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2016年3月30日水曜日

我らを導く2つの掟(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の最終回(10回目)です。しびれる話題で締めくくりをするのは、あいかわらずです。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

朝食会の場で物思いにふける話題としては、見事に資格がないのはわかっています。私の話した内容がことごとく正しいとすれば、我々が現在享受している繁栄は普通株に関連した「資産効果」によって、過去に起きたさまざまな急上昇期よりも強力な後押しを受けていたことになります。その中には不愉快なものも含まれていますよ。もしそうであれば、このところの好調期に大きく上昇したものは、将来の株価下落時のどこかで大きく下落するかもしれません。もしかしたら経済学者らはいずれ、株式市場の上下動が長く続くとみなされたときに、「株式市場が1ドル上がるごとに選択的支出を上昇させる圧力よりも、1ドル下がるごとに下落させる圧力のほうが大きい」と結論付けるようになるかもしれません。しかし、経済学者らが他の分野から最良の概念を借りることで力添えを得たいと望んだり、あるいは日本のことをもっとじっくり観察する意思があれば、以前からそのように確信していたと思いますね。

日本とくれば、経済学で言う「美徳効果」をずっと長期間にわたって存在させたいのも私の願いです。たとえば美徳を背景に成功した複式簿記がヴェニスに盛時をもたらしましたが、それとはある種反対の効果によって、公然となった腐敗した会計がやがては長期的な悪しき結末を生み出すからです。金融界での光景をみてソドムとゴモラを思い出すようになったら、現実問題としてどんなことになるのか心配しておいたほうがいいですよ。たとえその顛末に加わりたいと考えていてもです。

最後になります。今日私から示した結論が慈善財団に対して示唆するものは、以前に財団の財務担当役員諸氏へ話した結論も込みになりますが[過去記事]、投資上の技術を示唆するところをずっと超えているのは間違いないと思います。私が正しければ米国におけるほぼすべての財団は、より巨大なシステムと関わっている自分たちの資産運用業務を理解し損ねており、それゆえに賢明さを欠いています。そうだとすれば、良き状態とは言えません。大筋で当たっている掟として、次のようなものがあります。「ある組織が複雑なシステムに取り組むやりかたがそれなりにバカげているならば、その他もおしなべてバカげている」。ですから、財団への寄付に関して良しとされていることは、資産運用面での実情と同じように改善する必要があるかもしれません。ここでもさらに古き2つの掟が我々を導いてくれます。第一が「道義に従え」、第二が「聡明であれ」です。

道義のほうはサミュエル・ジョンソンによるものです。「責任ある公職者がたやすく取り除ける無知状態を放置したままでいることは、道義的義務を果たすという点で信用できない不正な行為だ」と彼は確信していました[過去記事]。聡明のほうの規則は、かつてのワーナー・スウェイジー社が工作機械を宣伝した広告を下敷きにしています。次のような文句です。「新しい工作機械をお望みなのに未だ購入されていないお客様は、すでに対価をお支払いになっていらっしゃいます」[過去記事]。ワーナー・スウェイジー社の規則は、思考する際の道具にも間違いなく当てはまりますよ。適切な思考道具を持っていない人は容易に取り除ける無知さゆえに、その人が助けたいと望む相手共々、以前から苦しみ続けているのですから。(おわり)

Well, this is enough uncredentialed musing for one breakfast meeting. If I am at all right, our present prosperity has had a stronger boost from common-stock-price-related "wealth effects", some of them disgusting, than has been the case in many former booms. If so, what was greater on the upside in the recent boom could also be greater on the downside at some time of future stock price decline. Incidentally, the economists may well conclude, eventually, that, when stock market advances and declines are regarded as long-lasting, there is more downside force on optional consumption per dollar of stock market decline than there is upside force per dollar of stock market rise. I suspect that economists would believe this already if they were more willing to take assistance from the best ideas outside their own discipline, or even to look harder at Japan.

Remembering Japan, I also want to raise the possibility that there are, in the very long term, "virtue effects" in economics - for instance that widespread corrupt accounting will eventually create bad long-term consequences as a sort of obverse effect from the virtue-based boost double-entry bookkeeping gave to the heyday of Venice. I suggest that when the financial scene starts reminding you of Sodom and Gomorrah, you should fear practical consequences even if you like to participate in what is going on.

Finally, I believe that implications for charitable foundations of my conclusions today, combined with conclusions in my former talk to foundation financial officers, go way beyond implications for investment techniques. If I am right, almost all U.S. foundations are unwise through failure to understand their own investment operations, related to the larger system. If so, this is not good. A rough rule in life is that an organization foolish in one way in dealing with a complex system is all too likely to be foolish in another. So the wisdom of foundation donations may need as much improvement as investment practices of foundations. And here we have two more old rules to guide us. One rule is ethical, and the other is prudential.

The ethical rule is from Samuel Johnson, who believed that maintenance of easily removable ignorance by a responsible officeholder was treacherous malfeasance in meeting moral obligation. The prudential rule is that underlying the old Warner & Swasey advertisement for machine tools: "The man who needs a new machine tool, and hasn't bought it, is already paying for it". The Warner & Swasey rule also applies, I believe, to thinking tools. If you don't have the right thinking tools, you, and the people you seek to help, are already suffering from your easily removable ignorance.

2016年3月28日月曜日

大幅な価格下落は何を意味するのか(ハワード・マークス)

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ハワード・マークスのメモから、さらに引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

価格が大きく下落することは何を意味しているでしょうか。ファンダメンタルが悪化したと市場に参加する人たちが感じている、それを意味しています。ですが価格下落は反射的なものであって、予見的なものではありません。過去に起きたこと、投資家がそれに対してどう反応したのか、それらについては語ってくれます。一方、平均的な投資家が将来のことについてわかっていない、そのことについては何も語りません。ですから、「平均的な投資家はよくわかっていないし、平均的な意見に従っても平均以上の成績をあげるには役に立たない」、私はその二つを強く確信しています。

このメモをお読みになっている方は、平均的な投資家よりも良い成績をあげたいと望む方ばかりでしょう。2014年4月に書いたメモ「傑出せんとする(その2)」[過去記事]や、拙著『投資で一番大切な20の教え』で記した「二次的思考」の話題において、それを達成するには平均的投資家とは異なるやりかたで投資しなければならないと書き始めました。そのためには平均的投資家とは違った考えをする必要がありますし、さらにそのためには平均的投資家とは違った情報を使って検討したり、違う見方で情報をとらえることを意識しなければなりません。市場の挙動が示すシグナルに単純に従うわけにはいかないのです。

これは論理的に考えれば済むことです。つまり価格動向が平均的な見方を反映しているときは、その前提となった助言に従ったところで、平均以上の成績をあげる役には立ちません。(p.5)

What do big price declines mean? They mean market participants sense fundamental deterioration. But what price declines say is reflective, not predictive. They tell you about the events that have occurred, and how investors have reacted to them. They don't tell you anything that the average investor doesn't know about future events. And, again, I'm firmly convinced (a) the average investor doesn't know much, and (b) following average opinion won't help you attain above average results.

