ot

2013年12月30日月曜日

2013年投稿分からのおすすめ十選

2 件のコメント:
今年投稿した記事の中で、個人的に改めてとりあげたいと感じたものを10件選びました。

<投資対象について>

1. 石器時代へあともどり(ウォーレン・バフェット、チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガー「本当に巨額の財産を時とともに築いていくには、よいビジネスに投資してそこから離れないこと。その上で、よい事業をさらに加えていくこと」


2. 世界を変えて、投資で成功する(チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガー「2メートル以上もある柵は飛び越せないと。そうではなく、向こう側に大きな見返りが待っている30cmの柵をさがします」


3. 「最良」の投資家になる方法(ボブ・ロドリゲス)

ボブ・ロドリゲス「(25年間にわたる投資成績が)複利で年率24%増でした。その上乗せ分がなぜ生じたのかを考えると、集中度を高めたことと、他者が感情的になって資金の出入りを決めることに左右されなかったのが原因だと思います」


4. ある投資家が描くチャーリー・マンガー像(4)

某個人投資家「買いの決断を20件や30件も下す場合、それらが正しい上に、ポートフォリオ全体に重大な影響を与えるほどになる確率は、いったいどれぐらいなのだろうか。ポートフォリオのわずか3-5%を占めるために、何ヶ月あるいは何年も時間を費やして企業を研究しなければならないのか」


<投資姿勢について>

5. 隣人のロバをむさぼってはならない(ウォーレン・バフェット)

ウォーレン・バフェット「自分たちがよくわからないものには手を出さないことにしています。そして、他人がうまくやっているからといって妬まない。それですべてです」


6. 2012年度バフェットからの手紙(1)100年間はぐっすり眠れる

ウォーレン・バフェット「ゲームに参加しているのと比べて、参加しないリスクのほうがずっと大きい。チャーリーとわたしはそう確信しています」


<認知心理学>

7. 私たちはいつも幻覚を見ている(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

ラマチャンドラン「私たちは、世界を見るときいつも幻覚を見ている。知覚とは、しばしば断片的かつ短命な入力データにもっともよくあう幻覚を選ぶ行為であるとみなしても、ほとんどさしつかえがないくらいだ」


<生きかた>

8. 他人をしのぐというものではない(ウォーレン・バフェット)

ウォーレン・バフェット「他人をしのぐというものではありません。それよりはむしろ、自分が何をすべきか、どんな種類の人間になりたいかを決めるだけの問題だと思います」


<起業家魂>

9. ウォッカの大瓶を買ってきてあげる(ミセスB)

(若きミセスBの旅立ち)靴底を減らさないように靴を肩に背負い、最寄りの駅まで約30キロの道のりをはだしで歩いた。


<この世の切なさ>

10. いずれ悲惨な時代がまたやってくる(チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガー「悲惨な激動を招くのは、人間が築く文明の本質でしょう。ですから、まったく揺らぎもしない凪ぎの時代が500年もつづくとは思えません」


ここには含んでいませんが、セス・クラーマンによる「安全余裕」の文章の多くは今年のような状況だからこそ、なおさら読むに値すると感じています。

2013年12月28日土曜日

能力のパラドックス(7)最終回(マイケル・モーブッシン)

6 件のコメント:
マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」の7回目、今回でおわりです。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

能力のパラドックスに際して、どうすればよいのか

プロ野球の世界で再び4割打者にお目にかかれることはないかもしれない。スティーブン・ジェイ・グールドの言う「優秀さの広まり」が反映されたのだから、それで良しとしよう。能力が向上することで結果を形成する際に運の役割がいっそう大切になってくるのを、みなさんもさまざまな場所で目撃するだろう。では、それに際してどうすればよいだろうか。以下は私からの3つの提案である。

・能力の大きなばらつきが未だにある領域を見つけること。能力の幅が広い領域において競争するならば、上手な人は下手な人を犠牲にして勝つことができるだろう。

投資はこの例に当てはまる。成熟した市場では、事情に通じた大規模な機関投資家が取引の場を独占している。そこでは有能な参加者がしのぎをけずっており、他に先んじるのはむずかしい。一方、新興の市場では大規模な機関投資家が事情に疎い個人投資家と競い合っている。研究結果が示すところでは、平均してみれば機関投資家が個人投資家を犠牲にして超過利益を得ている。参加者として自分がもっとも有能なのか、いつでも容易に気がつくものではない。バークシャー・ハサウェイの会長兼CEOである著名な投資家ウォーレン・バフェットは、ポーカーになぞらえて指摘している。「ポーカーをやり始めて30分、カモがだれかわからなければ、そういうあなたがカモなのです」。

・絶対的ではなく、相対的に考えること。能力のパラドックスにおいて不可欠なことは、向上した度合いを測定するには絶対的な水準か、あるいは競合と比較するやりかたのどちらでもできるという考えである。たとえば100メートル走のように[他者との]直接的な働きかけがなかったり、運の要素が入らないときは、絶対的な能力こそが問題になる。しかしそうでない場合は相対的な能力で測るべきだ。その重要性は、次のビジネスの例でわかると思う。企業の能力を改善させるために単純な公式を示すベストセラー本は、山ほどある。しかしそれらが的はずれなのは、競合がとりうる行動を考慮していないことだ。ビジネスの結果とは、自己とライバルがとる行動の組み合わせである。もしあらゆる企業が同じ歩調で良くなっていけば、有利になっていく企業など存在しないことになる。

・結果ではなく、プロセスに焦点をあてること。世界的なバイオリン奏者やチェス選手になりたいならば、そういった領域では運がほとんど関与しないので、入念な練習をおよそ1万時間つづける必要がある。ここで決定的なのは、改善後にでてくる結果が自己の能力を示す上で信頼できる指標になることだ。それらの世界でなされるフィードバックが明確であいまいさがないのは、そのためかもしれない。一方、運が役割を果たす領域で競争するのであれば、プロセスつまり意思決定のやりかたに対していっそう焦点をあてるべきで、短期的な成績はそれほど信頼すべきではない。なぜなら、能力と結果をむすぶ直接的な関係が運の良し悪しによって破られるからだ。有能なのにお粗末な結果だったり、能力がないのによい結果となりうるわけだ。カジノでブラックジャックをやる例を考えてほしい。基本戦略では、配られたカードが17のときはヒットせずにスタンドすべしとしている。これは望ましいプロセスで、長い目で見れば最善であることが保証されている。しかしヒットしてディーラーのめくったカードが4だったら、まずいプロセスにもかかわらずその手で勝ちになる。つまり、結果からは能力を明かすことができない。それをできるのはプロセスだけで、だからこそプロセスに焦点をあてるのだ。

最後にもう一言。能力のパラドックスという考えをいったん受け入れたら、運勢に対して冷静でいることが適切だとわかるだろう。勝てるための最善を尽くしたなら、結果がどうであれば納得すべきだ。運が良ければ期待を越える結果になることもあるし、悪ければがっかりな結果におわることもあるだろう。そのようなときにいちばんよいのは、気を取り直して過去のことは忘れてしまい、明日からまた挑戦する心構えをもつことだと思う。

What To Do About the Paradox of Skill

We may never see another .400 hitter in professional baseball. That's alright. It reflects "the spread of excellence," using Stephen Jay Gould's phrase. You'll see skill increasing and luck becoming more important in shaping results in many places that you look. So, what should you do about it? Here are three suggestions:

-> Find realms where the variance of skill is still wide. If you compete in a field where the range of skill is wide, the more skillful will succeed at the expense of the less skillful.

