ot
ラベル 物事の考え方 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 物事の考え方 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年8月16日木曜日

人類の余命(『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』)

0 件のコメント:
最近読み終えた本『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』は、個人的には引きこまれてしまう類の本で、全編をとおして楽しんで読めました。本書では、異星人(本書では地球外文明、ETCと記す)の存在を裏付ける現実的証拠がまだみつからない理由について、さまざまな分野からあげられた説明を科学的かつわかりやすく再構成しています。また14年前に刊行された邦訳の増補改訂版ということで、新しい科学的発見や知見が盛り込まれています。さらには、それぞれの理由に対して著者自身の見解が付け加えられています。話題は物理学にとどまらず、ハードサイエンスの各部門(地球科学、生物学、化学)や数学そしてSF小説に及んでおり、そういった専門用語の訳文の正確さも十分だと感じました(単純な校正モレは散見されます)。ただし「人類や地球生物の未来は、多難で暗いものである」と繰り返し説明されるので、心配が募りやすい方にはお勧めできません。

今回ご紹介するのは、本書で取り上げられていた思考法についてです。この「デルタt論法」と呼ばれる思考法は単純ながらも強力で、読んでいて感心の一言でした。ただし個人的に感銘を受けた点は、この論法自体や具体的な効力ではなく、ものごとを形而上的にとらえてモデリングする能力のほうです。

1969年、学生時代のリチャード・ゴットはベルリンの壁を訪れた。休暇でヨーロッパ旅行をしている途中で、ベルリンの壁を見に行くのも予定の一つだった。その前にはたとえば4000年前にできたストーン・ヘンジを見て、それにふさわしい感動を得た。ベルリンの壁を見たとき、この冷戦の産物はストーンヘンジほど長い間立っているのだろうとかと思った。冷戦時代の外交戦略の詳細に通じ、両陣営の相対的な経済力・軍事力を知る立場にあった政治家なら、根拠のある推定をしたかもしれない(政治家の実績から判断すれば、それは間違っていただろうが)。ゴットにはそんな専門知識はなかったが、次のような推論をした。

まず、自分がいるのは、壁が存続している間のランダムな時点だ。壁が築かれる(1961年)のを見ているのではなく、壁が壊されるのを見ているのでもない(今は1989年にそうなったことはわかっているが)。ただ休暇でそこにいただけだ。したがって、壁が立っている期間を4つに分けたまん中の2つ分の間に壁を見ている可能性が50パーセントだと推論を進めた。自分がその期間の最初にいるなら、壁は寿命の4分の1の間存在しており、まだ4分の3の寿命が残っていることになる。言い換えると、壁はこれから、すでに存在している期間の3倍の期間続くことになる。自分がそこにいるのが同じ期間の最後だとしたら、すでに寿命の4分の3が経過しており、残りは4分の1だけとなる。言い換えると、壁がこれから存在しつづけるのは、これまで存在してきた期間の3分の1だけだということだ。ゴットが見たときの壁は、できて8年だった。そこで1969年夏のゴットは、壁はあと2年と3分の2(8*1/3)から24年(8*3)立っている可能性が50パーセントあると予想した。あのテレビの劇的な映像を見た人なら思い出すように、壁が壊されたのは、ゴットが訪れてから20年後のことだった--予測の範囲内に収まる。(中略)


物理学で予測をするときは、50パーセントの可能性ではなく、95パーセントの可能性で考えるのが標準となる。ゴットの論法はそのまま使えるが、数字が少し変わる。自分が何かの事物を見ていることに特別のことがない場合、その事物はその時点での年齢の39分の1から39倍の間続く可能性が95パーセントある。(p. 276)

デルタt論法を使ってコンクリートの壁や人間関係の寿命を推定するのは楽しいが、それはもっとゆゆきしきことの推定にも使える。ホモ・サピエンスの余命だ。人類は誕生して17万5000年ほど。ゴットの規則を適用すると、人類の残りの寿命はおよそ4500年から680万年である可能性が95パーセント。それからすると、人類の寿命は18万年ないし700万年程度ということになる(哺乳類に属する種の平均寿命は200万年ほどと言われる。いちばん近い近縁種のネアンデルタール人は20万年だったらしい。やはりヒト科に属し、人類の直接の祖先かもしれないホモ・エレクトゥスは、140万年続いたかもしれない。するとゴットの推定は、種の寿命についても、確かにおおよそは正しいと言える)。(p. 278)

蛇足ですが、この手の話題を進めると「地球外への移住」にも行きつきますが、そこで思い当たるのはやはりイーロン・マスクです(過去記事)。最近は欠点が目立つようになってきましたが、新たな世界を切り開けるのは彼のような変人だろう、と個人的には考えています。「世界を動かすのは凡人であり、世界を変えるのは変人である」というのが私の持論です。なお「変人」という言葉に語弊を感じられる方は、「神経発達症を強く有している者」と読みかえてください。

2018年2月12日月曜日

問題解決の技法(6)逆から考えよ(クロード・シャノン)

