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2018年9月24日月曜日

<新訳>誤判断の心理学(チャーリー・マンガー)

本ブログではチャーリー・マンガーの講演を順次ご紹介してきました。ただし「誤判断の心理学」と銘打った講演は抄訳にとどまっていました。今回からのシリーズでは同講演の全訳を拙訳にてご紹介します。引用元原書の版はExpanded Third Editionです。なお「講演」と呼んではいるものの、実際には各種講演をもとにした新たな「書き下ろし」エッセイとのことです。

誤判断の心理学
チャーリー・マンガーの講演3件から抜粋してまとめられた初出の文章。2005年にチャーリー自身が改訂し、相当量の文章が加筆修正された。

前書き

15年ほど前に心理学の話をしたときの各講演録を読み返してみたところ、当初の内容のほぼすべてを含みながらも、より論理的で、ずっと長い「講演」を生み出せることに気がつきました。

しかし、そうすることで次の4つの不利益が生じるだろうと、即座に思い至りました。

第一に、その長い「講演」は論理的にずっと完成された内容に書き上げられるはずだったので、多くの読者が当初の講演以上に退屈かつ混乱すると思われた点です。心理的傾向における独特の定義を扱う際に、心理学の教科書やユークリッド[数学]を連想させるようなやりかたをとるつもりでしたから、その可能性は考えられました。一体だれが、気晴らしのために教科書を読んだり、ユークリッドを学びなおそうと考えるものでしょうか。

第二に、私が身につけた心理学に関する知識のうち正式と言えるやりかたのものが、15年前にわずか3冊の教科書に目をとおした程度だった点です。そのため、心理学の分野でその後に発展したことは、事実上なにも知りません。さらに、長き論説にはみずからの推考を含み、はるかに学術的な心理学に対して批判をくだすことでしょう。このように素人がプロの領域へと侵入すれば、その領域の先生方が苦く受けとめるものも当然です。私のあやまちを嬉々として探し出し、私が開陳した批判に対して自説を以って反論する労を厭わないかもしれません。そのような新たな批判に、なぜ私が直面する必要があるのでしょうか。情報の面で優位な上に弁の立つ批判者からの追及を待ち望む人など、いったいどこにいるのでしょうか。

第三に、わが考察を披露した長き改訂版が、私に対して好意を持つまいと過去に心を決めた人たちから、必ずや批判を受ける点です。表現面や本質的な面に対する反論もあるでしょうが、そのほかにもあるでしょう。一介の老人が「伝統的な知恵にはろくに目を向けない態度を示す一方で、自分がなにひとつ受講したことのない教科に登場する話題を『まくし立てる』」姿に対して、傲慢とみる見解です。ハーバード・ロースクール時代からの旧友であるエド・ロスチャイルドは常々、そのようにまくし立てる心情を「靴用ボタン・コンプレックス」と呼んでいました。家族関連の知り合いが、靴用ボタンの事業で優勢的な地位を占めた後になってから、あらゆる話題を予言的に話していた様子にちなんで付けた呼び名でした。

第四に、私自身が間抜けぶりをさらしてしまう可能性がある点です。そういった非常に憂慮すべき4つの点があるにもかかわらず、以前の文章を拡充した版を発表することに決めました。私が何十年間にわたって成功を収めることができたのは、仕事やその方策において失敗する可能性が低い行動だけに限定してきたからこそと言えます[参考文献]。しかし今や私は、これから歩む道を選択しました。重大な個人的便益が得られることはなく、家族の一員や友人には確実に痛みをもたらすと共に、みずから醜態をさらしかねない道をです。それでは、なぜそのような道を歩むのでしょうか。

(つづく)

The Psychology of Human Misjudgment
Selections from three of Charlie's talks, combined into one talk never made, after revisions bv Charlie in 2005 that included considerable new material.

PREFACE

When I read transcripts of my psychology talks given about fifteen years ago, I realized that I could now create a more logical but much longer "talk," including most of what I had earlier said.

But I immediately saw four big disadvantages.

First, the longer "talk," because it was written out with more logical completeness, would be more boring and confusing to many people than any earlier talk. This would happen because I would use idiosyncratic definitions of psychological tendencies in a manner reminiscent of both psychology textbooks and Euclid. And who reads textbooks for fun or revisits Euclid?

Second, because my formal psychological knowledge came only from skimming three psychology textbooks about fifteen years ago, I know virtually nothing about any academic psychology later developed. Yet, in a longer talk containing guesses, I would be criticizing much academic psychology. This sort of intrusion into a professional territory by an amateur would be sure to be resented by professors who would rejoice in finding my errors and might be prompted to respond to my published criticism by providing theirs. Why should I care about new criticism? Well, who likes new hostility from articulate critics with an information advantage?

Third, a longer version of my ideas would surely draw some disapproval from people formerly disposed to like me. Not only would there be stylistic and substantive objections, but also there would be perceptions of arrogance in an old man who displayed much disregard for conventional wisdom while "popping-off' on a subject in which he had never taken a course. My old Harvard Law classmate, Ed Rothschild, always called such a popping-off "the shoe button complex," named for the condition of a family friend who spoke in oracular style on all subjects after becoming dominant in the shoe button business.

Fourth, I might make a fool of myself. Despite these four very considerable objections, I decided to publish the much-expanded version. Thus, after many decades in which I have succeeded mostly by restricting action to jobs and methods in which I was unlikely to fail, I have now chosen a course of action in which (1) I have no significant personal benefit to gain, (2) I will surely give some pain to family members and friends, and (3) I may make myself ridiculous. Why am I doing this?

蛇足ですが、チャーリーがなにかを説明するときには、冗長とも思える前振りを語ります。もちろんそれには理由があって、そのひとつが過去記事「<旧約>誤判断の心理学(24)他人に何かを頼むとき」で示されていると思います(再帰的なリンクになっている点にご注目を)。

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