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2013年9月6日金曜日

私たちはいつも幻覚を見ている(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

前回引用した『脳のなかの天使』から、もう一度ご紹介します。今回は視覚の話題です。ものを見たときに人間がどのように認知するのか、著者が考察を加えています。

おもにコンピュータ科学者によって持続されている素朴な視覚のとらえかたでは、視覚は逐次的、階層的に像を処理しているとみなされている。生のデータが画素、すなわちピクセルとして網膜に入り、そこから次々と各視覚野に、バケツリレーのように渡されて、しだいに高度な分析がそれぞれの段階でおこなわれ、最終的な物体の認知にいたるという考えかたである。この視覚モデルでは、各段階の視覚野からそれより下位の視覚野に戻される大量のフィードバック投射が無視されている。そうした逆投射はきわめて大量なので、階層という言いかたには語弊がある。私の直観するところでは、各処理段階において、入力データについての部分的な仮説、もしくは最適の推量が生みだされ、それが下位の領野に戻されて、その後の処理に小さなバイアスがかけられる。いくつかの最適推量が優位を争う場合もあるだろうが、最後には、そうしたブートストラッピングもしくは逐次代入を通して、最終的な知覚の解決がつく。あたかも視覚は、ボトムアップではなく、むしろトップダウンではたらいているかのようだ。

実を言うと、知覚と幻覚との境界は、私たちが考えるほど明瞭ではない。ある意味で私たちは、世界を見るときいつも幻覚を見ている。知覚とは、しばしば断片的かつ短命な入力データにもっともよくあう幻覚を選ぶ行為であるとみなしても、ほとんどさしつかえがないくらいだ。幻覚とほんものの知覚は、同じ一連のプロセスから生じる。決定的にちがうのは、何かを知覚しているときは、外界の事物の安定性がその固定を助けるという点である。幻覚を起こしているとき、たとえば夢うつつの状態にあるときや、感覚遮断タンクのなかで浮かんでいるときには、事物はどんな方向にでもさまよう。(p.323)


最初の赤字強調部分で示唆されている内容は重要なことだと思います。階層的に認知上のバイアスがかかるというのは、別な表現をすれば「違う種類の落とし穴がならんで待ち受けている」ということです。これに対するチャーリー・マンガーやウォーレン・バフェットの解決策は、やはり見事です。たとえば意思決定上のフィルターを階層的に設けたり(過去記事1過去記事2)、学問上の知恵を借りるときは普遍的で信頼性の高いものから特殊なものへ進むように説いています(過去記事など)。

もうひとつ、こちらの引用はおまけです。

しかしながら、近年の調査によると、天使を見たことがあると回答している人の割合は、アメリカ人全体のおよそ3分の1で、その頻度はエルヴィス目撃談をうわまわる。(p.281)

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