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2019年1月8日火曜日

<新訳>誤判断の心理学(0)はじめに(1)

チャーリー・マンガーによる「誤判断の心理学<新訳>」、今回から本文に入りますが、しばらくは前書きがつづきます。なお、前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

誤判断の心理学

ものごとを考える際に犯しがちな典型的な過ちについて、私はずっと以前からひどく興味を抱いてきました。

しかしながら私が教育を受けた時代には、臨床現場に携わらない心理学が誤判断を理解する際に寄与するなど、主流派の有力者らからはほとんど認知されていませんでした。心理学上の興味の対象は、内輪で論議したり論文の大半を発表したりしていた学者たち一群へ限定されていたのです。そして隔絶された彼らは集団思考に陥っていたため、さまざまな悪影響がおのずと生じていました。

そのような状況で、カルテック[カリフォルニア工科大学]とハーバード・ロースクールを卒業した私は、心理学に対して早々に無関心を決めこんでしまいました。それらの教育機関は、心理学という学問に関する知識を追究し損ねていたのです。そして当然ながら、心理学のことをわかっていない以上、学内で教えていた他の学問と心理学とを統合することもできませんでした。ニーチェの著作に登場する「不自由な脚を誇りとした」人物と同じように、「不明確な」心理学や「あやふやな」心理学者を意図して忌避することを、それらの学校は誇りとしていたのです。[参考記事]

多くの人たちと同様に、私もそのような尊大な心持ちをずいぶんと長期間にわたって抱き続けていました。我々はいったい何を考えていたのでしょうね。たとえばカルテックの講義一覧には、心理学の先生がただ1人しか含まれていない期間が何年間も続いていました。その先生はみずからを「精神分析分野の教授」と称し、「異常心理学」や「文学における精神分析」の両講座を教えていたのです。

ハーバードを巣立つや否や、「心理学を無視する」という役立たずな最低の見方を放りだすために、私は延々とつづく奮闘を始めました。今回は、基礎的な知恵を身につける上で重ねてきた我が長き闘争を語り、締めくくりにざっと要約したいと思います。その後、いくつかの事例を挙げてみます、それらは仕事上での心理だけでなく、心理的な機能不全に対処する面においても、実に鮮明かつ興味深いものばかりです。それから最後に、私がお話ししたことに対して疑問が挙げられれば、それらにお答えして終わりにしたいと思います。さて、長い話になりますよ。(p. 443)

The Psychology of Human Misjudgment

I have long been very interested in standard thinking errors.

However, I was educated in an era wherein the contributions of non-patient-treating psychology to an understanding of misjudgment met little approval from members of the mainstream elite. Instead, interest in psychology was pretty well confined to a group of professors who talked and published mostly for themselves, with much natural detriment from isolation and groupthink.

And so, right after my time at Caltech and Harvard Law School, I possessed a vast ignorance of psychology. Those institutions failed to require knowledge of the subject. And, of course, they couldn't integrate psychology with their other subject matter when they didn't know psychology. Also, like the Nietzsche character who was proud of his lame leg, the institutions were proud of their willful avoidance of "fuzzy" psychology and "fuzzy" psychology professors.

I shared this ignorant mindset for a considerable time. And so did a lot of other people. What are we to think, for instance, of the Caltech course catalogue that for years listed just one psychology professor, self-described as a “Professor of Psychoanalytical Studies," who taught both “Abnormal Psychology” and “Psychoanalysis in Literature"?

Soon after leaving Harvard, I began a long struggle to get rid of the most dysfunctional part of my psychological ignorance. Today, I will describe my long struggle for elementary wisdom and a brief summary of my ending notions. After that, I will give examples, many quite vivid and interesting to me, of both psychology at work and antidotes to psychology-based dysfunction. Then, I will end by asking and answering some general questions raised by what I have said. This will be a long talk.

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