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2019年1月24日木曜日

<新訳>誤判断の心理学(0)はじめに(3)首から上にあるものは

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チャーリー・マンガーによる「誤判断の心理学<新訳>」、前書き部にあたる本文が続きます。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

我が探求の道を進むにあたり、次に説明する2つの考えかたが、力強い支えとなってくれました。第一に、なにかを見極めようとする際に、徹底して逆から考えるやりかたを長期間にわたってとってきたことです。偉大なる代数学者ヤコビの教え「逆だ、いつでも逆からやれ」という言葉に導かれたのです。良き判断を下したいがためにしたことと言えば、悪しき判断の実例を収集し、そのような結末をむかえない方法を思案するばかりでした。第二に、悪判断の実例を熱心に収集する際に、専門領域を区切る境界などまるで気にしなかったことです。規模が大きくて重大な柵越え級のおろかさが、他人の専門領域において容易に見出せるというのに、ちっぽけで取るに足らない上に探すのも一苦労なおろかさを、みずからの専門領域において新たに探さねばならないのは、一体どういうわけでしょうか。そもそものところ、実世界における問題が各分野の境界内にきちんと収まっておらず、飛び出して向こう側へ移っていることが、私には見て取れました。「2つの物事がねじれ合って連携して分かちがたくなっているときに、片方だけを考えて反対側を考えない」、なんであろうとそのようなやりかたには疑いを抱いていました。そんな限定されたやりかたでは、ジョン・L・ルイスが示した不朽の言葉どおりになると危惧したからです。「首から上にあるものは、頭ではなく毛髪だけ」。(p. 444)

I was greatly helped in my quest by two turns of mind. First, I had long looked for insight by inversion in the intense manner counseled by the great algebraist, Jacobi: “Invert, always invert.” I sought good judgment mostly by collecting instances of bad judgment, then pondering ways to avoid such outcomes. Second, I became so avid a collector of instances of bad judgment that I paid no attention to boundaries between professional territories. After all, why should I search for some tiny, unimportant, hard-to-find new stupidity in my own field when some large, important, easy-to-find stupidity was just over the fence in the other fellow's professional territory? Besides, I could already see that real-world problems didn't neatly lie within territorial boundaries. They jumped right across. And I was dubious of any approach that, when two things were inextricably intertwined and interconnected, would try and think about one thing but not the other. I was afraid, if I tried any such restricted approach, that I would end up, in the immortal words of John L. Lewis, "with no brain at all, just a neck that had haired over.”

2018年8月28日火曜日

(問題)なぜリスは周囲に危険を告げるのか(『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』)

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少し前の投稿で取りあげた『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』の文章から、もう1点ご紹介します。今回の内容はリスの生態に関するパラドックス的な問題です。この手の問題を解くには該当分野におけるミクロな専門知識が欠かせないと考えがちですが、例によってチャーリー・マンガー的な取り組みをすれば、きれいに答えを出せるかもしれません。次回の投稿で解答部をご紹介しますので、どうぞお考えになってください。

なお私自身の成績ですが、あいにく今回はよく考えずに文章を読み進めてしまったので、0点です。もったいない読書の仕方だと反省しました。

事象についての当初の解釈が間違っているかもしれない例を一つだけ挙げよう。開けた土地に住むジリス(地上生活をするリス)のいくつかの種にとっては、2種類の捕食者がいる。スピードに任せて空中から襲ってくるタカと、地上でこっそりと忍び寄って襲ってくるアナグマだ。リスが捕食者を察知すると、二つの防御方式のいずれかを選ぶ(もう擬人的な言い方をしている)。アナグマを察知すると、巣穴の入り口まで戻って直立姿勢を維持する。アナグマはその姿勢を見て、リスはそのアナグマを察知しているので、襲っても時間とエネルギーの無駄だということを知る。タカを察知したときは、直近の遮蔽物に向かってまっしぐらに走る。リスは2種類の警戒音も出す。アナグマの場合は、粗い、かたかたという音を立て、タカの場合は、高い、ぴーいーという音を出す。近辺の他のリスはこの音を聞いて、アナグマ警報なら巣穴に戻り、タカ警報なら遮蔽物に向かって走る。人はまずあたりまえのように、リスは声をかけ合って、要するに「注意しろ、あたりにアナグマがいるぞ、巣に戻った方がいい」とか「あっ、タカだ、そこから逃げろ」とかのことを言っているのだと思うものだ。しかしそうなのだろうか。

捕食者を察知しての個々のリスの行動が示すように、いずれのリスも、関心は自らの身を守ることにある。実際、進化論はそうならざるをえないことを言う。リスは知り合いの運命を気にしてはいられないだろう。しかしリスの警戒音が意味を持つ情報を伝えるとすれば--リス語で「アナグマだ」とか「タカだ」と声を上げているとすれば--パラドックスにぶつかる。淘汰で有利になるのは、黙ってこそこそと逃げて、他のお人好しが食べられるようにするリスの方だろう。声を上げる集団の中の声を上げない個体が淘汰では有利で、そういうリスが自分の遺伝子を伝える。しかしそれではすぐに、声を上げないリスばかりの集団になるはずだ。声を上げる本能はどこから生じるのか。(p. 463)

2018年8月16日木曜日

人類の余命(『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』)

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最近読み終えた本『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』は、個人的には引きこまれてしまう類の本で、全編をとおして楽しんで読めました。本書では、異星人(本書では地球外文明、ETCと記す)の存在を裏付ける現実的証拠がまだみつからない理由について、さまざまな分野からあげられた説明を科学的かつわかりやすく再構成しています。また14年前に刊行された邦訳の増補改訂版ということで、新しい科学的発見や知見が盛り込まれています。さらには、それぞれの理由に対して著者自身の見解が付け加えられています。話題は物理学にとどまらず、ハードサイエンスの各部門(地球科学、生物学、化学)や数学そしてSF小説に及んでおり、そういった専門用語の訳文の正確さも十分だと感じました(単純な校正モレは散見されます)。ただし「人類や地球生物の未来は、多難で暗いものである」と繰り返し説明されるので、心配が募りやすい方にはお勧めできません。

今回ご紹介するのは、本書で取り上げられていた思考法についてです。この「デルタt論法」と呼ばれる思考法は単純ながらも強力で、読んでいて感心の一言でした。ただし個人的に感銘を受けた点は、この論法自体や具体的な効力ではなく、ものごとを形而上的にとらえてモデリングする能力のほうです。

