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2013年5月18日土曜日

全額投資について(セス・クラーマン)

ファンド・マネージャーのセス・クラーマンの著書『Margin of Safety』からの引用です。前回につづいて今回も第3章「成績競争にいそしむ機関投資家、負けるのは顧客」(The Institutional Performance Derby: The Client Is the Loser)からご紹介します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

繰り返しになりますが、Wikipediaによれば、同氏のファンドBaupostは預かり資産3兆円近くに達するヘッジファンドです。

資金全額を常時投資することについて

機関投資家は常に資金全額を投資することを自ら強要しているため、あまり柔軟に対応できないことが多い。自分の仕事は銘柄を選ぶことであり、マーケット・タイミング(投資する時期)をはかることでない、と彼らの多くは解釈している。顧客のほうがマーケット・タイミングを判断した上で、全額を投資するように資金をゆだねている、と機関投資家は信じているのだ。

資金全額を常時投資するとなれば、投資という仕事はたしかに単純なものとなる。投資家は現時点で有効な最善の投資をえらぶだけでよくなるからだ。相対的にみたときの魅力の多寡が投資をきめる唯一の判断基準となり、絶対的な水準には照らしあわせないことになる。全額投資するという単なる規則にしたがって基準以下の投資をする人は、投資における利点という重要な基準を残念ながら理解していないか、うしなっている。よくて月並みなリターンを生むにおわり、悪ければこれからくる良き投資機会を失うという高い機会費用を支払った上で、巨額の損失に至るリスクもかかえることになる。

常時全額投資という方針は、相対評価志向と通じるものがある。市場に打ち勝ち、かつ大きく離されないことが目的だとすると(特に短期的な視野で)、100パーセント投資しつづけるのは理にかなっている。あえて待機するよう指示されている以外のファンドは、市場の成績を下回らないためには資金を市場へ投下せざるをえない。

それとは対照的に、絶対評価志向にもとづく投資家は、絶対的な価値基準に見合うときだけ投資に踏みきる。見合った機会がふんだんにあり、なおかつ確信に足る魅力があるときだけ全額投資をえらぶだろうし、その条件がどちらも満たされなければもっと少ない金額しか投資しない道を好むだろう。投資の世界では、なにもしないことが最善というときがある。しかし機関投資家のマネージャーは競争相手の大多数が同じほうへ傾かないかぎり、この別案を採用したがらない。(p.44)

Remain Fully Invested at All Times

The flexibility of institutional investors is frequently limited by a self-imposed requirement to be fully invested at all times. Many institutions interpret their task as stock picking, not market timing; they believe that their clients have made the market-timing decision and pay them to fully invest all funds under their management.

Remaining fully invested at all times certainly simplifies the investment task. The investor simply chooses the best available investments. Relative attractiveness becomes the only investment yardstick; no absolute standard is to be met. Unfortunately the important criterion of investment merit is obscured or lost when substandard investments are acquired solely to remain fully invested. Such investments will at best generate mediocre returns; at worst they entail both a high opportunity cost - foregoing the next good opportunity to invest - and the risk of appreciable loss.

Remaining fully invested at all times is consistent with a relative-performance orientation. If one's goal is to beat the market (particularly on a short-term basis) without falling significantly behind, it makes sense to remain 100 percent invested. Funds that would otherwise be idle must be invested in the market in order not to underperform the market.

Absolute-performance-oriented investors, by contrast, will buy only when investments meet absolute standards of value. They will choose to be fully invested only when available opportunities are both sufficient in number and compelling in attractiveness, preferring to remain less than fully invested when both conditions are not met. In investing, there are times when the best thing to do is nothing at all. Yet institutional money managers are unlikely to adopt this alternative unless most of their competitors are similarly inclined.

2 件のコメント:

bf さんのコメント...

== No title ==
>投資の世界では、なにもしないことが最善というときがある。
何かをするということと、何かをしないということを比較したときに、何かをするということのほうは、あれこれと注目され、賞賛または批判されやすいけれども、何もしないときには、話題にすら上らないことはありますよね。
でも本当は、この「何もしない」という不作為こそが、注目に値することなんでしょうね。

betseldom さんのコメント...

== bfさん、ありがとうございます ==
bfさん、こんにちは。コメントをありがとうございました。
「何もしないという不作為こそが、注目に値する」と書かれていますが、「動」物の一員である人間にはむずかしいことなのでしょうね。この文章を読んで、チャーリー・マンガーの次の言葉を思い出しました。
「じっと辛抱していられなくて何かしたくなれば、それこそやらない」
http://betseldom.blogspot.com/2012/03/mf-13.html
どうもありがとうございます。
それでは失礼します。