Investing is a good case in point. In developed markets, large and sophisticated institutional investors dominate the trading scene. The skillful players compete with one another and it's hard to gain an edge. In some developing markets, by contrast, large institutions compete with less sophisticated individuals. Research shows that, on average, the institutions earn excess returns at the expense of the individuals. But it's not always easy to know if you're the most skillful player. Warren Buffett, the famous investor and chairman and CEO of Berkshire Hathaway, makes the point in the context of poker: "If you've been playing poker for half an hour and you still don't know who the patsy is, you're the patsy."

-> Think relative, not absolute. Essential to the paradox of skill is the idea that you can measure improvement in skill either on an absolute scale or relative to competitors. In activities where there is no direct interaction or luck - say, a 100-meter dash - absolute skill is all that matters. But when there is interaction and luck, you have to measure relative performance. Here's why this is so important, using business as an example. There are a slew of best-selling books that offer a simple formula for corporate performance improvement. These miss the mark because they fail to consider what competitors may do. Results are a combination of your actions with those of your rivals. If all companies are getting better in lockstep, no company is gaining an edge.

-> Focus on process, not outcome. If you want to become world-class as a violinist or a chess player, areas where little luck is involved, you need roughly 10,000 hours of deliberate practice. What's crucial is that your results, as you improve, will be a reliable indicator of your skill. As a result, feedback in these domains can be clear and unequivocal. If you compete in a field where luck plays a role, you should focus more on the process of how you make decisions and rely less on the short-term outcomes. The reason is that luck breaks the direct link between skill and results - you can be skillful and have a poor outcome and unskillful and have a good outcome. Think of playing blackjack at a casino. Basic strategy says that you should stand - not ask for a hit - if you are dealt a 17. That's the proper process, and ensures that you'll do the best over the long haul. But if you ask for a hit and the dealer flips a 4, you'll have won the hand despite a poor process. The point is that the outcome didn't reveal the skill of the player, only the process did. So focus on process.

One final thought. Once you've embraced the paradox of skill, you'll see that it's appropriate to have an attitude of equanimity toward luck. If you've done everything you can to put yourself in a position to succeed, you should accept whatever results appear. Some days you'll be lucky, and the results will exceed your expectations. Some days the results will be disappointing because of bad luck. The best plan will be to pick yourself up, dust yourself off, and get ready to do it again tomorrow.


「結果ではなく、プロセスに焦点をあてる」、この文章をご紹介したくて今回の話題をとりあげてきました。2013年という1年間を顧みるにふさわしい文章だと、個人的には感じています。

2013年12月26日木曜日

能力のパラドックス(6)(マイケル・モーブッシン)

0 件のコメント:
マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、6回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

投資: 能力ゆえに生じるランダム・ウォーク

投資の世界ほど能力のパラドックスがはっきりしている場所はないだろう。それほどまでに運の要素が重要なので、この業界の本で過去通算でのベストセラーの中に『ウォール街のランダム・ウォーカー』が入っている。しかし、全体としてみたときの投資家が有能ゆえのランダム・ウォークなのだ。企業やアナリスト、政府、メディアによって広められた莫大な情報は、投資家によってすばやく価格へ反映される。技術が進歩したことで、コンピューターの莫大な能力を数値処理に使えるようになった。そして成功による果実は十分に甘いので、最優秀の学生が次々と投資の世界へひきつけられる。

ほとんどの投資会社がやっていることをみれば、むずかしい状況だというのがわかる。同じ情報、最高のコンピューター、頭脳明晰な院卒生と、どこも同じことをしているので、それらで差をつけることはできない。一般的に株価は公になったあらゆる情報を反映するから、新しい情報だけが株価を動かせる。定義上新たな情報を予測することはできないので、株価はランダム・ウォークの形を歩みやすくなる。ランダム・ウォークという筋書きは完全に正しいわけではないが、市場を凌駕することがいかにむずかしいか強調している点はうまく配されている。野球やビジネスと同じように、[投資の世界でも]能力が向上すれば運の要素がより重要になるのだ。

しかし投資が他の領域とまったく異なる重要な観点がひとつある。スポーツを起点に考えてみると、選手の能力は時が経つにつれて人間が有する能力の限界へと近づくことは避けられない。肉体のできることは限られているため、極限に到るわずかな成績向上を勝ちとるのはむずかしい。成績を向上させようとして化学物質に頼る選手がいるのもそのためだ。しかし完全には連続的ではないにせよ、能力は時間と共に向上していく。効率性は良き方向へと磨かれていくのだ。

では、投資とスポーツをくらべてほしい。投資の世界では、効率とは価値と価格が同一であることを意味する。その場合、将来得られる全キャッシュフローの現在価値を株価が正確に反映し、ニュースは迅速的確に取り込まれる。実際のところ、経済学者による多くの実験結果において、一群の投資家が平常時には効率的な価格で取引することが示されている。問題は、投資の世界では状況が常に平常とは限らないことだ。ときには群衆に従った投資家が、価値よりもはるか遠くへと株価を導くこともある。近年に起きた2つの例として、熱狂的なドットコム・バブルが2000年初に頂点に達したことと、すさまじい恐怖によって2009年初めに底をつけたことが挙げられる。そういった状況において市場に勝つことはなおむずかしいが、市場は効率的だと言うように要求されても、それは厳しい注文だろう。

Investing: A Random Walk Because of Skill

Perhaps nowhere is the paradox of skill more evident than in the world of investing. Luck is such a big deal that one of the industry's all-time best-selling books is called A Random Walk Down Wall Street. But it is a random walk only because investors are so collectively skillful. Companies, analysts, the government, and the media disseminate gobs of information that investors quickly incorporate into prices. Advances in technology mean that there is massive computing power available to crunch numbers. And the spoils of success are sufficiently high that many of the best and brightest students are drawn to the investment world.