1969年、学生時代のリチャード・ゴットはベルリンの壁を訪れた。休暇でヨーロッパ旅行をしている途中で、ベルリンの壁を見に行くのも予定の一つだった。その前にはたとえば4000年前にできたストーン・ヘンジを見て、それにふさわしい感動を得た。ベルリンの壁を見たとき、この冷戦の産物はストーンヘンジほど長い間立っているのだろうとかと思った。冷戦時代の外交戦略の詳細に通じ、両陣営の相対的な経済力・軍事力を知る立場にあった政治家なら、根拠のある推定をしたかもしれない(政治家の実績から判断すれば、それは間違っていただろうが)。ゴットにはそんな専門知識はなかったが、次のような推論をした。

まず、自分がいるのは、壁が存続している間のランダムな時点だ。壁が築かれる(1961年)のを見ているのではなく、壁が壊されるのを見ているのでもない(今は1989年にそうなったことはわかっているが)。ただ休暇でそこにいただけだ。したがって、壁が立っている期間を4つに分けたまん中の2つ分の間に壁を見ている可能性が50パーセントだと推論を進めた。自分がその期間の最初にいるなら、壁は寿命の4分の1の間存在しており、まだ4分の3の寿命が残っていることになる。言い換えると、壁はこれから、すでに存在している期間の3倍の期間続くことになる。自分がそこにいるのが同じ期間の最後だとしたら、すでに寿命の4分の3が経過しており、残りは4分の1だけとなる。言い換えると、壁がこれから存在しつづけるのは、これまで存在してきた期間の3分の1だけだということだ。ゴットが見たときの壁は、できて8年だった。そこで1969年夏のゴットは、壁はあと2年と3分の2(8*1/3)から24年(8*3)立っている可能性が50パーセントあると予想した。あのテレビの劇的な映像を見た人なら思い出すように、壁が壊されたのは、ゴットが訪れてから20年後のことだった--予測の範囲内に収まる。(中略)


物理学で予測をするときは、50パーセントの可能性ではなく、95パーセントの可能性で考えるのが標準となる。ゴットの論法はそのまま使えるが、数字が少し変わる。自分が何かの事物を見ていることに特別のことがない場合、その事物はその時点での年齢の39分の1から39倍の間続く可能性が95パーセントある。(p. 276)

デルタt論法を使ってコンクリートの壁や人間関係の寿命を推定するのは楽しいが、それはもっとゆゆきしきことの推定にも使える。ホモ・サピエンスの余命だ。人類は誕生して17万5000年ほど。ゴットの規則を適用すると、人類の残りの寿命はおよそ4500年から680万年である可能性が95パーセント。それからすると、人類の寿命は18万年ないし700万年程度ということになる(哺乳類に属する種の平均寿命は200万年ほどと言われる。いちばん近い近縁種のネアンデルタール人は20万年だったらしい。やはりヒト科に属し、人類の直接の祖先かもしれないホモ・エレクトゥスは、140万年続いたかもしれない。するとゴットの推定は、種の寿命についても、確かにおおよそは正しいと言える)。(p. 278)

蛇足ですが、この手の話題を進めると「地球外への移住」にも行きつきますが、そこで思い当たるのはやはりイーロン・マスクです(過去記事)。最近は欠点が目立つようになってきましたが、新たな世界を切り開けるのは彼のような変人だろう、と個人的には考えています。「世界を動かすのは凡人であり、世界を変えるのは変人である」というのが私の持論です。なお「変人」という言葉に語弊を感じられる方は、「神経発達症を強く有している者」と読みかえてください。

2018年2月12日月曜日

問題解決の技法(6)逆から考えよ(クロード・シャノン)

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数学者クロード・シャノンが行った問題解決に関する講演について、最終回です。今回の話題は本ブログでよく取り上げるものですが(ラベル「逆にやる」を参照ください)、いつもとは別の天才が取り上げていることでも、その威力がうかがえます。前回分はこちらです。なお、意味段落での改行を追加しました。(日本語は拙訳)

もうひとつ触れておきたいやりかたがあります、数学上の研究をする際にたびたび出くわすものですが、問題を逆向きに考える方法です。ある前提条件Pに基づいて解Sを求めようとして、煮詰まっているとしましょう。そのとき、その問題を反転させて、「解Sは問題を解く上での所与の定理や公理、あるいは定数である」と仮定するのです。その上で、前提条件Pを求めるための術を考え出します。それが正しいやりかただと想像してみてください。するとその方向から問題を解くほうが、かえって易しいことに気づくかと思います。適切で単刀直入な道筋がみつかります。そうだとすれば、その問題を小さく分割した個々において、同じように考えることも多分に可能でしょう。別の例で言えば、たとえば印をつけた道筋がこうあって、このように中継していく点があちらへ続いているとします。そのとき、小さな段階ごとに反転させるやりかたがとれるでしょうから、証明するまでの困難な段階はおそらく3つか4つで済むものと思います。

設計の作業でも、同じことができると思います。私はコンピューターを設計することが時折あり、その種類は多岐にわたりました。そのなかで、ある所与の数量をもとに、ある数を計算させたいと考えたものがありました。それは「ニム」という名の石取りゲームを実行する機械となりますが、実に難しい仕事だとわかりました。この種の計算は実現可能ではあるものの、極めて多数のリレー[継電器]が必要になります。しかし「問題を反転させたらどうなるか」と考えた結果、もし所与のものと望まれる結果を入れ替えれば、至極簡単に実現できることがわかりました。さらにその考え方を発展させ、フィードバックを使うようにしました。そうすることで当初よりもずっと単純な設計になりました。つまり望まれる結果を起点にして戻ってくる際に、所与の入力値に合致するまでその値を使い続けるわけです。ですからその機械の内部では、利用者が実際に入力した数を得るまでは、さらにはPに照らした際に正しい手順である数に達するまでは、複数の数値を含む範囲Sをとりつつ、逆方向から動作しています。

このように、さきに触れた思想に基づいて解を求める方法を説明しましたが、大多数のみなさんにはひどく退屈だったのではないでしょうか。そこで、本日持参したこの装置をお見せしたいと思います。今回お話しした設計に関連する問題が、一つ二つ仕込んであります。これまでお話ししてきたことが反映してあると思いますので、この周りに集まってごらんになってください。この机の周りにみなさんが一度に集まれるかどうかは、何とも言えませんが。(おわり)

Now one other thing I would like to bring out which I run across quite frequently in mathematical work is the idea of inversion of the problem. You are trying to obtain the solution S on the basis of the premises P and then you can’t do it. Well, turn the problem over supposing that S were the given proposition, the given axioms, or the given numbers in the problem and what you are trying to obtain is P. Just imagine that that were the case. Then you will find that it is relatively easy to solve the problem in that direction. You find a fairly direct route. If so, it’s often possible to invent it in small batches. In other words, you’ve got a path marked out here - there you got relays you sent this way. You can see how to invert these things in small stages and perhaps three or four only difficult steps in the proof.