Most of my readers want to perform better than the average investor. As I've set out in "Dare to Be Great II" (April 2014) and in the discussion of "second level thinking" in my book The Most Important Thing, to accomplish that, you have to invest differently than the average investor. To do that, you have to think differently than the average investor. And to do that, you have to consider different inputs than the average investor, or consider inputs differently. You simply can't follow the signals their behavior provides.

It's a matter of logic: if price movements reflect average opinion, following their supposed advice can't help you perform above average.

2016年3月26日土曜日

市場の意見に耳を傾けるべきか(ハワード・マークス)

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ハワード・マークスのメモから、ひきつづき引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

協調しあうものがあるとすれば、それは感情だと思います。それは群衆行動や集団ヒステリーの中に組み込まれているので、たとえば1万名もの人たちがパニックになれば、その感情は雪だるまのように膨らむでしょう。お互いに影響しあうことで感情が増幅されるため、市場全体としてみたパニックの水準は、個々人それぞれのものより大きくなるかもしれません。この件はのちほど改めてとりあげます。

ここで、投資において一番重要な目標を考えてみます。それは安く買うことです。なにかを買う際には、根底にある資産や利益の価値よりも(すなわちバリュー投資)、あるいは将来の可能性よりも(すなわちグロース投資)過小評価された値段で買いたいものです。どちらにおいても、市場がまちがって捉えている対象を探し求めます。「市場は常に正しい」と考えるのならば、つまり効率的市場仮説ですが、アクティブ投資家としては生きていけないでしょう。しかし現にそうして生きているのですから、市場が示す合意よりも自分たちのほうがよくわかっていると信じるべきだと思います。ですから当然ながら、「市場つまり総体としてみた自分以外の全投資家が、なんでも知っている、もしくは自分以上に知っている、あるいは常に正しい」と考えるべきではありません。これが第二の要点です。

第三の要点は論理的に導かれます。「自分よりもわかっていない人々から指示を受ける必要があるのだろうか」。以前に書いたメモ「ソファに腰かけて」の文中で、「客観的で理にかなったニュートラルで安定したポジション、投資家がそのようなポジションを維持できることは稀である」と述べました。みなさんはその意見に対して賛否のどちらでしょうか。市場とは、客観的かつ合理的なファンダメンタル分析家でしょうか。それとも投資家の感情を示す度合いでしょうか。今日の市場がとる行動は、成熟した大人が模倣すべきものだと思えるでしょうか。

私からすれば、はっきりしています。判断力の面では、市場は平均以上の能力を持っていません。しかし感情面で平均以上になることはよくみられます。だからこそ市場の判断に従うべきではないのです。事実、逆張り派の哲学は「概して言えば、群集のとる行動と反対にせよ。極端な時期にはなおさらである」という前提に基づいています。私の好むやりかたです。(p.2)

If anything, I think it's emotion that's synergistic. It builds into herd behavior or mass hysteria. When 10,000 people panic, the emotion seems to snowball. People influence each other, and their emotions compound, so that the overall level of panic in the market can be higher than the panic of any participant in isolation. That's something I'll return to later.

Now let's think about the first goal of investing: to buy low. We want to buy things whose price underestimates the value of the underlying assets or earnings (value investing) or the future potential (growth investing). In either case, we're looking for instances when the market is wrong. If we thought the market was always right - the efficient market hypothesis - we wouldn't spend our lives as active investors. Since we do, we'd better believe we know more than the consensus. So by definition we must not think the market - that is, the sum of all other investors - knows everything, or knows more than we do, or is always right. That's point number two.

And that leads logically to point number three: why take instruction from a group of people who know less than you do? In "On the Couch," I wrote that it all seems obvious: investors rarely maintain objective, rational, neutral and stable positions. Do you agree with that or not? Is the market a clinical and rational fundamental analyst, or a barometer of investor sentiment? Does the market's behavior these days look like something a mature adult should emulate?

It seems clear to me: the market does not have above average insight, but it often is above average in emotionality. Thus we shouldn't follow its dictates. In fact, contrarianism is built on the premise that we generally should do the opposite of what the crowd is doing, especially at the extremes, and I prefer it.

2016年3月24日木曜日

市場は何を理解しているのか(ハワード・マークス)

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前回取りあげたハワード・マークスが書いたメモから、続きの文脈にあたる箇所を引用します。(日本語は拙訳)

それでは、市場は何を理解しているのでしょうか。この目的において大切なのは、「市場としての」洞察のようなものは実際には存在しないと理解することです。たしかに市場には多くの人が参加しています。しかし市場とは、その参加者の集合以上のものではありません。彼らが持つ知識の総計以上のことは「知って」いないのです。

この点は非常に大切です。「市場は、参加者の抱く洞察すべてを超えた特別な識見を有している」と考える方がおられましたら、私の考えとは根本的に相容れません。群集が協調して考えるわけではないのです。私が思うに、市場の有する投資上のIQが参加者の平均IQより高いことはありません。取引を行うだれもが、ある時点における資産価格を決める際に、売買数量に応じた票を投じるのです。

価格を決めるその時には、あらゆる異なったレベルの能力を持つ人たちが共に行動します。知識や経験、判断力、感情的傾向のすべての面において違っているわけです。しかし市場は、そういった何かに卓越した特定の人物に対して、他の人以上の影響力を与えることはしません。短い間では特にそうです。「市場価格とは、市場参加者の平均的な判断力を反映しただけのもの」というのが、この件に関する私の結論です。これが第一の要点です。(p.1)

So, what does the market know? First it's important to understand for this purpose that there really isn't such a thing as "the market." There's just a bunch of people who participate in a market. The market isn't more than the sum of the participants, and it doesn't "know" any more than their collective knowledge.

This is a very important point. If you believe the market has some special insight that exceeds the collective insight of its participants, then you and I have a fundamental disagreement. The thinking of the crowd isn't synergistic. In my view, the investment IQ of the market isn't any higher than the average IQ of the participants. And everyone who transacts gets a volume-weighted vote in setting an asset's price at a given point in time.

People of all different levels of ability act together to set the price. They vary all over the lot in terms of knowledge, experience, insight and emotionalism. The market doesn't give the ones who are superior in these regards any more influence than the others, especially in the short run. My bottom line on this subject is that the market price merely reflects the average insight of the market participants. That's point number one.

