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2017年8月8日火曜日

投資家が見せる、ある種の楽観(ハワード・マークス)

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前回ご紹介したハワード・マークスのレターの続きです。(日本語は拙訳)

強気相場を牽引するそれら最強銘柄の株価は、必ずや完璧な金額にまで到達します。しかし多くの場合、やがてはその企業の完璧さが幻想あるいは儚い(はかない)ものだったことがわかります。ニフティー・フィフティーに含まれていた「不敗銘柄」とされた企業のなかには、市場で生じた巨大な変化によって最終的には機能不全となった会社もありました。コダック、ポラロイド、ゼロックス、シアーズ、シンプリシティー・パターン(当時は自分の衣服を自身で裁縫する人が多かったのですが、わかりましたか)の各社です。それはまさしく、投資家の出した資金を蒸発させるためにも完璧でした。またそれだけではなく、成功していた企業の株価のほうも、より標準に近い倍率へと回帰しました。その結果、株式から得られる利益率は平均未満となったのです。

高い倍率へと株価が力強く上昇すると、少数の銘柄が強気相場における牽引役となります。しかしそのあとには価格の反転訂正がつづき、最大の損失を背負うことになる例がよくみられます。肯定的な雰囲気の中でものごとがうまく進んでいると、そのような展開になる可能性が難なく見逃されてしまうのです。

最後になりますが、「市場におけるテクニカルな要因のおかげで、牽引者たる株式を猛烈に買う行為が、終わることなく継続する」現象を説明する解釈がたびたび生じています。つまり「最高上昇率の銘柄がその座を保ち続ける」という意味です。たとえば1990年代終盤のテクノロジー銘柄のバブルの際には、投資家の間で次のような結論が下されました。

・株価が好調なため、その企業はこれからも資本を惹きつける。
・テクノロジー業界の企業及びその株式は最高の成績をあげているため、今後もまちがいなく新規購入資金における不釣り合いなまでの割合を惹きつける。
・テクノロジー株が際立った上昇率をみせたことで、さらに多くのテクノロジー銘柄が株式インデックスへ追加される。
・それによってインデックス・ファンドや隠れインデックス実践者は、購入資金のなかからこれまで以上の割合をテクノロジー株へと振り向ける必要が生じる。
・インデックスの利回りに遅れまいとして、ベンチマーク主導型のアクティブ運用者はテクノロジー株の保有割合を増やさざるを得なくなる。
・それゆえに、テクノロジー株が購入資金のなかで占める割合は増える一方で止むことをしらず、さらには平均成績を上回り続けることも確実である。

これをして、「好循環」あるいは「永久機関」と呼ぶ人がいるかもしれません。強気相場にあって、投資家の想像力を焚きつける種類の考えです。しかし「永遠に続く」と謳う論理は、ときにはそれ自身の重みゆえに、崩壊する定めにあります。西暦2000年がそうだったように。

投資において考慮すべき最も重要な点には、直観に反するものがたくさんあります。そのひとつが、「他のものを永久に上回りそうな市場やニッチやグループは存在しない」ことを理解できる力です。人間の性質から言って、「最高」とされるものはなんであれ、輝かしいファンダメンタルを有していることを考慮しても、行き過ぎた高値になる定めにあります。それゆえにファンダメンタルが現状維持であっても、高すぎる金額に達している株価の成績は平凡な数字になります。そして実は最高ではなかったことがわかったり、あるいは事業が失速し始めれば、ファンダメンタルの低下と株価倍率の減少が二重に襲いかかり、ひどく痛ましい事態がやってくるかもしれません。

"FAANG"の各社が抜群ではないとか、上にあげたような結末を迎えるであろうと言っているわけではありません。ただ、そういった企業が現在高い地位にあることが、「投資家が見せる、ある種の楽観」を示す兆候だと言っているだけです。これは、私たちが注視すべき点です。

The super-stocks that lead a bull market inevitably become priced for perfection. And in many cases the companies' perfection turns out eventually to be either illusory or ephemeral. Some of the "can't lose" companies of the Nifty Fifty were ultimately crippled by massive changes in their markets, including Kodak, Polaroid, Xerox, Sears and Simplicity Pattern (do you see many people sewing their own clothes these days?). Not only did the perfection that investors had paid for evaporate, but even the successful companies' stock prices reverted to more-normal valuation multiples, resulting in sub-par equity returns.

