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2012年11月17日土曜日

誤判断の心理学(23)ミツバチも無駄話をする(チャーリー・マンガー)

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(2014/04/23) 和訳を修正しました。("straight up"を「奥まった」から「突き出した」へ)

チャーリー・マンガーの誤判断の心理学です。短いので、全文を引用しています。(日本語は拙訳)

(その23)無駄話をする傾向
Twenty-Three: Twaddle Tendency

人間は言語を授かった社会的動物であるゆえに、おしゃべりをしたり、真剣に働かなければいけないときでも、ぺちゃくちゃと無駄口をきいて少なからぬ害を及ぼしてしまうように生まれついています。しかしながら、とかく無駄話ばかりの人がいる一方、ほとんど無駄口をきかない人もいます。

ある興味深い実験によって、ミツバチが無駄口をきくとどんなトラブルをもたらすのか、明らかになっています。ミツバチは普通、巣を出て花の蜜をさがしだし、巣に戻ってきて他のハチに蜜のありかを知らせるためにダンスを踊ります。それをみて他のハチも出動し、蜜にたどりつくのです。さてB.F.スキナーばりに賢い科学者が「障害があったらハチはどうするだろうか」と考え、蜜の場所をひっぱりだして外のほうへ移してみました。自然の状態では蜜はそんなに飛び出していません。さて困ったミツバチには、この件をうまく伝える術は遺伝子には組み込まれていません。このミツバチが巣に戻ったら、隅っこに身を隠していたと思われるかもしれませんが、ちがいました。巣に戻ると、ちぐはぐなダンスを披露したのです。私の人生も、このハチと同じことをやる人間に対処することの連続でした。おしゃべりばかりの無駄話にふける人を、真剣に仕事をしている場から遠ざけておくのは、うまく管理していこうとする者にとって、大切な仕事のひとつです。カルテックの工学系で有名なること当然な教授が、かつて彼の流儀で、この件を気配りなしにずばり表現しています。「重要な人が働いているところを、そうでない人には邪魔させない。これは大学運営における肝心な仕事だ」。この教授が発言したことを私も自分なりの方法でやっていたのですが、反発を受け、ずっと悩んできました。多大なる努力の末、私もすこしはまともになりました。ですから、この発言を引用したのは、少なくとも以前と比べたら私も気配りできるだろう、という想いを込めているところがあります。

Man, as a social animal who has the gift of language, is born to prattle and to pour out twaddle that does much damage when serious work is being attempted. Some people produce copious amounts of twaddle and others very little.

A trouble from the honeybee version of twaddle was once demonstrated in an interesting experiment. A honeybee normally goes out and finds nectar and then comes back and does a dance that communicates to the other bees where the nectar is. The other bees then go out and get it. Well some scientist - clever, like B. F. Skinner - decided to see how well a honeybee would do with a handicap. He put the nectar straight up. Way up. Well, in a natural setting, there is no nectar a long way straight up, and the poor honeybee doesn't have a genetic program that is adequate to handle what she now has to communicate. You might guess that this honeybee would come back to the hive and slink into a corner, but she doesn't. She comes into the hive and does an incoherent dance. Well, all my life I've been dealing with the human equivalent of that honeybee. And it's a very important part of wise administration to keep prattling people, pouring out twaddle, far away from the serious work. A rightly famous Caltech engineering professor, exhibiting more insight than tact, once expressed his version of this idea as follows: “The principal job of an academic administration is to keep the people who don't matter from interfering with the work of the people that do.” I include this quotation partly because I long suffered from backlash caused by my version of this professor's conversational manner. After much effort, I was able to improve only slightly, so one of my reasons for supplying the quotation is my hope that, at least in comparison, I will appear tactful.