2016年3月22日火曜日

日々の市場とは(ハワード・マークス)

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オークツリーの会長ハワード・マークスが書いたメモを1月にご紹介した直後に、彼が追加のメモを公開していました(1月19日付)。一部を引用してご紹介します。年明け早々から下落した市場を念頭に置いた文章です。(日本語は拙訳)

What Does the Market Know? [PDF] (Oaktree Capital Management)

下落している最中には特にみられることですが、「市場には知性がある」と多くの投資家が考え、何が起こっているのか、またどうしたらよいのか教わりたがるようになります。これも最大の過ちのひとつです。ベン・グレアムが指摘したように、日々の市場とはファンダメンタルの分析家ではなく、投資家の心情を測る基準にすぎません。ですから、市場の動きをあまり真剣に受け止めるべきではないのです。ファンダメンタルズの面で実際に何が起きているか、市場参加者はそれについて限られた洞察しか有していません。売り買いの背後には知性があるのかもしれませんが、彼らが感情的になって揺れ動くことで、いずれも曖昧模糊となっています。ですから、このところ続いている世界的な下落を解釈して、市場がこれからやってくる厳しい時期を「感知している」と考えるのは誤っていると思います。

Especially during downdrafts, many investors impute intelligence to the market and look to it to tell them what's going on and what to do about it. This is one of the biggest mistakes you can make. As Ben Graham pointed out, the day-to-day market isn't a fundamental analyst; it's a barometer of investor sentiment. You just can't take it too seriously. Market participants have limited insight into what's really happening in terms of fundamentals, and any intelligence that could be behind their buys and sells is obscured by their emotional swings. It would be wrong to interpret the recent worldwide drop as meaning the market "knows" tough times lay ahead.

2016年3月20日日曜日

手元に残った骨董品(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の9回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

従業員向けストック・オプションによって生じる資産運用の世界へ「フェベズルメント(横領相当)」をほうりこんでみてください。流動的な富が次また次と成長し続ける7,500億ドルになる世界です。そうすれば、普通株から生じる「資産効果」がますます消費を盛んにすると思いますよ。従業員向けストック・オプションが生む「資産効果」には、今では標準的慣行が必須としている堕落した会計手続きによって促されることで、事実上「フェベズル」な効果もあるでしょう。

つづいて、S&P500指数が100ポイント上昇するたびに株式の時価総額が1兆ドル上がることを考えてみてください。そしてあらゆる「フェベズルメント」に関連したケインズ主義的な乗数効果をいくつか足してみてください。そこで発生するマクロ経済的な「資産効果」が従来考えられてきたよりもずっと大きくなるのは、絶対にまちがいないと思いますね。

株価によって生じる「資産効果」を合計すると、実際には非常に大きくなることもあります。愚かしい余剰資金が大量に流れ込み、全体としてみた普通株の株価を上げるという事実は、なんとも不幸な話ですよ。たしかに株価のあるものは債券のように値付けされます。つまり将来に現金をもたらしてくれるという使用価値を、おおよそ合理的に見積もった結果です。しかし同時に、レンブラントの絵画のように値付けされる株もあります。買うに至った理由はほとんどの場合、「株価がこのところ上昇したから」ですね。この状況が巨大な「資産効果」と組み合わさることで、初めは上昇して後に下落し、災難が多々生まれることが想像されます。それを検証するために「思考実験」をしてみましょう。英国の大規模な年金基金のひとつが、10年後に売却するつもりでさまざまな古美術品を購入したことがあります。実際に売却したところ、少しばかり利益がでました。それではここで、あらゆる年金基金が大量の古美術品を買い付けたとしましょう。資産のすべてが古美術品になりました。ところがその後、まるで望まない強烈なマクロ経済的状況が訪れたとしたら、「ひどくむずかしいものが手元に残った」とはならないでしょうか。もし年金基金のうちの半数しか古美術品に投資していなかったとしたら、そのやっかいごとは問題にならないでしょうか。それでは、株式時価総額の半分が熱狂ゆえに成り立ったものだとしたら、年金資産の半分が古美術品となった状況と似てはいないでしょうか。

前言では株式の時価総額が不合理に高くなり得る可能性を認めましたが、それは「効率的市場」理論のハード・フォーム版と相反するものです。みなさんの多くが、かつてその理論を福音として学んだと思いますが、しかし教えてくれた先生がまちがっていたのですね。彼らは、人間とは「合理的人間[=ホモ・エコノミクス]」モデルに従うという経済学上の考えに強烈に影響されていた一方、心理学や現実世界での実経験が示す「おろかな人間」モデルからはほとんど学んでいませんでした。たとえば、ある状況では聡明な人であってもレミングたちと同じように、ずいぶんとバカげた思考に陥ったり、ひどくバカげた行動をとるものです。人間とは「集団による愚行」を行う傾向があることを知っていれば、なぜそうなるのかがわかります。今日ここに代表の方が出席された財団の多くでも、資産運用を進める上で同じことが行われていると思います。「自分たちの投資の進めかたが他所と違わないように」、今日の機関投資家のみなさんはそればかりを恐れているようですが、これは悲しい事態だと思いますね。

Now, toss in with “febezzlement” in investment management about $750 billion in floating, ever- growing, ever-renewing wealth from employee stock options and you get lot more common-stock-related “wealth effect” driving consumption, with some of the “wealth effect” from employee stock options being, in substance, “febezzle” effect, facilitated by the corrupt accounting practice now required by standard practice.

Next, consider that each one-hundred-point advance in the S&P adds about $1 trillion in stock market value, and throw in some sort of Keynesian-type multiplier effect related to all “febezzlement”. The related macroeconomic “wealth effects”, I believe, become much larger than is conventionally supposed.

And aggregate “wealth effect” from stock prices can get very large indeed. It is an unfortunate fact that great and foolish excess can come into prices of common stocks in the aggregate. They are valued partly like bonds, based on roughly rational projections of use value in producing future cash. But they are also valued partly like Rembrandt paintings, purchased mostly because their prices have gone up, so far. This situation, combined with big “wealth effects,” at first up and later down, can conceivably produce much mischief. Let us try to investigate this by a “thought experiment”. One of the big British pension funds once bought a lot of ancient art, planning to sell it ten years later, which it did, at a modest profit. Suppose all pension funds purchased ancient art, and only ancient art, with all their assets. Wouldn’t we eventually have a terrible mess on our hands, with great and undesirable macroeconomic consequences? And wouldn’t the mess be bad if only half of all pension funds were invested in ancient art? And if half of all stock value became a consequence of mania, isn’t the situation much like the case wherein half of pension assets are ancient art?

My foregoing acceptance of the possibility that stock value in aggregate can become irrationally high is contrary to the hard-form “efficient market” theory that many of you once learned as gospel from your mistaken professors of yore. Your mistaken professors were too much influenced by “rational man” models of human behavior from economics and too little by “foolish man” models from psychology and real-world experience. “Crowd folly,” the tendency of humans, under some circumstances, to resemble lemmings, explains much foolish thinking of brilliant men and much foolish behavior --- like investment management practices of many foundations represented here today. It is sad that today each institutional investor apparently fears most of all that its investment practices will be different from practices of the rest of the crowd.

