ot

2014年4月12日土曜日

自信を持つべき時とそうでない時(チャーリー・マンガー)

チャーリー・マンガーの(再考)世知入門の19回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> 極端なイデオロギーを持たないことが大切だとのおはなしでした。それではもしあるとすれば、都心部の低開発地域(inner city)において富を増加させるなどを支援するために、企業や法律業界はどのような責務を負っているのでしょうか。

<マンガー> 社会的な問題を解決することには、私は大賛成です。不幸な人たちへ寛大にすることもそうですし、害よりも益を多くもたらす証拠がわずかなりとも大きければ、その行動を起こすのも諸手をあげて賛成です。

私が反対するのは、取り組んでいる対象が非常に複雑なシステムであり、あらゆるものがお互いに関係しあっているというのに、多大な自信を持ち、自分が介入することは害よりも益をもたらすと確信することです。

<質問者> つまり(あなたが言われているのは)自分が(有益なことを)していることに対して、ちゃんと確信を持てということでしょうか。

<マンガー> 私が言っているのは、確信することはできないということです。

それとは反対になりますが、2組の技術者(の出した結論)をひっくり返したことがつい最近ありました。その種の複雑な分野において、そこまで自信が持てるにはどうすればいいと思いますか。みなさんは「この人は少しばかり稼いだからと言ってうぬぼれてしまい、何でも知っていると思いこんでいるのだ」と疑うかもしれません。

なるほど、たしかにうぬぼれているかもしれません。しかし、何でも知っているとは思っていません。各々の技術者たちがその状況のもとで偏った考えをいだいた大きな原因が、私にはみてとれたのです。彼らは、自分たちの方針のほうがずっと有利だと薦めてきました。しかし彼らの話は無意識に生じるバイアスと一致しており、それゆえ私には信用できませんでした。(彼らの言うことが)妥当ではないとわかるほど工学をよく知っていたことも、その理由だったかもしれません。

最終的には、3番目に来た技術者が推奨する解決案を私は承認しました。その後、2番目の技術者が聞きにやってきました。「チャーリー、なぜ私にはそう考えられなかったのでしょうか」。これは称賛に値する行動ですね。結局はその案のほうが安全かつ安価であり、つまり優れた案だったからです。

自分よりも資格を有する人の認識が、動機づけによるバイアスあるいは似たような心理的影響が明らかなことによって損なわれている場合、彼らの意見をくつがえすには自分を信じなければなりません。しかし自分ではそれ以上の知恵を付け加えられないこともあります。その場合には、専門家を信用するのが最善の道です。

実際のところ、みずからが何を知っていて何を知らないのかを知らねばなりません。人生においてそれ以上に役立つことが考えられるでしょうか。

Q: You talked about how important it was not to have an extreme ideology. What responsibility, if any, do you think the business and legal communities have for helping inner-city areas, spreading the wealth and so on?

I'm all for fixing social problems. I'm all for being generous to the less fortunate. And I'm all for doing things where, based on a slight preponderance of the evidence, you guess that it's likely to do more good than harm.

What I'm against is being very confident and feeling that you know, for sure, that your particular intervention will do more good than harm, given that you're dealing with highly complex systems wherein everything is interacting with everything else.

Q: So (what you're saying is to) just make sure that what you're doing (is doing more good)…

You can't make sure. That's my point….

On the other hand, I did recently reverse (the conclusions of) two sets of engineers. How did I have enough confidence in such a complicated field to do that? Well, you might think, "Oh, this guy is just an egomaniac who's made some money and thinks he knows everything."

Well, I may be an egomaniac, but I don't think I know everything. But I saw huge reasons in the circumstances for bias in each set of engineers as each recommended a course of action very advantageous to itself. And what each was saying was so consonant with a natural bias that it made me distrust it. Also, perhaps I knew enough engineering to know that (what they were saying) didn't make sense.

Finally, I found a third engineer who recommended a solution I approved. And, thereafter, the second engineer came to me and said, "Charlie, why didn't I think of that?" - which is to his credit. It was a much better solution, both safer and cheaper.

