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2013年9月6日金曜日

私たちはいつも幻覚を見ている(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

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前回引用した『脳のなかの天使』から、もう一度ご紹介します。今回は視覚の話題です。ものを見たときに人間がどのように認知するのか、著者が考察を加えています。

おもにコンピュータ科学者によって持続されている素朴な視覚のとらえかたでは、視覚は逐次的、階層的に像を処理しているとみなされている。生のデータが画素、すなわちピクセルとして網膜に入り、そこから次々と各視覚野に、バケツリレーのように渡されて、しだいに高度な分析がそれぞれの段階でおこなわれ、最終的な物体の認知にいたるという考えかたである。この視覚モデルでは、各段階の視覚野からそれより下位の視覚野に戻される大量のフィードバック投射が無視されている。そうした逆投射はきわめて大量なので、階層という言いかたには語弊がある。私の直観するところでは、各処理段階において、入力データについての部分的な仮説、もしくは最適の推量が生みだされ、それが下位の領野に戻されて、その後の処理に小さなバイアスがかけられる。いくつかの最適推量が優位を争う場合もあるだろうが、最後には、そうしたブートストラッピングもしくは逐次代入を通して、最終的な知覚の解決がつく。あたかも視覚は、ボトムアップではなく、むしろトップダウンではたらいているかのようだ。

実を言うと、知覚と幻覚との境界は、私たちが考えるほど明瞭ではない。ある意味で私たちは、世界を見るときいつも幻覚を見ている。知覚とは、しばしば断片的かつ短命な入力データにもっともよくあう幻覚を選ぶ行為であるとみなしても、ほとんどさしつかえがないくらいだ。幻覚とほんものの知覚は、同じ一連のプロセスから生じる。決定的にちがうのは、何かを知覚しているときは、外界の事物の安定性がその固定を助けるという点である。幻覚を起こしているとき、たとえば夢うつつの状態にあるときや、感覚遮断タンクのなかで浮かんでいるときには、事物はどんな方向にでもさまよう。(p.323)


最初の赤字強調部分で示唆されている内容は重要なことだと思います。階層的に認知上のバイアスがかかるというのは、別な表現をすれば「違う種類の落とし穴がならんで待ち受けている」ということです。これに対するチャーリー・マンガーやウォーレン・バフェットの解決策は、やはり見事です。たとえば意思決定上のフィルターを階層的に設けたり(過去記事1過去記事2)、学問上の知恵を借りるときは普遍的で信頼性の高いものから特殊なものへ進むように説いています(過去記事など)。

もうひとつ、こちらの引用はおまけです。

しかしながら、近年の調査によると、天使を見たことがあると回答している人の割合は、アメリカ人全体のおよそ3分の1で、その頻度はエルヴィス目撃談をうわまわる。(p.281)

2013年9月4日水曜日

脳のなかの近道(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

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心理学者ダニエル・カーネマンが著書『ファスト&スロー』で、人間が持つ2つの思考機能について説明していることを、以前の投稿でとりあげました。その主張を解剖学的な観点から説明する文章をみかけましたので、ご紹介します。最近読んだ本『脳のなかの天使』からの引用です。おそらくカーネマンも、そのような知見を参考に持論を展開したと思われます。

上の2つの本における用語の対応関係ですが、以下の文章に登場する「経路1」と「経路2」が「スロー」な思考に、そして「経路3」が「ファスト」に対応しています。

経路1と経路2に加えて、もう一つ、対象物に対する情報的反応に関与する、より反射的な別の経路もあるらしい。私はそれを経路3と呼んでいる。経路1と2が「いかに(How)」と「何(What)」の流れだとすれば、経路3は「それで(So What)」の流れと考えることができる。この経路では、目、食べ物、顔の表情、生命のある動き(たとえばだれかの歩きぶりや身ぶり)といった生物学的に突出性のある刺激が、紡錘状回から側頭葉の上側頭溝(STS)と呼ばれる領域に向かい、そこを通って扁桃体に直行する。言いかえれば経路3は、高次の対象認知(と経路2を通して呼び起こされる関連のさまざまなものごと)をバイパスして近道をとり、情動の中核をなす辺縁系への入り口である扁桃体に、すみやかに到達する。この近道はおそらく、生得的であるか後天的に学習されたものであるかにかかわらず、重要度の高い状況に対するすばやい反応を促進するために進化したものと思われる。

扁桃体は過去に貯蔵された記憶や辺縁系のほかの構造体と協同して、あなたが見ているものの情動的な意味や重要性を評価する。それは友だちか、敵か、配偶相手か? 食べ物か、水か、危険か? それともどうということのないものか? もしそれが重要ではないものだったら--ただの丸太や、糸くずや、風に鳴っている木だったら--あなたはそれに対して何も感じず、おそらくそれを無視するだろう。しかしそれが重要なものだったら、ただちに何かを感じる。そしてそれが強い感情だったら、扁桃体から出る信号が視床下部にも流れこむ。視床下部はホルモンの放出を調整しているほかに、自律神経系を活性化させて、摂食、闘争、逃走、求愛など、状況に応じた適切な行動をするための準備態勢をとらせる。そうした自立反応には、心拍数の増加、浅く速い呼吸、発汗など、強い情動をあらわすさまざまな生理的徴候がともなう。人間の場合は扁桃体が前頭葉とも結びついており、それが基本的な情動の混合に微妙な趣(おもむき)を加味するので、単なる怒りや欲望や恐怖だけではなく、傲慢、プライド、警戒、あこがれ、闊達さなども生じる。(p.100)


本ブログではこの種の話題をたびたびとりあげていますが、個人的には「人間はまちがえるようにできている」と考えるようになりました。これは、「人間が進化的にあやまった種だ」という意味ではなく、「現代の特定の局面では、人間の持つ機能はあやまちを導きやすい」という意味です。チャーリー・マンガーはその宿命を回避する鍵を示しているようにみえます。たとえばウォーレン・バフェットとコンビを組むことで意思決定のあやまちを減らしたり、物事を探求するお手本としてチャールズ・ダーウィンのやりかたを説きつづけています(過去記事の例)。

なお脳神経からとらえた投資の本としては、ジェイソン・ツヴァイクが書いた『あなたのお金と投資脳の秘密』を以前にご紹介しました(過去記事)。今となってはよく知られている話題も少なくないですが、総じておもしろく読めた一冊でした。

2013年8月8日木曜日

たったこれだけ(物理学者西成活裕)

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チャーリー・マンガーの「砂金掘り」に関連する話題で、先日読んだ本に興味をひいた箇所がひとつあったので、引用してご紹介します。本の題名は『とんでもなく面白い 仕事に役立つ数学』です。

もう一つ、数理科学的アプローチに欠かせない考え方があります。それは、「勇気を持って単純化できるかどうか」。これもまた、学会で言い争いになった例をお話ししましょう。

テーマは血管の成長。ある研究者は、数理科学的アプローチを用いて、「よく使われる部分の血管は太くなる」と仮定してモデル化をしました。よく使われる部分は流れが多いだろうから太くなるだろう。たったこれだけ。ものすごく単純です。

ここでもYesと言う人とNoと言う人がいました。「きっとそうだ。検証してみよう」という肯定派と、「血管が成長するメカニズムはものすごく複雑だ。そんな単純なわけがない」という否定派です。後者は、単純化に対して、ものすごく抵抗がある人たち。だから、いろんな反応機構をスーパーコンピュータに入れてガーッと計算して…とやりたがるわけです。

現実は複雑。確かにその通りです。(数理科学的アプローチを採用する)こっちだって、そんなことは百も承知です。でも、そう言っていては、一生かかっても実社会の仕組みを解明することができません。頭の柔軟性を残すこと。これがとても大切なんです。

ちなみにこの数年後、その単純化をした研究者が正しかったことが卵細胞の血管ネットワークの研究で証明されたそうです。(p.22)

2013年6月20日木曜日

「ノー」という答えは受けつけない(アンディ・グローブ)

