ot
ラベル 読んだ本 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 読んだ本 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年12月6日土曜日

任天堂岩田社長が亡くなった前年の横顔

0 件のコメント:

 Switch2を今年発売した任天堂、その普及台数が一定数に達するまではビッグタイトルのリリースを控えていると思われます。そして来年には映画マリオ、再来年には映画ゼルダの公開を予定しており、主力タイトルの新作発売はその時期に合わせてくるのでしょう。その意味で、のちに振りかえったときに「2025年は凪ぎの12月だった」と総括されているかもしれません。そこで静かな年の12月6日として、昨年読んだ本『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』から、岩田聡元社長の話題を引用ご紹介します。


著者のレジー・フィサメィ氏はアメリカ任天堂でCEOを務めていた人物です。ドンキーコングを思わせる風貌をしたレジーは任天堂ダイレクトやE3といったメディアで、生前の岩田社長と息の合った共演をみせていたのが記憶に残る好漢です。本書では、あまり恵まれていない家庭に生まれながらも、前向きに考えて行動し、信念そして他者との接し方を大切にしつづけた結果、世界最大のゲーム市場において任天堂の歴史的成功(Wii, DS, Switch)に大きく寄与した半生が、颯爽と語られています。


今回ご紹介する文章は、病気で苦しんでいたころの岩田さんの身辺を記したものです。岩田さんらしさをうまく切り取ってくれています。


8時半ぴったりに岩田氏のアシスタントが来て、彼の部屋に通された。このとき岩田氏は社長の在任期間が10年を優に超えていたが、先代の3人が使っていた正式な大きな社長室に移ることはなかった。彼が好んだのは、12人を収容できるくらいの長方形の会議室の上座に机が置かれた、もっとシンプルな部屋だ。他にもプレゼンテーションや開発中のビデオゲームを見たりするために、2台の大きなテレビスクリーンが置かれ、キャビネットは本やビデオゲーム、ゲームのアクセサリーやコントローラーであふれている。会社の社長室というよりは、ゲームクリエイターの部屋と言ったほうがいい。(p.15)


岩田氏が最初にガンの診断を受けて、最初の手術を行ったのは2014年夏のことだ。彼がまだ入院中に、私は世界戦略会議に出席するため日本に行くことになった。せっかく出張で行くのだから、岩田氏に見舞いに伺っていいですかと尋ねてみた。メールでやり取りする際、彼は「結構です。日本ではそういうことはしない。ビジネスパートナーは互いに病院を見舞うことはないから」と返事をしてきた。だが私は行くと言って聞かなかった。夏が終わってからはしばらく日本に戻る予定がないので、会いに行きたいと説明した。彼がどんな容態なのか知りたかったのだ。


岩田氏は来なくていいと押し通し、「レジー、会社から私を見舞いに来た人はいない」と再び書いて寄こした。私はビジネスの用件で訪問するつもりはない。こう返事を送った。「失礼ながらミスター・イワタ、私はNOA[Nintendo of America]の社長としてではなく、友人としてあなたを見舞いたいのです」


この最後の一押しによって、彼は笑って折れてくれた。そう思いたい。私に根負けしたと悟ったときに、彼はかすかに笑みを漏らしたものだ。彼は態度を和らげて、見舞いを許可してくれた。


この旅を手配してくれたのは古川俊太郎氏で、彼はその後任天堂の第6代社長となる。このとき古川氏は企業戦略の代表で、京都で岩田氏の右腕として活動していた。古川氏はヨーロッパで数年過ごしていたから英語はペラペラだ。古川氏は私をホテルに迎えに来て、岩田氏の病室に案内してくれた。病院までの車中で、古川氏は私の訪問がどれほど異例であるか念を押した。ほんの数日前まで、岩田氏は任天堂からの誰の見舞いも許可しなかったそうだ。私は見舞いをすると決まってから、彼は態度を和らげてその2日前には、会社からの他の見舞い客も受け入れていた。


岩田氏は私の見舞いをすごく喜んでくれた。彼の奥さんと娘さんもそこに居合わせていた。ビジネスパートナーの見舞いというよりも、友人のプライベートな見舞いとして迎えてくれたわけだから、私は嬉しかった。(p.23)

2025年11月9日日曜日

おちょことバケツ(『新・バフェットの教訓』より)

0 件のコメント:

メアリー・バフェットなる人物らが著した本として、本書『新・バフェットの教訓』の以前の版は、過去に刊行されて流通してきました。その改訂版である本書を少し前に読んでみましたが、新味のある内容はこれといって目につきませんでした(節穴かもしれません)。そのためウォーレン・バフェットのことを継続的に観察してきた方々が、あえて手にとる類の本ではないと感じています。


そうは言いつつも、反省復習しながら一読できました。以下に引用した文は、経済や株式市場が現在のような状況にあるからこそ、(個人的に)心に刻んでおきたいと感じた言葉3つです。


 No. 12

我々にとって最高なことが起きるのは、

偉大な会社が一時的なトラブルに見舞われたとき……。

我々が買いたいのは、

手術台に横たわっているときの優良企業だ


No. 29

好機は稀にしか訪れない。

空から黄金が降ってきたときは、

おちょこではなくバケツで受け止めなさい


No. 31

株式市場とは、

忍耐力の低いものから高いものへ金[かね]を移転する装置である


2024年10月4日金曜日

緑の散歩道と科学(『物理学者のすごい思考法』より)

0 件のコメント:

本書『物理学者のすごい思考法』を読んで強く印象に残ったのは、実は前回の奥義開陳ではなく、今回引用する文章のほうでした。「緑の散歩道と科学」という詩的な題名がつけられたエッセイのなかで、著者の橋本さんは植物に関する美学的な疑問を、最終的には物理学的な観点に還元して解決しています(実際には解決ではなく答え合わせですが)。これは本ブログでたびたび取り上げているチャーリー・マンガーが主張する、「学問分野を根源性の観点によって順序付け、その順序に従って適用する」、言いかえれば根本原理へとさかのぼって問題解決をはかる好例です。以下に引用します。


朝の散歩は心地いい。散歩道のほとりには、色々な花が咲いている。黄色い花やピンクの花。綺麗だな、と眺めているうち、ふと思った。なぜ僕は花を綺麗だと思うのだろう。(中略)


花には様々な色がある。そうか、花が目立つのは、葉っぱが全部緑でつまらないからなのではないか。そうに違いない。(中略)


なぜ、すべての葉っぱは緑なのか?
答えはもちろん、中学校の理科で学んだように、植物は光合成でエネルギーを作り出すのであり、光合成を行うのは、葉っぱの中にある葉緑体だからである。
ここで注意すべきは、光の反射の性質である。物が緑色に見えるという時には、実はその物は、他の色の光を吸収しているのだ。これも中学校の理科で学ぶのだが、太陽の光は、赤や青、緑、といった様々な色の光が重なっていて、全部で白くなっている。その光が葉っぱに当たった時、赤や青が葉っぱに吸収されて、緑だけが吸収されない。だから、緑の光だけが反射されて、葉っぱは緑色に見えるのだ。葉緑体は、もっぱら、赤や青といった、緑ではない色の光を吸収して光合成をしているのだ。 それではなぜ、植物は緑色の光を吸収しないのだろうか?(中略)


有力な解を思いつかず、足を速めて、自宅へ直行した。(中略)急いでパソコンを開き、検索してみた。すると、日本の大学の研究成果のプレスリリースがいくつか見つかった。
僕は仰天した。答えは、僕の専門の物理学に帰着するからだ。その生物学的研究では、植物が緑色の光を吸収しないのは、太陽からの様々な色の光のうち緑色の光が強すぎるからだ、と主張されていた。つまり、あまりにも光を吸収しすぎるとダメージがあるため、最も強い緑色の光はなるべく吸収しない仕組みになっているという。 この説を信用するとすれば、原因は太陽の光の構成にある、ということになる。実は、太陽の光は「黒体輻射」と呼ばれるルールで構成されている。黒体輻射は温度だけで決まる光だ。太陽の表面温度はおよそ6000度だと習った記憶がある。手元のメモ用紙で計算する。黒体輻射の数式に表面温度を代入し、最も強い光の波長を計算すると、約500ナノメートル。おお、これは、緑色を示す波長ではないか! (p.208)