You must have the confidence to override people with more credentials than you whose cognition is impaired by incentive-caused bias or some similar psychological force that is obviously present. But there are also cases where you have to recognize that you have no wisdom to add - and that your best course is to trust some expert.

In effect, you've got to know what you know and what you don't know. What could possibly be more useful in life than that?


チャーリーの好きな孔子の教えどおりですね。「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり」。

6 件のコメント:

bf さんのコメント...

== No title ==
こんにちは。
面白いです。
??みずからが何を知っていて何を知らないのかを知らねばなりません。人生においてそれ以上に役立つことが考えられるでしょうか。
僕もそう思います。
そして、前に書いたかもしれませんが、特に、何を知らないかのほうが把握することが困難である場合がありそうです。
例えば建築の分野だけに特定すれば、建築士の資格の本をパラパラとながめて、自分が1割、2割程度しかわからないということが、めでたく把握できたりするかもしれません。
でもこれは、幸運な例かもしれないと思います。
自分が勉強していない未経験な分野は、知らないと決め付けるくらいの覚悟が必要かもしれませんね。

投資男 さんのコメント...

== No title ==
betseldomさん
こんにちは!
「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり」
この言葉は非常にパワーがありますね。
私もよく陥ってしまうのですが、『自分は正しい』と自己バイアスがかかっている時、気付かないことがほとんどです。
特に専攻してきた、専門の分野などは。。。
偶発的に出た(たまたま出た)良いデータに勘違いをして、確信を持つ。
私自身の経験では、これは愚かなことでした。
まず自分を疑って(悲観的に物事をとらえて)、データが得られてもまだ疑って、確信の持てる証拠が出てきたら、可能性が高いと思う事にしています。
まずは疑ってかかる。
すべて逆から考えたいものですね。
??ちなみに、最近私は性善説から、性悪説に考えを改めました。
そうすれば、悪を避けられるのではないかと。。。。)

betseldom さんのコメント...

== bfさんへ ==
bfさん、こんにちは。お久しぶりです。コメントをありがとうございました。
bfさんがご指摘されることで個人的にとてもありがたく感じているのは、漫然と取りあげてきた各種の話題を考え直すきっかけを与えてくださることです。今回の「自分が勉強していない未経験な分野は、知らないと決め付けるくらいの覚悟が必要」とのご指摘を見つめることで、過去に取り上げた話題を結びつけて考える基軸になると感じられました。たとえば、以下のようなものは即座に連想されます。(コメント機能上の都合で、今回はURLの先頭文字hを省略しています)
1. (結果よりも)意思決定プロセスの重要性
[能力のパラドックス(7)最終回(マイケル・モーブッサン)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-541.html
2. 結論を急いだり、何かをせずにはいられない心理的傾向
[結論を急ぐバイアス(チャーリー・マンガー)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-508.html
[全額投資について(セス・クラーマン)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-428.html
3. 自信過剰に陥りやすい心理的傾向
[誤判断の心理学(12)盗んだのはわたしです(チャーリー・マンガー)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-262.html
4. 最低限の知識を蓄える必要性
[とある本屋の上の階で(テッド・ウェシュラー)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-328.html
5. 知覚と幻覚に共通した生理学的プロセス
[私たちはいつも幻覚を見ている(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-483.html
6. 過去の知的成果をうまく使うことの重要性
[単に読めばいいというものではない(チャーリー・マンガー)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-230.html
7. 人は歴史から学ばないこと
[歴史からなにを学ぶのか]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-276.html
8. 難しい目標よりも易しい目標
[世界を変えて、投資で成功する(チャーリー・マンガー)]
ttp://betseldom.blog.fc2.com/blog-entry-525.html
そして最後はバークシャーのウォーレンとチャーリーのコンビです。彼らは単独でも明晰な意思決定ができるのでしょうが、それでもコンビを組んでかけ算を効かせています。この事実は「知らないを知る」こと、言いかえれば「無知の無知」を減らすことがどれだけ難しいのかを強く示唆していると思います。
刺激となるご意見を頂き、いつもありがとうございます。またよろしくお願い致します。
それでは失礼します。

betseldom さんのコメント...