Now I think the same thing can happen in design work. Sometimes I have had the experience of designing computing machines of various sorts in which I wanted to compute certain numbers out of certain given quantities. This happened to be a machine that played the game of nim and it turned out that it seemed to be quite difficult. If [typo for It?] took quite a number of relays to do this particular calculation although it could be done. But then I got the idea that if I inverted the problem, it would have been very easy to do - if the given and required results had been interchanged; and that idea led to a way of doing it which was far simpler than the first design. The way of doing it was doing it by feedback; that is, you start with the required result and run it back until - run it through its value until it matches the given input. So the machine itself was worked backward putting range S over the numbers until it had the number that you actually had and, at that point, until it reached the number such that P shows you the correct way.

Well, now the solution for this philosophy which is probably very boring to most of you. I’d like now to show you this machine which I brought along and go into one or two of the problems which were connected with the design of that because I think they illustrate some of these things I’ve been talking about. In order to see this, you’ll have to come up around it; so, I wonder whether you will all come up around the table now.

2015年2月12日木曜日

私が絶対に行かない場所(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーが1986年にハーヴァード高校の卒業生に贈った祝辞の6回目です。チャーリーが「お勧めする」3番目と4番目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

みじめになるための3番目の処方です。苦境において二度三度と繰り返してもダメだったら、もうあきらめて屈してください。人生とは苦難に満ちたものですから、どんなに幸運で賢明な人であっても、そのような姿勢でいれば、いずれはみじめな思いを永遠に抱えることになるのはまちがいないでしょう。そしてエピクテトスがみずから残した的確なる墓碑銘から読み取れる教訓には、一切従わないことです。「奴隷であり、身は損なわれ、貧しきこと極まるも、神々に愛されたエピクテトス、ここに眠る」。

あいまいな考えのまま、不運な人生をおくりたいみなさんへ、最後の処方です。私が若い頃に聞いたある田舎者の話を紹介しますが、それには従わないでください。その田舎者はこう言ったのです。「どこで死ぬのかわかったら、そこには絶対行かないよ」。そう、今のみなさんと同じように、ふつうの人は笑ってしまう話です。その男のバカらしさに気をとられて、根本的な知恵に注意がむかないのです。私の経験から言って、みじめになりたい人はその田舎者のやりかたには絶対従わないでください。カーソン氏のスピーチでも同じものがありましたが、これは単なる小ばなしと受けとめて、特段役立つものではないと心得てください。

カーソン氏は「Xの作りかたを学ぶ方法として、問題を逆にする、つまりX以外の作りかたを学ぶ」やりかたを説明しました。偉大な代数学者ヤコビは、カーソン氏とまったく同じやりかたをとっていました。「逆だ、いつでも逆からやるんだ」、彼はこの文句を変わることなく繰り返したことで知られています。ヤコビの言うように、多くの難題が逆方向から取り組まないと上手く解けないのは、物事の道理と言えます。たとえばあらゆる人たちが、ニュートン力学に合わせようとしてマックスウェルの電磁気理論を修正しようとしました。しかしアインシュタインは正反対にやりました。ニュートン力学のほうを修正して、マックスウェルの理論に合わせたのです。これでアインシュタインは特殊相対性理論を発見することができました。

公認の伝記マニアたる私が思うに、チャールズ・ロバート・ダーウィンはハーヴァード高校1986年度卒業生の中でみれば、真ん中あたりの成績になるかと思います。しかしながら彼は、科学史において今でも名だたる人物です。これこそ、もって生まれた才能をできるだけ無駄にしたい人にとって、まったくお手本とならない最たる例と言えます。

ダーウィンのなしとげた業績は、彼自身のやりかたによるものでした。ここまでお話ししてきた「みじめへの道」には一切従わず、「逆ひねり」することに注力しました。持論がどんなに手塩をかけた大切なものでも、それをくつがえす証拠を真っ先にみつけようとしたのです。ふつうはその反対で、早々に結論を出したあとは新情報や否定的な情報がでても、持論が揺るがないように処理するものです。作家フィリップ・ワイリーがみるところの「自分がすでに知っている範囲を超えたところで学ばなければ、何もだせない」人間になりさがるものです。

ダーウィンの人生は、どうやってカメがうさぎを追い越すのかを示しています。それは徹底して客観的に考えることで達成できるのです。まさに、自分だけ目隠しをせずにスイカ割り大会に参加するようなものです。

できるだけ客観的に考えたくないのであれば、ダーウィンに限らずアインシュタインの先例にも倣わないことです。自分が発見した諸理論は「好奇心、集中力、根気、自己批判」によって築かれた、とアインシュタインは言っているのですから。彼にとっての自己批判とは、みずからの愛してやまないアイデアをテストして葬り去ることだったのです。

My third prescription to you for misery is to go down and stay down when you get your first, second, or third severe reverse in the battle of life. Because there is so much adversity out there, even for the lucky and wise, this will guarantee that, in due course, you will be permanently mired in misery. Ignore at all cost the lesson contained in the accurate epitaph written for himself by Epictetus: "Here lies Epictetus, a slave, maimed in body, the ultimate in poverty, and favored by the gods."

My final prescription to you for a life of fuzzy thinking and infelicity is to ignore a story they told me when I was very young about a rustic who said, "I wish I knew where I was going to die, and then I'd never go there." Most people smile (as you did) at the rustic's ignorance and ignore his basic wisdom. If my experience is any guide, the rustic's approach is to be avoided at all cost by someone bent on misery. To help fail, you should discount as mere quirk, with no useful message, the method of the rustic, which is the same one used in Carson's speech.

What Carson did was to approach the study of how to create X by turning the question backward, that is, by studying how to create non-X. The great algebraist, Jacobi, had exactly the same approach as Carson and was known for his constant repetition of one phrase: "Invert, always invert." It is in the nature of things, as Jacobi knew, that many hard problems are best solved only when they are addressed backward. For instance, when almost everyone else was trying to revise the electromagnetic laws of Maxwell to be consistent with the motion laws of Newton, Einstein discovered special relativity as he made a 180-degree turn and revised Newton's laws to fit Maxwell's.

It is my opinion, as a certified biography nut, that Charles Robert Darwin would have ranked near the middle of the Harvard School graduating class of 1986. Yet he is now famous in the history of science. This is precisely the type of example you should learn nothing from if bent on minimizing your results from your own endowment.

