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2017年12月8日金曜日

2017年デイリー・ジャーナル株主総会(3)無駄な1年を過ごさないために

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デイリー・ジャーナル社2017年株主総会でのチャーリー・マンガーに対する質疑応答から、3つめの引用です。今回もおなじみの話題ではありますが(過去記事1,2など)、話題がいろいろな方向へと展開していて、楽しんで読めました。なお文中で登場する言葉「アイデア」は日本語に訳さずにそのまま使っていますが、あえて訳せば「持論・自説・意見・見解・哲学・姿勢・信条」といった言葉になるかと思います。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳。また意味段落にて適宜改行を追加)

The hardest idea you have ever destroyed? (Youtube)

<質問20> 以前に、「愛してやまないアイデアのひとつも葬っていない1年は、無為に過ごしただけの1年だ」とおっしゃっていました。また「質の追求」へと転身するのが困難だったウォーレン・バフェットを誘導された、という話も有名です。それでは、ご自身にとって捨て去るのがもっとも難しかったアイデアのことをご説明頂けますでしょうか。

<チャーリー> それはもう、愚かしいことを散々やらかしてきましたよ。そういったまずいアイデアを今も抱えているからこそ、それらを葬るのに忙しいわけです(笑)。数あるうちから一つに絞り込むのはむずかしいですね。しかし悪しきアイデアを葬り去るのは、実のところ楽しみながらやっていますよ。まあ言ってみれば、「元からのアイデアを葬ることは、我が定めだ」と考えているからです。古いアイデアのせいで新たな優れたアイデアを取り込めないことが、人生における主たる問題となっている人たちが実にたくさんいます。これぞ、人の世におけるお決まりの成り行きですね。ドイツの言い習わしに、「少年老い易く、学成り難し」というものがあります。これはだれもが直面する問題ですよ。「学成り難し」なのは、身についてしまった愚かなアイデアを取り除けないからです。

一方で、その問題を抱えていたほうがうまいこともあります。婚姻ですね。つまり婚姻関係を安定させるには、古いアイデアにこだわったほうが好ましいかもしれないわけです(軽笑)。しかしほとんどの領域では、身についた古いアイデアを除去したいと望むでしょう。それが良き習慣となれば、世にある競争の激しい分野において、他人がひどくつたないのに反して大幅な優位をもたらしてくれますよ。そういった悪しきアイデアのことを盛大に語りながら、同時にそのアイデアを叩くわけです。結局のところ、手にしたアイデアに対して意見をぶつけ合ったり、語ったりするのですよ。ただし言うまでもないですが、説得しなければならない人物とは、そのアイデアを身につけた自分自身です。そういったアイデアを激しく叩くわけです。そのこともあって私はこの世界のことを、たとえば「FRBがどのようにふるまうべきか」といった持論をあまり話さないわけです。ものごとをどのように運営すべきか他人に話すことを考えている間にも、そのアイデアを自分にも教え込もうとしていますから。みなさんも、物事を考える上でのさまざまな習慣を身に付けたほうがいいですよ。

若者があらゆる問題の原因などを盲信しているというのは、よくないと思いますね。なんでも知っていると自認する17歳の若者には、中絶や中東における外交政策などについてどうすべきかを世界中に教え授けたいと考える者もいます。しかし確信していることを滔々と論ずる彼らのしていることは、すでに有したアイデアを叩いているだけですよ。多くのことを学んで身に付け始めたときとしては、そのやりかたは実に愚かしいアイデアですね。

ですから、愚かなアイデアを取り除こうとする習慣は非常に大切です。私は愚かしいアイデアを葬るたびに、「よくやった」と自分自身を褒めてやっていますよ。「自分自身の良き振る舞いを、本当に強化できるのか」と問われるかもしれません。ええ、できますとも。他人が褒めてくれなくとも、自分で自分を褒めることはできます。「自分のことを褒めてやる」、私にはそのような重要な仕組みが備わっています(笑)。こよなく愛でるアイデアを葬るたびに、自分を褒めたたえるのです。くりかえし褒めてやることもあります(笑)。諸君も同じ考え方を習慣づけたほうがいいですよ。「新しいアイデアを受け入れられるようになる」、そのために支払う対価は実に高額です。実際問題として、新たなアイデアを取り入れられないゆえに多くの人が命を落とすわけですから。

Question 20: You’ve said, “any year in which you don’t destroy one of your best loved ideas is a wasted year.” It’s well known that you helped coached Warren towards quality which was a difficult transition for him. I was wondering if you could speak to the hardest idea that you’ve ever destroyed.

Charlie: Well I’ve done so many dumb things. That I’m very busy destroying bad ideas because I keep having them. So it’s hard for me to just single out from such a multitude. But I actually like it when I destroy a bad idea because I think I’m on the…I think it’s my duty to destroy old ideas. I know so many people whose main problem of life, is that the old ideas displace the entry of new ideas that are better. That is the absolute standard outcome in life. There’s an old German folk saying, “We’re too soon old and too late smart.” That’s everybody’s problem. And the reason we’re too late smart is that the stupid ideas we already have, we can’t get rid of!

Now it’s a good thing that we have that problem, in marriage that may be good for the stability of marriage that we stick with our old ideas. But in most fields you want to get rid of your old ideas. It’s a good habit and it gives you a big advantage in the competitive game of life…other people are so very bad at it. What happens is, as you spout ideas out, what you’re doing is you’re pounding them in. So you get these ideas and then you start agitating them and saying them and so forth. And of course, the person you’re really convincing is you who already had the ideas. You’re just pounding them in harder and harder. One of the reasons I don’t spend much time telling the world what I think about how the federal reserve system should behave and so forth. Because I know that I’m just pounding the ideas into my own head when I think I’m telling the other people how to run things. So I think you have to have mental habits…

I don’t like it when young people get violently convinced on every damn cause or something. They think they know everything. Some 17 year old who wants to tell the whole world what ought to be done about abortion or foreign policy in the middle east or something. All he’s doing when he or she spouts about what he deeply believes is pounding the ideas he already has in, which is a very dumb idea when you’re just starting and have a lot to learn.

So it’s very important that habit of getting rid of the dumb ideas. One of things I do is pat myself on the back every time I get rid of the dumb idea. You could say, ‘could you really reinforce your own good behavior?’ Yeah, you can. When other people won’t praise you, you can praise yourself. I have a big system of patting myself on the back. Every time I get rid of a much beloved idea I pat myself on the back. Sometime several times. And I recommend the same mental habit to all of you. The price we pay for being able to accept a new idea is just awesomely large. Indeed a lot of people die because they can’t get new ideas through their head.

2017年11月20日月曜日

2017年デイリー・ジャーナル株主総会(2)「とびっきり効果」の発見

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デイリー・ジャーナル社の2017年株主総会でチャーリー・マンガーが交わした質疑応答から、二つめの引用です。今回は、チャーリーが残した指折りの知的成果である「とびっきり効果」(Lollapalooza effect)についてです。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問13> 現在起こっているできごとで、気にかかっていることは何ですか。またそれらを特定するために、とびっきり効果のような学際的アプローチをどのように使っておられますか。

<チャーリー・マンガー> かつて私は、心理学のことを何もわかっていなかったものです。しかしそれは自分の手抜かりだと気づき、心理学の主要な初級教科書を3冊買って通読しました。私が「とびっきり効果」という用語を生みだしたのは、その時分でした。もちろんですが、まるでなっていない心理学者よりも、チャーリー・マンガーたる自分のほうがうまくやれると考えましたよ。とびっきり効果はどの本にも書いておらず、みずから思いついたアイデアのひとつです。これは、3つや4つの動向が同一の状況下で同時に働いたときに生じます。線形ではない働きをみせたとき、とびっきりな効果が生じたと言えるわけですね。[参考記事]

ところが心理学の研究者たちは、4つや5つの物事が同時に発生する実験を行うことができませんでした。彼らにしてみれば、実に複雑だったからですね。論文も出せませんでした。それゆえ彼らは、己の専門領域における最も重要なことを無視し通したわけです。もちろんながら、重要なことは他にもありましたよ。心理学を他のあらゆるものと総合する仕事です。ところが心理学の専門家である彼らは、「ほかのあらゆる物事」についてまるでわかっていなかったのです。これはやっかいですね。他の物事を知らずして、わかっている物事と総合するなどできませんよ。だから私がとびっきりな問題へ達することになったわけです。まあ実際のところ、その後も私は一人ぼっちでしたがね(笑)。彼の領域で名が通っているわけでもないですし。さはさりながら、私の考えは正当無欠なものですよ。[参考記事12]

Question 13: Question about Lollapalooza effects. What current event is causing you concern and how can you use that inter-disciplinary approach to spot them?

Charlie: Well, I coined that term the “Lollapalooza effect” because when I realized I didn't know any psychology and that was a mistake on my part, I bought the three main text books for introductory psychology and I read through them. And of course being Charlie Munger, I decided that the psychologists were doing it all wrong and I could do it better. And one of the ideas that I came up with which wasn't in any of the books was that the Lollapalooza effects came when 3 or 4 of the tendencies were operating at once in the same situation. I could see that it wasn't linear, you've got Lollapalooza effects.

But the psychology people couldn't do experiments that were 4 or 5 things happening at once because it got too complicated for them and they couldn't publish. So they were ignoring the most important thing in their own profession. And of course the other thing that was important was to synthesize psychology with all else. And the trouble with the psychology profession is that they don't know anything about ‘all else'. And you can't synthesize one thing you know with something you don't if you don't know the other thing. So that's why I came up with that Lollapalooza stuff. And by the way, I've been lonely ever since. (laughter) I'm not making any ground there. And by the way, I'm totally right.

