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2014年7月12日土曜日

パクるときの注意(チャーリー・マンガー)

1998年に行われたチャーリー・マンガーの講演「学際的能力の重要性」の5回目です。ここでも重要なことが語られています。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

さて、4番目の疑問へと到達しました。「実現可能な範囲において、最適化された学際性の目指すところ」という観点から判断すると、我々が卒業した後に第一級のソフトサイエンス教育にはどれだけ修正が加えられてきたでしょうか。

望ましい学際性へ向けようと修正するために、さまざまな試みがなされてきました。そして非生産的な結果もある程度許容したことで、正味でみてかなり改善されました。しかし望ましい修正はまだまだ実現されておらず、これからも長い道のりが続きます。

たとえばソフトサイエンスの分野では、異なる分野の教授と共同で作業したり、教授らが複数の分野の資格を得るようになって、それらが有用なことにますます気づくようになりました。しかしもっともうまくいった修正とは、たいていはそれとは異なる種類のものでした。増強という名の、あるいは「欲するものを得る」を実行することだったのです。つまり他の分野から選んだものがなんであれ、そのまま吸収することをあらゆる学問分野に奨励する方法です。そのやりかたが一番うまくいった理由は、単一学問的な非合理を招いている伝統やなわばりが原因で生じる、学問上のささいな口論を避けているからだと思います。そういうことがあるから、修正する方策を探し求めているわけですね。

それはともかく、「欲するものを得る」やりかたが増えることで、ソフトサイエンスのさまざまな分野で「かなづちを持たぬ傾向」によって生じる愚かな行動が減少しました。たとえば我らがクラスメートのロジャー・フィッシャーが指導するロー・スクールでは、他の学問分野に接したことで交渉術を導入することになりました。賢明かつ倫理的な交渉を説いたロジャーの本は300万部以上売れ、我々のクラス全員の中では彼の果たした業績がおそらく最大だと思われます。それにとどまらず、そのロー・スクールでは良質で有用なさまざまな経済学も導入しました。優れたゲーム理論さえもいくらか取り入れています。それらは実際の競争がどのように起きているかをうまく説明しており、反トラスト法[独占禁止法]を説明する際に使われています。

経済学でも同様なことがみられます。こちらではある生物学者による「共有地の悲劇」モデルを採用し、正しくもそれによって不道徳なる「見えざる足」を見つけました。これは、アダム・スミスの示した天使のような「見えざる手」と共存するものです。今日に至っては「行動経済学」という分野まで登場しています。これは賢明にも心理学から助力を求めたものです。

しかしながら、「欲するものを得る」のように徹底して自由にやらせる方法をとっても、ソフトサイエンスの世界が完璧なる賞賛を受けられる結果にはなりませんでした。実際のところ、最低の結末をむかえた例では次のような変化を招いています。第一に、フロイト主義を吸収した文学系の学部があったこと。第二に、右派・左派問わず過激な政治的イデオロギーが多くの場所へ持ち込まれたために、そこの教授らが改めて目的を手にしたこと。それは純潔を取り戻すこととはまったくと言っていいほど違うものです。第三に、自称企業財務専門家から誤った指導を受けて、多数のロー・スクールやビジネス・スクールでハード・フォームの効率市場理論が取り込まれたこと。その中の一人は、バークシャー・ハサウェイが投資で成功したことを説明するのに、幸運面における標準偏差を増すことでしのいでいました。しかし標準偏差が6に至ったところで、その説明を撤回せざるを得ないほどの冷笑を受けました。

さらには、そのような愚行を避けたときでさえも、「欲するものを得る」ことには深刻な欠陥がありました。たとえば、より根本的な学問分野から借りてきたときに、その引用元を示していないことがよくみられました。新しい名前をつけているものもありました。つまり、吸収した概念がどれだけ根本的かという意味で位置づけられる順序には、ほとんど注意を向けませんでした。そのようなやりかたでは次のような事態を招きます。第一に、乱雑なままの文書管理体系のように働くことです。吸収した知識を使って総合しようとする際の支障となります。第二に、ライナス・ポーリングは化学の水準を向上させるために物理学を体系的に探索しましたが、ソフトサイエンスとしてそれに相当することが発揮できません。これはもっとうまくやれるはずです。

Which brings us to our fourth question: Judged with reference to an optimized feasible multidisciplinary goal, how much has elite soft-science education been corrected after we left?

The answer is that many things have been tried as corrections in the direction of better multidisciplinarity. And, after allowing for some counterproductive results, there has been some considerable improvement, net. But much desirable correction is still undone and lies far ahead.

For instance, soft-science academia has increasingly found it helpful when professors from different disciplines collaborate or when a professor has been credentialed in more than one discipline. But a different sort of correction has usually worked best, namely augmentation, or "take what you wish" practice that encourages any discipline to simply assimilate whatever it chooses from other disciplines. Perhaps it has worked best because it bypassed academic squabbles rooted in the tradition and territoriality that had caused the unidisciplinary folly for which correction was now sought.

In any event, through increased use of "take what you wish," many soft-science disciplines reduced folly from man-with-a-hammer tendency. For instance, led by our classmate Roger Fisher, the law schools brought in negotiation, drawing on other disciplines. Over three million copies of Roger's wise and ethical negotiation book have now been sold, and his life's achievement may well be the best, ever, from our whole class. The law schools also brought in a lot of sound and useful economics, even some good game theory to enlighten antitrust law by better explaining how competition really works.

Economics, in turn, took in from a biologist the "tragedy of the commons" model, thus correctly finding a wicked "invisible foot" in coexistence with Adam Smith's angelic "invisible hand." These days, there is even some "behavioral economics," wisely seeking aid from psychology.

However, an extremely permissive practice like "take what you wish" was not destined to have one-hundred-percent-admirable results in soft science. Indeed, in some of its worst outcomes, it helped changes like (1) assimilation of Freudianism in some literature departments; (2) importation into many places of extremist political ideologies of the left or right that had, for their possessors, made regain of objectivity almost as unlikely as regain of virginity; and (3) importation into many law and business schools of hard-form, effcient-market theory by misguided would-be experts in corporate finance, one of whom kept explaining Berkshire Hathaway's investing success by adding standard deviations of luck until, at six standard deviations, he encountered enough derision to force a change in explanation.

Moreover, even when it avoided such lunacies, "take what you wish" had some serious defects. For instance, takings from more fundamental disciplines were often done without attribution, sometimes under new names, with little attention given to rank in a fundamentalness order for absorbed concepts. Such practices (1) act like a lousy filing system that must impair successful use and synthesis of absorbed knowledge and (2) do not maximize in soft science the equivalent of Linus Pauling's systematic mining of physics to improve chemistry. There must be a better way.


備考です。文中に登場するロジャー・フィッシャーの著書は『ハーバード流交渉術』(原題: Getting To Yes)のはずです。わたしも10年以上前に読んだことがありますが、当時は日本語版の題名にあまり好印象を抱いておらず、腰が引けた姿勢で読んでしまいました。しかし内容は王道と言えるもので、厳しい交渉の場で闘っている方は本書のことはご存知でしょうし、これからそのような立場につく方にはお勧めできる本です。

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