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2014年1月26日日曜日

2機の飛行機が空中衝突する確率(『異端の統計学 ベイズ』)

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「ベイズの定理」と言えば「モンティ・ホール問題」が思い浮かびます。「天才」マリリン・ヴォス・サヴァントが出した回答が、「並み」の数学者たちからバカ扱いされたものです(けっきょくは彼女が正解)。ご存知の方が多いと思いますが、ウィキペディアから以下に引用します。

モンティ・ホール問題 (ウィキペディア)

「プレイヤーの前に3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろにはヤギ(はずれを意味する)がいる。プレイヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレイヤーが1つのドアを選択した後、モンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレイヤーは最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレイヤーはドアを変更すべきだろうか?」


正解は同ページで説明されていますが、「ドアを変えても確率は五分五分」という答えは不正解です。

この問題の答えを解説する文章をどこかで読んだときから「ベイズの定理を実践で使いこなしたい」という願望を抱いてきました。またチャーリー・マンガーがどこかで発言した「追加された情報によって逐次見直す」やモンテカルロ法の話題もひっかかっていました。何かきっかけとなる知識が得られないかと期待して読んだのが、今回ご紹介する本『異端の統計学ベイズ』です。個人的には当たりの一冊でした。

ベイズを始祖とする統計学の一派(ベイズ主義者)は、別の主流派(頻度主義者; ごく一般的な統計学)から不遇の扱いを受けてきました。しかし頻度主義では解けない現実上の難問を、ベイズの手法を使うさまざまな人たちが試行錯誤を通じて解決していきます。本書ではベイズの定理の数学的な説明はほとんど登場しないかわりに、歴史の舞台で各種の難題に立ち向かう人たちの姿が生き生きと描かれています。それらの登場人物の行く末を痛ましく感じたり、立派な生き方から学んだり、反面教師にしたりと、引き込まれる文章が随所にありました。ベイズの定理を真剣に学びたいと決意させてくれたのは、心にふれるさまざまなエピソードが取りあげられていることが大きいと思います。趣味の問題ですが、翻訳の文章も良質と感じました。

さて、本書からの引用です。はじめの2つは「過去に事例がないことを予測する例」で、こちらは飛行機の衝突事故の話題です。

ベイリーが亡くなった年に、崇拝者の一人がインシュランス・カンパニー・オブ・ノース・アメリカ社のクリスマスパーティーでマティーニをすすっていると、サンタクロースに扮した主催会社のCEOがとんでもない質問をした。

「誰か、2機の飛行機が空中衝突する確率を予測できる人間はいないか?」

そしてこのサンタは、自社の主任保険数理士であるL・H・ロングリー・クックに、そのような事故がまったく起きたことがないという前提で予測を行うよう求めた。商用機はそれまでに一度も深刻な空中衝突を起こしたことがなかった。過去に経験したことがなく反復実験もできない場合、正統派の統計学者なら、予測はまったく不可能だと答えるしかない。(中略)

ロングリー・クックはクリスマス休暇の間じゅうこの問題を考え続け、1955年1月6日には件のCEOに宛てて、今後の状況に関する警告を送った。業界の安全記録によればそれまでに航空機同士の事故は1件もなかったが、航空事故一般に関する入手可能なデータを見る限り、「これからの10年間に起きる旅客機同士の衝突事故の件数は0から4までのどれかであると思われる」したがって保険会社は、高額な保険料を支払わねばならない大惨事に備えて旅客機の保険料率を上げ、再保険を買わねばならないというのだ。2年後に、この予測が正しかったことが証明された。ニューヨーク市の上空でDC-7型機とロッキード社の大型機コンステレーションが衝突して、乗客乗員やマンションの住人など計133人が命を落としたのである。(p.179)


こちらはスペースシャトルの事故の話題です。

ところが驚いたことに、こうして大学人が疑いの目を向けるなか、アメリカ空軍のある契約業者が、ベイズの理論を使ってスペースシャトル・チャレンジャーの事故のリスクを分析した。空軍は、アルバート・マダンスキーが冷戦中にランド・コーポレーションで行ったベイズ派の研究に資金を提供していたが、それでもアメリカ航空宇宙局(NASA)は、不確定要素を主観的に表現するのはいかがなものかという態度を崩さなかった。そのためNASAが1983年にスペースシャトルの打ち上げ失敗の確率を評価する報告書をまとめたときも、資金を出したのは空軍だった。NASAの契約業者テレダイン・エネルギー・システムは、計1,902回のロケットモーター発射で32件の失敗が確認されたという事前の経験に基づいてベイズ解析を行い、「主観的な確率と運用経験」からして、ロケットブースターが故障する確率を35分の1と見積もった。当時NASAはブースターが故障する確率を10万分の1としていたが、テレダイン社は「事前の経験と確率分析に基づく保守的な故障評価を基本にするのが賢明というものだ」といって譲らなかった。けっきょく、チャレンジャーは25回目になる1986年1月28日の打ち上げで爆発し、7名の乗組員は全員死亡した。(p.384)


つぎはベイズ的なアプローチを文章で表した箇所です。企業分析のプロセスもこれに当てはまると思います。

ラプラス同様ジェフリーズも、生涯にわたってそれまでの観察を新たな結果に照らして更新する作業を続けた。「怪しいところがある主張は……科学のもっとも興味深い部分を構成している。科学のどの進歩にも、完璧な無知からはじまって証拠に基づく部分的な知識がしだいに確実になるという段階を経て事実上確実といえる段階に至る、という変遷が含まれている」のだ。(p.111)


最後はFRBの話です。事実というよりも伝説ととらえるべきでしょうか。なお傘の話題については、個人的には同感です。わたしも折りたたみ傘をカバンの底へ入れっぱなしのやりかたでした。

フェルドシュタインの説明によると、連邦準備制度理事会はベイズを使って、起きる確率が高くてダメージの少ない出来事よりも、起きる確率が低い大災害のリスクにより大きな重みをつけているという。フェルドシュタインはベイズを、雨の確率が低い場合も雨傘を持っていくべきかどうかを決断しなければならない男性に喩えて見せた。傘を持っていったのに雨が降らなければ、不自由な思いをする。だが、傘を持っていかずに土砂降りになったらずぶ濡れだ。「よきベイジアンは、雨が降らない日でも雨傘を持っていくことが多い」というのがフェルドシュタインの結論だった。(p.424)


今回の話題に関連する本(の題名)を以下にご紹介します。どちらも新刊で、わたしも昨日知ったばかりです。

・『シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」
おもしろそうなので、近いうちに読みたいと思っています。

・『モンティ・ホール問題
12月に出たばかりの本です。件の問題について、その顛末や類題などが詳細に書かれています。

(2014/1/26追記) コメント欄で、飛行機事故の具体的な情報(ウィキペディア)を枯山さんがご指摘くださっています。

2013年12月12日木曜日

中国は活力を失うのか(経済学者ダロン・アセモグル他)

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少し前に読んだ本『国家はなぜ衰退するのか』はそれなりに勉強になるところもあったのですが、気鋭の経済学者が書いたせいか、持論を踏まえて大胆な予測を試みている点がひっかかりました。今回引用するのはその話題、「今後の中国がどうなるか」について書かれた文章です。

私たちの理論は、中国に見られるような収奪的政治制度下の成長は持続的成長をもたらさず、いずれ活力を失うことも示唆している。(下巻 p.247)

こんにちの中国の経済制度が30年前とは比べものにならないほど包括的であるにしても、中国の経験は収奪的政治制度下の成長の例だ。近年、中国ではイノヴェーションとテクノロジーに重点が置かれているものの、成長の基盤は創造的破壊ではなく、既存のテクノロジーの利用と急速な投資だ。(下巻 p.250)


この手の本は好んで読むようにしていますが、著者が自説にこだわりすぎないもののほうが個人的には納得しやすいと感じています。以前に挙げたかと思いますが、たとえばキンドルバーガーの『経済大国興亡史』のような書き方には好感をもっています。

2013年11月6日水曜日

樹木が発生するのは水を好むからではない(エイドリアン・ベジャン教授)

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流れとかたち ― 万物のデザインを決める新たな物理法則』という本を最近読みました。熱力学の大家である著者はマクロな視点に立ち、無生物の物理的傾向と生物の進化さらには人間文明の方向性を、ひとつの統一原理「コンストラクタル法則」によって説明しようとしています。これは「あらゆるものごとは、流れをよくする形へと変化する傾向がある」とするものです(英文Wikipedia)。本書で展開される説明はそれなりに説得力のあるものがつづき、なるほどと感心させられます。ただし適用範囲が壮大で、すべて納得できるかというと疑問符がつくかもしれません。意欲作というか問題作というか、先週末に丸の内の丸善をのぞいたときには各所に平積みされており、話題を呼びそうな作品です。

一般に、ミクロ的な基本原理の積み重ねでものごとを説明できればそれに越したことはありません。しかしそれがむずかしかったり、本質をつかみにくい場合には、本書の著者が提示するように俯瞰してとらえるやりかたは有効的だと思います。今回同書から引用する文章はその「俯瞰」の話題とは少し離れますが、本ブログでとりあげる話題に関連する箇所をご紹介します。

まずは、発想の逆転について。チャーリー・マンガーおなじみの思考プロセスですが、この発想には仰天させられました。

熱力学の第二法則によれば、自然界は局地的にも全体的にも、湿気の多い所から少ない所へ水を動かす傾向を示すことになっている。木も草も、湿気の少ない空気が大気から水分を吸い取るために使うストローのようなものだ。(中略)コンストラクタル法則は、樹木と森林が現れて存続するのは大地から大気への水の迅速な移動を促進するためであることを教えてくれる。(中略)樹木が「発生する」のは、そこに水があり、(上方へ)流れなければならないからであって、「木は水を好む」からではない。(p.198)