The challenge is that most investment firms have access to the same information, whiz-bang computers, and sharp graduate students. Those things don't set you apart. Since stock prices generally reflect all of the information that's out there, it's only new information that moves prices. And because by definition you can't predict new information, stock prices tend to follow a random walk. The random walk story is not exactly true, but its emphasis on how hard it is to beat the market is well placed. Similar to baseball and business, as skill increases luck becomes more important.

But in one important respect, investing is quite different than those fields. Take sports as a starting point. As time goes on, the ability of the athletes marches inexorably toward the limit of human performance. That last bit of performance improvement is hard fought because there's only so much a body can do. It's also why some athletes turn to chemicals to enhance their performance. But even if it is not perfectly linear, improvement over time occurs. Efficiency grinds upward.

Now compare sports to investing. In investing, efficiency means that value and price are one and the same. The price of a stock accurately reflects the present value of all of the cash flows in the future and news is rapidly and accurately assimilated. Indeed, economists have done lots of experiments to show that a group of investors will settle on an efficient price under normal conditions. The problem is the conditions are not always normal in investing. From time to time, investors follow one another in a herd, leading to prices that veer far from value. The euphoric dot.com bubble that peaked in early 2000 and the acute fear that created a market low in early 2009 are but two recent examples. In these cases, it's still hard to beat the market but you'd be hard pressed to say that the market is efficient.

2013年12月24日火曜日

能力のパラドックス(5)(マイケル・モーブッシン)

0 件のコメント:
マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、5回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

しかし、問題なのはここからだ。同社にとって筆頭に挙げられる競争相手も同じように在庫回転数に焦点をあて、同時期に5.1回から8.1回へと改善できたのだ。先に挙げた会社は絶対的な成績という意味では強化されたが、相対的な位置づけは後退してしまった。これが能力のパラドックスが教えてくれる教訓のひとつである。競争によって打ち消されてしまうのであれば、絶対的な観点で良くなることは重要ではない。今日の打者は昔とくらべて良くなっているが、それは投手も同じことだ。向上した分は、互いに及ぼし合う影響によって目立たなくなってしまう。同じように、先の小売会社は1994年とくらべて2002年のほうが改善されたが、実のところは最大の競争相手に水をあけられてしまった。

消費財における類似品目間の品質の差異はだんだんと縮小していることが研究によって指摘されている。このことは能力のパラドックスに当てはまるもうひとつの知見と言える。企業が供する製品の品質は過去においては幅広かったので、概して価格が品質の差異を反映していた。たとえば自動車には低価格な手抜き製品がある一方、丹念に製造された高価な車もあった。

時が経つにつれ、品質の差は狭まってきた。その結果、今では顧客は価格と品質を天秤にかけることが少なくなり、その一方で便利さやアフターサービス、店舗の場所といった他の要因を重視するようになってきた。このことは売上げを守る点において運の果たす役割を広げ得る。おそらくビジネスの世界でも野球と同じように能力の分布が引き締まり、運の要素が結果に対して大きな役割を果たすようになってきている。

Here's the problem: the retailer's number one competitor also happened to be focused on inventory turnover and was able to take its ratio from 5.1 times to 8.1 times during the same period. So even as the first retailer strengthened its absolute performance, its relative position weakened. This is one of the lessons of the paradox of skill. Getting better in an absolute sense doesn't matter if it's offset by the competition. Hitters today are much better than they were in the past, but so are the pitchers. The improvement is obscured by the interaction. Likewise, the first retailer was better in 2002 than it was in 1994 but it actually lost ground relative to its prime competitor.

Research has pointed out the variance of quality in consumer goods has narrowed over time, another finding that's consistent with the paradox of skill. In years past, companies offered products across a wide spectrum of quality, and prices by and large reflected that quality gap. For instance, some automobiles were cheap and shoddy, and others were expensive but well made.

Over time, the gap in quality has narrowed. As a consequence, customers now rely less on price-quality trade-offs and more on other variables, including convenience, after-sale service, and store location. This can enhance the role of luck in securing the sale. In business as in baseball, the skill distribution has likely tightened allowing luck to play a growing role in outcomes.

2013年12月22日日曜日

能力のパラドックス(4)(マイケル・モーブッシン)

0 件のコメント:
マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、4回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

ビジネス: 良くなれないということは、悪くなるということ

それでは次はビジネスの世界をみてみよう。ここで大切なのは、運によってビジネスの結果が大きく左右されることを最初に認めることだ。野球では20cmほどの打球の軌跡差が安打とアウトを分けることがあるが、それと同じようにビジネスも無作為に依る影響を大きく受ける。

そのような無作為を産むものはいくつかある。ひとつには、競合が何をたくらんでいるのか知り得ないことがあげられる。企業同士がおだやかに競争することで、業界にとって好ましい結果につながることもある。一方で競争相手が値下げや能力増強といった戦略をとることもあり、その場合には応酬をまねく。自分の計画を知っていても、競合の計画はわからない。経済学の一分野であるゲーム理論では、ゲームに参加する者同士の行動や反応を研究する。しかし競争相手が増えれば、即座に不確実性が増すのだ。

顧客という要素もビジネスにおける無作為の根源である。当然ながら、企業は多大な時間と労力を費やし、顧客の望みや必要なものを当てようとする。しかし新製品の成功率が示すように、それは容易ではない。たとえ企業が競争相手や顧客を解読できたとしても、技術の変化に対応していかなければならない。メディア産業をみれば、新聞やラジオ、テレビ業界においてこの数十年間に起きた変化を正しく予想していた経営陣はいったいどれだけいただろうか。これから先、どこに向かうのかわかる人はいるだろうか。ビジネスも自前の運勢ビンを持っており、そこに入っているカードの数字は幅が広いのだ。

Business: If You're Not Getting Better, You're Getting Worse

Now let's take a look at the business world. It's important to start with the acknowledgement that luck plays a large role in the results for business. Just as in baseball, where the difference between a hit and an out might be six inches of flight trajectory, business has a lot of randomness.

There are a few sources of that randomness. For one, you never know what your competitors are going to do. Sometimes companies compete in an orderly fashion and the outcome is good for the industry. Other times competitors may develop a strategy to drop prices, or add capacity, that forces a reaction. So even if you know what your plans are, you don't know those of your competitors. Game theory is a branch of economics that studies how players act and react to one another, and as you add players to the competition, the unpredictability rises quickly.

Customers are another source of randomness in business. Naturally, companies spend lots of time and effort anticipating what their customers want and need, but the success rate of new products shows that there's no easy way to do so. And even if a company can decipher its competitors and customers, it has to deal with changes based on technology. Consider the media business: how many executives in the newspaper, radio, and television industries properly anticipated the changes of the last couple of decades? Who knows where things are going from here? Business has its own version of the luck jar, and there's a wide range of numbers.