2017年10月28日土曜日

『かくて行動経済学は生まれり』(マイケル・ルイス)

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『マネー・ボール』の著者マイケル・ルイスの新しい翻訳書『かくて行動経済学は生まれり』を読みました。『マネー・ボール』でデータに基づく意思決定を取り上げた彼は、本書では人間が意思決定を行う際の矛盾に焦点を移し、昨今よく取りあげられている行動経済学の大家ダニエル・カーネマン(過去記事)と、その研究パートナーだった人物エイモス・トヴェルスキーが歩んだ学者人生や兵役生活、研究成果などをたどっています。

おもしろさという点ではマネー・ボールのほうが上をいくと思いますが、本書には評価したい側面があります。「二人の天才を取りあげたこと」は言うまでもありませんが、「天才同士の協調がどのように進められるのかを描いたこと」がそうです。「天才同士が協調して物事にあたる過程や、そこから生まれるもの」については大いに興味がありました。その典型が、ウォーレン・バフェットとチャーリー・マンガーの協調によってバークシャー・ハサウェイが大きく発展した件です。その意味で本書は、予想外のうれしい一冊でした。

今回は、これからお読みになる方の楽しみを損なわない程度に、一部をご紹介します。最初に引用するのは、エイモス・トヴェルスキーの天才ぶりに触れた箇所です。

「(前略)彼は物理学のことを何も知らないのに、道端で物理学者に出会って30分話すだけで、物理学について、その物理学者が知らないことを話すことができた。わたしは最初、彼をきわめて底の浅い人物だと思った。つまり表面をごまかしてとりつくろっているだけなのだと。でもそれは間違いだった。ごまかしなんかじゃなかったんだ」(p. 111)

*

エイモスの科学のあり方は、少しずつ積み上げていくというものではなかった」とリッチ・ゴンザレスは言う。「一気に飛躍して進む。既存の理論的枠組みを見つけ、その一般命題を見つける。そしてそれをぶち壊すんだ。彼自身も否定的なスタイルで科学をしていると思っていた。実際、彼は否定的という言葉をよく使った」。それがエイモスのやり方だった。他人の間違いを指摘してやり直す。そしてそのうちに、他にも間違いがあったことがわかるのだ。(p. 127)

次の引用は、さまざまなヒューリスティック(代表性や利用可能性といった、経験を踏まえて判断すること)によって、人があやまった予測をする過程を取り上げた箇所です。この種の話題は、本ブログでも何度か取り上げています。

どんな状況でも、不確実性の程度を判断するさい、人は"無言のうちに憶測"をすると彼らは述べている。「たとえばある企業の利益を予測するときは、その会社がふつうの操業状態であることを前提として推測をする」と、彼らのメモにある。「人はその条件が戦争やサボタージュ、不況、あるいはライバル会社の倒産などで、劇的に変化する可能性を考えない」。ここには明らかに、もう一つの間違いの原因がある。人は自分がわかっていないことをわかっていないというだけでなく、自分たちの無知を判断材料として考慮しようとしないのだ。(p. 216)

*

現実の生活で遭遇する多くの複雑な問題、たとえばエジプトがイスラエルに侵攻するかどうか、あるいは夫が他の女のもとに走るかどうかといった問題を前にしたとき、人は頭の中でシナリオを組み立てる。そしてわたしたちが記憶をもとにつくりあげた物語が、確率の計算に取って代わってしまうのだ。「説得力のあるシナリオができると、将来を予測する思考が制限される可能性が高い」と、ダニエルとエイモスは書いている。「不確実な状況がいったんある形で知覚、解釈されると、他の形で見ることは難しくなる」

しかし自分でつくりあげた物語は、材料の利用可能性によってバイアスがかけられている。彼らは「未来のイメージは過去の経験からつくられる」と書いた。これは歴史の重要性についてのサンタヤーナの有名な言葉、「過去を覚えていられない者は、それを繰り返すそしりを受ける」の逆をいくものだ。過去についての記憶が、将来についての判断を歪めかねないと、彼らは言っているのだ。「われわれはよく、ある結果が生じる可能性はほとんど、あるいは絶対にないという判断をくだすが、それはその結果を引き起こす原因となる一連の出来事を想像できないからだ。欠陥は、わたしたちの想像力にある」(p. 219)

備考です。ナシーム・ニコラス・タレブは、想像力を発揮して未来を予測することの難しさについて触れていました。そして、エクスポージャーを予測するほうが容易だとしています(過去記事)。カーネマンのような先達がみつけた知見を踏まえた上での洞察でしょうから、参考にすべき見解だと受け止めています。

2017年7月12日水曜日

時間の無駄かもしれない(ハワード・マークス)

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Oaktreeのハワード・マークスが1月に書いたレターは、「専門家の見解(Expert Opinion)」と題したものでした。「専門家による予測は、あまり当てにならない」とする主旨が、彼らしい実際的な視点から説明されていました。そのなかで気に入ったいくつかの箇所を、少しずつ引用してご紹介します。原文のリンク先は以下のとおりです。(日本語は拙訳)

memo from Howard Marks: Expert Opinion [PDF] (Oaktree Capital Management)

息子アンドリューの助力を得て、メディアが及ぼす効果を解き明かしてみました。

・あるできごとに関心を持ち続ける人は、「その件へ積極的に関わっていると共に十分な情報を得ている」と感じるようになります。
・情報を得ていると自覚する人は、自信をもって考えたり、行動したりするものです。
・しかしメディアに登場する評論家であっても、他の人と同程度の洞察力しかないことがよくあります。
・それはともかく人間とは、自分の考えに逆らう内容ではなく、自分の信念を支持する内容を発するメディアへと関心を寄せがちです。
・それがために、メディアに登場する専門家に耳を傾けるのは、楽しいひとときではあるものの、知性の点からすると時間の無駄と言えるかもしれません。(p. 4)

My son Andrew has helped me dope out the media effects:

- Following events makes people feel they're actively involved in them and well informed.
- People think and act with more confidence when they consider themselves informed.
- But the media pundits often are no more insightful than the rest of us.
- And anyway, people tend to follow media outlets that confirm their beliefs rather than challenge them.
- Thus following the media experts, while entertaining, can be a waste of time intellectually.

参考となる過去記事としては、確証バイアスの話題になったときによくご紹介している「ダーウィンの『逆ひねり』」があります。さらに今回は別の記事、「動物はパターンを見つけずにはいられない」も挙げておきます。

2017年7月4日火曜日

2016年度バフェットからの手紙(9)金持ちが熟練者と出会うとき

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2016年度「バフェットからの手紙」から、「ロング・ベッツ」の話題は今回で終わりです。(日本語は拙訳)

公務員が加入している年金基金に、多額の金銭的損害が生じました。それら基金の多くは痛々しいまでに積み立て不足ですが、「巨額の手数料を払ったあげく、投資の成績はお粗末」という往復ビンタをくらったことも、その原因の一部です。運用資産に生じた不足分は、地元の納税者が何十年もかけて埋め合わせなければいけないでしょう。

人間の行動とは変わらないものです。裕福な個人や年金基金、財団などは、「投資上の『特別な』助言を受ける資格がある」と、これからも感じ続けることでしょう。そのような期待を抜け目なく利用できる助言者は、大金持ちになれると思います。今年の秘薬はヘッジ・ファンドになるかもしれない。あるいは来年は別のものかもしれない。その手の約束が目白押しに続くとどんな結末になりそうか、ある警句が次のように予言しています。「金のある者が経験のある者と出会えば、ついには経験のある者に金がわたり、金のある者の手元には経験が残る」と。

昔のことですが、オマハの市場で卸売業者として働いていた義理の兄であるホーマー・ロジャーズに尋ねたことがあります[スーザンの姉ドッティーの配偶者]。「農家や畜産家をどう説得したら、食肉業界大手4社(スウィフト、クダヘイ、ウィルソン、アーマー)の買い付け人へ豚や牛を売りさばく仕事を任せてもらえるのですか」。結局は豚は豚であって、どの動物にどれだけの価値があるか、専門家である買い手はきっかり知り尽くしているわけです。さらに、もうひとつ質問しました。「他の人よりも良い成績をあげる代理人がいるのは、一体どういうわけですかね」。

残念そうなまなざしを向けながら、ホーマーはこう答えました。「ちがうんだ、ウォーレン。彼らにどうやって売るかではなくて、どう話すかなんだよ」。市場で使えたその技は、今もなおウォール街で使えています。

* * * * * * * * * * * *

最後になりますが、ウォール街には良き友人も多くいますので、このあたりで仲直りできればと思います。買収案件を持ってきてくれる投資銀行には、たとえ膨大な金額であってもバークシャーは喜んで手数料をお支払いします。さらに言いますと、当社に在籍している2名の投資マネージャーには、好成績をおさめた際に多額の報酬を支払っており、かなうならばもっと多額を払いたいと望んでおります。

新約聖書の言葉に倣えば(エフェソ書3:18)、「手数料」という単純な3文字の言葉をウォール街へ投げかけたときに、その言葉から流れ出すエネルギーの「高さ、深さ、長さ、広さ」がどのようなものか承知しています。そのエネルギーがバークシャーへ価値をもたらしてくれるのでしたら、よろこんで高額の小切手を切りたいと思います。

(この章おわり)

Much of the financial damage befell pension funds for public employees. Many of these funds are woefully underfunded, in part because they have suffered a double whammy: poor investment performance accompanied by huge fees. The resulting shortfalls in their assets will for decades have to be made up by local taxpayers.

Human behavior won’t change. Wealthy individuals, pension funds, endowments and the like will continue to feel they deserve something “extra” in investment advice. Those advisors who cleverly play to this expectation will get very rich. This year the magic potion may be hedge funds, next year something else. The likely result from this parade of promises is predicted in an adage: “When a person with money meets a person with experience, the one with experience ends up with the money and the one with money leaves with experience.”