Darwin's result was due in large measure to his working method, which violated all my rules for misery and particularly emphasized a backward twist in that he always gave priority attention to evidence tending to disconfirm whatever cherished and hard-won theory he already had. In contrast, most people early achieve and later intensify a tendency to process new and disconfirming information so that any original conclusion remains intact. They become people of whom Philip Wylie observed: "You couldn't squeeze a dime between what they already know and what they will never learn."

The life of Darwin demonstrates how a turtle may outrun a hare, aided by extreme objectivity, which helps the objective person end up like the only player without a blindfold in a game of Pin the tail on the Donkey.

If you minimize objectivity, you ignore not only a lesson from Darwin but also one from Einstein. Einstein said that his successful theories came from "Curiosity, concentration, perseverance, and self-criticism." And by self-criticism, he meant the testing and destruction of his own well-loved ideas.

2014年6月24日火曜日

きわめて強力な教育訓練体系のつくりかた(チャーリー・マンガー)

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1998年に行われたチャーリー・マンガーの講演「学際的能力の重要性」の3回目です。チャーリーの話は秀逸なものばかりですが、今回はその中でも指折りの内容です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

おのずと次のような3つめの疑問が浮かびます。「現在は何を目標とすればよいか。第一級の教育において、学際性を最高の域まで高めるのに不可欠な性質とは何か」。この質問も簡単ですね。もっとも成功している狭い領域での教育状況を調べて、欠かせない要素を特定し、それらを拡大して適切な解決策へと導けばよいだけです。

その際に、ぴったりのお手本となる狭い領域をさがす先は、学校教育のような脅威にさらされていない場所ではありません。そのような場所は、先に述べた非生産的な2つの心理的傾向や他の悪い影響によって強く動かされています。そうではなく、教育によって得られる効果が大きいほどやる気がいっそう高まり、学んだ結果が測定されているも同然の場所をさがすことです。この論理に従ってたどりつく場所とは、すなわち「現代のパイロットに課されている、大成功をおさめてきた教育」です。(そうです。パイロット訓練のことを熟慮するようになれば、偉大なるハーバードがもっとよくなること請け合いだと示唆しているわけです)。他の職業と同様に航空機を操縦する際にも、「かなづちしか持たない傾向」によって生じる悪影響は重大な危険因子のひとつと考えられています。危機に直面したパイロットが「危機その1」しか知らないからといって、「危機その1」が起きたとは判断・対処してほしくありません。ですからそれも含めた上で、パイロットの訓練は以下の6つの厳格なシステムに基づくことが要求されています。

1) 正規の教育として網羅する範囲には、操縦中に有用だと考えられる事実上すべてのものを含むこと。

2) パイロットに必要とされる事実上すべての知識は、単に一度や二度の試験に合格できればよい程度に学ぶものではない。そうではなく、身につけたあらゆる知識は実際の現場で淀むことなくさっと思いだせること。2つあるいは3つの危機が重なって到来した際にも、同様に対応できること。

3) あらゆる優れた代数学者と同様に、あるときは順方向、またあるときは逆方向に物事を考えること。起こってほしいと願うことに最大限集中すべきはいつなのか、あるいは起きてほしくないことを避けるのに最大限集中すべきはいつなのかを学ぶこと。

4) 訓練に時間を費やすべき各対象は、将来起こりうる機能不全から生じる被害を最小限にとどめるためのものであること。訓練を受ける者が達成すべきもっとも重要なこととして、訓練内容をほとんどすべて習得し、この上ないほどに淀みなく実行できること。

5) いついかなるときにも、定型作業として「チェックリスト」を使った確認を必ず行うこと。

6) 所定の訓練を修了した後でも、知識を維持していくために設けた特別な確認作業を定期的に実施するよう義務づけること。たとえば、稀だが重要な問題に対処する際に必要な能力が衰えてしまうのを防ぐために、飛行シミュレーターを利用する例が挙げられる。

適切なること明白な6つの要素からなるこのシステムは、イチかバチかの性格が強い特定の領域では強く要求されており、人間の精神が持つ深層構造に根ざすことから必要とされるものです。だからこそ、さまざまな領域にわたる問題を解決するために必要な教育には、それらすべてを含むだけでなく、各要素が十分に拡張されていることを期待すべきでしょう。そうとしか考えられません。

そして昼のあとには夜がつづくように、鷹が鷹を産むことをめざす第一級のさまざまな領域にわたる教育に基づいて最高の結果を得るには、学際性が広大な範囲まで行きわたることが必要になります。その際には、営々と維持され実践を積み重ねてきたあらゆる能力が、必要に応じて淀むことなく発現されます。その能力のひとつ、学問領域の境界をまたいで行われる総合は、強力な力をもっています。さらにその学際性は、もっとも必要とされる場所でこの上なく流れるように発揮されます。順逆両方向から考えるやりかたは、代数でやる逆転の方法を思い起こす形で使われます。そして「チェックリスト」を使った定型的な確認作業は、知識体系の一角を恒久的に占めることとなります。さまざまな領域にわたる世知を築くには他のやりかたはありませんし、これより楽な方法もないでしょう。それゆえに、この作業の幅が広大であることをはじめて認識した時には、これは至難の業だとおじけづくかもしれません。

しかしあらゆる事情を考慮すれば、次の3つの要因を念頭におくことでこの作業が不可能からほど遠いものであることがわかります。

The natural third question then becomes: What is now the goal? What is the essential nature of best-form multidisciplinarity in elite education? This question, too, is easy to answer. All we have to do is examine our most successful narrow-scale education, identify essential elements, and scale up those elements to reach the sensible solution.

To find the best educational narrow-scale model, we have to look not at unthreatened schools of education and the like, too much driven by our two counterproductive psychological tendencies and other bad influences, but, instead, look where incentives for effective education are strongest and results are most closely measured. This leads us to a logical place: the hugely successful education now mandatory for pilots. (Yes, I am suggesting today that mighty Harvard would do better if it thought more about pilot training.) In piloting, as in other professions, one great hazard is bad effect from man-with-a-hammer tendency. We don't want a pilot, ever, to respond to a hazard as if it was hazard "X" just because his mind contains only a hazard "X" model. And so, for that and other reasons, we train a pilot in a strict six-element system:

1) His formal education is wide enough to cover practically everything useful in piloting.

2) His knowledge of practically everything needed by pilots is not taught just well enough to enable him to pass one test or two; instead, all his knowledge is raised to practice-based fluency, even in handling two or three intertwined hazards at once.

3) Like any good algebraist, he is made to think sometimes in a forward fashion and sometimes in reverse; and so he learns when to concentrate mostly on what he wants to happen and also when to concentrate mostly on avoiding what he does not want to happen.

