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2011年9月18日日曜日

商家の家訓

図書館で借りてきた本「商家の家訓」を拾い読みしています。この本では、三井・住友・三菱といった現存する旧財閥の始祖も取り上げられていますが、なじみのない豪商のくだりが興味深く読めます。著者の論述の出来はともかく、引用されている家訓には重みがあり、心の頼りになるものばかりです。原文ではなく、同書に記されている現代語訳のほうをご紹介します。

まずは、江戸期滋賀(近江日野)の初代中井源左衛門の「金持商人一枚起請文」(p.77)です。

多くの人々が噂して言うことに、金が溜まる人は運のいい人で、自分にはそのような運がないなどと言うのは愚かで大きな間違いである。運というものではない。金持ちになりたいと思ったら、酒宴や遊興、贅沢などを禁じて、長寿を心掛け、「始末」(=節約)することを第一にして商売に励むより他に方法はない。これらの他に深い欲を持つならば、先祖が憐れんで手を差し伸べることもなく、天然自然の道理に沿うこともない。「始末」と「吝嗇」とは違うものである。無知なものは同じと思うだろうが、「吝嗇」だと光は消えてしまう。(後略)


もうひとつは、江戸期兵庫の豪商、伊藤二代目長次郎の筆によるもの(p.234)です。

第5条「質素倹約」
良い暮らし向きというのは、つつましく生活する家のことをいうのである。奢った暮らしをしていては、人は良い家とはいわない。衣食住を倹約すべきである。

第32条「質素な生活」
半分麦の飯とつけもの、食事はそれだけで十分である。それ以上のことは贅沢と心得て食事をせよ。

第50条「質素倹約の意味」
倹約は人の道である。「倹」とは「ただす」という意味である。これは必要な支出、これは無駄な支出、これは努力すべきことというように、物事を選び分けることである。また「約」とは、約束を破らぬ美徳をいう。
質素の「質」とは生まれつきの性質のこと、「素」とは生まれたままの汚れのない白さをいうのである。

第53条「贅沢」
今日から贅沢をしようと思ってする人は1人もない。「このようなことをしては大変だが、これくらいは差し支えあるまい」というような判断をしていると、いつの間にか、ずるずると贅沢になるのである。万事につけて程度を弁えるべきである。(後略)

第34条「当たり前のこと」
このように色々と書いているが、人々が知らないことを書いているのではない。人々が皆知っている当たり前のことばかりである。しかし、自らがそれを実行するかしないかの問題である。



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