Long ago, a brother-in-law of mine, Homer Rogers, was a commission agent working in the Omaha stockyards. I asked him how he induced a farmer or rancher to hire him to handle the sale of their hogs or cattle to the buyers from the big four packers (Swift, Cudahy, Wilson and Armour). After all, hogs were hogs and the buyers were experts who knew to the penny how much any animal was worth. How then, I asked Homer, could any sales agent get a better result than any other?

Homer gave me a pitying look and said: “Warren, it’s not how you sell ‘em, it’s how you tell ‘em.” What worked in the stockyards continues to work in Wall Street.

* * * * * * * * * * * *

And, finally, let me offer an olive branch to Wall Streeters, many of them good friends of mine. Berkshire loves to pay fees - even outrageous fees - to investment bankers who bring us acquisitions. Moreover, we have paid substantial sums for over-performance to our two in-house investment managers - and we hope to make even larger payments to them in the future.

To get biblical (Ephesians 3:18), I know the height and the depth and the length and the breadth of the energy flowing from that simple four-letter word - fees - when it is spoken to Wall Street. And when that energy delivers value to Berkshire, I will cheerfully write a big check.

2016年2月10日水曜日

スポーツ選手が抱く心境に学ぶ(セス・クラーマン)

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2009年3月のOID誌に掲載されたセス・クラーマンの講演記事から、さらに引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<クラーマン> みずからの投資プロセスをコントロールすることにおいて、そういった点は絶対的に重要です。ソシエテ・ジェネラル社のストラテジストであるジェームズ・モンティエ[現在はGMOに所属]は、少し前に書いた文章で次のように指摘していました。「北京オリンピックで競技が始まる直前に、どんなことを心に抱いていたか」、運動選手たちに対してそう質問したところ、返事はどれも同じように、選手がひたすら考えていたのは結果ではなくプロセスのほうだったとのことでした。プロセスに集中することが、最善の結果を達成する術だったのです。

さらにモンティエは、昔から心理学者が「結果バイアス」として知られる現象を知っていたことに触れています。これは、結果の如何によって異なった評定をくだす傾向のことです。たとえばある医者が手術を行って、患者が命を取りとめたとします。この場合、同じ手術をしながらも失敗して患者が死亡した場合と比較して、はるかに優れていた判断だったと評定されます。モンティエ曰く、成果が振るわない期間にはプロセスを変更するようにとの圧力が高まります。しかしそのプロセスが適切である以上、プロセスを変更することこそ間違いなのです。(p.3)

Klarman: This point about controlling your process is absolutely crucial. James Montier, SocGen's market strategist, pointed out in a recent piece that when athletes were asked what went through their minds just before competing in the Beijing Olympics, the response again and again was that the competitor was focused on the process, not on the outcome. The way to maximize outcome is to concentrate on the process.

Montier points out that psychologists have long been aware of a phenomenon known as "outcome bias". This is the tendency to judge a decision differently based on its outcome. For example, if a doctor performs an operation and a patient survives, the decision is rated as significantly better than if the same operation fails and the patient dies. According to Montier, during periods of poor performance, the pressure builds to change your process. But so long as the process is sound, this would be exactly the wrong thing to do.

2015年12月28日月曜日

動物はパターンを見つけずにはいられない(『「偶然」の統計学』)

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前々回に取り上げた本『「偶然」の統計学』から、もう一か所引用します。本ブログでたびたび取りあげる「確証バイアス」の話題です。

記憶が外からの影響を受けやすいことは、2章で取り上げた確証バイアスと関連がある。確証バイアスとは、自分の信条(科学であれば仮説)を支持する証拠にはなぜか気づくのに、それらに反する証拠には気づかない、という無意識の傾向のことである。たとえばこんな状況を考えてみよう。

私が数の並びを作るルールを考えた。それに基づく最初の3個は2,4,6だ。それに対してあなたがこれに続く3個を予想し、私はそれが合っているかどうかを言う。そして同じことを繰り返す。つまり、あなたは先ほどの数に続く数を3個予想し、私はそれが合っているかどうかを言う。私たちはこれを、私のルールがわかったとあなたが確信するまで続ける。

この例のような状況において、人間はえてして数の並びに関する自分の仮説に沿った3つ組を次々と探す。なので、この例においてあなたが私のルールを「偶数を挙げること」だと予想したなら、あなたは続く3個として8,10,12と言うだろう。そして、それが正しいと言われたら、それに続く3個として14,16,18を挙げる。それも正しいと言われたら、あなたは自信をもって、数が単純に2ずつ増えていくというのが私のルールだと思うに違いない。

あなたの挙げた並びが私のルールを満たしていることは確かだが、実はあなたが予想したルールは私が考えていたものではない。私のルールは、順次大きくなる整数からなる任意の集合だった。この例では、自分の仮説に沿う数の3つ組ばかりを探し、反証となりうるほかの3つ組で仮説を検証しようとしない、というバイアスが働いている。

興味深いことに、科学の理想像においては、科学者は仮説を思い付いたらそれを反証すべく実験をする。反証に耐えるほど、その仮説が正しい可能性は高まる。だが、科学的な評価はうまくいく仮説――そうした反証に耐える仮説――を思いついたことが基になるので、人間はおのずと自説の検証をあまり難しくしないようにしがちだ。

(中略)

2,4,6,8,10,12……という並びの背後にあるルールを探す例における関心の的は、人間が(そして動物も)パターンを見つけずにはいられないこと、そして現に見つけるのがうまいことである。すでに何度か触れたが、これは進化の自然な産物である――トラが近づいてくる兆しを見つけられれば、近隣の好戦的な部族の何人かが忍び寄ってきたのがわかれば、あるいは果実が食用に適していることを示す特徴を掴めれば、あなたが生き残って遺伝子を次の世代に伝えられる可能性は高まる。だが、迷信を取り上げたときに見たように、出来事のパターンは背後に何の原因もなく偶然生まれることもある。実際には何の関係もない2つの出来事に相関がある(片方の発生がもう片方の発生と関連がある)と信じることは、よく「錯誤相関」効果と呼ばれている。そして、ここに統計的な推論の出番がある。その目的は、偶然生じたパターンと背後に何らかの原因が本当に存在するパターンとを区別することだ。(p. 225)

2015年11月8日日曜日

投資家にウソをついたのではない(『HARD THINGS』)

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少し前に『HARD THINGS』という本を読みました。著者のベン・ホロウィッツはネットスケープのマーク・アンドリーセンとITベンチャー企業を経営し、事業を大企業へ売却することに成功した人物です。畏敬すべき経歴に聞こえるかもしれませんが、事業経営の内情はIT企業によくあるドタバタの連続です。IT業界で働く人であれば(ベンチャー企業であればなおさら)、肯きたくなる局面が何度もでてきます。その意味で個人的には「激動の時期を駆け抜けた、あるCEOの回顧録」として読みました。

さて今回は、同書で何度か取り上げられているアンディ・グローブ(インテルの元CEO)の発言を引用します。

2001年の大インターネットバブルの最終時期、大手IT企業が軒並み四半期目標を大幅に下回ったときに、なぜ誰もバブル崩壊を予知できなかったのかと考えた。2000年4月のドットコム不況のあと、シスコ、シーベル、HPなどは、自分たちの顧客の多くが壁にぶつかるのを見て、すぐに景気後退に気づいたはず、とあなたは考えるかもしれない。しかし、おそらく史上最大規模の早期警告システムが作動していたにもかかわらず、どのCEOも強気の予測を繰り返した。自分たちの四半期が劇的に吹き飛ばされる寸前まで。私はアンディに、なぜ偉大なCEOたちが、迫りくる自らの運命についてウソをつくのか尋ねてみた。

彼らは投資家にウソをついたのではなく、自分にウソをついていたのだとアンディは言った。

アンディは、人間、特にものをつくる人たちは、良い先行指標にしか耳を貸さないと説明した。たとえば、CEOは自社サービスの登録者数が通常の月間成長率を25パーセント上回ったと聞けば、切迫した需要の大波に耐えられるよう、すぐにエンジニアを追加するだろう。一方、登録者数が25パーセント減少すれば、CEOは同じくらい熱心かつ緊急に、言い訳の説明をするだろう。「この月は低調だった。休日が4日もあり、ユーザーインタフェース(UI)を変更したことによってさまざまな問題が起きた。どうか、パニックにならないでほしい!」

どちらの先行指標も誤りだったかもしれないし、正しかったかもしれないが、この架空のCEOはほぼすべてのCEOと同様に、ポジティブな指標に対してのみ行動を起こし、ネガティブな指標に対しては、説明を探すだけだ。(参考記事)(p.128)

2015年10月26日月曜日

人を動かすには(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーが2007年に南カリフォルニア大学グールド・ロースクールの卒業式で述べた祝辞の11回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

ハーバード・ロー・レビュー[論文誌; ハーバード・ロー・スクールの学生が発行]で訓練を積んだ聡明で立派な人がいました。彼はソロモン・ブラザーズで法務担当役員を務めていたものの、職を失うことになりました。私はその様子を目の当たりにしたのです。同社の有能なるCEOが、下っ端の社員がなにかあやまちを犯していると告げられました。その法務担当役員氏は彼に対して次のように言ったのです。「私たちには、その件を報告する法的義務はありません。しかし私としてはそうすべきだと思います。それが道徳上の責務だからです」。法務担当役員氏の発言は実務的にも道徳的にも正しいものでした。しかし、忙しいCEOに向かって非常に不快なことをやるように勧めたものですから、説得力のないやりかたでした。当然理解できると思いますが、そのCEOは問題をずっと先送りしたままでした。悪意があってそうしたわけではないですよ。やがて、即座に通知しなかった事実を強力な規制当局が知って憤慨したときには、CEOは退任となり、その法務担当役員も共に去っていきました。

ベン・フランクリンは、そのような状況においてうまく説得するための正しい技術を示しています。「人を動かすには、理屈を説かずに利害に訴えること」、ベンはそう言いました。人間に生じる自己奉仕バイアスとは強烈ですから、正しい結果を得るために法務担当役員氏はそれを使うべきでした。こう進言するべきだったのです。「みてください。ことが進めばあなたを破滅させかねません。金銭や地位が奪われ、評判にも大きな傷がつきます。取り返しがつかなくなってあなたが困らないように、大事に至る前に策を講じたほうがよいと思われます」。これであればうまくいったでしょう。ですから、たとえ動機が高尚であっても、往々にして利害に訴えたほうがよいのです。理屈を説くのではありません。

I watched the brilliant and worthy Harvard Law Review-trained general counsel of Salomon Brothers lose his career there. When the able CEO was told that an underling had done something wrong, the general counsel said "Gee, we don't have any legal duty to report this, but I think it's what we should do. It's our moral duty." The general counsel was technically and morally correct. But his approach didn't persuade. He recommended a very unpleasant thing for the busy CEO to do and the CEO, quite understandably, put the issue off, and put if off, and not with any intent to do wrong. In due course, when powerful regulators resented not having been promptly informed, down went the CEO and the general counsel with him.

