ot

2016年2月6日土曜日

私の経験から言えること(セス・クラーマン)

0 件のコメント:
2009年3月のOID誌に掲載されたセス・クラーマンの講演記事から、今回も引用します。短いですが核心をついた言葉です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<クラーマン> 経験とはたいていは良きものですが、時には経験という罠にいざなわれて、早すぎる行動を起こしたり、間違いを犯してしまうこともあります。それを承知で私の経験を申し上げれば、世の人たちが本意ではなしに止むを得ずめちゃくちゃな値段で手放し始めたら、そのときが買いに出る好機だと言えます。(p.4)

Klarman: So my experience - and experience is usually a good thing, but occasionally it can lure you into being too early or doing the wrong things - is that when people start to give something away at a ridiculous price because they have to, not because they want to, that's a good time to buy.

2016年2月4日木曜日

フェベズラー(febezzlers)(チャーリー・マンガー)

0 件のコメント:
チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の6回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

「横領」が増加することで、ケインズ主義的な効果が経済に必ずやもたらされる。ガルブレイスがそう考えたのは言うまでもないでしょう。しかし彼はそこでやめにしてしまいました。結局は、とてつもなく巨大な「横領」にはなり得ないからですね。大規模な窃盗とはほぼ確実に発覚するものですし、その後は当然のように反動がきます。それがために、秘匿された「横領」が増えたとしても、政府支出のように景気を延々上昇させることは、それなりの期間であってもできないわけです。

「経済的影響は明らかに小さい」と洞察したことが障壁となり、ガルブレイスは次に問われて然るべき設問には進みませんでした。それはつまり、「横領(ベズル)」と機能的に等価で重要なものがあるかという設問です。それは巨大でいて、早々に自己崩壊しない必要があります。では、私から答えましょう。それは「存在します」。ここではひとつだけ取りあげます。私もガルブレイスと立ち並び、新たな言葉を生み出すことにします。まずひとつめが「フェベズル(febezzle)」です[以降は横領相当と訳す]。これは「ベズル(bezzle)」と機能的に等価なものを意味します(functional equivalent)。ふたつめが「フェベズルメント(febezzlement)」で、「横領相当」を生み出す一連のプロセスを表す言葉です。そして三つめが「フェベズラー(febezzlers)」です。「横領相当を創出するプロセス」に携わる人物を示します。それでは「横領相当」の重要な源泉のひとつを、今ここでずばり特定しましょう。私が思うに、みなさんは愚かしくも普通株を大量に保有する資産運用を行ってきた間に、数多くの「横領相当」を生みだしてきました。

もし財団あるいは別の投資家が株式ポートフォリオを管理する際に不要かつ非生産的な運用経費として保有資産の3%分を毎年浪費していても、強烈に上昇している市場環境であれば、浪費しているにもかかわらず、金持ちになったと感じるものです。ところが3%が浪費されている一方で、「横領相当創出関係者ら」は自分たちが高潔なる収入を得ていると考えているのですよ。この状況は自己抑制のない未発覚な横領さながらに働きますね。実際問題、このプロセスはタコが自らの足を食べている最中はずっと拡大していけます。しかしその間において、浪費分3%を手にした者の収入から支出されたように見えるのは、実のところは株価上昇に起因する偽装された「資産効果」から支出されたものなのです。

No doubt Galbraith saw the Keynesian-multiplier-type economic effects promised by increases in “bezzle”. But he stopped there. After all, “bezzle” could not grow very big because discovery of massive theft was nearly inevitable and sure to have reverse effects in due course. Thus, increase in private “bezzle” could not drive economies up and up, and on and on, at least for a considerable time, like government spending.

Deterred by the apparent smallness of economic effects from his insight, Galbraith did not ask the next logical question: Are there important functional equivalents of “bezzle” that are large and not promptly self-destructive? My answer to this question is yes. I will next describe only one. I will join Galbraith in coining new words: first, “febezzle”, to stand for the functional equivalent of “bezzle”; second, “febezzlement”, to describe the process of creating “febezzle”; and third, “febezzlers,” to describe persons engaged in “febezzlement.” Then, I will identify an important source of “febezzle” right in this room. You people, I think, have created a lot of “febezzle” through your foolish investment management practices in dealing with your large holdings of common stock.