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インテルの歴代CEOで最高の人物といえば、アンディ・グローブでしょう。彼はハンガリー生まれのユダヤ人でしたが、冷戦下で東西対立がつづく時代に母国から逃亡し、アメリカに亡命しました。その顛末は自伝にも描かれていますが、今回は別の著者が書いた伝記『アンディ・グローブ』からご紹介します。この本は比較的新しく、邦訳は2008年に刊行されています。

国外への脱出について考えると、心配なことは山ほどあった。ちまたには噂が溢れ、噂が噂を呼ぶ有様だった。国境を無事に越えた人もいれば、第二次世界大戦中のジョルジュ・グローフ[アンディの父。アンディはのちにグローブに改姓]のように、忽然と姿を消した人もいた。「消える」のは望ましいとはいえない。二度と姿を現さないかもしれないからだ。

アンディがもしオーストリア国境を目指すなら、最終目的地はひとつしかなかった。「もちろんアメリカだ。共産党政権は『帝国主義に毒された、金儲けしか頭にない国』と呼ぶだろうけどね。彼らが軽蔑すればするほど、僕にはいっそうアメリカが好ましく思えてくる。アメリカは富と技術に満ちた神秘の国。自動車とハーシー・チョコレートで溢れているはずだ」

アンディは、かつて自分が「間抜け」呼ばわりしたマンツィに背中を押された。1956年にはアンディは年の離れたいとこを尊敬するようになっていた。彼女が人生でどのような経験をしてきたのか、理解できる年齢に達したのだ。「アウシュヴィッツからの生還者であるマンツィは、この世の地獄を目の当たりにしていた。いつでも冷静な彼女が、物事を針小棒大に語ることなどありえない」

12月初めのある午後、マンツィはアンディにこう語りかけた。「アンドリシュ。この国にとどまっていてはいけない。行きなさい、いますぐに」。ソ連軍が若者たちを問答無用で連行していた。彼らはすぐに消息不明になるのではないか、と心配されていた。にわかに、国内にとどまるのは海外逃亡を試みるのと同じくらい危険そうな雲行きになっていた。

このときもまたグローフ一家は果敢だった。行動すべきタイミングでは決然と動き、無駄な時間を過ごすことはなかった。「オーストリア国境を目指すべきだ」と家族3人で決めると、翌朝にはアンディはキラーイ通りのアパートを後にした。祖国ハンガリーの首都ブダペストにあるこのアパートは、アンディにとってただひとつの安息の場所だった。アンディはその晩、アパートに静かに別れを告げた。

(中略)

暗闇のなかを、ところどころで躓きながら進んでいく。犬が吠え、突如として夜空を閃光が走る。4人の学生たちは地面にひれ伏す。閃光が消え、あたりはふたたび一面の闇。男が現れ、ハンガリー語で「誰だ?」と探りを入れてくる。どうしてドイツ語ではなくハンガリー語なのだろう。男がつづける。「安心しろ、ここはオーストリアだ」。とうとう安全な場所にたどり着けたのだろうか……。

(中略)

逃避行の頼みの綱は、国際救済委員会(IRC)という組織だった。アンディがウィーンのIRC事務所を訪れると、職員たちは彼の英語力に驚いた。通訳を介さずに面談ができたのだ。ハンガリーでソ連軍と戦ったのかと尋ねられ、アンディは実際に戦ってはいないが、デモ行進には参加したと答えた。

(中略)

翌日届いた知らせにアンディは肩を落とした。IRCがアメリカへ移送すると決めたメンバーのなかに、アンディの名前はなかったのだ。「まるで胃のあたりを殴られた衝撃を受け、心臓が早鐘を打ちはじめた。何とか呼吸するのがやっとだった」。それでもアンディはくじけなかった。血相を変えてIRC事務所に駆けつけ、いつもの行列の先頭に割り込むと、嘆願を試みた。あまりの説得力に、IRCの職員たちはアンディの訴えを聞き入れ、アメリカ行きを認めた。「僕はうれしくて言葉もなかった」(上巻p.85)


余談です。インテルは1980年代に日本企業とのDRAM競争に負けて経営資源をロジック(CPU)へ集中させました。そのインテルとフラッシュメモリー分野で協業しているマイクロンは、エルピーダの買収をいよいよ完了しようとしています。初期のインテル社員にとっては感慨深いものでしょうね。

2013年6月12日水曜日

ニュートンは猫を飼っておった(物理学者 湯川秀樹)

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少し前に読んだ本『「湯川秀樹 物理講義」を読む』は、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんがおこなった3日間の特別講義を文字に起こしたものです。今回は印象に残った話題、既成の学問からなにかを学ぶときのもうひとつの視点、についてご紹介します。

しかし、うしろのほうを振り返ってみますと、そこに長い歴史というものがあります。この歴史というものは、すでに決まったものとして、誰がどうして、どういう理論が出来てきたかを学校で習う。そういう見方をしますと、それは皆決まっている、皆教科書に書いてあるじゃないかということになる。どの教科書を見まわしても、ちょっと表現の仕方が違っているだけで、本質的には何も違わんじゃないかということになる。早い話が、私たちも皆さんも、物理を勉強する手始めはニュートン力学であったわけです。その点、昔も今も変わらないですね。これは18世紀のいつごろからか、今日まであまり変わっていないだろうと思います。

そういうふうに見ますと、別に出発点は変わりないし、それから先もいろんな学問はちゃんと生きておりまして、なんとか学、なんとか学となっております。熱力学があったり、統計力学があったり、あるいは電磁気学があり、相対論もあれば量子力学もある。すべてこと決まっているように見えます。しかしそれらを創り出してきた人々について見ると、後人がそれから何を、どのように学び取ってきたか、何をくみ出してきたかということと、創り出した人がどういうふうに考えたかということとは違うんです。これをまったく同じだと思う人は試験勉強だけをしてきた人です〔笑〕。あるいはまた就職のために勉強してきた人です。本当に物理屋としてやっている人にとっては、それぞれが違うはずです。

私はこれから、私がどういうふうに、何を学び取っているかをお話するつもりですが、昔学び取ったこと、考えてきたこと、その同じことを現在になって考え直してみますと、また非常に違うわけです。そこにはもはや既成の事実しかないんだというふうに見るのは非常に表面的な見方ですね。(p.10)


問題解決の手法として、トヨタの「なぜなぜ」を5回繰り返すやりかたは有名です。偉大な先人がどのように考えたかという意味で、湯川博士も同様のことを指摘しているように感じられます。

もうひとつ。こちらはおまけで、ニュートンの逸話です。なお動物に対するニュートンの感情は、以前読んだ本でもとりあげられていました(過去記事)。

ニュートンも錬金術にはすごくこっていたんですよ。ニュートンがやったのは何かというと、光学の本を書きまして、それに力学、錬金術、そして神学の4つの部分に分けて考えられます。神学というのとはちょっと違いますが、つまり聖書年代学です。バイブルに書いてあることは全部本当である。その年代を明らかにする--そういう学問です。まあ、古代史みたいなものですね。残された文献から見ると、文献の数としてはそれほど多くないかもしれないが、しかし実際それに費やした時間は多分ほかのものよりも多いのです。

皆さん、非常におかしいとお思いになるでしょう。しかし、おかしいのはおかしくないんであって〔笑〕、もし彼が何か物理学者の理想像にぴったり当てはまって、それ以外の夾雑物[きょうざつぶつ]を持たない人であったとしたら、それは実在性がないということです〔笑〕。私は昔、ニュートンという人は実に実在感のない人だと思っていたんです。ニュートンとはどういう人かというと、年がら年じゅう勉強ばかりしている人だと思っていたんです。しかし、年がら年じゅう勉強ばかりしている人というのはどこにも存在していないのです〔笑〕。

