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2014年6月14日土曜日

我々の受けた教育は十分に学際的だったか(チャーリー・マンガー)

1998年に行われたチャーリー・マンガーの講演「専門家に学際的能力がいっそう要求される理由と、そこから学びとれる含意」(今後は縮めて「学際的能力の重要性」と呼びます)の2回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

2番目の問いも容易に答えられるので、それほど時間をかけないことにします。私たちの受けた教育はあまりにも単一学問主義的でした。「幅広い問題」とは、言葉の定義から言ってさまざまな学問領域にわたるものです。そうであれば、そのような問題に対して単一学問的に取り組むのは、コントラクトブリッジのハンドをプレイする際に手札をカウンティングするだけで、他のテクニックは一切無視するのと同じことです。「いかれ帽子屋のお茶会」のように狂ってますね。しかしそれにもかかわらず、専門家の現場ではそれと同じことが今でも非常に多く見受けられます。さらに悪いのは、ソフトサイエンスにおける孤立した各学問領域においてそれがずっと奨励されてきたことです。ソフトサイエンスとは、生物学よりも根本的ではないすべての学問が該当します。

我々がまだ若かった頃でさえも、最高水準の学者の中には、学術界を分断して縄張りを巡らせた孤立地帯に分ければひどい影響をもたらすことになる、と恐れた人たちがいました。その孤立した世界では、盲信に加えて不信心者を排除することで信念が維持されていました。一例としてアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドを挙げると、彼はずっと以前に「学術界における各分野の致命的なまでの非連携さ」について話したときに、激しい言葉で警鐘を鳴らしています。その後、第一級の教育機関ではホワイトヘッドに同調する動きが増え続け、学際的な取り組みを推進して非連携的なやりかたに立ち向かってきました。学問の境界における非連携と闘った偉大な人物、たとえばハーバードのE. O. ウィルソンやカルテックのライナス・ポーリングといった人たちは、我々の時代に絶大なる称賛を受けました。

現代の学術界は、我々が受けた教育よりもずっと学際的な内容を授けています。これは明らかに正しいことをしていますね。

My second question is so easy to answer that I won't give it much time. Our education was far too unidisciplinary. Broadscale problems, by definition, cross many academic disciplines. Accordingly, using a unidisciplinary attack on such problems is like playing a bridge hand by counting trumps while ignoring all else. This is "bonkers," sort of like the Mad Hatter's Tea Party. But, nonetheless, too much that is similar remains present in professional practice and, even worse, has long been encouraged in isolated departments of soft science, defined as everything less fundamental than biology.

Even in our youth, some of the best professors were horrified by bad effects from balkanization of academia into insular, turf-protecting enclaves wherein notions were maintained by leaps of faith plus exclusion of nonbelievers. Alfred North Whitehead, for one, long ago sounded an alarm in strong language when he spoke of "the fatal unconnectedness of academic disciplines." And, since then, elite educational institutions, agreeing more and more with Whitehead, have steadily fought unconnectedness by bringing in more multidisciplinarity, causing some awesome plaudits to be won in our time by great unconnectedness fighters at borders of academic disciplines, for instance, Harvard's E. O. Wilson and Caltech's Linus Pauling.

Modern academia now gives more multidisciplinarity than we received and is plainly right to do so.

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