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2012年3月28日水曜日

4兆円の始まり(ウォーレン・バフェット)

3/26付けのForbesの記事Warren Buffett's $50 Billion Decisionは、パートナーシップを設立した頃の思い出をウォーレン・バフェット自身が書いたものです。アリス・シュローダーによる伝記『スノーボール』でも知られた内容ですが、微妙にニュアンスが異なっているあたりが含みを感じさせます。以下に一部を引用します。(日本語は拙訳)

大学を卒業した時[1950年]の資産は9,800ドル[現在価値で約650万円]でしたが、1955年の末には127,000ドル[8,000万円]に増えていました。ですから、[ニューヨークを離れて]オマハに戻って、大学で授業をとったり、読み物にふけったり、そんな引退生活をしようと考えていたのです。1年間で12,000ドルもあればやっていけますので、127,000ドルの資産からすれば楽勝だと思いました。妻には「複利で増えるので、いずれ金持ちになれるよ」と説明しました。

(中略)

当初は、パートナーシップをはじめたり、仕事をやるつもりはありませんでした。自分で運用する分には何も心配なかったからです。他人に株を売ってまわる仕事はもうごめんでした。ところがひょんなことから、親戚も含めた7人の知り合いが相談してきました。株の商売をしていたのだから、自分たちの資金をどう運用したらよいか教えてほしい、と。そこで私は答えました。「株を売るのはもうやりませんが、ベン・グレアムとジェリー・ニューマンがやっていたようなパートナーシップだったら作れます。私も入れておきたければ、それでもかまいません」。そういうわけで、義理の父、大学時代のルームメイトとその母親、おばのアリス、私の妹、義理のきょうだい、私の弁護士の7名が判をつきました。まったくの偶然でしたが、それがはじまりだったのです。

(中略)

特に参加を募ったわけではないですが、面識のない人からも小切手が送られてくるようになりました。その頃、ニューヨークのグレアム=ニューマン・パートナーシップは解散中でしたが、パートナーのひとりにヴァーモント州のある大学で学長をつとめるホーマー・ドッジがいました。彼はベンにたずねました。「私の資金はいったいどうしたらよいかね」。ベンいわく「以前、うちで働いていた若いのがいるのですが..」。そんなわけでドッジはオマハまで車でやってきて、借家暮らしだった私の家をたずねてくれました。当時の私は25歳でしたが、みためは17歳といったところ、ふるまいときたら12歳でしょうか。ドッジは切り出しました。「で、きみは何をやっているのですか」私は答えました。「家族と暮らしながら、ここで仕事をしています。あなたの分もいっしょにやりますよ」

The thing is, when I got out of college, I had $9,800, but by the end of 1955, I was up to $127,000. I thought, I’ll go back to Omaha, take some college classes, and read a lot?I was going to retire! I figured we could live on $12,000 a year, and off my $127,000 asset base, I could easily make that. I told my wife, “Compound interest guarantees I’m going to get rich.”

I had no plans to start a partnership, or even have a job. I had no worries as long as I could operate on my own. I certainly did not want to sell securities to other people again. But by pure accident, seven people, including a few of my relatives, said to me, “You used to sell stocks, and we want you to tell us what to do with our money.” I replied, “I’m not going to do that again, but I’ll form a partnership like Ben and Jerry had, and if you want to join me, you can.” My father-in-law, my college roommate, his mother, my aunt Alice, my sister, my brother-in-law, and my lawyer all signed on. I also had my hundred dollars. That was the beginning?totally accidental.

I did no solicitation, but more checks began coming from people I didn’t know. Back in New York, Graham-Newman was being liquidated. There was a college president up in Vermont, Homer Dodge, who had been invested with Graham, and he asked, “Ben, what should I do with my money?” Ben said, “Well, there’s this kid who used to work for me.…” So Dodge drove out to Omaha, to this rented house I lived in. I was 25, looked about 17, and acted like 12. He said, “What are you doing?” I said, “Here’s what I’m doing with my family, and I’ll do it with you.”