The powerful multiple expansion that makes a small number of stocks the leaders in a bull market is often reversed in the correction that follows, saddling them with the biggest losses. But when the mood is positive and things are going well, the likelihood of such a development is easily overlooked.

Finally, a rationale often arises to the effect that, thanks to market technicals, investors' powerful buying of the leading stocks is sure to continue non-stop, meaning they can't help but remain the best performers. In the tech bubble of the late 1990's, for example, investors concluded that:

- stocks were doing so well that they would continue to attract capital,
- since tech companies and tech stocks were the best performers, they were sure to continue attracting a disproportionate share of the new buying,
- the superior performance of the tech stocks would cause more of them to be added to the stock indices,
- this would require index funds and closet indexers to direct a rising share of their buying to tech stocks,
- in order to keep up with the returns on the indices, benchmark-conscious active managers would have to respond by increasing their tech stock holdings, and,
- thus tech stocks couldn't fail to attract an ever-rising share of buying, and were sure to keep outperforming.

You can call this a virtuous circle or a perpetual motion machine. It's the kind of thing that fires investors' imaginations in a bull market. But the logic that says it will work forever always collapses, sometimes just under its own weight, as was the case in 2000.

Many of the most important considerations in investing are counterintuitive. One of those is the ability to understand that no market, niche or group is likely to outperform the others forever. Given human nature, "the best" will always come eventually to be overpriced, even for their stellar fundamentals. Thus even if the fundamentals hold up, the stocks' performance from those too-high prices will become ordinary. And if they turn out not really to have been the best - or if their business falters - the combination of fundamental decline and multiple contraction can be really painful.

I'm not saying the FAANGs aren't great, or that they'll suffer such a fate. Just that their elevated status today is a sign of the kind of investor optimism for which we must be on the lookout.

2017年8月4日金曜日

最強銘柄が選出されるとき(ハワード・マークス)

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ハワード・マークスが新しいメモを7月末に公開していました。彼は2冊目の著作を現在執筆中で、来年刊行の予定だそうです。新刊で扱うテーマは「周期」で、今回のメモでもその種になる話題が含まれているとのことです。そのこともあったのでしょう、「いつもの2倍」ほどの長さになったメモは正味22ページあり、現状に対して彼が感じている想いやその元となる事実が、さまざまな観点から書き連ねてあります。彼は「未来を予測するものではなく、きざしを示すだけ」だと表明していますが、個人的にはそのほうがありがたいです。今回のメモは通読する価値があります。

さて今回からの投稿では、メモの一部をご紹介します。はじめに、"Super-Stocks"(最高の株式銘柄)と題した一節を取り上げます。原文は以下のリンク先にあります。(日本語は拙訳)

There They Go Again... Again [PDF] (Oaktree Capital Management)

最高の株式銘柄

強気相場というものは、株式のなかから「最強の銘柄」とされる一群が選出されることによって特徴づけられることがよくあります。一群の周囲をただよう魅惑的な伝説は、他の要因と相まって株価上昇の機運を支えます。その現象が極端な段階にまで達すれば、毎度のことながらも4ページ目に列挙したようなブームの際にみられる要素を、ある程度満たすようになります。たとえば以下のようなものです。

・「中断する術を持たない好循環」を信用すること。
・「企業の持つ本質的な強みを考慮すれば、株価が高すぎることはない」と確信すること。
・そのような肯定的見解を無制限に外挿することに対して、投資家みずからが疑念を抱かないこと。

現在起こっている循環をみると、"FAANG"(フェイスブック、アマゾン、アップル、ネットフリックス、社名を変更してアルファベットとなったグーグル)によって代表されるテクノロジー企業の小集団へそれらの特徴が当てはまります。どの企業も秀でたビジネス・モデルを誇示し、市場では比類なきリーダーシップを露わにしています。ここでもっとも重要なのは、「各社は未来を手中にしており、それゆえにこれからも勝者たること必至」とみなされている点です。

好循環が続いている間は、たしかにその通りです。まさしく1960年代のニフティー・フィフティー銘柄がそうだったように。はたまた70年代の石油株や80年代のハードディスク会社、90年代のテクノロジー・メディア・通信会社がそうだったように。しかしそれらの時代には、次のようなことが生じました。