0 件のコメント:
数学者クロード・シャノンが行った問題解決に関する講演について、最終回です。今回の話題は本ブログでよく取り上げるものですが(ラベル「逆にやる」を参照ください)、いつもとは別の天才が取り上げていることでも、その威力がうかがえます。前回分はこちらです。なお、意味段落での改行を追加しました。(日本語は拙訳)

もうひとつ触れておきたいやりかたがあります、数学上の研究をする際にたびたび出くわすものですが、問題を逆向きに考える方法です。ある前提条件Pに基づいて解Sを求めようとして、煮詰まっているとしましょう。そのとき、その問題を反転させて、「解Sは問題を解く上での所与の定理や公理、あるいは定数である」と仮定するのです。その上で、前提条件Pを求めるための術を考え出します。それが正しいやりかただと想像してみてください。するとその方向から問題を解くほうが、かえって易しいことに気づくかと思います。適切で単刀直入な道筋がみつかります。そうだとすれば、その問題を小さく分割した個々において、同じように考えることも多分に可能でしょう。別の例で言えば、たとえば印をつけた道筋がこうあって、このように中継していく点があちらへ続いているとします。そのとき、小さな段階ごとに反転させるやりかたがとれるでしょうから、証明するまでの困難な段階はおそらく3つか4つで済むものと思います。

設計の作業でも、同じことができると思います。私はコンピューターを設計することが時折あり、その種類は多岐にわたりました。そのなかで、ある所与の数量をもとに、ある数を計算させたいと考えたものがありました。それは「ニム」という名の石取りゲームを実行する機械となりますが、実に難しい仕事だとわかりました。この種の計算は実現可能ではあるものの、極めて多数のリレー[継電器]が必要になります。しかし「問題を反転させたらどうなるか」と考えた結果、もし所与のものと望まれる結果を入れ替えれば、至極簡単に実現できることがわかりました。さらにその考え方を発展させ、フィードバックを使うようにしました。そうすることで当初よりもずっと単純な設計になりました。つまり望まれる結果を起点にして戻ってくる際に、所与の入力値に合致するまでその値を使い続けるわけです。ですからその機械の内部では、利用者が実際に入力した数を得るまでは、さらにはPに照らした際に正しい手順である数に達するまでは、複数の数値を含む範囲Sをとりつつ、逆方向から動作しています。

このように、さきに触れた思想に基づいて解を求める方法を説明しましたが、大多数のみなさんにはひどく退屈だったのではないでしょうか。そこで、本日持参したこの装置をお見せしたいと思います。今回お話しした設計に関連する問題が、一つ二つ仕込んであります。これまでお話ししてきたことが反映してあると思いますので、この周りに集まってごらんになってください。この机の周りにみなさんが一度に集まれるかどうかは、何とも言えませんが。(おわり)

Now one other thing I would like to bring out which I run across quite frequently in mathematical work is the idea of inversion of the problem. You are trying to obtain the solution S on the basis of the premises P and then you can’t do it. Well, turn the problem over supposing that S were the given proposition, the given axioms, or the given numbers in the problem and what you are trying to obtain is P. Just imagine that that were the case. Then you will find that it is relatively easy to solve the problem in that direction. You find a fairly direct route. If so, it’s often possible to invent it in small batches. In other words, you’ve got a path marked out here - there you got relays you sent this way. You can see how to invert these things in small stages and perhaps three or four only difficult steps in the proof.

Now I think the same thing can happen in design work. Sometimes I have had the experience of designing computing machines of various sorts in which I wanted to compute certain numbers out of certain given quantities. This happened to be a machine that played the game of nim and it turned out that it seemed to be quite difficult. If [typo for It?] took quite a number of relays to do this particular calculation although it could be done. But then I got the idea that if I inverted the problem, it would have been very easy to do - if the given and required results had been interchanged; and that idea led to a way of doing it which was far simpler than the first design. The way of doing it was doing it by feedback; that is, you start with the required result and run it back until - run it through its value until it matches the given input. So the machine itself was worked backward putting range S over the numbers until it had the number that you actually had and, at that point, until it reached the number such that P shows you the correct way.

Well, now the solution for this philosophy which is probably very boring to most of you. I’d like now to show you this machine which I brought along and go into one or two of the problems which were connected with the design of that because I think they illustrate some of these things I’ve been talking about. In order to see this, you’ll have to come up around it; so, I wonder whether you will all come up around the table now.

2018年1月16日火曜日

問題解決の技法(5)構造化せよ(クロード・シャノン)

0 件のコメント:
数学者クロード・シャノンが行った問題解決に関する講演について、5回目の投稿です。冒頭は単純な話題のように読めますが、読み進めるともっと奥行きがある話題だと感じました。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

次に申し上げられるのは、「問題を構造的に分析する」という考えです。たとえばある問題に対して、解がこうあるとしましょう。その場合、大きな跳躍が二度必要となるかもしれません。そのときには、大きな跳躍を多数の小さな跳躍に分割するやりかたが考えられます。一連の公理に基づいて、ある定理や結論を証明しようとするとき、それを一息に証明しようとしても、私の手には余るかもしれません。しかし、いくつかの下位的な定理や命題を描き出すことはたぶんできますので、それゆえにそれらを証明できれば、やがては当初の解へと到達できるでしょう。言い換えればこうなります。まず下部に位置する一連の解1,2,3,4などを以て、この領域を歩む道を用意します。そしてあるものを基礎として次のものを証明してみます。さらに、証明の済んだものを基礎として、その次を証明できるか試みます。最終的な解Sへつながる道に至るまで、この作業をつづけるわけです。