4) His training time is allocated among subjects so as to minimize damage from his later malfunctions; and so what is most important in his performance gets the most training coverage and is raised to the highest fluency levels.

5) "Checklist" routines are always mandatory for him.

6) Even after original training, he is forced into a special knowledge-maintenance routine: regular use of the aircraft simulator to prevent atrophy through long disuse of skills needed to cope with rare and important problems.

The need for this clearly correct six-element system, with its large demands in a narrow-scale field where stakes are high, is rooted in the deep structure of the human mind. Therefore, we must expect that the education we need for broadscale problem solving will keep all these elements but with awesomely expanded coverage for each element. How could it be otherwise?

Thus it follows, as the night the day, that in our most elite broadscale education wherein we are trying to make silk purses out of silk, we need for best results to have multidisciplinary coverage of immense amplitude, with all needed skills raised to an ever-maintained practice-based fluency, including considerable power of synthesis at boundaries between disciplines, with the highest fluency levels being achieved where they are most needed, with forward and reverse thinking techniques being employed in a manner reminding one of inversion in algebra, and with "checklist" routines being a permanent part of the knowledge system. There can be no other way, no easier way, to broadscale worldly wisdom. Thus the task, when first identified in its immense breadth, seems daunting, verging on impossible.

But the task, considered in full context, is far from impossible when we consider three factors:

2014年6月18日水曜日

『復活を使命にした経営者』、芳井順一会長によるツムラ再生の物語

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今年に入ってからツムラ(4540)に興味を持ち始めました(株式も少し買いました)。業績の見通しが停滞気味のせいか、株価は低迷しています。その当社を知る一環として読んだのが、今回ご紹介する本『復活を使命にした経営者』です。

書店で目立ちそうのない地味な装丁の本書は、内容も地味だろうと思われるかもしれません。1990年代に入って低迷し始めた漢方薬メーカーのツムラが薄暗い10年間をくぐり抜けてここまで復活するに至った経緯を、ある人物のエピソードを中心に描いた話です。その人物が、当社の会長である芳井順一氏です。

しかし内容のほうは地味どころか、個人的には全編響くものばかりでした。芳井氏は、まぎれもなく名経営者とお呼びするのがふさわしい方だと思います。芳井氏は当初、第一製薬の営業部門に所属していました。しかしツムラ危機に際して創業者一族の風間八左衛門氏(第一製薬の当時の常務)が里帰りすることになり、風間氏に請われて芳井氏も当社に移ります。そして子会社の整理、人員削減、営業部門の立て直し、事業戦略の転換・改革・発展と、激動の20年間弱にわたって当社の経営に携わってきました。本書に登場するそれらのエピソードは悩んで考えて決断した日々を素直に記したもので、空々しく感じられるところがありません。

しかし芳井氏のすばらしい点をあえて3つだけ選べば、「戦略のしぼりこみと実行、人の心理に通じた交渉力、道義心」になると思います。仕事をこなしている中で、これらの点で悩んだりヒントを得たいと考えている方には、きっとお勧めできる一冊です。

これから本書を通読したい方には申し訳ありませんが、以下に本文から2か所だけ引用します。ご了承ください。

ひとつめは、芳井氏が第一製薬時代に営業担当として活躍した頃の話です。

私が転勤をして、初めて回った病院の医局に、『製薬メーカーMR[営業担当]の5時以降の医局への立ち入りを禁ず 院長』という貼り紙がしてありました。5時までは医局に、MRがたくさんいるのですが、ほとんどのMRは医局の隅に立ったままで医師と話をしないので、『壁の花』と呼ばれていました。

こんなことを繰り返していても埒が明かないと思い、私はその貼り紙に気が付かないふりをして、夕方5時過ぎに宿直の先生のところに行きました。先生方が戻ってこられたときに先生方の机の上にある食事を見て、『先生、これ患者さんと同じ病院食ですか』と声を掛けました。『よろしければ、この病院の前の寿司屋から、出前させましょうか』って申し上げたんです。

すると、あんた誰よ、ってことになりますよね。そこで初めて名刺を出して『実は私、担当したばっかりなんです』と自己紹介するわけです。

そこで寿司屋に電話をして寿司を持ってきてもらい、そこで医局の先生方と夜中2時、3時まで話し込むんです。『こんなにうまいものが食べられるんだったら、毎日おいでよ』という言葉がかかり、『ところで先生、今気が付いたのですが、メーカーは5時以降は訪問禁止なんですか?』って言ったら、『あれは院長だけが言っていることだから、誰も気にしていないよ。芳井君、毎日おいでよ』と言われました。

だいたい宿直の先生方が5人ぐらいいますから、毎晩それをやると、1週間で30数名。その病院の医局にいらっしゃる先生全員と会うことができ、1週間で一気に親しくなります。親しくなったら、そんなことをする必要はありません。今度は昼間に行って、先生と直接お会いして話をする。パンフレットを出して、こんなのもありますよ、とお声掛けをする。そうすれば話を聞いてくれます。そういう繰り返しでした。

当時は、明け方の3時とか4時頃に医局を出て営業車で帰宅していたのですが、辛かったというと逆でした。『日本全国のMRの中で、今ハンドルを握っているのは自分だけだろう。明日もやってみよう』という充実感がありました。これで来週からすごいものにつながっていくという喜びのほうが大きかったですね。(p.124)


もうひとつは、経営者として戦略を具体化する際の考え方についてです。

こうした芳井のビジョンは、すべてが具体的だ。聞こえのいい文言が並ぶ空疎なものではなく、そこには人を動かす力強さが秘められている。こうしたビジョンを芳井は、いつどのようにして描いていくのだろうか。

「私は物事を考えるとき、会社のことなら、10年、20年先のツムラをイメージします。そして、そこに向かって一つひとつ、会社全体のことを、どこがどうあるべきか考えます。

そして、それをもう少しショートタームで考えるのが3カ年計画です。3年先にこうありたい、と思ったら今度は3年先にそこに行くためには1年後にどうなっていないと、そこに行きつけないのかイメージします。1年先をイメージしたら、そこに到達するまでの自らの行動や組織の行動にデザインを加えていきます」

長期的なビジョンを描き、そこから逆算して行動に落とし込む。それだけなら目標達成の方法としては王道だ。しかし、芳井の場合、その方法にも独自の工夫がある。実際に手を動かすのである。

「そのために1か月後にはどのくらい進んでないといけないのかを考え、頭の中でイメージします。私は、休みの日には自分の部屋で、A4のコピー用紙を4枚並べて、そこに絵を描きます。頭の中だけで考えると、どうしても堂々巡りになってしまいます。