橋本さん自身が2つの根源的学問(数学と物理学)の使い手であることが、この問題を解決する大きな要因だったのは、まちがいありません。そして彼は前回の投稿で示していたように「自分の専門性で解決できる問題に落とし込む」ことをこころがけていました。つまり橋本さんは、チャーリー・マンガー的問題解決をするのにもってこいの人物だったといえます。


だからといってあらゆる事象や問題を把握解決する際に、かならずしも物理学までさかのぼる必要はないでしょう。もっとソフトな応用科学、たとえば工学や統計学や進化生物学や心理学や化学あるいは算数といった分野でみられるモデルが役立つことも多いでしょう。ただし、そういった分野でとりあげられているモデルを学んで試して咀嚼して身につける場合でも、それなりの時間がかかるものです。そうであっても、学問を実用的な知恵として使いこなしたいと願う人にとっては、楽しみながら取り組める時間になると思います。著者の橋本さんも実践しているように、チャーリーの教えを実践する道に終わりはなさそうです。「根源的学問分野すべてにおける真に基礎的な部分を、流暢に使いこなせるまで実際に練習し、そして日常的に使うこと」。


(なお可視光線スペクトルの画像は、東邦大学理学部生物分子科学科のwebサイトからお借りしました)

2024年9月30日月曜日

物理学的思考法の奥義(『物理学者のすごい思考法』より)

0 件のコメント:

科学者の思考プロセスを参考にしたいという思いは常々抱いています。今回は『物理学者のすごい思考法』という本を通読しました。本書の著者は橋本幸士さんという方で、京都大学大学院理学研究科に所属し、素粒子物理学の分野で教授をなさっておられます。本書に至ったきっかけは、youtube上のPIVOTというチャンネルで科学系映像をいくつか視聴していた折に、彼の登場する映像に出くわしたことでした。


本書で取り上げている話題は全般として、「すごい思考法」という題名が示唆するおおげさなものではなく、ほのぼのした楽しめるものばかりです。日々の生活におけるさまざまな局面を、いかにも理系の研究者らしい視点で切り取っています。とりあげられている話題の例としては、餃子の包み方、漢字の対称性、建築家やアーティストに共通する原点、研究室にある黒板の効用、バーベキュー大会での提灯などがあります。


今回の投稿でご紹介するのは「物理学者の思考法の奥義」という話題です。こちらも「奥義」とは銘打っていますが、仰々しいものではありません。科学的な手法や問題解決の手法としては、一般に仮説演繹法(仮説・検証)が知られています。この「奥義」も本質的にはその範疇におさまるものだと受けとめており、容易に理解できる思考法です。それではどこが「奥義」なのかといえば、「理論物理学者が、日常的な研究活動を通じて使いやすい形に特殊化簡略化していった」手作り的な側面がある点なのかもしれません。そして著者も記しているように、この思考法は日常的な思考や問題解決の際にも使いやすい、簡潔で強力なプロセスだと思います。


[p.77から始まる話題]
科学の進歩の背後には、科学者独特の思考法が存在しているのだ。


これは奥義と言えるものかもしれないと僕は思っている。というのは、大学の物理学の講義においても、特に思考法についての講義はなされず、物理の各論が教育されるだけだからである。僕もこれをどなたかの先生に習った記憶はない。


大学院に入り自分で研究論文を書くようになって、初めてその奥義を自分で検討し始めた。まずは門前の小僧のように、先輩や先生たちが研究するスタイルを見ながら開発したのだ。


ここで、物理学的思考法の奥義を惜しげなく披露しよう。物理学の手法は、4つのステップからなると考える。問題の抽出、定義の明確化、論理による演繹、予言。この4つのステップをフォローし思考することで、物理学の研究が進んでいく。


冒頭の満員バスについての会話は、この物理学的思考法にのっとった問題解決なのだ。すなわち、この思考法は物理学の研究だけではなく、日常のあらゆる場面で有用になりうるのだ。(中略)


[本来冒頭部に位置している、前ふりとなる話]
物理学会にて、友人と僕との会話。
友人「この会場行きのバス、何人乗っとんねん、もうギューギューで死ぬで」
しばらくの沈黙ののち、僕はこう答えた。
「有効数字1桁で60人」
しばらくの沈黙ののち、友人はこう言った。
「明日は25分早くバス停に来よ」(中略)


(奥義その1) 問題の抽出、の巻
問題は一般に多種多様であるため、適切な問題を抽出せねばならない。抽出のための知恵として、多くの問題を一度に解決できるような問題にすることや、自分の専門性で解決できる問題に落とし込む、というものがある。


例えば冒頭の友人の発言においては、「死ぬで」の部分は医学部に任せ、「ギューギュー」という表現は文学部に任せてしまう。理学部向けに抽出された問題は「バス1台に人間を詰め込んだ場合、何人入るか。有効数字1桁で答えよ」となる。


(奥義その2) 定義の明確化、の巻
問題に存在する曖昧な表現が科学を阻害するため、適切な定義が必要である。定義のための知恵として、常識にとらわれず、かつ常軌を逸さない程度の定義が必要であること、そして自分の専門分野(理学部の場合は計算)での解決を容易にする定義にする、というものがある。


例えば冒頭の友人の発言においては、「バス」は「3 * 10 * 2メートルの直方体」と定義する。「人」は「質量70キログラムの水でできた球」と定義する。すると、友人の発言の理学部語への翻訳は「3 * 10 * 2メートルの直方体に質量70キログラムの水の球を詰め込んだ場合、球は何個入るか。有効数字1桁で答えよ」となる。


(奥義その3) 論理による演繹、の巻
問題が定義されれば、あとはそれを解くのみである。ここにコツはない。ひたすら、執念でその問題を解く。自分の専門性が大いに発揮される瞬間である。僕は友人が問題を出した30秒後、有効数字1桁で60個の球が入るとの計算結果を頭の中で得た。その計算方法をここに長々と得意げに述べるのは、浅はかである。


(奥義その4) 予言、の巻
物理学で最も重要であるのは、理論による予言と実証である。予言は、自分の計算や理論に基づき、かつ、それを実際の実験や観測によって実証できて理論の正当性がチェックできるものが望ましい。


最後の友人の発言「明日は25分早くバス停に来よ」は、もちろん予言である。友人の頭の中には、僕の計算結果である60人という数字と、学会会場に集まる物理学会会員の数、そしてバスが何分おきに発車しているか、という数字が組み合わさっていたはずである。


友人の最後の発言の後、僕はニヤリとした。僕の頭の中では、32分という答えが出ており、それと友人の答えはおおよそ一致していたからだ。


(つづきます)

2024年9月20日金曜日

やあ、お若いの(『良い戦略、悪い戦略』より)

0 件のコメント:

前回の投稿につづいて、『良い戦略、悪い戦略』から最後の引用です。買収の是非をめぐって昨今話題となっている会社といえば、USスチール社です。その同社の創業者だったアンドリュー・カーネギーにまつわる話が本書でとりあげられているので、ご紹介します。文末にかけて余韻を残す文章です。


「1890年のこと、ピッツバーグでカクテルパーティーが催され、カーネギーを始め大勢の名士や有名人が招待された。カーネギーは部屋の片隅で葉巻をくゆらせていたが、そこにはひっきりなしに人々が挨拶に行ったものだ。やがて誰かがカーネギーにフレデリック・テイラーを紹介した。のちに"科学的管理法の父"として知られるようになる人物だが、当時はまだ売り出し中のコンサルタントである。


『やあ、お若いの』とカーネギーはうさんくさそうに若者に一瞥をくれて言った。『君が経営について聞くに値することを言ったら、1万ドルの小切手を送ってやろう』。


1890年の1万ドルは、ものすごい金額だ。このやりとりに、近くにいた人々は耳をそばだてた。 テイラーは臆せず答えた。『あなたにできる重要なことを10項目列挙したリストを作ることをおすすめします。リストができあがったら、1番目の項目から実行してください』。 この話には後日談がある。1週間後にテイラーは、1万ドルの小切手を受け取ったのだ」(p.342)