2016年3月18日金曜日

おすすめのベイズ統計学入門書

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チャーリー・マンガーは機会やリスクを確率的にとらえるやりかたについて触れていましたが(過去記事例)、意思決定やリスク管理の切り口からみれば、それは一般的なやりかただと思います。個人的には、確率モデルを構築して投資対象を分析したいと意識してはいますが、なお勉強中の段階です。

そんなわけで最近読んだ確率に関する本も入門書です。題名は『完全独習 ベイズ統計学入門』です。ベイス統計学の話題は以前も取りあげ(過去記事例)、別の入門書も若干読んだのですが、本書はわかりやすさの点で秀逸でした。

第一に、本質的な概念を図で示している点です。著者の方も強調されているように、確率の大小や事象発生後の状態を表現するために面積図を採用しています(要するに、長方形の大きさを比較するだけです)。2次元の情報は数字や表よりも格段にわかりやすく、読み手が理解すべき説明がそのまま伝わってきます。面積図は小学生高学年(の一部)でも駆使できるツールですから、直観的なわかりやすさは折り紙付きだと思います。

第二に、発展的な内容へ説明を進めるやりかたが自然で、かつ飛躍が小さい点です。複雑な説明は削ぎ落しながらも、各々の本質的な説明が展開されているので、短時間で読了でき、基本的な内容を理解できます。

第三に、数式が限りなく少なく、本文の文字自体も少ない点です。それでいて読み手は重要な諸概念をそれなりに理解できるのですから、著者は本書のアーキテクチャーを検討する際に苦心なさったことと想像します。

ところで、おなじみの「モンティ・ホール」問題が本書でも取り上げられていました。その際に著者は「直観に反する」という表現を使っておられますが、投資家として個人的に追いかけているのが、まさしくその言葉です。確率(数学)と心理学(生物学)の両方を学び、その両者が交わった「直観に反する」機会を見定めたい。それが実利的な願望のひとつです。

2016年3月16日水曜日

2015年度バフェットからの手紙(8)ザ・デイ・アフター

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2015年度「バフェットからの手紙」より引用します。前回のつづきにあたる文章です。(日本語は拙訳)

絶え間なく変化する世界において、もっとうまく闘っていくにはどうすればよいか、バークシャー[配下の各社]の経営者諸氏は毎日考えています。同じようにわたしやチャーリーが意欲的に取り組むのは、安定して流入する資金をどこへ向ければよいのか集中して考えることです。その点でわたしたちは、単一業界に属する企業とくらべて大きな強みを有しています。そういった企業の選択肢は、当社よりもずっと限定されているからです。先に列挙したものあるいはそれ以上の困難の類いを辛苦の末に片づけ、やがては収益力の増した姿を現す。バークシャーにはそれを果たすことのできる資金や人材や文化がある、とわたしは堅く信じています。

ただしバークシャーにとって、はっきりと現存する危機がひとつあります。それについては、わたしもチャーリーも無力です。またその脅威は、わたしたち市民が直面する重大な脅威でもあります。そうです、サイバーやバイオ、核、化学といった手段による攻撃が「(攻撃者からみて)成功した」場合です。バークシャーはこのリスクを他のあらゆる米国企業と共有しています。

ある1年間でみたときに、そういった大量破壊が生じる確率は非常に小さいと思われます。もう70年以上前になりますが、わたしが配達していたワシントン・ポスト紙に、「最初の原子爆弾を米国が投下」と報じる見出しが出ていました。その後、瀬戸際まで迫ったことが何度かありましたが、破滅の事態は回避されました。そのような結果に落ち着いたのも、われらが政府(そして幸運)のおかげでした。

それにもかかわらず、短期でみたときに小さな確率であっても、長期でみれば必然へと近づいていきます(ある年に発生する確率が1/30であっても、1世紀の間にそのことが最低1回以上生じる確率は96.6%になります)。そしてさらなる悪いニュースをお伝えしますと、この国に対して「なるべく大きな被害を与えたい」と考える人々や組織やおそらく国家さえもが、将来ずっと存在すると思います。わたしが生きてきた間に、それらを実行するための手段は級数的に増加しました。これが「イノベーション」の持つ暗い側面です。

米国企業やそこに投資する人たちが、このリスクを減じる術はありません。米国内で大規模な破壊につながる活動が起これば、あらゆる証券投資の価値が大打撃を受けるのは、ほぼ間違いないと言えます。

「その後(ザ・デイ・アフター)」一体どうなるのかは、だれにもわかりません。しかし1949年にアインシュタインが予想したことは、今でも当てはまると思います。「第3次世界大戦でどんな武器が使われるのか、それはわかりませんね。しかし第4次世界大戦ならわかります。棒切れと石ころですよ」[参考記事]。(PDFファイル24ページ目)

Every day Berkshire managers are thinking about how they can better compete in an always-changing world. Just as vigorously, Charlie and I focus on where a steady stream of funds should be deployed. In that respect, we possess a major advantage over one-industry companies, whose options are far more limited. I firmly believe that Berkshire has the money, talent and culture to plow through the sort of adversities I've itemized above - and many more - and to emerge with ever-greater earning power.

There is, however, one clear, present and enduring danger to Berkshire against which Charlie and I are powerless. That threat to Berkshire is also the major threat our citizenry faces: a "successful" (as defined by the aggressor) cyber, biological, nuclear or chemical attack on the United States. That is a risk Berkshire shares with all of American business.

The probability of such mass destruction in any given year is likely very small. It's been more than 70 years since I delivered a Washington Post newspaper headlining the fact that the United States had dropped the first atomic bomb. Subsequently, we've had a few close calls but avoided catastrophic destruction. We can thank our government - and luck! - for this result.

Nevertheless, what's a small probability in a short period approaches certainty in the longer run. (If there is only one chance in thirty of an event occurring in a given year, the likelihood of it occurring at least once in a century is 96.6%.) The added bad news is that there will forever be people and organizations and perhaps even nations that would like to inflict maximum damage on our country. Their means of doing so have increased exponentially during my lifetime. "Innovation" has its dark side.

There is no way for American corporations or their investors to shed this risk. If an event occurs in the U.S. that leads to mass devastation, the value of all equity investments will almost certainly be decimated.

No one knows what "the day after" will look like. I think, however, that Einstein's 1949 appraisal remains apt: "I know not with what weapons World War III will be fought, but World War IV will be fought with sticks and stones."