2013年12月20日金曜日

能力のパラドックス(3)(マイケル・モーブッシン)

0 件のコメント:
マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、3回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

最高の能力から最低の能力までの差は、なぜそれほどまでに狭まったのか。2つの要因を以ってすれば、この現象の大部分を説明できる。まずプロ野球が始まった頃は、米国北東部の白人選手しかとらなかった。しかし球界は次第に人種を問わず選手を雇い始めた。その範囲は当初米国内全体からだったが、結局は全世界へと広がった。選手候補者を見いだす場を大幅に広げたのだ。ドミニカ共和国やベネズエラ、日本から来たハングリーな選手は新たな水準の能力を試合の場へもたらしてくれた。もうひとつ確かなのは、1940年代以降には練習内容が大幅に改善され、能力が収束する一因となったことだ。才能豊かな選手を幅広く採用するとともに、研ぎすまされた練習技術が加わることで、より高度で統一的な水準の能力が球界全体にわたって得られるようになった。

能力ビンの釣鐘曲線が次第にやせていくのに対して運勢ビンのほうが同じ形でいることは、能力が広く向上すると結果を決めるうえで運勢がいっそう重要になることを意味する。一般的に選手は昔の時代よりも現在のほうが高い能力を有しているので、成績はますます運だよりになる。このことは他の分野にも同じように及ぶ。

すぐれた理論から導かれる予測は、検証することが可能である。能力のパラドックスが説くところでは、(投手対打者などの)お互いのやりとりによって相殺されることがなく、さらには幸運を必要としない分野においては、絶対的な意味での成績は向上するが、相対的にみた成績は一群にまとまることが当然予想されるとしている。これはまさに水泳や陸上競技においてみられる現象だ。

当然ながら人間の生理的能力には絶対的な限界がある。男性が走る速さには限度があるし、女性が泳ぐすばやさにも限りがある。しかし能力が向上し、そして収束する様子は広くみられる。たとえばオリンピックの男子マラソン競技で、優勝者のタイムは1932年から2012年までに23分短縮された。また1位と20位の時間差も同じ時期に39分から7分半へとちぢまったことが示されている。運勢や相互のやりとりが能力のパラドックスをあいまいにする部分もあるが、それぞれの場合ごとに[能力差を収束させる]主要な要因が存在しているのだ。

Why did the range of skill from the best to the worst narrow so much? Two factors can explain a great deal of the phenomenon. When professional baseball began, it drew only white players from the Northeastern part of the U.S. But over time, the league began recruiting players of all races, from all parts of the U.S., and eventually from all around the world. This greatly expanded the pool of talent. Hungry players from the Dominican Republic, Venezuela, and Japan brought a new level of skill to the game. In addition, training has improved greatly since the 1940s, which has certainly had an effect on this convergence of skills. Combine more access to talented players with sharpened training techniques and you get a higher, and more uniform, level of skill throughout the league.

That the bell curve in the skill jar gets skinnier over time while the bell curve in the luck jar remains the same means that as skill improves for the population, luck becomes more important in determining results. On average, players have greater skill today than they did in years past but their outcomes are more tied to luck. This extends to other realms as well.

A good theory makes predictions that we can test. The paradox of skill says that in fields where there is no offsetting interaction (for example, pitcher versus hitter) and no luck, we should see absolute results improve and relative results cluster. This is precisely what we see in events such as swimming and track and field.

Naturally, human physiology limits absolute performance - a man can run only so fast and a woman can swim only so swiftly. But we see improvement and convergence broadly. For example, the winning time for the men's Olympic marathon dropped by more than 23 minutes from 1932 to 2012. As revealing, the difference between the time for the winner and the man who came in 20th shrunk from 39 minutes to 7.5 minutes over the same period. Luck and interaction can partially obscure the paradox of skill, but the core elements are there in case after case.

2013年12月18日水曜日

能力のパラドックス(2)(マイケル・モーブッシン)

0 件のコメント:
前回からご紹介しているマイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづきです。(日本語は拙訳)

成功を得るためのビン

2つの広口ビンを想像してみよう。片方のビンは能力を、もうひとつは運勢をあらわす。それぞれのビンには数字が印刷されたカードが詰められている。その数字の頻度分布は釣鐘曲線型になる。釣鐘曲線を定義するには平均値と標準偏差の2つが必要だ。釣鐘の頂上から両端へ向けて曲線が対称的に降りていくので、両側には同じ枚数のカードが登場する。標準偏差とは釣鐘の両端部が平均からどれだけ離れているかを測るもので、やせた釣鐘ならば標準偏差の値が小さくなり、太った釣鐘ならば大きくなる。

それぞれのビンに入ったカードの大半は平均値に近い値をとっている。わずかのカードだけが、平均値から離れた値が記されている。能力のビンから1枚、運勢のビンからも1枚とり、それらを加算することで打率を決めよう。つまり、ビンからひいた数字がその人の打撃能力と幸運の度合いをあらわしている。すばらしい選手であってもシーズンによっては不運に終わり、実力以下の打率しか残せないことがある。平均以下の選手が馬鹿ヅキして実力以上の打率を残すこともある。ウィリアムズが残した打率4割6厘のためには、ものすごい能力とすばらしい幸運が必要だ。彼は両方のビンから平均をはるかに上回る数字を引き当てたのだ。

それぞれのビンの数字を足して平均を求めてみよう。まずは運勢ビンから。シーズンを通してみれば、ツイている選手もいれば不運の選手もいる。つまり運勢は平均すればゼロになると考えてよい。一方、能力ビンの平均は全選手の打率の平均値とほぼ等しくなる。これは過去75年間ほどで2割6分から2割7分前後で変動している。能力の平均値が上がらない理由は、たとえ今日の打者が以前より優れていたとしても、打率とは投手と打者の対決結果を示すものだからだ。投打が足並みそろえて改善すれば、打率がそのままでも全体としての能力は急激に向上しうる。投手対打者の腕合戦をながめていると、選手の能力が向上しているのに一定のままでいるような錯覚に陥る。

さて、グールドの重大な洞察とは「能力の標準偏差は次第に小さくなっていく」だった。[能力の]釣鐘曲線において両極端な値が平均へと近づき、太った形からやせた形へ変わる様子を思い浮かべてほしい。つまり運勢の分布がほとんど変わらなくても、打率の標準偏差は次第に減少するということだ。これがまさしくグールドが示したものである。ウィリアムズが偉業を達成した時代、すなわち1940年代の打率の標準偏差は0.0326だった。そして2000年代最初の10年間では0.0274だった。統計的に言えば2011年に打率3割8分を記録することは、70年前にテッド・ウィリアムズが記録した4割6厘に相当する。

The Jars of Success

Imagine two jars, one representing skill and the other luck, that are each filled with cards with numbers printed on them that comprise a bell curve. Bell curves are defined by a mean, or average, and a standard deviation. From the top of the bell, the curve slopes down the sides symmetrically with an equal number of observations on each side. Standard deviation is a measure of how far the sides of the bell curve are from the average. A skinny bell curve has a small standard deviation and a fat bell curve has a large standard deviation.

