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2014年8月8日金曜日

心理学の哀しい宿命(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの(再考)世知入門、29回目です。前回からつづく文章です。(日本語は拙訳)

現在のまずい教育を招いていると思われる原因の話になりますが、問題の一部には学術界が分裂していることが関係しています。たとえば心理学は、他の学問分野のドクトリンと結合した時にもっとも威力を発揮します。しかし心理学の教師が他のドクトリンを知らないとしたら、必要とされる統合を果たす能力が欠けていることになります。

しかし心理学以外のドクトリンに通じていて、それらを自分の材料へたびたび取り込んでいる人が、果たして初めから心理学の先生になれるでしょうか。そのような人が心理学の教職を志望していても、同僚や先輩を攻撃するのが通例です。

過去には非常に優れた心理学の教授がいました。アリゾナ州立大学のチャルディーニ[『影響力の武器』の著者]は、私にとって非常に役立つ仕事をしてくれました、B.F.スキナーの残した実験結果もそうでした。ただし彼がモノマニア[偏執病の一種]や理想主義と縁を切ってくれていたらの話ですが。しかし平均してみれば、アメリカの心理学の教師が、別の経歴として物理学の厳しい領域で修業してきた類の人間だとは、到底考えられません。そのことも、なぜ彼らがまさに正しい仕事をできていないかを示す理由なのかもしれません。

優れた総合大学でさえも、教育学の大学院には心理学が蔓延しています。これは、知性の面で恥ずべきと言っても過言ではない状況です。偉大な研究機関でさえも、重要な方法をまるで不適切に扱っている部門が珍しくありません。「心理学的」と評価付けしたさまざまな素材を盛り込んだとしても、それは万能薬ではないのです。

学術界で惰性が続くことを考慮すると、どの欠陥を修正するのも非常に困難です。シカゴ大学が心理学科を立て直すためにどうしたかご存知ですか。終身雇用資格を与えた教師らが実はお粗末だったことがわかり、学長は学科全体を実際に廃止しています。

いずれシカゴでは、以前とは違った心理学科を設置しなおすと思います。もう実際に存在しているかもしれません。そうであれば、おそらく状況は改善されたでしょう。そのようなことが実行できる学長を私は称賛します。これは認めざるを得ませんね。

ここで断っておきますと、「学問として心理学を教える際にあやまったやりかたをしている原因はすべて、人間の持つある種の欠陥によるものであり、その種の学科にだけ共通して見られる」との批判を込めたいとは思っていません。そうではなく、そのような欠陥の多くは必然的に、心理学の持つやっかいな特質に深く根ざす原因から生じています。しかも、その特質は除去できないときています。

対となる2つの問いによって「思考実験」をしてみましょう。まずひとつめが、[物理学者の]ジェームズ・クラーク・マックスウェルのような綜合面における超絶頭脳を必要としながらも、そのような人を決して惹きつけることのない領域があるとしたら、その数は限られているでしょうか。もうひとつ、心理学はその性質上、そのような真なる天才を惹きつけると言う点でもっとも相応しくない領域ですか。どちらも答えはそのとおり、つまり「数は限られている」そして「相応しくない」です。

熱力学・電磁気学・物理化学の領域において一連の課題を正確になしとげる人材は、それぞれの世代に一握りしかいません。それを考慮すれば納得できると思います。そのような人は、ハードサイエンスの最先端で現役として働く最優秀な人たちから、その世界に入ることを請われるものです。

そのような本物の天才が、ひどく困惑した現実が横たわる心理学の世界をはたして選ぶものでしょうか。多くの人が学ぶにつれて社会心理学が逆説的にも衰退する傾向がみられたり、また(患者を診断する)臨床心理学では「心理学的に測定された幸福の度合いが、偽りを信じることによって改善されることがよくある」、そのような戸惑いを感じる現実と取り組まなければならない世界です。答えはずばり「いいえ」でしょう。ノーベル賞を受賞した物理学者のマックス・プランクは、経済学における問題は彼のやりかたでは従わせることができないと判断し、その領域には近づきませんでした。それと同じように、本物の天才が心理学に近寄ることはないでしょう。

Let me turn to some of the probable reasons for present bad education. Part of the trouble is caused by the balkanization of academia. For instance, psychology is most powerful when combined with doctrines from other academic departments. But if your psychology professor doesn't know the other doctrines, then he isn't capable of doing the necessary integration.