私の小さいころに、ニュートンという偉い人について、いろんな本に書いてあった逸話が2つあります。一つはですね、彼、一生懸命に勉強しておってですね、お腹が空いてきたから、卵を鍋にほうりこんだところが、卵でなくて時計が茹で上がっていたという話です。つまり、われを忘れて勉強しておる。模範的な学者である〔笑〕。皆さんももっと勉強しろ、それくらいにならなきゃ偉くなれないぞという話です。もう一つの話も似ておりまして、彼は猫を飼っておった。猫が隣に行くのに、通路として塀に穴をあけておいてやった。その猫が赤ん坊を生んだら、子猫のためにもっと小さな穴をあけてやった、という話です。この2つの逸話は非常によく似ている。そのくらい迂闊でないと偉い学者になれない〔笑〕。(p.14)

2013年4月26日金曜日

町から馬糞が消え、清潔になる(ジャレド・ダイアモンド)

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少し前にご紹介したジャレド・ダイアモンドの『昨日までの世界』から、もうひとつ引用します。テクロノジーの進展に関する話題です。

私が紹介するひとつめのエピソードは、1902年生まれの大学教授で、私の指導教官だった人にまつわるものである。1956年にその教授が私に語ってくれたのは、教授の昔の記憶、つまり、移動手段が馬車から自動車へ変わっていくのを目にしたときの記憶である。その時代に、アメリカの都市部で成長した人々が感じていたことについて、その老齢の教授が自分の記憶にあることを私に教えてくれたのである。その当時、私の指導教官をはじめ、同年配の人々は、この移動手段の変化をおおいに歓迎したそうである。町から馬糞が消え、町が清潔になる、と思われたからだそうである。馬のひづめの騒々しい音も消え、町が静かになると思われたからだそうである。もちろん、車がもたらしたのは、清潔な町でもなければ、静かな町でもない、大気汚染と騒音の町だった、という事実を後知恵的に知っている、いまの時代のわれわれからみれば、当時の人々の発想が愚かに思える。しかし、われわれは、この老教授の記憶から、大きなメッセージを受け取ることもできるのである。それは、技術革新はつねに、当初期待されたメリットに加え、予想外の問題をももたらし得るということである。(上巻p.403)


こちらはおまけです。チャーリー・マンガーが推薦する著者らしい見解が述べられています。

さて、最後になったが、私の3つ目の提案は、加齢にともなう心身の変化、心身の強みと弱みの変化を理解し、いかにうまく活用するかにかかわる提案である。このように複雑で広範囲におよぶ変化について、きちんとした証拠も示さずに、十把一絡げ的な概括論を述べるリスクをあえて冒すが、傾向として、加齢とともに下降する心身の属性には、以下のようなものがある--熱意、競争心、体力および持久力、集中維持力、問題解決のための論理的思考の構築力(したがって、DNA構造や純粋数学理論にかかわる問題の研究は、40歳以下の学者に任せたほうがよい)。もちろん、心身の属性のなかには、加齢とともに向上するものもあり、それらは以下のようなものである--専門分野にかかわる知見や経験、人間や人間関係についての理解力、自分のエゴを抑えて他人を助ける力、多面的知識データベースが関与する複雑な問題の解決のための学際的思考の組み合わせ力などである(したがって、種の起源に関する研究、生物地理学的分布に関する研究、比較歴史学に関する研究などは、40歳以上の学者に任せたほうがよい)。(同p.404)


ジャレド・ダイアモンド氏とチャーリーはどちらもロサンゼルス在住なので、親交があるのかもしれませんね。

2013年4月21日日曜日

シカゴ大学をコケにした男(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講話『実用的な考え方を実際に考えてみると?』の最終回です。結びの余韻には、しびれました。前回分はこちらです(日本語は拙訳)。

現在の学術界一般が残念ながら盲目怠慢ぶりを呈しているにもかかわらず、教育機関の恥ずべき欠陥がやがて修正されるという望みは見出せるのでしょうか。大丈夫です、私は楽観的にみています。

たとえば、シカゴ大学経済学部の最近の動向をみてみましょう。この学部は10年間にわたって[俗に言う]ノーベル経済学賞をほぼ独占してきました。その多くは、人間は合理的であることを前提にした「自由市場」モデルを使って適切な予測を下した業績に対するものです。合理的人間という切り口で着実に成果をあげてきたこの学部は、つぎにどのような行動をとったと思いますか。

花形学者のそろった貴重な一画に、賢明で機知あふれるコーネル大の経済学者リチャード・セイラーを招聘したのです。これこそ我らの希望にかなうものでした。セイラーは、シカゴ大学で崇められているさまざまなことをコケにしていきました。私と同じようにセイラーも、人間は限度を超えて非合理になることがあると考えています。これは心理学によって予期できるものなので、ミクロ経済学では考慮に入れておくべきものです。

シカゴ大学はそのような手段を通じてダーウィンを模倣しています。ダーウィンは長き人生の大半を逆に考えること、すなわち苦心して得たこよなく愛する自らのアイデアを反証することに費やしました。最高の価値を保持せんと、彼のように逆から考える一群が学術界にもあるわけです。ですから、お粗末な教育上の実践がやがてよりよきものに取って代わられる可能性は十分にあります。これはカール・ヤコビが予期していたそのものかもしれません。

そのようなダーウィン主義者のやりかたは、いかにわずらわしくても客観視する姿勢を常としているので、力強く前進していくでしょう。ですから、この希望はいずれ実現すると思います。この上なく重要な人物アインシュタインは、かつて言っています。業績を果たす根幹となったもののひとつが「自己批判」だったと。これと並ぶ残りの3つは、「好奇心」「集中」「根気強さ」です。

「自己批判」がいかに強力かをさらに称揚するために、学卒でおわった月並みな才能のチャールズ・ダーウィンがどこに葬られているか思い出してみましょう。ウェストミンスター寺院はアイザック・ニュートンの墓石の、ちょうどとなりです。ニュートンこそ、他に比類なき才能を授かった学究でした。彼の墓石にはラテン語の八つの単語で口を極めた称賛が刻まれています。「アイザック・ニュートン、ここに眠る」(Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni)。

ダーウィンの亡きがらをそのように葬る文明ならば、やがては心理学を適切かつ実践的な形で発展統合させて、様々な技能を大きく伸ばすことでしょう。微力かつ愚鈍なる我々としては、その歩みが遅滞しないようにただ手助けすべきです。障害は数多くあります。重要な位置に就くさまざまな人が、コカ・コーラのように成功をおさめている普遍的な製品のことを適切に理解できなかったり説明できないようであれば、それ以外の重要なもろもろに対しても我々はうまく立ち向かえないでしょう。

私がグロッツさんへ説明したのと同じように考えた末に10パーセントを投資し、純資産の50%がコカ・コーラ株になった人がおられるならば、心理学の面で私が話したことは基本的すぎて役に立たないかもしれません。そうでしたら、無視してくださってかまいません。しかし、他のみなさんもそうするのが賢明だとは申し上げられません。この状況は私が気にいっている昔の広告の文句を思い起こさせるので、ここにご紹介して話の結びとします。ワーナー・スウェージー社のものです。「新しい工作機械をお望みなのに未だ購入されていないお客様は、すでに対価をお支払いになっていらっしゃいます」。

Even though this regrettable blindness and lassitude is now the normal academic result, are there exceptions providing hope that disgraceful shortcomings of the education establishment will eventually be corrected? Here, my answer is a very optimistic yes.

For instance, consider the recent behavior of the economics department of the University of Chicago. Over the last decade, this department has enjoyed a near monopoly of the Nobel prizes in economics, largely by getting good predictions out of “free market” models postulating man's rationality. And what is the reaction of this department after winning so steadily with its rational-man approach?

Well, it has just invited into a precious slot amid its company of greats a wise and witty Cornell economist, Richard Thaler. And it has done this because Thaler pokes fun at much that is holy at the University of Chicago. Indeed, Thaler believes, with me, that people are often massively irrational in ways predicted by psychology that must be taken into account in microeconomics.

In so behaving, the University of Chicago is imitating Darwin, who spent much of his long life thinking in reverse as he tried to disprove his own hardest-won and best-loved ideas. And so long as there are parts of academia that keep alive its best values by thinking in reverse like Darwin, we can confidently expect that silly educational practice will eventually be replaced by better ones, exactly as Carl Jacobi might have predicted.