数学の世界では実際のところ、極端なほど遠回りな手順を踏んで見いだされた証明がたくさんあります。ある定理から証明に取りかかった人が、あちこちへとさまよっている自分に気づきます。問題解決に乗り出したその人は、良好ながらも次につながらないと思える結果を数多く証明していきます。しかしやがては、与えられた問題に対する解へつながる裏口に行きつくことになります。そうなったとき、つまり解を見つけたときに、[解への道筋を]容易に単純化できることが非常によくあります。「ある段階でここを近道していたとすれば、今度はあちらを近道できるかもしれない」というわけです。

設計の仕事においても同じことが言えます。あきらかに扱いにくく厄介なものごとを行う方法を設計できる場合でも、非常に多くの能力が必要とされることがあります。しかし自分で操れるものやしっかりと握れるものを手にできれば、その問題を小要素に分割しはじめることができ、実のところある部分は余計だということもわかるでしょう。そもそもからして、それらは必要のないものだったのです。

Next one I might mention is the idea of structural analysis of a problem. Suppose you have your problem here and a solution here. You may have two big a jump to take. What you can try to do is to break down that jump into a large number of small jumps. If this were a set of mathematical axioms and this were a theorem or conclusion that you were trying to prove, it might be too much for me try to prove this thing in one fell swoop. But perhaps I can visualize a number of subsidiary theorems or propositions such that if I could prove those, in turn I would eventually arrive at this solution. In other words, I set up some path through this domain with a set of subsidiary solutions, 1, 2, 3, 4, and so on, and attempt to prove this on the basis of that and then this one the basis of these which I have proved until eventually I arrive at the path S.

Many proofs in mathematics have been actually found by extremely roundabout processes. A man starts to prove this theorem and he finds that he wanders all over the map. He starts off and prove a good many results which don’t seem to be leading anywhere and then eventually ends up by the back door on the solution of the given problem; and very often when that’s done, when you’ve found your solution, it may be very easy to simplify; that is, to see at one stage that you may have short-cutted across here and you could see that you might have short-cutted across there.

The same thing is true in design work. If you can design a way of doing something which is obviously clumsy and cumbersome, uses too much equipment; but after you’ve really got something you can get a grip on, something you can hang on to, you can start cutting out components and seeing some parts were really superfluous. You really didn’t need them in the first place.

2017年12月24日日曜日

問題解決の技法(4)一般化せよ(クロード・シャノン)

0 件のコメント:
数学者クロード・シャノンが行った問題解決に関する講演について、4回目の投稿です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

研究活動を行う際に役立つ思考上の工夫としては、他には一般化があると思います。特に数学上の研究では威力を発揮します。「隔絶した特殊な結果を証明する」、そのような形で発展した代表的理論、とりわけ定理に取り組む人は、まず一般化から始めるものです。N次元で考える前には2次元で試すでしょうし、ある種の代数の問題であれば、普遍代数学の領域で考えるものです。実数の領域に関することであれば、普遍代数やその類の領域へ移って考えるでしょう。このことさえ忘れずに実行すれば、実際はたやすく取り組めます。なにか答えを見つけたときには、ただちに「もっと一般化できないか」と自問することです。「より多くを含んだ広範な記述ができないだろうか」と。思うに、工学の分野でも同じように留意されるべきです。賢明な方法で何かを達成した人があらわれたら、それをみて次のように自問するのがよいでしょう。「同じ原則をもっと一般的な形で適用できないだろうか。この巧妙なアイデアを同じように使って、もっと幅広い範疇のさまざまな問題を解決できないだろうか。この特定のことを使える領域が、どこか他にないだろうか」と。

Another mental gimmick for aid in research work, I think, is the idea of generalization. This is very powerful in mathematical research. The typical mathematical theory developed in the following way to prove a very isolated, special result, particular theorem - someone always will come along and start generalization it. He will leave it where it was in two dimensions before he will do it in N dimensions; or if it was in some kind of algebra, he will work in a general algebraic field; if it was in the field of real numbers, he will change it to a general algebraic field or something of that sort. This is actually quite easy to do if you only remember to do it. If the minute you’ve found an answer to something, the next thing to do is to ask yourself if you can generalize this anymore - can I make the same, make a broader statement which includes more - there, I think, in terms of engineering, the same thing should be kept in mind. As you see, if somebody comes along with a clever way of doing something, one should ask oneself "Can I apply the same principle in more general ways? Can I use this same clever idea represented here to solve a larger class of problems? Is there any place else that I can use this particular thing?"

