書いた御本人は数学者のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead)で、引用元の著作は『科学と近代世界』のようです。全集『世界思想教養全集(第16巻)』に含まれているテキストで確認しました。チャーリーは他でもホワイトヘッドの主張をたびたび引用しているので、たぶん合っていると思います。なお、晩年のホワイトヘッドはハーバード大学で教えていたとありますので、チャーリーは講義を聴講する機会があったかもしれません。
今回は同書から「発明の方法を発明する」のくだりを引用します。
19世紀の最大の発明は、発明法の発明であった。ひとつの新たな方法が人生に加わった。われわれの時代を理解するためには、鉄道、電信、ラジオ、紡績機械、合成染料、などのような変化を形づくる個々のものをことごとく無視してさしつかえない。われわれは方法そのものに注意を集中せねばならない。この方法こそ真に新しいもので、古い文明の基礎を破壊した。(中略)
この変化全体は新しい科学知識から生じた。原理よりも成果から考えられた科学は、利用できる着想を貯えた、人目につく倉庫である。しかしこの世紀の間に起こったことを理解しようとすれば、倉庫に譬える[たとえる]よりもむしろ鉱山に譬えた方がよい。また、生のままの科学的着想は出来合いの発明で、拾い上げて使いさえすればよいものだ、と考えることは大きな誤まりである。その間には、想像的工夫を凝らす緊張した時期がある。新たな方法に含まれた一つの要素はまさに、もろもろの科学的着想と最後の産物との間の間隙を埋めにかかる方法の発見である。それは、もろもろの困難に次から次へと挑みかかる、規則正しい攻撃の過程である。
近代技術のもっていたもろもろの可能性は、富裕な中産階級の勢力によって、英国において始めて実際に現実化された。したがって産業革命は英国から始まった。しかしドイツ人は、科学の鉱山の中でより深い鉱脈に達する方法を、明らかに会得した。かれらは行き当りばったりの研究方法を廃止した。かれらの工業学校や工科大学では、ときおりの天才やときおりの好運な思いつきを待たなくても、進歩が見られた。19世紀を通じてかれらが示した学問的妙技は、世界の讃嘆の的であった。この知識の訓練は、技術を越えて純粋科学に、科学を越えて学問全般に適用される。それは素人から専門家への変化を表わしている。
特定の思想領域にその生涯を捧げる人びとが、昔からつねに存してはいた。とくに法律家とキリスト教会の牧師とは、そのような専門の明白な実例である。しかしあらゆる部門にわたる知識の専門化の力や、専門家を作り出す方法や、技術の進歩に対する知識の重要性や、抽象的知識が技術に結びつけられる方法や、技術の進歩のもつ限りなき可能性など、これらすべてのことを充分自覚的に会得することは、19世紀において、かつ列国の中でも主としてドイツにおいて、初めて完全に成しとげられたのである。
かつては人間の生活は牛車の歩みで送られた。将来は航空機の速さで送られるであろう。速度の変化はけっきょく質の差として現われてくる。(p.113)
翻訳の雰囲気は別として、ホワイトヘッドが指摘している内容は現代企業における技術経営やイノベーション創出のプロセス、産学連携と似たところがあり、古さを感じさせません。逆にみれば、「自覚的に会得する」のが難しいからこそ、こういった取り組みが現代でも課題として挙げられているのかもしれません。
== No title ==
返信削除>もろもろの困難に次から次へと挑みかかる、規則正しい攻撃の過程である。
これはガリレオの教会との闘争を彷彿とさせますね
発明の方法を発明するという考え方は、ガリレオの時代にひそかに芽を出していたんじゃないかと思ってしまいます
== raccoonさん、こんにちは ==
返信削除コメントありがとうございました。
ガリレオの教会との闘争、ですか。たしかにカトリックの権威に逆らうという意味でも、近代科学という名の強力なプロセスが育まれていたのでしょうね。
そういえば、チャーリー・マンガーもガリレオの発言を引用していますね。「数学は神の言葉であるかのように、世のことわりを語る」と。