And how would anyone get to be a psychology professor in the first place if he were good with nonpsychology doctrines and constantly worked nonpsychology doctrines into his material? Such a would-be professor would usually offend his peers and superiors.

There have been some fabulous psychology professors in the history of the world. Cialdini of Arizona State was very useful to me, as was B.F. Skinner - for his experimental results, if divorced from his monomania and utopianism. But averaged out, I don't believe that psychology professors in America are people whose alternative career paths were in the toughest part of physics. And that may be one of the reasons why they don't get it quite right.

The schools of education, even at eminent universities, are pervaded by psychology. And they're almost an intellectual disgrace. It's not unheard of for academic departments - even at great institutions - to be quite deficient in important ways. And including a lot of material labeled as psychological is no cure-all.

And given academic inertia, all academic deficiencies are very hard to fix. Do you know how they tried to fix psychology at the University of Chicago? Having tenured professors who were terrible, the president there actually abolished the entire psychology department.

And Chicago, in due course, will probably bring back a new and different psychology department. Indeed, by now, it probably has. Perhaps conditions are now better. And I must admit that I admire a college president who will do something like that.

I do not wish to imply in my criticism that the imperfections of academic psychology teaching are all attributable to some kind of human fault common only to such departments. Instead, the causes of many of the imperfections lie deep in the nature of things - in irritating peculiarities that can't be removed from psychology.

Let me demonstrate by a "thought experiment" involving a couple of questions: Are there not many fields that need a synthesizing super-mind like that of James Clerk Maxwell, but are destined never to attract one? And is academic psychology, by its nature, one of the most unfortunate of all the would-be attractors of super-minds? I think the answers are yes and yes.

One can see this by considering the case of any of the few members of each generation who can, as fast as fingers can move, accurately work through the problem sets in thermodynamics, electromagnetism, and physical chemistry. Such a person will be begged by some of the most eminent people alive to enter the upper reaches of hard science.

Will such a super-gifted person instead choose academic psychology wherein lie very awkward realities: (A) that the tendencies demonstrated by social psychology paradoxically grow weaker as more people learn them, and, (B) that clinical (patient-treating) psychology has to deal with the awkward reality that happiness, physiologically measured, is often improved by believing things that are not true? The answer, I think, is plainly no. The super-mind will be repelled by academic psychology much as Nobel laureate physicist Max Planck was repelled by economics, wherein he saw problems that wouldn't yield to his methods.

2014年8月6日水曜日

2014年バークシャー株主総会; 歩みが遅いと、やる気をくじく

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2014年5月に開催されたバークシャー・ハサウェイの年次株主総会から、以前から何度も語られている本源的価値の話題です。引用元トランスクリプトの場所はこれまで同様、こちらの過去記事です。(日本語は拙訳)

<質問45> 経営者は本源的価値をどのように考慮して算出しているのですか。あのコカ・コーラ社にもペプシがあるように、どの企業が当社にとっていちばん脅威ですか。

<バフェット> 実のところベン・グレアムは、本源的価値の計算という点ではあまり細かくは示しませんでした。ちょうど相対取引価値と比較されるものです。はじめてその問題に取り組んだ人がイソップでした。未来のことがわかるのであれば、本源的価値とは現在から審判の日までに分配されるすべての現金の現在価値になります。それに対して資金を投じ、そしてお金を受け取るわけですね。手元の1羽は、茂みに隠れた2羽に相当します。ここで問題となるのは、茂みに2羽いることをどこまで確信できるか、茂みまでどれだけ離れているか、そして金利はいくらかです。イソップは、我々が検討する余地を残そうと考えました。ですから彼はすべてを細かくは説明せず、その後2000年にわたって我々は試行錯誤しているわけです。ベンはその計算方法として「茂みに潜む2ドルのために、1ドルなら支払う」と言ったものです。一方、[フィル・]フィッシャーは茂みにいる鳥の数を評価する際に定性的な要因を使いました。はじめのころはグレアムから大きな影響を受けていたので、以前のわたしは定量的にやっていました。しかしチャーリーに出会って、もっと定性的に考えるようにと言われました。マクドナルドのフランチャイズを買うときには、資金の出入りがいつ発生するか、そしてその割引率をどうするか考えるものです。しかし決め手となる質問「どんな脅威が想定されるか」の答えはどうかと言えば、バークシャーには大いなる強敵がいるとは思えません。プライベート・エクイティー(私募のファンド)は安い借入金を使って事業を買収しているので、彼らとは競合しています。この領域がわたしとチャーリーの主な仕事になっています。しかし、わたしたちが達成しようとしている後につづくモデルを持っていたり、築こうとしている会社は見当たりません。