つぎは、規模の経済についてです。なお、この話題は本書の主題の一部を占めるもので、他の場所でも何度かとりあげられています。

たとえば、質量1,000キログラムのゾウが1キロメートル移動すると、移動する質量1キログラム当たりの食物摂取量は0.0562に比例する。質量が10キログラムのジャッカル100頭が同じく質量1キログラムを同じ距離だけ移動させたら、その1キログラムに必要な食物の量は0.383に比例する。ここで大事なのは、2つの食物必要量の比率、0.0562/0.383(約7分の1)という数値だ。結論として、ゾウが質量1キログラムを移動させると、ジャッカルの質量1キログラムを移動させるときと比べ、食物のコストはわずか7分の1にしかならない。

この事実から、さらに2つの大きな考えが浮かび上がる。第一にこれは、工学、経済学、ロジスティックス、ビジネスの各領域で認められている規模の経済という現象に、理論物理学的な基盤を提供してくれる。何かを大量に動かすときの効率は、規模に応じて向上する。第二にこれは、進化にはものの動きの向上へと向かう方向性があるという考えを際立たせてくれる。雨粒があって初めて川が生じるように、地球上では小さい動物が出てきてから大きい動物が登場した。ゾウより前に単細胞生物が、オオアオサギより前に蚊ぐらいの大きさの昆虫が現れた。コンストラクタル法則を使うと、動きが活発になるだけでなく、動きの効率も向上するという紛れもない傾向が見て取れる。(p.151)


最後の引用は、「コンストラクタル法則」に対する著者の所信表明の中でも東洋的なひろがりが感じられる箇所です。

コンストラクタル法則は、進化についてのダーウィンの考えに物理的原理の後ろ盾を与える。この法則は、特定の変化が他の変化よりも良い理由を説明し、そうした変化は偶然ではなく、より良いデザインの生成を通じて現れることを示してくれる。コンストラクタル法則はまた、進化についての私たちの理解を拡げ、生物学的変化という自然の傾向が、無生物の世界を形作るものと同じ傾向であることを示してくれる。

コンストラクタル法則とはそういうものだから、私たちが森の中を歩くときに感じる統一性の圧倒的な感覚の科学的根拠を提供してくれる。大地も、樹木も、大気も、私たち自身も、本当につながっている。いっさいのものは、同一の普遍的な力によって形作られ、創造の一大交響楽を奏でながら、それぞれが全体を支えているのだ。(p.223)


本書は万人向けするものではないと思いますが、生物の進化や地球物理的な現象のどちらにも興味のある方には刺激を与えてくれる作品です。個人的にはものごとをながめる視点のひとつとして、このメンタル・モデルを積極的に使っていきたいと感じました。

なお、規模の経済については過去記事で何度かとりあげていますが、以下の2つの投稿では「規模の不経済」が登場しています。この件は企業分析を行う際の要所のひとつと感じています。

規模の不経済(チャーリー・マンガー)
何も発明していない男、サム・ウォルトン(チャーリー・マンガー)

2013年10月22日火曜日

結論を急ぐバイアス(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの(再考)世知入門の6回目です。おなじみですが、今回は心理学の話題です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

ですから、心理学の先生が教えてくれるやりかたでは心理学を学ぶことはできません。教わったことを全部学ぶのは当然ですが、それ以外の教わっていないことをいろいろ学ばなければなりません。心理学の先生方が自分たちの教科を適切には扱えていないからです。

現在の心理学がどのように組織されているか、私からみれば電磁気学で言うところの「ファラデー以後・マックスウェル以前」の段階だと思います。多くのことが発見されたものの、それらすべてを適切な形にまとめあげようとする人がいません。これはものすごく大切なことですが、それほどむずかしい仕事ではありません。ですから、ぜひ成し遂げられるべきです。

心理学の教科書をひらいて目次の中から「妬み」をさがしてみてください。妬みとは十戒のうちのひとつ、あるいは二、三を占めるものです。モーセは妬みのことを熟知していました。いにしえのユダヤ人は羊飼いだったころから妬みのことをよくわかっていました。心理学の先生だけが妬みのことを理解していないのです。

心理学の講義で使う分厚い教科書だというのに、妬みのことも、単なる心理的逃避も、動機づけによるバイアスも載っていないのは、いったいどういうことでしょう。

さらに、心理学の教科書では要因を組み合わせることについて適切に扱えていません。「とびっきりな効果」に注意するよう、先に話しましたね。二、三あるいはそれ以上の力が同じ方向に向けてはたらくときに生じる現象です。

これまでに行われた心理学の実験でもっともよく知られているのが、ミルグラム実験です。この実験では、罪を犯していない人たちに対して強い電流を流して苦痛をあたえるよう、協力者に対して依頼しました。つまり誠実なボランティアの人たちを操作して、拷問をするように仕向けたのです。

ミルグラムが実験することになった以前に、ヒトラーの命令によって、たくさんのルター派やカトリックなどの信者たちが道理に反することをしていました。それはあやまちだと承知しておくべきことでした。ミルグラムは上等な人たちを操作して、明らかにひどいことをさせるには権威による圧力がどれだけ必要なのか、見極めようとしたわけです。

彼は非常に劇的な結果を得ました。上等な人たちにひどいことをずいぶんやらせるのに成功したのです。

この実験は心理学の本の中で何年間にもわたって、人にひどいことをさせる際に権威というものがどのように使われるのかを示す題材として取り上げられてきました。

しかし、それではただの「結論を急ぎすぎるバイアス」です。完全でもないし、正しくもない説明です。権威は答えの一部にすぎません。それ以外にも他の心理的な原理がはたらいています。すべての原理が同じ方向へとはたらき、まさに「とびっきりな」効果をうみだしています、なぜなら実験参加者は、共に同じ目標へと向かう影響のもとで行動していたからです。

このことは、次第に理解されてきてはいます。スタンフォードのようなところで最近の心理学の教科書を読めば、3分の2ぐらいは正しくなってきました。しかし心理学全体を通じてなお、この実験が主要なものとして扱われています。そのうえスタンフォードでさえも、ミルグラムの実験結果のうち重要な原因のいくつかを未だ示すことができていません。

頭のいい人がそこまでまちがいをおかすのはなぜでしょうか。「こうしなさい」と私からみなさんに言っていることをしていないからです。複雑なシステムから生じる現象を調べる際には、心理学でのあらゆる重要なモデルをとりそろえ、チェックリスト方式で使うことです。

どんなパイロットでも、離陸する前には項目の並んだチェックリストを確認します。ブリッジのプレイヤーがあと2つトリックが必要なときには、自分のチェックリストをかならず思い出して確認し、それを実行する方法を見つけようとします。

しかし心理学の先生は、賢い自分にはチェックリストは不要と考えています。しかし、それは違いますね。賢い人はほんのひとにぎり、いや皆無といっていいでしょう。

もしチェックリストを使っていれば、ミルグラム実験では6つの心理的原理が撚り合わさっていたことがわかったはずです。少なくとも、3つということはありません。ですから何を見逃したのか、チェックリストを見直して確認すべきです。

それと同じです。主要なモデルを用意し、それらを複数組み合わせて使うことです。そのやり方ができなければ、同じ失敗を何度も何度もくりかえすでしょう。

So you can't learn psychology the way your professors teach it. You've got to learn everything they teach. But you've got to learn a lot more that they don't teach - because they don't handle their own subject correctly.

Psychology to me, as currently organized, is like electromagnetism after Faraday, but before Maxwell - a lot has been discovered, but no one mind has put it all together in proper form. And it should be done because it wouldn't be that hard to do - and it's enormously important.

Just open a psychology text, turn to the index, and look up envy. Well, envy made it into one or two or three of the Ten Commandments. Moses knew all about envy. The old Jews, when they were herding sheep, knew all about envy. It's just that psychology professors don't know about envy.

Books that thick are teaching a psychology course without envy?! And with no simple psychological denial?! And no incentive-caused bias?!

And psychological texts don't deal adequately with combinations of factors. I told you earlier to be aware of the lollapalooza effect when two or three or more forces are operating in the same direction.

Well, the single most publicized psychology experiment ever done is the Milgram experiment - where they asked people to apply what they had every reason to believe was heavy electrical torture on innocent fellow human beings. And they manipulated most of these decent volunteers into doing the torture.

Milgram performed the experiment right after Hitler had gotten a bunch of believing Lutherans, Catholics, and so forth to perform unholy acts they should have known were wrong. He was trying to find out how much authority could be used to manipulate high-grade people into doing things that were clearly and grossly wrong.

And he got a very dramatic effect. He managed to get high-grade people to do many awful things.

But for years, it was in the psychology books as a demonstration of authority - how authority could be used to persuade people to do awful things.

Of course, that's mere first-conclusion bias. That's not the complete and correct explanation. Authority is part of it. However, there were also quite a few other psychological principles, all operating in the same direction, that achieved that lollapalooza effect precisely because they acted in combination toward the same end.

People have gradually figured that out. And if you read the recent psychology texts at a place like Stanford, you'll see that they've now managed to get it about two-thirds right. However, here's the main experiment in all of psychology. And even at Stanford, they still leave out some of the important causes of Milgram's results.

How can smart people be so wrong? Well, the answer is that they don't do what I'm telling you to do - which is to take all the main models from psychology and use them as a checklist in reviewing outcomes in complex systems.

No pilot takes off without going through his checklist: A, B, C, D.... And no bridge player who needs two extra tricks plays a hand without going down his checklist and figuring out how to do it.

But these psychology professors think they're so smart that they don't need a checklist. But they aren't that smart. Almost nobody is. Or, maybe, nobody is.

If they used a checklist, they'd realize the Milgram experiment harnesses six psychological principles, at least - not three. All they'd have to do is to go down the checklist to see the ones that they missed.

Similarly, without this system of getting the main models and using them together in a multi modular way, you'll screw up time after time after time, too.


