." There are several reasons for this inability to predict:

・We're well aware of many factors that can influence future events, such as governmental actions, individuals' spending decisions and changes in commodity prices. But these things are hard to predict, and I doubt anyone is capable of taking all of them into account at once. (People have suggested a parallel between this categorization and that of Donald Rumsfeld, who might have called these things "known unknown": the things we know we don't know.)


最後の項目[未訳; 因果関係の弱さ]は検討に値するものです。物理学は科学ですので、だから電気のエンジニアは、このスイッチを入れればあの灯りが毎回付くことを保証できるわけです。しかし経済学には「お粗末な科学」と呼ばれるだけの理由があります。事実、立派な科学とは言えないものです。この数年間のうちに、次のような現象を観察する機会がありました。金利水準がほぼ0%になっても、GDPは力強く反転しなかったこと。また連銀も債券買入れを減らしたものの、金利上昇にはつながらなかったこと。これらは、ほぼ一致した見方には沿わない結果でした。経済学や投資では人間の行動がカギとなる役割を果たすので、自然科学のように「ああすれば、こうなる」と言い切ることはできません。原因とそれがもたらす影響の関係性が弱いので、結果は不確かなものとなります。言いかえると、そこにリスクが生じるわけです。

将来に影響を及ぼす要因はほぼ無限にありますし、多数の事象はランダムに生じます。そしてつながりの弱さを考えると、「将来のできごとを一貫して予測することはどうやってもかなわない」というのが私の強く信じるところです。特にトレンドと平均の重大な乖離を、有用な水準まで正確に予測することは、いかなる方法を以ってしてもできないと考えます。 (p.2)

That last point deserves discussion. Physics is a science, and for that reason an electrical engineer can guarantee you that if you flip a switch over here, a light will go on over there... every time. But there's good reason why economics is called "the dismal science," and in fact it isn't much of a science at all. In just the last few years we've had opportunity to see - contrary to nearly unanimous expectations - that interest rates near zero can fail to produce a strong rebound in GDP, and that a reduction of bond buying on the part of the Fed can fail to bring on higher interest rates. In economics and investments, because of the key role played by human behavior, you just can't say for sure that "if A, then B," as you can in real science. The weakness of the connection between cause and effect makes outcomes uncertain. In other words, it introduces risk.

Given the near-infinite number of factors that influence the future, the great deal of randomness present, and the weakness of the linkages, it's my solid belief that future events cannot be predicted with any consistency. In particular, predictions of important divergences from trends and norms can't be made with anything approaching the accuracy required for them to be helpful.

2014年9月8日月曜日

リスクについて再び考える(1)(ハワード・マークス)

オークツリー(Oaktree)の会長ハワード・マークスの新しいメモが公開されました。今回はリスクに関する話題が15ページ分です。数回に分けて部分的に引用しますが、もちろん全体を通読する価値のある文章です。(日本語は拙訳)

Risk Revisited (Oaktree Capital Management) [PDF]

価格変動幅(volatility)とは定量化や加工が可能であり、リスクの指標や徴候にもなりうるものです。ある種のリスクの現れと言えるかもしれません。しかしながら、投資におけるリスクの定義からはほど遠いものだと私は考えています。私たちはリスクを考慮する上で、投資家が留意すべき事柄を特定したがり、そしてリスクを受け入れる見返りを要求します。つまり、価格変動を恐れる投資家はほとんどいないというのが私の見方です。事実、次のような発言を耳にしたことはありません。「その予想リターンでは、価格変動全体を受け入れるには不十分ですね」。彼らが恐れているのは、恒久的な損失が生じる可能性のほうです。

恒久的な損失とは、価格の変動幅や騰落とは大きく異なるものです。価格の下落局面(downward fluctuation)は、定義上それは一時的なものですが、投資家が待ち続け、やがて取って返せば大きな問題にはなりません。恒久的な損失、つまりそこから反転しないものは、2つの理由のどちらかによって生じます。ひとつは下降中に投資家が売却してしまい、下落を一時的でないものとして確定させることです。つまり投資家が確信を失ったり、みずからに許された投資期間によるものだったり、緊急の金銭的理由だったり、感情が高まることで起きるものです。もうひとつの理由は、投資自体が本質的な理由によって回復できない場合です。価格変動を乗り切ることはできます。しかし、確定させた損失は絶対に取り消せません。(p.1)

However, while volatility is quantifiable and machinable - and can also be an indicator or symptom of riskiness and even a specific form of risk - I think it falls far short as "the" definition of investment risk. In thinking about risk, we want to identify the thing that investors worry about and thus demand compensation for bearing. I don't think most investors fear volatility. In fact, I've never heard anyone say, "The prospective return isn't high enough to warrant bearing all that volatility." What they fear is the possibility of permanent loss.