So most cards in each jar have values at or near the mean, and a few cards are marked with numbers that have values far from the mean. To determine an outcome, you draw one number from the skill jar, one from the luck jar, and add them. Relating this to batting averages, you could say that a player has a certain amount of hitting skill - the number he drew from that jar - and some luck. A great player can have an unlucky season that results in a batting average below his true skill, or a below-average player can enjoy substantial luck and hit at an average that overstates his skill. Hitting .406 as Williams did requires tremendous skill and terrific luck. He drew numbers from both jars that were far above average.

Let's put some numbers to the averages in each jar. Let's start with the luck jar. While for a season some players will have good luck and others bad luck, we can safely assume that luck is zero on average. That says that the average of the skill jar will approximate the batting average for all of the players combined, which has vacillated around .260-.270 in the last 75 years or so. The reason that average skill hasn't gone up, even though the hitters today are better than in the past, is that batting average represents a duel between pitcher and hitter. If pitchers and hitters improve roughly in lockstep, the overall skill can improve sharply even as the batting average remains steady. The arms war (pun intended) between pitchers and hitters creates the illusion of stability even as the players improve.

Here was Gould's crucial insight: the standard deviation of skill has gone down over time. Imagine the bell curve going from being fat to skinny. The extreme values are closer to the average. So even if the luck distribution doesn't change a bit, you should expect to see the standard deviation of batting averages decline over time. And that is precisely what Gould showed. The standard deviation of batting averages was .0326 in the 1940s, when Williams achieved the feat, and was .0274 in the first decade of the 2000s. In statistical terms, hitting .380 in 2011 is the equivalent to the .406 that Ted Williams hit 70 years earlier.

2013年12月16日月曜日

能力のパラドックス(1)(マイケル・モーブッシン)

0 件のコメント:
以前にご紹介したマイケル・モーブッサン(クレディ・スイスのストラテジスト)が書いた新刊の翻訳を待ちつづけていたものの、どうやら(少なくとも)今年はダメなようです[過去記事]。そこで情報がないかさがしていたところ、同書の宣伝材料的な文章を彼が書いていました(掲載サイト: changethis.com)。短めのものですが、数回に分けて全訳をご紹介します。(日本語は拙訳)

The Paradox of Skill - Why Greater Skill Leads to More Luck (PDFファイル)
(能力のパラドックス: 能力が向上するにつれ、ますます幸運頼みになるのはなぜか)

偉大な選手にとっては何のことはない技でも、それを披露する機会を堪能できた。しかし選手全般の能力が改善されてそれらが消滅すると、打率のばらつきは減少せざるを得ない。つまり平均的な成績は、人間が有する可能性の限界へと向かうのだ。(スティーブン・ジェイ・グールド)


さて、能力を向上させるためにどうしたらよいか、あなたもご存じだろう。1万時間の投入、刻苦勉励、入念な訓練、根性、そして周到なる師匠。どれも聞いたことがあるものばかりだ。その一方で、人生におけるさまざまな活動であげた成果は、能力と幸運が組み合わせで達成されたと認識しているだろう。たしかにそのとおり。では多くの場合において能力を向上させるとますます幸運をたよるようになる、と言ったらどう思われるか。そう、能力が向上するほど幸運が不要になるのではなく、いっそう必要になるのだ。スポーツやビジネス、あるいは投資に興味がある人ならば、ここから学べるものがあると思う。

スティーブン・ジェイ・グールドはハーバード大学の名の知れた進化生物学者だったが、野球に関する文章を書くことを好んでいた。ある最上のエッセイでは、「テッド・ウィリアムズが1941年に4割6厘を記録して以来 、なぜメジャーリーグの選手はシーズンを通して4割以上の打率を維持できないのか」について語られている。まずグールドは、よくある説明を検討してみた。ナイターが増えたとか、移動が多いとか、守備が上手くなったとか、リリーフ投手を以前よりも多用するとか。しかしどれも条件を満たさなかった。

そこでグールドはこう考えた。たぶんウィリアムズはある種途方もない選手だったのだろう。彼以前のだれよりも上手く、彼以降のだれよりも上手い選手だと。しかしそれは到底信じられない、彼はそう結論づけた。水泳やランニングのような所要時間を計測するあらゆるスポーツでは、選手の能力は向上してきた。野球選手だって同じで、以前より良くなっているのだ。より速く、より強く、ますます壮健になり、練習内容も進歩している。

では、4割打者が根絶された謎をどうすれば解けるだろうか。いちばんよいのは、単純なモデルを用意して、能力が向上するとますます幸運頼みになるのを示すやり方だ。それがうまく説明できれば、ほかの領域ではどうなるかこのモデルを適用できる。それぞれの分野の登場人物が能力を研ぎ澄ましていたとしても、運勢はますます揺れ動くと判明するだろう。これが能力のパラドックス[逆説]である。

Variation in batting averages must decrease as improving play eliminates the rough edges that great players could exploit, and average performance moves toward the limits of human possibility. - Stephen Jay Gould


Okay, you have gotten the memo on improving skill: 10,000 hours, hard work, deliberate practice, grit, and attentive teacher. We’ve all heard it. you also recognize that in many of life’s activities, the results you achieve combine skill and luck. no debate there. now, what if I told you that in many cases improving skill leads to results that rely more on luck? that’s right. Greater skill doesn’t decrease the dependence on luck, it increases it. If you have an interest in sports, business, or investing, this lesson is for you.

Stephen Jay Gould was a renowned evolutionary biologist at harvard university who loved to write about baseball. one of his best essays was about why no player in Major league Baseball had maintained a batting average of more than .400 for a full season since ted Williams hit .406 in 1941. Gould considered several conventional explanations, including more night games, demanding travel, improved fielding, and more extensive use of relief pitching. none checked out.

Maybe Williams was some sort of freak player, Gould thought, better than all of those who came before him as well as all of those who followed. that’s implausible, he concluded, because in every sport where performance is measured versus a clock, including swimming and running, athletes have improved. Baseball players, too, are better than they were in the past: faster, stronger, more fit, and better trained.

So how do we solve the mystery of the vanishing .400 hitter? the best approach is to set up a simple model that explains how greater skill can lead to a greater reliance on luck. We’ll then apply our model to other realms to see if it explains what we see there. In each case, we’ll see that luck has more sway even as participants hone their skill. It’s the paradox of skill.


