同書の邦題は『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』、黄色のカバーのポップなデザインからは軽い内容を予期させますが、実際の本文に浮わついたところはありません。参考文献から集めた事実を連ねて、社会がいかほどに発展してきたのか、いくつかのテーマに沿って堅実に文章を書き進めています。個人的には例によって100%鵜呑みにできるとは考えませんが、いくぶん割り引いたとしても、現代社会がどのような高みに位置するのかを把握するのにふさわしい一冊だと思います。
今回引用するのは、本書の「おわりに」に含まれている文章です。「なぜ人々は暗い未来を思い描いているのか」について説明しています。本来であれば巻頭で触れるべき内容だと思いますが、あえて後段に回したものと想像します。
人々は一般に、私が本書で示したような希望に満ちた世界観を持っていないと考えてまちがいない。イギリス、オーストラリア、カナダ、アメリカの回答者の54パーセントは、今後100年でいまの生活様式が崩れる危険性は、50パーセント以上だと答えている。4分の1近くは、人類が絶滅する危険性が50パーセント以上だと述べている。(中略)
こうした想定は、しばしばメディアにより形成される。メディアは世界についてのある特定の見方を強調し、ドラマチックで驚くものばかりに注目する。そうした話はほぼまちがいなく戦争、殺人、自然災害といった悪いニュースだ。(中略)
多くのジャーナリストや編集者はこの傾向を知っている。アメリカの公共ラジオジャーナリストであるエリック・ワイナー曰く「正直いって、とんでもなく不幸な場所に暮らす、不幸な人々の話は人気が出るんです」。(p. 287)
たぶん、人は心配するようにできている。例外に関心がある。新しいこと、不思議なこと、予想外のことに気がつく。それが自然だ。通常の日常的な出来事は、いちいち説明して理解するまでもない。でも例外は理解する必要がある。(中略)
私たちが危険なものすべてにとても興味があるのは、それに興味を示さなかった人はとっくに死んでいるからだ。建物が火事なら、すぐにそれを知る必要がある。そしてその火事がテレビに映っているだけでも、多少は興味を惹く。幾重もの抽象化と感覚鈍化の下で、安全なソファにすわってテレビを見ているときでも、人の石器時代の脳が多少のストレスホルモンとアドレナリンを分泌するのだ。
スティーブン・ピンカーは、世界が実際よりひどいと思わせる心理的バイアスを3つ挙げている。(中略)
第3のバイアスは、人生がもっと単純でよかったされる黄金時代に対するノスタルジーだ。文化史家アーサー・ハーマンはこう洞察している。「過去も現在もほとんどあらゆる文化は、いまの男女は両親やご先祖の基準に達していないと信じている」。(中略)
私が人々に理想の時代について尋ね、世界史上で最も調和がとれて幸せだった時代はいつだと思うか尋ねると、驚くほど多くの人々は、自分が育った時代を挙げる。だからベビーブームの人々は、1950年代をなつかしがる。(p. 296)
現代に生きる人間にはそういったバイアスがあることを承知した上で、本題の内容をもう一か所引用します。「第4章 貧困」からの文章です。
なぜ貧困な人がいるのだろうか?
これは質問がまちがっている。
貧困についての説明は不要だ。というのもそれは万人の出発点だからだ。貧困は、富を創り出すまでの状態のことだ。最も豊かな国ですら、先祖たちの生活がいかに劣悪なものだったかを人々はつい忘れてしまう。フランスのような国で受け入れられていた貧困の定義はとても簡単だった。もう1日生き延びられるだけのパンを買えるなら、その人は貧困ではない。(中略)
アドリア海のぺスカラという、要塞と兵舎を持ち、特に貧しいというわけでもない町について、1564年に調査が行われている。それによると、町の世帯の4分の3は掘っ建て小屋に住んでいた。裕福なジェノアでは、貧民たちは冬ごとにガレー船の奴隷として自分を売った。パリでは最貧民たちは対になって鎖でつながれ、排水溝を掃除するというつらい仕事をやらされた。イギリスでは、貧困者は救済を受けるために作業小屋で働かざるを得ず、そこでは長時間労働をやらされ、ほとんど無賃だった。犬や馬や牛の骨を肥料用に砕く作業をやらされた人々もいるが、1845年に作業小屋の査察で、腹の減った貧民たちは腐りかけの骨をめぐって争い、その骨髄を吸い出そうとしていたことが示されている。(p. 95)
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