・予期せぬ形で環境が変化した。
・ビジネス・モデルの新規性ゆえに隠れていた欠陥が明らかになった。
・競争が激化した。
・卓越したコンセプトが事業運営上の弱さを招いた。
・企業のファンダメンタルがいかに優れていても、株価が割高となって巨額の損失をもたらした。

FAANGの各社は実にすばらしい企業で、急速に成長しています。また(競合が存在する領域では)、敵を粉砕しています。しかしながら、なかには利益率の高くない企業がありますし、売上高と比較して利益の伸びが鈍化している企業もあります。「明日の超優良企業」と断言できる会社もありますが、各社すべてがそうだと言えるでしょうか。向かうところ敵なしで、成功するのは絶対確実なのでしょうか。

そういった企業の株を投資家が購入する際の株価は、当該企業が現在あげている利益の30年分以上になるのが普通です。明らかな理由があるからこそ、少し先までの成長見通しに胸躍らせるのでしょうが、それでは長期的に見たときにその利益水準は持続するものでしょうか。利益に対して高い倍率の値段がついている株式の場合、その価値の多くは必然的に「長期」の位置を占めるわけです。[息子の]アンドリューの指摘では、iPhoneが世に出てからちょうど10年ですし、インターネットが広く使われるようになってから20年は経過していません。このことから次の疑問が浮かび上がります。「テクノロジーに資金を投じる投資家は、本当に未来を観通せるのか。それゆえに、長期的な収益力に関して抱いている楽観的な各種の仮定、それらが総合された購入金額に対してどれだけの幸福を感じたらよいのか」。もちろんですが、まだまだ若いそれらの企業にとって最上の時はこれからやってくることを、単純に意味しているだけなのかもしれません。

この話題に関する一節を、ある企業が株主向けに書いた1997年度のレターから引用します。

私たちは、数多くの重要な戦略的パートナーと長期的な提携関係を結びました。そのなかには、アメリカ・オンライン、ヤフー、エキサイト、ネットスケープ、ジオシティーズ、アルタビスタ、アット・ホーム、プロディジーの各社が含まれています。


上の文に出てくる「重要な戦略的パートナー」のうち、現在も意味のある形で存在している企業は何社あると思われますか(重要なのか、あるいは戦略的なのか、という疑問は別として)。正解は0社です(ヤフー社はその条件を満たしていないはずだと考えるのであれば、正解は1社となるでしょう)。この文章は、アマゾン社の1997年度の年次報告書から抜粋したものです。つまるところ、将来とは予測できないものであり、小さな欠陥に無縁なものや企業なぞ存在しないのです。(p. 6)

(この項つづく)

Super-Stocks

Bull markets are often marked by the anointment of a single group of stocks as “the greatest,” and the attractive legend surrounding this group is among the factors that support the bull move. When taken to the extreme - as it invariably is - this phenomenon satisfies some of the elements in a boom listed on page four, including:

- trust in a virtuous circle incapable of being interrupted;
- conviction that, given the companies’ fundamental merit, there’s no price too high for their stocks; and
- the willing suspension of disbelief that allows investors to extrapolate thse positive views to infinity.

In the current iteration, these attributes are being applied to a small group of tech-based companies, which are typified by “the FAANGs”: Facebook, Amazon, Apple, Netflix and Google (now renamed Alphabet). They all sport great business models and unchallenged leadership in their markets. Most importantly, they’re viewed as having captured the future and thus as sure to be winners in the years to come.

True as far as it goes … just as it appeared to be true of the Nifty-Fifty in the 1960s, oil stocks in the '70s, disk drive companies in the '80s, and tech/media/telecom in the late '90s. But in each of those cases:

- the environment changed in unforeseen ways,
- it turned out that the newness of the business model had hidden its flaws,
- competition arose,
- excellence in the concept gave rise to weaknesses in execution, and/or
- it was shown that even great fundamentals can become overpriced and thus give way to massive losses.

The FAANGs are truly great companies, growing rapidly and trouncing the competition (where it exists). But some are doing so without much profitability, and for others profits are growing slower than revenues. Some of them doubtless will be the great companies of tomorrow. But will they all? Are they invincible, and is their success truly inevitable?