If a foundation, or other investor, wastes three percent of assets per year in unnecessary, nonproductive investment costs in managing a strongly rising stock portfolio, it still feels richer, despite the waste, while the people getting the wasted three percent, “febezzlers” though they are, think they are virtuously earning income. The situation is functioning like undisclosed embezzlement without being self-limited. Indeed, the process can expand for a long while by feeding on itself. And, all the while, what looks like spending from earned income of the receivers of the wasted three percent is, in substance, spending from a disguised “wealth effect” from rising stock prices.

2016年2月2日火曜日

私にひとつだけわかること(ハワード・マークス)

0 件のコメント:
少し前の投稿でご紹介したハワード・マークスのメモから、さらに引用します。(日本語は拙訳)

投資家の心理とは変動するもので、[強気・弱気相場のそれぞれにおける]3つの段階が示すように、あらゆる可能性を拒絶するときもあれば、盲目的に信じ込んでしまうときもあります。ですからオークツリーでは、世間の投資家が悲観的なときにこそ買いに出たいと考えますし、彼らが一枚加わりたがっているときに買いたいとは思いません。じっくり検討している投資対象について一つだけ私にわかることがあるとしたら、「価格の中で楽観の部分がどれだけを占めているか」と言えるかもしれません。強気相場における最初の段階では、楽観的な見方は存在しません。それゆえに大幅な割安が生まれます。しかし最後の段階になると楽観の度合いは甚だしく大きくなり、ファンダメンタルズからみた購入価格も同じ様相を呈します。集団神経症から利益が得られるときには買いたいですが、そのことで他人と同様に私も手痛い目にあうのであれば買おうとは思いません。(p.13)

We know investors swing from rejecting all possibilities to drinking the Kool-Aid, just as the three stages say. Thus at Oaktree we want to buy when they're pessimistic, not when they're eager participants. If I could know only one thing about an investment I'm contemplating, it might be how much optimism is embodied in the price. In the first stage of the bull market, no optimism is present, and that makes for great bargains. In the last stage, the level of optimism is terribly high, and thus so are purchase prices relative to fundamentals. I want to buy when I can benefit from the herd's neuroses, not when they'll penalize me just as they do everyone else.

2016年1月30日土曜日

理性か知性を欠いた者だけが挑戦できる(『バッテリーウォーズ』)

0 件のコメント:
前回と同じように、『バッテリーウォーズ』から印象に残った文章を引用します。今回も本筋とは少し離れますが、ベンチャー・キャピタリストのビノッド・コースラ氏の大胆な発言です。なお彼は、UNIXやJavaで一時代を築いたサン・マイクロシステムズの創業者の一人です。

講演の冒頭でコースラは、ガソリンが無敵だという前提に異議を唱えた。最近の実績を見れば、現在使われているほかのテクノロジーと同じくガソリンも脆弱だということがわかるはずだという。ガソリンに勝てる見込みが低いという事実こそ、まさに彼が勝利を目指す理由だった。勝てれば天文学的な金銭的利益が得られるからだ。「専門家たちは一様に2008年の金融危機について物知り顔で語っていますが、2008年6月の時点では誰もあんなことは予想していませんでした」と彼は言う。エネルギーについても事情は同じで、専門家はシェールガスの将来について今でこそきわめてはっきりした言い方をしているが、2008年には誰もそんなものが使いものになるとは予見していなかった。

「成功の確率が0.01パーセントだと言われても、私は受けて立ちます」と彼が言った。

壁にスライドが映し出された。「見えない方のために説明します。縦軸が成功の確率、横軸がインパクトの大きさを表します。テクノロジーの失敗する確率が90パーセント以上の場合、きわめて破壊的なインパクトが生じやすいということです」ベンチャーキャピタリストにとって、確立されたビジネスパターンの破壊、そしてそれに伴う新しいビジネス手法の創出は、ずば抜けて大きな利益をもたらすことが多い。

たいていのベンチャー投資家やエンジェル投資家はそんなやり方をしない、と彼は言う。失敗のもたらす結果と成功のもたらす結果に極端な差が生じない程度までリスクを抑えようとするのだ。