リストあるいはチェックリストについては、本サイトでたびたび取り上げてきました。そのなかでもチャーリー・マンガーがその効用を強く説いているさまざまな文章は、再読する価値があります。またウォーレン・バフェットによるリストの活用法はカーネギー版をいわば拡張したものであり、こちらのほうが使い勝手がよいかもしれません。それらの過去記事へのリンクは次のとおりです。


反証と知恵とチェックリスト(チャーリー・マンガー)
ウォーレン・バフェットの時間管理術(GuruFocus記事より)


なおInflation Calculatorを使って計算すると、1890年の1万ドルの価値は、2024年の50万ドルほどに相当します。たしかに面識のない人物に支払うには、ものすごい金額だと言っても大げさではないでしょう。

2024年9月17日火曜日

持続可能な競争優位性(『良い戦略、悪い戦略』より)

0 件のコメント:

本書の話題をつづけるのは理由があって、このサイトで取り上げている各種の主題と親和性が高いと感じているからです。例によって、これは好ましい情報です。見識ある別々の人物が同じ方向を向いた主張をする場合、それらが重要である確率はより高く見積もれるからです。


今回引用する文章は、ウォーレン・バフェットもしばしばとりあげる「持続可能な競争優位」についてです。これは本書の著者が戦略として取り組むべき要素の一つとしてあげているだけでなく、投資家が企業価値を評価する上でも重要性の高い概念です。以下の引用部では、その概念をかたちづくる基本原理を簡潔に述べて、アップルの実例を一連の文章で説明しています。また、それとは別に第12章では、競争優位に関する話題を興味深く展開しています。


ウォーレン・バフェットも「持続可能な競争優位」を基準に企業を評価すると述べている。 競争優位の基本的な定義はきわめて明快である。競争相手より低いコストで生産できるとき、競争相手より高い価値を提供できるとき、あるいはその両方ができるとき、競争優位があると言う。ただし、コストは製品や用途によってちがってくるし、顧客も所在地、知識、好みなどがまちまちである。その点に気づくと、競争優位の定義は明快とは言えなくなってくる。(中略)


加えて、「持続可能」という言葉がじつに微妙である。優位性が持続可能であるためには、競争相手に容易にまねされないこと(模倣困難性)が条件になる。より正確に言えば、優位性を生み出すリソースをまねされないことが重要だ。そのためには、いわゆる「隔離メカニズム」を持つことが必要になる。たとえば、一定期間の独占を可能にする特許は、その最もわかりやすい例である。より複雑な隔離メカニズムとしては、評判、取引関係や人脈、ネットワーク効果、規模の経済、暗黙知や熟練技能などが挙げられる。


たとえばアップルのiPhone事業は、ブランド力、評判、iTunesの補完的なサービス、専用アプリなどによるネットワーク効果によって守られている。どれも経営陣が巧みに形成してきたものであり、持続可能な競争優位を確立するプログラムに組み込まれている。競争相手にとっては対抗しうるリソースを妥当なコストで得るのがむずかしいという点で、これらのリソースは稀少資源と言えよう。(p.219)


(参考記事) 投資先企業を見極める基準「競争優位性」とは


(つづきます)

2024年9月13日金曜日

遠い将来を予見する必要はない(『良い戦略、悪い戦略』より)

0 件のコメント:

前回の投稿につづいて、『良い戦略、悪い戦略』からさらに3か所を引用します。これらの内容を知っておけば、実際に同書を読まなくても、戦略というものを的確に検討把握しやすくなると思います。まずは、戦略を立案する際に意識すべき構造についてです。


良い戦略には、しっかりした論理構造がある。私はこれを「カーネル(核)」と呼んでいる。戦略のカーネルは、診断、基本方針、行動の3つの要素で構成される。状況を診断して問題点を明らかにし、それにどう対処するかを基本方針として示す。これは道しるべのようなもので、方向は示すがこまかい道順は教えない。この基本方針の下で意思統一を図り、リソースを投入し、一貫した行動をとる。(p.11)

次の2つは、良い戦略を立てる際に役立つ汎用的なテクニックです。なお、その反対に個別の事情や状況によって取り組みの是非を検討すべき各種の方策も、本書では実例を踏まえながら、ふんだんに説明されています。


新しい戦略は、科学の言葉で言えば、「仮説」である。そして仮説の実行は「実験」に相当する。実験結果が判明したら、有能な経営者は何がうまくいき何がうまくいかないかを学習し、戦略を軌道修正する。(p.318)

戦略的になるということは、近視眼的な見方をなくすということである。逆にいえば、ライバルより広い視野を持つことである。同業者や競争相手が何をしているか、何をしていないか、つねに認識していなければならない。だからと言って遠い将来を予見する必要はない。あくまでも事実に基づいて、産業構造やトレンド、競争相手の行動や反応、自社の能力やリソースを観察し、自分の先入観や思い込みをなくしていく。そう、戦略的であるとは、近視眼的だった自分から脱皮することだと言えよう。(p.345)

参考までに、本書で実例として取り上げられている組織には、以下のようなものがあります。 アップル、米軍(第一次湾岸戦争)、ウォルマート、エンロン、(国防総省の)DARPA、DEC、スターバックス、IKEA、シスコ(Cisco)、コンチネンタル航空、AT&T、GM。そして目下大評判のNVIDIAについては、1章分を費やして説明しています。


(さらにつづきます)

2024年9月11日水曜日

戦略とはなにか(『良い戦略、悪い戦略』より)

0 件のコメント:

『良い戦略、悪い戦略』(2012年初版)という本を読みました。本書は、事業における「戦略」という概念に興味をもっている人に、強くおすすめしたい一冊です。つまり、実際に戦略を立てて指揮をする人だけでなく、そのような人物あるいは戦略を実行する組織を評価する人(たとえば株式投資家)も得るものが多い著作だと思います。


本書を通読する前には、そもそも「戦略」という言葉の本来的な意味を把握できていないと自覚していました。わかったようでいてわかっていない、漠然とした状態でした。たとえば組織の最上位だけでなく、それを構成するさまざまな階層や機能単位において「戦略」という言葉が用いられていることは認識しているものの、それが適切なのか判然としないまま、通り過ごしてきました。そして、その疑問を積極的に解消しようと行動することもありませんでした。


ところが最近になって『戦略の要諦』という本(同じ著者による新刊)が評判になっている記事を目にしました。装丁に目をやると「ミッション、パーパスは無意味である」という一文。これは奮った文句だと感じました。というのも最近の企業経営の説明において、ミッションやパーパスといった言葉をぽつぽつとみかけるようになってきたからです。ただし、その内容は個人的にはなかなか心に響いてこず、もてあましていたところでした。それを「無意味」と一刀両断してくれる著者ならば、戦略について明快に説明してくれるかもしれない。そう考えたことで心機一転でき、さらには同書の前に発表された著作があることを知り、急がば回れで本書を手に取ることにしました。


本書のなかから今回引用するのは、戦略という言葉を端的に説明した最重要な文章です。


戦略を野心やリーダーシップの表現とはきちがえたり、戦略とビジョンやプランニングを同一視したりする人が多いが、どれも正しくない。戦略策定の肝は、つねに同じである。直面する状況の中から死活的に重要な要素を見つける。そして、企業であればそこに経営資源、すなわちヒト、モノ、カネそして行動を集中させる方法を考えることである。(p.4)

たとえば産業界では、大半の買収や合併、高価な新しい施設・設備への投資、重要なサプライヤーやクライアントとの交渉、大きな組織の設計などはすべて「戦略的」とされる。だが戦略で重要なのは、意思決定を下す人の地位ではない。戦略とは、組織の存亡に関わるような重大な課題や困難に対して立てられるものであり、それらと無関係に立てられた目標とは異なる。戦略とは、そうした重大な課題に取り組むための分析や構想や行動指針の集合体と考えればよい。(p.10)

もうひとつ、おまけの文章です。


がんばることは人生において大事ではあるが、「最後のひとふんばり」をひたすら要求するだけのリーダーは能がない。リーダーの仕事は、効果的にがんばれるような状況を作り出すことであり、努力する価値のある戦略を立てることである。(p.71)

(次回につづきます)