== 投資男さんへ ==
投資男さん、こんにちは。コメントをありがとうございました。
ご自身の経験を書いてくださり、参考になりました。当然ながら、わたしも同様の不手際が数多くあります。しかし今回の投資男さんの文章を読んで思い出すのは、やはりダーウィンのやり方です。
[ダーウィンの「逆ひねり」]
http://betseldom.blogspot.com/2011/11/mf-26.html
[われわれが錯覚に捕らわれているとき]
http://betseldom.blogspot.com/2011/12/mf-02.html
性悪説については、わたしも20代のころから支持してきました。最近はそれに加えて、「(少なくとも)人間には、真善美を喜ばしく感じる性質が生物学的に備わっている」と考えるようになりました。チャーリー・マンガーやリチャード・ドーキンスの見方を参考にすれば、それは過去の人間社会において淘汰を受けた結果によるものと想像されます。つまり人間とは、善なるものを希求する精神を備えながら、偏桃体から出る指示によって社会が悪とみなす行動をとりがちな哀しいさだめを背負っている、と個人的にはとらえています。そのつらさを(レジのような)文明の力で軽減しようとするチャーリーの主張には、合理性が感じられます。
『伝説の投資家バフェットの教え』をさっそくお読みになったのですね。わたしも図書館の予約が回ってくるのを楽しみに待っているところです。
いつもありがとうございます。またよろしくお願いします。
それでは失礼致します。

ブロンコ さんのコメント...

== No title ==
「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり」を知っていることと実践することはどうやら別のようです。このことを知っているという人が平気で「人間は脳の3%しか使っていないから・・・・」とか「人間は筋肉の80%しか使っていないから・・・」とか言いますからね(そもそも人間が脳や筋肉を100%使った状態がどういったものかは科学的に不明であり、不明なものからどうやって3%や80%という数字を出すのでしょうか)。
ところで、「建築士の資格の本をパラパラとながめて、自分が1割、2割程度しかわからないということが、めでたく把握できたりするかもしれません。」という例えを出されている方がおられますが、内容を10割わかるとはどういうことでしょうか?本の内容に関する質問に完全に答えられることを10割とするにしても自分自身が1割、2割程度理解しているとどうやって判断するのでしょうか?(本来、こういった揚げ足を取るようなことは言いたくありませんが、テーマがテーマですので触れさせていただきました。申し訳ありません。)
特定の分野では実践できても、日常生活等ではまったく実践できないという人も確認しています。

betseldom さんのコメント...

== ブロンコさんへ ==
ブロンコさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。
「知っていることと実践することはどうやら別のようです」
「特定の分野では実践できても、日常生活等ではまったく実践できない」
と書かれていますが、世間を慎重に観察なさっているブロンコさんだからこそ、ご指摘できるのかもしれませんね。特に掲げてはいませんが、本ブログでは「筆者自身の認知能力を改善すること」を主題のひとつとしています(読者のみなさんのお役に立てれば、それはなお喜ばしいことです)。ですから、みなさんが観察されたり感じたり経験なさったことを書き記して頂けるのは、内容自体の温度を問わず、ありがたいことと感じております。
その一方で「書き物」という限定的・非連続的なコミュニケーションに大きな枷があることも理解しているつもりです。さらに、人間は「容易には学ばない」生物であることも心に留めています。結局は本ブログで取りあげた話題やご指摘頂いたコメントが即座に血となり肉となるかといえば、少なくとも個人的には現実的ではありません。日常的・具体的に意識しながらひとつひとつ取り組むことで、ようやく何かをつかめるといった足取りです。コメントで頂いているおはなしやきっかけは、個人的には建設的にうけとめ、考え直したり正面から取り組みたいと感じられる時を待つようにしています。今回の「無知の無知」のようなテーマは、個人的にはなかなか乗り越えられない難題になりそうです。今後も続く人生修行のひとつだととらえています。
またよろしくお願いします。
それでは失礼致します。