「一般化」というアイデアをチャーリー・マンガーの言葉に置き換えるとすれば、「ハードサイエンスにおけるエートス」がうってつけのように思います。(過去記事1, 過去記事2)

2017年12月12日火曜日

問題解決の技法(3)異なる観点から見つめよ(クロード・シャノン)

0 件のコメント:
数学者クロード・シャノンが行った問題解決に関する講演について、3回目の投稿です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

対象となっている問題に迫る方法として他に考えられるのは、できるだけ異なった形式でその問題を記述しなおしてみることです。たとえば言葉を変えてみたり、視点を移動させたり、可能な限りあらゆる角度から見つめたりします。そうすることで複数の角度から同時に、問題を凝視できるようになります。それによって、その問題における本当に基本的な部分が見通せるようになり、重要な諸要因を結びつけることで解を導き出せるでしょう。このやりかたを実行するのは実のところむずかしいのですが、大切なことです。もしそうしなければ、思考の轍(わだち)へと容易にはまってしまうからです。問題に取り組み始めた地点から円周上をずっと回ってきて、ここまでたどり着けさえすれば、先が見通せるようになるかもしれません。しかしそれでは、「問題をみつめる際のある種のやりかた」に縛りつける思考上の障害物から離れられません。それがために、当該の問題に関する新参者があらわれたときに、先に述べたようなやりかたで解を見つけてしまう例が非常によくみられます。一方で問題に取り組んでいた本人は、何か月にもわたる苦労の末に解を見出した次第です。新人のほうはその問題を新鮮な視点からみつめたのに対して、本人のほうは思考の轍へとはまっていたのです。

Another approach for a given problem is to try to restate it in just as many different forms as you can. Change the words. Change the viewpoint. Look at it from every possible angle. After you’ve done that, you can try to look at it from several angles at the same time and perhaps you can get an insight into the real basic issues of the problem, so that you can correlate the important factors and come out with the solution. It’s difficult really to do this, but it is important that you do. If you don’t, it is very easy to get into ruts of mental thinking. You start with a problem here and you go around a circle here and if you could only get over to this point, perhaps you would see your way clear; but you can’t break loose from certain mental blocks which are holding you in certain ways of looking at a problem. That is the reason why very frequently someone who is quite green to a problem will sometimes come in and look at it and find the solution like that, while you have been laboring for months over it. You’ve got set into some ruts here of mental thinking and someone else comes in and sees it from a fresh viewpoint.

今回の説明は、今さらながら合点のいく文章でした。「問題とは、手持ちの道具では容易に解決できないもののことである。だからこそ問題を解決するには、両者の関係性を変えることが有効的だ」、個人的にはそう受けとめました。問題のほうを取り換える方法としては、第1回目の説明であったように単純化したり、今回の説明のように違う視点でとらえるやりかたが考えられます。他方、手持ちの道具を取り換えるためには、他の領域や分野から道具を借りてくることになるでしょう(参考記事1, 参考記事2)。

クロード・シャノン氏のこの講演は気軽に訳し始めたので、これほど楽しめるとは思いもしませんでした。チャーリー・マンガーの教えと照らし合わせながら読み込んだことで、これまで気づけなかったものごとの本質を浮かび上がらせてくれました。

2017年11月24日金曜日

問題解決の技法(2)よく似た問題をさがせ(クロード・シャノン)

0 件のコメント:
数学者クロード・シャノンが行った問題解決に関する講演について、2回目の投稿です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

(前項と)非常によく似た手順ですが、似たような既知の問題を探るやりかたもあります。これは、次のように図式的に言い表せると思います。まず、自分の抱えている問題Pに対して、おそらく未発見の解Sがあるとします。その領域に携わり経験を積んでいれば、ある程度似ている問題P'とそれに対する発見済の解S'について、見聞きしたことがあるでしょう。そうとなれば、あとはP'とPの間にある類似性を見つけた上で、同じ類似性をS'とSの間に見出し、取り組んでいる問題に対する解へと立ち戻ればよいだけです。そもそも成すべきことはそれだけなのかもしれません。経験を積んでいれば、すでに求められた何千もの解を知っているものです。当該領域における経験が必要なのは、それがためなのです。頭の中にP'やらS'やらが散り散りとであれ満たされていれば、取り組んでいる問題Pに対してある程度近いものを見つけられますし、つづいて解Sに似たS'へと向きを変え、やがてはSへと立ち戻れるわけです。どのような類の思索をめぐらす場合でも、大きな跳躍を1回果たすよりは、小さな跳躍を2回重ねるほうがずっと容易だと思います。

A very similar device is seeking similar known problems. I think I could illustrate this schematically in this way. You have a problem P here and there is a solution S which you do not know yet perhaps over here. If you have experience in the field represented, that you are working in, you may perhaps know of a somewhat similar problem, call it P', which has already been solved and which has a solution, S', all you need to do - all you may have to do is find the analogy from P' here to P and the same analogy from S' to S in order to get back to the solution of the given problem. This is the reason why experience in a field is so important that if you are experienced in a field, you will know thousands of problems that have been solved. Your mental matrix will be filled with P's and S's unconnected here and you can find one which is tolerably close to the P that you are trying to solve and go over to the corresponding S' in order to go back to the S you’re after. It seems to be much easier to make two small jumps than the one big jump in any kind of mental thinking.