The correct persuasive technique in situations like that was given by Ben Franklin. He said, "If you would persuade, appeal to interest, not to reason." The self-serving bias of man is extreme and should have been used in attaining the correct outcome. So the general counsel should have said, "Look, this is likely to erupt into something that will destroy you, take away your money, take away your status, grossly impair your reputation. My recommendation will prevent a likely disaster from which you can't recover." That approach would have worked. You should often appeal to interest, not to reason, even when your motives are lofty.

備考です。同じ話題が過去の投稿「(解答)顧客の不正をとめるには」でも登場しています。

2015年10月20日火曜日

そこまでの不運とは、お気の毒です(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーが2007年に南カリフォルニア大学グールド・ロースクールの卒業式で述べた祝辞の10回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

愚かなために破滅に至ることがよくあるものとして、「自己奉仕バイアス」もあげられます(過去記事)。これは無意識に起こりがちで、そうなる可能性はだれにもあります。「かわいい自分」にはやりたいことをやる資格がある、と考えがちです。そうだとすれば、かわいい自分が欲しいものを手にするために収入以上の消費をしてはいけない理由とは何でしょうか。その昔、世界でいちばん有名な作曲家となった男がいました。しかし彼の歩んだ人生は、とことん惨めな思いをするばかりでした。収入を超える消費ばかりしていたのも、その理由のひとつです。その人物とは、モーツァルトです。ひどく愚かしいその種の振舞いを彼がなんとかできなかったのであれば、みなさんがそれを試すべきではないでしょう(聴衆笑)。

妬みや恨み、復讐、自己憐憫といった感情を抱くのは、総じて破滅的な考え方をしている状態と言えます。そのうちの自己憐憫は、パラノイア(偏執狂; 強い妄想をいだく症状)にかなり似たものとなることがあります。パラノイアとは脱け出すのが最高に難しいもののひとつですよ。自己憐憫には陥りたくないと思うことでしょう。かつての友人に、麻紙製のカードを分厚い束にして持ち歩いていた男がいました。そして自己憐憫を示す発言をした人がいると、彼は巨大な束をゆっくりと厳かにとり出し、てっぺんのカードを引いて相手に渡したものです。カードには次の言葉が書かれていました。「気の毒なお話、そこまでの不運に見舞われた人は初めてです」。なんとも滑稽だと思うかもしれませんが、私が示唆しているのはこの話が精神衛生を維持する手段になりうるということです。原因がなんであれ、どんな自己憐憫に陥ったところで助けになることはありません。たとえ自分の子供がガンで死を迎えつつある場合でもそうです。そのようなときには、我が友人の出したカードをみずからに差し出すべきでしょう。自己憐憫とは常に逆効果をもたらす間違った考え方です。それを避けることができれば、ほとんどの人よりもずっと優位に立てます。自己憐憫とは通常、反射的行動として生じるものだからです。しかし訓練を積めば、そこから抜け出すこともできます。

同様に、自分の物事の考え方から自己奉仕バイアスを取り除きたいと考えるのも当然だと思います。自分にとって良きこととは何か、そう考えるのは広い社会にとっても良いことですよ。一方、自分を満足させようとする傾向が潜在意識下で働き、愚かで悪しき振舞いを正当化するのは、どうしようもない考え方です。愚かではなく賢くありたい、悪しき人間ではなく良き人間でありたい、そう望むならば自分の身からそのバイアスを追い出したいでしょう。それとは別に、他人が自己奉仕バイアスの影響を受けていても、それを許すだけの受けとめ方や振舞いをするべきです。そのバイアスをすごく上手に除去できる人はほとんどいないからです。人間とはそういうものです。他人の振舞いにみられる自己奉仕バイアスを許せないのであれば、それもまた愚かしいことですよ。

Another thing that often causes folly and ruin is the “self-serving bias,” often subconscious, to which we're all subject. You think that “the true little me” is entitled to do what it wants to do. For instance, why shouldn't the true little me get what it wants by overspending its income? Well, there once was a man who became the most famous composer in the world. But he was utterly miserable most of the time. And one of the reasons was that he always overspent his income. That was Mozart. If Mozart couldn't get by with this kind of asinine conduct, I don't think you should try it. (Audience laughs.)

Generally speaking, envy, resentment, revenge and self-pity are disastrous modes of thought. Self-pity can get pretty close to paranoia. And paranoia is one of the very hardest things to reverse. You do not want to drift into self-pity. I had a friend who carried a thick stack of linen-based cards. And when somebody would make a comment that reflected self-pity, he would slowly and portentously pull out his huge stack of cards, take the top one and hand it to the person. The card said, "Your story has touched my heart. Never have I heard of anyone with as many misfortunes as you". Well you can say that's waggery, but I suggest it can be mental hygiene. Every time you find you're drifting into self-pity, whatever the cause, even if your child is dying of cancer, self-pity is not going to help. Just give yourself one of my friend's cards. Self-pity is always counterproductive. It's the wrong way to think. And when you avoid it, you get a great advantage over everybody else, or almost everybody else, because self-pity is a standard response. And you can train yourself out of it.

Of course you also want to get self-serving bias out of your mental routines. Thinking that what's good for you is good for the wider civilization, and rationalizing foolish or evil conduct, based on your subconscious tendency to serve yourself, is a terrible way to think. And you want to drive that out of yourself because you want to be wise not foolish, and good not evil. You also have to allow, in your own cognition and conduct, for the self-serving bias of everybody else, because most people are not going to be very successful at removing such bias, the human condition being what it is. If you don't allow for self-serving bias in the conduct of others, you are, again, a fool.

過去記事「誤判断の心理学(11)お先真っ暗なとき」で書き添えましたが、チャーリー自身も若い頃につらい思いをしています。

2015年6月16日火曜日

2015年バークシャー株主総会;テレダイン社のシングルトン氏について

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少し前の投稿でご紹介した本『破天荒な経営者たち』に登場していたテレダイン社の元CEOヘンリー・シングルトンのことが、5月2日に開催されたバークシャー・ハサウェイの年次株主総会でも話題になっていました。その箇所をご紹介します。なお、このシリーズの前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問> コングロマリットだったテレダイン社がほぐれたことから学んだことはありますか。

<バフェット> テレダインのCEOだったヘンリー・シングルトンを観察することで、いろんなことを学びました。

<マンガー> シングルトンは我々よりもずっと頭のいい人物でしたよ。彼は目隠しでチェスを指すことができました。しかし投資の面ではバフェットのほうがシングルトンよりうまくやりました。いつも証券のことを考えていたからですね。(笑いながら)シングルトンとくらべると知能指数はかなり劣っていましたが、ウォーレンはうまくやってこられたのです。シングルトンは主要な重役たちを動機づけるのに非常に巧妙なやりかたをしました。ところが最後には3つの事業部がスキャンダルを起こしてしまいました。まちがった動機づけをしたせいで、政府との取引で度が過ぎたのです。

<バフェット> 動機づけが大きな力を持つことをわたしたちは信じています。ですが、隠れた動機づけによってまちがった行動を導くことがないように気をつけています。良識のある人物が誤った行動を起こしてしまう例を一度ならず見てきました。CEOに忠義立てして、数字を達成しようとしたせいです。「金銭的な報酬やエゴを満足させようとして誤った行動をとってしまう」、バークシャーではそうさせる誘因を撲滅するように努めています。

<マンガー> ヘンリーはバークシャーの株式と引き換えにテレダインを売却したがっていましたよ。(含み笑いをしながら)彼はとことん賢明だったわけです。(後略)

Buffett was asked what he learned from the unwinding of the Teledyne conglomerate. Buffett said he learned a lot from watching Henry Singleton, the CEO of Teledyne.

Charlie added that Singleton was a lot smarter than either of them. He played chess blindfolded. However, Buffett did better than Singleton in investing as Buffett was always thinking about securities. Charlie laughed, "Warren was able to get by with his horrible deficit in IQ to Singleton." Singleton had very clever incentives for key executives. In the end, he had three different departments get into scandals. They went too far in dealing with the government due to the wrong incentives being put into place.

Buffett added that they believe in the power of incentives. However, they try to avoid hidden incentives that make people misbehave. He noted that they have seen more than once really decent people misbehave because they felt there was a loyalty to their CEO to deliver certain numbers. At Berkshire, they try to eliminate incentives that would cause people to misbehave for financial rewards or ego satisfaction.

Charlie noted at the end, Henry wanted to sell Teledyne to Berkshire for Berkshire stock. He chuckled, "He was smart to the end."