今回の話題は何度も登場しているものですが、それがチャーリーのねらいです。彼は「重要なことは何度でも繰り返す」のですが、「それを聞いても、実際に行動している人は少ない」ことをわかっています。だからこそ、まだ見ぬ機会に対して楽観的に待てるのだと思います。

ミルグラム実験は、チャーリーの推薦図書『影響力の武器』でも登場しています。またチェックリストについては『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』が楽しんで読めました。どちらの本も、これまでにご紹介したものと思います。

2013年9月14日土曜日

「他の人を先に」と祈る(『わたしたちの体は寄生虫を欲している』)

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少し前の投稿で、脳における認知のしくみを記した文章を『脳のなかの天使』から引用しました。今回ご紹介する文章も似た話題で、今度は別の本『わたしたちの体は寄生虫を欲している』から引用します。「恐怖という感情」についてです。

まずは脳が恐怖を感じるしくみについてです。

恐怖を感じたとき(あるいは、後に述べるように、怒りを感じたとき)、あなたの心臓は激しく鼓動する。それは、副腎の滑車が動きだし、扁桃体から、より原始的な部分である脳幹に、信号が送られるからだ。「恐怖モジュール」と呼ばれるこのシステムは、主に、「逃走」か(頻度は低いものの)「闘争」によって捕食者に対処するために進化したものだが、脅威を感じただけで発動する厄介なシステムでもある。恐怖やそれに先立つ衝動は、周囲の状況を誤解している場合さえある。扁桃体の一部は、常時、「怖い、怖い」というシグナルを出しているらしい。そして、ほとんどの場合、扁桃体の他の部分がそのような信号を抑えている。だが、恐怖を引き起こすものを見たり、聞いたり、経験したりすると、その抑制は解除され、脳の中で爆発が起きたかのように、瞬時に恐怖が全身を駆けめぐるのである。(p.161)

以前の投稿で引用した文章には「視床下部」という言葉がありましたが、これは上の文章(3行目)の「脳幹」に含まれる部位です。

次の引用は「人間が恐怖を感じるようになった経緯」についてです。いまさらと思われるかもしれませんが、本書のような視点で改めてふりかえってみると、われわれの身体がどのようにできているのか、ずっと納得できます。

人間と大型の捕食動物の歴史の大半において、わたしたちは間違いなく獲物であり、そのことが数百万年前に進化した脳内の恐怖モジュールを持続させ、人類が進化するにつれてそれはより精巧なものになっていった。わたしたちの系統に捕食者を見つけようとするなら、4本の足とトカゲのような尻尾を持ち、体が鱗に覆われていた時代にさかのぼらなければならないだろう。当時でさえわたしたちは、捕食者であると同時に被食者であったはずだ。3億年にわたってわたしたちは「やめて! 食べないで!」と叫ぶ動物だったのだ。

また4つの根拠から、人間はつい最近まで食べられていたことがわかっている。1つ目は、実際に人間が捕食された事件が数多く記録されていることだ。植民地時代のインドでは、トラは1年に1万5,000人以上の人を食べていたらしい。またアフリカでは、タンザニアだけで1990年から2004年の間に、少なくとも563人がライオンに殺された。トラやライオンだけではない。ピューマ(≒クーガー)も人を食べる。ジャイアント・イーグルは人間の子どもを食べる。さまざまな種のクマも人を食べる。オオカミ、ヒョウ、アリゲーター、クロコダイル、サメ、そしてヘビまでもが人間、特に子どもを食べる。しかもこうした事件は、捕食者の数も種類も少なくなった近年になっても起きているのだ。(p.163)


人間はじつに無防備な動物であり、足を1本なくしたヌーやおとなしい乳牛を別にすれば、足を骨折したり歯をなくしたりした捕食動物にとって、唯一、簡単に捕まえられる獲物なのだ。わたしたちは暗いところではほとんど何も見えないので、祖先たちは夜、洞窟にいるときに音が聞こえたら、しゃがみ込んで耳をすまし、もしそれがトラやクマなどの大型肉食動物であれば、どうか他の人を先に食べてくれるようにと祈った。(p.162)


なお題名から察して、本書の話題は寄生虫ばかりと想像されるかもしれませんが、その話題は前半部だけです。それ以外にも人類の過去を振り返った上で、さまざまな話題を展開しています。内容はむずかしくなく、楽しんで読める一冊です。

2013年9月6日金曜日

私たちはいつも幻覚を見ている(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

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前回引用した『脳のなかの天使』から、もう一度ご紹介します。今回は視覚の話題です。ものを見たときに人間がどのように認知するのか、著者が考察を加えています。

おもにコンピュータ科学者によって持続されている素朴な視覚のとらえかたでは、視覚は逐次的、階層的に像を処理しているとみなされている。生のデータが画素、すなわちピクセルとして網膜に入り、そこから次々と各視覚野に、バケツリレーのように渡されて、しだいに高度な分析がそれぞれの段階でおこなわれ、最終的な物体の認知にいたるという考えかたである。この視覚モデルでは、各段階の視覚野からそれより下位の視覚野に戻される大量のフィードバック投射が無視されている。そうした逆投射はきわめて大量なので、階層という言いかたには語弊がある。私の直観するところでは、各処理段階において、入力データについての部分的な仮説、もしくは最適の推量が生みだされ、それが下位の領野に戻されて、その後の処理に小さなバイアスがかけられる。いくつかの最適推量が優位を争う場合もあるだろうが、最後には、そうしたブートストラッピングもしくは逐次代入を通して、最終的な知覚の解決がつく。あたかも視覚は、ボトムアップではなく、むしろトップダウンではたらいているかのようだ。

実を言うと、知覚と幻覚との境界は、私たちが考えるほど明瞭ではない。ある意味で私たちは、世界を見るときいつも幻覚を見ている。知覚とは、しばしば断片的かつ短命な入力データにもっともよくあう幻覚を選ぶ行為であるとみなしても、ほとんどさしつかえがないくらいだ。幻覚とほんものの知覚は、同じ一連のプロセスから生じる。決定的にちがうのは、何かを知覚しているときは、外界の事物の安定性がその固定を助けるという点である。幻覚を起こしているとき、たとえば夢うつつの状態にあるときや、感覚遮断タンクのなかで浮かんでいるときには、事物はどんな方向にでもさまよう。(p.323)


最初の赤字強調部分で示唆されている内容は重要なことだと思います。階層的に認知上のバイアスがかかるというのは、別な表現をすれば「違う種類の落とし穴がならんで待ち受けている」ということです。これに対するチャーリー・マンガーやウォーレン・バフェットの解決策は、やはり見事です。たとえば意思決定上のフィルターを階層的に設けたり(過去記事1過去記事2)、学問上の知恵を借りるときは普遍的で信頼性の高いものから特殊なものへ進むように説いています(過去記事など)。

もうひとつ、こちらの引用はおまけです。

しかしながら、近年の調査によると、天使を見たことがあると回答している人の割合は、アメリカ人全体のおよそ3分の1で、その頻度はエルヴィス目撃談をうわまわる。(p.281)

2013年9月4日水曜日

脳のなかの近道(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

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心理学者ダニエル・カーネマンが著書『ファスト&スロー』で、人間が持つ2つの思考機能について説明していることを、以前の投稿でとりあげました。その主張を解剖学的な観点から説明する文章をみかけましたので、ご紹介します。最近読んだ本『脳のなかの天使』からの引用です。おそらくカーネマンも、そのような知見を参考に持論を展開したと思われます。

上の2つの本における用語の対応関係ですが、以下の文章に登場する「経路1」と「経路2」が「スロー」な思考に、そして「経路3」が「ファスト」に対応しています。

経路1と経路2に加えて、もう一つ、対象物に対する情報的反応に関与する、より反射的な別の経路もあるらしい。私はそれを経路3と呼んでいる。経路1と2が「いかに(How)」と「何(What)」の流れだとすれば、経路3は「それで(So What)」の流れと考えることができる。この経路では、目、食べ物、顔の表情、生命のある動き(たとえばだれかの歩きぶりや身ぶり)といった生物学的に突出性のある刺激が、紡錘状回から側頭葉の上側頭溝(STS)と呼ばれる領域に向かい、そこを通って扁桃体に直行する。言いかえれば経路3は、高次の対象認知(と経路2を通して呼び起こされる関連のさまざまなものごと)をバイパスして近道をとり、情動の中核をなす辺縁系への入り口である扁桃体に、すみやかに到達する。この近道はおそらく、生得的であるか後天的に学習されたものであるかにかかわらず、重要度の高い状況に対するすばやい反応を促進するために進化したものと思われる。

扁桃体は過去に貯蔵された記憶や辺縁系のほかの構造体と協同して、あなたが見ているものの情動的な意味や重要性を評価する。それは友だちか、敵か、配偶相手か? 食べ物か、水か、危険か? それともどうということのないものか? もしそれが重要ではないものだったら--ただの丸太や、糸くずや、風に鳴っている木だったら--あなたはそれに対して何も感じず、おそらくそれを無視するだろう。しかしそれが重要なものだったら、ただちに何かを感じる。そしてそれが強い感情だったら、扁桃体から出る信号が視床下部にも流れこむ。視床下部はホルモンの放出を調整しているほかに、自律神経系を活性化させて、摂食、闘争、逃走、求愛など、状況に応じた適切な行動をするための準備態勢をとらせる。そうした自立反応には、心拍数の増加、浅く速い呼吸、発汗など、強い情動をあらわすさまざまな生理的徴候がともなう。人間の場合は扁桃体が前頭葉とも結びついており、それが基本的な情動の混合に微妙な趣(おもむき)を加味するので、単なる怒りや欲望や恐怖だけではなく、傲慢、プライド、警戒、あこがれ、闊達さなども生じる。(p.100)


本ブログではこの種の話題をたびたびとりあげていますが、個人的には「人間はまちがえるようにできている」と考えるようになりました。これは、「人間が進化的にあやまった種だ」という意味ではなく、「現代の特定の局面では、人間の持つ機能はあやまちを導きやすい」という意味です。チャーリー・マンガーはその宿命を回避する鍵を示しているようにみえます。たとえばウォーレン・バフェットとコンビを組むことで意思決定のあやまちを減らしたり、物事を探求するお手本としてチャールズ・ダーウィンのやりかたを説きつづけています(過去記事の例)。