今回の話題は昨今の表現で言うところの「パターンの再利用」であり、わかりやすい話題だったかと思います。一方、この手の話が登場すると即座に思い返されるのが、チャーリー・マンガーの説く「学際的メンタル・モデル」です(過去記事多数)。上の文章では類似性を見つける際に「特定の領域」と限定していますが、チャーリーの場合は領域を超えた類似性の存在に焦点を当てています。おそらくシャノン氏は聞き手にとって理解しやすい水準に話題を設定したものと思われますが、スケール(規模)の面でチャーリーの主張と補完的なところがおもしろいと感じました。シャノン氏の主張は同程度のスケールでみられる類似性の水平的繰り返しと読める一方で、チャーリーの主張は異分野すなわち別のスケールに対して適用すべき垂直的繰り返し(フラクタル)と受けとめることもできます。単なる個人的解釈にすぎませんが、チャーリーの哲学をまた一歩理解できたような気がしました。

2017年11月12日日曜日

問題解決の技法(1)単純化せよ(クロード・シャノン)

2 件のコメント:
クロード・シャノンという人物の名前は、ITや工学を専門としている方であれば見聞きしたことがあるかと思います。彼がどの領域で業績を残したのか、私自身はその程度しか知りませんでしたが、たまたま彼の講演記事を目にして興味を持つようになりました。今年の夏に刊行された伝記『A Mind at Play』が好評のようで、その流れで彼の業績や発言が見直され、めぐりめぐってここに至ったことになります。

今回からの一連の投稿では、その講演で取り上げられた「問題解決に使える考え方」の各々について、拙訳付きでご紹介します。なお原文テキストは、以下のサイトを参照しました。

Creative Thinking (Claude Shannon at Bell Lab. March 20, 1952)

まずはじめにお話ししたいのは、「単純化」という考え方です。解決すべき問題はどのような種類のものでもかまいません。たとえば、機器の設計や物理学上の理論構築、数学における定理の証明といった種類のものが挙げられます。「そういった問題からあらゆることを排除しつつ、本質となる部分だけを残すように努める」やりかたが、きわめて有効的だと思います。つまり、大きさを切り詰めるわけです。取りくむ問題がなんであっても、本質的でないあらゆるたぐいのデータがある程度つきまとい、混乱のもととなっていることがほとんどです。そこで、その問題をいくつかの主たる論点へと落とし込めれば、何をやろうとしているのかいっそう明確に理解できるようになり、おそらくは解をみつけられることでしょう。それがために、追究していた問題を剥ぎとることになるかもしれません。当初とりくんでいた問題とは似つかない場所にまで単純化するかもしれません。しかし多くの場合において、単純な問題の解を出せたことで、最初に取りくんでいた問題に対する解に到達するまで、解を洗練させていくことができるものです。

The first one that I might speak of is the idea of simplification. Suppose that you are given a problem to solve, I don’t care what kind of a problem - a machine to design, or a physical theory to develop, or a mathematical theorem to prove, or something of that kind - probably a very powerful approach to this is to attempt to eliminate everything from the problem except the essentials; that is, cut it down to size. Almost every problem that you come across is befuddled with all kinds of extraneous data of one sort or another; and if you can bring this problem down into the main issues, you can see more clearly what you’re trying to do and perhaps find a solution. Now, in so doing, you may have stripped away the problem that you’re after. You may have simplified it to a point that it doesn’t even resemble the problem that you started with; but very often if you can solve this simple problem, you can add refinements to the solution of this until you get back to the solution of the one you started with.

この手の話題は本ブログでくりかえし取り上げています。言うまでもないかもしれませんが、そこには二つのねらいがあります。第一に、卓越した人物が共通して取りあげる話題はなおさら重要だ、と再認識すること。第二に、重要なことはそらで言えるようになり、日常的に使いこなせること(過去記事の例1例2)。個人的には、第二のほうが「言うは易く行うは難し」のままです。

2015年6月20日土曜日

(解答)いいアイディアを生み出す方法(『149人の美しいセオリー』)

0 件のコメント:
前回の投稿でとりあげた問題に対する解答の文章です。

エレガントなやり方はこうだ。小魚の群れが出てきたら、一飲みにするかわりに、海底を泳いでお腹で泥をならし、逃げ込む巣穴をふさいでしまう。これで食べ放題だ。

ここから何を学べるだろうか。いいアイディアを思いつくには、ダメなアイディアは捨てることだ。秘訣は、簡単で明白だが非効率なやり方を封印して、よりよい解決法が降りてくるようにすること。これがはるか昔、突然変異と自然淘汰の何らかの作用を通じて、大きな魚に起きたことなのだ。早く食べるとか、一口を大きくするといった、当たり前の発想をこねくり回すのはやめて、プランAを捨てれば、プランBが浮かんでくる。あなたが人間なら、二つ目の解決法もうまくいかなければ、それも封印して待ってみよう。三つ目が意識下に現われ、そのまた次が現われ、やがては難攻不落の課題も解決できる。たとえその過程で、直感的に明らかな前提のほとんどを封印しなければいけないとしても。