This will happen because the Darwinian approach, with its habitual objectivity taken on as a sort of hair shirt, is a mighty approach, indeed. No less a figure than Einstein said that one of the four causes of his achievement was self-criticism, ranking right up there alongside curiosity, concentration, and perseverance.

And, to further appreciate the power of self-criticism, consider where lies the grave of that very “ungifted” undergraduate, Charles Darwin. It is in Westminster Abbey, right next to the headstone of Isaac Newton, perhaps the most gifted student who ever lived, honored on that headstone in eight Latin words constituting the most eloquent praise in all graveyard print: “Hic depositum est, quod mortale fuit Isaaci Newtoni” - “Here lies that which was mortal of Isaac Newton.”

A civilization that so places a dead Darwin will eventually develop and integrate psychology in a proper and practical fashion that greatly increases skills of all sorts. But all of us who have dollops of power and see the light should help the process along. There is a lot at stake. If, in many high places, a universal product as successful as Coca-Cola is not properly understand and explained, it can't bode well for our competency in dealing with much else that is important.

Of course, those of you with fifty percent of net worth in Coca-Cola stock, occurring because you tried to so invest ten percent after thinking like I did in making my pitch to Glotz, can ignore my message about psychology as too elementary for useful transmission to you. But I am not so sure that this reaction is wise for the rest of you. The situation reminds me of the old-time Warner & Swasey ad that was a favorite of mine: “The company that needs a new machine tool, and hasn't bought t, is already paying for it.”


文中に登場するリチャード・セイラーの本はいくつか翻訳が出ていますね。『実践 行動経済学』は私も読みましたが、それなりに楽しめた一冊です。

なおご参考までに、ダーウィンとニュートンの墓石の位置は実際には隣接していないとの情報がありました。

The Burial of Charles Darwin (AboutDarwin.com)

2013年4月19日金曜日

建設的なパラノイア(ジャレド・ダイアモンド)

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少し前の本ですが、チャーリー・マンガーが推薦する本に『銃・病原菌・鉄』という作品があります。新たな歴史観を示してくれた意欲作として日本でも広く読まれたものと思います。著者ジャレド・ダイアモンド氏の著作動向を気にとめていたところ、今年になって新作『昨日までの世界』が翻訳されていたので一読しました。パプアニューギニアでのフィールドワークの成果をもとに書かれているせいか、でだしの3章ほどはスローペースに感じられ、読み進めるのにやや難儀しました。しかし第4章や5章あたりからエンジンがかかり、結末まで興味深く読めました。今回は同書から、ニューギニア人のような人々から学べるリスク管理の話題をご紹介します。

ニューギニアへ野外観察にいきはじめた当初、私はまだ未熟だった。警戒心や注意力といったものもまだまだ不十分で、自分がおかれた自然界の状況に十分な注意が払えないような研究者だった。そんなあるとき、私はニューギニアの密林の奥地で、鳥類調査のために現地人たちと1か月間を過ごしたことがある。最初の1週間で低地における調査を終え、つぎにもっと高地に生息する鳥類が調べたくなった。そこで、ベースキャンプを数千フィート、山の上の場所に移動することに決めた。私たち一行は山を登っていき、やがて翌1週間滞在するベースキャンプを張る場所を、高い木の茂る森のなかにある場所に決めた。そこは、尾根がなだらかに下降している先の、平らに開けた空き地で、周囲を歩きながら野鳥を観察するにはもってこいの場所だった。近くに渓流もあり、遠くまで水を汲みにいかなくても必要な水が確保できる地形だった。キャンプを設営することに決めた場所は急な崖の縁で、視界も開け、谷底から舞い上がってくるタカやアマツバメ、オウムを観察することができた。しかも、その土地の片隅には、みごとな巨木がそそり立っていた。私は、こんな美しい環境で1週間も過ごせるのだという思いに胸がふくらみ、ニューギニア人の助手たちにつぎのように告げた。あの巨木の苔むした幹の脇のところにテントを張ることに決めたので、準備にとりかかってください。

私のこのひと言に対する彼らの反応はまさに驚きだった。彼らが、私の頼みにほんとうにひどく動揺し、あの巨木の幹の脇で寝るのは嫌だといったからである。彼らの言い分はつぎのようなものだった。あの巨木はすでに枯れて、死んでいる。だから、われわれがテントで夜、眠り込んでいるあいだにわれわれの上に倒れ込んできて、われわれを殺すかもしれない。たしかに、彼らのいうとおり、巨木はすでに枯れていた。しかし私は、彼らの大げさな物言いにびっくりして、とっさに反論した。

「たしかに、この木は巨木だが、幹はまだしっかりしている。ぐらついてもいない。腐ってないんだから、風で倒れるようなことはまずない。いずれにしても、風なんか吹いていない。この木が倒れるとしても、それはまだ何年も先の話だ!」だが、私の言葉もむだだった。ニューギニア人たちがおびえきっていたからである。そして、あの木の真下のテントで眠るくらいなら、夜空の真下で野宿するほうがましだ。あの巨木が倒れ込んできてもつぶされることのない、あの木の根元から離れた場所で、吹きさらしの地べたの上で眠るほうがましだ、と主張したのである。

そのとき私は、彼らの怖がりようは大げさで、ほとんど被害妄想だと思った。ところが、それはそうでもなかった。その後、数か月つづいたニューギニアの森での観察活動のあいだ、木が倒れる音を耳にしない日が1日としてなかったからである。木が倒れてきて、下敷きになって死んだニューギニア人の話を、いくつも聞かされたからである。そして、ニューギニア人が森のなかで野営することが多々ある人々である、ということを思い出したからである--おそらく、1年に100日は野営しているだろうから、40年の人生のあいだに、4000日は野営している計算になる。そして私は、この計算でピンときたのである。例えば、1000回に1回しか死なないようなことでも、年100回それをおこなうような生活をしていれば、10年以内に死んでしまう確率が高いのである。ニューギニアの平均寿命40歳をまっとうできないということだ。もちろん、この危険があるからといって、ニューギニア人は森の奥へいくことをやめたりはしないが、細心の注意を払うのである。枯れた巨木の根元で眠らないようにして、木の下敷きになって死ぬ危険を事前に回避しているのである。この意味において、私の助手のニューギニア人たちの被害妄想は理にかなっていた。私は、この種の被害妄想は「建設的なパラノイア」であると思う。

(中略)

私がニューギニア人から学んだもののうちで、建設的なパラノイアほど心に残ったものはない。建設的なパラノイアはニューギニア人のあいだでは一般的である。また、世界各地の伝統的社会においても、観察例が数多く報告されている。被害リスクの生起頻度が低い行為であっても、その行為を頻繁におこなうのであれば、リスクを冒して若死にしないように用心すべきなのである。あるいは、若くして手足を不自由にしないように、つねに細心の注意を払うべきなのである。ちなみに私は、アメリカでの生活においても、リスクは低くても、頻繁におこなう行為への対処法としてこれを応用している。そのような行為とは、たとえば、車の運転である。濡れると滑る浴室でシャワーを浴びたり、脚立に上がって照明の電球を交換したり、階段を上り下りしたり、つるつると滑る歩道を歩いたりすることも、1回あたりのリスクは低いが、生活のなかで頻度の高い行為であり、用心深く対応することに越したことはない。そんな私の用心深さにあきれかえってしまう人も、私のアメリカ人の友人のなかにはいる。しかし、私と同じ考えを持つ西洋人の友人も3人いて、彼らもまた低リスク高頻度の事象を相手にする自身の経験や職業のおかげで、用心深いのは被害妄想でもなんでもないことがわかっている人たちであり、建設的なパラノイアが生き延びるための知恵であるということがわかっている人たちなのである。その3人のうちひとりは小型航空機を操縦していた友人であり、もうひとりはロンドンの街中で非武装パトロールをしていた警察官の友人であり、最後のひとりはゴムボートに乗る釣りガイドをしていた友人である。彼らは、そうした仕事や活動をつづけるなかで、不用心が原因で落命した友人たちを目にした経験から、建設的なパラノイアの重要性を学んだのである。(下巻p.12)

