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2014年6月18日水曜日

『復活を使命にした経営者』、芳井順一会長によるツムラ再生の物語

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今年に入ってからツムラ(4540)に興味を持ち始めました(株式も少し買いました)。業績の見通しが停滞気味のせいか、株価は低迷しています。その当社を知る一環として読んだのが、今回ご紹介する本『復活を使命にした経営者』です。

書店で目立ちそうのない地味な装丁の本書は、内容も地味だろうと思われるかもしれません。1990年代に入って低迷し始めた漢方薬メーカーのツムラが薄暗い10年間をくぐり抜けてここまで復活するに至った経緯を、ある人物のエピソードを中心に描いた話です。その人物が、当社の会長である芳井順一氏です。

しかし内容のほうは地味どころか、個人的には全編響くものばかりでした。芳井氏は、まぎれもなく名経営者とお呼びするのがふさわしい方だと思います。芳井氏は当初、第一製薬の営業部門に所属していました。しかしツムラ危機に際して創業者一族の風間八左衛門氏(第一製薬の当時の常務)が里帰りすることになり、風間氏に請われて芳井氏も当社に移ります。そして子会社の整理、人員削減、営業部門の立て直し、事業戦略の転換・改革・発展と、激動の20年間弱にわたって当社の経営に携わってきました。本書に登場するそれらのエピソードは悩んで考えて決断した日々を素直に記したもので、空々しく感じられるところがありません。

しかし芳井氏のすばらしい点をあえて3つだけ選べば、「戦略のしぼりこみと実行、人の心理に通じた交渉力、道義心」になると思います。仕事をこなしている中で、これらの点で悩んだりヒントを得たいと考えている方には、きっとお勧めできる一冊です。

これから本書を通読したい方には申し訳ありませんが、以下に本文から2か所だけ引用します。ご了承ください。

ひとつめは、芳井氏が第一製薬時代に営業担当として活躍した頃の話です。

私が転勤をして、初めて回った病院の医局に、『製薬メーカーMR[営業担当]の5時以降の医局への立ち入りを禁ず 院長』という貼り紙がしてありました。5時までは医局に、MRがたくさんいるのですが、ほとんどのMRは医局の隅に立ったままで医師と話をしないので、『壁の花』と呼ばれていました。

こんなことを繰り返していても埒が明かないと思い、私はその貼り紙に気が付かないふりをして、夕方5時過ぎに宿直の先生のところに行きました。先生方が戻ってこられたときに先生方の机の上にある食事を見て、『先生、これ患者さんと同じ病院食ですか』と声を掛けました。『よろしければ、この病院の前の寿司屋から、出前させましょうか』って申し上げたんです。

すると、あんた誰よ、ってことになりますよね。そこで初めて名刺を出して『実は私、担当したばっかりなんです』と自己紹介するわけです。

そこで寿司屋に電話をして寿司を持ってきてもらい、そこで医局の先生方と夜中2時、3時まで話し込むんです。『こんなにうまいものが食べられるんだったら、毎日おいでよ』という言葉がかかり、『ところで先生、今気が付いたのですが、メーカーは5時以降は訪問禁止なんですか?』って言ったら、『あれは院長だけが言っていることだから、誰も気にしていないよ。芳井君、毎日おいでよ』と言われました。

だいたい宿直の先生方が5人ぐらいいますから、毎晩それをやると、1週間で30数名。その病院の医局にいらっしゃる先生全員と会うことができ、1週間で一気に親しくなります。親しくなったら、そんなことをする必要はありません。今度は昼間に行って、先生と直接お会いして話をする。パンフレットを出して、こんなのもありますよ、とお声掛けをする。そうすれば話を聞いてくれます。そういう繰り返しでした。

当時は、明け方の3時とか4時頃に医局を出て営業車で帰宅していたのですが、辛かったというと逆でした。『日本全国のMRの中で、今ハンドルを握っているのは自分だけだろう。明日もやってみよう』という充実感がありました。これで来週からすごいものにつながっていくという喜びのほうが大きかったですね。(p.124)


もうひとつは、経営者として戦略を具体化する際の考え方についてです。

こうした芳井のビジョンは、すべてが具体的だ。聞こえのいい文言が並ぶ空疎なものではなく、そこには人を動かす力強さが秘められている。こうしたビジョンを芳井は、いつどのようにして描いていくのだろうか。