素人目には、いいアイディアはまるで魔法、稲妻のごとき知的跳躍のように映る。けれどもそれは、先述のようなプロセスの繰り返しの結果であり、魅力的だがミスリーディングな前提を捨てる経験を十分に積んだ結果である可能性が高い。非凡な発想は、実は平凡な発想の中から徐々に姿を現すものなのだ。(中略)

最高の頭脳を持つ者たちが何十年、何百年と挑み続けても古典的課題を解決できないのは、彼らが文化的にあまりに根深い前提に囚われていて、それを覆すことを思いつきもしないか、あるいはそもそも前提の存在にすら気づかないからだろう。だが、文化的文脈は変化する。昨日まで当たり前に思えたことが、今日や明日には、控えめに言っても疑わしく見えてくる。遅かれ早かれ、先人と比べて決して才能に恵まれているわけではないが、根本的に間違った前提という枷を持たない誰かが、あっけなく解決法を思いつくだろう。(p.381)

2014年5月12日月曜日

デカルト『方法序説』

0 件のコメント:
デカルトの『方法序説』を拾い読みしていたところ、有名な一節にたどりつきました。ものごとを考えるときに還元主義的に取り組む方法です。本ブログでよく取り上げているダーウィンやチャーリー・マンガーのやりかたは、ここに通じていたのですね。岩波文庫の翻訳から引用します。

法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実をあたえるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら、次の4つの規則で十分だと信じた。

第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。[参考記事]

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。[参考記事]

第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。[参考記事]

そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。[参考記事1][参考記事2] (p.28)

2014年5月4日日曜日

経済学における不完全性定理(チャーリー・マンガー)

0 件のコメント:
チャーリー・マンガーによる講演『経済学の強みとあやまち』の29回目です。悪徳の話題は今回までで、この講演も終わりに近づいてきました。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

妬みのからんだ悪徳がもたらすものから、興味深い問題がもう一つ生じています。モーセの戒律では賢明なことに、妬みに対して非常に厳しい批判を向けていました。彼らがいかに厳しく指摘していたか、覚えているでしょう。汝、隣人のロバをむさぼってはならない、隣人のはしためをむさぼってはならない、汝は…。人間とはどれだけ妬みがちなのか、妬みがどれだけ大きな問題を引き起こすか、古きユダヤ人はよくわかっていました。厳しい指摘だったものの、それは正しかったのです。しかし、マンデビルの著書『蜂の寓話』を覚えていますか。彼は(私からみれば)確信を以って自説を、つまり妬みは消費という性癖を焚きつける強力な原動力である、と開陳していました。ですから十戒で禁じられたこのひどい悪徳が、経済学にとってはあらゆる好ましい結果をもたらすことになります。つまり、経済学には誰一人逃れることのできない逆説があるわけです。

私がまだ若かったころに[数学者の]ゲーデルが皆の人気を集めていました。彼は、数学上のシステムには苛立たしいほどの不完全性を必ず伴っていることの証拠を見つけました。私はそのとき以来、数学には摘出することのできない欠陥が多々あり、逆説を含まない数学はあり得ないことを、先達の教えとして受けとめています。いかに懸命にやろうとも、数学者でいる以上はいくらかの逆説とは付き合っていかざるを得ないのです。

数学者が自らの創ったシステムから逆説を取り除けないのであれば、お粗末な経済学者が逆説を取り除くことはありません。言うまでもなく、その他大勢の我々でも同じです。しかし、このことは問題ではありません。逆説があればこそ、人生はおもしろいのです。私が逆説に出くわすとすれば、次のどちらかになると思います。このことを合点していたはずなのにまるっきりのバカをやらかすか、あるいは自分が従うやりかたの限界ぎりぎりを試す充実した時となるかです。どちらに転ぶかは人生のおもしろいところです。

Another interesting problem is raised by vice effects involving envy. Envy wisely got a very strong condemnation in the laws of Moses. You remember how they laid it on with a trowel: You couldn't covet thy neighbor's ass, you couldn't covet thy neighbor's servant girl, you couldn't covet…. Those old Jews knew how envious people are and how much trouble it caused. They really laid it on hard, and they were right. But Mandeville - remember his fable of bees? He demonstrated convincingly - to me, anyway - that envy was a great driver of proclivity to spend. And so, here's this terrible vice, which is forbidden in the Ten Commandments, and here it's driving all these favorable results in economics. There's some paradox in economics that nobody's going to get out.

When I was young, everybody was excited by Godel, who came up with proof that you couldn't have a mathematical system without a lot of irritating incompleteness in it. Well, since then, my betters tell me that they've come up with more irremovable defects in mathematics and have decided that you're never going to get mathematics without some paradox in it. No matter how hard you work, you're going to have to live with some paradox if you're a mathematician.

Well, if the mathematicians can't get the paradox out of their system when they're creating it themselves, the poor economists are never going to get rid of paradoxes, nor are any of the rest of us. It doesn't matter. Life is interesting with some paradox. When I run into a paradox, I think either I'm a total horse's ass to have gotten to this point, or I'm fruitfully near the edge of my discipline. It adds excitement to life to wonder which it is.

