こんどは銀行の貸倒引当金です。この重要な話題の舞台となる世界では、グレシャムの法則がお粗末な認識をうみ、とんでもない行動をひき起こしています。会計士が望んだ仕組みでは、貸倒引当金は保険数理にもとづいて計算しなければならない、将来の損失を予測する際には過去の貸倒損失をもとにするように、と規定されました。しかしもちろんですが、まるで異なる種類の顧客に対してまったく違う種類の貸出しをするときに、そういった過去の実績を使うのは正気ではありません。ちょっとどころではなく、まったくもってイカれています。まともな人が自分のお金でそんなことをするか考えてみればわかります。過去の貸出しはまったく異なる種類のもので、そのうえ今回のものよりあきらかに安全だったのに、その過去のエクスポージャー[損失リスクの度合い]にもとづいて今回の貸出しのエクスポージャーを判断したりするでしょうか。ところがこのとんちきな会計慣行を会計士がいったん選んでしまったことで、この仕組みに乗じたすばらしい機会がうまれました。自分の銀行を今後2,3年間で大きな利益をあげているようにみせたければ、程度の悪い貸出しをほいほいやればいいのです。それが劣悪なものと診断されるようになるまでしばらくかかるでしょうから、会計士はその貸付けを麗しき多額の収入をうみだすものとして、帳簿上はそのままにしておくでしょう。アナリストにもちゃんと説明できますし、格付け機関もその収益をうのみにしてくれます。そうしてなんだかんだをつづけるうちに、いい会社としてみられるようになります。それは災厄を招くこと必然では、と思うかもしれません。そうなったら貸出しを2倍にすればいいのです。それで前のやっかいごとを水没させられます。問題が再びおきればさらに2倍にするだけです。預金が保険で保護されていて、会計士が認めてくれる限り、それを営々と続けることができます。政府による信用保証があるので、新たな資金を惹きつけられるからです。もちろん、その信用は無制限です。
Let’s take bad debt reserving for banks. That is a really important subject in a world where Gresham’s Law is going to cause a lot of terrible cognition and terrible behavior. The accountants want a system and they ordained we have to use it that says you compute your bad debt reserve actuarially -- you look at your bad debt losses in past years, and you use that in judging what your future bad debt losses will be. But, of course, if you are making a totally different kind of loan to a different kind of borrower, using the past experience is insane. It is not just slightly insane, it is really insane. Nobody would do this with his own money who had any sense - judge his future exposure in lending based on his past exposure in making a totally different kind of loan which is obviously way safer than what he is doing now. But once the accountants chose this crazy accounting convention, then people have a wonderful opportunity to game the system. If you want your bank to look like a big earner for two or three years, just make a bunch of lousy loans that will take a while to be diagnosed as such. Your accountants will cause the loans to stay on your books accruing a lot of wonderful income and you will report it to the analysts, and the credit agencies will believe in the income, and so on and so on and so on and you’ll look fine for quite a while. You can say this will eventually come home to roost? Oh no, when it starts coming home to roost, we’ll just do twice as much more and that will swamp the old troubles coming home and when that gets in trouble we’ll double again and if you are deposit insured you can do it ad infinitum as long as your accountants will let you because you are using the government’s credit to attract the new money. And, of course, that credit is unlimited.