<マンガー> さきほども言いましたが、これまでに築いてきたバークシャーのモデルは、ショー・ビジネスで言われるのと同じように、これからもしっかりと長続きすると思います。そう信じられるのは、長期にわたって持続するのに足る優位があるからです。巨大な企業でそれを有するところはほとんどありません。巨大になった後でもずっとそのままでいられる会社は稀です。すでに我々も、どこの会社もなかなかうまく進まない領域へと入りました。それでも我々は、ロックフェラーが築いたスタンダード石油[業界史上最強の石油会社]のようになると思います。ですから、この演壇に上がっている人間はもう重要ではないのです。聴衆のお若いみなさんは、急いでバークシャー株を売らないほうがいいですよ。

<バフェット> なぜ真似するところがもっと出てこないのでしょう。

<マンガー> それは、外科医である我らが友人エド・デイヴィスと同じことです。彼は自分で作りだした機器を使って手術する方法を考えだしました。他のやりかただと死亡率が20%のところ、彼は2%です。見学に来た他の外科医が「これはとてもできない」と嘆息したものです。非常にゆっくりとやっていたからです。そして、我々がバークシャーでやっていることを教えているビジネス・スクールも皆無ですね。

<バフェット> 歩みが遅いと、やる気をくじくわけですね。

<マンガー> なぜゆっくりやるのがむずかしいかと言えば、終える前に死んでしまうからです(笑)。

<バフェット> なぜ楽しいのでしょうね(笑)。

Q45: Station 4, Los Angeles. How does management factor into valuing instrinsic value. Which company do you fear the most, as even Coca‐Cola has their Pepsi?

WB: Actually Ben Graham didn't get too specific about intrinsic value in terms of calculations. Now it is equated rightly with private business value. Aesop was the first who came up with it. It is intrinsic value if you can foresee the future, the present value of all cash that will be distributed between now and Judgment Day. You put money in and you take money out. One in hand is worth two in bush. The question is how sure are you that two are in the bush, how far away is bush, what are the interest rates ‐ ‐ Aesop wanted to leave us something to play with over next two thousand years so he didn't spell it all out. In calculating it, Ben would say he wanted two dollars of cash in the bush and pay a dollar. Fischer would use qualitative factors to estimate the number of birds in the bush. I started out very influenced by Graham, so more quantitative, but Charlie came along and said look more at qualitative. If you buy McDonalds franchise, you think about the cash in, the cash out, when, and at what discount. Silver bullet question - are there any threats? I don't see big competitor to Berkshire. Private equity is buying businesses and leverage is cheap - so they are competing with us. That is main occupation for me and Charlie. I don't see anyone who has a model or is trying to build model which is going after what we are trying to achieve.

CM: As I said earlier, the Berkshire model as it is now constructed, as they say in show business, has legs and will go a long time. It is credible. It has enough advantage it will go a long time, and most big businesses don't have it. Of those who have gotten big, few have stayed big. We are in territory where many stop going well, but I think we'll be like Standard Oil. The people up here are no longer that important. You young people in the audience ‐ don't be too quick to sell the stock.

WB: Why not more copycats?

CM: It's like our friend Ed Davis, the surgeon, he figured out how to do an operation with instruments of his own creation, and death rate was 2% versus others who were 20%. Surgeons came to watch and they said well that looks too hard to do and it was slow. There is nothing in business school that teaches people to do what we do at Berkshire.

WB: Slowness deters more people.