2013年9月30日月曜日

ある投資家が描くチャーリー・マンガー像(3)

0 件のコメント:
前回からつづいて、この話題の3回目です。個人的には、この一節を読んだことでチャーリー・マンガーという人を少し理解できるようになりました。前々回のコメントでも書きましたが、チャーリーが勧めるたぐいの本を読みはじめたきっかけとなりました。(日本語は拙訳)

一体マンガーは何をさがし求め、どのように候補を演繹的にしぼりこんでいくのだろうか。彼がはじめにやる帰納的にさがす作業については、彼の推薦するさまざまな書籍に登場するテーマの中に要約されていると思う。『銃・病原菌・鉄』、『利己的な遺伝子』、『氷河期』(未訳)、『ダーウィンの盲点』(未訳)といった本はすべて、たびたび登場するひとつのテーマへと集約できる。その共通のテーマとは、「ある対象の持つ能力が時とともに変化し、発展し、優勢になること」である。変化といってもそれぞれちがう対象をとりあげているが(人種、遺伝子、理論、人類)、いずれも根底にある命題は、時とともに変わり、栄え、優位に立つことだ。この考えをビジネスの世界へ当てはめて考えてみれば、ビジネスモデルや「自然淘汰的な」事業環境といった話が当然でてくるだろう。競争に打ち勝つことで興隆するものもあれば(『利己的な遺伝子』)、他者と協力することで繁栄するものもある(『ダーウィンの盲点』)。成功を果たし、永続していく能力をビジネスモデル自体が有しているかが、マンガーが投資したいと考える世界を決定づける。そこから彼は思考プロセスを「逆転」させ、論点へむかって逆方向から攻め、演繹的なやりかたへぐっとかたよる[=買わない理由をさがす]。ここですごく疑問だったのが、なぜマンガーはホーム・デポ(HD)を21ドルで買わなかったのかだ[2003年1月の安値のことと思われる]。そのジレンマの答えはロウズ(LOW)にあると思う。ホーム・デポはかなり良い会社だと考えたかもしれないが、ロウズをしのいで成功するだけの持ち前の競争力や協同面での優位性は持っていない、とマンガーは判断したのではないか。そのため削除プロセスを通じて(つまり帰納的に銘柄を追加するよりも、演繹的に自然淘汰して最適なものを残す)、マンガーは中核銘柄からホーム・デポをはずしたのだろう。同じ思考プロセスを、市場でみられる何百もの「割安な」企業にいつでも適用できるようになれば、マンガーの本質に手がとどくようになる。ひるがえってバークシャー・ハサウェイを考えてみると、20年前とくらべて現在はどうなったか。バークシャーのビジネス・モデルが持つコア・コンピタンシーは、柔軟に資本配分を行える点にある。それによって、おもに株式へ投資する器(うつわ)だった同社は、しだいに事業会社へと変貌してきた。利己的な遺伝子の運び手[=たとえば我々]とよく似ていて、今日の環境でもっとも成功できるようにバークシャーはみずからを変容させてきたのだ。これから20年後のバークシャーは、ふたたびまったく違うものにみえるかもしれない。その変化する能力こそ、競合がバークシャーと張りあうことのできないものだ。ビジネスの世界で変化し、成功をおさめ、優位に立つ能力には多くの要因がかかわっている。ひとつ気づいたのは、確実性の高いフリー・キャッシュ・フローが関係しているようにみえる。この件はバフェットもこう言っている。「悩みの種というよりは、使いみちを考える楽しみ(と柔軟性)を経営者にもたらしてくれるもの」と。コート・ファニチャー・レンタル社[=バークシャーの孫会社]には強力な競争相手がいるか。世界中にめぐらされたコークの流通網に、ペプシは対抗できるだろうか。H&Rブロック社が営む確定申告書作成ビジネスと戦えるところがあるか。それら3社は支配的な地位を占めており、その事実を変えるものはまだ姿をあらわしていない。

What does Munger look for and how does he deductively narrow the list? I think that part of what he first inductively looks for can be summarized in the underlying theme of much of his recommended reading material. After reading "Guns, Germs, and Steel," "The Selfish Gene," "Ice Age," and "Darwin's Blind Spot," I have deduced that there is one recurrent theme to all. The common theme is the ability of some entity to transform, thrive, and dominate over time. Each book in turn has a different transformation subject (peoples, gene carriers, theory, mankind) but the underlying thesis to all is what it takes to transform, thrive, and dominate through the ages. If one extrapolates this theory into the business realm then the natural bi-product would be business models and their 'naturally selective' environment. Some may thrive by out-competing (Selfish Gene) and some may thrive by out-cooperating (Darwin's Blind Spot). This ability of a business model to thrive and persist defines Munger's investment universe. From there he then INVERTS his thought process, attacks the issue from the opposite end, and begins his deductive bias. I have wondered aloud why Munger did not purchase say Home Depot at $21. I think the answer to that dilemma is Lowes - it is my guess that Munger may think that HD is a decent company but that over time he did not think that HD had the inherent competitive or cooperative advantages to thrive next to Lowes. Thus by process of elimination (deductive natural selection of the fittest rather than inductive addition) Munger would have eliminated HD from his core list. Transfer the same thought process to the hundreds of "undervalued" companies available in the market on any given day and I think we begin to get to the essence of Munger. On the other side, think for a moment of Berkshire Hathaway and what it was twenty years ago and what it is today. A core competency of the Berkshire business model is flexibility in capital allocation which over time has transformed the company from primarily an equity investment vehicle to an operating company. Much like a selfish gene carrier Berkshire has transformed itself to best thrive in the environment of the day. Twenty years from now Berkshire may look entirely different again and it is this ability to transform which Berkshire's competition can not match. The ability to transform, thrive, and dominate in the business world comes from many factors but one thing I've noticed is that it tends to be related to a secure stream of free cash flow which as Buffett says, "gives management pleasant choices [and flexibility] rather than headaches." Does Cort furniture rental have any significant competition? Can Pepsi compete with Coke's logistics network across the globe? Is there any competing tax preparation business for H&R Block? All three dominate and there is nothing visible on the horizon to change that fact.