6 件のコメント:

is さんのコメント...

== こんにちは。 ==
こんにちは。貴重な記事をありがとうございます。
スノーボールで知った印象とはすこし違いました。
パートナーシップを自分の意思があんまり無かったのは
ちょっと驚きでした。
なんだかこの辺の話は金額も今の自分には身近な感じがして
とても興味深いですね。私は英語は全くなのですが、頑張って
フォーブス読んでみようかな・・・
前回(シュロスの件)は現在価値のお話で勘違いをしてしまっておりましたが
今回も少し疑問が・・・
1年間で12,000ドルもあればやっていけるとありますが、
約800万円になりますので、バフェットにしてはちょっと生活費が
かかりすぎな感じしませんでしょうかね?

betseldom さんのコメント...

== isさん、こんにちは ==
いつもコメントありがとうございます。いろいろ書いて頂けるので、ありがたいです。
さて、「バフェットにしてはちょっと生活費が」のご指摘ですが、私も同感で、スノーボールを読んだときから疑問に感じていました。改めて考えてみると、何に使っていたのでしょうかね。長距離電話とか、バカンス代とかでしょうか。それからビジネス上の各種経費。あとはスーザンがけっこう使ったかもしれませんね。
フォーブスの記事は短いので、ちょっと物足りないかもしれません。
それでは失礼します。

is さんのコメント...

== No title ==
こんにちは。
連投ですみません。(しかもしつこくてw^^;)
なんとなく気になってスノーボール借りてきたのですが、
上巻P321 1956~58年
「手元におよそ17.4万ドルの金があったので、引退しようと思った。一軒家を175ドルで借りた。生活費は年12000ドル。私の資本は増えるはずだった」とありました。
※備考でみると、2007年の通貨価値でやはり8倍程との事。
17.4万ドルは現在の日本円でいうと、1.4億円くらいかと思うのですが、今のバフェットのお金からしたらほんの誤差ですが、なんとなく現在の我々の感覚と照らし合わせてみると、8千万円で引退と、1.4億円で引退とではなんとなく意味合いが違う気がしませんでしょうかね?(これは26歳とのこと、その後年61%で増えていったとあるから1年の誤差でもそのくらい差がでたかもしれません・・)
これでみると、家賃が約14万円。以前も申しましたが生活費で年960万円。 なんとなく私の描いていた昔のバフェット象とはちょっと違う感じがしました。

betseldom さんのコメント...

== 連投ありがとうございます ==
isさん、こんにちは。
金額が身近な単位なので、初期の頃はいろいろ気になるところですよね。
引退時の資産で8,000万円や1億4千万円とありますが、現代人の我々があてにする引退時の金銭感覚では、たしかに大きな差があると思います。
一方、当のウォーレンとしては、「引退したい」というよりも「雇われ人をやめて、独立した投資家になりたい」ぐらいだったのではないでしょうか。当時の彼の投資戦略は単なるbuy low, sell highだけではなく、work outもいろいろやっていたので、30-50%ぐらいの利益は十分あげられると自負していたかもしれません。
家賃がけっこう高いのはなぜでしょうね。光熱費込みだったのでしょうかね。オマハ、寒そうですね。
それではこの辺で失礼します。

is さんのコメント...

== No title ==
なるほどー。ご返信ありがとうございました。
work out とはアービトラージ的な感じでしょうか?

betseldom さんのコメント...

== work-outは、アービトラージそのものです ==
isさん、すみませんでした。work-outは、ウォーレンが好んで使っていた言葉で、一般的でなかったです。意味するところは、isさんの書かれたとおりです。1957年のパートナーシップのレターで、ウォーレンは以下のように説明しています。
Work-outs come about through: sales, mergers, liquidations, tenders, etc.
買収、合併、会社清算などですね。