「私は物事を考えるとき、会社のことなら、10年、20年先のツムラをイメージします。そして、そこに向かって一つひとつ、会社全体のことを、どこがどうあるべきか考えます。

そして、それをもう少しショートタームで考えるのが3カ年計画です。3年先にこうありたい、と思ったら今度は3年先にそこに行くためには1年後にどうなっていないと、そこに行きつけないのかイメージします。1年先をイメージしたら、そこに到達するまでの自らの行動や組織の行動にデザインを加えていきます」

長期的なビジョンを描き、そこから逆算して行動に落とし込む。それだけなら目標達成の方法としては王道だ。しかし、芳井の場合、その方法にも独自の工夫がある。実際に手を動かすのである。

「そのために1か月後にはどのくらい進んでないといけないのかを考え、頭の中でイメージします。私は、休みの日には自分の部屋で、A4のコピー用紙を4枚並べて、そこに絵を描きます。頭の中だけで考えると、どうしても堂々巡りになってしまいます。

絵にすると具体的な考えが次々に浮かんできます。会社の将来の絵を描く。それに対して、今、妨げになっているものは何か考え、この妨げているものを取り除いていけば必ずイメージに近づいていけます。それに拍車をかけるためにはどういうことをやったほうが勢いが出るのか、それを絵に描きながら考えるのです」(p.257)


ツムラに興味を持たなかったら(たとえば株価がずっと割高だったら)、本書を手に取ることはなかったと思います。本書を通して芳井会長のことを知ることができたのは、わたしにとっては幸運でした。しかし芳井氏はあと数日で取締役会長を退任し、相談役に就任される予定です。ツムラにとっては新たな試練が始まります。

2014年6月16日月曜日

2014年バークシャー株主総会;低金利政策について

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2014年5月に開催されたバークシャー・ハサウェイの年次株主総会から、低金利政策の話題です。前回同様、引用元のトランスクリプトをご紹介した過去記事はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> 低金利[政策]によって住宅バブルが起きましたが、今回は債券バブルになるかもしれません。金利を上げることが必要だと感じていますか。

<バフェット> このような低金利がここまで長く続くとは、いったい誰に予想できたでしょう。ことがこれほどうまく進んでいるのは驚きです。今もなお、うまくいっています。わたしにも同じようにできたでしょうし、それで手柄を立てられたのに、と言いたいものです。とにかく、この件には驚いています。まるで非常に興味深い映画のようです。かつて見たことがない、終わりがどうなるかわからない映画です。危機当時とそれ以降のバーナンキはまさに英雄だったと思います。彼は非常に頭がよくて、ものごとを巧みに捌きました。2007年や2008年になってFRBの議事録が公開されましたが、それによればFRBの理事たちにはわかっていませんでした。これは興味をそそることです。どれだけ重大な事態なのか、彼らは理解していなかったようなのです。バーナンキは理事会による見解を統一できていませんでした。それでも彼は足を踏みだし、完璧と言える仕事をしました。しかし金利がずっとゼロ近くのままで規模を縮小しつつも[資産を]購入し続ければ、この映画がどのような結末をむかえるか、やがてだれもが知ることになります。

<マンガー> 日本では金利が20年間も低下し続けました。普通株も20年間下落しました。彼の国でそうなることを予想していた人はひとりもいません。おかしなことが起こったわけで、経済学者はこのことに困惑しています。ですから、バークシャーが買っている長期債はそれほど多額ではありません。

<バフェット> 当時の現金は王様でしたが、それは使ってこそのことでした。現金にしがみつく時期をみんなが間違えていたのです。その後、ゼロ金利[政策]は経済や資産価格に対して甚大な影響を及ぼしてきました。今現在の状況はバブルではありませんが、普通ではない状況ですね。

<マンガー> いや、わたしも君と同じで困惑していますね(笑)。

<バフェット> だからこそ、わたしたちはけっこううまくやってこられたのですよ(笑)。

Q27: Station 9. Toronto. Low rates have led to housing bubble, and potentially a bond bubble, do you see need for hike in rates?