2013年8月30日金曜日

65年ぶりに再び優勝した人(チャーリー・マンガー)

0 件のコメント:
チャーリー・マンガーによる講演『経済学の強みとあやまち』の13回目です。今回もまたチャーリーからの問題が出ています。回答部分の文章は次回にご紹介します。なお、前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

それでは、そういった問題を私がどのように解いているかお話ししましょう。言うまでも私は単純なサーチ・エンジンを心に抱き、チェックリストを順に確認していきます。さらに、大雑把なアルゴリズムをいくつか使っています。これは非常に多くの複雑なシステムにおいて、かなりうまくいきます。そういったアルゴリズムはたとえば次のように使います。著しい成功とは、それらの要因を組み合わせることでなされるものです。

A) ひとつかふたつの変数を極大化あるいは極小化すること。たとえば、コストコや当社の家具・電化製品店の例があげられます。

B) 成功要因を追加して、より大きな連携をつくることで成功を後押しすること。これは非線形的に進むことがよくあるため、物理学における破断点や臨界といった概念を思い浮かべるかもしれません。そうです、非線形的な結果がしばしばもたらされるのです。もうひと押しすることで、「とびっきりな」結果が得られます。私は生涯を通じて「とびっきりな」結果をさがし求めてきたので、それらがどのように発生するのか説明してくれるモデルには大きな関心を持っています。

C) 多くの要因において、徹底的にすぐれた成績を追求すること。トヨタやレス・シュワブがその例です。

D) ある種の大波をとらえて乗ること。オラクルが例です。なお今日の議事次第の中でオラクルのCFO(ジェフ・ヘンリー)が多くを占めていますが、オラクルのことはそれを知る前から話題にあげようと考えていました。

概して私が問題を解く際に使っており、みなさんにもお勧めなのは、急所を突くアルゴリズムを選んで、前向きだけでなく後ろ向きにもやることです。一例をあげてみましょう。私は家族にちょっとしたパズルを出して悩ませることがあります。次の問題は、それほど昔でない頃に家族へ出したものです。「この国でおこなわれる活動のひとつで、一対一のコンテスト形式によって国内チャンピオンを決めるものがあります。65年前に優勝した人が再び優勝しました。さて、その活動とは何でしょうか」(一時中断)。この問題についても、答えがひらめく人はあまりみたことはありません。私の家族でも、それほど多くはひらめきませんでした。しかし息子の一人に物理学者がいて、私好みのこの種の考え方に精通していました。ほどなく正解にたどりついた彼の説明はこうです。

Well, how did I solve those problems? Obviously I was using a simple search engine in my mind to go through checklist-style, and I was using some rough algorithms that work pretty well in a great many complex systems, and those algorithms run something like this: Extreme success is likely to be caused by some combination of the following factors:

A) Extreme maximization or minimization of one or two variables. Example, Costco or our furniture and appliance store.

B) Adding success factors so that a bigger combination drives success, often in nonlinear fashion, as one is reminded by the concept of breakpoint and the concept of critical mass in physics. Often results are not linear. You get a little bit more mass, and you get a lollapalooza result. And, of course, I've been searching for lollapalooza results all my life, so I'm very interested in models that explain their occurrence.

C) An extreme of good performance over many factors. Example, Toyota or Les Schwab.

D) Catching and riding some sort of big wave. Example, Oracle. By the way, I cited Oracle before I knew that the Oracle CFO (Jeff Henley) was a big part of the proceedings here today.

Generally I recommend and use in problem solving cut-to-the quick algorithms, and I find you have to use them both forward and backward. Let me give you an example. I irritate my family by giving them little puzzles, and one of the puzzles that I gave my family not very long ago was when I said, "There's an activity in America, with one-on-one contests and a national championship. The same person won the championship on two occasions about sixty-five years apart." "Now," I said, "name the activity." (Pause). Again, I don't see a lot of light bulbs going on. And in my family, not a lot of light bulbs were flashing. But I have a physicist son who has been trained more in the type of thinking I like. And he immediately got the right answer, and here's the way he reasoned:

何年か前にこの文章を読んだときは、答えが全く思いつきませんでした。日本人になじみのない話題を取り上げているので、どんぴしゃりの答えを出すのは困難だと思います。