2013年4月28日日曜日
二倍に増やして水の底(チャーリー・マンガー)
2013年4月26日金曜日
町から馬糞が消え、清潔になる(ジャレド・ダイアモンド)
私が紹介するひとつめのエピソードは、1902年生まれの大学教授で、私の指導教官だった人にまつわるものである。1956年にその教授が私に語ってくれたのは、教授の昔の記憶、つまり、移動手段が馬車から自動車へ変わっていくのを目にしたときの記憶である。その時代に、アメリカの都市部で成長した人々が感じていたことについて、その老齢の教授が自分の記憶にあることを私に教えてくれたのである。その当時、私の指導教官をはじめ、同年配の人々は、この移動手段の変化をおおいに歓迎したそうである。町から馬糞が消え、町が清潔になる、と思われたからだそうである。馬のひづめの騒々しい音も消え、町が静かになると思われたからだそうである。もちろん、車がもたらしたのは、清潔な町でもなければ、静かな町でもない、大気汚染と騒音の町だった、という事実を後知恵的に知っている、いまの時代のわれわれからみれば、当時の人々の発想が愚かに思える。しかし、われわれは、この老教授の記憶から、大きなメッセージを受け取ることもできるのである。それは、技術革新はつねに、当初期待されたメリットに加え、予想外の問題をももたらし得るということである。(上巻p.403)
こちらはおまけです。チャーリー・マンガーが推薦する著者らしい見解が述べられています。
さて、最後になったが、私の3つ目の提案は、加齢にともなう心身の変化、心身の強みと弱みの変化を理解し、いかにうまく活用するかにかかわる提案である。このように複雑で広範囲におよぶ変化について、きちんとした証拠も示さずに、十把一絡げ的な概括論を述べるリスクをあえて冒すが、傾向として、加齢とともに下降する心身の属性には、以下のようなものがある--熱意、競争心、体力および持久力、集中維持力、問題解決のための論理的思考の構築力(したがって、DNA構造や純粋数学理論にかかわる問題の研究は、40歳以下の学者に任せたほうがよい)。もちろん、心身の属性のなかには、加齢とともに向上するものもあり、それらは以下のようなものである--専門分野にかかわる知見や経験、人間や人間関係についての理解力、自分のエゴを抑えて他人を助ける力、多面的知識データベースが関与する複雑な問題の解決のための学際的思考の組み合わせ力などである(したがって、種の起源に関する研究、生物地理学的分布に関する研究、比較歴史学に関する研究などは、40歳以上の学者に任せたほうがよい)。(同p.404)
ジャレド・ダイアモンド氏とチャーリーはどちらもロサンゼルス在住なので、親交があるのかもしれませんね。
2013年4月23日火曜日
DNAには刻まれていないこと(ウォーレン・バフェット)
Buffett Nebraska Business Interview 2001 (PDFファイル) (scribd)
<質問者> MBAは今日の学生にとって重要な学位だとお考えですか。
<ウォーレン> ビジネスに興味があったり、その世界に進むのでしたら、MBAはとても役に立ちます。しかし本当に大切なのは、どのような心持ちで授業に臨むか、この主題に興味を持てるかということです。会計などの授業を苦役や必須要件とみているのでしたら、全体像を見失っています。どんな授業でも楽しむことはできるものです。会計学を習得するのは新しい外国語を身につけるのと同じようなもので、けっこう楽しいですよ。必要なのは、さぐり出そうとする姿勢です。対象に近づいて、発見するのです。会計学はビジネスを解き明かすロゼッタ・ストーンと言えるでしょう。いっぽう経済学というのも、人間はいかに貪欲な望みに対処し、そういった望みを満たすためのシステムをつくりだしたかが冒頭から記述されており、魅力的な学問です。すばらしい内容です。まさに世界はそのように動いています。ビジネスは日常のできごとであり、経済学の一部分を占めるものです。ブラックホールのような表現しかねるものではなく、それなりに理解できるものです。ですからビジネスを通じて、世界がどのようにして動いているかを学ぶことができます。18か19歳で世界のことを学び、この広い世の中の動きを理解できるようになります。我が国の一人あたりのGDPは20世紀の間に6倍になりました。6倍というのがどういうことが考えてみてください。なぜこの国でそうなったのに、よそではそうならなかったのか。アメリカは世界の一部分を占めるにすぎませんが、非常に重要な位置づけにあります。そういったことを理解し、これからの人生という観点に立ってあらゆるものごとをみつめるのは、すばらしいことだと思います。
Cynthia: Do you think an MBA is an important degree for students to have today?