2016年3月14日月曜日

2015年度バフェットからの手紙(7)重大なリスクについて

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2015年度「バフェットからの手紙」より引用します。今回は、バークシャーに関する経営上のリスクと基本戦略についてです。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

すべての公開企業と同じように、当社も毎年10-K[米国版の有価証券報告書]の中で「リスク要因」を列挙するよう、証券取引委員会(SEC)から義務付けられています。しかし10-Kに書かれた「リスク」の節を読んだところで、事業を評価するのに役に立った例はひとつも記憶にありません。現実的なリスクが示されていないからではありません。本当に重要なリスクはよく知られているものです。そうではなく、10-Kに列挙されているリスクが次の点を評価する上でほとんど役に立たないからです。第一が、脅威とみなすできごとが実際に生じる確率。第二が、そうなったときに対処するのにかかる費用の幅。第三が、想定される損失が発生する時期です。「危機が表面化するのは今後50年以内」としただけの予測であっても、社会にとっては問題かもしれません。しかし今現在の投資家にとっては、財務的問題とはなりません。

バークシャーはわたしの知る限り、どの企業よりも様々な業界にわたって事業を展開しています。それぞれの事業では、発生しうる問題や機会をいくつも抱えています。それらを並べ立てるのは簡単ですが、評価するのは大変です。そういった可能性の起こる確率や時期や費用(あるいは便益)を算出してみると、わたしとチャーリーとCEO諸氏の間でその差がとても大きくなることがよくあります。

いくつか例をあげさせてください。まずは明白な脅威からですが、[バークシャーの子会社である]BNSF社や他の鉄道会社は、今後10年のうちに石炭の相当な輸送量を失うはずです。またいずれどこかの時点で、ただし長期にはならないと思いますが、ガイコ[バークシャーの損保子会社GEICO]の保険料収入が減少する可能性があります。無人運転の自動車がでてくるからです。さらにこの展開は当社の自動車販売会社にも同じように悪影響を及ぼすでしょう。それから、各新聞社の紙面購読者数も減少し続けると思います。ただしそれらの企業を買収する際に、そのことははっきりと承知していました。再生可能エネルギーは今日に至るまで当社の公益事業を助けてきましたが、それが変わる可能性があります。特に、電力貯蔵能力が大幅に向上する場合です。インターネット上での小売は当社の小売事業がとっている商売の仕方を脅かしていますし、消費者向けブランドにおいても当然です。ここにあげたものは、当社が直面している悲観的な可能性のごくわずかに過ぎません。しかしビジネスに関するニュースを斜め読みで済ます人たちでも、ずっと以前から知っていたことです。

ですがそういった問題のいずれも、バークシャーの長期的な健全性に対して致命的にはなりません。1965年にわたしたちが当社の経営権を獲得したときには、会社のリスクは次の一言で言い表せたと思います。「当社の全資本が住まう処である北部における織物事業は、今後も損失を計上し続ける運命にあり、やがては消滅すると思われる」。しかしその後どうなったかと言うと、弔いの鐘は鳴りませんでした。ただ単に、状況に合わせて適応したのです。わたしたちはこれからも同じようにやっていくつもりです。(PDFファイル23ページ目)

We, like all public companies, are required by the SEC to annually catalog "risk factors" in our 10-K. I can't remember, however, an instance when reading a 10-K's "risk" section has helped me in evaluating a business. That's not because the identified risks aren't real. The truly important risks, however, are usually well known. Beyond that, a 10-K's catalog of risks is seldom of aid in assessing: (1) the probability of the threatening event actually occurring; (2) the range of costs if it does occur; and (3) the timing of the possible loss. A threat that will only surface 50 years from now may be a problem for society, but it is not a financial problem for today's investor.

Berkshire operates in more industries than any company I know of. Each of our pursuits has its own array of possible problems and opportunities. Those are easy to list but hard to evaluate: Charlie, I and our various CEOs often differ in a very major way in our calculation of the likelihood, the timing and the cost (or benefit) that may result from these possibilities.

Let me mention just a few examples. To begin with an obvious threat, BNSF, along with other railroads, is certain to lose significant coal volume over the next decade. At some point in the future - though not, in my view, for a long time - GEICO's premium volume may shrink because of driverless cars. This development could hurt our auto dealerships as well. Circulation of our print newspapers will continue to fall, a certainty we allowed for when purchasing them. To date, renewables have helped our utility operation but that could change, particularly if storage capabilities for electricity materially improve. Online retailing threatens the business model of our retailers and certain of our consumer brands. These potentialities are just a few of the negative possibilities facing us - but even the most casual follower of business news has long been aware of them.

None of these problems, however, is crucial to Berkshire's long-term well-being. When we took over the company in 1965, its risks could have been encapsulated in a single sentence: "The northern textile business in which all of our capital resides is destined for recurring losses and will eventually disappear." That development, however, was no death knell. We simply adapted. And we will continue to do so.

2016年3月12日土曜日

2015年度バフェットからの手紙(6)イノベーションによる代償

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2015年度「バフェットからの手紙」より、前回につづいて生産性向上に関する引用です。(日本語は拙訳)

労働者として長く雇用されてきた人たちが直面するのは、それとはちがった複雑な状況です。効率を求めてイノベーションと市場システムが互いにやりとりするようになると、多くの労働者は不要とされ、その技能は時代遅れになることがあります。人によっては、そこそこの仕事を他所でみつけられるかもしれません。しかしそうでない人たちには、取るべき道が残っていません。

低コスト競争によって製靴業のアジアへの移転が促進されたことで、ひとときは大成功していたデクスター・シューズ社[=バークシャーが買収した一社]は店じまいすることとなり、メイン州の小さな町で働いていた従業員1,600名をクビにしました。彼らは、他の技能を身に付けることのできる年齢を通り過ぎてしまった人ばかりでした。わたしたちが投じた資本はすべて失われましたが、それは許容できました。しかし労働者のみなさんの多くは、取り換えのきかない生計を失うことになりました。当社が元来営んでいたニュー・イングランドでの織物事業でも、それと同じ筋書きがゆっくりゆっくりと広がりました。終わりになるまでの20年間にわたって奮闘したのです。胸の痛む一例をあげますと、ニュー・ベッドフォードの工場で働いていた年かさの労働者の多くは、ポルトガル語を話す人たちでした。仮に英語ができたとしても、話せるうちには入りませんでした。ですから彼らには、代わりとなる次善の策がありませんでした。

しかしそのような破壊が生じるからといって、生産性を向上させる動きを阻止したり禁止することが解答にはなりません。かつて1,100万人ものアメリカ人が終生にわたって農場で働くよう強いられていたら、わたしたちが今日送っているような生活は得られなかったことでしょう。

そうするかわりの解決策があります。それは、働く意思を持っているものの、市場の力学ゆえに自身の技能に対して小さな評価しか受けられない人々へ、ほどほどの生活ができるような多様な救済策を講じるやりかたです(わたし個人としては、給付付き勤労所得税額控除制度(EITC)を改正・拡大するのが良いと考えています[過去記事]。働く意思のある人にとって米国はふさわしい国である、それを体現しようとする一例になるからです)。大多数のアメリカ人がますます豊かな生活を送れるからといって、その代償に不幸な人たちが貧しさにあえぐべきではないと思います。(PDFファイル23ページ目)

A long-employed worker faces a different equation. When innovation and the market system interact to produce efficiencies, many workers may be rendered unnecessary, their talents obsolete. Some can find decent employment elsewhere; for others, that is not an option.

When low-cost competition drove shoe production to Asia, our once-prosperous Dexter operation folded, putting 1,600 employees in a small Maine town out of work. Many were past the point in life at which they could learn another trade. We lost our entire investment, which we could afford, but many workers lost a livelihood they could not replace. The same scenario unfolded in slow-motion at our original New England textile operation, which struggled for 20 years before expiring. Many older workers at our New Bedford plant, as a poignant example, spoke Portuguese and knew little, if any, English. They had no Plan B.