Permanent loss is very different from volatility or fluctuation. A downward fluctuation - which by definition is temporary - doesn't present a big problem if the investor is able to hold on and come out the other side. A permanent loss - from which there won't be a rebound - can occur for either of two reasons: (a) otherwise-temporary dip is locked in when the investor sells during a downswing - whether because of a loss of conviction; requirements stemming from his timeframe; financial exigency; or emotional pressures, or (b) the investment itself is unable to recover for fundamental reasons. We can ride out volatility, but we never get a chance to undo a permanent loss.

2014年9月6日土曜日

興味に反する真実は受入れがたい(チャーリー・マンガー)

1998年に行われたチャーリー・マンガーの講演「学際的能力の重要性」の10回目、最終回です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

さて、今日の話題が尽きたところで、最後に自分の出した質問に対して短時間でなるべく最善の回答を出してみます。私の発言はどれも自分が生み出したものではなく、学のある聡明な人たちには以前から当然至極だったことです。しかしこの回答の中でもっとも興味深いのは、我らが最高のソフトサイエンス教育の領域では、全体としてみると、私が非難したあらゆる欠陥があまりにも残されている点です。そこの先生方は事実上だれもが、単一学問主義に偏った因襲にしばられています。自分たちのいる大学でも、他の領域をみれば優れたモデルが存在しているというのに、そうなのです。このばかげた状況は、「ソフトサイエンスの学問では筋の通らない動機づけをじっと辛抱している」ことを示しているように思えてなりません。主たる原因は、動機づけが間違っていることにあります。ジョンソン博士[サミュエル・ジョンソン]が賢明にも指摘したように、「いかなる精神の持ち主でも、興味に反する真実は受入れがたい」のです。しかし組織的な動機づけが問題を起こしているならば、手を打つことはできます。動機づけを変えられるからです。

今日の話では私の人生を事例としてとりあげました。その中で、ソフトサイエンスの教育領域が単一学問主義をとっているがゆえに理屈に合わないことを辛抱している現状は、必然でもないし、得にもならないことを示そうとしてきました。もし私にいくらか修復できるとすれば、これもジョンソン博士からですが、ある適切なエートスが使えます。たゆまぬ努力によって取り除けるというのに、学術界がそうせずに無知を保ち続ける様子を、ジョンソン博士は描写しています。その言葉をどうか覚えておいてください。彼にしてみれば、そのようなふるまいは「裏切り行為」だったのです。

義務によって改善を促せないのであれば、おそらく利得が使えます。チャーリー・マンガーと同じように、一般的かどうかは問わず、さまざまな問題に対してより学際的なアプローチをとれば、ロー・スクールや他の学問領域でも現世的な報酬が山ほど得られるでしょう。成果が増えるだけでなく、楽しさも増します。私が推奨するところである「幸せに満ちた精神的領域」に入った者は、そこから出ようとはしません。その場を後にすることは、自分の両手を切り落とすようなものですから。

Today, I have no more story. I have finished my talk by answering my own questions as best I could in a brief time. What is most interesting to me in my answers is that, while everything I have said is nonoriginal and has long been obvious to the point of banality to many sound and well-educated minds, all the evils I decry remain grossly overpresent in the best of our soft-science educational domains wherein virtually every professor has a too unidisciplinary habit of mind, even while a better model exists just across the aisle in his own university. To me, this ridiculous outcome implies that the soft-science departments tolerate perverse incentives. Wrong incentives are a major cause because, as Dr. Johnson so wisely observed, truth is hard to assimilate in any mind when opposed by interest. And, if institutional incentives cause the problem, then a remedy is feasible - because incentives can be changed.

I have tried to demonstrate today, and indeed by the example of my life, that it is neither inevitable nor advantageous for soft-science educational domains to tolerate as much unidisciplinary wrongheadedness as they now do. If I could somewhat fix there is an ethos, also from Dr. Johnson, that is applicable. Please remember the word Dr. Johnson used to describe maintenance of academic ignorance that is removable through diligence. To Dr. Johnson, such conduct was "treachery."

And if duty will not move improvement, advantage is also available. There will be immense worldly rewards, for law schools and other academic domains as for Charlie Munger, in a more multidisciplinary approach to many problems, common or uncommon. And more fun as well as more accomplishment. The happier mental realm I recommend is one from which no one willingly returns. A return would be like cutting off one's hands.