絵にすると具体的な考えが次々に浮かんできます。会社の将来の絵を描く。それに対して、今、妨げになっているものは何か考え、この妨げているものを取り除いていけば必ずイメージに近づいていけます。それに拍車をかけるためにはどういうことをやったほうが勢いが出るのか、それを絵に描きながら考えるのです」(p.257)


ツムラに興味を持たなかったら(たとえば株価がずっと割高だったら)、本書を手に取ることはなかったと思います。本書を通して芳井会長のことを知ることができたのは、わたしにとっては幸運でした。しかし芳井氏はあと数日で取締役会長を退任し、相談役に就任される予定です。ツムラにとっては新たな試練が始まります。

2013年11月8日金曜日

それでも盗まないでいられるだろうか(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの(再考)世知入門の8回目です。今回と次回は心理学から派生して「不正」の話題です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

世知のほとんどは、すごく単純なものです。腕まくりして取りくむ意思があれば、私が推奨していることはむずかしいものではありません。そして得られる見返りはすばらしいです。本当にすごいですよ。

しかし、すばらしい見返りに興味がない人がいるかもしれません。不遇が続いても気にしないし、さまざまな自分の好きなことに対してよりよく貢献したいとは考えないかもしれません。そういうつもりであれば、私の話には耳を貸さないでください。なぜなら、すでに正しい道を歩んでいるからです。

人の心理にかかわる世知を考える際には、モラルに関する問題が深く絡みあってきます。このことはいくら強調しても足りないぐらいです。たとえば「盗む」という問題を考えてみましょう。もし容易に盗める状態にあり、かつ捕まる可能性が事実上ないとしたら、大多数の人が盗みをはたらくでしょう。

そしてひとたび盗みに手を染めてしまうと、一貫性の原則[参考記事]、すなわち人の心理面で大きな部分を占めるものが、オペラント条件付け[参考記事]と協調してはたらき、盗みをする習慣がついてしまいます。もし事業を経営している人が、容易に盗みができる環境を自らの方針ゆえにつくっているとしたら、職場で働く人たちに対してモラルの面でひどい傷を負わせていることになります。

あたりまえですが、不正がしにくいシステムを築くことはきわめて大切です。そうしないのは、ここまで進展した社会を壊すことになります。そういった強い動機づけがあると、動機づけによるバイアスを引き起こす上に、悪事をはたらいても問題ないのだと自己を正当化するようになります。

不正をはたらく人には、少なくとも2つの心理的な原理がうかがえます。動機づけによるバイアス[参考記事]、そして社会的証明[参考記事]です。それだけでなく、セルピコ効果[アル・パチーノ主演の映画が有名]も生じます。これは、ある社会環境において悪しき行為から利益を得る人が十分にいると、警鐘を鳴らす人にむかって反抗し、危険な敵となる現象です。

そういった原理を無視して、ばかげたことが忍び込むままとするのは非常に危険です。その心理的な力は強大で、悪行をはたらくからです。

この件が法律の仕事とどう関係するのだろうか、そう感じたかもしれません。では申し上げましょう。スタンフォードのロースクール[=この講演を行っている場所]のような学校を卒業し、崇高なこころざしを抱いてこの国の立法府に進んだ人たちが、容易に不正をはたらくことができる法律を制定するのです。これほどひどいことはなかなかできませんね。

公共の分野で働きたいと望む人がいるとします。そう思案する際の一環として、当然ながら逆から考えてみるでしょう。「我々の社会をダメにするにはどうしたらよいか」。簡単です。社会を堕落させたいのであれば、人が容易に不正をおこなえるシステムを作るように、議会で法案を成立させればいいのです。これで完璧にうまくいきます。

Worldly wisdom is mostly very, very simple. And what I'm urging on you is not that hard to do if you have the will to plow through and do it. And the rewards are awesome - absolutely awesome.

But maybe you aren't interested in awesome rewards or avoiding a lot of misery or being more able to serve everything you love in life. And, if that's your attitude, then don't pay attention to what I've been trying to tell you - because you're already on the right track.

It can't be emphasized too much that issues of morality are deeply entwined with worldly wisdom considerations involving psychology. For example, take the issue of stealing. A very significant fraction of the people in the world will steal if (A) it's very easy to do and (B) there's practically no chance of being caught.

And once they start stealing, the consistency principle - which is a big part of human psychology - will soon combine with operant conditioning to make stealing habitual. So if you run a business where it's easy to steal because of your methods, you're working a great moral injury on the people who work for you.

Again, that's obvious. It's very, very important to create human systems that are hard to cheat. Otherwise, you're ruining your civilization because these big incentives will create incentive-caused bias and people will rationalize that bad behavior is OK.

Then, if somebody else does it, now you've got at least two psychological principles: incentive-caused bias plus social proof. Not only that, but you get Serpico effects: If enough people are profiting in a general social climate of doing wrong, then they'll turn on you and become dangerous enemies if you try and blow the whistle.

It's very dangerous to ignore these principles and let slop creep in. Powerful psychological forces are at work for evil.

How does this relate to the law business? Well, people graduate from places like Stanford Law School and go into the legislatures of our nation and, with the best of motives, pass laws that are easily used by people to cheat. Well, there could hardly be a worse thing you could do.

Let's say you have a desire to do public service. As a natural part of your planning, you think in reverse and ask, "What can I do to ruin our civilization?" That's easy. If what you want to do is to ruin your civilization, just go to the legislature and pass laws that create systems wherein people can easily cheat. It will work perfectly.


参考までに、チャーリー・マンガーは大学を卒業せずにハーバード・ロースクールへ入学しています(過去記事)。また、同僚とともに立ち上げた法律事務所Munger, Tolles & Olsonは、今ではアメリカでも指折りの事務所として評価されています(英文Wikipedia)。

2013年4月21日日曜日

シカゴ大学をコケにした男(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講話『実用的な考え方を実際に考えてみると?』の最終回です。結びの余韻には、しびれました。前回分はこちらです(日本語は拙訳)。

現在の学術界一般が残念ながら盲目怠慢ぶりを呈しているにもかかわらず、教育機関の恥ずべき欠陥がやがて修正されるという望みは見出せるのでしょうか。大丈夫です、私は楽観的にみています。

たとえば、シカゴ大学経済学部の最近の動向をみてみましょう。この学部は10年間にわたって[俗に言う]ノーベル経済学賞をほぼ独占してきました。その多くは、人間は合理的であることを前提にした「自由市場」モデルを使って適切な予測を下した業績に対するものです。合理的人間という切り口で着実に成果をあげてきたこの学部は、つぎにどのような行動をとったと思いますか。