2018年12月24日月曜日

いつ買い始めればよいのか(後)(ハワード・マークス)

0 件のコメント:
前回の投稿のつづきで、ハワード・マークスによる「証券の買いどき」の説明です。『市場サイクルを極める 勝率を高める王道の投資哲学』からの引用文です。

だが、真意はこうなのではないか。「(とりわけ下げどまる前に買うこと、そして市場の状態が良くないことに)恐怖を感じるから、相場が底に達して混乱が収まり、先行き不透明感がなくなるまで待とう」。だが、これまで述べてきたことから、もうすっかりおわかりではないかと思うのだが、混乱が収まり、投資家の気持ちが落ち着いたころには、バーゲンは終わっているのだ。

オークツリーでは、底に達するまでは買わない、という考え方を徹底的に排除している。

・第一に、いつ底に達したのかを知る方法などない。ネオンサインが光って知らせてくれるわけではないのだ。その時点を過ぎてからでなければ、底に達したと認識することはできない。回復が始まる前の日というのが底の定義だからである。したがって、当然のように事後でなければ認識できない。

・第二に、欲しい資産を最大限に買うことができるのは、だいたいにおいて相場が下落しているときだ。ナイフを掴もうとしない市場参加者が傍観している間に、降伏した売り手から買うのである。だが、ひとたび相場が底に達して下げどまると、当然のように売り手はほとんどいなくなる。そして、その後の反騰の時期には買い手が優勢となる。売り物は枯渇し、買い志望者は競争の激化に直面するのである。

(中略)

確実性と精度を重視する方針に基づいて実施されるであろう他の多くの投資行動の場合と同じく、底打ちするのを待ってから買いはじめるのは非常に典型的な愚行である。では、底値に狙いを定めるのが間違いだというのなら、一体いつ買えばよいのか。答えは単純明快だ。価格が本質的価値を下回ったときである。価格が下がりつづけている場合はどうなのか。さらにお買い得になっているであろうから、買い増せばよい。したがって、最終的に成功を収めるために必要なのは、(1)本質的価値を推計すること、(2)初志貫徹するための精神的な強さを身につけること、(3)結果的に本質的価値の推計が正しかったと判明すること、の三つに尽きる。(p. 316)

上の引用文には重大な注意点があります。「価格が本源的価値を下回ったとき」が買いどきだとしていますが、ハワード・マークス氏自身が本書全般で触れているように、下落中の価格はさらに下落し続ける可能性が十分に考えられる点です。その方向性に対する感覚を学べるのが本書であり、それこそが本書の持つ最大の価値ですから、上記引用の字面だけをとらえて行動に移すのは早計だと思われます。

また価格下落については、高名な2人のバリュー投資家が教示してくれた言葉を以下の過去記事でご紹介しています。

3割下がっても、油断は禁物(セス・クラーマン)
「いずれ来たる下落を見やった投資家3名の言葉」中の、チャーリー・マンガーの言葉

2018年12月23日日曜日

いつ買い始めればよいのか(前)(ハワード・マークス)

0 件のコメント:
ハワード・マークスの新刊『市場サイクルを極める 勝率を高める王道の投資哲学』を読了しました。「市場サイクル」という言葉をみるとわかりきったことに思えるかもしれませんが、内容にはもっと奥行きがあり、新たに学べることのある一冊でした。ベテランの持つ知恵や業界的な話題もあり、中級以上の投資家の方にとっても一読する価値はあると思います。

本書では市場における価格変動サイクルの話にとどまらず、そのサイクルを構成する主要成分としていくつかのサブ・サイクルをあげています。そしてそれぞれについて事実や経験をもとに著者自身の見解を説明しています。具体的には、景気サイクル、企業収益サイクル、投資家自身の心理的サイクル、リスク管理面でのサイクル、信用サイクルなどです。これは言い換えれば、「市場価格の変動サイクルは、それらサブ・サイクルの合成や相互作用によって生じる」となります。この見解は本書の中核をなすもので、たしかに勉強になりました。その上でさらに参考になったのは、「個々のサブ・サイクル要因がどのようなベクトルを有しているかを考慮すべきだ」と示唆している点です。各サブ・サイクルの位相はある程度そろいやすいと思いますが、そうならないときに、世間一般とは違う自分独自の判断をくだす基盤となってくれる見方だと感じました。

さて、同書から今回引用する文章は、彼が率いるファンドであるオークツリーが投資に踏み切るタイミングについてです。個人的には、本書を読んで得られた即物的な大きな成果のひとつでした。今回は前半部だけ引用し、後半部は次回の投稿で取り上げます。残された後半の内容がどのようなものなのか、どうぞ想像してみてください。

2008年終盤の情勢を振り返っているところだが、このあたりで投資家が市場の底へと向かっている時期に、そして市場の底でどう振る舞うのかについて、話しておきたい。

そもそも底とは何か。サイクルの中で最も価格が低くなったところである。つまり底は、パニックに陥った資産保有者の最後の一人が資産を売った日、あるいは買い手よりも売り手が優勢だった最後の日と考えることができる。理由はさておき、価格が下がった最後の日であり、一番下に達した日である(もちろん、このような表現はかなり誇張されている。「底」や「頂点」といった言葉が表すのはたった1日ではなく、ある程度の期間だ。したがって「最後の日」と表現するのは、言葉のあやみたいなものである)。底を起点として価格は上昇する。それは、降伏し、売りに動く資産保有者がもはや存在しないから、あるいは売り手の売りたいという気持ちよりも、買い手の買いたいという気持ちがまさったから、である。

そこで次に出てくる疑問は「いつ買いはじめればよいのか?」である。以前の章で「落下するナイフ」という表現を用いたが、これは非常に重要な概念を表している。相場が滝のような勢いで下落しているとき、投資家はしばしば「落下するナイフを掴もうとはしない」という言葉を耳にするかもしれない。別の言い方をすると、「下落トレンドが続いていて、いつ歯止めがかかるかは知りようがない。底に達したと確信できるまで買わなくてよいのではないか」である。(p. 315)

(つづく)

2018年9月20日木曜日

ミクロがわかってもマクロがわかるとは言えない(『次なる金融危機』)

0 件のコメント:
次なる金融危機』という本を読みました。本書の主張をまとめると、「家計部門や企業(除金融)部門の債務が、GDPと比較して高い割合へ上昇するほどに、経済危機を招きやすく、かつ回復も遅れる」というものでした。主流の経済学派からは大きく逸れた見解らしいですが、一市民としての感覚からすれば納得できる仮説だと感じました。なお同書の著者は、過剰債務がみられる国として中国などを挙げ、大きな揺り返しがやってくること必至と予測しています。

その本題とは別に、同書から今回ご紹介するのはハード・サイエンス関連の話題です。本ブログで取り上げる話題のひとつに、「ものごとを分析する際には還元的に捉えよ」というものがあります。その「還元的分析」に関して注意をうながすような文章がありましたので、引用します。

以上のようなわけで、ミクロ経済学からマクロ経済学を導くことはできない。だが、だからといって、ブランシャールが言うように、広く受け容れられてきた分析的マクロ経済学の核心、つまりその検討と展開の場が、夢想かもしれないことを意味しない。すべての経済学者が賛成する基礎から出発して、マクロ経済学を導き出す道が存在するのだ。だが、実際にその道を進むには、これまで主流派が避けてきた考え--複雑性を受け容れねばならない。

高い層の現象を低い層のシステムから直接的に推定するのは不可能だという発見は、今では純正な科学では共通の認識だ。それが複雑なシステムにおける、いわゆる「創発(エマージェンス)だ。 [参考記事]

ひとつの複雑システムの支配的な諸性質は、考えられた単独の要素の性質よりも、むしろ要素の相互作用に由来する。(中略)

(マクロ経済学のような)高いレベルの現象は(ミクロ経済学のような)低いレベルの現象から導き出され得るし、また導き出されねばならない、という信念の誤りについては、1972年--ルーカスが講演するよりも前に--ノーベル物理学賞受賞者のフィリップ・アンダーソンがつぎのように述べていた。