無駄話、たしかにその通りです。昨今はTwitter等が全盛ですが、さかのぼってみればショートメール、携帯電話、チャット、掲示板、電子メール、果ては喫煙所での世間話や井戸端会議と、メディアは変わりますが、やっていることはあまり変わりませんね。しかし改めて考えてみると、これをとりまくビジネスが大きくなっていることに、ある種の驚きをおぼえます。

ミツバチのダンスに関する補足的な話題は、過去記事「尻振りダンスだけではない(ミツバチの群れ)」で取り上げています。

ところでチャーリーの文章ですが、ドライなユーモアがあいかわらずです。

2012年11月16日金曜日

網目のように考える(物理学者近角聰信)

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前回に続いて物理学の話題です。科学者がやる考え方を参考にしようと少しずつ探っていますが、『日常の物理学』という随筆集で興味をひく文章を目にしたので、ご紹介します。本ブログで取り上げているチャーリー・マンガーの「多面的メンタルモデル」とよく似ています。なお著者の近角聰信(ちかずみそうしん)氏は、東京大学の物性研究所で教授を務めていた方です。

物理学者はそのものの考え方から、明らかに次の二種類に分類することができる。論理型と直観型とである。しかし、論理型の人が数学者の考え方と似ていることはいうまでもないが、論理と直観とは、どちらが優れているとか劣っているとか比較できるものではなく、むしろ、お互いに直交する考え方なのであろう。物理学においてはその両者の考え方が使われる。普通は、理論物理学者はむしろ論理を、実験物理学者は直観を重んずると考えがちであるが、その傾向は研究者によってまちまちである。むしろ、論理型の人は整理的な研究を、直観型の人は創造的な研究をする傾向があるといった方がよいかもしれない。

では、直観型とはどういう考え方をいうのであろうか?世の中で直観というと、ものをよく分析せず、勘でものごとを判断することを意味する場合が多いが、直観型の物理学者の考え方は、決してそのようなものではない。第一に、そのような当てずっぽうな推理で、科学を推進することができるはずはない。一口でいえば、直観的な考え方は網のようなものだということができる。論理的な考え方が一本のロープであるとすれば、直観的な考え方は多重連結で、縦横無尽に糸をはりめぐらせた網にたとえられるというわけである。(p.78)


また、ある現象が数学的に解けた場合に、ひとつひとつの法則に矛盾しないかをチェックすることも、その網目構造を丈夫にすることに役立つ。たとえば、重力場で投げた物体が放物線を描いて運動することがわかった場合、この解がエネルギー保存則を満足しているかとか、運動量保存則を満足しているかなどとチェックしてみるのもその一例である。(p.81)


私がなぜ数式に物理的イメージを肉づけし、多重連結の思考構造を好むかというと、それは単に趣味の問題だけではなく、物理学の研究にそれが必要だからである。(中略)したがって、不完全な情報をもとにしてモデルを組み立てることが必要になってくる。いわゆる暗中模索というやつである。このような考えをする場合に、頭の中に物理学が有機的に組み立てられていないとどうにもならない。ただ一筋の論理を追っていけば、結論が得られるなどという簡単なものではない。文字通り一筋縄ではいかないのである。(p.82)


以下は、「多面的メンタルモデル」に関する代表的な過去記事です。

2012年11月14日水曜日

物理学から学んだこと(チャーリー・マンガー)

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おなじみの『Poor Charlie's Almanack』ではチャーリー・マンガーの前半生が記されており、短い大学時代に接した物理学の話題にも触れています。短いですが、チャーリーらしさが凝縮されている一節をご紹介します。(日本語は拙訳)

戦火の激しさが大西洋のこちら側にも伝わってきた1941年に、チャーリーはセントラル高校を卒業し、オマハを離れてミシガン大学へ進んだ。数字を使った論理・論法に惹かれていたので、数学を専攻した。また彼は、科学の履修要件を満たすためにある基礎的な単位を登録したことで、物理学に出会った。そして物理学のもつ力やその際限のない広がりに魅了されていった。とくに影響を受けたのは物理学者が従っているプロセスで、アルバート・アインシュタインのような人が未知の物事に立ち向かうときに使うものだ。その後チャーリーは、問題解決をする際には、好んで物理学的なやりかたで取り組むようになった。この技能は、人生におけるさまざまな問題を整理して把握するのに役立つ、と彼は考えているのだ。彼は折にふれてこう述べている。成功したければ、物理学を勉強しなさい。そこに登場する概念や数式は、理にかなった理論が持つ威力の大きさを、あざやかにみせてくれますよ、と。

