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2019年2月4日月曜日

<新訳>誤判断の心理学(0)はじめに(4)トリュフ犬のような者ばかり

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チャーリー・マンガーによる「誤判断の心理学<新訳>」、前書き部にあたる本文が続きます。個人的にはいくぶん耳が痛い内容でした。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

いくぶん後になってから、単なる好奇心で次の問いを思い巡らせるようになりました。「いったいどうして破滅的なカルト集団が、ある土日をまるまる費やせば、相当まともな普通の人たちの多くを洗脳してゾンビに変えてしまい、その後もずっと正気に戻ることなくそのままにしておけるのだろうか」と。結局のところ、さまざまな分野の書物を読んで思索を重ねれば、カルトに関するこの疑問に対して適切な答えがいずれみつかるだろうと、納得するに至りました。

それから、社会性昆虫についても興味を持つようになりました。女王バチや女王アリ(クロナガアリ)といった子孫を残す個体が、空中を舞いながらの乱交をひとたび果たすことで、その寿命を通常とは大きく異なる長さ、きっかり20倍に延ばせる事実には感嘆しました。またアリたちが成し遂げてきた途方もない繁栄にも魅了されました。行動する上でのアルゴリズムをかぞえるほどしか持たない彼らが、みずからの属する生物コロニー内では徹底した協力関係を築き、一方でコロニー外のアリに対しては、たとえそれが同種のアリであろうとも、ほぼ必ずや凄惨きわまる殺戮を徹底的に遂行するなかで、あれほどの進化的成功をおさめてきたわけですから。

かつてのように意欲を持って、壮年に至るまでには心理学の教科書を繰るべきだったのかもしれませんが、そうはしませんでした。ドイツの格言が見通している行く末に、私も当てはまっていたわけです。「少年老い易く、学成り難し」と。しかし後にわかったように、当時ほとんどの教科書に載っていた学術的心理学から長期間にわたって遠ざかっていたのは、幸運だったのかもしれません。当時の内容ではカルトの疑問をうまく明かせなかったでしょうし、しばしば見られる書きっぷりと言えば、まるで少年が蝶を収集するかのように心理学的実験を扱ったものばかりでした。さらなる蝶を求め、収集家仲間とのやり取りをますます求める一方で、収集して手元にあるものを総合しようと望む様子はほとんどみられなかったのです。そしてようやく心理学の教科書を手にとったときに、偉大なる経済学者ジェイコブ・ヴァイナーの示した見解が想い起こされました。「学者のなかには、トリュフ犬のような者が大勢いる」と。ほかはすべて不器用ながらも、ある狭い目的にだけ適するように訓練飼育された動物のことです。さらに愕然としたのが、人間のありようを決める上で「生まれか、育ちか」の寄与する割合が相対的にどれだけなのかに関して、とほうもなく非科学的な考察を何百ページも費やしていた件でした。そのようなわけで心理学の入門書では、根本的な問題を多かれ少なかれ適切に扱っていないと判断したのです。「心理上の傾向というものが数多く存在し、人間の生活においてこれまでにも織りなされてきたように、それらはこれからも営々と分かちがたく関わりあっていく」ことをです。しかしながら入門書の著者諸氏の多くは、関連しあう諸傾向がうみだす効果をときほぐそうとはしませんでした。おそらく著者らは複雑なものごとを扱う上で、自分たちの専門分野に新たな貢献者が加わってほしくなかったのでしょう。さらにはサミュエル・ジョンソンがある女性に対して答えた言葉も、著者らが欠かした理由だと言えるかもしれません。自分が編纂した辞書のなかで「pastern」という単語の定義が誤っている理由を問いただされた際に、サミュエル・ジョンソンは次のように答えたのです。「ただ単に知らなかったのですよ」と。最後にもうひとつ、「心理的に生じる典型的なおろかさに対して、代表的な対処策を書き記すこと」に、著者らはまるで関心を持ちませんでした。それゆえに、まさしく私が興味を持っている話題については、彼らはほとんど触れることがなかったのです。(p. 445)

Pure curiosity, somewhat later, made me wonder how and why destructive cults were often able, over a single long weekend, to turn many tolerably normal people into brainwashed zombies and thereafter keep them in that state indefinitely. I resolved that I would eventually find a good answer to this cult question if I could do so by general reading and much musing.