CM: The difficulty with being slow is you're dead before it's finished. [laughter]

WB: Why so cheerful? [laughter]

2014年8月4日月曜日

第4次世界大戦で使われる武器(アルバート・アインシュタイン)

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前回ご紹介した『人類5万年 文明の興亡』では過去の歴史を振り返るだけでなく、将来の世界についても言及されています。その中で興味ぶかい話題を2つご紹介します。

ひとつめは最先端テクノロジーについてです。SF小説『ニューロマンサー』や映画『マトリックス』の世界に近づいた未来像です。

国防総省高等研究事業局(DARPA)は、人間改造の研究に多額の資金を提供している機関の一つだ。1970年代にはインターネット(当時はアーパネットと呼ばれていた)を開発した。同局のブレイン・インターフェース・プロジェクトは現在、シリコンではなく酵素とDNA分子で作られた超小型コンピューターに注目している。兵士の脳に埋め込めるものだ。最初の分子コンピューターは2002年に発表され、2004年には改良版ががん治療に使われるようになった。しかしDAPRAは、もっと高度なモデルによってシナプスの結びつきが加速され、記憶容量が増え、ワイヤレスのインターネット・アクセスが可能になると考えている。同じようにDAPRAのサイレント・トーク・プロジェクトは、脳内の言語化前の電子信号を解読してインターネット経由で送ることで、兵士が無線機やEメールなしで通信できる装置の開発に取り組んでいる。全米科学財団のレポートによれば、このような「ネットワーク化が可能なテレパシー」は、2020年代には実現するという。(下巻 p.325)


インターネット技術が民生に転用されて発展するまでのタイムラグは、たとえば30年間ほどと言えそうです(1970年 -> 2000年)。その数字をそのまま敷衍すると、一般市民の脳がインターネットに直結する時代がやってくるのは、2050年か60年ぐらいになりそうですね。

もうひとつは、原爆開発に関わったアインシュタインの残した警鐘で、非常に暗い未来の可能性を示しています。

1949年、アインシュタインはジャーナリストに言った。「第3次世界大戦がどのように戦われるのかはわからない。しかし、第4次世界大戦で人々が何を使うかはわかるよ……石、だ」。(下巻 p.340)

2014年8月2日土曜日

『人類5万年 文明の興亡: なぜ西洋が世界を支配しているのか』

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人類5万年 文明の興亡: なぜ西洋が世界を支配しているのか』(著者:イアン・モリス)を読みました。原書のタイトルは"Why The West Rules - For Now"で、和訳では副題に回っています。本書では西洋がここ数世紀にわたって国際社会を支配している理由を、東洋文明圏と対比しながら迫っています。この手の歴史書を読むのは、国家や文明の栄枯盛衰をモデルとして学びとりたいからですが、その意味では十分に満足できる作品でした(そして後述するように、もっと満足できました)。

これから読まれる方に差しさわりのない内容を、今回は2か所ご紹介します。ひとつめは、チャーリー・マンガー的表現である「学際性」について触れた文章です。

大学教授というものは、管理的な役割には不平をこぼすのが常だが、1995年にスタンフォード大学に移ったとき、私はすぐに、委員会に属することは狭い学問領域の外で何が起きているかを知る絶好の機会だと気づいた。それ以来、大学の社会科学史研究所や考古学センターの運営に携わり、古典学部の部長、人文科学研究所の副所長を務めながら、大規模な発掘調査を行っている。おかげで遺伝学から文芸批評まであらゆる分野の専門家を出会うことができた。そのことが、なぜ西洋が世界を支配しているのかの解明に影響しているかもしれない。

私は、一つ、大きなことを学んだ。この問いに答えるには、歴史の断面に焦点を合わせる歴史家の力、遠い過去に対する考古学者の認識、社会科学者の比較研究の手法を組み合わせた幅広いアプローチが必要なのだ。それは様々な分野の専門家を集め、深い専門知識を活用することによって可能になる。シチリアで発掘を行ったときにまさに私がしたことだった。炭化した種子を分析するための植物学、動物の骨を特定するための動物学、収納壺の残滓を調べるための化学、地形の形成プロセスを再現するための地質学をはじめ、大勢の専門家の協力が欠かせなかったため、私はそういった分野の専門家を探し出した。発掘調査の監督は学問の世界の指揮者のようなもので、優れた演奏家を総動員する。