「この種の考えの主な誤りは、還元主義的な仮説が決して『構築主義的』な仮説を意味しないことだ。あらゆる事柄を単純な法則に還元できる能力は、そうした法則から出発して宇宙を再構築する能力を意味しない」

アンダーソンは、物理学で、とくに「ミクロ」から「マクロ」へと延ばす(外挿する)態度を排斥した。そうした排斥が素粒子の振る舞いにあてはまるならば、人間の行動にはどれほど多く応用されねばならないのだろうか。

「素粒子の大きな複雑な集合体の振る舞いは、少数の粒子の性質の単純な外挿として理解されるべきではない、ということが分かる。そうではなくて、複雑性のそれぞれのレベルにおいて、新しい性質が現れるのだ。だから、新しい振る舞いの理解には、他の場合と同じように、その性質について私が基本的と思う研究を必要とする」

アンダーソンは、科学には階層が存在するという考えをすすんで受け容れた。つまり、諸科学をほぼ直線的に階層として配列できるというわけだ。その着想に従えば、「科学Xの基本的存在は、科学Yの法則に従う」(表1を参照)。しかし、彼は、X欄のどの科学もY欄の相当する科学の応用版として扱えるという考えを排斥した。

表1
XY
固体物理学もしくは多体物理学素粒子物理学
化学多体物理学
分子生物学化学
細胞生物学分子生物学
......
心理学生物学
社会科学心理学

「だが、この階層は、科学Xは『単なる応用Y』を意味するのではない。各段階でまったく新しい法則、考え、一般化を要する。それにはインスピレーションや創造性が、前段階と同じ程度に必要だ。心理学は応用生物学ではなく、生物学は化学の応用ではない」(p. 28)

なお本書の主張は冒頭に示したとおりですし、引用文を読まれてお気づきと思われますが、本書を読むために自腹で購入する必要はないと思います。あくまでも個人的な意見ですが。

2018年8月28日火曜日

(問題)なぜリスは周囲に危険を告げるのか(『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』)

0 件のコメント:
少し前の投稿で取りあげた『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』の文章から、もう1点ご紹介します。今回の内容はリスの生態に関するパラドックス的な問題です。この手の問題を解くには該当分野におけるミクロな専門知識が欠かせないと考えがちですが、例によってチャーリー・マンガー的な取り組みをすれば、きれいに答えを出せるかもしれません。次回の投稿で解答部をご紹介しますので、どうぞお考えになってください。

なお私自身の成績ですが、あいにく今回はよく考えずに文章を読み進めてしまったので、0点です。もったいない読書の仕方だと反省しました。

事象についての当初の解釈が間違っているかもしれない例を一つだけ挙げよう。開けた土地に住むジリス(地上生活をするリス)のいくつかの種にとっては、2種類の捕食者がいる。スピードに任せて空中から襲ってくるタカと、地上でこっそりと忍び寄って襲ってくるアナグマだ。リスが捕食者を察知すると、二つの防御方式のいずれかを選ぶ(もう擬人的な言い方をしている)。アナグマを察知すると、巣穴の入り口まで戻って直立姿勢を維持する。アナグマはその姿勢を見て、リスはそのアナグマを察知しているので、襲っても時間とエネルギーの無駄だということを知る。タカを察知したときは、直近の遮蔽物に向かってまっしぐらに走る。リスは2種類の警戒音も出す。アナグマの場合は、粗い、かたかたという音を立て、タカの場合は、高い、ぴーいーという音を出す。近辺の他のリスはこの音を聞いて、アナグマ警報なら巣穴に戻り、タカ警報なら遮蔽物に向かって走る。人はまずあたりまえのように、リスは声をかけ合って、要するに「注意しろ、あたりにアナグマがいるぞ、巣に戻った方がいい」とか「あっ、タカだ、そこから逃げろ」とかのことを言っているのだと思うものだ。しかしそうなのだろうか。

捕食者を察知しての個々のリスの行動が示すように、いずれのリスも、関心は自らの身を守ることにある。実際、進化論はそうならざるをえないことを言う。リスは知り合いの運命を気にしてはいられないだろう。しかしリスの警戒音が意味を持つ情報を伝えるとすれば--リス語で「アナグマだ」とか「タカだ」と声を上げているとすれば--パラドックスにぶつかる。淘汰で有利になるのは、黙ってこそこそと逃げて、他のお人好しが食べられるようにするリスの方だろう。声を上げる集団の中の声を上げない個体が淘汰では有利で、そういうリスが自分の遺伝子を伝える。しかしそれではすぐに、声を上げないリスばかりの集団になるはずだ。声を上げる本能はどこから生じるのか。(p. 463)

2018年8月16日木曜日

人類の余命(『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』)

0 件のコメント:
最近読み終えた本『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』は、個人的には引きこまれてしまう類の本で、全編をとおして楽しんで読めました。本書では、異星人(本書では地球外文明、ETCと記す)の存在を裏付ける現実的証拠がまだみつからない理由について、さまざまな分野からあげられた説明を科学的かつわかりやすく再構成しています。また14年前に刊行された邦訳の増補改訂版ということで、新しい科学的発見や知見が盛り込まれています。さらには、それぞれの理由に対して著者自身の見解が付け加えられています。話題は物理学にとどまらず、ハードサイエンスの各部門(地球科学、生物学、化学)や数学そしてSF小説に及んでおり、そういった専門用語の訳文の正確さも十分だと感じました(単純な校正モレは散見されます)。ただし「人類や地球生物の未来は、多難で暗いものである」と繰り返し説明されるので、心配が募りやすい方にはお勧めできません。

今回ご紹介するのは、本書で取り上げられていた思考法についてです。この「デルタt論法」と呼ばれる思考法は単純ながらも強力で、読んでいて感心の一言でした。ただし個人的に感銘を受けた点は、この論法自体や具体的な効力ではなく、ものごとを形而上的にとらえてモデリングする能力のほうです。

1969年、学生時代のリチャード・ゴットはベルリンの壁を訪れた。休暇でヨーロッパ旅行をしている途中で、ベルリンの壁を見に行くのも予定の一つだった。その前にはたとえば4000年前にできたストーン・ヘンジを見て、それにふさわしい感動を得た。ベルリンの壁を見たとき、この冷戦の産物はストーンヘンジほど長い間立っているのだろうとかと思った。冷戦時代の外交戦略の詳細に通じ、両陣営の相対的な経済力・軍事力を知る立場にあった政治家なら、根拠のある推定をしたかもしれない(政治家の実績から判断すれば、それは間違っていただろうが)。ゴットにはそんな専門知識はなかったが、次のような推論をした。

まず、自分がいるのは、壁が存続している間のランダムな時点だ。壁が築かれる(1961年)のを見ているのではなく、壁が壊されるのを見ているのでもない(今は1989年にそうなったことはわかっているが)。ただ休暇でそこにいただけだ。したがって、壁が立っている期間を4つに分けたまん中の2つ分の間に壁を見ている可能性が50パーセントだと推論を進めた。自分がその期間の最初にいるなら、壁は寿命の4分の1の間存在しており、まだ4分の3の寿命が残っていることになる。言い換えると、壁はこれから、すでに存在している期間の3倍の期間続くことになる。自分がそこにいるのが同じ期間の最後だとしたら、すでに寿命の4分の3が経過しており、残りは4分の1だけとなる。言い換えると、壁がこれから存在しつづけるのは、これまで存在してきた期間の3分の1だけだということだ。ゴットが見たときの壁は、できて8年だった。そこで1969年夏のゴットは、壁はあと2年と3分の2(8*1/3)から24年(8*3)立っている可能性が50パーセントあると予想した。あのテレビの劇的な映像を見た人なら思い出すように、壁が壊されたのは、ゴットが訪れてから20年後のことだった--予測の範囲内に収まる。(中略)


物理学で予測をするときは、50パーセントの可能性ではなく、95パーセントの可能性で考えるのが標準となる。ゴットの論法はそのまま使えるが、数字が少し変わる。自分が何かの事物を見ていることに特別のことがない場合、その事物はその時点での年齢の39分の1から39倍の間続く可能性が95パーセントある。(p. 276)