I also got curious about social insects. It fascinated me that both the fertile female honeybee and the fertile female harvester ant could multiply their quite different normal life expectancies by exactly twenty by engaging in one gangbang in the sky. The extreme success of the ants also fascinated me - how a few behavioral algorithms caused such extreme evolutionary success grounded in extremes of cooperation within the breeding colony and, almost always, extremes of lethal hostility toward ants outside the breeding colony, even ants of the same species.

Motivated as I was, by midlife I should probably have turned to psychology textbooks, but I didn't, displaying my share of the outcome predicted by the German folk saying: “We are too soon old and too late smart." However, as I later found out, I may have been lucky to avoid for so long the academic psychology that was then laid out in most textbooks. These would not then have guided me well with respect to cults and were often written as if the authors were collecting psychology experiments as a boy collects butterflies—with a passion for more butterflies and more contact with fellow collectors and little craving for synthesis in what is already possessed. When I finally got to the psychology texts, I was reminded of the observation of Jacob Viner, the great economist, that many an academic is like the truffle hound, an animal so trained and bred for one narrow purpose that it is no good at anything else. I was also appalled by hundreds of pages of extremely nonscientific musing about comparative weights of nature and nurture in human outcomes. And I found that introductory psychology texts, by and large, didn't deal appropriately with a fundamental issue: Psychological tendencies tend to be both numerous and inseparably intertwined, now and forever, as they interplay in life. Yet the complex parsing out of effects from intertwined tendencies was usually avoided by the writers of the elementary texts. Possibly the authors did not wish, through complexity, to repel entry of new devotees to their discipline. And, possibly, the cause of their inadequacy was the one given by Samuel Johnson in response to a woman who inquired as to what accounted for his dictionary's misdefinition of the word "pastern.” “Pure ignorance,” Johnson replied. And, finally, the text writers showed little interest in describing standard antidotes to standard psychology-driven folly, and they thus avoided most discussion of exactly what most interested me.

2019年2月2日土曜日

2018年の投資をふりかえって(6)一部売却銘柄:ウィートン・プレシャス・メタルズ(WPM)

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当社が営んでいる事業は、「鉱山会社に対して資金を提供し、その対価として将来産出される銀やゴールド等の鉱産品を、低水準の固定価格で買い取る契約を結ぶ」ものです。端的に言えば、「価格変動を伴う将来キャッシュ・フローに対して、前払いするビジネス」です。

<株式の売買実績と現在の株価>
株価が比較的好調だった時期(年始、春、年央)に一部を売却しました。現在の株価は20$前後です。

WPM株価チャート約1年分(青矢印は売却)

一方でシルバーの価格が年を通じて低迷していたため、ETFのSLVを適宜買い増ししました。個人的に興味を持っている主な対象は、現在でも銀です。そのため以前の投稿でも書いたように、当社とSLVを比較して割安だと思えるほうへ資金を移せるように、適宜売買していく方針です。

<業績などに対する所感>
当社についても2点ほど、大きな話題と小さな話題をとりあげます。

・税務当局との和解
国外子会社との移転価格に関して係争中だったカナダ税務当局と12月に和解し、当初危惧されていた大規模なペナルティーを受けずに済むことになりました。同様の他社事案の動向を受けて少し前から楽観視する流れもありましたが、見事に軟着陸しました。カナダ以外(おもにケイマン子会社)からの収入には課税されないことになり、前納分の追徴課税も還付されます。「ペナルティーを被る確率が高い」と覚悟して個人的には持ち株を減らしていたものの、杞憂におわりました。

