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2012年11月25日日曜日

研究の世界で長年暮らしてわかったこと(物理学者近角聰信)

少し前にご紹介した物理学者近角聰信氏の『日常の物理学』から、今回は研究者として求められる素養について書かれた個所を引用します。

研究者にとって最も注意すべき教訓は「逆は必ずしも真ならず」というよく知られた論理を守ることである。あるモデルが実験事実を説明するからといって、実験事実から結論されるのはそのモデルだけとはかぎらない。そんなことは当人は百も承知であろうが、研究者はどうしても自分が提唱したモデルにこだわりがちである。対立する他のモデルも公平に考慮することができれば立派なものである。

実験の解釈にしろ、モデルの提唱にしろ、そこには研究者の自己との戦いがからんでいる。栄誉心をおさえ、私心をなくして、公平な判断を下すには、研究能力のほかに人間としての修業が必要となってくる。(p.36)


研究とは自然を探求することであるが、同時に自己との戦いが必要である。研究者は一度立てた自説にこだわりがちである。しかし、実験がその説に合わない結果を示したときには、いさぎよく自説を否定しなければならない。しかし現実の問題となると、これはなかなかむずかしいことである。ことに論敵と公開の席上で議論を戦わせた後では、特にそうである。しかし、ここで自説を否定しないかぎり、科学は進歩しない。

研究の世界で長年暮らしてみると、このような仕掛けであいまいになっている問題がいかに多いかがわかる。そしてつくづくと研究者に必要なものは、能力よりもむしろ人格だということを知るようになる。(p.108)


この文章を読んで、投資家の素養についてウォーレン・バフェットが述べた有名な言葉を思い出しました。

投資というのは、IQが160だからといって、IQ130の人に勝てるというわけではありません。

Investing is not a game where the guy with the 160 IQ beats the guy with 130 IQ


また科学者のやりかたについては、過去記事「われわれが錯覚に捕らわれているとき」でファインマンも同じような発言をしていました。

2 件のコメント:

ブロンコ さんのコメント...

== いつもためになります。 ==
自らの能力が高ければ高いほど自らは無謬だと考えてしまい、自説に都合の良い情報ばかりを集め、そうでないものは取り合わなくなる。そしてニュートンの運動の第一法則よろしくひたすら自説にこだわり続ける・・・。
ドン・キーオの著書「ビジネスで失敗する人の10の法則」の「自分は無謬だと考える」の法則を思い出させる内容でした。

betseldom さんのコメント...

== ドン・キーオ、わたしも読みました ==
ブロンコさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。
慣性の法則はいろんな局面で使える概念ですね。ご指摘のように、ミクロレベルでは心理学的な一貫性として現れますし、もっとも大きなレベルでは製品や事業の成功が長く続く形としてみられます。苦境にある事業が容易には上向かないのも、その最たる例かと思います。
キーオの著書が翻訳された時、題名がいかにもマンガー的で、ほくそ笑んだものです。装丁も洒落ていましたね。
本ブログをお読みくださり、いつもありがとうございます。
それでは失礼します。