2015年6月14日日曜日

創発とは(『わたしはどこにあるのか』)

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読了したばかりの本『〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義』は「人間の意識」とはどのようなものなのか、科学的な説明を試みている著作です。そのなかで説明されていた「創発」という概念をはじめて知りました。チャーリー・マンガーが主張する「とびっきり効果」(Lollapalooza effect)と似ており、印象に残りました(参考記事の例)。今回は創発を説明した箇所を引用します。

創発とはミクロレベルの複雑系において、平衡からはほど遠い状態(無作為の事象が増幅される)で、自己組織化(創造的かつ自然発生的な順応志向のふるまい)が行なわれた結果、それまで存在しなかった新しい性質を持つ構造が出現し、マクロレベルで新しい秩序が形成されることだ。創発には「弱い創発」と「強い創発」の2種類がある。弱い創発とは、元素レベルの相互作用の結果、新しい性質が出現すること。創発された性質は個々の要素に還元できる。つまりレベルが進んでいった段階を把握できるわけで、決定論的な立場と言える。これに対して強い創発では、新たに出現した性質は部分の総和以上なので還元できない。無作為の事象が拡大していくので、基礎的な理論や、別レベルの構造を支配する法則を理解したところで、性質の法則性が予測できない。(p.155)

こちらはおまけで、物理学者ファインマンの発言です。

物理学者が尻尾を巻き、決定論の裏口からこっそり逃げ出したのは、カオス理論も一因だが、量子力学と創発によるところが大きい。リチャード・ファインマンが、1961年にカリフォルニア工科大学の新入生を前に行った講演の中で、こう宣言したのは有名な話だ。「その通り!物理学は降参した。特定の状況で何が起こるのか、予測する術を我々は持たないし、そんなことは不可能だと分かった―予測できるのは異なる事象ごとの確率だけだ。自然界を理解したいという物理学の理想が削られたと言わざるを得ない。ある意味後退でもあるが、それを避ける方法を誰も見つけられなかった……だから当面は、確率計算に専念するとしよう。『当面』といったものの、永遠に続きそうな気がしてならない。この謎を解明するのは不可能であり、これが自然の真の姿なのだ」(p.158)

2015年4月22日水曜日

人間は戦士型か心配性型のどちらかである(『競争の科学』)

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何回か前の投稿でご紹介した『競争の科学』から再び引用します。前回は女性の判断能力に関する話題でしたが、今回はその神経科学的なメカニズムを取りあげた箇所です。

はじめは、ドーパミン処理能力に個人差がある話題です。
身体はCOMTタンパク質をつくる際、遺伝コードに従って、数百もの連鎖するアミノ酸を形成する。コドン158に到達すると、遺伝コードが指示する2つのうちのどちらかのアミノ酸がつくられる。人によって、数百ものアミノ酸配列の158番目に位置するCOMTが、バリンのタイプと、メチオニンのタイプがある。

この1文字のコード、この1つのアミノ酸の違いが、人のCOMTが働き者か怠け者かを決定している。働き者のCOMTは、怠け者よりも4倍も速く動く。働き者のCOMTはバリン、怠け者のCOMTはメチオニンで作られる。(中略)

ストレスが生じると、前頭前皮質のシナプスには大量のドーパミンが溢れる。基本的に、ドーパミンは脳にとって必要なものである。それは神経の増幅器や充電器に相当するものだ。だが、ドーパミンが多すぎると、過負荷になってしまう。

高速のCOMTを持つ脳は、ストレスをうまく処理できる。COMTが余分なドーパミンを素早く取り除くことができるからだ。

低速のCOMTを持つ脳は、ストレスをうまく処理できない。COMTが余分なドーパミンを簡単には除去できないからだ。脳はストレスによって過度に興奮し、うまく機能できなくなってしまう。

ここまでの説明だと、速いCOMTがすべてにおいて良いもので、遅いCOMTは悪いものであると思うかもしれない。だが、実際はそうではない。どちらが良いか悪いかは、ストレスを感じているかどうかによって決まる。

速いCOMTはごく短期間で機能するため、強いストレスのない平常時でも、正常に放出されているドーパミンを除去してしまう。そのため、これらの速いCOMTを持つ人は、標準的なドーパミンレベルが慢性的に低くなる。燃料室に十分なガソリンがない状態だ。前頭前皮質は機能するが、それは最適なものではない。精神を最適なレベルで機能させるためには、ストレス(とドーパミン)が必要になる。これらの人々は、最善に機能するためには、締め切りや競争、重要な試験などの、ストレスが必要なのである。

遅いCOMTはドーパミンを除去する能力が低い。だがこれは、強いストレスを感じていないときには、有利な働きをする。ドーパミンレベルが高く保たれ、前頭前皮質に満タンのガソリンが供給されるために、最適なパフォーマンスが可能になるのだ。特別な日を除けば、遅いCOMTを持つことはメリットになる。だがストレスとプレッシャーに直面し、ドーパミンが大量に放出された場合、問題が生じる。(p.101)

次は、心配性型が実は攻撃的かもしれない点について。
人間はすべて、戦士型または心配性型のどちらかであるという科学的な主張がある。ドーパミンを素早く除去する酵素を持つ人は戦士型で、恐怖や苦痛などの脅威に直面しつつも最大限のパフォーマンスが求められる環境にすぐに対処できる。ドーパミンの除去に時間がかかる酵素を持つ人は心配性型で、起こりうる事態について、事前に複雑な計画や思考をする能力がある。戦士型と心配性型のアプローチはどちらも、人類が生き残るために必要なものであった。

一見、戦士型の方が攻撃的だと思われるが、実際にはそうとも言えない。心配性型は平常時のドーパミンのレベルが高く、攻撃的反応の閾値の近くにいる。こうした人は神経質であり、感情を爆発させやすい。簡単に腹を立てるし、感情を表に出す。だがその攻撃性が効果的なものだとは限らない。「適切な攻撃性」とは、他社の攻撃的意図を正確に読み取り、解釈し、それに対処することである。心配性型は、相手にその意図がないときに攻撃性を見いだし、相手にその意図があるときに攻撃性を見逃してしまう傾向がある。一方の戦士型は、現実への備えができている。(p.103)

最後は、ドーパミン処理能力の男女差についてです。
ローアン・ブリゼンティーン博士は、著書『The Female Brain(女性の脳)』のなかで、エストロゲンをホルモンの女王と呼んでいる。曰く、エストロゲンは「パワフルで、状況をコントロールし、人を没頭させ、ときにはビジネス一辺倒で、ときには積極的に男を誘惑する女である」。エストロゲンは主要な女性ホルモンだ。それは意欲や野心を高める。

エストロゲンは、細胞内に入り込み、大量の遺伝子の転写を制御することで作用する。

そのうちの1つがCOMT遺伝子だ。

COMTプロセスに対するエストロゲンの効果は極めて劇的だ。その女性がどちらの遺伝子型かにかかわらず、それはドーパミン再吸収の速度を30%遅くする。

そのため、女性のドーパミンの基準値は男性よりも高くなる。特に排卵前と月経前の、月に2度のエストロゲンのピーク時はそうである。これにストレスが加われば、女性は簡単にドーパミン過負荷になってしまう。一般的に知られている男女の性格や行動の違いは、ストレスのもとではさらに際立つようになる。その一部は、こうしたドーパミンのレベルの違いによってもたらされるものなのである。(中略)

ライトホールとマザーは、今度はゲーム中の被験者の脳をスキャンしながら同じ実験を行い、「ストレスは男性と女性に反対の影響を及ぼす」と結論づけた。女性の場合、ストレスを感じると、脳の感情を司る部分が活性化し、それによって意思決定が混乱していた。だが男性には、感情の高まりは見られなかった。男性は、ストレスによって冷静な判断をするようになっていたのである。

ライトホールらは、脳の後部に位置する視覚大脳皮質に注目した。この領域は、相手の細かな表情から感情を読み取ることに関連している。女性がストレスを感じている場合、この領域は著しく活性化した。しかし男性の場合、この領域の活動は抑制されていた。

つまりストレス下では、男性の脳は感情的な合図を無視し、女性の脳は感情的な合図を探し求める。ライトホールとマザーの研究から学べる教訓は、女性と男性は異なる方法でストレスに対処しようとするかもしれないということだ。(p.113)

「心理学は他の学問と統合して研究するように」とは、チャーリー・マンガーがたびたび繰り返す主張です。今回引用した箇所では、その重要性がはっきりと表れています。他方、こういった学問的知見は世知のひとつとして人生の各種局面で活用できるはずです(以前とくらべると、力説できるようになりました)。それは投資戦略においても同じだと思います。この手の本は学術的な成果をわかりやすい形で示してくれるので、ありがたい本です。

2015年4月14日火曜日

女性が競争に加わるとき(『競争の科学』)

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読み進めるうちにすなおに引き込まれる本とは、読み手の興味と一致しているか、あるいは書き手の筆力や構成がすぐれているか、そのいずれかのことが多いように感じます。少し前に読んだ本『競争の科学』はいかにも現代風の装丁で、手にした段階ではそれほど興味をひきませんでした。ところが内容のほうは先に示した両方を満たしており、おおいに楽しめ、そして勉強になった本でした。個人的な今年の上位にあげたい一冊です。

今回ご紹介するのは、競争に対して女性がどのような意識を持っているのかを説明した箇所です。これと同じ話題は前にもとりあげましたが、大切なことは繰り返し触れるのが師匠の教えです。

成功の見込みが高いとき、男女の間に野心の差はなくなる。むしろ女性の方が積極的になる。男性は、勝つ見込みの少ない勝負にも賭けることがある。ときには、愚かしいまでに勝ち目のない戦いに挑むこともある。だが、女性はそのような賭けをしない。(p.130)