なお脳神経からとらえた投資の本としては、ジェイソン・ツヴァイクが書いた『あなたのお金と投資脳の秘密』を以前にご紹介しました(過去記事)。今となってはよく知られている話題も少なくないですが、総じておもしろく読めた一冊でした。

2013年8月8日木曜日

たったこれだけ(物理学者西成活裕)

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チャーリー・マンガーの「砂金掘り」に関連する話題で、先日読んだ本に興味をひいた箇所がひとつあったので、引用してご紹介します。本の題名は『とんでもなく面白い 仕事に役立つ数学』です。

もう一つ、数理科学的アプローチに欠かせない考え方があります。それは、「勇気を持って単純化できるかどうか」。これもまた、学会で言い争いになった例をお話ししましょう。

テーマは血管の成長。ある研究者は、数理科学的アプローチを用いて、「よく使われる部分の血管は太くなる」と仮定してモデル化をしました。よく使われる部分は流れが多いだろうから太くなるだろう。たったこれだけ。ものすごく単純です。

ここでもYesと言う人とNoと言う人がいました。「きっとそうだ。検証してみよう」という肯定派と、「血管が成長するメカニズムはものすごく複雑だ。そんな単純なわけがない」という否定派です。後者は、単純化に対して、ものすごく抵抗がある人たち。だから、いろんな反応機構をスーパーコンピュータに入れてガーッと計算して…とやりたがるわけです。

現実は複雑。確かにその通りです。(数理科学的アプローチを採用する)こっちだって、そんなことは百も承知です。でも、そう言っていては、一生かかっても実社会の仕組みを解明することができません。頭の柔軟性を残すこと。これがとても大切なんです。

ちなみにこの数年後、その単純化をした研究者が正しかったことが卵細胞の血管ネットワークの研究で証明されたそうです。(p.22)

2013年6月20日木曜日

「ノー」という答えは受けつけない(アンディ・グローブ)

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インテルの歴代CEOで最高の人物といえば、アンディ・グローブでしょう。彼はハンガリー生まれのユダヤ人でしたが、冷戦下で東西対立がつづく時代に母国から逃亡し、アメリカに亡命しました。その顛末は自伝にも描かれていますが、今回は別の著者が書いた伝記『アンディ・グローブ』からご紹介します。この本は比較的新しく、邦訳は2008年に刊行されています。

国外への脱出について考えると、心配なことは山ほどあった。ちまたには噂が溢れ、噂が噂を呼ぶ有様だった。国境を無事に越えた人もいれば、第二次世界大戦中のジョルジュ・グローフ[アンディの父。アンディはのちにグローブに改姓]のように、忽然と姿を消した人もいた。「消える」のは望ましいとはいえない。二度と姿を現さないかもしれないからだ。

アンディがもしオーストリア国境を目指すなら、最終目的地はひとつしかなかった。「もちろんアメリカだ。共産党政権は『帝国主義に毒された、金儲けしか頭にない国』と呼ぶだろうけどね。彼らが軽蔑すればするほど、僕にはいっそうアメリカが好ましく思えてくる。アメリカは富と技術に満ちた神秘の国。自動車とハーシー・チョコレートで溢れているはずだ」

アンディは、かつて自分が「間抜け」呼ばわりしたマンツィに背中を押された。1956年にはアンディは年の離れたいとこを尊敬するようになっていた。彼女が人生でどのような経験をしてきたのか、理解できる年齢に達したのだ。「アウシュヴィッツからの生還者であるマンツィは、この世の地獄を目の当たりにしていた。いつでも冷静な彼女が、物事を針小棒大に語ることなどありえない」

12月初めのある午後、マンツィはアンディにこう語りかけた。「アンドリシュ。この国にとどまっていてはいけない。行きなさい、いますぐに」。ソ連軍が若者たちを問答無用で連行していた。彼らはすぐに消息不明になるのではないか、と心配されていた。にわかに、国内にとどまるのは海外逃亡を試みるのと同じくらい危険そうな雲行きになっていた。

このときもまたグローフ一家は果敢だった。行動すべきタイミングでは決然と動き、無駄な時間を過ごすことはなかった。「オーストリア国境を目指すべきだ」と家族3人で決めると、翌朝にはアンディはキラーイ通りのアパートを後にした。祖国ハンガリーの首都ブダペストにあるこのアパートは、アンディにとってただひとつの安息の場所だった。アンディはその晩、アパートに静かに別れを告げた。

(中略)

暗闇のなかを、ところどころで躓きながら進んでいく。犬が吠え、突如として夜空を閃光が走る。4人の学生たちは地面にひれ伏す。閃光が消え、あたりはふたたび一面の闇。男が現れ、ハンガリー語で「誰だ?」と探りを入れてくる。どうしてドイツ語ではなくハンガリー語なのだろう。男がつづける。「安心しろ、ここはオーストリアだ」。とうとう安全な場所にたどり着けたのだろうか……。

(中略)

逃避行の頼みの綱は、国際救済委員会(IRC)という組織だった。アンディがウィーンのIRC事務所を訪れると、職員たちは彼の英語力に驚いた。通訳を介さずに面談ができたのだ。ハンガリーでソ連軍と戦ったのかと尋ねられ、アンディは実際に戦ってはいないが、デモ行進には参加したと答えた。

(中略)

翌日届いた知らせにアンディは肩を落とした。IRCがアメリカへ移送すると決めたメンバーのなかに、アンディの名前はなかったのだ。「まるで胃のあたりを殴られた衝撃を受け、心臓が早鐘を打ちはじめた。何とか呼吸するのがやっとだった」。それでもアンディはくじけなかった。血相を変えてIRC事務所に駆けつけ、いつもの行列の先頭に割り込むと、嘆願を試みた。あまりの説得力に、IRCの職員たちはアンディの訴えを聞き入れ、アメリカ行きを認めた。「僕はうれしくて言葉もなかった」(上巻p.85)


余談です。インテルは1980年代に日本企業とのDRAM競争に負けて経営資源をロジック(CPU)へ集中させました。そのインテルとフラッシュメモリー分野で協業しているマイクロンは、エルピーダの買収をいよいよ完了しようとしています。初期のインテル社員にとっては感慨深いものでしょうね。

2013年6月12日水曜日

ニュートンは猫を飼っておった(物理学者 湯川秀樹)

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少し前に読んだ本『「湯川秀樹 物理講義」を読む』は、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんがおこなった3日間の特別講義を文字に起こしたものです。今回は印象に残った話題、既成の学問からなにかを学ぶときのもうひとつの視点、についてご紹介します。

しかし、うしろのほうを振り返ってみますと、そこに長い歴史というものがあります。この歴史というものは、すでに決まったものとして、誰がどうして、どういう理論が出来てきたかを学校で習う。そういう見方をしますと、それは皆決まっている、皆教科書に書いてあるじゃないかということになる。どの教科書を見まわしても、ちょっと表現の仕方が違っているだけで、本質的には何も違わんじゃないかということになる。早い話が、私たちも皆さんも、物理を勉強する手始めはニュートン力学であったわけです。その点、昔も今も変わらないですね。これは18世紀のいつごろからか、今日まであまり変わっていないだろうと思います。

そういうふうに見ますと、別に出発点は変わりないし、それから先もいろんな学問はちゃんと生きておりまして、なんとか学、なんとか学となっております。熱力学があったり、統計力学があったり、あるいは電磁気学があり、相対論もあれば量子力学もある。すべてこと決まっているように見えます。しかしそれらを創り出してきた人々について見ると、後人がそれから何を、どのように学び取ってきたか、何をくみ出してきたかということと、創り出した人がどういうふうに考えたかということとは違うんです。これをまったく同じだと思う人は試験勉強だけをしてきた人です〔笑〕。あるいはまた就職のために勉強してきた人です。本当に物理屋としてやっている人にとっては、それぞれが違うはずです。

私はこれから、私がどういうふうに、何を学び取っているかをお話するつもりですが、昔学び取ったこと、考えてきたこと、その同じことを現在になって考え直してみますと、また非常に違うわけです。そこにはもはや既成の事実しかないんだというふうに見るのは非常に表面的な見方ですね。(p.10)


問題解決の手法として、トヨタの「なぜなぜ」を5回繰り返すやりかたは有名です。偉大な先人がどのように考えたかという意味で、湯川博士も同様のことを指摘しているように感じられます。

もうひとつ。こちらはおまけで、ニュートンの逸話です。なお動物に対するニュートンの感情は、以前読んだ本でもとりあげられていました(過去記事)。

ニュートンも錬金術にはすごくこっていたんですよ。ニュートンがやったのは何かというと、光学の本を書きまして、それに力学、錬金術、そして神学の4つの部分に分けて考えられます。神学というのとはちょっと違いますが、つまり聖書年代学です。バイブルに書いてあることは全部本当である。その年代を明らかにする--そういう学問です。まあ、古代史みたいなものですね。残された文献から見ると、文献の数としてはそれほど多くないかもしれないが、しかし実際それに費やした時間は多分ほかのものよりも多いのです。

皆さん、非常におかしいとお思いになるでしょう。しかし、おかしいのはおかしくないんであって〔笑〕、もし彼が何か物理学者の理想像にぴったり当てはまって、それ以外の夾雑物[きょうざつぶつ]を持たない人であったとしたら、それは実在性がないということです〔笑〕。私は昔、ニュートンという人は実に実在感のない人だと思っていたんです。ニュートンとはどういう人かというと、年がら年じゅう勉強ばかりしている人だと思っていたんです。しかし、年がら年じゅう勉強ばかりしている人というのはどこにも存在していないのです〔笑〕。