Warren: If you are interested in business, or likely to be in business, an MBA is very useful. But, what is really important is what you bring to a class in terms of being interested in the subject. If you view a course like accounting as a drudge and a requirement, you are missing the whole game. Any course can be exciting. Mastering accounting is like mastering a new language, it can be so much fun. The attitude should be one of discovery, that you are coming there and discovering. Accounting is the Rosetta Stone of business. Economics is fascinating, the first page of economics describes how mankind deals with insatiable wants and creates the systems to fulfill these wants. It’s great stuff. Really how the world works. Business is a subsection, a fairly understandable subsection, not like black holes, which are fairly hard to visualize, but business is every day stuff and you are learning how the world works. You are 18-19 years old and learning about the world, understanding how this great world works. The GDP per capita in the 20th century increased 6 to 1. Think of that, six times. Why does that work here in the U.S., why doesn’t it work other places? The U.S. is a small part of the universe, but a very important part and understanding that and seeing everything else against that backdrop for the rest of your life is fabulous. (PDFファイル5ページ目)
<質問者> わたしどもの学生は常々、あなたがどんな人を雇うのか知りたがっています。どのような点にご注目されているのですか。
<ウォーレン> 3つのことに留意しています。知性とエネルギー、それから誠実さです。知性面はずば抜けている必要はなく、そこそこあれば十分でしょう。たとえばレイ・クロック[マクドナルドの創業者]は頭のいい人でしたがそれだけではなく、商売における正しい原則に従い、情熱をもって仕事に勤しみ、自分のビジネスと向き合いました。みなさんの学校でビジネスを勉強している学生は、知性とエネルギーのどちらもお持ちかと思います。しかし誠実さというものは人間のDNAには刻み込まれていません。学生のみなさんの年頃でしたら、還暦をむかえる頃にどんな人間になっていたいか、いろいろ選べるでしょう。ですが誠実さが欠けていれば、それを体現することはできません。習慣という鎖は、ときに重すぎて外せなくなるからです。学生のみなさんは自分の鎖をこしらえることができます。自分が尊敬する人に質問してみてください、あなたが称賛する人というのはどういう人ですか、と。寛大で慎みがあり、思いやりのある人、そんな答えがかえってくるものです。真似をするならそういう人が一番です。
Cynthia: Our students are always interested in knowing what you look for when you hire someone? What specific qualities do you seek?
Warren: You look for three things, you look for intelligence, you look for energy and you look for integrity. You don’t need to be brilliant, just reasonably intelligent, Ray Kroc, for example, has good intelligence, which he combined with good business principles and passion for business and a passion for his particular business. Every business student you have has the requisite intelligence and requisite energy. Integrity is not hard wired into your DNA. A student at that age can pretty much decide what kind a person they are going to be at sixty. If they don’t have integrity, they never will. The chains of habit are sometimes too heavy to be broken. Students can forge their own chains. Just pick a person to admire and ask why you admire them, usually it is because they are generous, decent, kind people, and those are the kind of people to emulate. (PDFファイル6ページ目)