WB: Who would have guessed rates this low for this long? I would say I am surprised at how well things are going. It is working well. I would like to say I would have done same thing and take credit. I was surprised. It is very interesting movie, we haven't seen before, and we don't know how it ends. I think Bernanke was a hero at time of crash and subsequently. Very smart man, he handled things very well. When minutes of Fed became available for 2007 and 2008, we saw that members of Fed were not getting it. It was fascinating. They didn't seem to understand how serious things were. He was not getting unanimous view from those around him. But he went ahead with them, and did masterful job. We will see how this movie plays out - if we keep rates close to zero for long time, and tapering but still buying.

CM: No one in Japan would have anticipated that rates could stay down for 20 years and common stocks would decline for 20 years. Strange things have happened, and it is confusing to economists. At Berkshire not many long term bonds are being bought.

WB: Cash was king, but only if you used it. People cling to cash at wrong times. Zero interest rates has had huge effect on economy and asset prices. This is not a bubble situation we are living in, but it is unusual.

CM: No, I'm as confused as you are. [laughter]

WB: That's why we get along so well. [laughter]

2014年6月14日土曜日

我々の受けた教育は十分に学際的だったか(チャーリー・マンガー)

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1998年に行われたチャーリー・マンガーの講演「専門家に学際的能力がいっそう要求される理由と、そこから学びとれる含意」(今後は縮めて「学際的能力の重要性」と呼びます)の2回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

2番目の問いも容易に答えられるので、それほど時間をかけないことにします。私たちの受けた教育はあまりにも単一学問主義的でした。「幅広い問題」とは、言葉の定義から言ってさまざまな学問領域にわたるものです。そうであれば、そのような問題に対して単一学問的に取り組むのは、コントラクトブリッジのハンドをプレイする際に手札をカウンティングするだけで、他のテクニックは一切無視するのと同じことです。「いかれ帽子屋のお茶会」のように狂ってますね。しかしそれにもかかわらず、専門家の現場ではそれと同じことが今でも非常に多く見受けられます。さらに悪いのは、ソフトサイエンスにおける孤立した各学問領域においてそれがずっと奨励されてきたことです。ソフトサイエンスとは、生物学よりも根本的ではないすべての学問が該当します。

我々がまだ若かった頃でさえも、最高水準の学者の中には、学術界を分断して縄張りを巡らせた孤立地帯に分ければひどい影響をもたらすことになる、と恐れた人たちがいました。その孤立した世界では、盲信に加えて不信心者を排除することで信念が維持されていました。一例としてアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドを挙げると、彼はずっと以前に「学術界における各分野の致命的なまでの非連携さ」について話したときに、激しい言葉で警鐘を鳴らしています。その後、第一級の教育機関ではホワイトヘッドに同調する動きが増え続け、学際的な取り組みを推進して非連携的なやりかたに立ち向かってきました。学問の境界における非連携と闘った偉大な人物、たとえばハーバードのE. O. ウィルソンやカルテックのライナス・ポーリングといった人たちは、我々の時代に絶大なる称賛を受けました。

現代の学術界は、我々が受けた教育よりもずっと学際的な内容を授けています。これは明らかに正しいことをしていますね。

My second question is so easy to answer that I won't give it much time. Our education was far too unidisciplinary. Broadscale problems, by definition, cross many academic disciplines. Accordingly, using a unidisciplinary attack on such problems is like playing a bridge hand by counting trumps while ignoring all else. This is "bonkers," sort of like the Mad Hatter's Tea Party. But, nonetheless, too much that is similar remains present in professional practice and, even worse, has long been encouraged in isolated departments of soft science, defined as everything less fundamental than biology.

Even in our youth, some of the best professors were horrified by bad effects from balkanization of academia into insular, turf-protecting enclaves wherein notions were maintained by leaps of faith plus exclusion of nonbelievers. Alfred North Whitehead, for one, long ago sounded an alarm in strong language when he spoke of "the fatal unconnectedness of academic disciplines." And, since then, elite educational institutions, agreeing more and more with Whitehead, have steadily fought unconnectedness by bringing in more multidisciplinarity, causing some awesome plaudits to be won in our time by great unconnectedness fighters at borders of academic disciplines, for instance, Harvard's E. O. Wilson and Caltech's Linus Pauling.

Modern academia now gives more multidisciplinarity than we received and is plainly right to do so.