「私が提案したいのは、その正反対のやり方です」とコースラが言った。大きなリスクとそれがもたらす潜在的なメリットをむしろ歓迎すべきだという。

コースラは、目の前に座る出席者のほとんどまたは全員の耳に彼のメッセージが届いてはいても、聞き入れる者はごくわずかだとわかっていた。「ほぼ不可能なことに挑戦できるのは理性か知性を欠いた者だけ」だからだ。侮辱的な言葉を浴びせれば、少なくとも相手を困惑させるくらいの効果はあるかもしれない。「物事がうまくいかない理由を常に説明できる専門家は、理性と知性を備えた人間を常に脅かして、途方もないアイデアへの挑戦を妨げることができるのです」と彼は語った。(p.269)

2016年1月28日木曜日

羊飼いの少年が期せずして成功する話(『バッテリーウォーズ』)

0 件のコメント:
バッテリーウォーズ』という本を読みました。内容は副題が示す通りのもので、「次世代電池開発競争の最前線」です。エネルギーや素材関係の話題には興味があるので期待して手に取ったのですが、読み始めのころはハズレだったかと案じました。書き出しには引きこまれず、突出したヒーローは不在、淡白な文体、そして地味な話題と、四重苦状態だと感じたからです。それでも100ページ目、150ページ目と読み進めていくうちに、実は楽しんでページを繰っている自分に気がつきました。そして静かなクライマックスに向けて一気に読了できました。

本書では研究開発やイノベーションの現場が、飾ることなく描写されています。登場人物は研究所や先端企業で働く頭脳明晰な人ばかりですが、彼らのふるまいや願望は一般人と同じで、等身大の群像劇が展開されています。様々なものごとがごったがえす中、技術はたゆまずに進歩し、ビジネスは拡大の機会をうかがい続けます。本書の中心的な役割はそういったイノベーション小史を楽しむ点にあると思いますが、それ以外の読み方もできます。日米におけるR&Dの比較という視点が持てたり、ベンチャー・ビジネスのケース・スタディーとしても参考になります。なおテスラモーターズのCEOイーロン・マスクも出番が少しありますが、端役の扱いです。

その本書から今回引用するのは、主題とはまるで関係のない話題です。モロッコ出身のアミーンという名の印象的な人物が登場しますが、彼の祖父が過ごした劇的な人生についてです。

一族の伝説は20世紀の初めごろにさかのぼる。アミーンの母方の祖父ベナディールが、12歳のときにアガディール港周辺の山で羊飼いをしていたころの話だ。ベナディールはしょっちゅう年配の男に叩かれた。しかしあるとき、耐えかねたベナディールが石をつかんで老人の頭を殴りつけると、相手は倒れて動かなくなった。少年はおびえて逃走した。

ベナディールが隠れていると、青果を積んで牽引車につながれた荷車が通りかかった。ベナディールは荷車によじ登ってすぐさま身を隠した。それから二、三日間、荷車は海岸沿いを進んでいった。ベナディールは積んである果物や野菜を食べて過ごした。しかしカサブランカに到着すると、荷主に見つかって路上に放り出されてしまう。ベナディールは歩きながら物乞いを始めた。汚れまみれで疲れきった彼は、一軒の家の前に立った。中にいたフランス人の婦人が哀れんで、ベナディールを招き入れた。それから彼の体をきれいにして、家事係としてこの家にいてよいと言った。

この婦人が何という名だったか、アミーンは覚えていない。ともあれ、婦人の夫はいくつもの店を所有する商人で、あるときベナディールはこの主人から一軒の店番を命じられる。ベナディールはこれをとても責任の重い仕事だと思い、きちんと朝5時に店を開け、真夜中に店を閉めた。夜は店で眠り、食事も店でとった。しばらくすると、主人は店の儲けが大きく増えたことに気づいた。そこで少年にさらに多くの店を任せ、彼を息子のように扱い始めたのだ。

1956年、モロッコはフランスとスペインから独立を勝ち取った。ベナディールを置いてくれたフランス人一家は、ほかの多くの外国人と同様に大あわてで帰国した。出国する際に、主人は事業をベナディールに譲った。こうして、アミーンの祖父は地元でかなりの大物になったのだった。(p. 72)