デルタt論法を使ってコンクリートの壁や人間関係の寿命を推定するのは楽しいが、それはもっとゆゆきしきことの推定にも使える。ホモ・サピエンスの余命だ。人類は誕生して17万5000年ほど。ゴットの規則を適用すると、人類の残りの寿命はおよそ4500年から680万年である可能性が95パーセント。それからすると、人類の寿命は18万年ないし700万年程度ということになる(哺乳類に属する種の平均寿命は200万年ほどと言われる。いちばん近い近縁種のネアンデルタール人は20万年だったらしい。やはりヒト科に属し、人類の直接の祖先かもしれないホモ・エレクトゥスは、140万年続いたかもしれない。するとゴットの推定は、種の寿命についても、確かにおおよそは正しいと言える)。(p. 278)

蛇足ですが、この手の話題を進めると「地球外への移住」にも行きつきますが、そこで思い当たるのはやはりイーロン・マスクです(過去記事)。最近は欠点が目立つようになってきましたが、新たな世界を切り開けるのは彼のような変人だろう、と個人的には考えています。「世界を動かすのは凡人であり、世界を変えるのは変人である」というのが私の持論です。なお「変人」という言葉に語弊を感じられる方は、「神経発達症を強く有している者」と読みかえてください。

2018年7月20日金曜日

ヨーロッパが豊かになった理由(『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』)

0 件のコメント:
中世までは世界の片田舎でしかなかった西欧が世界の中心部へと躍進した理由は、人文科学の領域でたびたび取り上げられる主題です。少し前の投稿でとりあげた本『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』でも、単純ながらも強力な説明をしていたので、引用してご紹介します。

この時代、科学と技術の面ではアラブ人がはるかに先を行っており、西洋ではほぼ忘れ去られていたギリシャ哲学を生かし続けたのもアラブ人だった。

同時期に、経済的にも文化的にも繁栄した中国を支配していたのは宋王朝だった。法治と高い経済的な自由のおかげで、イノベーションの気運が生まれた。中国人は活字や火薬や羅針盤を使っていた--これは1620年という時期になっても、三大発明としてフランシス・ベーコンが挙げたものだ。

でも14世紀に中国を支配した明王朝は、技術や外国人に敵対した。海洋航海を死罪にして、世界を発見したかもしれない大型船を焼き払った。同様に、イスラム世界は13世紀の蒙古侵略のあとで内向きとなり、科学と近代化の多くの発想を粛清した。オスマン帝国では新技術は阻害され、印刷術は300年も遅れてしまい、タキ・アッディンが1577年に作ったイスタンブールの近代的な天文台は、たった3年しか続かずに、その後は神をスパイしようとしているといって破壊されてしまった。

別にヨーロッパの列強がマシだったわけではない。ヨーロッパのエリート層もまた新しいアイデアやイノベーションに反対した。でもこの大陸はあまりに断片化していた--地理的にも政治的にも言語的にも--おかげで、何か一つの集団や皇帝がそのすべてを支配はできなかった。著書『ヨーロッパの奇跡』でエリック・ジョーンズは、14世紀にはヨーロッパに1,000以上の政治単位があったと述べている。この複数主義はある意味で、競合する国民国家の体系を構築したときにもまだ残っていたといえる。新しい理論や発明、ビジネスモデルは必ずどこかでは生き延びられたし、その優位性を実証できた。それが他の人々に模倣されて、広まる。進歩は常に命綱を得られたというわけだ。

つまりヨーロッパを豊かにしたのは、優れた思想家や発明家や企業ではなく、ヨーロッパのエリート層がそれを邪魔するのにあまり成功しなかったという事実なのだった。アイデア、技術、資本は国から国へと移動できたので、国はお互いに競争して学び合うしかなく、お互いを近代化へと押しやった。これはいまのグローバリゼーションの時代と少し似ている。(p. 302)

2018年7月8日日曜日

人類の未来が暗く思える理由(『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』)

0 件のコメント:
以前にご紹介したマット・リドレーの著作『進化は万能である』では、さまざまな社会的側面が進化的に発展してきた現実を取りあげていました(過去記事)。最近は「社会における進歩を正しく見つめよう」とする気風が高まっているのでしょうか、ビル・ゲイツも少し前から「鮮度の高い事実」を的確に認識した上で、現代社会が果たしてきた進歩の実態を啓蒙しようとしているようです(その一例)。それと似たような趣旨の本を少し前に読んだので、印象に残った一連の文章をご紹介します。

同書の邦題は『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』、黄色のカバーのポップなデザインからは軽い内容を予期させますが、実際の本文に浮わついたところはありません。参考文献から集めた事実を連ねて、社会がいかほどに発展してきたのか、いくつかのテーマに沿って堅実に文章を書き進めています。個人的には例によって100%鵜呑みにできるとは考えませんが、いくぶん割り引いたとしても、現代社会がどのような高みに位置するのかを把握するのにふさわしい一冊だと思います。

今回引用するのは、本書の「おわりに」に含まれている文章です。「なぜ人々は暗い未来を思い描いているのか」について説明しています。本来であれば巻頭で触れるべき内容だと思いますが、あえて後段に回したものと想像します。

人々は一般に、私が本書で示したような希望に満ちた世界観を持っていないと考えてまちがいない。イギリス、オーストラリア、カナダ、アメリカの回答者の54パーセントは、今後100年でいまの生活様式が崩れる危険性は、50パーセント以上だと答えている。4分の1近くは、人類が絶滅する危険性が50パーセント以上だと述べている。(中略)

こうした想定は、しばしばメディアにより形成される。メディアは世界についてのある特定の見方を強調し、ドラマチックで驚くものばかりに注目する。そうした話はほぼまちがいなく戦争、殺人、自然災害といった悪いニュースだ。(中略)

多くのジャーナリストや編集者はこの傾向を知っている。アメリカの公共ラジオジャーナリストであるエリック・ワイナー曰く「正直いって、とんでもなく不幸な場所に暮らす、不幸な人々の話は人気が出るんです」。(p. 287)

たぶん、人は心配するようにできている。例外に関心がある。新しいこと、不思議なこと、予想外のことに気がつく。それが自然だ。通常の日常的な出来事は、いちいち説明して理解するまでもない。でも例外は理解する必要がある。(中略)

私たちが危険なものすべてにとても興味があるのは、それに興味を示さなかった人はとっくに死んでいるからだ。建物が火事なら、すぐにそれを知る必要がある。そしてその火事がテレビに映っているだけでも、多少は興味を惹く。幾重もの抽象化と感覚鈍化の下で、安全なソファにすわってテレビを見ているときでも、人の石器時代の脳が多少のストレスホルモンとアドレナリンを分泌するのだ。

スティーブン・ピンカーは、世界が実際よりひどいと思わせる心理的バイアスを3つ挙げている。(中略)

第3のバイアスは、人生がもっと単純でよかったされる黄金時代に対するノスタルジーだ。文化史家アーサー・ハーマンはこう洞察している。「過去も現在もほとんどあらゆる文化は、いまの男女は両親やご先祖の基準に達していないと信じている」。(中略)

私が人々に理想の時代について尋ね、世界史上で最も調和がとれて幸せだった時代はいつだと思うか尋ねると、驚くほど多くの人々は、自分が育った時代を挙げる。だからベビーブームの人々は、1950年代をなつかしがる。(p. 296)

現代に生きる人間にはそういったバイアスがあることを承知した上で、本題の内容をもう一か所引用します。「第4章 貧困」からの文章です。

なぜ貧困な人がいるのだろうか?
これは質問がまちがっている。
貧困についての説明は不要だ。というのもそれは万人の出発点だからだ。貧困は、富を創り出すまでの状態のことだ。最も豊かな国ですら、先祖たちの生活がいかに劣悪なものだったかを人々はつい忘れてしまう。フランスのような国で受け入れられていた貧困の定義はとても簡単だった。もう1日生き延びられるだけのパンを買えるなら、その人は貧困ではない。(中略)