2013年3月11日月曜日

ニュートンとバブル

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バブルの本家といえば、18世紀のイングランドでおきた南海泡沫事件です。その騒ぎの中で科学者アイザック・ニュートンも投機に失敗したとされる話は、よく知られているかと思います。今回ご紹介するのは最近読んだ本『ニュートンと贋金づくり』からで、ニュートンが具体的にどれぐらい損をしたのか描かれた箇所です。

1720年1月、噂の流布からバブルが始まった。出どころは、市場のご他聞に洩れず社内の消息筋で、南海会社の株価が上がりそうだという内容だった。エクスチェンジ・アレイが、それにしっかりと食いついた。南海会社の株価は1か月で128ポンドから175ポンドに上昇し、同社がさらに国債を引き受けると発表されると、3月末には330ポンドに跳ね上がった。

だが、それはまだほんの序章だった。あぶく銭が簡単に手に入るという感覚が、投機ブームを煽った。5月には、株価は550ポンドとなり、その1か月後には、夏に10パーセントの配当が出るという告知によって1,050ポンドに達した。

しかしその後、株価はあっけなく暴落した。初めはともかくも、終わりの頃には南海会社はネズミ講同然で、後から投資した者の金に報酬がついて先に投資した者の利益になるという、できすぎた仕組みになっていた。やがて新しく投資する者がいなくなり、その仕組みは破綻した。同社の株価は7月に下落し始め、8月にはまだ800ポンドの値を保っていたものの、その後急落した。そして、1か月もたたないうちに175ポンドとなり、わずか数週間前には絶対に枯れるはずがなさそうに見えた金の成る木に飛びついていた大勢の投資家が、ほぼ完全に姿を消した。

その最後に飛び乗り、最初に打撃をこうむった投資家の一人が、アイザック・ニュートンだった。彼は、そもそも初期に南海会社に投資した、理論上は最も傷の少ない投資家だった。記録を見ると、1713年頃には彼の所有財産のなかに同社の株式がかなり含まれているが、その一部は1720年4月の株価上昇の折に首尾よく売っている。だが、同社の株価がその後も上昇を続けたため、元手をさらに膨らませようとする大胆なプレーヤーのように機を待ったニュートンは、2度目の賭けに出た。6月、株価が最高値を記録した頃、彼は取次ぎ業者に指示して、1,000ポンド分の株を購入した。そして1か月後、株価が下落し始めたときにも、さらに買い足した。その後の暴落によって、彼は2万ポンドにおよぶ損失を被ったと、姪のキャサリン・コンデュイットは記している。彼の造幣局監事の基本給に換算すると、およそ40年分の額だった。(p.264)


損失は間違いなく身に堪えていたものの、ニュートンの全財産が泡と消えたわけではなかった。東インド会社の大株主の一人であることに変わりはなく、1万1000ポンドという同社への投資は、1724年当時としては非常に安定した事業だといえた。また、彼の所有する不動産の評価額はその数年後に最高値となり、リンカンシャーの所有地を除いても3万2000ポンドであった。つまり、彼はどこから見ても、やはり裕福な男だった。しかし、最悪の失敗の記憶は彼を苛み、自分に聞こえるところで誰かが南海会社の話をするのを嫌がったといわれている。彼がそれほどいら立ったのは、大損をしたせいだけではないかもしれない。理性にかけるただの愚か者と同じように、自分もだまされたと思えて腹立たしかったのではないだろうか。投機熱が最高潮に達していた頃の南海会社株の魅力的な値上がりに関する話が出たとき、彼はラドナー卿に「大衆の熱狂を計算することはできない」と言ったという。

後悔はしていたにせよ、友人たちの記憶にあるニュートンの晩年は、おおむね満ち足りていて、知的で獰猛なファイターであった若かりし日よりも、ずっと温和になっていた。裕福であったにもかかわらず暮らしぶりは控えめで、朝食にはバターを塗ったパンを食べ、ワインを飲むのは夕食時だけだった。彼の姪によれば、彼は動物に辛くあたるのを嫌い、古くからの友人を大切にし、かつてはよそよそしく他人行儀だったものの、親戚の者たちに対して家長らしい振る舞いを見せるようになった。結婚式には必ず出席し、「いつもの生真面目さはどこかにしまって、自由に、楽しげに、くつろいでいた」。しかも、家族にとってはさらに嬉しいことに、「彼はたいてい、花嫁には100ポンドを贈り、花婿には商売や仕事の面倒を見てやった」。(p.265)


「彼は2万ポンドにおよぶ損失を被った」とありますが、当時の1ポンドが現在の日本円で25,000円の価値とすると、5億円に相当する損失になります。なおイギリスポンドのインフレ換算は、以下のサイトをお借りして計算しました(1751年までさかのぼれます)。

Historical UK Inflation And Price Conversion

2013年2月13日水曜日

チェーンソーでバターを切る(エイモリー・B・ロビンス)

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エネルギー問題に正面からとりくんだ意欲作『新しい火の創造』を読み終えました。エネルギーや気候問題となると悲観的な予測がつきものです。しかし本書の著者は、あくまでも人間の知恵を頼りに総力戦で立ち向かうことで、希望のある未来を手にできる可能性を示しています。具体的には、エネルギー利用効率を大幅に改善させ、一方で再生可能エネルギーへの移行を政策面から推進するために、多岐にわたる手段やアプローチを提案しています。安全余裕をとりたいために、個人的にはものごとを悲観的にみることが多いのですが、著者の前向きな姿勢には随所で励まされました。本書で描いたシナリオのような楽観的な世界がそのまま実現するとは、著者自身も考えてはいないでしょう。ですが、それを承知で書き物にし、実現可能性の裏をとり、各界に働きかけていく行動力には、すなおに拍手をおくりたくなります。アメリカという国の、健全で壮健な一面をみせてくれる著作です。

本書には印象に残る文章がいくつもありますが、今回は株式投資の観点で直接参考になりそうな箇所を引用します。第4章「工業」からです。

ダウケミカル社は、数百トンものプラスチックから太陽電池の屋根用パネルまでの全てを製造するのに、途方もない量のエネルギーを使う。巨大な原子力発電所まるまる3基分に相当する3.7ギガワット(370万キロワット)を超える電力を必要とするのだ。これは、オランダが使う量を超えるほどの石油を燃やす。その結果として、効率を僅かでも向上させるだけで、最終利益に大きなプラスが出てくる。そこで、ダウ社はエネルギー消費削減策を執拗に追い求めている。同社は、テキサス州フリーポートにあるエチレン炉を取り替えたり、精製設備を効率の高いものにするという簡単なものや、アントワープでプロピレンオキサイド(ポリウレタン樹脂の原料)製造プロセスに、エネルギー消費が35%少ないまったく新しいプロセスを開発するという複雑なことを実施している。

数千件に上るこのようなプロジェクトを経て、ダウ社は1990年と2005年の間で、そのプロセスのエネルギー強度を38%引き下げ、効率と利益をともに押し上げている。同社は、1994年と2010年の間で、10億ドルを要したエネルギー効率向上策によって94億ドルを削減できたと計算している。2008年にエネルギー価格が急騰した時に、ダウ社は、効率のもっと低い競争相手に対して決定的なコスト優位性を示したのだった。

実のところ、エネルギー効率がダウ社にとってこれほど優れた事業戦略であることが実証されたため、さらに効率を上げようと懸命である。現在2015年までにエネルギー強度をさらに25%引き下げることを狙っているのだ。そして、2011年2月に、幹部は効率向上に向けた新しい活動をいくつも実施するのに、1億ドルを投資すると発表した。この投資プロジェクトは、並外れた財務的リターンをもたらしてくれると、ダウ社のエネルギーと気候変動担当副社長であるダグ・メイは述べている。