In 1941, as the war raged across the Atlantic, Charlie graduated from Central High School and left Omaha for the University of Michigan. There he chose mathematics as his major, drawn by the appeal of numerical logic and reason. He also discovered physics after enrolling in a basic course to fulfill an academic requirement for science. Charlie was fascinated by the power of physics and its boundless reach. In particular, he was impressed by the process followed by physicists, such as Albert Einstein, to address the unknown. Physics-like problem solving was to become a passion for Charlie and is a skill he considers helpful in framing the problems of life. He has often stated that anyone who wants to be successful should study physics because its concepts and formulas so beautifully demonstrate the powers of sound theory.

2012年11月13日火曜日

金持ちの知り合いはたくさんいます(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの世知入門、今回はセクター・ローテーションの話題です。(日本語は拙訳)

投資家が市場に勝つためには、いいかえれば平均以上の成績を長期にわたってあげるには、普通株の銘柄選定を行うものとしてはどのスタイルをとるべきでしょうか。耳目を集めているやりかたのひとつに、「セクター・ローテーション」と呼ばれるものがあります。何をするのかといえば、小売よりも原油銘柄のほうが株価が上がるのはいつだろうか、といったことを見極めるだけです。人気のあるセクターをそこそこ転々とすることで、他人よりもよいものを選ぶわけです。このやりかたは、長い目で見れば、まあ成功できるのではないでしょうか。

しかし、セクター・ローテーションで裕福になった人というのを、私は知りません。この方法では成功できない、とは言いません。たぶん誰かは成功しているのでしょう。しかし金持ちの知り合いはたくさんいますが、そうやって金持ちになった人は一人もいない、ということは申しておきましょう。

What style should the investor use as a picker of common stocks in order to try to beat the market - in other words, to get an above average long-term result? A standard technique that appeals to a lot of people is called “sector rotation.” You simply figure out when oils are going to outperform retailer, etc., etc., etc. You just kind of flit around being in the hot sector of the market making better choices than other people. And presumably, over a long period of time, you get ahead.

However, I know of no really rich sector rotator. Maybe some people can do it. I'm not saying they can't. All I know is that all the people I know who got rich - and I know a lot of them - did not do it that way.

2012年11月12日月曜日

少し先のことさえ、わかりません(ウォーレン・バフェット)

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今回は業績予想の話題です。ウォーレン・バフェットの2002年度「株主のみなさんへ」からの引用です。(日本語は拙訳)

業績予想や成長の見込みを吹聴する企業は疑ってかかるべきです。ビジネスを営む以上、平穏無事な状況はそうそう長続きしないため、利益は一本調子では上がっていきません。(そういうのは、投資銀行がだしてくる目論見書の中だけです)

来年はおろか、次の四半期でさえ、われわれの事業がどれだけ利益を挙げるのか、チャーリーにもわたしにも予測することはできません。ですからわたしどもは、将来が予測できると日常的に発言するようなCEOには、疑問を抱いています。宣言した目標をことごとく達成しているとしたら、絶対に信じられません。「これこれの数字を達成します」と常々約束するような経営者は、いずれは「数合わせ」をしたくなるからです。(PDFファイル20ページ目)

Finally, be suspicious of companies that trumpet earnings projections and growth expectations. Businesses seldom operate in a tranquil, no-surprise environment, and earnings simply don't advance smoothly (except, of course, in the offering books of investment bankers).

Charlie and I not only don't know today what our businesses will earn next year - we don't even know what they will earn next quarter. We are suspicious of those CEOs who regularly claim they do know the future - and we become downright incredulous if they consistently reach their declared targets. Managers that always promise to “make the numbers” will at some point be tempted to make up the numbers.


先行きが不透明になってきて、各社の業績予想も控えめになってきました。そうであっても先のことがわからない以上、細かな数字の差異にこだわるのはミスター・マーケットに任せておいて、事業の本質を的確に把握したり、じっと機会を待ち続けたりすることに、心を向けたいと思います。