フルトンが説明する。「男性が戦略的でないということではなく、女性の方がコストやメリットを強く意識しているのだ。勝つ見込みが変わっても、男性が競争に参加するかどうかはあまり変化がない。だが女性が競争に参加するかどうかは、勝つ見込みと深く結びついている。女性は、勝てるかどうかに極めて敏感なのだ」(中略)「女性は極めて戦略的に競争に参加するかどうかを考え、極めて慎重に行動している」フルトンは言う。(p.132)

女性は、チャンスがあると確信するとき、男性よりも積極的に競争に参加する。また、負けて時間を浪費することを、男性よりも強く拒絶する。(p.133)

競争とは、負けのリスクをとることだ。競争に投資(時間、金、感情)をするほど、負けて失うものも多くなる。このリスクの判断方法が、女性(この場合は政治家)と男性とでは異なる。(p.135)

勝者総取り方式を選択した73%の男性の計算能力は、平均レベルを上回るものではなかった。にもかかわらず、男性はそれでも自分は勝てるという誤った考えを持っていたのである。

対照的に、女性は自らの能力を適切に評価していた。ほとんどの女性は、負ける確率が高いという理由で、勝者総取り方式には参加しなかった。だがこれは、女性には生得的にリスク回避志向があるということではない。女性は、正確にリスクを認識しているのである。女性は競争そのものを恐れているのではないし、競争を楽しんでいないわけでもない。女性は、負ける可能性を認識することに優れているだけなのだ。

一方の男性は、負ける可能性をうまく認識できず、自信過剰である。男性は、勝利だけに注目する傾向がある。競争を挑まれると、簡単には抵抗できない。(p.139)

2014年12月12日金曜日

ネバダ州CFA協会での講演(1)(ボブ・ロドリゲス)

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マネー・マネージャーのボブ・ロドリゲスが、投資業界のプロ(の卵)に向けて講演を行っていました。早い時期から警告をだす彼の姿勢は、市場が上昇しつづける時期には評価されないように思えますが、ご本人もそのあたりの話題に触れています。今回からのシリーズでは何回かに分けて同講演の全訳をご紹介します。なお原文のトランスクリプトは、以下のリンク先にあります。

Bob Rodriguez's speech to CFA Society of Reno [PDF] (FPA)

今夜はみなさんの前でおはなしするという栄誉にあずかり、感謝しております。またCFA協会[Chartered Financial Analyst; 証券アナリスト]がここ「ネバダ州の]リノではじめて公式な会合を開催するという重責を、リー・ヘルナンデスさんが先頭に立って果たしてくださったことにも感謝しております。

話に進む前に、みなさんの中にCFAの方がどれだけいらっしゃるか確認しておきましょう。すみませんが、起立して頂けますか。

つづいてお聞きします。レベル3の試験を合格したか認定待ちの方は、ご起立ください。

最後にもうひとつ、レベル1の試験を合格してCFAへの道のりを歩んでいる方のご起立をお願いします。

1980年にわたしがCFAを取得してから、いろんなことが変わりました。6443番、それがわたしの認定番号ですが、この制度がここまで大きく成長したのは驚くべきことです。
本制度を歩んでいるみなさんの幸運をお祈りします。今後の職業人生における望みを果たす上で、助けになるものと思います。

さて、今夜は若きプロのみなさんが大勢いらっしゃるわけですから、わたしがこれまでの43年間で見聞きしたことや見抜いたこと、また大変だったことをおはなししたいと思います。願わくば、これからというみなさんに役立つことがひとつふたつでも話せればと思います。それから、経済や金融市場に関する全体感をおはなしします。最後に、いつもながらの物議を呼ぶ単刀直入なやりかたで、わたしなりの今後の見通しを述べたいと思います。その際には、どんな予測でもそうですが、聞いたことはみなさんご自身が考えた上で判断してください。

このわたしは、風変わりな予測をする人間として知られてきました。しかし発言した当時は極端な見解とみなされましたが、振り返ってみると概して的を射ていたものばかりでした。2007年の6月にシカゴのCFA協会で話したときは、「金融上の大災厄が間近に迫っている」と考えていた人はあまりいませんでした。わたしは「恐れの欠落」と題した講演の中で、やがて来る金融危機を描き出して、これから何が起きようとしているのか警告したつもりです。また2009年にモーニングスターが主催した基調講演でも、目の前にある危機に注意を向けようとしました。しかしどちらのときも、耳を傾けてくれる人はほとんどいませんでした。

わたしは経歴を積んでいく中で、「一般的な見解からいちじるしく乖離した視点をもつ人には、ほとんどの人が耳を傾けない」ことを学びました。しかし1971年に投資の世界に入った時には、まだそのことがわかっていませんでした。当時のわたしは、投資やビジネスの世界で働く諸先輩を畏敬の念をもってながめていたのです。わたしよりも知識豊かで賢明でしたし、あるいはそうだろうと考えていました。
経験不足だった自分の見方がてんで外れていた、それを早い時期に学べたのは幸運でした。投資家やビジネスで働く人、また規制当局や政府の役人といった人たちの大多数は、遺伝子に刻まれたことが不適切なために、群衆心理にしたがって意思決定するのがふつうのやりかたとなっています。それをわかっていなかったのですね。

Thank you for the honor and privilege of speaking with you tonight. Let's also thank Lee Hernandez for leading the charge to kick-start the first formal meeting of the CFA Society here in Reno.

Before starting, we should recognize those in the audience who are CFAs. Please stand up.

Now those who have passed their level 3 Exam or are awaiting certification, please stand up.

Finally, let's recognize those who are on the pathway to a CFA by having passed their Level 1 exam. Please stand up.

Much has changed since I was awarded my CFA back in 1980. My charter number is 6443. It has been amazing how large this program has become since then.
Good luck to all of you who are going through this program and may it may help you in your career aspirations.

For tonight, given that we have so many young professionals here, I thought I would begin with some observations, insights and challenges that I have experienced during my 43 year career and hopefully, they may provide you with one or two thoughts that could be helpful to you in your budding careers. I will then provide an economic and financial market overview. Finally, in my typically controversial and unvarnished way, I will attempt to provide my view of the future. As with all forecasts, listen and then come to your own conclusion.

I've been known for making outlandish forecasts before. They may have seemed extreme at the time but in retrospect, many were generally spot-on. When I spoke before the CFA Society of Chicago in June 2007, not many were thinking about the impending financial calamity that lay shortly ahead. I tried to forewarn what might take place in my speech, "Absence of Fear," which laid out the financial crisis to come. As the Morningstar keynote speaker in 2009, I again tried to warn of the dangers that lay ahead. In both cases, few listened.

What I have learned in my career is that few will listen to you when you have a viewpoint that diverges materially from the general consensus. I didn't realize this when I first entered the investment field in 1971. At that time, I viewed senior investment and business professionals with awe. They were more knowledgeable and wiser than I, or so I thought.
I was fortunate to learn early on that my inexperienced view was way off base. I did not realize that most investors, business professionals, regulators and government officials are genetically programed incorrectly so that herd mentality decision making is the typical outcome.

2014年12月10日水曜日

本当の幸せとは(『脳科学は人格を変えられるか?』)

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何度かとりあげた『脳科学は人格を変えられるか?』から、今回で最後の引用です。本当の幸せに関する話題です。きれいごとのようにみえますが、現代文明の本質の一面をうまくとらえた見解だと思います。

もうひとつ重要な発見が、科学的な研究からもたらされている。それは、人がほんとうの意味で幸福になれるのは次に述べる3つの要素があわさったときだけだということだ。ひとつ目は、ポジティブな感情や笑いを数多く経験すること。ふたつ目は、生きるのに積極的にとりくむこと。そして3つ目は、今日明日ではなくもっと長期的な視野で人生に意義を見出すことだ。

ふたつ目の、仕事であれ趣味であれ、自分がしていることに積極的にかかわることは、3つの中でもとりわけ重要だ。幸福に関する複数の調査からは一貫して、より良い仕事やより良い家、より良い車などのいわゆる<ものごと>が、高い幸福感の継続にはつながらないという意外な結果がもたらされている。売る側が何をどう言おうと、新しいぴかぴかの腕時計や新しい携帯電話は、長期的には人の幸福度をすこしも高めてはくれないのだ。基本レベルの豊かさ(住む家があり、十分食べ物があること)がひとたび得られれば、それ以上にどれだけカネがあっても人が感じる幸福度にほとんど差は生じない。これは複数の調査からあきらかにされた事実だ。それよりも人を幸福にするのは、自分にとって大きな意味のある何かに積極的にとりくむことだ。これこそが楽観主義者の本物の証明だ。楽観主義者とは、大きな目的に向かって没頭したり、意義ある目標に到達するために努力を重ねたりできる人々なのだ。 (p.287)

備考です。過去記事で引用したツヴァイクも同じ趣旨のことを述べていました。

2014年12月6日土曜日

刻みこまれた太古の記憶(『脳科学は人格を変えられるか?』)

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先日の投稿でとりあげた『脳科学は人格を変えられるか?』から、今回は悲観的な見方に関する箇所を引用します。

何百万年もの進化の歴史の中で、人類はこの強力なシステムを発達させてきた。これはいわば脳の非常ボタンであり、危機が眼前に迫っていることを脳の他の部分に知らせるはたらきを持つ。非常ボタンを押すことで潜在的脅威が意識の中にクローズアップされ、それを詳しく見定めることが可能になる。それと同時に恐怖中枢は、脳内で起きている他の活動をいったんすべて低下させ、瑣事にかまわず、危機の発生源に確実に焦点をあわせられるように仕向けている。待ったなしの脅威に遭遇したとき、注意力を一気に集め、あらゆる手を尽くして危険な事態からすみやかに抜け出させるのが、恐怖の回路のはたらきなのだ。 (p.109)