The prices investors are paying for these stocks generally represent 30 or more years of the companies' current earnings. There are clear reasons to be excited about their growth in the near term, but what about the durability of earnings over the long term, where much of the value in a high-multiple stock necessarily lies? Andrew points out that the iPhone is just ten years old, and twenty years ago the Internet wasn't in widespread use. That raises the question of whether investors in technology can really see the future, and thus how happy they should be paying prices that incorporate optimistic assumptions regarding long-term earnings power. Of course, this may just mean the best is yet to come for these fairly young companies.

Here's a passage from one company's 1997 letter to shareholders:

We established long-term relationships with many important strategic partners, including America Online, Yahoo!, Excite, Netscape, GeoCities, AltaVista, @Home, and Prodigy.


How many of these "important strategic partners" still exist in a meaningful way today (leaving aside the question of whether they're important or strategic)? The answer is zero (unless you believe Yahoo! satisfies the criteria, in which case the answer is one). The source of the citation is Amazon's 1997 annual report, and the bottom line is that the future is unpredictable, and nothing and no company is immune to glitches.

2017年7月28日金曜日

逃げることが英雄的だった(『進化は万能である』)

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英国の著述家マット・リドレーの作品は楽しみにしており、昨年翻訳された『進化は万能である』をようやく読了しました。

題名が示すように、本書では「進化」現象が生物に限定されるものではなく、さまざまな領域でみられることを論じています。たとえば、経済・教育・政府・宗教・通貨といったソフト・サイエンスの章が登場します。過激な論調あり、やや飛躍的(に感じられるよう)な論理もありますが、リチャード・ドーキンスの系譜を感じさせるスタイルや主張は、個人的には十分に楽しめました。

ところで、同氏は興味の対象がハード・サイエンスにとどまらず、拡散するタイプの人なのだろうかと感じて少し調べてみたところ、いまさらながら納得しました。そもそも貴族の家系で世襲議員でもあり、金融危機前の一時期には銀行の取締役会会長も務めていたのですね。元気のいい、一介のサイエンス・ライターかと思っていましたが、大違いでした。

さて今回ご紹介する文章は、本題からはずれた内容です。「逃げる」話題について、2つの章から引用します。まずは、第10章「教育の進化」からです。

経済史学者のスティーヴン・デイヴィスは、現代の学校形態はナポレオンがプロイセン王国を破った1806年にその起源を有すると考えている。苦汁をなめたプロイセンは、同国でも並ぶ者のない知識人のヴィルヘルム・フォン・フンボルトに意見を乞い、厳格な義務教育プログラムを策定した。おもな目的は、若者を戦争中に逃亡しない従順な兵士に育成することにあった。現在の私たちが当然と受け止めている学校教育の特徴の多くは、これらのプロイセンの学校で導入されたものだ。

(中略)

『教育の再生』という著書でラント・プリチェットは、19世紀日本の文部大臣の次のようなあからさまな発言を引用している。「あらゆる学校の管理において、なすべきことは生徒のためではなく、国家のためであることを忘れてはならない」(訳注 初代文部大臣、森有礼の言葉。原文は「学政上に於ては生徒其人の為にするに非ずして国家の為にすることを始終記憶せざるべからず」)。(p. 233)

改めて考えてみれば、自由を尊重するリベラルな人々が、5歳の子供を12-16年にわたって一種の刑務所のような場所に送り出すというのも少々おかしな話だ。そこでは罰をほのめかして教室という監獄に児童を収容し、罰を匂わせて椅子にすわって指示に従うよう強いる。もちろん、現在はディケンズの時代とは違うし、多くの児童がすばらしい教育成果を上げるが、それでも学校は人を教化しようとする、いたって全体主義的な場所だ。私の場合、刑務所のたとえはまさにぴったりだった。私が8歳から12歳のあいだを過ごした寄宿学校は規則が厳しく、苦痛を伴う体罰が頻繁に用いられ、ナチス・ドイツの戦争捕虜がトンネルを掘り、食べ物を貯め込み、鉄道の駅まで田園地帯を逃亡するルートを計画した話に、生徒は共鳴したものだった。逃亡はしょっちゅうで、厳しい罰が与えられたが、周囲からは英雄扱いされた。(p. 233)