私の小さいころに、ニュートンという偉い人について、いろんな本に書いてあった逸話が2つあります。一つはですね、彼、一生懸命に勉強しておってですね、お腹が空いてきたから、卵を鍋にほうりこんだところが、卵でなくて時計が茹で上がっていたという話です。つまり、われを忘れて勉強しておる。模範的な学者である〔笑〕。皆さんももっと勉強しろ、それくらいにならなきゃ偉くなれないぞという話です。もう一つの話も似ておりまして、彼は猫を飼っておった。猫が隣に行くのに、通路として塀に穴をあけておいてやった。その猫が赤ん坊を生んだら、子猫のためにもっと小さな穴をあけてやった、という話です。この2つの逸話は非常によく似ている。そのくらい迂闊でないと偉い学者になれない〔笑〕。(p.14)

2013年4月26日金曜日

町から馬糞が消え、清潔になる(ジャレド・ダイアモンド)

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少し前にご紹介したジャレド・ダイアモンドの『昨日までの世界』から、もうひとつ引用します。テクロノジーの進展に関する話題です。

私が紹介するひとつめのエピソードは、1902年生まれの大学教授で、私の指導教官だった人にまつわるものである。1956年にその教授が私に語ってくれたのは、教授の昔の記憶、つまり、移動手段が馬車から自動車へ変わっていくのを目にしたときの記憶である。その時代に、アメリカの都市部で成長した人々が感じていたことについて、その老齢の教授が自分の記憶にあることを私に教えてくれたのである。その当時、私の指導教官をはじめ、同年配の人々は、この移動手段の変化をおおいに歓迎したそうである。町から馬糞が消え、町が清潔になる、と思われたからだそうである。馬のひづめの騒々しい音も消え、町が静かになると思われたからだそうである。もちろん、車がもたらしたのは、清潔な町でもなければ、静かな町でもない、大気汚染と騒音の町だった、という事実を後知恵的に知っている、いまの時代のわれわれからみれば、当時の人々の発想が愚かに思える。しかし、われわれは、この老教授の記憶から、大きなメッセージを受け取ることもできるのである。それは、技術革新はつねに、当初期待されたメリットに加え、予想外の問題をももたらし得るということである。(上巻p.403)


こちらはおまけです。チャーリー・マンガーが推薦する著者らしい見解が述べられています。

さて、最後になったが、私の3つ目の提案は、加齢にともなう心身の変化、心身の強みと弱みの変化を理解し、いかにうまく活用するかにかかわる提案である。このように複雑で広範囲におよぶ変化について、きちんとした証拠も示さずに、十把一絡げ的な概括論を述べるリスクをあえて冒すが、傾向として、加齢とともに下降する心身の属性には、以下のようなものがある--熱意、競争心、体力および持久力、集中維持力、問題解決のための論理的思考の構築力(したがって、DNA構造や純粋数学理論にかかわる問題の研究は、40歳以下の学者に任せたほうがよい)。もちろん、心身の属性のなかには、加齢とともに向上するものもあり、それらは以下のようなものである--専門分野にかかわる知見や経験、人間や人間関係についての理解力、自分のエゴを抑えて他人を助ける力、多面的知識データベースが関与する複雑な問題の解決のための学際的思考の組み合わせ力などである(したがって、種の起源に関する研究、生物地理学的分布に関する研究、比較歴史学に関する研究などは、40歳以上の学者に任せたほうがよい)。(同p.404)


ジャレド・ダイアモンド氏とチャーリーはどちらもロサンゼルス在住なので、親交があるのかもしれませんね。

2013年4月21日日曜日

シカゴ大学をコケにした男(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講話『実用的な考え方を実際に考えてみると?』の最終回です。結びの余韻には、しびれました。前回分はこちらです(日本語は拙訳)。

現在の学術界一般が残念ながら盲目怠慢ぶりを呈しているにもかかわらず、教育機関の恥ずべき欠陥がやがて修正されるという望みは見出せるのでしょうか。大丈夫です、私は楽観的にみています。

たとえば、シカゴ大学経済学部の最近の動向をみてみましょう。この学部は10年間にわたって[俗に言う]ノーベル経済学賞をほぼ独占してきました。その多くは、人間は合理的であることを前提にした「自由市場」モデルを使って適切な予測を下した業績に対するものです。合理的人間という切り口で着実に成果をあげてきたこの学部は、つぎにどのような行動をとったと思いますか。

花形学者のそろった貴重な一画に、賢明で機知あふれるコーネル大の経済学者リチャード・セイラーを招聘したのです。これこそ我らの希望にかなうものでした。セイラーは、シカゴ大学で崇められているさまざまなことをコケにしていきました。私と同じようにセイラーも、人間は限度を超えて非合理になることがあると考えています。これは心理学によって予期できるものなので、ミクロ経済学では考慮に入れておくべきものです。

シカゴ大学はそのような手段を通じてダーウィンを模倣しています。ダーウィンは長き人生の大半を逆に考えること、すなわち苦心して得たこよなく愛する自らのアイデアを反証することに費やしました。最高の価値を保持せんと、彼のように逆から考える一群が学術界にもあるわけです。ですから、お粗末な教育上の実践がやがてよりよきものに取って代わられる可能性は十分にあります。これはカール・ヤコビが予期していたそのものかもしれません。

そのようなダーウィン主義者のやりかたは、いかにわずらわしくても客観視する姿勢を常としているので、力強く前進していくでしょう。ですから、この希望はいずれ実現すると思います。この上なく重要な人物アインシュタインは、かつて言っています。業績を果たす根幹となったもののひとつが「自己批判」だったと。これと並ぶ残りの3つは、「好奇心」「集中」「根気強さ」です。

「自己批判」がいかに強力かをさらに称揚するために、学卒でおわった月並みな才能のチャールズ・ダーウィンがどこに葬られているか思い出してみましょう。ウェストミンスター寺院はアイザック・ニュートンの墓石の、ちょうどとなりです。ニュートンこそ、他に比類なき才能を授かった学究でした。彼の墓石にはラテン語の八つの単語で口を極めた称賛が刻まれています。「アイザック・ニュートン、ここに眠る」(Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni)。

ダーウィンの亡きがらをそのように葬る文明ならば、やがては心理学を適切かつ実践的な形で発展統合させて、様々な技能を大きく伸ばすことでしょう。微力かつ愚鈍なる我々としては、その歩みが遅滞しないようにただ手助けすべきです。障害は数多くあります。重要な位置に就くさまざまな人が、コカ・コーラのように成功をおさめている普遍的な製品のことを適切に理解できなかったり説明できないようであれば、それ以外の重要なもろもろに対しても我々はうまく立ち向かえないでしょう。

私がグロッツさんへ説明したのと同じように考えた末に10パーセントを投資し、純資産の50%がコカ・コーラ株になった人がおられるならば、心理学の面で私が話したことは基本的すぎて役に立たないかもしれません。そうでしたら、無視してくださってかまいません。しかし、他のみなさんもそうするのが賢明だとは申し上げられません。この状況は私が気にいっている昔の広告の文句を思い起こさせるので、ここにご紹介して話の結びとします。ワーナー・スウェージー社のものです。「新しい工作機械をお望みなのに未だ購入されていないお客様は、すでに対価をお支払いになっていらっしゃいます」。

Even though this regrettable blindness and lassitude is now the normal academic result, are there exceptions providing hope that disgraceful shortcomings of the education establishment will eventually be corrected? Here, my answer is a very optimistic yes.

For instance, consider the recent behavior of the economics department of the University of Chicago. Over the last decade, this department has enjoyed a near monopoly of the Nobel prizes in economics, largely by getting good predictions out of “free market” models postulating man's rationality. And what is the reaction of this department after winning so steadily with its rational-man approach?

Well, it has just invited into a precious slot amid its company of greats a wise and witty Cornell economist, Richard Thaler. And it has done this because Thaler pokes fun at much that is holy at the University of Chicago. Indeed, Thaler believes, with me, that people are often massively irrational in ways predicted by psychology that must be taken into account in microeconomics.

In so behaving, the University of Chicago is imitating Darwin, who spent much of his long life thinking in reverse as he tried to disprove his own hardest-won and best-loved ideas. And so long as there are parts of academia that keep alive its best values by thinking in reverse like Darwin, we can confidently expect that silly educational practice will eventually be replaced by better ones, exactly as Carl Jacobi might have predicted.

This will happen because the Darwinian approach, with its habitual objectivity taken on as a sort of hair shirt, is a mighty approach, indeed. No less a figure than Einstein said that one of the four causes of his achievement was self-criticism, ranking right up there alongside curiosity, concentration, and perseverance.

And, to further appreciate the power of self-criticism, consider where lies the grave of that very “ungifted” undergraduate, Charles Darwin. It is in Westminster Abbey, right next to the headstone of Isaac Newton, perhaps the most gifted student who ever lived, honored on that headstone in eight Latin words constituting the most eloquent praise in all graveyard print: “Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni” - “Here lies that which was mortal of Isaac Newton.”

A civilization that so places a dead Darwin will eventually develop and integrate psychology in a proper and practical fashion that greatly increases skills of all sorts. But all of us who have dollops of power and see the light should help the process along. There is a lot at stake. If, in many high places, a universal product as successful as Coca-Cola is not properly understand and explained, it can't bode well for our competency in dealing with much else that is important.

Of course, those of you with fifty percent of net worth in Coca-Cola stock, occurring because you tried to so invest ten percent after thinking like I did in making my pitch to Glotz, can ignore my message about psychology as too elementary for useful transmission to you. But I am not so sure that this reaction is wise for the rest of you. The situation reminds me of the old-time Warner & Swasey ad that was a favorite of mine: “The company that needs a new machine tool, and hasn't bought t, is already paying for it.”