この方法は、発掘報告書の作成には有効だ。他者が使えるようなデータを蓄積することが目的だからだ。しかし、大きな問いに対する統一的な答えをまとめるには適していない。したがって本書では、集学的アプローチではなく、学際的アプローチを取る。専門家の一団を注意深く見守るのではなく、自分自身で様々な専門家の知見を集めて解釈する。

このアプローチには、分析が偏る、表面的になる、ありがちな間違いを犯すなど様々な危険が伴う。私は、中国文化をその道何十年という研究者ほどには理解できないし、遺伝学者のように進化についての最新情報に精通しているわけでもない。(サイエンス誌は平均13秒に一度ウェブサイトを更新しているらしい。この文章を書いている間にも遅れを取ってしまっただろう)。しかし一方で専門領域に留まり続ける者は、決して全体像を見ることができない。本書のような本を書く場合、学際的アプローチを用いて一人でまとめるのは最悪の方法かもしれないが、私には一番ましに思える。私が正しいかどうかは、読者の判断にゆだねるしかない。(上巻 p.31)


もうひとつは、広く適用できるモデル「後進性の優位」についてです。

5000年前、ポルトガル、スペイン、フランス、イギリスにあたる地域がヨーロッパ大陸から大西洋に突き出ていたことは、地理的には大きなマイナスだった。メソポタミアやエジプトでの日々の営みから遠く離れていたからだ。ところが500年前、社会は大きく発展し、地理の意味を変えた。かつては決して渡れなかった大洋を渡れる新しい種類の船の完成によって、大西洋に突き出た地形がにわかに大きなプラスになった。アメリカ大陸や中国、日本へと漕ぎ出したのは、エジプトやイラクの船ではなく、ポルトガル、スペイン、フランス、イギリスの船だった。海洋貿易で世界を結び始めたのは西ヨーロッパ人であり、西ヨーロッパの社会は急速に発展し、東地中海の旧コアを追い越した。

私は、このパターンを「後進性の優位」と呼ぶ。社会が発展し始めたときから存在するものだ。農村の都市化(西洋では紀元前4000年、東洋では紀元前2000年頃)に伴って、農業の発生を可能にした特定の土壌や気候へのアクセスは、農地の灌漑用水や交易ルートとして用いられる大河へのアクセスほど重要ではなくなった。その後も国家は拡大し続けたため、今度は大河へのアクセスが、鉄、長距離の交易ルート、マンパワーの源などへのアクセスほど重要ではなくなった。このように、社会発展に伴って必要なリソースも変化する。かつてはそれほど重視されなかった地域が、その後進性に優位を見出すこともある。

「後進性の優位」がどのように生じるのかをあらかじめ述べるのはむずかしい。後進性がどれも等しいわけではないからだ。400年前、多くのヨーロッパ人は、カリブ海の植民地には北アメリカの農地より明るい未来があると思ったようだ。今になってみれば、なぜハイチが西半球で最も貧しい地域となり、アメリカが最も豊かな地域となったのかがわかる。だが、こういった結果を予測するのはかなり困難だ。

それでも「後進性の優位」が明確に示しているのは、第一に、各コア内の最も先進的な地域は時とともに移動するということだ。西洋では、初期の農業時代には、ティグリス・ユーフラテス川流域の丘陵地帯が最も進んでいたが、やがて国家の出現に伴って南のメソポタミアやエジプトの川の流域へと移り、貿易が重要になり、帝国が拡大するにつれ、西部の地中海沿岸地域へと移った。一方東洋では、先進地域は黄河と長江に挟まれた地域から長江流域へ、さらには西の渭水や四川へと移っている。(上巻 p.42)


追記です。類書の『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)は広く知られ、評判も高い本だと思います。しかし本書はそれと肩を並べるあるいは超えるほどの出来栄えだと、個人的には評価しています。それというのも、本書の構成(つまり著者のとったアプローチ)自体からも学べることがあるからです。それは、「骨太な構成が骨太な結論を導いている」という点です。結論のほうは深入りしませんが、構成のどこが骨太だと感じたのか、簡単に触れておきます。

