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2012年12月10日月曜日

なかなか2回も当てられない(ハワード・マークス)

前回に続いて、ハワード・マークスの著書『投資で一番大切な20の教え』の話題です。同氏は将来を確率的にとらえた上で意思決定するよう説いていますが、そのプロセスと結果のあいだに横たわる溝に対する見方を引用します。

多くの人は未来が不確実性で覆われていることを認めているが、少なくとも過去は既知で不動だと感じている。しょせん過去は歴史であり、絶対であり、不変だ。だが[ナシム・ニコラス・]タレブは、実際に起こったことは、起きる可能性があったことの小さな集まりに過ぎないと指摘している。したがって、ある計略あるいは行動が(実現した環境下で)良い結果をもたらしたとしても、その背景にあった決断が賢明であったとは限らないのだ。

もしかすると、最終的にその決断を成功に導いたのは、起きるとはまったく考えられていなかった出来事であり、運が良かっただけかもしれない。だとすれば、(結果的にうまくいった)その決断は軽率だった可能性もある。そして、数多くの「違った歴史」のどれかが実現していれば、その決断は誤ったものになっていたかもしれない。(p.237)


すぐれた決断というのは、論理的で知力に秀でた情報通の人が下した決断で、その時点、つまり結果がわかる前の段階において、すぐれているとみなされたものだ。(中略)

損失リスクの場合と同様に、ある決断が正しいものとなるかどうかを左右する多くの要因は、あらかじめ知ったり、数値化したりすることができない。堅実な分析に基づいて、すぐれた決断を下したにもかかわらず、異常事態によって不利益を被った者がいたのか、またヤマを張ったことで利益をあげた者がいたのかを確実に知るのは、事が起きたあとでも難しいかもしれない。つまり、誰が最良の決断を下したのかを知ることは困難なのだ。一方で、過去のリターンは容易に評価できるため、誰が最も儲かる決断を下したのかはわかりやすい。「すぐれた決断」と「儲かる決断」は混同されがちだが、洞察力のある投資家はその違いを十分に認識しているはずだ。

長期的には、すぐれた決断が投資利益をもたらすと信じるほかない。だが短期的には、すぐれた決断が投資利益につながらなかったとしても、冷静に振る舞わなければならない。(p.239)


「世界は、習熟することや予測することが可能な、秩序だったプロセスの中で動いている」と思い込んでいる投資家はプロ、アマを問わず多い。これらの投資家は、物事につきまとうランダム性と、将来の成り行きに関する確率分布を無視している。このため、自分が予測するたった一つのシナリオに基づいて行動する道を選ぶ。それでうまくいくこともあるが(その投資家は称賛されるだろう)、長期的な成功をもたらすほどの一貫した成果はあげられない。注目すべきは、経済予測でも投資戦略でも、その時々でみごとに的中させる者が必ずいるが、同じ人物が2回ということはまれだ。最も成功している投資家とは、大半の場合に「だいたい当たっている」者であり、それが他の投資家よりもはるかにすぐれた点なのだ。(p.310)


確率の話題は、本ブログで何度か取り上げています。たとえば、チャーリー・マンガーが勧めているやりかたは、将来のシナリオを描く際に順列・組み合わせを使うといったものです(過去記事)。

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