アドリア海のぺスカラという、要塞と兵舎を持ち、特に貧しいというわけでもない町について、1564年に調査が行われている。それによると、町の世帯の4分の3は掘っ建て小屋に住んでいた。裕福なジェノアでは、貧民たちは冬ごとにガレー船の奴隷として自分を売った。パリでは最貧民たちは対になって鎖でつながれ、排水溝を掃除するというつらい仕事をやらされた。イギリスでは、貧困者は救済を受けるために作業小屋で働かざるを得ず、そこでは長時間労働をやらされ、ほとんど無賃だった。犬や馬や牛の骨を肥料用に砕く作業をやらされた人々もいるが、1845年に作業小屋の査察で、腹の減った貧民たちは腐りかけの骨をめぐって争い、その骨髄を吸い出そうとしていたことが示されている。(p. 95)

2018年6月24日日曜日

妥当な価格で優良企業を買うためのチェックリスト(GuruFocus創業者)

2 件のコメント:
コメント欄でリュウジさんがご紹介くださった本『とびきり良い会社をほどよい価格で買う方法』を少し前に読みました。投資で利益をあげるにはさまざまなやりかたがあると思いますが、本書ではあくまでもひとつのやりかたにこだわっています。題名が示すように「とびきり良い会社をほどよい価格で買う」、これだけに焦点を当てて平均以上の成績をあげるための戦術論全般を説明しています。対象読者としては「株式投資中級者」を想定しているようです。チャーリー・マンガー的な信条をそのまま掲げている点には感心しましたが、あとは本書のやりかたで望む成果をあげられるかどうかですね。

さて本書から今回引用するのは、p. 197に掲載されている「妥当な価格で優良企業を買うためのチェックリスト」です。これは完全無欠なものではないですし、状況によって要否が変わることもあるでしょう。しかし「あくまでもひな形として参考にし、個々人が吟味発展させる」という意味では、役に立つと思います(たとえば日本企業を評価する場合には、このままでは適用しにくい)。なによりも明文化され、リスト化されていることに意義があります。

なお、訳語「優良企業」に対応する原語は"Good companies"のようです。妥当な訳出だと思いますが、念のため記しました。

妥当な価格で優良企業を買うためのチェックリスト

1. 私はこの事業を理解しているか。

2. 企業を守る経営上の堀があるおかげで、今後5年から10年間、同じか類似した製品を売り続けることができるか。

3. この業界は変化が激しいか。

4. この企業には多様な顧客基盤があるか。

5. 固定資産が少ない事業か。

6. 景気循環に大きく影響される業界か。

7. この企業にはまだ成長の余地があるか。

8. 過去10年間、好景気のときも不景気のときも常に利益を出し続けてきたか。

9. 営業利益率は安定して2桁を維持しているか。

10. 利益率は競合他社よりも高いか。

11. 15%以上のROIC(投下資本利益率)を過去10年にわたって維持しているか。

12. 一貫して2桁の成長率で、売上高と利益を伸ばしてきたか。

13. 財務基盤がしっかりしているか。

14. 経営陣は自社株をかなり保有しているか。

15. 経営陣の収入は似た規模の他社と比べてどうか。

16. インサイダーはこの企業の株式を買っているか。

17. 内在価値やPER(株価収益率)で測った株価は妥当か。

18. 歴史的に見て、現在のバリュエーションはどうか。

19. これまでの不況期に株価はどうだったか。

20. 自分の調査にどれくらいの自信があるか。

著者であるチャーリー・ティエン氏が触れているように、上記のリストには投資界の達人たちが示した教えが取り入れられているので、たとえばフィル・フィッシャーの15項目と似たものがあります。ただし上記のリストは定量化しやすい項目ばかりになっているのが特徴的です(本書内で解説あり)。もちろんそれは、著者が運営する投資サイトGuruFocusで定量的評価ツールを提供していることの裏返しでもあるでしょう。しかし、閾値を厳密に定める評価には長短があることを承知していれば、「達人の教えをなるべく定量的に実践試行しつづける」ことでも、相応の成果をあげられると思います。

2017年11月8日水曜日

歩き出せば口実は浮かぶ(『かくて行動経済学は生まれり』)

0 件のコメント:
先日取り上げた『かくて行動経済学は生まれり』から、今回は「逃げる」話題について2点ご紹介します。ひとつめは「日常生活における逃げ」についてです。エイモス・トヴェルスキーに関する話です。

ものを頼まれたら(パーティーに行く、スピーチをする、何かを手伝うなど)、たとえそのときは承諾しようと思っても、すぐに返事をするべきではないと、エイモスはよく言っていた。考える時間を1日とるだけで、前の日には引き受けようと思っていた誘いの多くを断りたくなることに、きっと驚くはずだ。これと一緒に編み出したのが、ある場所から逃げ出すための方法だ。退屈な会議やカクテルパーティーにつかまってしまって、そこから逃げ出す口実が思い浮かばないことはよくある。だがエイモスは、どんな集まりであれ、帰りたいと思ったら立ち上がり、そこから離れることをルールとしていた。歩き始めてしまえばいくらでもアイデアは浮かび、口実がすらすらと出てくると彼は言う。(p. 221)

もうひとつは、本ブログで何度か取り上げているテーマ「虐殺からの逃亡」についてです。こちらはダニエル・カーネマンが子供だった頃の逸話です。

その後、彼らは命を守るためにまた町を離れ、コートダジュールのカーニュ・シュル・メールへ向かった。そこはあるフランス軍の大佐が所有している場所だった。それから数か月間、ダニエルはその狭い地域から出ることはなかった。彼は本とともに時間を過ごした。『80日間世界一周』を何度も何度も読み、イギリスのすべてのもの、特に主人公のフィリアス・フォッグに夢中になった。フランス人大佐が残していった本棚には、ヴェルダンの塹壕戦についてのレポートがぎっしり詰まっていて、ダニエルはそれもすべて読んだ。(中略)

ヴィシー政府と、報奨金目当ての人々の協力で、ドイツは前より簡単にユダヤ人狩りができるようになった。ダニエルの父は糖尿病を患っていたが、治療を受けるほうが、病気を放置するよりも危険だった。そしてふたたび彼らは逃亡した。はじめはホテルに滞在していたが、とうとう鶏舎に逃げ込んだ。その鶏舎は、リモージュ郊外の小さな村の酒場の裏にあった。そこにはドイツ兵はいなかった。いたのは民兵団だけだ。彼らはドイツに協力してユダヤ人を捕まえ、フランスのレジスタンスを根絶やしにするのに手を貸していた。

父親がどうやってその場所を見つけたのかダニエルにはわからなかったが、ロレアルの創始者が関わっていたのは間違いないだろう。会社から食料がずっと送られていたからだ。両親は部屋の真ん中に仕切りを立て、ダニエルと姉が多少のプライバシーを保てるようにしてくれたが、鶏舎はそもそも人が住むところではない。冬が寒さが厳しく、ドアが凍って開かなくなった。姉はコンロの上で寝ようとして服を焦がした。(p. 57)

2017年10月28日土曜日

『かくて行動経済学は生まれり』(マイケル・ルイス)

2 件のコメント:
『マネー・ボール』の著者マイケル・ルイスの新しい翻訳書『かくて行動経済学は生まれり』を読みました。『マネー・ボール』でデータに基づく意思決定を取り上げた彼は、本書では人間が意思決定を行う際の矛盾に焦点を移し、昨今よく取りあげられている行動経済学の大家ダニエル・カーネマン(過去記事)と、その研究パートナーだった人物エイモス・トヴェルスキーが歩んだ学者人生や兵役生活、研究成果などをたどっています。

おもしろさという点ではマネー・ボールのほうが上をいくと思いますが、本書には評価したい側面があります。「二人の天才を取りあげたこと」は言うまでもありませんが、「天才同士の協調がどのように進められるのかを描いたこと」がそうです。「天才同士が協調して物事にあたる過程や、そこから生まれるもの」については大いに興味がありました。その典型が、ウォーレン・バフェットとチャーリー・マンガーの協調によってバークシャー・ハサウェイが大きく発展した件です。その意味で本書は、予想外のうれしい一冊でした。

今回は、これからお読みになる方の楽しみを損なわない程度に、一部をご紹介します。最初に引用するのは、エイモス・トヴェルスキーの天才ぶりに触れた箇所です。

「(前略)彼は物理学のことを何も知らないのに、道端で物理学者に出会って30分話すだけで、物理学について、その物理学者が知らないことを話すことができた。わたしは最初、彼をきわめて底の浅い人物だと思った。つまり表面をごまかしてとりつくろっているだけなのだと。でもそれは間違いだった。ごまかしなんかじゃなかったんだ」(p. 111)