本書では、著者が主張を展開する上で2つの軸を用意しています。ひとつめが、西洋と東洋の両文明圏の発展度合いを測る尺度として「社会発展指数」と称する指標を導入したことです。この指数によって、両文明の社会的状況や能力が歴史的にどのように上下するかを定量化し、その上で定性的な歴史的解釈によって肉付けしています。文明の度合いをどうやって測るのかは大きなテーマだとは思いますが、著者が選んだ評価項目はそれなりに納得できます。なお本文中では歴史的エピソードの記述がつづきますが、随所に逸話が盛り込まれ、飽きることなく読み進められました。

もうひとつが、西洋圏の範囲として狭義の欧米だけでなく、文明の曙である中東を含めたことです。つまりメソポタミアやエジプトも西洋の一部とみなした上で、東洋(中国、朝鮮、日本、東南アジア等)と比較しています。従来型の定義からは逸れますが、本書を通読してみれば、「西洋=ユーラシア大陸の西側」とした定義は妥当だと思います。

これらの本質的な軸を設けたことで、歴史的事実の細部に囚われることなく、大きな流れをとらえて歴史解釈を進める助けになっただろうと想像します。歴史という長い時間軸では、「精確にまちがえるよりも、おおよそ正しい」視点を持つことが重要だと思います。その意味で、著者のとったアプローチからは学ぶところが多いと感じました。

2014年7月30日水曜日

若い頃の投資で学んだこと(2)(ジェレミー・グランサム)

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ジェレミー・グランサムの若かりし頃の打ち明け話、前回につづいて後半部になります。(日本語は拙訳)

実のところ、1969年4月には決定的と言っていい出来事がもうひとつありました。その当時、マサチューセッツ州ニュートンにあるヴィクトリア風の魅力的な3階建ての家に、妻と私は心を奪われていました。しんとした静かな通りに面した家で、リンゴ園が隣接しており、背後にはまだ人の手が入っていない丘の斜面が続いていました。売り手の希望する値段は4万ドルでした(現在の感覚ではおそらく100万ドル以上だったでしょう)。直前に下落していたものの、我が家の資産には余裕がありました。そのため住宅ローンを借りずに家を購入し、新車のBMW2002型を買ったとしても(小型ながらも高速で目立ちすぎることもありませんでした。そしてかなり安かったのです)、まだ数千ドルが手元に残る計算でした。ところが提示した金額3万7千ドルは拒絶され、取り下げになりました。そしてその件を再検討している最中にも、手持ちの株価は崩れ始めました。振り返ってみれば、私は幸運でした。「かもしれない」にすっぱり別れを告げて、1株60ドル台前半でおさらばしたのです。結局のところ、アメリカン・レースウェイに集まった当初の群衆のほとんどは新しもの好きと好奇心によって構成され、熱狂的な客はまったくと言っていいほど付きませんでした。アメリカ人が自分たちのスポーツと感じるには、本物のレーシング・カーではなく、自分たちの乗っているような車でないとダメなのです。そんなこととは露知らずでした。さて、完全に破産したわけではなく、かといってすっかり心を入れ替えてもいなかった私は、損失分を取り返すことに熱を入れました。当然ながら、本物の勝ち馬に早々と出くわしました。その新しいアイデアとは「マーケット・モニター・データ・システム」と呼ばれるものです。後になってから振り返ってみても、まさに革新的な技術でした。どのブローカーの机上にも「モニター」つまり電子的画面を表示し、独自の市場を作ってオプション取引を行うことができました。ただし、ある数学教授によるこの発明にはあやまちが一つだけありました。時代の先を行き過ぎていたのです。その技術が完全に受け入れられたのは15年後のことでした。いや、なんとも。さて、[株価が]好調に上昇したところで、株主にもわかるようになったことがありました。「モニターがインストールされると急に費用がかかるようになるが、ビジネスは入ってこない」ことです。ほとんど皆無でした。私にとってその後の展開は、典型的な調子よりもはるかにタカのように進みました。しかし破産寸前になった2週間をなんとか乗り切り、マージン借入と銀行ローンを返済する金額を確保した上で手元に5千ドルが残りました。すでに私は起業家として会社を立ち上げており、無給で働いていました。最初の通年期末に表計算ソフトに記録されていた預かり資産は10億ドルということはなく、ディーンの友人が出した資金1件のみで10万ドルでした。幸いなことに妻がMITプレスで働いていたおかげで、ある程度の収入は得ていました。ですから、ボストン・グローブ紙を買えるのはセルティックスの重要なゲーム[バスケットボール]があったときだけで、新しい服はご法度、必要な食料は1週間に一度バック湾にあるイングリッシュ・ティー・ルームに行って買いだめすることになりました。しかし、苦い薬をかなり飲んだものです。それほど苦くないのもひとつありましたが。たとえば、ニューヨークでの18カ月を特徴づけた倹約生活は、妻にとって愉快なものではありませんでした。今と同じように当時でも、お金があると生活の質に大きな違いが出る場所でした。財産を蓄えて帰郷することは、彼女にとって価値のあることだったと思います。おそらくそうです。しかし彼女にとっていちばん不満だったのは、仕事から帰ったあとにほぼ毎回料理をしなければならないことでした。現在の働く女性ならば我慢している人はいないでしょう。まあ当然だと思います。しかし自己弁護になりますが、60年代にはそうするのが風潮だったのです。ええと、たしかそうだったような気が..。しかし私たちの蓄えが根こそぎ失われたことや、それによって私たちの基本計画がどうなるのか、つまり裕福な身で故郷へ帰るために蓄えることについては、妻は何も触れませんでした。一言もです。経済面で穴の開いた私たちのボートが浮かんでいられるように、彼女はその役割をみずから担ったのです。しかし妻は尽きることのない貸しを私に対して積み残してくれました。つづく46年間にわたって、それは消えずに残り続けました。つまりそういうことなのです..。

