Wikipedia日本語版の記述は現在の英語版とは異なるところもあるので、一部ですが英語版を訳し直してみました。
若干ですが、情報を補っています。なお、現行の訳も参考にさせて頂きました。
どうぞ、彼の投資スタイルと成績にご注目ください。
人物
バフェットと同様、マンガーもネブラスカ州オマハの生まれである。ミシガン大学で数学を専攻中に陸軍航空隊に徴兵された。カリフォルニア工科大学で気象学の訓練を受けた後、アラスカの基地に配属された。除隊後には、学士号を取得していなかったもののハーバード・ロースクールに入学を許可された。
1948年にJ.D.を取得して優等で卒業し、法律事務所Wright & Garrettへ勤めた。1962年に独立して4名の同僚と共にMunger, Tolles & Olson(通称:MTO)を設立。1965年には法曹界の実務から身を引き、投資ビジネスに注力するようになった。不動産開発ではオーティス・ブーチとパートナーを組み、ジャック・ウィラーとは投資会社ウィーラー・マンガー・カンパニーを設立した。同社は、パシフィック・コースト証券取引所の一会員だった。大きな下げ相場だった1973年と74年の2年間に、毎年31%ずつ損失を出した。1975年には73%のリターンを挙げたものの、1976年に同社は解散した。
マンガーはウォーレン・バフェットの関係者として世間では知られているが、彼自身も投資パートナーシップを運営していた。1962年から1975年のことである。バフェットの書いたエッセイ「グレアム・ドッド村の大投資家たち」によれば、同期間におけるマンガーのパートナーシップの挙げたリターンは、年率19.8%だった。対するダウ平均は年率5.0%だった。
マンガーはウェスコ・ファイナンシャルの会長を兼務している。現在はバークシャー・ハサウェイの完全子会社となった同社は、設立当初は貯蓄貸付組合だった。現在は持ち株会社となっており、Precision Steel、CORT Furniture Leasing、Kansas Bankers Surety等を傘下に入れている。また同社の株式ポートフォリオは時価総額で約1,200億円になるが、投資先は集中している。コカ・コーラ、ウェルズ・ファーゴ、P&G、クラフトフーズ、USバンコープ、ゴールドマン・サックスである。時には、一銘柄で株式ポートフォリオ全体の過半を占めることもあった。マンガーの信条は「徹底的に熟知した一握りの株式を保有すれば、長期的には際立ったリターンを挙げられる」。同社はカリフォルニア州のパサデナにあるが、マンガー自身が第二の故郷として選んだ地である。かの有名なバークシャー・ハサウェイの年次総会が開催された後の水曜日か木曜日に、同社の総会がパサデナで開かれる。マンガー率いる同社の総会は、バフェットと連座するバークシャーの総会と同様、投資業界では伝説的なものとみなされている。一般に総会は形式的に済まされがちだが、マンガーはたっぷりと時間をかけて一般株主と質疑を交わす。時には、マンガーの信奉するベンジャミン・フランクリンであればどうするかと想いをめぐらすこともある。参加者がメモした質疑の様子は、インターネット上に公開されている。
バフェットはマンガーのことを自分のパートナーだと公言している。確かにマンガーもバークシャー・ハサウェイの株式を保有し、正真正銘のビリオネアとなった。しかし、マンガーはバフェットのそっくりさんというわけではない。政治的には、マンガーは共和党員として知られているが、バフェットは民主党寄りである。またバフェットはビジネスに身を捧げているが、マンガーはバークシャーの日常業務には携わっていない。あくまでも投資は幅広い興味のひとつとみなしている。
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