The answer in such disruptions is not the restraining or outlawing of actions that increase productivity. Americans would not be living nearly as well as we do if we had mandated that 11 million people should forever be employed in farming.

The solution, rather, is a variety of safety nets aimed at providing a decent life for those who are willing to work but find their specific talents judged of small value because of market forces. (I personally favor a reformed and expanded Earned Income Tax Credit that would try to make sure America works for those willing to work.) The price of achieving ever-increasing prosperity for the great majority of Americans should not be penury for the unfortunate.

2016年3月10日木曜日

2015年度バフェットからの手紙(5)資本家に同情する必要はない

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2015年度「バフェットからの手紙」より、今回も生産性向上に関する引用です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

先に記した生産性の向上は、米国において数えきれないほど達成され、社会に対してすばらしい利益をもたらしてくれました。そのおかげでわたしたち一般市民は、全体としてみれば財やサービスの大幅な増加を享受できたわけですし、それは今後もつづくと思います。

しかし、それを減じる要素もあります。第一に、近年なされた生産性向上の多くが富裕層の利益となった点です。第二に、生成性の向上によってしばしば大変動が生じる点です。イノベーションや新たな効率化によって業界がひっくり返ると、資本側と労働側のどちらもが痛い目に遭うことになります。

(非公開企業の個人オーナーであろうと一般投資家の集団であろうと)、資本家のことを憐れむ必要はありません。自分の面倒は自分でみる責任があるからです。優れた判断をすることで投資家が大きな報酬を得られるのであれば、彼らが誤った選択をしたときに生じる損失を救うべきではありません。その上、投資先銘柄に広く分散してじっと握りしめたまま待ちつづければ、儲かるのは確実なのですから。米国では成功した投資から得られる利益は、ドジを踏んだほうの損失を必ずや埋め合わせる以上になります。(その種のインデックスファンドたるダウ工業平均は、20世紀の間に66から11,497ポイントに上昇しました。さらに同指数を構成する各企業は、増加をつづける配当をその間ずっと支払ってくれたのです) (PDFファイル22ページ目)

[この引用部は次回に続きます]

The productivity gains that I've just spelled out - and countless others that have been achieved in America - have delivered awesome benefits to society. That's the reason our citizens, as a whole, have enjoyed - and will continue to enjoy - major gains in the goods and services they receive.

To this thought there are offsets. First, the productivity gains achieved in recent years have largely benefitted the wealthy. Second, productivity gains frequently cause upheaval: Both capital and labor can pay a terrible price when innovation or new efficiencies upend their worlds.

We need shed no tears for the capitalists (whether they be private owners or an army of public shareholders). It's their job to take care of themselves. When large rewards can flow to investors from good decisions, these parties should not be spared the losses produced by wrong choices. Moreover, investors who diversify widely and simply sit tight with their holdings are certain to prosper: In America, gains from winning investments have always far more than offset the losses from clunkers. (During the 20th Century, the Dow Jones Industrial Average - an index fund of sorts - soared from 66 to 11,497, with its component companies all the while paying ever-increasing dividends.)

2016年3月8日火曜日

2015年度バフェットからの手紙(4)株主総会をウェブで中継する理由

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2015年度「バフェットからの手紙」より引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

ここに至って、わたしとチャーリーは21世紀に足を踏み入れることを決心しました。今年の株主総会は、全編通して全世界向けにウェブ中継します。総会を視聴するには4月30日土曜日の午前9時(中部夏時間)に、次のURLにアクセスしてください(Berkshire Hathaway 2016 Annual Shareholders Meeting Livestream)。Yahoo!によって流される中継は、30分間にわたる各社経営陣や取締役陣や株主諸氏へのインタビューから始まります。そのあと9時30分から、わたしとチャーリーが質疑応答を開催します。

新たに始めるこのやりかたには2つの目的があります。第一のねらいは、総会への参加者数を落ち着かせるか、それなりに減少させることです。昨年は4万名超に達し、わたしたちの開催能力は大わらわの状態でした。開催場所であるセンチュリーリンク・センターのメイン・アリーナは即座に満員となり、予備の各部屋も一杯で、さらなる追加のオマハ・ヒルトンの大会議室2部屋も人であふれました。エアビーアンドビーがますます台頭していますが、それでもあらゆる主要ホテルの部屋が完売になりました。なおエアビーアンドビーがあったことは、予算の限られた参加者には特に助かりました。

ウェブ中継を始める第二の理由のほうが、実はもっと大切です。わたしは85歳になりましたし、チャーリーのほうは92歳です。もしみなさんとわたしたちがパートナーになって小さな事業を営んでおり、その会社を経営する責任をわたしたちのほうが負っているとしたら、わたしたちが能天気な世界にどっぷり浸かっていないか、みなさんは折に触れて確認したいだろうと思います。それとは対照的に、わたしたちがどんな様子でどんな調子かを監視するために株主がオマハへやって来なければならないのは、違うと思います。(それはそうと、絶頂期当時のわたしたちがそれほどのやり手に見えなかったことはご勘弁いただいた上で、今のわたしたちを値踏みしてください)

ウェブ中継を視聴される方は、わたしたちが長寿を心がけた食生活を送っている様子もご覧いただけます。総会の最中にわたしとチャーリーは、コーラやシーズ・キャンディーのファッジピーナッツ・ブリトルをけっこう消費します。NFLのラインマン[=アメフトのポジション]が1週間に必要なカロリーを賄うためです。ずっと以前のことですが、わたしたちは根源的な真理を見出しました。「心底空腹で、しかもそのままでいたいときこそ、人参やブロッコリーを食べるのにうってつけのときだ」と。(PDFファイル25ページ目)

Charlie and I have finally decided to enter the 21st Century. Our annual meeting this year will be webcast worldwide in its entirety. To view the meeting, simply go to https://finance.yahoo.com/brklivestream at 9 a.m. Central Daylight Time on Saturday, April 30th. The Yahoo! webcast will begin with a half hour of interviews with managers, directors and shareholders. Then, at 9:30, Charlie and I will commence answering questions.

This new arrangement will serve two purposes. First, it may level off or modestly decrease attendance at the meeting. Last year's record of more than 40,000 attendees strained our capacity. In addition to quickly filling the CenturyLink Center's main arena, we packed its overflow rooms and then spilled into two large meeting rooms at the adjoining Omaha Hilton. All major hotels were sold out notwithstanding Airbnb's stepped-up presence. Airbnb was especially helpful for those visitors on limited budgets.

Our second reason for initiating a webcast is more important. Charlie is 92, and I am 85. If we were partners with you in a small business, and were charged with running the place, you would want to look in occasionally to make sure we hadn't drifted off into la-la land. Shareholders, in contrast, should not need to come to Omaha to monitor how we look and sound. (In making your evaluation, be kind: Allow for the fact that we didn't look that impressive when we were at our best.)