エネルギー効率に焦点を当てているのはダウ社に限ったものではない。もう一つのパイオニアは製造コングロマリットであるユナイテッド・テクノロジー社だ。エネルギー消費に狙いを定めて、2003年と2007年の間で、会社全体でのエネルギー強度を45%、2006年と2010年の間の地球温暖化ガス排出を62%切り下げている。その一方で、販売量は13%伸び、1株当たりの収益は28%上がり、1株当たりの配当は67%上昇した。また、保護フィルムやポストイット付箋など、全てにわたるイノベーターである3Mを検討してみよう。同社は、エネルギー効率を大きく改善したチームを認定するプログラムを開発することで、効率を22%上げ、2005年から2009年の間に1億ドルを超えるコスト削減を実現した。

とは言うものの、これと同じ期間に、3Mは200億ドルを超える累積利益を計上しており、それからすると、同社のエネルギー効率化プロジェクトはまだ総投資額のほんの一部(約0.1%)でしかない。このギャップが示唆しているのは、3Mは効率向上機会の表面をちょっとこすっただけだということだ。しかし、3Mをはじめとする他の多くの起業家精神豊かな会社は、効率化の追求を急速に深めつつあり、エネルギーの削減量を増やすだけでなく、さらにもっと効率を上げる新技術を開発販売できることに気づき始めている。(p.283)


米国の経済社会では、ほんの13%ほどのエネルギー効率しかなく、世界の経済社会では大体10%ほどしかない。現在もっともエネルギー効率が高い工業プロセスですら、理論的に必要なエネルギーの2-3倍は消費している。従って、エネルギー節減の潜在可能量は、巨大なものとなる。

工業部門はなぜ理論的に必要なものよりもこのように大きなエネルギーを使うのだろうか。必要なものより高い温度や圧力で稼働させているからだ。低品質のエネルギーで十分間に合う時に高度な品質のエネルギーを使う--量的には100%使うが質的には6%だけになる--ため、ある建築家が表現したように、まるで"チェーンソーでバターを切るようなものだ"。多くのプロセスで同様なことが行われている工場がほとんどである。(p.309)


こちらはおまけです。第5章「電力」からの引用です。

よく引用される統計によると、90マイル四方の広さがあって、太陽電池パネルなり太陽光集光設備でそこを覆うとすれば、米国がいま必要としている年間総電力量を発電できるという。だが、それは全体の話の一面にすぎない。国立再生可能エネルギー研究所(NREL)と米国エネルギー省による研究では、米国は、豊かで地域的に広く分布した風力、バイオマス、水力、太陽、地熱に恵まれている。設備が置けて、そこそこの風が吹くところでの陸上風力発電だけで、米国が2010年に消費した電力の9.5倍を発電できる。全部合わせると、このような再生可能エネルギー資源は、現時点で商用化されている技術を使って、年に7万5000TWhの発電をする力がある。これは全米で2010年に消費された電力の20倍に相当する。(p.390)


文中にでてきた研究の報告書と思われるファイルが、Web上に公開されていました。

20% Wind Energy by 2030 (米国エネルギー省 国立再生可能エネルギー研究所)
(2030年までにエネルギー供給の20%を風力発電でまかなうシナリオの研究報告)

2013年1月11日金曜日

企業戦略を成功に導くには(ルイス・ガースナー)

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いまさらですが、IBM再生の立役者ルイス・ガースナーの自伝『巨象も踊る』を読んでいます。少し前の投稿で、低迷した企業が復活できる例をウォーレン・バフェットが挙げていますが、当社の場合は「ど真ん中」の本業が苦しんだことから、ウォーレンの事例とは異なる部類だと捉えています。

経営者に関する本はたまに手に取りますが、かざらない文章にひきこまれました。本書には印象に残る文章がいろいろありますが、「こういうのを待っていた」ともっとも感じたものを、今回はご紹介します。世の経営者に対してだけでなく、自分自身の日常を叱咤するようにも聞こえました。

実行能力、つまり物事をやりとげ、実現する能力は、すぐれた経営者の能力のなかで、もっとも評価されていない部分だ。わたしは経営コンサルタントだったころ、数多くの企業の数多くの戦略の策定に加わった。ここで、経営コンサルタント業界の小さな暗い秘密をお教えしよう。ある企業のために独自の戦略を策定するのは極端にむずかしいし、業界の他社の動きとはまったく違う戦略を策定した場合、それはおそらくきわめてリスクの高いものなのだ。その理由はこうだ。どの業界も経済モデル、顧客が表明する期待、競争構造によって枠組みが決まっており、これらの要因は周知のことだし、短期間に変えることはできない。

したがって、独自の戦略を開発するのはきわめてむずかしいし、開発できたとしても、それを他社に真似されないようにするのはさらにむずかしい。たしかに、コスト構造や特許で、他社の追随を許さない強みをもつ企業がないわけではない。ブランド力も競争上の強力な武器になり、競合他社はこの面で業界のリーダーに追いつこうと必死になっている。しかし、これらの優位が他社にとって永遠に越えられない壁になることはめったにない。

結局のところ、どの競争相手も基本的におなじ武器で戦っていることが多い。ほとんどの業界で、業績向上の原動力になる要因、成功をもたらす要因を5つから6つ指摘できる。たとえば、小売り業界でマーチャンダイジング、ブランド・イメージ、不動産コストが決定的な要因であることはだれでも知っている。この業界で成功するための新たな道筋を見つけ出すのは、不可能ではないまでも、きわめてむずかしい。ドット・コム小売り企業の華々しい失敗は、業界の基礎的要因を棚上げにできないことを示す好例である。

したがって実行こそが、成功に導く戦略のなかで決定的な部分なのだ。やり遂げること、正しくやりとげること、競争相手よりうまくやりとげることが、将来の新しいビジョンを夢想するより、はるかに重要である。

世界の偉大な企業はいずれも、日々の実行で競争相手に差をつけている。市場で、工場で、物流で、在庫管理で、その他もろもろのすべての点で差をつけている。偉大な企業が競争相手との激闘を避けられるほど、真似のできない強みをもっているケースはめったにない。(p.302)


もうひとつ、こちらはおまけです。RJRナビスコの経営者だったルーがIBMに移ることが決まって、勤務前に同社の会議に出席したときの追憶です。

大きな会議室に案内されて、本社経営会議に出席した。本社の経営幹部が50人ほど集まっていた。女性が何を着ていたかは覚えていないが、会議に出席していた男性が全員、白いシャツを着ていたのが印象的だった。例外がひとりいた。わたしだけ、ブルーのシャツを着ていた。IBMの経営幹部としては、常識を大きく逸脱する服装だったのだ。(何週間か経って、同じ会議があった。わたしだけが白いシャツで、他の全員が色物のシャツだった)。(p.39)

2012年12月26日水曜日

自信を持つなど言語道断である(心理学者ダニエル・カーネマン)

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以前とりあげた心理学者ダニエル・カーネマンの新刊『ファスト&スロー』が翻訳されていました。過去記事では、題名の訳を『ぱっと考える、じっくり考える』としてご紹介したものです。現在は上巻を読み終えた段階ですが、内容の充実ぶりに圧倒されています。一般向けの心理学の本は少しずつ読むようにしていますが、本書はチャーリー・マンガーの推薦書『影響力の武器』にならぶバイブル級の一冊になると思います。

重要な意思決定をしなければならない人にとって、参考になるところが多い作品です。投資家のみなさんにも、一読されることを強くおすすめします。

今回は同書から、自信や信念に関する話題を引用します。

あなたはどうしても、手持ちの限られた情報を過大評価し、ほかに知っておくべきことはないと考えてしまう。そして手元の情報だけで考えうる最善のストーリーを組み立て、それが心地よい筋書きであれば、すっかり信じ込む。逆説的に聞こえるが、知っていることが少なく、パズルにはめ込むピースが少ないときほど、つじつまの合ったストーリーをこしらえやすい。世界は必ず筋道が通っているという心楽しい信念は、盤石の土台に支えられている。その土台とは、自分の無知を棚に上げることにかけて私たちはほとんど無限の能力を備えている、という事実である。(p.293)