花形学者のそろった貴重な一画に、賢明で機知あふれるコーネル大の経済学者リチャード・セイラーを招聘したのです。これこそ我らの希望にかなうものでした。セイラーは、シカゴ大学で崇められているさまざまなことをコケにしていきました。私と同じようにセイラーも、人間は限度を超えて非合理になることがあると考えています。これは心理学によって予期できるものなので、ミクロ経済学では考慮に入れておくべきものです。

シカゴ大学はそのような手段を通じてダーウィンを模倣しています。ダーウィンは長き人生の大半を逆に考えること、すなわち苦心して得たこよなく愛する自らのアイデアを反証することに費やしました。最高の価値を保持せんと、彼のように逆から考える一群が学術界にもあるわけです。ですから、お粗末な教育上の実践がやがてよりよきものに取って代わられる可能性は十分にあります。これはカール・ヤコビが予期していたそのものかもしれません。

そのようなダーウィン主義者のやりかたは、いかにわずらわしくても客観視する姿勢を常としているので、力強く前進していくでしょう。ですから、この希望はいずれ実現すると思います。この上なく重要な人物アインシュタインは、かつて言っています。業績を果たす根幹となったもののひとつが「自己批判」だったと。これと並ぶ残りの3つは、「好奇心」「集中」「根気強さ」です。

「自己批判」がいかに強力かをさらに称揚するために、学卒でおわった月並みな才能のチャールズ・ダーウィンがどこに葬られているか思い出してみましょう。ウェストミンスター寺院はアイザック・ニュートンの墓石の、ちょうどとなりです。ニュートンこそ、他に比類なき才能を授かった学究でした。彼の墓石にはラテン語の八つの単語で口を極めた称賛が刻まれています。「アイザック・ニュートン、ここに眠る」(Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni)。

ダーウィンの亡きがらをそのように葬る文明ならば、やがては心理学を適切かつ実践的な形で発展統合させて、様々な技能を大きく伸ばすことでしょう。微力かつ愚鈍なる我々としては、その歩みが遅滞しないようにただ手助けすべきです。障害は数多くあります。重要な位置に就くさまざまな人が、コカ・コーラのように成功をおさめている普遍的な製品のことを適切に理解できなかったり説明できないようであれば、それ以外の重要なもろもろに対しても我々はうまく立ち向かえないでしょう。

私がグロッツさんへ説明したのと同じように考えた末に10パーセントを投資し、純資産の50%がコカ・コーラ株になった人がおられるならば、心理学の面で私が話したことは基本的すぎて役に立たないかもしれません。そうでしたら、無視してくださってかまいません。しかし、他のみなさんもそうするのが賢明だとは申し上げられません。この状況は私が気にいっている昔の広告の文句を思い起こさせるので、ここにご紹介して話の結びとします。ワーナー・スウェージー社のものです。「新しい工作機械をお望みなのに未だ購入されていないお客様は、すでに対価をお支払いになっていらっしゃいます」。

Even though this regrettable blindness and lassitude is now the normal academic result, are there exceptions providing hope that disgraceful shortcomings of the education establishment will eventually be corrected? Here, my answer is a very optimistic yes.

For instance, consider the recent behavior of the economics department of the University of Chicago. Over the last decade, this department has enjoyed a near monopoly of the Nobel prizes in economics, largely by getting good predictions out of “free market” models postulating man's rationality. And what is the reaction of this department after winning so steadily with its rational-man approach?

Well, it has just invited into a precious slot amid its company of greats a wise and witty Cornell economist, Richard Thaler. And it has done this because Thaler pokes fun at much that is holy at the University of Chicago. Indeed, Thaler believes, with me, that people are often massively irrational in ways predicted by psychology that must be taken into account in microeconomics.

In so behaving, the University of Chicago is imitating Darwin, who spent much of his long life thinking in reverse as he tried to disprove his own hardest-won and best-loved ideas. And so long as there are parts of academia that keep alive its best values by thinking in reverse like Darwin, we can confidently expect that silly educational practice will eventually be replaced by better ones, exactly as Carl Jacobi might have predicted.

This will happen because the Darwinian approach, with its habitual objectivity taken on as a sort of hair shirt, is a mighty approach, indeed. No less a figure than Einstein said that one of the four causes of his achievement was self-criticism, ranking right up there alongside curiosity, concentration, and perseverance.

And, to further appreciate the power of self-criticism, consider where lies the grave of that very “ungifted” undergraduate, Charles Darwin. It is in Westminster Abbey, right next to the headstone of Isaac Newton, perhaps the most gifted student who ever lived, honored on that headstone in eight Latin words constituting the most eloquent praise in all graveyard print: “Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni” - “Here lies that which was mortal of Isaac Newton.”

A civilization that so places a dead Darwin will eventually develop and integrate psychology in a proper and practical fashion that greatly increases skills of all sorts. But all of us who have dollops of power and see the light should help the process along. There is a lot at stake. If, in many high places, a universal product as successful as Coca-Cola is not properly understand and explained, it can't bode well for our competency in dealing with much else that is important.

Of course, those of you with fifty percent of net worth in Coca-Cola stock, occurring because you tried to so invest ten percent after thinking like I did in making my pitch to Glotz, can ignore my message about psychology as too elementary for useful transmission to you. But I am not so sure that this reaction is wise for the rest of you. The situation reminds me of the old-time Warner & Swasey ad that was a favorite of mine: “The company that needs a new machine tool, and hasn't bought t, is already paying for it.”


文中に登場するリチャード・セイラーの本はいくつか翻訳が出ていますね。『実践 行動経済学』は私も読みましたが、それなりに楽しめた一冊です。

なおご参考までに、ダーウィンとニュートンの墓石の位置は実際には隣接していないとの情報がありました。

The Burial of Charles Darwin (AboutDarwin.com)

2012年12月12日水曜日

ほんまはこいつ賢いんちゃうか(山中伸弥教授)

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ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の聞き語りが新刊で出ていたので、読んでみました。『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』という本です。そのなかで「逆から考える」好例が語られていたので、ご紹介します。

僕らはこの24個の中に、確信するほどではないものの、初期化に必要な遺伝子があるかもしれないと予想していました。そこで24個を1個ずつ、レトロウイルスという遺伝子の運び手を使って、皮膚の細胞(正確には繊維芽細胞)に送りこんでみました。しかし、皮膚の細胞は初期化せず、ES細胞のような細胞はできませんでした。途方に暮れていたところ、ぼくと一緒に奈良先端大から京大に移ってくれた高橋君が驚くべき提案をしました。