Viewers can also observe our life-prolonging diet. During the meeting, Charlie and I will each consume enough Coke, See's fudge and See's peanut brittle to satisfy the weekly caloric needs of an NFL lineman. Long ago we discovered a fundamental truth: There's nothing like eating carrots and broccoli when you're really hungry - and want to stay that way.

2016年3月6日日曜日

2015年度バフェットからの手紙(3)後継者に残す青写真

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2015年度「バフェットからの手紙」より、さらに引用します。後継の経営者に望まれる重要な経営手段が、具体的に列挙された部分です。単純かつ明快ですが、だからこそバークシャーの強みが生きてくるのだと思います。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

その好ましい追い風があることを考えれば、バークシャーが(そして当然ながらすごく多数の他社も)今後も発展していくのは、ほぼまちがいないと思います。わたしやチャーリーの後任となる経営陣は、わたしたちの描いた次のような単純な青写真に従って、バークシャーの1株当たり本源的価値をより高く築いていくでしょう。第一に、多くの子会社が基礎的な収益力を継続的に向上させること。第二に、拡張型の買収を実現して収益をさらに増加させること。第三に、[証券の]投資先企業が成長することで貢献してくれること。第四に、バークシャーの株価が本源的価値からかなり割安となる状況が訪れたときに自社株買いをすること。最後の5番目が、折に触れて大型の買収をすることです。さらには稀ながらも、株主のみなさんにとって最も利益になると考えた結果、バークシャーの株式を追加発行する術もあります。(PDFファイル7ページ目)

Considering this favorable tailwind, Berkshire (and, to be sure, a great many other businesses) will almost certainly prosper. The managers who succeed Charlie and me will build Berkshire's per-share intrinsic value by following our simple blueprint of: (1) constantly improving the basic earning power of our many subsidiaries; (2) further increasing their earnings through bolt-on acquisitions; (3) benefiting from the growth of our investees; (4) repurchasing Berkshire shares when they are available at a meaningful discount from intrinsic value; and (5) making an occasional large acquisition. Management will also try to maximize results for you by rarely, if ever, issuing Berkshire shares.

2016年3月4日金曜日

2015年度バフェットからの手紙(2)一生みじめでいたければ

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2015年度「バフェットからの手紙」より、ひきつづき引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

[3Gキャピタルの]ジョージ・パウロと彼の僚友ほどのパートナーは望めません。基本的なニーズや要求を満たすものを提供する大規模な事業を買収したり、築き上げたり、保有したいという想いは、わたしたちも彼らと同じです。ですがそれらの目標を追求する上で、彼らとは異なる道をわたしたちは歩んでいます。

彼らがとてつもない成功をおさめてきた方法とは、さまざまな不要なコストが削減可能な企業を買収し、すばやく行動することでその仕事を達成するやりかたです。米国経済が過去240年間にわたって成長をつづける際に、生産性は非常に重要な要因でした。要求される製品やサービスを同じ労働時間内でより多く産出できないと、つまり生産性増加の指標が向上しなければ、経済は必然的に停滞します。彼らは行動を起こすことで、その生産性を大幅に向上させるわけです。多くの米国企業において、生産性をまさしく大幅に向上させることは可能です。ジョージ・パウロや彼の仲間が機会を手にできるのは、それが事実だからです。

わたしたちも同じようにバークシャーでさらなる効率を求めつづけていますし、官僚主義を忌み嫌っています。しかしながら目標を達成するやりかたは、拡大忌避を謳う方法をとっています。つまり、昔から低コスト志向かつ効率的な経営者によって率いられてきたPCC[プレシジョン・キャストパーツ社]のような企業を買うやりかたです。同社を買収した後にわたしたちがやることと言えば、同社のCEOやその後継者諸氏が、彼らは概してわたしたちと気の合う人たちですが、最大限に効率的な経営をできるような、さらには仕事を通じて最高の喜びを得られるような、そのための環境を作り出すだけです。(このような非干渉的なやりかたをするのは、ある有名なマンガー式の考えを心に留めているからです。その考えとはこうです。「死ぬまでとことん惨めでいたければ、やがて振舞いを変えるつもりの相手と結婚すればまちがいない」) (PDFファイル5ページ目)

Jorge Paulo and his associates could not be better partners. We share with them a passion to buy, build and hold large businesses that satisfy basic needs and desires. We follow different paths, however, in pursuing this goal.

Their method, at which they have been extraordinarily successful, is to buy companies that offer an opportunity for eliminating many unnecessary costs and then - very promptly - to make the moves that will get the job done. Their actions significantly boost productivity, the all-important factor in America's economic growth over the past 240 years. Without more output of desired goods and services per working hour - that's the measure of productivity gains - an economy inevitably stagnates. At much of corporate America, truly major gains in productivity are possible, a fact offering opportunities to Jorge Paulo and his associates.

At Berkshire, we, too, crave efficiency and detest bureaucracy. To achieve our goals, however, we follow an approach emphasizing avoidance of bloat, buying businesses such as PCC that have long been run by cost-conscious and efficient managers. After the purchase, our role is simply to create an environment in which these CEOs - and their eventual successors, who typically are like-minded - can maximize both their managerial effectiveness and the pleasure they derive from their jobs. (With this hands-off style, I am heeding a well-known Mungerism: "If you want to guarantee yourself a lifetime of misery, be sure to marry someone with the intent of changing their behavior.")

2016年3月2日水曜日

2015年度バフェットからの手紙(1)「米国」が抱える金のガチョウ

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バークシャー・ハサウェイのウォーレン・バフェットが、2/27(土)付けで2015年度のいわゆる「バフェットからの手紙」を公開しました。一部を引用して和訳付きでご紹介します。今回引用する箇所が、一般向け内容の中心部になると思います。(日本語は拙訳)

SHAREHOLDER LETTER 2015 [PDF] (Berkshire Hathaway)

今年の選挙に向けて、各候補者はこの国の問題ばかりを話題にしています(もちろんながら、それを解決できるのは彼らだけだそうですが)。この否定的な話題が何度も繰り返されることで、今ではアメリカ人の多くが、子供たちは自分たちのような生活ができなくなってしまうと信じこんでいます。

これは完全にまちがった見方です。今日米国に生まれてくる赤ちゃんは、有史以来最高に幸運な一団だと言えるからです。

米国における現在の一人当たりGDPは、およそ5万6千ドルになります。昨年も話題に出しましたが、わたしが生まれた1930年とくらべると、実質的な価値はなんと6倍になっています。両親やその同世代の人たちからすれば途方もなかった夢を、はるかに超えています。ですが1930年当時の米国市民とくらべたときに、現在の人たちのほうが本質的に頭が良くなったわけではないですし、懸命に働いているわけでもありません。そうではなく、当時よりも働き方が効率的になり、その結果として以前よりも多くを生み出せるようになったからです。きわめて強力なこの潮流が今後も続いていくのはまちがいありません。この国で起きてきた経済的なマジックは現在も健在ですし、うまく効いています。