「寛大で慎みがあり、思いやりのある人」と言えば、まさしくウォーレンご本人のことですね。「慎み」については少し採点が甘いかもしれませんが。
なお「習慣の鎖」のことはチャーリー・マンガーも触れていました(過去記事)。二人が口にしているという事実こそ、その内容がいかに大切かを物語っていますね。
2013年4月21日日曜日
シカゴ大学をコケにした男(チャーリー・マンガー)
現在の学術界一般が残念ながら盲目怠慢ぶりを呈しているにもかかわらず、教育機関の恥ずべき欠陥がやがて修正されるという望みは見出せるのでしょうか。大丈夫です、私は楽観的にみています。
たとえば、シカゴ大学経済学部の最近の動向をみてみましょう。この学部は10年間にわたって[俗に言う]ノーベル経済学賞をほぼ独占してきました。その多くは、人間は合理的であることを前提にした「自由市場」モデルを使って適切な予測を下した業績に対するものです。合理的人間という切り口で着実に成果をあげてきたこの学部は、つぎにどのような行動をとったと思いますか。
花形学者のそろった貴重な一画に、賢明で機知あふれるコーネル大の経済学者リチャード・セイラーを招聘したのです。これこそ我らの希望にかなうものでした。セイラーは、シカゴ大学で崇められているさまざまなことをコケにしていきました。私と同じようにセイラーも、人間は限度を超えて非合理になることがあると考えています。これは心理学によって予期できるものなので、ミクロ経済学では考慮に入れておくべきものです。
シカゴ大学はそのような手段を通じてダーウィンを模倣しています。ダーウィンは長き人生の大半を逆に考えること、すなわち苦心して得たこよなく愛する自らのアイデアを反証することに費やしました。最高の価値を保持せんと、彼のように逆から考える一群が学術界にもあるわけです。ですから、お粗末な教育上の実践がやがてよりよきものに取って代わられる可能性は十分にあります。これはカール・ヤコビが予期していたそのものかもしれません。
そのようなダーウィン主義者のやりかたは、いかにわずらわしくても客観視する姿勢を常としているので、力強く前進していくでしょう。ですから、この希望はいずれ実現すると思います。この上なく重要な人物アインシュタインは、かつて言っています。業績を果たす根幹となったもののひとつが「自己批判」だったと。これと並ぶ残りの3つは、「好奇心」「集中」「根気強さ」です。
「自己批判」がいかに強力かをさらに称揚するために、学卒でおわった月並みな才能のチャールズ・ダーウィンがどこに葬られているか思い出してみましょう。ウェストミンスター寺院はアイザック・ニュートンの墓石の、ちょうどとなりです。ニュートンこそ、他に比類なき才能を授かった学究でした。彼の墓石にはラテン語の八つの単語で口を極めた称賛が刻まれています。「アイザック・ニュートン、ここに眠る」(Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni)。
ダーウィンの亡きがらをそのように葬る文明ならば、やがては心理学を適切かつ実践的な形で発展統合させて、様々な技能を大きく伸ばすことでしょう。微力かつ愚鈍なる我々としては、その歩みが遅滞しないようにただ手助けすべきです。障害は数多くあります。重要な位置に就くさまざまな人が、コカ・コーラのように成功をおさめている普遍的な製品のことを適切に理解できなかったり説明できないようであれば、それ以外の重要なもろもろに対しても我々はうまく立ち向かえないでしょう。
私がグロッツさんへ説明したのと同じように考えた末に10パーセントを投資し、純資産の50%がコカ・コーラ株になった人がおられるならば、心理学の面で私が話したことは基本的すぎて役に立たないかもしれません。そうでしたら、無視してくださってかまいません。しかし、他のみなさんもそうするのが賢明だとは申し上げられません。この状況は私が気にいっている昔の広告の文句を思い起こさせるので、ここにご紹介して話の結びとします。ワーナー・スウェージー社のものです。「新しい工作機械をお望みなのに未だ購入されていないお客様は、すでに対価をお支払いになっていらっしゃいます」。
Even though this regrettable blindness and lassitude is now the normal academic result, are there exceptions providing hope that disgraceful shortcomings of the education establishment will eventually be corrected? Here, my answer is a very optimistic yes.
For instance, consider the recent behavior of the economics department of the University of Chicago. Over the last decade, this department has enjoyed a near monopoly of the Nobel prizes in economics, largely by getting good predictions out of “free market” models postulating man's rationality. And what is the reaction of this department after winning so steadily with its rational-man approach?
Well, it has just invited into a precious slot amid its company of greats a wise and witty Cornell economist, Richard Thaler. And it has done this because Thaler pokes fun at much that is holy at the University of Chicago. Indeed, Thaler believes, with me, that people are often massively irrational in ways predicted by psychology that must be taken into account in microeconomics.