2014年6月12日木曜日

まちがえることについて(ウォーレン・バフェット)

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ウォーレン・バフェットが1994年にネブラスカ大学でおこなった講演その25です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> バフェットさんが最初に始めたときはどのようにやったのですか。また失敗したとしたら、どのように対処しましたか。

<バフェット> 最初はどうやって始めたかですか。いろんな見方がありますね。初めて株を買ったのは11歳の時でしたが、そうする前から長いこと考えていました。父が投資の仕事をしていたので、7歳か8歳の時には昔のオマハ・ナショナル銀行ビルに入っていた彼の事務所にでかけたものでした。株価の表示板に流れる株価情報が見えなかったので、自分が近視だというのがわかりました。そうでなかったら、メガネなしでずっとやっていたかもしれません。投資のことにすごく興味があって8歳か9歳の時に投資の本を読みはじめました。1942年になってようやくお金がたまり、シティーズ・サービスの優先株を1株114ドルで3株買うことができました。その後もそうやってきました。

失敗とは自分でどのように定義するかによって違ってくると思います。人生を通していろいろ間違いをするものですが、必ずしもそれが失敗だというわけではありません。実際のところ、わたしは過去を振り返りません。自分の周りから学ぼうとはしていますが、あれこれの決断がどうだったとか、どんな間違いをやったとか、そういったことを振り返って学ぶことはしません。そんな風には全然考えません。人間なら、いろいろと間違えることがあります。しかしそれの良い点は、今後いろいろ間違ったとしてもそれでも大丈夫だということです。これは勇気づけられることです。わたしのやった間違いは年次報告書の中で書くようにしています。実際には、「今回のあやまち」と呼ばれることもあるセクションを設けています。残念ながら、そこでもほとんどの年で複数形になっています。しかしそれで世界が終わるわけではありません。みなさんも致命傷を負うことは何もしたくないでしょうから、借入金で証券を保有したいとは考えないと思います。というのは、一巻の終わりとなる可能性があるからです。前進しようとして後退したくないので、わたしは重大な金額になるほどの資金を借りたことはありません。借入金は自分の間違いを拡大させる可能性があります。そして息の根を止めるまで広がるかもしれません。しかし間違いをすることが悪いというわけではありません。自分の理解していることを取り組むべきで、それがわたしがやっていることの秘訣です。これは理解していないなと自分で思えるときには、間違えていることがあります。また他人からは見えませんが、理解できるはずのものを逃した失敗もあります。それは「見送る」という間違いで、実は大物だったこともありました。あの件の[機会]費用は何十億ドルだったなどと示せると思います。踏み切れるほどには十分わかっていたのですが、ひとつふたつの理由でそうしませんでした。幸いにも、みなさんにそれらが何かは知られていませんが。

Q. Mr. Buffett, how did you first get started and how did you deal with failure, if you had one?

A. How did I first get started? It depends. I bought my first stock when I was 11, but I'd been thinking about them for a long time before that. My dad was in the investment business and I used to go down to his office in the old Omaha Netional Bonk building when I was seven or eight years old. I found out I was near-sighted because I couldn't read the quotations up on the stock board; otherwise I might have gone through life without glasses. I just got very interested in it. I started reading books on it when I was eight or nine and then I finally saved enough money to buy three shares of Cities Service preferred for $114 in 1942, and then I just kept doing it.

Failure depends on how you define it. A lot of things go wrong in life, but that doesn't necessarily mean that they're failures. I really don't look back. I try to learn from what I see around me, but I don't try to learn by going back over this decision or that decision or what did I do wrong or the sort. I don't think about that at all. You can make a lot of mistakes. The nice thing about it is you're going to make a lot of mistakes and still do very well. That's the encouraging thing. I write about my mistakes in the report. In fact, I have a section sometimes called "mistake du jour" and unfortunately it's plural most years, too. It's not the end of the world. You don't want to make any ones that are fatal. You do not want to own securities on borrowed money because that can wipe you out. I've never borrowed money of any significant amount because I just didn't want to go back to go. Borrowed money can magnify your mistakes, and it may magnify them to the point where they wipe you out. But, there's nothing wrong with making mistakes. You should try to pick things that you understand. That is the key to what I do. Occasionally I may make a mistake when I think I understand something I don't. Another mistake that you don't see is when I pass up something that I'm capable of understanding. Those are mistakes of omission and sometimes they have been huge. I could point to mistakes like that which have cost us over a billion dollars. I knew enough to do something but for one reason or another, I didn't. Fortunately, people don't see those.