もうひとつ、こちらは第11章「人口の進化」からです。

イギリス、フランス、そしてアメリカ政府はドイツからのユダヤ人移民の受け入れに強く抵抗し、それを正当化する理由として、あからさまな優生学的主張を使った。既存の定員に加えて、ユダヤ人の子どもたちをさらに2万人アメリカに受け入れることを認める法案は、1939年初頭、ハリー・ラフリンが組織した移民排斥主義者と優生学的圧力団体の連合によって連邦議会で否決された。1939年5月、ドイツを逃れた930名のユダヤ人を乗せた客船セントルイス号がアメリカにたどり着いた。船が入港許可を待つそのさなかにラフリンは、アメリカはその「優生学的、人種的水準」を下げるべきでないと主張する報告書を提出している。結局乗客のほとんどがヨーロッパに戻され、そこで大勢が殺されてしまった。(p. 268)

2017年7月24日月曜日

負けぬが勝ち(スティーブン・ローミック)

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ファンド・マネージャーであるスティーブン・ローミックの文章を久しぶりに取り上げます。バリュー志向の投資家の代表格であるウォーレン・バフェットと同じように、市場全般が好調な現在は相対的な成績という意味で彼も遅れをとっています。今回引用する文章は、そんな彼を信じて資金を託してくれている投資家に向けた経過報告であり、啓蒙の言葉でもあります。引用元の文章は以下のリンク先にあります。(日本語は拙訳)

Two Decades of Winning by Not Losing by Steven Romick [PDFファイル]

本質的にパッシブ投資(受動的投資)とは、長期間継続する上昇相場の間は常にすばらしく見えるものです。

もし市場なみの収益率を望んでおり、なおかつ上下変動に抵抗できるのであれば、パッシブ投資は効率的で低コストな道具としても働きます。下落相場から離れるほど、「市場が下落しても対応できる」と自負する人の数は増す一方です。もちろん、次がやってくるまでの話ですが。

同時に、指数の成績が好調なときは、「上昇に乗れるものなら何でも実行すべき」という圧力を感じる投資家が、個人であれプロであれ大勢いるのは相違ないでしょう。

他者と違うことを恐れるわけです。他者から逸脱するのはまずいわけです。ですから、あらゆるセクターにわたる証券を過度なまでに多数保有しておけば、他者と違うことでクビになる事態を確実に回避できます。しかし、そのような投資をしなければいけないとしたら、わたしならばサーフィンに出かけて時間をつぶします。

パッシブ投資は加速的に増加し、今や米国市場で40%前後を占めるようになりました。しかしそれゆえに、「ベンチマークを上回るのは実に容易だ」と思える時期ができる一方、そうは思えない時期が続いてやってくるのは間違いないと思います。

先ほど触れたアクティブ投資に対する学術的な反論は、根本的な部分で間違っています。というのも、誤った前提に基づいているからです。「最高の成績をあげる株式だけが投資成績を左右する」とありましたが、別の面を考慮していません。わが心に刻んでいる格言をです..。

つまり、成績が最低の株式を避けることでも良い数字をつくれる点です(わたしが自分自身の成績を話しているとすれば、結論がどうなのかはみなさんにお任せしましょう)

さらに、そういった批判者は単年度の成績を重視しすぎています。そして市場サイクル1周分にわたる成績を無視しています。そのような見方は短期志向につながります。変節して群衆に加わることで、頭のいい人たちがあらゆる類の認知的不協和の犠牲となりますが、短期的な見方がそういった認知的不協和を生み出す土壌になっています。

1990年代末期におけるインターネットは、破壊的な変革者として急成長するとみられていました。たしかにそうなりましたが、当時のインターネット株の大半は、みなさんもご存知の通り、まったくもって不合理な水準の値段が付けられていました。

しかし、それを見送ることのできなかった頭のいい人たちが大勢いました。おそらく彼らは、友人のように儲けられないことを心配したのでしょう。あるいは、クビになるのが怖かったのでしょう。理由はどうであれ、参加した人たちは概して大きな損失を出しました。

2008年は恐慌の瀬戸際に立たされた年でした。悪化する経済と共に株も下落し続けると信じて、多くの投資家が早々に持ち株や債券を処分しました。その行動が正しかったように見えたものの、それはしばらくの間だけでした。