In so behaving, the University of Chicago is imitating Darwin, who spent much of his long life thinking in reverse as he tried to disprove his own hardest-won and best-loved ideas. And so long as there are parts of academia that keep alive its best values by thinking in reverse like Darwin, we can confidently expect that silly educational practice will eventually be replaced by better ones, exactly as Carl Jacobi might have predicted.
This will happen because the Darwinian approach, with its habitual objectivity taken on as a sort of hair shirt, is a mighty approach, indeed. No less a figure than Einstein said that one of the four causes of his achievement was self-criticism, ranking right up there alongside curiosity, concentration, and perseverance.
And, to further appreciate the power of self-criticism, consider where lies the grave of that very “ungifted” undergraduate, Charles Darwin. It is in Westminster Abbey, right next to the headstone of Isaac Newton, perhaps the most gifted student who ever lived, honored on that headstone in eight Latin words constituting the most eloquent praise in all graveyard print: “Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni” - “Here lies that which was mortal of Isaac Newton.”
A civilization that so places a dead Darwin will eventually develop and integrate psychology in a proper and practical fashion that greatly increases skills of all sorts. But all of us who have dollops of power and see the light should help the process along. There is a lot at stake. If, in many high places, a universal product as successful as Coca-Cola is not properly understand and explained, it can't bode well for our competency in dealing with much else that is important.
Of course, those of you with fifty percent of net worth in Coca-Cola stock, occurring because you tried to so invest ten percent after thinking like I did in making my pitch to Glotz, can ignore my message about psychology as too elementary for useful transmission to you. But I am not so sure that this reaction is wise for the rest of you. The situation reminds me of the old-time Warner & Swasey ad that was a favorite of mine: “The company that needs a new machine tool, and hasn't bought t, is already paying for it.”
文中に登場するリチャード・セイラーの本はいくつか翻訳が出ていますね。『実践 行動経済学
なおご参考までに、ダーウィンとニュートンの墓石の位置は実際には隣接していないとの情報がありました。
The Burial of Charles Darwin (AboutDarwin.com)
2013年4月19日金曜日