文中に登場するリチャード・セイラーの本はいくつか翻訳が出ていますね。『実践 行動経済学』は私も読みましたが、それなりに楽しめた一冊です。

なおご参考までに、ダーウィンとニュートンの墓石の位置は実際には隣接していないとの情報がありました。

The Burial of Charles Darwin (AboutDarwin.com)

2013年4月19日金曜日

建設的なパラノイア(ジャレド・ダイアモンド)

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少し前の本ですが、チャーリー・マンガーが推薦する本に『銃・病原菌・鉄』という作品があります。新たな歴史観を示してくれた意欲作として日本でも広く読まれたものと思います。著者ジャレド・ダイアモンド氏の著作動向を気にとめていたところ、今年になって新作『昨日までの世界』が翻訳されていたので一読しました。パプアニューギニアでのフィールドワークの成果をもとに書かれているせいか、でだしの3章ほどはスローペースに感じられ、読み進めるのにやや難儀しました。しかし第4章や5章あたりからエンジンがかかり、結末まで興味深く読めました。今回は同書から、ニューギニア人のような人々から学べるリスク管理の話題をご紹介します。

ニューギニアへ野外観察にいきはじめた当初、私はまだ未熟だった。警戒心や注意力といったものもまだまだ不十分で、自分がおかれた自然界の状況に十分な注意が払えないような研究者だった。そんなあるとき、私はニューギニアの密林の奥地で、鳥類調査のために現地人たちと1か月間を過ごしたことがある。最初の1週間で低地における調査を終え、つぎにもっと高地に生息する鳥類が調べたくなった。そこで、ベースキャンプを数千フィート、山の上の場所に移動することに決めた。私たち一行は山を登っていき、やがて翌1週間滞在するベースキャンプを張る場所を、高い木の茂る森のなかにある場所に決めた。そこは、尾根がなだらかに下降している先の、平らに開けた空き地で、周囲を歩きながら野鳥を観察するにはもってこいの場所だった。近くに渓流もあり、遠くまで水を汲みにいかなくても必要な水が確保できる地形だった。キャンプを設営することに決めた場所は急な崖の縁で、視界も開け、谷底から舞い上がってくるタカやアマツバメ、オウムを観察することができた。しかも、その土地の片隅には、みごとな巨木がそそり立っていた。私は、こんな美しい環境で1週間も過ごせるのだという思いに胸がふくらみ、ニューギニア人の助手たちにつぎのように告げた。あの巨木の苔むした幹の脇のところにテントを張ることに決めたので、準備にとりかかってください。

私のこのひと言に対する彼らの反応はまさに驚きだった。彼らが、私の頼みにほんとうにひどく動揺し、あの巨木の幹の脇で寝るのは嫌だといったからである。彼らの言い分はつぎのようなものだった。あの巨木はすでに枯れて、死んでいる。だから、われわれがテントで夜、眠り込んでいるあいだにわれわれの上に倒れ込んできて、われわれを殺すかもしれない。たしかに、彼らのいうとおり、巨木はすでに枯れていた。しかし私は、彼らの大げさな物言いにびっくりして、とっさに反論した。

「たしかに、この木は巨木だが、幹はまだしっかりしている。ぐらついてもいない。腐ってないんだから、風で倒れるようなことはまずない。いずれにしても、風なんか吹いていない。この木が倒れるとしても、それはまだ何年も先の話だ!」だが、私の言葉もむだだった。ニューギニア人たちがおびえきっていたからである。そして、あの木の真下のテントで眠るくらいなら、夜空の真下で野宿するほうがましだ。あの巨木が倒れ込んできてもつぶされることのない、あの木の根元から離れた場所で、吹きさらしの地べたの上で眠るほうがましだ、と主張したのである。

そのとき私は、彼らの怖がりようは大げさで、ほとんど被害妄想だと思った。ところが、それはそうでもなかった。その後、数か月つづいたニューギニアの森での観察活動のあいだ、木が倒れる音を耳にしない日が1日としてなかったからである。木が倒れてきて、下敷きになって死んだニューギニア人の話を、いくつも聞かされたからである。そして、ニューギニア人が森のなかで野営することが多々ある人々である、ということを思い出したからである--おそらく、1年に100日は野営しているだろうから、40年の人生のあいだに、4000日は野営している計算になる。そして私は、この計算でピンときたのである。例えば、1000回に1回しか死なないようなことでも、年100回それをおこなうような生活をしていれば、10年以内に死んでしまう確率が高いのである。ニューギニアの平均寿命40歳をまっとうできないということだ。もちろん、この危険があるからといって、ニューギニア人は森の奥へいくことをやめたりはしないが、細心の注意を払うのである。枯れた巨木の根元で眠らないようにして、木の下敷きになって死ぬ危険を事前に回避しているのである。この意味において、私の助手のニューギニア人たちの被害妄想は理にかなっていた。私は、この種の被害妄想は「建設的なパラノイア」であると思う。

(中略)

私がニューギニア人から学んだもののうちで、建設的なパラノイアほど心に残ったものはない。建設的なパラノイアはニューギニア人のあいだでは一般的である。また、世界各地の伝統的社会においても、観察例が数多く報告されている。被害リスクの生起頻度が低い行為であっても、その行為を頻繁におこなうのであれば、リスクを冒して若死にしないように用心すべきなのである。あるいは、若くして手足を不自由にしないように、つねに細心の注意を払うべきなのである。ちなみに私は、アメリカでの生活においても、リスクは低くても、頻繁におこなう行為への対処法としてこれを応用している。そのような行為とは、たとえば、車の運転である。濡れると滑る浴室でシャワーを浴びたり、脚立に上がって照明の電球を交換したり、階段を上り下りしたり、つるつると滑る歩道を歩いたりすることも、1回あたりのリスクは低いが、生活のなかで頻度の高い行為であり、用心深く対応することに越したことはない。そんな私の用心深さにあきれかえってしまう人も、私のアメリカ人の友人のなかにはいる。しかし、私と同じ考えを持つ西洋人の友人も3人いて、彼らもまた低リスク高頻度の事象を相手にする自身の経験や職業のおかげで、用心深いのは被害妄想でもなんでもないことがわかっている人たちであり、建設的なパラノイアが生き延びるための知恵であるということがわかっている人たちなのである。その3人のうちひとりは小型航空機を操縦していた友人であり、もうひとりはロンドンの街中で非武装パトロールをしていた警察官の友人であり、最後のひとりはゴムボートに乗る釣りガイドをしていた友人である。彼らは、そうした仕事や活動をつづけるなかで、不用心が原因で落命した友人たちを目にした経験から、建設的なパラノイアの重要性を学んだのである。(下巻p.12)

2013年3月11日月曜日

ニュートンとバブル

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バブルの本家といえば、18世紀のイングランドでおきた南海泡沫事件です。その騒ぎの中で科学者アイザック・ニュートンも投機に失敗したとされる話は、よく知られているかと思います。今回ご紹介するのは最近読んだ本『ニュートンと贋金づくり』からで、ニュートンが具体的にどれぐらい損をしたのか描かれた箇所です。

1720年1月、噂の流布からバブルが始まった。出どころは、市場のご他聞に洩れず社内の消息筋で、南海会社の株価が上がりそうだという内容だった。エクスチェンジ・アレイが、それにしっかりと食いついた。南海会社の株価は1か月で128ポンドから175ポンドに上昇し、同社がさらに国債を引き受けると発表されると、3月末には330ポンドに跳ね上がった。

だが、それはまだほんの序章だった。あぶく銭が簡単に手に入るという感覚が、投機ブームを煽った。5月には、株価は550ポンドとなり、その1か月後には、夏に10パーセントの配当が出るという告知によって1,050ポンドに達した。

しかしその後、株価はあっけなく暴落した。初めはともかくも、終わりの頃には南海会社はネズミ講同然で、後から投資した者の金に報酬がついて先に投資した者の利益になるという、できすぎた仕組みになっていた。やがて新しく投資する者がいなくなり、その仕組みは破綻した。同社の株価は7月に下落し始め、8月にはまだ800ポンドの値を保っていたものの、その後急落した。そして、1か月もたたないうちに175ポンドとなり、わずか数週間前には絶対に枯れるはずがなさそうに見えた金の成る木に飛びついていた大勢の投資家が、ほぼ完全に姿を消した。

その最後に飛び乗り、最初に打撃をこうむった投資家の一人が、アイザック・ニュートンだった。彼は、そもそも初期に南海会社に投資した、理論上は最も傷の少ない投資家だった。記録を見ると、1713年頃には彼の所有財産のなかに同社の株式がかなり含まれているが、その一部は1720年4月の株価上昇の折に首尾よく売っている。だが、同社の株価がその後も上昇を続けたため、元手をさらに膨らませようとする大胆なプレーヤーのように機を待ったニュートンは、2度目の賭けに出た。6月、株価が最高値を記録した頃、彼は取次ぎ業者に指示して、1,000ポンド分の株を購入した。そして1か月後、株価が下落し始めたときにも、さらに買い足した。その後の暴落によって、彼は2万ポンドにおよぶ損失を被ったと、姪のキャサリン・コンデュイットは記している。彼の造幣局監事の基本給に換算すると、およそ40年分の額だった。(p.264)


損失は間違いなく身に堪えていたものの、ニュートンの全財産が泡と消えたわけではなかった。東インド会社の大株主の一人であることに変わりはなく、1万1000ポンドという同社への投資は、1724年当時としては非常に安定した事業だといえた。また、彼の所有する不動産の評価額はその数年後に最高値となり、リンカンシャーの所有地を除いても3万2000ポンドであった。つまり、彼はどこから見ても、やはり裕福な男だった。しかし、最悪の失敗の記憶は彼を苛み、自分に聞こえるところで誰かが南海会社の話をするのを嫌がったといわれている。彼がそれほどいら立ったのは、大損をしたせいだけではないかもしれない。理性にかけるただの愚か者と同じように、自分もだまされたと思えて腹立たしかったのではないだろうか。投機熱が最高潮に達していた頃の南海会社株の魅力的な値上がりに関する話が出たとき、彼はラドナー卿に「大衆の熱狂を計算することはできない」と言ったという。