[マスコミに登場する]解説者の中には、現在における実質GDPの年間成長率が2%であることを嘆いています。たしかにだれもが、もっと高い数字をと望むことでしょう。ですが、その嘆かわしい2%という数字を使って単純な計算をしてみましょう。この率が驚くべき増加をもたらすことがわかります。

米国の人口は年率0.8%ずつ増加しています(出生率から死亡率を引いたものが0.5%、そして正味の移民増が0.3%です)。ですから国全体で2%成長するということは、一人当たり1.2%の成長を意味します。目を見張るほどの数字とは感じられないかもしれません。しかし一世代でみると、つまり25年間としてこの率で成長していくと、一人当たりの実質GDPは34.4%増加します(複利の力によって、単純に1.2%を25倍した値よりも大きなパーセントになります)。別の言い方をすれば、34.4%増加するということは、次の世代の一人当たり実質GDPが見事に1万9千ドル増えることになります。これが均等に分配されれば、4人家族には年間7万6千ドル分になります。今日の政治家が将来の子供のために涙を流す必要はないわけです。

実際のところ、今日の子供のほとんどが良い生活を送っています。「中流の上」に位置する隣人のみなさんはだれもが、わたしが生まれた当時にジョン・D・ロックフェラーSr.が手にしていたよりも良い生活水準を日常的に満喫しています。並ぶ者のなかった彼ほどの幸せ者であっても、現在のわたしたちに許されているあれこれを手に入れることはできませんでした。交通、エンターテインメント、通信、医療サービスなど、どんな領域であってもです。たしかにロックフェラーは権力と名声を手にしました。ですが彼は、この現代でわたしのご近所さんが営んでいるような生活をおくることはできませんでした。

ただし次の世代で分けられるパイは今日よりもずっと大きくなるものの、それをどのように切り分けるかとなると、まさに現在と同じような熾烈な争いが待っています。増加した財やサービスをめぐって、次のような両者の間で取り合いが起きます。現役世代と引退世代の間で、身体が健康な者と衰弱した者の間で、遺産相続者とホレイショー・アルジャー[=アメリカン・ドリームを数多く描いた作家]の間で、投資家と労働者の間で。そして極めつけは、市場から高く評価される能力を持つ者と、懸命な働きぶりは同じながらも市場から称賛を受ける技能に欠けているアメリカ人との間で。わたしたちはその種の闘争をずっと続けてきましたし、今後もずっと続くと思います。議会は戦場となり、資金と投票が武器となります。そしてロビー活動という産業はひきつづき成長していくことでしょう。

しかしながら良いニュースがあります。たとえ「負けた」側の一員であっても、以前よりもずっと多くの財やサービスを享受できるのはほぼ確実ですし、またそうすべきだと思います。さらには、増加した恵みの質(クォリティー)も劇的に改善されるでしょう。人々の要求を満たしたり、もっと言えば人々がまだ理解していない要求を提供する、そのような市場システムに伍する仕組みは存在しません。わたしの両親が若者だった頃に、テレビの到来を予想することはできませんでした。同じように50歳代当時のわたしも、パーソナル・コンピューターを必要だとは思いませんでした。しかしどちらの製品も、なにができるのかみんなが理解しはじめると、あっという間に生活を劇変させてしまいました。今ではわたしもブリッジのオンライン対戦を毎週10時間やっています。そしてこのレターで書いたように、わたしにとって「検索すること」はとても価値があることです(ただしTinderをやる準備はできていませんが[デート系サイトのこと])。

この240年間にわたって、米国の失敗に賭けるのはひどいまちがいでした。そして今日現在も、それを始める時期ではありません。米国における商売やイノベーションは金のガチョウと呼べるもので、これからももっと大きな卵をもっとたくさん産み続けてくれるでしょう。米国の社会保障制度が定めた公約は履行されるでしょうし、たぶんもっと寛大になると思います。そうです、この国の子供たちは両親よりも良い生活ができるようになるでしょう。(PDFファイル6ページ目)

It's an election year, and candidates can't stop speaking about our country's problems (which, of course, only they can solve). As a result of this negative drumbeat, many Americans now believe that their children will not live as well as they themselves do.

That view is dead wrong: The babies being born in America today are the luckiest crop in history.

American GDP per capita is now about $56,000. As I mentioned last year that - in real terms - is a staggering six times the amount in 1930, the year I was born, a leap far beyond the wildest dreams of my parents or their contemporaries. U.S. citizens are not intrinsically more intelligent today, nor do they work harder than did Americans in 1930. Rather, they work far more efficiently and thereby produce far more. This all-powerful trend is certain to continue: America's economic magic remains alive and well.

Some commentators bemoan our current 2% per year growth in real GDP - and, yes, we would all like to see a higher rate. But let's do some simple math using the much-lamented 2% figure. That rate, we will see, delivers astounding gains.

America's population is growing about .8% per year (.5% from births minus deaths and .3% from net migration). Thus 2% of overall growth produces about 1.2% of per capita growth. That may not sound impressive. But in a single generation of, say, 25 years, that rate of growth leads to a gain of 34.4% in real GDP per capita. (Compounding's effects produce the excess over the percentage that would result by simply multiplying 25 x 1.2%.) In turn, that 34.4% gain will produce a staggering $19,000 increase in real GDP per capita for the next generation. Were that to be distributed equally, the gain would be $76,000 annually for a family of four. Today's politicians need not shed tears for tomorrow's children.

Indeed, most of today's children are doing well. All families in my upper middle-class neighborhood regularly enjoy a living standard better than that achieved by John D. Rockefeller Sr. at the time of my birth. His unparalleled fortune couldn't buy what we now take for granted, whether the field is - to name just a few - transportation, entertainment, communication or medical services. Rockefeller certainly had power and fame; he could not, however, live as well as my neighbors now do.

Though the pie to be shared by the next generation will be far larger than today's, how it will be divided will remain fiercely contentious. Just as is now the case, there will be struggles for the increased output of goods and services between those people in their productive years and retirees, between the healthy and the infirm, between the inheritors and the Horatio Algers, between investors and workers and, in particular, between those with talents that are valued highly by the marketplace and the equally decent hard-working Americans who lack the skills the market prizes. Clashes of that sort have forever been with us - and will forever continue. Congress will be the battlefield; money and votes will be the weapons. Lobbying will remain a growth industry.

The good news, however, is that even members of the "losing" sides will almost certainly enjoy - as they should - far more goods and services in the future than they have in the past. The quality of their increased bounty will also dramatically improve. Nothing rivals the market system in producing what people want - nor, even more so, in delivering what people don't yet know they want. My parents, when young, could not envision a television set, nor did I, in my 50s, think I needed a personal computer. Both products, once people saw what they could do, quickly revolutionized their lives. I now spend ten hours a week playing bridge online. And, as I write this letter, "search" is invaluable to me. (I'm not ready for Tinder, however.)

For 240 years it's been a terrible mistake to bet against America, and now is no time to start. America's golden goose of commerce and innovation will continue to lay more and larger eggs. America's social security promises will be honored and perhaps made more generous. And, yes, America's kids will live far better than their parents did.