人や他のおおかたの種に共通する脳の原始的な部分は、人類の祖先が激しい嵐や捕食者など、自然がもたらすさまざまな脅威とともに暮らしていたはるか昔に発達したものだ。だから、扁桃体をはじめとする原始的な組織は現代でも、そうした脅威に出会うと脳内で発火する。進化上古い領域にある恐怖の回路は現代でも、人類の祖先を脅かした各種の危険に出会うと活性化し、他の多くの領域のコントロールを奪う。そうして重要でない活動をひとまずストップさせ、危機に対処できるようにするのだ。この現象は多くの研究から実証されている。 (p.110)

要するに、こういうことだ。人類の祖先の中で現代にまで子孫を残すことができたのは、ヘビやクモなどの脅威を巧妙に見つけ、回避することができた者だ。だからこそその子孫には、より効果的な危機感知システムが備わるようになった。わたしたち現代人の脳には今もなお、このはるか昔の記憶が刻み込まれている。 (p.112)

新聞やテレビやラジオは連日、ネガティブな話を山ほど人々に投げつけてくる。金融危機、景気後退、地球温暖化、豚インフルエンザ、テロリズム、戦争。ネガティブな話は文字通り枚挙にいとまがない。そして悪い知らせについ波長をあわせがちな脳本来の傾向とあいまって、悲観主義は圧倒的な力をふるう。

なぜ悲観がこれほど強い力をもつのか、読者にはもうわかるだろう。恐怖の回路は楽しそうな情報は二の次にして、危険を満載した情報ばかりにスポットをあてる。わずかでも危険の影があれば即座にそれを拾いあげ、脳内で起きている他の作業を停止させ、すべてを危機に集中させる。ポジティブなものよりネガティブなものに強く引かれるこの人間本来の傾向があるからこそ、ものごとを楽観的に考えるのは悲観的に考えるよりずっとむずかしいのだ。人々を怖がらせるのは安心させるよりはるかに簡単であることは、政治家や聖職者が歴史を通じて示してきたとおりだ。

さらに問題なのは、ひとたび恐怖の回路にスイッチが入ると論理が遮断されてしまうことだ。論理を無視して恐怖が作動すると、現代のさまざまな状況下では大きな問題が起こりかねない。恐怖は、快楽を経験したり楽観的思考をはぐくむのを邪魔するばかりでなく、もっと巨大な恐怖や不安をひきおこし、人生から輝きを奪う可能性もある。 (p.128)

備考です。脳科学や心理学の話題は、本ブログで何度か取りあげています。たとえば過去記事「脳のなかの近道(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)」などです。

2014年11月30日日曜日

人間はそもそも常に希望を抱く(『脳科学は人格を変えられるか?』)

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少し前に『脳科学は人格を変えられるか?』(著者:エレーヌ・フォックス)を読みました。題名からある程度予想できるように、本書では楽観主義者と悲観主義者の違いを脳科学の面から明らかにして、楽観的な精神を築いて維持するにはどうすればよいかを考察しています。ここで言う「楽観」とは単なるお気楽な心持ちを示しているのではなく、前途にある人生を真摯にとらえた、健やかな見方です。

本書は内容がしっかりしているだけでなく、文章の構成も巧みで、よみやすく書かれています。地味な題名に地味な表紙と、売れない条件が揃っていますが、広くお勧めしたい良い本だと思います。個人的には、今年のベスト3に入れたい作品です。

それではまず今回は「楽観」に関する文章をいくつか引用します。

あらゆる生物にとって生き残る可能性を最大化する手段は、食物や性交などの<良きもの>に接近すること、そして捕食者や毒などの<危険なもの>を避けることだ。人間のさまざまな行動や複雑な生態はすべて、これらふたつの習性から生まれていると言ってもいい。 (p.38)

シュネイルラは実験室と野外の双方で行ったすべての観察と実験の結果から、あらゆる生物を結ぶ原理は、食物と安全な場所を見つけようという衝動(=報奨への接近)と、何かに食われないようにする衝動(=危険の回避)の二つに尽きると結論した。ハトであろうとネズミであろうと馬であろうと、はたまたヒトであろうと、報奨に「接近する」ことと脅威を「避ける」ことは、行動の最大の動機づけだといえる。 (p.40)

上で引用した内容はあたりまえのことながら、チャーリー・マンガーは心理学の話題を展開した際に筆頭に挙げていました(過去記事)。いちばん大切なことをいちばん初めに説明するというのは、チャーリーであれば当然の理にかなったやりかたです。

次の3つの引用は、楽観という感情が人間に埋め込まれた避けがたい性質であることを説明しています。

サニーブレインの中でもっとも活発にはたらいている化学的メッセンジャーはドーパミン、そしてアヘンと似たはたらきをする脳内物質のオピオイドだ。側坐核を構成する細胞にはこのドーパミンとオピオイドのどちらかが含まれており、これらの神経伝達物質の活動こそが、人間がさまざまな経験を楽しんだり欲したりするのを促している。これらは、サニーブレイン全体のエンジンルームでいわばオイルの役目を果たしており、楽観をつくりあげる基本要素のひとつだ。 (p.72)

なぜ人々は、こんなふうに抑えがたい楽観を抱くのだろう? 地球規模の問題が目の前に山積しているのに、なぜそれでも未来を楽観できるのだろう? その答えは、複雑かつ興味深い。謎のひとつは、人間の脳がそもそも未来に常に希望を抱くように配線されていることだ。

これまで見てきたように、サニーブレインの重要なはたらきのひとつは、究極の報奨に向けてつねに人間を駆り立てることだ。楽観は、人間が生き延びるために自然が磨きあげた重要なメカニズムであり、そのおかげでわたしたちは、ものごとがみな悪いほうに向かっているように見えるときでさえ前に進んでいくことができる。 (p.86)

なぜ人間の脳は、こんなに楽観的な方向にかたむいているのだろうか? ひとつの理由はこの楽観こそが、毎朝人間が寝床から起き上がるのを可能にする力だからだ。楽観とは本質的には認知上のトリックだ。このトリックのおかげで人は、懸案事項や起こりうる問題や予想外の危機を過剰に心配しなくてすむ。 (p.87)

最後の引用です。こちらも重要な指摘です。

男性は進化論的な観点からいえば、できるだけ多くの相手と交尾しなければ生存競争を勝ち残れない。だからたった1回でも「つがう」チャンスを逃すことは大きな痛手になる。いっぽう相手から拒絶される痛みはほんの一瞬で、さして高くはつかない。だから男性にとって自分の魅力を過信するのは、きちんと採算のあう行為なのだ。かくして楽観主義の種は、それが現実をふまえていようがいまいが、広く蒔かれていくわけだ。 (p.89)

2014年8月18日月曜日

最悪の状況下における合理的投資家について(4)(セス・クラーマン)

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セス・クラーマンの短めの論文のその4です。次回でおわりになります。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

それではこれから将来はどうなるだろうか。きわめて果敢なヘッジ・ファンドが預けられた資金をすべて使えば、株式市場はいよいよ効率的になるのだろうか。多くのヘッジ・ファンドやたくさんの人が値付けの誤りを特定しようと精を出し、値付け違いが微々たる状況にさえも大量の資本が必死になって殺到している。だから市場が効率的になるのはもう間もなくだ、と思うかもしれない。しかし、株式市場が必ずや効率的に達すると予測するのは疑わしい考えだ。

簡単な思考実験を示してみよう。アメリカの全成人が証券アナリストになったと想像してほしい。その多くはフルタイムで働くが、そうでない人はパートタイムだ。(この国の半分近くの成人はすでに株式やミューチュアル・ファンドに投資しているので、それほどばかげた話でもない)。だれもがニュースを探し求めて、企業における状況変化をすばやくつかもうとするだろう。数字に強い人ならば、表計算ソフトを立ち上げて大量のデータを処理させるかもしれない。一方、あまり数字が得意でない人はさまざまな企業の競争要因を分析したり、経営陣の能力を推し量ったり、これから出てくる新しいことを見つけるのに熱を入れるだろう。金融市場がいずれ効率的になるのは、明白当然と思われるがどうだろうか。いや、実際はそうではない。私の考えでは、資本市場はこれまでずっと非効率だったし、現在もそうだし、これからも常にそのままだろう。しかし非効率を招く理由が何かと言えば、タイムリーな情報が不足していたり、分析ツールに欠けていたり、資本が不十分だからではない。インターネットのおかげで、だれでもボタンひとつで以前よりもたくさんの情報を迅速に利用できるようになった。しかしそれでも市場は効率的にならないだろう。市場が非効率なのは人間の本性からくるものであって(持って生まれ、深く根ざした、生ある限り続くものだ。人間は、感情に従って投資することを自覚的に選んでいるわけではない)、効率性を高めるのにそれらでは役に立たないだけだ。

だから国全体が証券アナリストになって、ベン・グレアムの『賢明なる投資家』を読んでメモを取ったり、ウォーレン・バフェットの年次株主総会に定期的に参加したとしても、それにもかかわらずほとんどの人は、話題のIPOや勢いに乗じたモメンタム戦略あるいは流行りの投資対象へと、惹きつけられずにはいられない自分に気づくだろう。バリュー投資家として資金の一部を長期投資用に運用している人であっても、デイ・トレードに惹かれ、株価チャートのテクニカル分析を試みるだろう。端的に言えば、人間とは短期志向であって、すぐに儲かるもくろみに惹かれてしまう。友人や隣人のだれかが金持ちになればそれに気がつき、どうやったのかすぐにでも突きとめるだろう。他人がうまくやれたと知れば(一時的なこととはいえ)、それに参加しないのは苛立たしいもので、現在うまくいくことなら何でも真似をしはじめる、それが人間だ。そして飢えた投資家を慰めてくれるものは、即座に金を儲けることで得られる「速やかな正の強化」しかない。

証券アナリストだらけの国になっても、物事にはひきつづき過剰反応するだろう。資金面で行き詰ったり、会計上の問題を起こしている不適切とみなされた企業は避けるだろうし、新安値を更新して損失を出しているポジションは売却するだろう。また流動性の乏しい証券も避けるものだ。市場が続伸するときには取り残されるし、状況が悪化したときには容易に退出できないからだ。端的に言えば、よく訓練された投資家がたくさんいる国でも、投資家が常におかしてきた過ちと同じ種類のことを繰り返すだろう。そして変わることのない同じ理由によって、このことも市場効率性の助けにはならないのだ。

What about going forward? Will all the money pouring into super-aggressive hedge funds finally make the stock market efficient? With so many hedge funds, so many people diligently looking to identify mispricings, and so much capital desperate to crowd into even marginally mispriced situations, it might seem that market efficiency will soon be at hand. But it is doubtful that the stock market will ever achieve efficiency.

