「バリュー投資」という言葉は投資の世界でもっとも乱用され、ばらばらな使われ方をしているもののひとつだ。さまざまな投資戦略において「バリュー投資」が偽名として採用されているが、グレアムによって導入された本来の投資思想とはほとんど関係のないものが多い。1980年代中盤になってバリューという看板がますます誤用されるようになったが、これは本物のバリュー投資家が長期的に成功していることが広く知られ始めたことによる。バークシャー・ハサウェイのバフェット、ミューチュアル・シリーズ・ファンドのマイケル・プライスと故マックス・L・ハイネ、セコイア・ファンドのウィリアム・ルーアンとリチャード・カニフといった面々である。その成績にひきつけられた「自称バリュー投資家」は非常に多いが、運用資金を呼びこみたいがためにころころと戦略をとりかえる「投資版カメレオン」というのが彼らの実態である。
そういった自称バリュー投資家は「バリュー投資もどき」にすぎない。真のバリュー投資家とは、バリュー投資の知恵を咀嚼した規律を重んじる職人なのだ。むしろ彼らのような偽者はバリュー投資の保守的な掟に背いている。ビジネスの価値を過大評価して証券を高く買い、顧客の資金を運用する際に安全余裕をとっていない。この種の投資家はみずからの軽率さにもかかわらず(あるいはそれゆえに)、上昇相場の時期にはよい投資成績を手にすることができる。1980年代の後半には、バリューもどきは見事な好成績をあげて広く認知された。その主たる要因は、当時流行していた相対取引上の価値が過大評価されたためだった。しかし1990年になってビジネスの評価が歴史的な水準に回帰すると、ほとんどのバリューもどきは大幅な損失に悩まされた。
「美しさ」に対する見方と同じで、「バリュー」においても見る者によって異なった判断が下される。そのため事実上すべての証券がだれかの目には割安にみえる。短期的には、ひどく楽観的な投資家が誤っていることを証明するのは難しい。バリューは正確に測れるものではないため、しばらくは株式が過大評価されつづけることがあるからだ。つまり証券を買う者はそれがなんであれ、しばしの間はバリュー投資家を名のることができる。
皮肉なことに、1980年代後半には真のバリュー投資家が冷や飯を食わされることが多かった。バリューもどきが主張する「大安売り」証券は適正あるいは過大に評価されていたため、それには乗らなかったのだ。そのためバリューもどきがあげた成果を、一時的ながら下回る者が多かった。いちばん保守的だった者は「警戒しすぎだ」として実際に非難を受けた。しかし1990年になると、その慎重さが正しかったことが明らかになった。
(中略)
バリュー投資は理解しやすいが、実際にやるのはむずかしい。絶好の機会をみつけたり価値を査定するために、難解なコンピューター・モデルを作り上げて実行するような、非常に洗練された分析を行う凄腕の持ち主。いいや、バリュー投資家のむずかしさとはそのようなものではない。むずかしいのは、規律を守って、じっと辛抱し、適切に判断することである。頻繁にやってくるつまらない悪球を無視できること、好球が来るまでじっとこらえられること、バットをいつ振るべきか判断できること。この要件を兼ねそなえることが求められているのだ。(p.102)
"Value investing" is one of the most overused and inconsistently applied terms in the investment business. A broad range of strategies make use of value investing as a pseudonym. Many have little or nothing to do with the philosophy of investing originally espoused by Graham. The misuse of the value label accelerated in the mid-1980s in the wake of increasing publicity given to the long-term successes of true value investors such as Buffett at Berkshire Hathaway, Inc., Michael Price and the late Max L. Heine at Mutual Series Fund, Inc., and William Ruane and Richard Cunniff at the Sequoia Fund, Inc., among others. Their results attracted a great many "value pretenders," investment chameleons who frequently change strategies in order to attract funds to manage.
These value pretenders are not true value investors, disciplined craftspeople who understand and accept the wisdom of the value approach. Rather they are charlatans who violate the conservative dictates of value investing, using inflated business valuations, overpaying for securities, and failing to achieve a margin of safety for their clients. These investors, despite (or perhaps as a direct result of) their imprudence, are able to achieve good investment results in times of rising markets. During the latter half of the 1980s, value pretenders gained widespread acceptance, earning high, even spectacular, returns. Many of them benefitted from the overstated private-market values that were prevalent during those years; when business valuations returned to historical levels in 1990, however, most value pretenders suffered substantial losses.
To some extent value, like beauty, is in the eye of the beholder; virtually any security may appear to be a bargain to someone. It is hard to prove an overly optimistic investor wrong in the short run since value is not precisely measurable and since stocks can remain overvalued for a long time. Accordingly, the buyer of virtually any security can claim to be a value investor at least for a while.
Ironically, many true value investors fell into disfavor during the late 1980s. As they avoided participating in the fully valued and overvalued securities that the value pretenders claimed to be bargains, many of them temporarily underperformed the results achieved by the value pretenders. The most conservative were actually criticized for their "excessive" caution, prudence that proved well founded in 1990.
(skipped)
Value investing is simple to understand but difficult to implement. Value investors are not supersophisticated analytical wizards who create and apply intricate computer models to find attractive opportunities or assess underlying value. The hard part is discipline, patience, and judgment. Investors need discipline to avoid the many unattractive pitches that are thrown, patience to wait for the right pitch, and judgment to know when it is time to swing.
2013年6月24日月曜日
バリュー投資家もどき(セス・クラーマン)
ファンド・マネージャーのセス・クラーマンの著書『Margin of Safety』からの引用です。前回と同様に、今回も第6章「バリュー投資: 安全余裕の重要性について」(Value Investing: The Importance of a Margin of Safety)からご紹介します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
== No title ==
betseldomさん
いつもブログ拝見しております。
安全余裕について非常に興味ある話題ですね!
私もバリュー投資家になりたいと思っている一人です。
ですが、真のバリュー投資家になるには非常に大変なのでしょうね。
「バリュー投資家もどき」にならないように
努力していきたいものです。
== 投資男さん、ありがとうございます ==
投資男さん、こんにちは。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。投資男さんも書かれていたかもしれませんが、バリュー投資家には孤独というか孤高を厭わない性質も要求されていますね。この点ともうひとつ「規律を守ること」の二つが、バリュー投資を貫きとおす際の大きな心理的障壁と感じています。
投資男さんのブログですが、流行りの話題もあっていろいろと参考になります。また『国富論』は6年前に新訳が出たときに手にしたものの、銀価格のあたりで挫折しました。が、投資男さんから刺激をうけて一から読み直している最中です。今回はいろいろと気づく点が多く、アダム・スミスの聡明さに感心しながら読んでいます。
それではまたよろしくお願いします。
失礼致します。
コメントを投稿