2014年9月4日木曜日

私の人生とは(チャーリー・マンガー)

1998年に行われたチャーリー・マンガーの講演「学際的能力の重要性」の9回目です。あと1回つづきます。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

ハーバード・ロー・スクールに入学する前に私の受けた教育は、ひどく不十分なものでした。散発的に仕事をする習慣はありましたが、学士号はとっていませんでした。ウォーレン・アブナー・シーヴィーの反対があったものの、家族の友人だったロスコー・パウンド[ハーバード大学のユニヴァーシティー・プロフェッサー]の介入のおかげで入学を許可されました。高校で受けたある生物学のコースはひどいもので、ほとんど機械的に学んだわずかなことと言えば、明らかに不完全だった進化理論や、ゾウリムシとカエルの解剖を何度か、さらにはすでに消滅した非合理な概念として原形質(プロトプラズム)も習いました。今日にいたるまで私は、化学・経済学・心理学・ビジネスに関するいかなる講義も受けたことがありません。しかし若い頃に初歩的な物理学と数学を学び、さらにはハードサイエンスの「根源的なものを体系化するエートス」を何とかして吸収しようと、ずいぶん注意を払ってきました。私はそのことをよりソフトな題材へとさらに押し広げ、学際的な世知を探す際に体系化する指針としたり、ファイリングシステムとして使いました。それによって容易に発見できるようになったものです。

つまるところ、私の人生とはある種の教育実験が意図せずして行われた場だったのです。それは、根源的なものを体系化するエートスを非常に広範な学術界へと拡張することが実現可能なのか、またどれだけ有効なのかを探るものでした。そして実験した本人は、彼自身の学問が示すべき内容をきちんと習得しました。

発育不良だった私の教育を、非公式の方法によって完成させていく試みを広げてわかったことがあります。それは、並みの意欲であっても根源的なものを体系化するエートスを指針として地道に取り組んだことで、自分の好むあらゆるものごとを果たす能力が身の丈を超えて大きく高まったことです。やり始めた頃には考えられなかったほど、大きな前進が得られるようになりました。ときには重大な「福笑い」をやる場面で、自分だけが目隠しをしていないかのようでした。たとえば心理学の世界に入るつもりはなかったのですが、すっかり引き込まれたことで、大きな優位を手にするようになりました。この話は、また別の機会にとりあげる価値があると思います。

I came to Harvard Law School very poorly educated, with desultory work habits and no college degree. I was admitted over the objection of Warren Abner Seavey through the intervention of family friend Roscoe Pound. I had taken one silly course in biology in high school, briefly learning, mostly by rote, an obviously incomplete theory of evolution, portions of the anatomy of the paramecium and frog, plus a ridiculous concept of "protoplasm" that has since disappeared. To this day, I have never taken any course, anywhere, in chemistry, economics, psychology, or business. But I early took elementary physics and math and paid enough attention to somehow assimilate the fundamental organizing ethos of hard science, which I thereafter pushed further and further into softer and softer fare as my organizing guide and filing system in a search for whatever multidisciplinary worldly wisdom it would be easy to get.

Thus, my life became a sort of accidental educational experiment with respect to feasibility and utility of a very gross academic extension of the fundamental organizing ethos by a man who also learned well what his own discipline had to teach.

What I found, in my extended attempts to complete by informal means my stunted education, was that, plugging along with only ordinary will but with the fundamental organizing ethos as my guide, my ability to serve everything I loved was enhanced far beyond my deserts. Large gains came in places that seemed unlikely as I started out, sometimes making me like the only one without a blindfold in a high-stake game of "pin the tail on the donkey." For instance, I was productively led into psychology, where I had no plans to go, creating large advantages that deserve a story on another day.

2014年9月2日火曜日

バフェットとマンガーの捧げもの

チャーリー・マンガーの(再考)世知入門の30回目、最終回です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> うるおいのある生活と職業人としての務めを果たすことの両者をどのようにトレードオフするか、よく議論します。プロとして仕事をする毎日において、それらのモデルを学ぶ時間や他に興味があることに費やす時間がとれるものでしょうか。また、学ぶこと以外にご自分の楽しみのために時間をとれていますか。

<マンガー> 自分がまさにやりたいと思うことのためには、かなりの時間を常に割いていますよ。単に釣りやブリッジ、ゴルフをする時間などです。

自分の生活スタイルというものは自分で見つけなければなりません。クラバス[超一流とみなされている法律事務所]で経営パートナーになるために毎週70時間働く生活を10年間続け、新たな責務を負ったことで同じことをさらに続けたいか。あるいは、「こんな金額では働く気がしません」と考えるか。どちらにしても完全に個々人の判断に任されています。そしてその判断は、みずからの信じるものによって下さなければなりません。

しかしどの道を選ぼうとも、基礎的な世知を吸収する能力を持っているにもかかわらず、そうしないでいるのはひどく間違っています。他人のために、あるいは自分のために何かをする上で、もっと上手にこなせるようになるのですから。そして日常生活をより楽しくしてくれるのですから。適性があるのにそうしないのは、どこか頭がおかしいように思えます。基礎的な世知を吸収して使うことで、人生は豊かになります。金銭面だけではなく、他のいろいろなこともそうです。

実業家がロー・スクールで話すにしては、ずいぶんと異例の話題でした。心理学の講義をひとつもとったことのない人間が、「心理学の教科書はすべて間違っている」と諭すわけですから、かなり異色だったと思います。しかし私の話したことは、どれも偽りのないものです。

Q: We talk a lot about trade-offs between the quality of our life and our professional commitments. Is there time for a professional life, learning about these models, and doing whatever else interests you? Do you find time to do fun things besides learning?