In fact, in April 1969 came another nearly defining event: my wife and I fell in love with a charming threefloor Victorian house in Newton, Mass on a very quiet street next to an apple orchard and backing on to some undeveloped hillside. Asking price: $40,000 (today's guess, perhaps $1 million or more). Our family capital account after its then recent decline would still have allowed us to: a) buy the house without a mortgage; b) buy a new BMW 2002 (small, fast, not too showy, and remarkably cheap); and c) have a few thousand left over. But our $37,000 offer was turned down and we backed off. And, even as we reconsidered, our stock began to crumble and I was lucky, with hindsight, to be able to say goodbye to all might-have-beens and to scramble out in the low $60s a share. It turned out that American Raceway's original crowd was based almost completely on novelty and curiosity and had nearly no hard-core followers; Americans liked their blood sports to be in cars that looked not like real racing cars, but in cars that looked just like their own. Who knew? Well, I was neither totally broke nor fully chastened, and was eager to make back my losses. Naturally, I bumped immediately into a real winner. The new idea was called Market Monitor Data Systems and this really was a breakthrough technology, even with hindsight. It was going to put a "Monitor," an electronic screen, on every broker's desk, so that they could trade in options, making their own market. This brainchild of a mathematics professor had only one flaw: it was way ahead of its time. Fifteen years later the technology was completely accepted. Oh, well. After a good rise it became clear to stock holders that expenses rose rapidly with monitors installed and no business followed. Almost none at all. And, following the developments far more hawk-like than was typical for me, I managed to leap out two weeks before bankruptcy with enough to pay down margin and bank loans, leaving me with about $5,000. By then, however, I was in an entrepreneurial start-up that paid no salary and ended its first full year not with the $1 billion under management that had featured in our spreadsheets, but with one account from a friend of Dean's of $100,000. Fortunately, my wife had a job at MIT Press, which paid about what one would expect. So, the Boston Globe would only be bought after important Celtics games, absolutely no new clothes were allowed, and once a week we would stock up on an all-you-can-eat meal at the English Tea Room in Back Bay. But, oh my, did I have lots of painful lessons to absorb and at least one not so painful. First, my wife had not been amused by the frugality that characterized our 18 months in New York, a city then and now where some spending money makes a big difference in the quality of life. For her, to go home with a nest egg was maybe worth it. Maybe. Her biggest gripe was cooking in almost every day after work. No working wife today would stand for it, and rightly so. All I can say in my defense is that that was the style in the 60s. Very weak, I know. But, when confronted with the total loss of our savings and therefore our main plan - saving to go home well-off - my wife said nothing. And I mean nothing at all. She put herself to the task of keeping our financially leaky boat afloat. My wife, however, accrued an inexhaustible supply of IOUs. Well, inexhaustible for the next 46 years anyway. So …