ところで「1万時間」と言えば、やはり『究極の鍛錬』を指しているのでしょうか。

2013年12月14日土曜日

1円使うのは1円なくすのと同じ(ウォーレン・バフェット)

0 件のコメント:
ウォーレン・バフェットが1994年にネブラスカ大学でおこなった講演その13です。今回はよく知られた話題で、チャーリー・マンガーとの関係や自家用飛行機について冗談を連発しています。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> バフェットさんが今日飛行機で来ることを、チャーリーが認めてくださったのですか。それとも自動車で来ることになったのでしょうか。

<バフェット> この方は、わたしのパートナーでチャーリー・マンガーという人のことを話題にしています。ちなみに彼のおじいさんはリンカーン[講演が行われている街]で連邦裁判所の判事を務めていました。わたしとは違う時期でしたが、実はチャーリーもわたしのおじいさんの店で働いていたことがあります。彼と出会ったのはずっとあとになってからで、その後わたしのパートナーになってくれました。なんやかんやで何十年間もいっしょにビジネスをつづけてきました。わたしたちの間で意見が異なることはありましたが、口論をしたことはありません。極めて良好な関係がつづいています。チャーリーは若いころにベン・フランクリンにのめりこみ過ぎて、「1円使うのは1円なくすのと同じ」という考えをしています。バスに乗る前にお祈りをするタイプの人なのです。ですからわたしは、飛行機を買ったときに彼の耳にいくぶん残るように「チャールズ・T・マンガー号」と名付けようかと考えました。結局、その代わりにつけた名前は「弁明不能号」です。これはある種の降参したオオカミのようなもので、彼が別のオオカミに負けたときに使えるものです。今日ここには飛行機では来ませんでした。しかし毎晩ドラッグストアに行くときになると、飛んでいこうかどうしようか頭を悩ませています。それだけこの飛行機を気にいっています。飛行機に反対するいろんなスピーチをやったのは、若いころのこのわたしです。しかし反黙示録的と言われるでしょうが、いまでは飛行機にぞっこんです。棺桶の中に持っていくつもりです。

Q. Mr. Buffett, I was just wondering if Charlie authorized the flight over today or did you have to drive?

A. This gentleman is referring to the fact that I have a partner named Charlie Munger, whose grandfather was a Federal Judge in Lincoln. Charlie actually worked in my grandfather's store, but not at the same time I did. I met him later in life and he has become my partner. Charlie and I have been partners in business one way or another for decades. We’ve never had an argument. We have different opinions on things, but we get along extremely well. Charlie overdosed on Ben Franklin early in his life, so he thinks that a penny spent is a penny lost, or something like that. This is the guy who, you know, has a prayer session before he takes the bus and, therefore, when I bought a plane, I was going to put his name - "The Charles T. Munger” - on the plane just to stick it in him a little bit. Instead, I just decided to call the plane "The Indefensible.” And that is sort of like the wolf, you know, baring his throat when he is losing to another wolf! So, I did not fly here today. But it is true - that I contemplate flying to the drug store every night! I’m in love with this plane, and I’m the same person who gave all these speeches against planes in earlier years. Then I had this counter-revelation, as they call it, and now I’ve fallen in love with the plane and it’s going to be buried with me!

2013年12月12日木曜日

中国は活力を失うのか(経済学者ダロン・アセモグル他)

0 件のコメント:
少し前に読んだ本『国家はなぜ衰退するのか』はそれなりに勉強になるところもあったのですが、気鋭の経済学者が書いたせいか、持論を踏まえて大胆な予測を試みている点がひっかかりました。今回引用するのはその話題、「今後の中国がどうなるか」について書かれた文章です。

私たちの理論は、中国に見られるような収奪的政治制度下の成長は持続的成長をもたらさず、いずれ活力を失うことも示唆している。(下巻 p.247)

こんにちの中国の経済制度が30年前とは比べものにならないほど包括的であるにしても、中国の経験は収奪的政治制度下の成長の例だ。近年、中国ではイノヴェーションとテクノロジーに重点が置かれているものの、成長の基盤は創造的破壊ではなく、既存のテクノロジーの利用と急速な投資だ。(下巻 p.250)


この手の本は好んで読むようにしていますが、著者が自説にこだわりすぎないもののほうが個人的には納得しやすいと感じています。以前に挙げたかと思いますが、たとえばキンドルバーガーの『経済大国興亡史』のような書き方には好感をもっています。

2013年12月10日火曜日

手抜きをするのは、裏切りも同然だ(チャーリー・マンガー)

0 件のコメント:
チャーリー・マンガーによる講演『経済学の強みとあやまち』の21回目です。前回のつづきで、心理学を軽んじる話題の締めくくりになります。(日本語は拙訳)

次も同様なものですが、機能不全状態となった経済が回復したラテンアメリカでの奇妙な事例にふれたいと思います。ラテンアメリカのこの一部の地域では、だれもが何でもかんでも盗む習慣が広まっていました。会社のものを着服し、地域で開放されているあらゆるものを盗みました。もちろん、経済活動は事実上停止状態でした。ところがこの問題が解決されたのです。私がこの事例をどこでみつけたと思いますか。ヒントを出しましょう、経済学の論文集ではありません。そうです、心理学の論文集でみつけたのです。頭のいい人たちがおいでになり、いろんな心理的なトリックを使ったことで問題を解決しました。

そのような機能不全状態の経済が回復した見事な事例があり、多くの問題が簡単な技で解決される一方、自分では対処方法もわからず問題も理解できないとしても、経済学者は弁解もしないと思います。専門である経済システムを機能不全から立ち直らせる心理的芸当さえ知らないのに、心理学に対してなぜそれほどまでに無知でいられるのでしょうか。

ここで過激な強制命令を出しましょう。ハード・サイエンスにおける根源的なものを組織化するエートスよりもずっと厳しいですよ。これはサミュエル・ジョンソンの言葉です。彼の発言は実質的にこうです。「もし学術界がわずかの努力で容易に取り除ける無知を抱えたままならば、学術界のその行いは裏切りも同然だ」。彼は「裏切り」という言葉を使っているのです。この文句を私が気に入っている理由は、おわかりだと思います。彼はこう言っているのです。間抜けなところがなるべくないように努める学術界の一員ならば、取り除くことが可能な無知は自分のシステムからできるだけ多く排除する義務があると。

In this vein, I next want to mention a strange Latin American case of a dysfunctional economy that got fixed. In this little subdivision of Latin America, a culture had arisen wherein everybody stole everything. They embezzled from the company, they stole everything that was loose in the community. And of course, the economy came practically to a halt. And this thing got fixed. Now where did I read about this case? I'll give you a hint. It wasn't in the annals of economics. I found this case in the annals of psychology. Clever people went down and used a bunch of psychological tricks. And they fixed it.