後悔はしていたにせよ、友人たちの記憶にあるニュートンの晩年は、おおむね満ち足りていて、知的で獰猛なファイターであった若かりし日よりも、ずっと温和になっていた。裕福であったにもかかわらず暮らしぶりは控えめで、朝食にはバターを塗ったパンを食べ、ワインを飲むのは夕食時だけだった。彼の姪によれば、彼は動物に辛くあたるのを嫌い、古くからの友人を大切にし、かつてはよそよそしく他人行儀だったものの、親戚の者たちに対して家長らしい振る舞いを見せるようになった。結婚式には必ず出席し、「いつもの生真面目さはどこかにしまって、自由に、楽しげに、くつろいでいた」。しかも、家族にとってはさらに嬉しいことに、「彼はたいてい、花嫁には100ポンドを贈り、花婿には商売や仕事の面倒を見てやった」。(p.265)


「彼は2万ポンドにおよぶ損失を被った」とありますが、当時の1ポンドが現在の日本円で25,000円の価値とすると、5億円に相当する損失になります。なおイギリスポンドのインフレ換算は、以下のサイトをお借りして計算しました(1751年までさかのぼれます)。

Historical UK Inflation And Price Conversion

2013年2月13日水曜日

チェーンソーでバターを切る(エイモリー・B・ロビンス)

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エネルギー問題に正面からとりくんだ意欲作『新しい火の創造』を読み終えました。エネルギーや気候問題となると悲観的な予測がつきものです。しかし本書の著者は、あくまでも人間の知恵を頼りに総力戦で立ち向かうことで、希望のある未来を手にできる可能性を示しています。具体的には、エネルギー利用効率を大幅に改善させ、一方で再生可能エネルギーへの移行を政策面から推進するために、多岐にわたる手段やアプローチを提案しています。安全余裕をとりたいために、個人的にはものごとを悲観的にみることが多いのですが、著者の前向きな姿勢には随所で励まされました。本書で描いたシナリオのような楽観的な世界がそのまま実現するとは、著者自身も考えてはいないでしょう。ですが、それを承知で書き物にし、実現可能性の裏をとり、各界に働きかけていく行動力には、すなおに拍手をおくりたくなります。アメリカという国の、健全で壮健な一面をみせてくれる著作です。

本書には印象に残る文章がいくつもありますが、今回は株式投資の観点で直接参考になりそうな箇所を引用します。第4章「工業」からです。

ダウケミカル社は、数百トンものプラスチックから太陽電池の屋根用パネルまでの全てを製造するのに、途方もない量のエネルギーを使う。巨大な原子力発電所まるまる3基分に相当する3.7ギガワット(370万キロワット)を超える電力を必要とするのだ。これは、オランダが使う量を超えるほどの石油を燃やす。その結果として、効率を僅かでも向上させるだけで、最終利益に大きなプラスが出てくる。そこで、ダウ社はエネルギー消費削減策を執拗に追い求めている。同社は、テキサス州フリーポートにあるエチレン炉を取り替えたり、精製設備を効率の高いものにするという簡単なものや、アントワープでプロピレンオキサイド(ポリウレタン樹脂の原料)製造プロセスに、エネルギー消費が35%少ないまったく新しいプロセスを開発するという複雑なことを実施している。

数千件に上るこのようなプロジェクトを経て、ダウ社は1990年と2005年の間で、そのプロセスのエネルギー強度を38%引き下げ、効率と利益をともに押し上げている。同社は、1994年と2010年の間で、10億ドルを要したエネルギー効率向上策によって94億ドルを削減できたと計算している。2008年にエネルギー価格が急騰した時に、ダウ社は、効率のもっと低い競争相手に対して決定的なコスト優位性を示したのだった。

実のところ、エネルギー効率がダウ社にとってこれほど優れた事業戦略であることが実証されたため、さらに効率を上げようと懸命である。現在2015年までにエネルギー強度をさらに25%引き下げることを狙っているのだ。そして、2011年2月に、幹部は効率向上に向けた新しい活動をいくつも実施するのに、1億ドルを投資すると発表した。この投資プロジェクトは、並外れた財務的リターンをもたらしてくれると、ダウ社のエネルギーと気候変動担当副社長であるダグ・メイは述べている。

エネルギー効率に焦点を当てているのはダウ社に限ったものではない。もう一つのパイオニアは製造コングロマリットであるユナイテッド・テクノロジー社だ。エネルギー消費に狙いを定めて、2003年と2007年の間で、会社全体でのエネルギー強度を45%、2006年と2010年の間の地球温暖化ガス排出を62%切り下げている。その一方で、販売量は13%伸び、1株当たりの収益は28%上がり、1株当たりの配当は67%上昇した。また、保護フィルムやポストイット付箋など、全てにわたるイノベーターである3Mを検討してみよう。同社は、エネルギー効率を大きく改善したチームを認定するプログラムを開発することで、効率を22%上げ、2005年から2009年の間に1億ドルを超えるコスト削減を実現した。

とは言うものの、これと同じ期間に、3Mは200億ドルを超える累積利益を計上しており、それからすると、同社のエネルギー効率化プロジェクトはまだ総投資額のほんの一部(約0.1%)でしかない。このギャップが示唆しているのは、3Mは効率向上機会の表面をちょっとこすっただけだということだ。しかし、3Mをはじめとする他の多くの起業家精神豊かな会社は、効率化の追求を急速に深めつつあり、エネルギーの削減量を増やすだけでなく、さらにもっと効率を上げる新技術を開発販売できることに気づき始めている。(p.283)


米国の経済社会では、ほんの13%ほどのエネルギー効率しかなく、世界の経済社会では大体10%ほどしかない。現在もっともエネルギー効率が高い工業プロセスですら、理論的に必要なエネルギーの2-3倍は消費している。従って、エネルギー節減の潜在可能量は、巨大なものとなる。

工業部門はなぜ理論的に必要なものよりもこのように大きなエネルギーを使うのだろうか。必要なものより高い温度や圧力で稼働させているからだ。低品質のエネルギーで十分間に合う時に高度な品質のエネルギーを使う--量的には100%使うが質的には6%だけになる--ため、ある建築家が表現したように、まるで"チェーンソーでバターを切るようなものだ"。多くのプロセスで同様なことが行われている工場がほとんどである。(p.309)


こちらはおまけです。第5章「電力」からの引用です。

よく引用される統計によると、90マイル四方の広さがあって、太陽電池パネルなり太陽光集光設備でそこを覆うとすれば、米国がいま必要としている年間総電力量を発電できるという。だが、それは全体の話の一面にすぎない。国立再生可能エネルギー研究所(NREL)と米国エネルギー省による研究では、米国は、豊かで地域的に広く分布した風力、バイオマス、水力、太陽、地熱に恵まれている。設備が置けて、そこそこの風が吹くところでの陸上風力発電だけで、米国が2010年に消費した電力の9.5倍を発電できる。全部合わせると、このような再生可能エネルギー資源は、現時点で商用化されている技術を使って、年に7万5000TWhの発電をする力がある。これは全米で2010年に消費された電力の20倍に相当する。(p.390)


文中にでてきた研究の報告書と思われるファイルが、Web上に公開されていました。

20% Wind Energy by 2030 (米国エネルギー省 国立再生可能エネルギー研究所)
(2030年までにエネルギー供給の20%を風力発電でまかなうシナリオの研究報告)

2013年1月11日金曜日

企業戦略を成功に導くには(ルイス・ガースナー)

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いまさらですが、IBM再生の立役者ルイス・ガースナーの自伝『巨象も踊る』を読んでいます。少し前の投稿で、低迷した企業が復活できる例をウォーレン・バフェットが挙げていますが、当社の場合は「ど真ん中」の本業が苦しんだことから、ウォーレンの事例とは異なる部類だと捉えています。

経営者に関する本はたまに手に取りますが、かざらない文章にひきこまれました。本書には印象に残る文章がいろいろありますが、「こういうのを待っていた」ともっとも感じたものを、今回はご紹介します。世の経営者に対してだけでなく、自分自身の日常を叱咤するようにも聞こえました。

実行能力、つまり物事をやりとげ、実現する能力は、すぐれた経営者の能力のなかで、もっとも評価されていない部分だ。わたしは経営コンサルタントだったころ、数多くの企業の数多くの戦略の策定に加わった。ここで、経営コンサルタント業界の小さな暗い秘密をお教えしよう。ある企業のために独自の戦略を策定するのは極端にむずかしいし、業界の他社の動きとはまったく違う戦略を策定した場合、それはおそらくきわめてリスクの高いものなのだ。その理由はこうだ。どの業界も経済モデル、顧客が表明する期待、競争構造によって枠組みが決まっており、これらの要因は周知のことだし、短期間に変えることはできない。

したがって、独自の戦略を開発するのはきわめてむずかしいし、開発できたとしても、それを他社に真似されないようにするのはさらにむずかしい。たしかに、コスト構造や特許で、他社の追随を許さない強みをもつ企業がないわけではない。ブランド力も競争上の強力な武器になり、競合他社はこの面で業界のリーダーに追いつこうと必死になっている。しかし、これらの優位が他社にとって永遠に越えられない壁になることはめったにない。

結局のところ、どの競争相手も基本的におなじ武器で戦っていることが多い。ほとんどの業界で、業績向上の原動力になる要因、成功をもたらす要因を5つから6つ指摘できる。たとえば、小売り業界でマーチャンダイジング、ブランド・イメージ、不動産コストが決定的な要因であることはだれでも知っている。この業界で成功するための新たな道筋を見つけ出すのは、不可能ではないまでも、きわめてむずかしい。ドット・コム小売り企業の華々しい失敗は、業界の基礎的要因を棚上げにできないことを示す好例である。

したがって実行こそが、成功に導く戦略のなかで決定的な部分なのだ。やり遂げること、正しくやりとげること、競争相手よりうまくやりとげることが、将来の新しいビジョンを夢想するより、はるかに重要である。