*

エイモスの科学のあり方は、少しずつ積み上げていくというものではなかった」とリッチ・ゴンザレスは言う。「一気に飛躍して進む。既存の理論的枠組みを見つけ、その一般命題を見つける。そしてそれをぶち壊すんだ。彼自身も否定的なスタイルで科学をしていると思っていた。実際、彼は否定的という言葉をよく使った」。それがエイモスのやり方だった。他人の間違いを指摘してやり直す。そしてそのうちに、他にも間違いがあったことがわかるのだ。(p. 127)

次の引用は、さまざまなヒューリスティック(代表性や利用可能性といった、経験を踏まえて判断すること)によって、人があやまった予測をする過程を取り上げた箇所です。この種の話題は、本ブログでも何度か取り上げています。

どんな状況でも、不確実性の程度を判断するさい、人は"無言のうちに憶測"をすると彼らは述べている。「たとえばある企業の利益を予測するときは、その会社がふつうの操業状態であることを前提として推測をする」と、彼らのメモにある。「人はその条件が戦争やサボタージュ、不況、あるいはライバル会社の倒産などで、劇的に変化する可能性を考えない」。ここには明らかに、もう一つの間違いの原因がある。人は自分がわかっていないことをわかっていないというだけでなく、自分たちの無知を判断材料として考慮しようとしないのだ。(p. 216)

*

現実の生活で遭遇する多くの複雑な問題、たとえばエジプトがイスラエルに侵攻するかどうか、あるいは夫が他の女のもとに走るかどうかといった問題を前にしたとき、人は頭の中でシナリオを組み立てる。そしてわたしたちが記憶をもとにつくりあげた物語が、確率の計算に取って代わってしまうのだ。「説得力のあるシナリオができると、将来を予測する思考が制限される可能性が高い」と、ダニエルとエイモスは書いている。「不確実な状況がいったんある形で知覚、解釈されると、他の形で見ることは難しくなる」

しかし自分でつくりあげた物語は、材料の利用可能性によってバイアスがかけられている。彼らは「未来のイメージは過去の経験からつくられる」と書いた。これは歴史の重要性についてのサンタヤーナの有名な言葉、「過去を覚えていられない者は、それを繰り返すそしりを受ける」の逆をいくものだ。過去についての記憶が、将来についての判断を歪めかねないと、彼らは言っているのだ。「われわれはよく、ある結果が生じる可能性はほとんど、あるいは絶対にないという判断をくだすが、それはその結果を引き起こす原因となる一連の出来事を想像できないからだ。欠陥は、わたしたちの想像力にある」(p. 219)

備考です。ナシーム・ニコラス・タレブは、想像力を発揮して未来を予測することの難しさについて触れていました。そして、エクスポージャーを予測するほうが容易だとしています(過去記事)。カーネマンのような先達がみつけた知見を踏まえた上での洞察でしょうから、参考にすべき見解だと受け止めています。

2017年10月2日月曜日

カモになりたきゃ、ニュースを聴け(ナシーム・ニコラス・タレブ)

0 件のコメント:
ナシーム・ニコラス・タレブの『反脆弱性』から、これが最後の引用です。シグナルとノイズの話題です。

科学では、ノイズとは実際の「音」以外にも使われる一般的な概念であり、求めている情報を理解するために取り除く必要のある、何の役にも立たないランダムな情報を指す。(中略)

ビジネスや経済の意思決定では、データ依存は強烈な副作用をもたらす。現代では、縦横無尽なネットワークのおかげでデータは山ほどある。そして、データ漬けになればなるほど、偽の情報の割合も大きくなる。めったに話題にならないが、データにはひとつの性質がある。大量なデータは有害なのだ。いや、ほどほどの量でも。(中略)

データに触れれば触れるほど、「信号」と呼ばれる貴重な情報よりも、ノイズに触れる可能性は不釣り合いに高まっていく。ノイズ対信号比が高くなるわけだ。それに、心理的な混乱ではなく、データそのものに潜む混乱もある。たとえば、情報を年1回確認するとしよう。株価でも、義父の工場の肥料の売上でも、ウラジオストクのインフレ指数でもいい。仮に、年単位でみると、情報の信号対ノイズ比がおよそ1対1(ノイズと信号が半分ずつ)だとする。つまり、変化のおよそ半分は本当の改善や悪化で、残りの半分はランダムな変化ということだ。年1回の観察ではこの比率だが、同じデータを日単位で見ると、ノイズが95パーセントで信号が5パーセントになる。さらに、ニュースや市場価格の動向のように、1時間単位でデータを観察すると、ノイズが99.5パーセントで信号が0.5パーセントになってしまう。ノイズが信号の200倍もあるわけだ。よって、(大事件でもない)ニュースを一生懸命聴いている人たちは、カモの一歩手前なのだ。(上巻p. 212)

信号(シグナル)とノイズについて取り上げた本としては、過去記事「これから坂を下る人」で取り上げた『シグナル&ノイズ』が楽しめました。

ノイズに触れる機会を減らすように説いた文章としては、ウォーレン・バフェットの過去記事「2013年度バフェットからの手紙 - 投資に関するわたしからの助言(1)」が参考になります。

「ニュースに触れていなかった間に株価が下がるのは困る」というのであれば、ジョン・テンプルトンの教え「(ルールその10)狼狽するな」に従うのはどうでしょうか。

問題なのは、「ごく少数の事件のせいで、企業価値が激減する」場合です。これこそ前々回のタレブの話題にでてきた「脆い」企業の典型です。このような企業への投資を検討する際には、リスク管理を重んじる必要があると思います。私見になりますが、そもそも投資しないか、リスク影響度(リスク・エクスポージャー)を吸収できる以上の割安な値段で買うか、ポートフォリオ全体に占める比率を小さく抑えるか、といった選択肢のなかから意思決定するのがよいと思われます。

2017年9月28日木曜日

暴落という名の浄化(ナシーム・ニコラス・タレブ)

0 件のコメント:
何回か前の投稿で取り上げたナシーム・ニコラス・タレブの『反脆弱性』から、市場の暴落に関わる話題を引用します。

変動には浄化の働きもある。小さな山火事が定期的に発生することで、とても燃えやすい物質が一掃されるので、蓄積せずにすむ。"安全のため"に山火事を体系的に防ごうとすると、大火事が起きたときの被害はいっそうひどくなる。同じような理由で、安定は経済にとってよくない。後退することもなく、ずっと安定して成長を続けている企業は、非常に脆弱になる。そして、隠れた脆弱性が水面下で蓄積しつづける。だから、危機を先送りにするのはあまりよくない。同じように、市場に変動性がないと、罰を免れた潜在的リスクが膨らんでいく。市場が打撃を受けていない期間が長ければ長いほど、いったん混乱が発生したときの被害は大きくなるのだ。

この安定性がもたらす逆効果を科学的にモデル化するのは簡単だ。でも、私はトレーダーになったころ、ベテラン中のベテランだけが使っているヒューリスティック(経験則)を教わった。市場が"新安値"に達すると、つまり長い間経験していなかった水準まで下落すると、人々が出口に殺到し、"大量の血"が飛び散るのだ。金を失うことに慣れていない人々は、大きな損失を食らい、苦痛をこうむる。たとえば、その市場価格が2年ぶりの水準なら、「2年来の安値」と呼ばれ、1年来の安値よりも大きな被害をもたらす。うまいことに、この現象は「クリーンアップ(浄化)」と呼ばれている。"弱いプレーヤー"を追い出すという意味だ。"弱いプレーヤー"というのはもちろん、自分が脆いことに気づいておらず、誤った安心感に惑わされている連中のことだ。弱いプレーヤーがいっせいに出口に殺到すれば、全体を崩壊に導く。変動性のある市場では、長い間リスクの"クリーンアップ"が起こらないことはありえないので、こういう市場の崩壊を避けることができる。

ラテン語の言い回しを借りるなら、「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)」ということだ。(上巻p. 175)