I've always taken a fair amount of time to do what I really wanted to do - some of which was merely to fish or play bridge or play golf.

Each of us must figure out his or her own lifestyle. You may want to work seventy hours a week for ten years to make partner at Cravath and thereby obtain the obligation to do more of the same. Or you may say, "I'm not willing to pay that price." Either way, it's a totally personal decision that you have to make by your own lights.

But, whatever you decide, I think it's a huge mistake not to absorb elementary worldly wisdom if you're capable of doing it because it makes you better able to serve others, it makes you better able to serve yourself, and it makes life more fun. So if you have an aptitude for doing it, I think you'd be crazy not to. Your life will be enriched - not only financially, but in a host of other ways - if you do.

Now this has been a very peculiar talk for some businessman to come in and give at a law school - some guy who's never taken a course in psychology telling you that all of the psychology textbooks are wrong. This is very eccentric. But all I can tell you is that I'm sincere.


<質問者> あなたのなさっていることは事実上、何年もかけて獲得した知恵を分かち合う責務を果たそうとするものですか。

<マンガー> そうです。バークシャー・ハサウェイをみてください。あれは「教訓とすべき究極の企業」です。ウォーレンは自分のためには金をまったく使わないで、すべて社会に還すつもりでいます。実のところ彼がやっているのは、他人が自分の発言に耳を傾けてくれるための演壇を築くことなのです。彼の意見が非常にすばらしいことは言うまでもありません。そして演壇のほうもそれほど悪くはないです。しかし「ウォーレンやチャーリーは自己流で教えている」と反論されるかもしれませんね。

Q: Are you, in effect, fulfilling your responsibility to share the wisdom that you've acquired over the years?

Sure. Look at Berkshire Hathaway. I call it the ultimate didactic enterprise. Warren's never going to spend any money. He's going to give it all back to society. He's just building a platform so people will listen to his notions. Needless to say, they're very good notions. And the platform's not so bad either. But you could argue that Warren and I are academics in our own way.


<質問者> おはなしのほとんどは、とても説得力があると思いました。知識を探求することは、つまり人間の生き様を御することであり、金銭はまったくもって称賛に値する目標だということですね。

<マンガー> 金銭を追い求めることがそれほど称賛に値するのかは、何とも言えませんね。

<質問者> それでは、理解できるもの、ということでしょうか。

<マンガー> それならわかります。仕事の売り込みだろうが債券契約の校正だろうが、バカにしようとは思いません。必要なお金を稼ぐのは楽しいことですよ。経歴を積んでいく中で数々の訴訟をこなす必要があれば、そのために必要なことを学ぶでしょう。金を稼ぐには何かをしなければなりません。稼ぐという事実があれば、さまざまな行動にも箔がつきます。

Q: Most of what you've said is very compelling. And your quest for knowledge and, therefore, command of the human condition and money are all laudable goals.

I'm not sure the quest for money is so laudable.

Q: Well, then - understandable.

That I'll take. I don't sneer, incidentally, at making sales calls or proofreading bond indentures. If you need the money, it's fun earning it. And if you have to try a bunch of cases in the course of your career, you'll learn something doing that. You ought to do something to earn money. Many activities are dignified by the fact that you earn money.


<質問者> イデオロギーの面で極端な人に対して懐疑的なのは理解できます。しかしあなたのなさっていることにも観念的な部分があると思いますが、どうでしょうか。また、非合理ながらも夢中になっているものがありますか。

<マンガー> なるほど、たしかに私は知恵というものに情熱を傾けています。正確さやある種の好奇心に対して心が向いています。たぶん私には少しばかり寛容なところがあり、自分のはかない人生を超越した価値に対して身を捧げたいと考えているのです。今日はそのことを誇示したと思いますが、まあどうでしょうか。

私は「かつて他人が見つけ出した最上の考えを体得する」という原則を信奉しています。座しているだけで、独りで何でも思い浮かべられるなどとは思ってもいません。それほど頭のいい人など、いないのですから..。

Q: I understand your skepticism about overly ideological people. But is there an ideological component to what you do? Is there something that you're irrationally passionate about?

Yeah. I'm passionate about wisdom. I'm passionate about accuracy and some kinds of curiosity. Perhaps I have some streak of generosity in my nature and a desire to serve values that transcend my brief life. But maybe I'm just here to show off. Who knows?

I believe in the discipline of mastering the best that other people have ever figured out. I don't believe in just sitting down and trying to dream it all up yourself. Nobody's that smart….