Well, I think there's no excuse if you're an economist, when there are wonderful cases like that of the dysfunctional economy becoming fixed, and these simple tricks that solve so many problems, and you don't know how to do the fixes and understand the problems. Why be so ignorant about psychology that you don't even know psychology's tricks that will fix your own dysfunctional economic systems?

Here I want to give you an extreme injunction. This is even tougher than the fundamental organizing ethos of hard science. This has been attributed to Samuel Johnson. He said in substance that if an academic maintains in place an ignorance that can be easily removed with a little work, the conduct of the academic amounts to treachery. That was his word, "treachery." You can see why I love this stuff. He says you have a duty if you're an academic to be as little of a klutz as you can possibly be, and therefore you have got to keep grinding out of your system as much removable ignorance as you can remove.

2013年12月8日日曜日

(回答)そのスロットマシンが特別な理由(チャーリー・マンガー)

4 件のコメント:
チャーリー・マンガーによる講演『経済学の強みとあやまち』の20回目です。前回投稿した問題の回答部分です。(日本語は拙訳)

その台が他とちがうのは、現代的な電子工学によって高い割合でニアミスするように設定されている点です。普通の台とくらべて「BAR = BAR = レモン」や「BAR = BAR = グレープフルーツ」といった目がよく揃うようにしたわけです。これが頻繁にプレイされている原因です。この答えをどうやって求めたかは、心理的な要因を考えれば簡単明白ですね。その台は、打ち手の基本的な心理的反応を呼び起こしているわけです。

心理的要因にはどんなものがあるのかわかっていてチェックリスト形式で頭の中に叩き込まれていれば、リスト中の要因をあたっていくことでやがてはドカンと大当たり。この現象を説明するものにたどり着きます。これ以上効率的にやれる方法はありません。そういった心理的な仕掛けについて学んでいない人には、答えは思い浮かばないのです。百人一首大会に目隠しで出場するような人生をおくりたいなら、ここにいらっしゃるのはなぜでしょうか。腕利きの選手のように成功したいのであれば、心理学も学んだうえで経済学に取り組むということも含めて、それらの心理的性向を習得すべきです。

What’s different about that machine is people have used modern electronics to give a higher ratio of near misses. That machine is going bar, bar, lemon, bar, bar, grapefruit, way more often than normal machines, and that will cause heavier play. How do you get an answer like that? Easy. Obviously, there’s a psychological cause: That machine is doing something to trigger some basic psychological response.

If you know the psychological factors, if you've got them on a checklist in your head, you just run down the factors, and, boom!, you get to one that must explain this occurrence. There isn't any other way to do it effectively. These answers are not going to come to people who don’t learn these mental tricks. If you want to go through life like a one legged man in an ass-kicking contest, why be my guest. But if you want to succeed, like a strong man with two legs, you have to pick up these tricks, including doing economics while knowing psychology.

2013年12月6日金曜日

(問題)そのスロットマシンが特別な理由(チャーリー・マンガー)

6 件のコメント:
チャーリー・マンガーによる講演『経済学の強みとあやまち』の19回目です。チャーリーから「やさしい」問題が出題されています。回答は次回にご紹介します。なお、前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

6) 心理学に対する極端かつ非生産的なほどの無知

それでは6番目の欠陥に進みましょう。経済学では、極端かつ非生産的なまでに心理学に対して関心を持っていません。これは学際主義を軽視している一分野と言えます。ここでひとつ非常に簡単な問題を出しましょう。私は簡単な問題を専門にしているのです。

ラスベガスで小さなカジノをやっているとします。スロットマシンは標準的なものが50台あります。それらは見た目も同じ、機能も同じ、出玉率も同一、当たりの組み合わせも同一と、つまり同じ勝率で動作しています。ところが終業後に勝ち状況を確認すると、ある1台は他の台よりも25%多く[カジノ側の]勝ちを記録していました。50台のうちのどこに配置しても、時をおかずしてそうなります。この説明にはまちがいはありません。さて、この大勝ちする台は他と何がちがうのでしょうか(静寂)。だれかわかりますか。

<ある男性> その台でたくさんの人が勝負するからです。

<マンガー> いやいや、なぜたくさんの人がその台で勝負するのか知りたいのです。

6) Extreme and Counterproductive Psychological Ignorance

All right, I'm down to the sixth main defect, and this is a subdivision of the lack of adequate multidisciplinarity: extreme and counterproductive psychological ignorance in economics. Here I want to give you a very simple problem. I specialize in simple problems.

You own a small casino in Las Vegas. It has fifty standard slot machines. Identical in appearance, they're identical in the function. They have exactly the same payout ratios. The things that cause the payouts are exactly the same. They occur in the same percentages. But there's one machine in this group of slot machines that, no matter where you put it among the fifty, in fairly short order, when you go to the machines at the end of the day, there will be twenty-five more winnings from this one machine than from any other machine. Now surely, I'm not going to have a failure here. What is different about that heavy-winning machine? (Silence) Can anybody do it?

Male: More people play it.

Munger: No, no, I want to know why more people play it.

いつものようにわたしはハズレましたが、この問題は正解する方がたくさんいらっしゃるかもしれません。

2013年12月4日水曜日

割引率の選択(セス・クラーマン)

0 件のコメント:
ファンド・マネージャーのセス・クラーマンの著書『Margin of Safety』からご紹介します。前回からのつづきですが、今回と次回は「割引率」の話題になります。この話題は地味で見送ってしまいがちですが、遠くない将来に振り返りたくなる話題だと感じています。第8章「事業価値の算出という技」(The Art of Business Valuation)からの引用です。(日本語は拙訳)

割引率の選択

現在価値分析を構成するもうひとつの要素である割引率をどう設定するか、投資家が十分に考慮することはめったにない。投資家にとっての割引率とは事実上、現在と将来における金銭価値の差異を埋めるための金利である。将来よりも現在消費することを強く望んだり、不確実な将来よりも確実な現在に信頼をおく投資家は、投資先へ高い割引率を適用するだろう。一方で予測が的中するほうにかける投資家もいて、彼らは低い割引率を採用するだろう。その場合は将来のキャッシュフローに対して、現時点で保有しているのとほとんど差がない価値を与えることになる。

しかし、将来得られる一連のキャッシュフローに適用すべき唯一正しい割引率など存在しないし、それを選ぶための正確な方法もない。ある特定の投資に対する適切な割引率とは、投資家が将来よりも現在の消費をどれだけ重んじるかだけで決まるものではない。他の要因、つまり本人のリスクに対する考え方やその投資対象を検討したことで認識されたリスク、あるいは別の投資候補におけるリターン率にも左右される。