Let me offer a simple thought experiment. Imagine that every adult in America became a securities analyst, full time for many, part-time for the rest. (With close to half the adults in this country already investing in stocks or mutual funds, this may not be quite as ludicrous as it sounds.) Every citizen would scour the news for fast-breaking corporate developments. The numerate ones would run spreadsheets and crunch numbers. The less numerate would analyze competitive factors for various businesses, assess managerial competence, and strive to identify the next new thing. Now, for sure, the financial markets would have become efficient. Right? Actually, no. To my way of thinking, the reason that capital markets are, have always been, and will always be inefficient is not because of a shortage of timely information, the lack of analytical tools, or inadequate capital. The Internet will not make the market efficient, even though it makes far more information available at everyone's fingertips, faster than ever before. Markets are inefficient because of human nature - innate, deep-rooted, and permanent. People do not consciously choose to invest according to their emotions - they simply cannot help it.

So if the entire country became security analysts, memorized Ben Graham's Intelligent Investor, and regularly attended Warren Buffett's annual shareholder meetings, most people would, nevertheless, find themselves irresistibly drawn to hot initial public offerings, momentum strategies and investment fads. Even if they somehow managed to be long-term value investors with a portion of their capital, people would still find it tempting to day-trade and perform technical analysis of stock charts. People would, in short, still be attracted to short-term, get-rich-quick schemes. People would notice which of their friends and neighbors were becoming rich - and they would quickly find out how. When others did well (if only temporarily), people would find it irksome not to be participating and begin to copy whatever was working today. There is no salve for the hungry investor like the immediate positive reinforcement that comes from making money instantaneously.

A country of security analysts would still overreact. They would shun stigmatized companies, those experiencing financial distress, or those experiencing accounting problems. They would still liquidate money-losing positions as they were making new lows. They would avoid less liquid securities, since those are the last to participate in a rally and hard to get out of when things go wrong. In short, a country full of well-trained investors would make the same kind of mistakes that investors have been making forever, and for the same immutable reason - that they cannot help it.

2014年8月8日金曜日

心理学の哀しい宿命(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの(再考)世知入門、29回目です。前回からつづく文章です。(日本語は拙訳)

現在のまずい教育を招いていると思われる原因の話になりますが、問題の一部には学術界が分裂していることが関係しています。たとえば心理学は、他の学問分野のドクトリンと結合した時にもっとも威力を発揮します。しかし心理学の教師が他のドクトリンを知らないとしたら、必要とされる統合を果たす能力が欠けていることになります。

しかし心理学以外のドクトリンに通じていて、それらを自分の材料へたびたび取り込んでいる人が、果たして初めから心理学の先生になれるでしょうか。そのような人が心理学の教職を志望していても、同僚や先輩を攻撃するのが通例です。

過去には非常に優れた心理学の教授がいました。アリゾナ州立大学のチャルディーニ[『影響力の武器』の著者]は、私にとって非常に役立つ仕事をしてくれました、B.F.スキナーの残した実験結果もそうでした。ただし彼がモノマニア[偏執病の一種]や理想主義と縁を切ってくれていたらの話ですが。しかし平均してみれば、アメリカの心理学の教師が、別の経歴として物理学の厳しい領域で修業してきた類の人間だとは、到底考えられません。そのことも、なぜ彼らがまさに正しい仕事をできていないかを示す理由なのかもしれません。

優れた総合大学でさえも、教育学の大学院には心理学が蔓延しています。これは、知性の面で恥ずべきと言っても過言ではない状況です。偉大な研究機関でさえも、重要な方法をまるで不適切に扱っている部門が珍しくありません。「心理学的」と評価付けしたさまざまな素材を盛り込んだとしても、それは万能薬ではないのです。

学術界で惰性が続くことを考慮すると、どの欠陥を修正するのも非常に困難です。シカゴ大学が心理学科を立て直すためにどうしたかご存知ですか。終身雇用資格を与えた教師らが実はお粗末だったことがわかり、学長は学科全体を実際に廃止しています。

いずれシカゴでは、以前とは違った心理学科を設置しなおすと思います。もう実際に存在しているかもしれません。そうであれば、おそらく状況は改善されたでしょう。そのようなことが実行できる学長を私は称賛します。これは認めざるを得ませんね。

ここで断っておきますと、「学問として心理学を教える際にあやまったやりかたをしている原因はすべて、人間の持つある種の欠陥によるものであり、その種の学科にだけ共通して見られる」との批判を込めたいとは思っていません。そうではなく、そのような欠陥の多くは必然的に、心理学の持つやっかいな特質に深く根ざす原因から生じています。しかも、その特質は除去できないときています。

対となる2つの問いによって「思考実験」をしてみましょう。まずひとつめが、[物理学者の]ジェームズ・クラーク・マックスウェルのような綜合面における超絶頭脳を必要としながらも、そのような人を決して惹きつけることのない領域があるとしたら、その数は限られているでしょうか。もうひとつ、心理学はその性質上、そのような真なる天才を惹きつけると言う点でもっとも相応しくない領域ですか。どちらも答えはそのとおり、つまり「数は限られている」そして「相応しくない」です。

熱力学・電磁気学・物理化学の領域において一連の課題を正確になしとげる人材は、それぞれの世代に一握りしかいません。それを考慮すれば納得できると思います。そのような人は、ハードサイエンスの最先端で現役として働く最優秀な人たちから、その世界に入ることを請われるものです。

そのような本物の天才が、ひどく困惑した現実が横たわる心理学の世界をはたして選ぶものでしょうか。多くの人が学ぶにつれて社会心理学が逆説的にも衰退する傾向がみられたり、また(患者を診断する)臨床心理学では「心理学的に測定された幸福の度合いが、偽りを信じることによって改善されることがよくある」、そのような戸惑いを感じる現実と取り組まなければならない世界です。答えはずばり「いいえ」でしょう。ノーベル賞を受賞した物理学者のマックス・プランクは、経済学における問題は彼のやりかたでは従わせることができないと判断し、その領域には近づきませんでした。それと同じように、本物の天才が心理学に近寄ることはないでしょう。

Let me turn to some of the probable reasons for present bad education. Part of the trouble is caused by the balkanization of academia. For instance, psychology is most powerful when combined with doctrines from other academic departments. But if your psychology professor doesn't know the other doctrines, then he isn't capable of doing the necessary integration.

And how would anyone get to be a psychology professor in the first place if he were good with nonpsychology doctrines and constantly worked nonpsychology doctrines into his material? Such a would-be professor would usually offend his peers and superiors.

There have been some fabulous psychology professors in the history of the world. Cialdini of Arizona State was very useful to me, as was B.F. Skinner - for his experimental results, if divorced from his monomania and utopianism. But averaged out, I don't believe that psychology professors in America are people whose alternative career paths were in the toughest part of physics. And that may be one of the reasons why they don't get it quite right.

The schools of education, even at eminent universities, are pervaded by psychology. And they're almost an intellectual disgrace. It's not unheard of for academic departments - even at great institutions - to be quite deficient in important ways. And including a lot of material labeled as psychological is no cure-all.

And given academic inertia, all academic deficiencies are very hard to fix. Do you know how they tried to fix psychology at the University of Chicago? Having tenured professors who were terrible, the president there actually abolished the entire psychology department.

And Chicago, in due course, will probably bring back a new and different psychology department. Indeed, by now, it probably has. Perhaps conditions are now better. And I must admit that I admire a college president who will do something like that.

I do not wish to imply in my criticism that the imperfections of academic psychology teaching are all attributable to some kind of human fault common only to such departments. Instead, the causes of many of the imperfections lie deep in the nature of things - in irritating peculiarities that can't be removed from psychology.

Let me demonstrate by a "thought experiment" involving a couple of questions: Are there not many fields that need a synthesizing super-mind like that of James Clerk Maxwell, but are destined never to attract one? And is academic psychology, by its nature, one of the most unfortunate of all the would-be attractors of super-minds? I think the answers are yes and yes.

One can see this by considering the case of any of the few members of each generation who can, as fast as fingers can move, accurately work through the problem sets in thermodynamics, electromagnetism, and physical chemistry. Such a person will be begged by some of the most eminent people alive to enter the upper reaches of hard science.

Will such a super-gifted person instead choose academic psychology wherein lie very awkward realities: (A) that the tendencies demonstrated by social psychology paradoxically grow weaker as more people learn them, and, (B) that clinical (patient-treating) psychology has to deal with the awkward reality that happiness, physiologically measured, is often improved by believing things that are not true? The answer, I think, is plainly no. The super-mind will be repelled by academic psychology much as Nobel laureate physicist Max Planck was repelled by economics, wherein he saw problems that wouldn't yield to his methods.