「まあ、先生、とりあえず24個いっぺんに入れてみますから」

これがなぜ驚くべきことかというと、遺伝子を外から細胞に送りこんでも、ちゃんとその細胞が取り込んでくれる確率はそんなに高くなく、だいたい数千個のうち1個くらいの割合です。もし遺伝子2個同時であれば取りこまれる確率はもっと低くなる。まして24個なんてできるはずがない。そう考えるのがふつうの生物学研究者です。その点、もともと工学部出身の高橋君はふつうの生物学研究者にはできない発想ができたのだと思います。

実際に24個すべて入れたところ、なんとES細胞に似たものができました。(p.113)


わたしだったら、頭ごなしに確率的に考えてしまい、このような柔軟な発想はできないと思います。24個いっぺんに入れることで、予期せぬ相互作用が生じたのでしょうか。ビジネスの世界では「やってみなけりゃわからない」という言葉をきくことが多いですが、複雑な状況が手詰まりのときには実は有効な選択肢なのかもしれませんね。

そしてもうひとつ、工学部出身にふさわしい秀逸なアイデアが続きます。

24個の中に初期化因子があることは間違いありませんでした。しかし、その中の1個だけではないことも明らかでした。それでは2個か。しかし24個から2個を選ぶ組み合わせの数は24 * 23 ÷ 2で276通りもある。もし3個なら、24 * 23 * 22 ÷ 6で2024通り。こんなにたくさん実験できません。そう考えあぐねていたところ、またしても高橋君が驚くべき提案をしてくれたのです。

「そんなに考えないで、1個ずつ除いていったらええんやないですか」

これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました。24個から1番目の遺伝子を抜いて23個を入れる、次に2番目の遺伝子を抜いた23個を入れるという具合に、1個ずつ抜いていきます。もし本当に重要な遺伝子なら1個欠けても初期化できなくなってしまう。まさにコロンブスの卵のような発想でした。まあ、ぼくも一晩考えれば思いついていたとは思いますが。(p.114)


組合せの回数を減らす取り組みとしては、品質工学(タグチ・メソッド)がよく知られていますが、この高橋さんのアイデアも美しいまでに実学的ですね。個人的な経験を振り返ってみれば、こういうアイデアはいったん頭を冷やした後や第三者からだと出やすいものと感じています。

ところで、新聞を読まないこともあって、山中教授の人となりを知りませんでした。が、本書を読んだかぎりでは、いい意味で普通のおじさんらしい印象を受けました。それほど歳がいっていないせいでしょうか、まだ大きな仕事が残っているとの強い意気込みが感じられる方です。

2012年8月8日水曜日

脊椎動物はひっくり返った昆虫なのだ(動物学者サンティレール)

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少し前にとりあげた本『ビジュアル版 科学の世界』で(過去記事)、逆に考えることで成果を挙げた科学者が二人登場していたのでご紹介します。

有機化学すなわち炭素の科学に真の突破口が切り開かれたのは、1960年代、ハーヴァード大学の教授でノーベル賞も受賞したイライアス・J・コーリーが、「逆合成解析」という手法を考案したときのことだ。この技術は、化学者が大きくて複雑な分子を小さくて手に入りやすい-そして通常はずっと安価な-出発物質から作り出すのに使える、もっとも強力なツールの1つとなった。
この手法は、合成のターゲットとする分子をジグソーパズルのように考えることでうまくいく。ターゲットから逆に考えることによって、一緒に反応させると触媒や反応物の手引きによって組み合わさり、パズルが完成するような構成要素を探し出せるのだ。(p.152)


フランスの動物学者ジョフロワ・サンティレールは、すべての動物が同じ基本的な体制をもつと考えていた。だが昆虫の場合、主要な神経索は内臓の腹側にあるのに対し、脊椎動物の場合、脊椎は背中側にある。それでもサンティレールはひるまず、このことから脊椎動物は基本的にひっくり返った昆虫なのだと推論した! そんなはずはないように思えるが、この考えも最近の発見によって裏づけられている。(中略)脊椎動物は昆虫をひっくり返したものだというサンティレールの奇抜な推測も、正しいことが立証されている。無脊椎動物ではどちら側が腹になるかをきめているホメオティック遺伝子が、脊椎動物ではどちら側が背になるかを決めているのだ。(p.222)


こうして過去をふりかえってみると、逆に考えることで成功した例はいろいろ見つかるものですね。

2012年7月27日金曜日

(問題)逆向きに考えると簡単に解けます

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Yahoo Japanで紹介されていた頭の体操クイズ、よくあるマッチ棒のならびかえ問題です。はじめは直感的に解いてみようとしたものの、どうもうまくいきません。そこで、やっかいな問題を解く秘訣「逆向きに考える」をやってみました。自分で感心してもしょうがないのですが、あっさり解けました。引用元のサイトでは回答も載っていますので、ぜひ逆から解いてみてはいかがでしょうか。

【頭の体操クイズ】マッチ棒を2本動かして、5つの正方形を4つにして下さい


ミッションはいたってシンプル。上の画像に写し出されたマッチ棒16本のうち、2本だけを動かして、5つの正方形を4つの正方形にしてほしい。

ここで守って頂きたいルールは、4つの正方形は「すべて同じ大きさ」でなければならないということ。ひとつの正方形だけ大きかったり、小さかったりしてはダメ。4つの正方形すべてが、同じ大きさでなければならない。またこの他にも、次のルールを守って頂きたい。

1.マッチ棒を重ねてはダメ
2.マッチ棒はすべて正方形の一辺として使わなければならない

「逆向きに考える」ことについては、本ブログでたびたびとりあげています(過去記事の例: チャーリー・マンガーの名言「逆だ、いつでも逆からやるんだ」ダーウィンの「逆ひねり」)。

2012年5月26日土曜日

(問題)国内で飼われている犬の数は?

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ある本を読んでいたところ、次のような問題がでていました。

21世紀になって間もない頃、日本には約1000万匹のワンちゃんがいるという推定結果を厚生労働省が発表した。当然、その算出方法に目を向けたが、ペットショップで売買した犬の総数から求めたのではない。近所で生まれた子犬をもらったり、捨て犬を育てたりする場合なども多分に考えられるので、そのような数では実際の数は把握できない。厚生労働省が推定に用いた数量は×××であった。


さて、いかがでしょうか。わたしの場合、考える前に回答が目に入ってしまったのですが、ヒントは「逆向きに考える」です。答えは次回にご紹介します。なお、インターネットで検索するとあっというまに回答がでてきますので、ご注意ください。