システム1[瞬発的に判断する機能]は、ごくわずかな情報から結論に飛躍し、しかも飛躍の幅がどの程度かがわからないようにできている。「見たものがすべて」なので、手元にある情報しか問題にしない。それに基づく結論のつじつまが合っていさえすれば、自信が生まれる。私たちが自分の意見に対して抱く主観的な自信は、システム1とシステム2[熟考する機能]がこしらえ上げたストーリーの一貫性に裏付けられているのである。情報は少ないほうがつじつま合わせをしやすいので、情報の量と質はほとんど考慮されない。私たちは、人生で信じていることのうち最も重要ないくつかについては、何の証拠も持ち合わせていない。ただ愛する人や信頼する人がそう信じている、ということだけが拠りどころになっている。自信を持つことはたしかに大切ではあるが、私たちが知っていることがいかに少ないかを考えたら、自分の意見に自信を持つなど言語道断といわねばならない。(p.304)


自信は感覚であり、自信があるのは、情報に整合性があって情報処理が認知的に容易であるからにすぎない。必要なのは、不確実性の存在を認め、重大に受け止めることである。自信を高らかに表明するのは、頭の中でつじつまの合うストーリーを作りました、と宣言するのと同じことであって、そのストーリーが真実だということにはならない。(p.309)


蛇足ですが、字数が多くてうれしいと感じた本は久しぶりでした。

2012年12月12日水曜日

ほんまはこいつ賢いんちゃうか(山中伸弥教授)

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ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の聞き語りが新刊で出ていたので、読んでみました。『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』という本です。そのなかで「逆から考える」好例が語られていたので、ご紹介します。

僕らはこの24個の中に、確信するほどではないものの、初期化に必要な遺伝子があるかもしれないと予想していました。そこで24個を1個ずつ、レトロウイルスという遺伝子の運び手を使って、皮膚の細胞(正確には繊維芽細胞)に送りこんでみました。しかし、皮膚の細胞は初期化せず、ES細胞のような細胞はできませんでした。途方に暮れていたところ、ぼくと一緒に奈良先端大から京大に移ってくれた高橋君が驚くべき提案をしました。

「まあ、先生、とりあえず24個いっぺんに入れてみますから」

これがなぜ驚くべきことかというと、遺伝子を外から細胞に送りこんでも、ちゃんとその細胞が取り込んでくれる確率はそんなに高くなく、だいたい数千個のうち1個くらいの割合です。もし遺伝子2個同時であれば取りこまれる確率はもっと低くなる。まして24個なんてできるはずがない。そう考えるのがふつうの生物学研究者です。その点、もともと工学部出身の高橋君はふつうの生物学研究者にはできない発想ができたのだと思います。

実際に24個すべて入れたところ、なんとES細胞に似たものができました。(p.113)


わたしだったら、頭ごなしに確率的に考えてしまい、このような柔軟な発想はできないと思います。24個いっぺんに入れることで、予期せぬ相互作用が生じたのでしょうか。ビジネスの世界では「やってみなけりゃわからない」という言葉をきくことが多いですが、複雑な状況が手詰まりのときには実は有効な選択肢なのかもしれませんね。

そしてもうひとつ、工学部出身にふさわしい秀逸なアイデアが続きます。

24個の中に初期化因子があることは間違いありませんでした。しかし、その中の1個だけではないことも明らかでした。それでは2個か。しかし24個から2個を選ぶ組み合わせの数は24 * 23 ÷ 2で276通りもある。もし3個なら、24 * 23 * 22 ÷ 6で2024通り。こんなにたくさん実験できません。そう考えあぐねていたところ、またしても高橋君が驚くべき提案をしてくれたのです。

「そんなに考えないで、1個ずつ除いていったらええんやないですか」

これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました。24個から1番目の遺伝子を抜いて23個を入れる、次に2番目の遺伝子を抜いた23個を入れるという具合に、1個ずつ抜いていきます。もし本当に重要な遺伝子なら1個欠けても初期化できなくなってしまう。まさにコロンブスの卵のような発想でした。まあ、ぼくも一晩考えれば思いついていたとは思いますが。(p.114)


組合せの回数を減らす取り組みとしては、品質工学(タグチ・メソッド)がよく知られていますが、この高橋さんのアイデアも美しいまでに実学的ですね。個人的な経験を振り返ってみれば、こういうアイデアはいったん頭を冷やした後や第三者からだと出やすいものと感じています。

ところで、新聞を読まないこともあって、山中教授の人となりを知りませんでした。が、本書を読んだかぎりでは、いい意味で普通のおじさんらしい印象を受けました。それほど歳がいっていないせいでしょうか、まだ大きな仕事が残っているとの強い意気込みが感じられる方です。

2012年12月8日土曜日

絶対に負けないはずだった(ハワード・マークス)

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ファンド・マネージャーのハワード・マークスを過去記事「投資の世界で生き残る公式」でとりあげましたが、コメント欄でisさんが彼の著作が翻訳されていることを教えてくださいました。その『投資で一番大切な20の教え』を読了しました。書かれている内容はオーソドックスですんなりと受けとめられるものばかりですが、重要なのは、投資業界の生存競争に生き残り、現時点で預かり資産800億ドル(日本円で6兆円超)の実績をあげている彼によって書かれたことでしょう。

今回ご紹介するのは、「リスク」を話題にした章であげられた逸話のひとつです。

「最悪の場合の」予測という言葉を何かと耳にするが、実際に起きた状況はそれよりもっと悪かったということがしばしばある。父からよく聞いた話を紹介しよう。いつも負けてばかりのギャンブラーがいた。ある日、馬が一頭しか出場しない競馬のことを知り、借金をつぎ込んでその馬に賭けた。しかし、馬はコースを半周したところでフェンスを越えて逃げてしまった。(p.88)

2012年10月2日火曜日

怒涛が押し寄せる音が聞こえた(ダム決壊の日)

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最近読んだ本『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?』で興味深い話がいくつか取り上げられていたので、ご紹介します。今回は物理学で登場する概念「臨界」についてです。

作家のジェイムズ・サーバーは、『ダム決壊の日』という自伝的な文章を書いているが、そこに描かれたような連鎖反応からも、そういう結果が生じることがある。きっかけは、一人の住民が逃げているのが目撃されたことだった。たったそれだけのことによって、心配するようなことはないと何度も念を押されたにもかかわらず、オハイオ州コロンバス東部の住民全員がありもしない津波から逃げ出したのである。サーバー一家もその脱出組の中にいた。「最初の半マイルのうちに、町の住民のほとんど全員が追い越していった」とサーバーは言う。パニックに陥ったある人は、背後から「怒涛が押し寄せる」音を聞きさえしたそうだ。だが、結局それはローラースケートの音だった。

パニックが起きたのは、最初に逃げた人を見て何人かの住民が逃げ始め、今度はその住民が、さらにまた何人かが逃げる元になり……、ということが繰り返されたからだ。この過程は住民全員が逃げ出すまで続いたのである。原子爆弾の内部でもこれと同じ過程が進行する。原子爆弾では、まずある原子核が崩壊して、近くの原子核を何個か分裂させるだけのエネルギーをもった高エネルギーの中性子を放出する。それが他の原子核を分裂させ、分裂した原子核がそれぞれまたさらに何個かを分裂させるだけの中性子を生む。こうして次々とドミノが倒れて、中性子の数と放出されたエネルギーの量が指数関数的に増大すると、大爆発となるのである。(p.28)


「臨界」については、以下の過去記事でも取り上げています。
なお、たしかに本書では群れに関する話題が登場しますが、全体的な内容としては副題「群知能と意思決定の科学」のほうが適切な表現かと思います。群れ以外の話題もいろいろ登場します。

2012年9月12日水曜日

ROICを分解して競争優位性をさぐる

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前回取り上げたルー・シンプソンの発言「資本収益率をチェックすると、実にいろいろなことがわかる」に導かれて、何かよい勉強材料はないかとさがしたところ、『企業価値評価』という本に出会いました。最新である第5版の翻訳は刊行されたばかりですが、わたしが手にとっているのはひとつ前の『第4版』のほうです。