投資家は単純化しすぎる傾向がある。割引率を選定する方法はその典型と言えよう。検討対象の投資先が持つ性質にもかかわらず、万能の割引率として非常に多くの投資家が日常的に使っている値が10%だ。この数字はキリがよくて覚えやすく、そして使いやすいが、場合によってはよい選択だと言えないこともある。

適切な割引率を選ぶ際には、投資から得られる将来のキャッシュフローに関する潜在的なリスクを考慮しておかなければならない。無リスクの短期投資であれば(そのようなものが存在すればだが)、現在流通している財務省短期証券の利率で割り引く必要がある。先にふれたように、この証券は無リスク金利を代用するものとみなされている。対照的に、低級の債券が市場で取引される際には、12%から15%あるいはそれ以上の利率で割り引かれている。これは、キャッシュフローが約束通りに支払われるのか投資家が疑問視していることを反映している。

投資家が将来のキャッシュフローを予測する際には、割引率を保守的に選ぶことは不可欠である。キャッシュフローの時期や規模に左右されるため、割引率が少し変動しただけでも現在価値の計算にかなりの影響を与えかねないからだ。

事業価値は、割引率の変化やそれ以前に金利変動によっても影響される。利率すなわち割引率が固定されていれば、投資価値を決定するのは容易だろう。しかし投資家はそれらが変動する事実を受け入れた上で、金利変動からくるポートフォリオへの影響を抑制できるような対策を講じなければならない。(p.125)

The Choice of a Discount Rate

The other component of present-value analysis, choosing a discount rate, is rarely given sufficient consideration by investors. A discount rate is, in effect, the rate of interest that would make an investor indifferent between present and future dollars. Investors with a strong preference for present over future consumption or with a preference for the certainty of the present to the uncertainty of the future would use a high rate for discounting their investments. Other investors may be more willing to take a chance on forecasts holding true; they would apply a low discount rate, one that makes future cash flows nearly as valuable as today's.

There is no single correct discount rate for a set of future cash flows and no precise way to choose one. The appropriate discount rate for a particular investment depends not only on an investor's preference for present over future consumption but also on his or her own risk profile, on the perceived risk of the investment under consideration, and on the returns available from alternative investments.

Investors tend to oversimplify; the way they choose a discount rate is a good example of this. A great many investors routinely use 10 percent as an all-purpose discount rate regardless of the nature of the investment under consideration. Ten percent is a nice round number, easy to remember and apply, but it is not always a good choice.

The underlying risk of an investment's future cash flows must be considered in choosing the appropriate discount rate for that investment. A short-term, risk-free investment (if one exists) should be discounted at the yield available on short-term U.S. Treasury securities, which, as stated earlier, are considered a proxy for the risk-free interest rate. Low-grade bonds, by contrast, are discounted by the market at rates of 12 to 15 percent or more, reflecting investors' uncertainty that the contractual cash flows will be paid.

It is essential that investors choose discount rates as conservatively as they forecast future cash flows. Depending on the timing and magnitude of the cash flows, even modest differences in the discount rate can have a considerable impact on the present-value calculation.

Business value is influenced by changes in discount rates and therefore by fluctuations in interest rates. While it would be easier to determine the value of investments if interest rates and thus discount rates were constant, investors must accept the fact that they do fluctuate and take what action they can to minimize the effect of interest rate fluctuations on their portfolios.

2013年12月2日月曜日

ロッキー山脈を越えると、そこは大平原だった(ジョン・ギルバート)

0 件のコメント:
中国の金融情勢に関する文章をいろいろ探していたところ、興味をひいたものがあったのでご紹介します。具体的な内容はTwitterの話題から始まって中国の金融不安へと進みますが、今回引用した箇所には中国の内容は含んでいません。個人的には、ときどき登場する風刺の利いた言葉遣いを楽しみながら読みました。(日本語は拙訳)

History Ignored, Again (GR-NEAM) (PDFファイル)

文章を書いているのはGR-NEAMという会社のマネー・マネージャー、ジョン・ギルバートという方です。同社はGeneral Reに買収された資産運用会社なので、バークシャー・ハサウェイの孫会社にあたります。

投資家へばかげたふるまいをするように中央銀行が仕向けていることに対して、幸いにも米国政府で働くあらゆる人が満足しているわけではありません。TwitterのIPOが実施される前には、米国証券取引委員会(SEC)の委員長メアリー・ジョー・ホワイトが、複雑だったり発展中のテクノロジー事業へ投資することに対して警告を発しています。株式市場はそれを無視しましたが、彼女の発言は適切に選ばれたものでした。

これと同じ事態が以前にも発生し、お粗末な結果に終わったものです。ホワイト女史の忠告は、そのような歴史的教訓によって受粉されたのだと思います。Twitterの株式公募が完了した同じ週には、偶然にも別のテクノロジー企業が残念な決算報告を発表しました。その会社はシスコシステムズ(CSCO)、1990年代後半の株式ブームの人気の的だった一社です。2000年代初期のピークにはシスコはめざましい評価を受け、時価総額はおよそ50兆円に達しました。これは、当時あげていた利益の200倍に相当します。しかし、当時のシスコやその同胞は、今日のTwitterと同じように世界を変えるつもりでいました。以下の図1はシスコの株価の道のりで、畏れ多くも「ロッキー山脈の向こうにつづく大平原」パターンをたどっています。


シスコの評価は大幅に縮小しました。現在では利益の11倍に過ぎず、平均的な評価といえます。ここに教訓が残されます。そのような群衆に付き従うのは、経済的な独立を勝ち取ることに対する見事なまでのヘッジになると。いずれは重力に屈するのです。

Happily, not all members of the U.S. government are as pleased as the central bank to induce investors to behave foolishly. On the eve of Twitter's IPO, Mary Jo White, chair of the Securities and Exchange Commission, offered cautionary remarks on investing in complex or inchoate technology businesses. The stock market ignored her, but her comments were well chosen.

We have seen this all before and it ends badly. Ms. White's remarks were presumably pollinated by the lessons of history. By coincidence, in the same week that Twitter completed its offering, another tech firm reported disappointing earnings. That firm was Cisco, which was one of the belles of the stock market boom of the late 1990s. By the peak in early 2000, Cisco was valued at about $500 billion, which was 200 times the company's then earnings. An impressive valuation, also. But back then, Cisco and brethren were going to change the world. Sort of like Twitter today. Chart 1 is Cisco, tracing out the dreaded where-the-Rocky-Mountains-meet-the-Great-Plains stock price pattern.

Cisco's valuation has been decimated, and it trades today at only about 11 times earnings, a rather modest valuation, and a reminder that following such a crowd is an excellent hedge against ever being financially independent. Gravity wins in time.

シスコに限らず、IBMやインテルといった「オールド・テック」の企業は、近年は市場からそれほどよい評価を受けていません。個人的には、投資対象として検討に値する企業群だととらえています。