ただし移転価格税制が将来厳格に改定される可能性はゼロではないため、当社のような企業に投資する際には、そのリスクはひきつづき念頭におく必要があるかと思います。

・金銀以外を産出する鉱床への投資
当社が設立されたころに事業対象としていたのは、銀を産出する鉱山へのストリーミング案件でした。その後になって事業領域をゴールドにも拡大し、さらにはパラジウムやコバルトへのストリーミングも始めました。コバルトはリチウムイオン電池の正極材材料として使われており、電気自動車時代における重要な鉱物資源のひとつとみなされています。「シルバー・ウィートン」という社名だった当社は、希少鉱物を産する鉱床を対象とした投資会社へと変貌しつつあります。

2019年1月30日水曜日

2018年の投資をふりかえって(5)一部売却銘柄:マイクロソフト(MSFT)

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<株式の売買実績と現在の株価>
年の終盤になって一部を売却したものの、持ち株全体からすると若干絞りこんだ程度でした。当社に対する基本的な投資方針は、継続保有のままです。

直近の株価は105$前後で、実績EPSは2.13$だったものの、当社でもトランプ減税を機に国外利益を本国へ還流させたマイナスの影響があったため、実力は3.5$程度だったでしょうか。いずれにせよ、「株価倍率が割安である」とは言いにくい水準です。

MSFT株価チャート約1年分(青矢印は売却)

<業績などに対する所感>
当社の成長を支える2つの面について記します。1件目は表面的には目立たないものの増収著しい「クラウド事業」について、2件目は華々しい印象を残しながらも収益貢献はそれほどでもない「企業買収」についてです。

・クラウド事業の伸長
サティア・ナデラ氏が現CEOに昇進してから事業展開を加速させたクラウド事業は、ひきつづき急激に成長しています。当社の主力事業のひとつになると思われるAzure(アジュール)の2018年度成長率は、90%前後でした。大きく先行しているアマゾンAWSの市場シェアとは20ポイント程度離れていますが、これから加わる顧客層の性質を考えれば、肉薄できる確率は50%以上あると想像します。そこまで及ばないとしても、寡占をめざすプレーヤーにとって現在のクラウド市場(IaaS, PaaS)は、緊張感がありながらも心地よいビジネスの場であると思われます。イノベーションの継続と市場の拡大が好循環を生み出し、規模の経済へつながっていると想像できるからです。

・企業買収を通じた潜在顧客の囲い込み
当社はさまざまなIT系企業を買収して技術的資産を獲得していますが、近年の買収において金額的に大型だった企業LinkedInやGitHubはそれにとどまるものではありませんでした。サービスの利用者、すなわちコミュニティーの場を買い取る類の案件で、言わば「R&Dよりもマーケティングに重心をおいた」買収でした。会計面における目先の費用対効果は小さいですが、潜在顧客をまとめて手に入れた価値は小さくないと考えます。コミュニティーの熱量を維持していければ、長期的・継続的・伝播的なリターンが期待できます。Office, Dynamics, Azureといったサービスの拡販につながると共に、潜在的な要望をすくいあげて新サービス開発につなげる場としても有用です。当たりはずれがはっきりしやすいソフトウェア資産よりも、毀損されにくい価値を有しているかもしれません。利益の刈取りを急ぎすぎないことを願っています。

2019年1月28日月曜日

2018年の投資をふりかえって(4)一部売却銘柄:モザイク(MOS)

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当社は3大肥料のうち、主としてリン酸及びカリウムを採掘・生産・販売する米国企業です。

<株式の売買実績と現在の株価>
2018年秋になって株価が高まったので、ある程度の株数を売却しました。現在の株価は30$強で、一方の昨年度実績EPSは-0.31$ですが、今期は為替差損の逆風が大きいなかで、第3四半期までに0.93$の利益を上げています。