題名のとおり本書では、企業の価値がいくらなのか定量的に見積る方法論が紹介されています。マッキンゼーのメンバーが書いた本なので、最終的なねらいはクライアント企業の株価を上げることのように思われます。しかし内容はオーソドックスで、投資家にとっても参考になるものです。

今回ご紹介するのは、ROIC(Return On Invested Capital; 本書の訳は「投下資産利益率」)を分解した図です。例としてとりあげられた2社のROICは少なからず離れていますが、ROICをより細かな要素に分解することで、どのような要因によって差が生まれたのか浮き上がらせています。具体的にはホームセンター大手のホームデポとロウズの2社を比較し、「有形固定資産/売上高」の差異が大きいことを示しています。

ROICツリー
(出典: 『企業価値評価 第4版』 p.218)

2012年9月10日月曜日

一冊のノートと、ささやかな習慣(シメオン・ドニ・ポアソン)

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今回は、やや一般的な話題です。『バースト! 人間行動を支配するパターン』という本を最近読みましたが、ものごとの優先順位付けについて興味をひいた一節があったのでご紹介します。

ポアソン分布。ポアソン過程。ポアソン方程式。ポアソン核。ポアソン回帰。ポアソン和公式。ポアソン点。ポアソン比。ポアソン括弧。オイラー=ポアソン=ダルブー方程式。これは全体のほんの一部だが、それだけでも、シメオン=ドニ・ポアソンの研究がいかに科学のあらゆる分野に影響を及ぼしたかがわかるだろう。しかし驚くべきは、彼の貢献の量ではなく、その深さだ。そこで、どうしてもこんな疑問が浮かんでくる。いったいポアソンはどうやってこれだけ多くの異なる問題に同時に取り組みながら、なおかつ深い、色あせない貢献ができるほどの集中力を効率的に維持できたのか?

もちろん、彼には秘訣があったのだ。一冊のノートと、ささやかな習慣である。

ポアソンは興味深いと思う問題に出くわすたびに、その楽しみにふけりたくなる衝動に抵抗した。そして代わりにノートを取り出し、その問題を書きとめると、中断が入る前に夢中だった問題にさっさと注意を戻した。手元の問題が片付くと、そのたびにノートに走り書きされた問題のリストを眺めまわし、最も興味深いと思ったものを次の課題として選び出す。

ポアソンのささやかな秘訣とは、生涯にわたって注意深く優先順位をつけることだったのだ。(p.179)


時間管理をテーマにした自己啓発の本は数多く出ていますが、こういった偉大な先人の逸話もいいですね。なお本書はポピュラー・サイエンスに分類されるのでしょうが、トランシルヴァニアを舞台にした無名な十字軍の歴史物語や、ソフト・サイエンス的な逸話に多くのページが費やされており、読者を選ぶ作品のように思われます。

蛇足になりますが、「バースト」ときくとVIXのチャートを思い浮かべてしまいます。

2012年9月7日金曜日

ルー・シンプソンの5つの投資原則

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最高経営責任者バフェット』は10年ぐらい前に出版された本で、バークシャー・ハサウェイの子会社で活躍する経営者たちの仕事ぶりや横顔を描いたものです。あまり表舞台に出てこないルー・シンプソンも、ここではインタビューに応じています。今回は同書から、ルーがとっている投資上の5つの原則をご紹介します。

1. 独自に考える
「人気のない企業でもおろそかにはしません。それどころか、こうした不人気株こそ絶好の機会を提供してくれることが多いものです」

2. 株主志向の経営を行っているハイリターン型の企業に投資する
「長い目で見れば、株価はROE(株主資本利益率)、つまり、株主の投資した資金に対して企業がどのくらい利益を上げたかに連動して上昇していきます」

「儲けている企業の経営者は往々にして余剰資金を大して収益性もない新規事業に使ってしまうものです。しかし自社株買いは多くの場合、余剰資源の有効活用にはるかに役立ちます」

3. 優良企業でも値ごろ感がなければ買わない
「どれほど素晴らしい企業であっても、購入価格については規律を守るようにしています」

4. 長期的な展望を持って投資する
「株主志向で経営されている優良企業の株は、長期的には市場平均を上回るリターンをもたらしてくれる可能性が十分にあります」

5. 過度な分散投資は控える
「良い投資案件、つまり基準を満たすような企業はなかなか見つかるものではありません。ですから、これと思えるものを一つ見つけたら、大きく買いに出ます。ちなみに、GEICOの株主ポートフォリオでは持高上位5銘柄だけで保有株式全体の50%を超えています」(p.96)


参考までに、ウォーレン・バフェットが挙げる項目は過去記事「10秒ください」などで取り上げています。

もうひとつおまけです。文中で登場するGEICO時代のルーのオフィスは「サンディエゴ郊外の山中にあり、周囲には大きなお屋敷や乗馬道、ゴルフコースがある。不動産仲介業者、銀行、投資顧問業者、証券会社が立ち並ぶ一風変わったこの村(p.86)」とありますが、Google Mapsではこのあたりでしょうか(住所はこちら)。いまはメリルリンチの支店が入っているようです。となりはモルガン・スタンレーで、そのとなりはバンカメですね。

2012年9月3日月曜日

ワシントンDCを水没させるには

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少し前の投稿で南極の氷の話題を取り上げましたが(過去記事)、最近読んだ本『2050年の世界地図―迫りくるニュー・ノースの時代』では地球温暖化による「氷の崩壊」のほうを取り上げていたのでご紹介します。

非常に懸念されるのは、西南極氷床の崩壊だ。この広大な一帯は海にせり出す氷のミニチュア大陸のようで、大部分は海面の下にある岩盤まで凍っている。この氷床が崩壊すれば、非常に多くの南極の氷河が海へ向かって進みはじめ、最後には世界の平均海面をおよそ5メートル上昇させる。過去にも同じことが起きたという地質学的証拠があり、再び起きるとしたら、とくにアメリカは打撃を受けるだろう。さまざまな理由で、世界の平均海面の上昇は、どの海域でも同じように上昇するわけではない--平均より上昇するところと、平均を下回るところが出てくる。そうした氷床の崩壊は、メキシコ湾岸と東海岸を平均以上に浸水させ、マイアミ、ワシントンDC、ニューオリンズ、およびメキシコ湾岸の大半を水没させるだろう。気候の魔物という話になると、西南極氷床はその魔物が潜む醜いランプだ。(p.307)


本書では地球温暖化によって変わりゆく北方諸国の将来をテーマとしていますが、話題が多岐にわたっていて、人口問題、資源・エネルギー問題、水問題、少数民族問題なども取り上げられています。なお、この手の本をたびたび読む理由は、食糧関連の投資先をみつけたいという思いもあるからです。ジェレミー・グランサム(過去記事)やジム・ロジャーズといった投資家の影響を受けています。

2012年8月21日火曜日

(問題)地球温暖化が進むと、南極はどうなるのか?

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以前読んだ『サイエンス入門〈1〉』の続き『サイエンス入門〈2〉』が出ていましたので、読んでいます。そのなかでおもしろい文章がありましたのでご紹介します。

南極の氷は、融けていると言われます。グレース衛星が、衛星軌道上から南極の氷の重力効果を測定し、氷の質量の正確な測定を行いました。その結果、南極の氷が毎年約36立方マイル(150立方キロメートル)ずつ減少していることがわかったのです! これは、地球温暖化の重大さを証明する深刻で際立った事実のように思えます。

驚くべきことに、この一見それらしい証拠は、事実を反映しているわけではないのです。2000年に、IPCCは、グレース衛星による観測に先立って、地球温暖化によって予想される氷の変化がどれほど大きなものになるかを計算するように、何人かの科学者に依頼しました。その結果、驚くべきことに、すべての科学者が一致して、地球温暖化によって南極の氷は、減少するのではなく、「増加する」と予想したのです。(p.153)


つづきの文章は次回にご紹介します。個人的には自分の直感にひきずられて、科学者たちがどういった論理で予想を出したのか思いつきませんでした。チャーリー・マンガー言うところの「疑いを持たない傾向」(過去記事)が強く働いているようです。