建設的なパラノイア(ジャレド・ダイアモンド)
ニューギニアへ野外観察にいきはじめた当初、私はまだ未熟だった。警戒心や注意力といったものもまだまだ不十分で、自分がおかれた自然界の状況に十分な注意が払えないような研究者だった。そんなあるとき、私はニューギニアの密林の奥地で、鳥類調査のために現地人たちと1か月間を過ごしたことがある。最初の1週間で低地における調査を終え、つぎにもっと高地に生息する鳥類が調べたくなった。そこで、ベースキャンプを数千フィート、山の上の場所に移動することに決めた。私たち一行は山を登っていき、やがて翌1週間滞在するベースキャンプを張る場所を、高い木の茂る森のなかにある場所に決めた。そこは、尾根がなだらかに下降している先の、平らに開けた空き地で、周囲を歩きながら野鳥を観察するにはもってこいの場所だった。近くに渓流もあり、遠くまで水を汲みにいかなくても必要な水が確保できる地形だった。キャンプを設営することに決めた場所は急な崖の縁で、視界も開け、谷底から舞い上がってくるタカやアマツバメ、オウムを観察することができた。しかも、その土地の片隅には、みごとな巨木がそそり立っていた。私は、こんな美しい環境で1週間も過ごせるのだという思いに胸がふくらみ、ニューギニア人の助手たちにつぎのように告げた。あの巨木の苔むした幹の脇のところにテントを張ることに決めたので、準備にとりかかってください。
私のこのひと言に対する彼らの反応はまさに驚きだった。彼らが、私の頼みにほんとうにひどく動揺し、あの巨木の幹の脇で寝るのは嫌だといったからである。彼らの言い分はつぎのようなものだった。あの巨木はすでに枯れて、死んでいる。だから、われわれがテントで夜、眠り込んでいるあいだにわれわれの上に倒れ込んできて、われわれを殺すかもしれない。たしかに、彼らのいうとおり、巨木はすでに枯れていた。しかし私は、彼らの大げさな物言いにびっくりして、とっさに反論した。
「たしかに、この木は巨木だが、幹はまだしっかりしている。ぐらついてもいない。腐ってないんだから、風で倒れるようなことはまずない。いずれにしても、風なんか吹いていない。この木が倒れるとしても、それはまだ何年も先の話だ!」だが、私の言葉もむだだった。ニューギニア人たちがおびえきっていたからである。そして、あの木の真下のテントで眠るくらいなら、夜空の真下で野宿するほうがましだ。あの巨木が倒れ込んできてもつぶされることのない、あの木の根元から離れた場所で、吹きさらしの地べたの上で眠るほうがましだ、と主張したのである。
そのとき私は、彼らの怖がりようは大げさで、ほとんど被害妄想だと思った。ところが、それはそうでもなかった。その後、数か月つづいたニューギニアの森での観察活動のあいだ、木が倒れる音を耳にしない日が1日としてなかったからである。木が倒れてきて、下敷きになって死んだニューギニア人の話を、いくつも聞かされたからである。そして、ニューギニア人が森のなかで野営することが多々ある人々である、ということを思い出したからである--おそらく、1年に100日は野営しているだろうから、40年の人生のあいだに、4000日は野営している計算になる。そして私は、この計算でピンときたのである。例えば、1000回に1回しか死なないようなことでも、年100回それをおこなうような生活をしていれば、10年以内に死んでしまう確率が高いのである。ニューギニアの平均寿命40歳をまっとうできないということだ。もちろん、この危険があるからといって、ニューギニア人は森の奥へいくことをやめたりはしないが、細心の注意を払うのである。枯れた巨木の根元で眠らないようにして、木の下敷きになって死ぬ危険を事前に回避しているのである。この意味において、私の助手のニューギニア人たちの被害妄想は理にかなっていた。私は、この種の被害妄想は「建設的なパラノイア」であると思う。
(中略)
私がニューギニア人から学んだもののうちで、建設的なパラノイアほど心に残ったものはない。建設的なパラノイアはニューギニア人のあいだでは一般的である。また、世界各地の伝統的社会においても、観察例が数多く報告されている。被害リスクの生起頻度が低い行為であっても、その行為を頻繁におこなうのであれば、リスクを冒して若死にしないように用心すべきなのである。あるいは、若くして手足を不自由にしないように、つねに細心の注意を払うべきなのである。ちなみに私は、アメリカでの生活においても、リスクは低くても、頻繁におこなう行為への対処法としてこれを応用している。そのような行為とは、たとえば、車の運転である。濡れると滑る浴室でシャワーを浴びたり、脚立に上がって照明の電球を交換したり、階段を上り下りしたり、つるつると滑る歩道を歩いたりすることも、1回あたりのリスクは低いが、生活のなかで頻度の高い行為であり、用心深く対応することに越したことはない。そんな私の用心深さにあきれかえってしまう人も、私のアメリカ人の友人のなかにはいる。しかし、私と同じ考えを持つ西洋人の友人も3人いて、彼らもまた低リスク高頻度の事象を相手にする自身の経験や職業のおかげで、用心深いのは被害妄想でもなんでもないことがわかっている人たちであり、建設的なパラノイアが生き延びるための知恵であるということがわかっている人たちなのである。その3人のうちひとりは小型航空機を操縦していた友人であり、もうひとりはロンドンの街中で非武装パトロールをしていた警察官の友人であり、最後のひとりはゴムボートに乗る釣りガイドをしていた友人である。彼らは、そうした仕事や活動をつづけるなかで、不用心が原因で落命した友人たちを目にした経験から、建設的なパラノイアの重要性を学んだのである。(下巻p.12)