MOS株価チャート約1年分(青矢印は売却)

<業績などに対する所感>

米中貿易戦争の影響もあるせいか肥料価格が前年比で上昇しており、当社の売上高増加・利益改善につながっています。また社内における事業の状況としては、年の早い時期にもたついたものの、それ以降は順調に推移してきました。サウジアラビアでのJVはまだ立ち上げ中ですが、買収が完了したヴァーレの肥料部門が収益拡大に大きく寄与しました。またカリウムの新鉱山K3が一部稼働を始めており、中長期的な費用削減の施策が進行中です。さらには、環境対策のうるさいフロリダ州でリン鉱床拡張プロジェクトの許可を得たことで、長期的な資源枯渇リスクを低減しています。

DAP価格の5年間推移(引用元: www.indexmundi.com)


しかし以前にも書いたように、当社への投資方針としては残りの持ち株も株価上昇期に売却し、ひとまず資金を引きあげる予定です。コモディティーである以上、肥料ビジネスの業績は市場価格に左右されます。そして今日まで観察してきた価格変動サイクルを振り返ると、市場価格の動向(特に安値とその期間)を合理的に予想する自信が、以前のようには持てなくなりました。ひいては、当社の企業価値をみつもる自信も減少しました。農業関連の企業に投資することを望んではいましたが、当社のような企業の株式は永続的に保有するよりも「安買高売」したほうが、少なくとも個人的には取り組みやすいと考えるようになりました。

2019年1月24日木曜日

<新訳>誤判断の心理学(0)はじめに(3)首から上にあるものは

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チャーリー・マンガーによる「誤判断の心理学<新訳>」、前書き部にあたる本文が続きます。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

我が探求の道を進むにあたり、次に説明する2つの考えかたが、力強い支えとなってくれました。第一に、なにかを見極めようとする際に、徹底して逆から考えるやりかたを長期間にわたってとってきたことです。偉大なる代数学者ヤコビの教え「逆だ、いつでも逆からやれ」という言葉に導かれたのです。良き判断を下したいがためにしたことと言えば、悪しき判断の実例を収集し、そのような結末をむかえない方法を思案するばかりでした。第二に、悪判断の実例を熱心に収集する際に、専門領域を区切る境界などまるで気にしなかったことです。規模が大きくて重大な柵越え級のおろかさが、他人の専門領域において容易に見出せるというのに、ちっぽけで取るに足らない上に探すのも一苦労なおろかさを、みずからの専門領域において新たに探さねばならないのは、一体どういうわけでしょうか。そもそものところ、実世界における問題が各分野の境界内にきちんと収まっておらず、飛び出して向こう側へ移っていることが、私には見て取れました。「2つの物事がねじれ合って連携して分かちがたくなっているときに、片方だけを考えて反対側を考えない」、なんであろうとそのようなやりかたには疑いを抱いていました。そんな限定されたやりかたでは、ジョン・L・ルイスが示した不朽の言葉どおりになると危惧したからです。「首から上にあるものは、頭ではなく毛髪だけ」。(p. 444)

I was greatly helped in my quest by two turns of mind. First, I had long looked for insight by inversion in the intense manner counseled by the great algebraist, Jacobi: “Invert, always invert.” I sought good judgment mostly by collecting instances of bad judgment, then pondering ways to avoid such outcomes. Second, I became so avid a collector of instances of bad judgment that I paid no attention to boundaries between professional territories. After all, why should I search for some tiny, unimportant, hard-to-find new stupidity in my own field when some large, important, easy-to-find stupidity was just over the fence in the other fellow's professional territory? Besides, I could already see that real-world problems didn't neatly lie within territorial boundaries. They jumped right across. And I was dubious of any approach that, when two things were inextricably intertwined and interconnected, would try and think about one thing but not the other. I was afraid, if I tried any such restricted approach, that I would end up, in the immortal words of John L. Lewis, "with no brain at all, just a neck that had haired over.”