2014年6月10日火曜日

フィドルを奏でて喜ぶ葬儀屋(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの(再考)世知入門、24回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> 株主訴訟などで裁判沙汰になる恐れや法務上の複雑さは、一般的に言って大企業が意思決定する際にどのような影響を与えるものでしょうか。

<マンガー> どの大企業でも法務にかかる費用には悲鳴をあげています。規制の多さや事業継続に関する煩雑さ、原告弁護団、特に集団訴訟の原告弁護団に悩まされています。つまり、ある企業があげる嘆き声を別の企業へとほとんど文言を変えることなくコピーできるような、絶対的なカテキズム[教理問答]が存在しているのです。

しかし悲鳴を生じさせる元は、法律事務所にとっていくぶん棚ぼたと言えるものでした。巨大事務所は長く続く上昇気流をつかんだのです。いまや彼らの振舞いは、疫病に際して葬儀屋が嘆き悲しむようなものです。当然のことですが、疫病の流行る中で葬儀屋がフィドル[ヴァイオリン]を奏でて飛び跳ねたりすれば、罰当たり者だと思われるでしょう。だから法律事務所のパートナーもこう言うわけです。「まったくもってこの煩雑さや訴訟ごと、不公平さと言ったら、悲しくないなどとは考えられませんね」。

しかし実際のところは、彼らはこの件で矛盾したところがあります。彼らには非常に喜ばしいことですからね。カリフォルニアで最近起きた住民投票では、興味ぶかい行為がみられました。被告弁護団の一部が人目を集めないように、いくつかの修正案に反対するロビー活動をしたのです。基本的には彼らのクライアントの意向に逆らうものだったので、その最中にクライアントから問い質されたくないと考えていました。実は原告側が訴訟を起こしにくくなっていたために、彼らはそのような行動をとったのです。

現在係争中のoverreaching[不動産の信託受益権に関する用語か?]があって、それゆえに子供たちを学校へ通わせていられるとします。一方で、別の人がそれを抹消するシステムを提案してきます。これはまさに大人として向かい合い、選択しなければならないことです。

大企業は適応しています。訴訟の数は増えており、法務の部署も拡大せざるを得ません。やりたくないことに対して悲鳴をあげているものの、彼らは適応しています。

<質問者> しかし過去何十年間をふりかえれば、企業の資源をここまで大量に費やすほど法務が複雑だったことはなかったと思いますが。

<マンガー> そのとおりです。20年前とくらべたときに、訴訟や数々の規制に関するコンプライアンスに当時よりも費用をかけていないアメリカ企業など、ほとんど存在しないでしょう。新たな規制には、おろかで馬鹿げたものもたしかにあります。しかし、まさしく必要なものもあります。満ち引きはあるにせよ、この潮流はこれからも変わらないと思います。

Q: Would you discuss how the threat of litigation - shareholder lawsuits and so forth - and legal complexity in general have affected decision-making in big business?

Well, every big business screams about its legal costs, screams about the amount of regulation, screams about the complexity of its life, screams about the plaintiffs' bar - particularly the class action plaintiffs' bar. So there's an absolute catechism on that where you could just copy the screams from one corporation to another and you'd hardly have to change a word.

But what causes the screams has, so far, been a godsend for the law firms. The big law firms have had a long updraft. And they now tend to kind of cluck like an undertaker in a plague. An undertaker, of course, would look very unseemly if he were jumping up and down and playing his fiddle during the plague. So law firm partners say, "Oh isn't it sad - all this complexity, all this litigation, all this unfairness."

But, really, they're somewhat schizophrenic on the subject because it's been very good for (them). Some recent California initiatives created some interesting conduct. Part of the defense bar lobbied quietly against certain propositions and, effectively, against their clients because they didn't want their clients to catch' em in the process. And the reason that they did so was because it became harder for plaintiffs to bring cases.

If you make a living fighting overreaching and it keeps your children in school and somebody proposes a system that eliminates it - well, that's an adult experience and an adult choice that you have to make.

So big corporations adapt. They have more litigation. They have to have a bigger legal department. They scream about what they don't like. But they adapt.

Q: But hasn't that legal complexity consumed a lot more of companies' resources over the last few decades?

The answer is yes. There's hardly a corporation in America that isn't spending more on lawsuits and on compliance with various regulations than it was twenty years ago. And, yes, some of the new regulation is stupid and foolish. And some was damn well necessary. And it will ever be thus, albeit with some ebb and flow.