世界の偉大な企業はいずれも、日々の実行で競争相手に差をつけている。市場で、工場で、物流で、在庫管理で、その他もろもろのすべての点で差をつけている。偉大な企業が競争相手との激闘を避けられるほど、真似のできない強みをもっているケースはめったにない。(p.302)


もうひとつ、こちらはおまけです。RJRナビスコの経営者だったルーがIBMに移ることが決まって、勤務前に同社の会議に出席したときの追憶です。

大きな会議室に案内されて、本社経営会議に出席した。本社の経営幹部が50人ほど集まっていた。女性が何を着ていたかは覚えていないが、会議に出席していた男性が全員、白いシャツを着ていたのが印象的だった。例外がひとりいた。わたしだけ、ブルーのシャツを着ていた。IBMの経営幹部としては、常識を大きく逸脱する服装だったのだ。(何週間か経って、同じ会議があった。わたしだけが白いシャツで、他の全員が色物のシャツだった)。(p.39)

2012年12月26日水曜日

自信を持つなど言語道断である(心理学者ダニエル・カーネマン)

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以前とりあげた心理学者ダニエル・カーネマンの新刊『ファスト&スロー』が翻訳されていました。過去記事では、題名の訳を『ぱっと考える、じっくり考える』としてご紹介したものです。現在は上巻を読み終えた段階ですが、内容の充実ぶりに圧倒されています。一般向けの心理学の本は少しずつ読むようにしていますが、本書はチャーリー・マンガーの推薦書『影響力の武器』にならぶバイブル級の一冊になると思います。

重要な意思決定をしなければならない人にとって、参考になるところが多い作品です。投資家のみなさんにも、一読されることを強くおすすめします。

今回は同書から、自信や信念に関する話題を引用します。

あなたはどうしても、手持ちの限られた情報を過大評価し、ほかに知っておくべきことはないと考えてしまう。そして手元の情報だけで考えうる最善のストーリーを組み立て、それが心地よい筋書きであれば、すっかり信じ込む。逆説的に聞こえるが、知っていることが少なく、パズルにはめ込むピースが少ないときほど、つじつまの合ったストーリーをこしらえやすい。世界は必ず筋道が通っているという心楽しい信念は、盤石の土台に支えられている。その土台とは、自分の無知を棚に上げることにかけて私たちはほとんど無限の能力を備えている、という事実である。(p.293)


システム1[瞬発的に判断する機能]は、ごくわずかな情報から結論に飛躍し、しかも飛躍の幅がどの程度かがわからないようにできている。「見たものがすべて」なので、手元にある情報しか問題にしない。それに基づく結論のつじつまが合っていさえすれば、自信が生まれる。私たちが自分の意見に対して抱く主観的な自信は、システム1とシステム2[熟考する機能]がこしらえ上げたストーリーの一貫性に裏付けられているのである。情報は少ないほうがつじつま合わせをしやすいので、情報の量と質はほとんど考慮されない。私たちは、人生で信じていることのうち最も重要ないくつかについては、何の証拠も持ち合わせていない。ただ愛する人や信頼する人がそう信じている、ということだけが拠りどころになっている。自信を持つことはたしかに大切ではあるが、私たちが知っていることがいかに少ないかを考えたら、自分の意見に自信を持つなど言語道断といわねばならない。(p.304)


自信は感覚であり、自信があるのは、情報に整合性があって情報処理が認知的に容易であるからにすぎない。必要なのは、不確実性の存在を認め、重大に受け止めることである。自信を高らかに表明するのは、頭の中でつじつまの合うストーリーを作りました、と宣言するのと同じことであって、そのストーリーが真実だということにはならない。(p.309)


蛇足ですが、字数が多くてうれしいと感じた本は久しぶりでした。

2012年12月12日水曜日

ほんまはこいつ賢いんちゃうか(山中伸弥教授)

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ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の聞き語りが新刊で出ていたので、読んでみました。『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』という本です。そのなかで「逆から考える」好例が語られていたので、ご紹介します。

僕らはこの24個の中に、確信するほどではないものの、初期化に必要な遺伝子があるかもしれないと予想していました。そこで24個を1個ずつ、レトロウイルスという遺伝子の運び手を使って、皮膚の細胞(正確には繊維芽細胞)に送りこんでみました。しかし、皮膚の細胞は初期化せず、ES細胞のような細胞はできませんでした。途方に暮れていたところ、ぼくと一緒に奈良先端大から京大に移ってくれた高橋君が驚くべき提案をしました。

「まあ、先生、とりあえず24個いっぺんに入れてみますから」

これがなぜ驚くべきことかというと、遺伝子を外から細胞に送りこんでも、ちゃんとその細胞が取り込んでくれる確率はそんなに高くなく、だいたい数千個のうち1個くらいの割合です。もし遺伝子2個同時であれば取りこまれる確率はもっと低くなる。まして24個なんてできるはずがない。そう考えるのがふつうの生物学研究者です。その点、もともと工学部出身の高橋君はふつうの生物学研究者にはできない発想ができたのだと思います。

実際に24個すべて入れたところ、なんとES細胞に似たものができました。(p.113)


わたしだったら、頭ごなしに確率的に考えてしまい、このような柔軟な発想はできないと思います。24個いっぺんに入れることで、予期せぬ相互作用が生じたのでしょうか。ビジネスの世界では「やってみなけりゃわからない」という言葉をきくことが多いですが、複雑な状況が手詰まりのときには実は有効な選択肢なのかもしれませんね。

そしてもうひとつ、工学部出身にふさわしい秀逸なアイデアが続きます。

24個の中に初期化因子があることは間違いありませんでした。しかし、その中の1個だけではないことも明らかでした。それでは2個か。しかし24個から2個を選ぶ組み合わせの数は24 * 23 ÷ 2で276通りもある。もし3個なら、24 * 23 * 22 ÷ 6で2024通り。こんなにたくさん実験できません。そう考えあぐねていたところ、またしても高橋君が驚くべき提案をしてくれたのです。

「そんなに考えないで、1個ずつ除いていったらええんやないですか」

これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました。24個から1番目の遺伝子を抜いて23個を入れる、次に2番目の遺伝子を抜いた23個を入れるという具合に、1個ずつ抜いていきます。もし本当に重要な遺伝子なら1個欠けても初期化できなくなってしまう。まさにコロンブスの卵のような発想でした。まあ、ぼくも一晩考えれば思いついていたとは思いますが。(p.114)


組合せの回数を減らす取り組みとしては、品質工学(タグチ・メソッド)がよく知られていますが、この高橋さんのアイデアも美しいまでに実学的ですね。個人的な経験を振り返ってみれば、こういうアイデアはいったん頭を冷やした後や第三者からだと出やすいものと感じています。

ところで、新聞を読まないこともあって、山中教授の人となりを知りませんでした。が、本書を読んだかぎりでは、いい意味で普通のおじさんらしい印象を受けました。それほど歳がいっていないせいでしょうか、まだ大きな仕事が残っているとの強い意気込みが感じられる方です。

2012年12月8日土曜日

絶対に負けないはずだった(ハワード・マークス)

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ファンド・マネージャーのハワード・マークスを過去記事「投資の世界で生き残る公式」でとりあげましたが、コメント欄でisさんが彼の著作が翻訳されていることを教えてくださいました。その『投資で一番大切な20の教え』を読了しました。書かれている内容はオーソドックスですんなりと受けとめられるものばかりですが、重要なのは、投資業界の生存競争に生き残り、現時点で預かり資産800億ドル(日本円で6兆円超)の実績をあげている彼によって書かれたことでしょう。

今回ご紹介するのは、「リスク」を話題にした章であげられた逸話のひとつです。

「最悪の場合の」予測という言葉を何かと耳にするが、実際に起きた状況はそれよりもっと悪かったということがしばしばある。父からよく聞いた話を紹介しよう。いつも負けてばかりのギャンブラーがいた。ある日、馬が一頭しか出場しない競馬のことを知り、借金をつぎ込んでその馬に賭けた。しかし、馬はコースを半周したところでフェンスを越えて逃げてしまった。(p.88)

2012年10月2日火曜日

怒涛が押し寄せる音が聞こえた(ダム決壊の日)

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最近読んだ本『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?』で興味深い話がいくつか取り上げられていたので、ご紹介します。今回は物理学で登場する概念「臨界」についてです。

作家のジェイムズ・サーバーは、『ダム決壊の日』という自伝的な文章を書いているが、そこに描かれたような連鎖反応からも、そういう結果が生じることがある。きっかけは、一人の住民が逃げているのが目撃されたことだった。たったそれだけのことによって、心配するようなことはないと何度も念を押されたにもかかわらず、オハイオ州コロンバス東部の住民全員がありもしない津波から逃げ出したのである。サーバー一家もその脱出組の中にいた。「最初の半マイルのうちに、町の住民のほとんど全員が追い越していった」とサーバーは言う。パニックに陥ったある人は、背後から「怒涛が押し寄せる」音を聞きさえしたそうだ。だが、結局それはローラースケートの音だった。

パニックが起きたのは、最初に逃げた人を見て何人かの住民が逃げ始め、今度はその住民が、さらにまた何人かが逃げる元になり……、ということが繰り返されたからだ。この過程は住民全員が逃げ出すまで続いたのである。原子爆弾の内部でもこれと同じ過程が進行する。原子爆弾では、まずある原子核が崩壊して、近くの原子核を何個か分裂させるだけのエネルギーをもった高エネルギーの中性子を放出する。それが他の原子核を分裂させ、分裂した原子核がそれぞれまたさらに何個かを分裂させるだけの中性子を生む。こうして次々とドミノが倒れて、中性子の数と放出されたエネルギーの量が指数関数的に増大すると、大爆発となるのである。(p.28)


「臨界」については、以下の過去記事でも取り上げています。
なお、たしかに本書では群れに関する話題が登場しますが、全体的な内容としては副題「群知能と意思決定の科学」のほうが適切な表現かと思います。群れ以外の話題もいろいろ登場します。