市場を離れたものの自分の過ちを認識し、後になってから、つまり経済の足取りが堅実だとわかってから市場へ戻ってきた人もいました。しかしまた、価格はすでに反発していました。

これらは短期的な見方と言えます。

投資で成功するためにはカギがあります。辛抱すること、長期的視点を持つこと、流行りものを避けることです。この数十年間において米国でもっとも成功した株式投資家のなかには、最新・最高を探し当てたわけではない人もいます。

少しばかり名前を挙げてみましょう。ウォーレン・バフェット、セス・クラーマン、ジャン=マリー・エベヤール、そして20年間にわたって私のパートナーだったボブ・ロドリゲスです。それらの人たちは、あらゆる種類の投資家から尊敬される成績を長期間築いてきました。

彼らは大きな成功をおさめました。しかし、うらやむほどの成績をあげるために、ある年に最高だった数少ない銘柄を保有していた人は、皆無です。ホームランを打つことではなく、三振をとられないことで彼らは成功したのです。言い換えれば「負けないことで勝った」わけで、これはわたしたちのやりかたを象徴する言葉でもあります。(p. 2)

Fundamentally, passive investment is always going to look great during a long-lasting bull market.

If someone wants market rates of return and can withstand some volatility, then it can also serve as an efficient, low-cost tool. The further you get away from a bear market, the greater the number of people who have convinced themselves they can handle the downside - until the next time, of course

In the interim, if the indices are performing well, then you can bet that many investors - individuals and professionals, alike - are going to feel pressure to do whatever they can to ride the bull.

They fear being different. Tracking error is bad. Owning too many securities in every sector is a sure way to avoid being fired for being different. I’d rather spend my time surfing than to have to invest like that.

Thanks to the accelerated increase of passive investing - now around 40% of the U.S. market - I’m confident that there will be a period when it will look really easy to beat a benchmark - followed by another time when, again, it won’t.

This academic argument against active investment is fundamentally flawed because it’s built on a false premise, which holds that only the best performing stocks will drive returns. The argument doesn’t consider the other side…. A maxim I’ve taken to heart….

If you avoid the worst performing stocks, you can still put up good numbers. (I’ll leave it to you to conclude if I’m just talking my book.)

Further, these critics place too much weight on performance in each year… and ignore performance over a full-market cycle. This leads to short-termism. And short-termism is a breeding ground for all sorts of cognitive dissonance to which smart people fall prey when trying to adapt and join the crowd.

People viewed the internet as a fast-growing disruptive game changer in the late 1990s. And so it was, but as you know, internet stocks of that era were largely priced at wholly illogical levels.

Yet, many smart people couldn’t handle not participating. Maybe they were worried about not making as much as their friends. Or maybe they were worried about being fired. Whatever the reason, if they participated they generally lost badly.

In 2008, we sat on the precipice of a depression and many investors quickly liquidated their stocks and bonds, believing the economy would get worse, and stocks would continue to decline. It appeared correct to do so… for a time.

Some of those who exited the market realized their mistakes and came back to the market… down the road… after the economy found firmer footing… but also after prices had already rebounded.

Short-termism.

Patience, a long-term focus, and avoiding the fads are key for successful investing. Some of the most successful stock investors of the last few decades in the United States aren’t known for finding the latest and greatest.

I give you as just a few examples: Warren Buffett, Seth Klarman, Jean-Marie Eveillard, and my former partner of two decades, Bob Rodriguez. Each compiled a long track record respected by investors of all types.

Each had their share of winners, but none created their enviable performance by owning those few golden stocks of a given year. They won by not striking out, rather than by hitting grand slams. In other words, they won by not losing - emblematic of our approach.

2017年7月20日木曜日

『日進工具のニッチトップ戦略』(元会長、後藤勇氏(故人))

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震災後の2011年から投資している企業に、日進工具(6157)という小さな会社があります(過去記事の一例はこちら)。同社の会長だった後藤勇氏は、先月開催された株主総会の直前に69才でお亡くなりになりました。過去に一度総会に参加した際に、細々とした質問にも気軽に答えてくださったことを覚えています。「カラッとした陽気な性格の、たたき上げの創業者一族経営者」という印象の方でした。

同氏は2年前に『日進工具のニッチトップ戦略』という本を出版されていました。その中から印象に残った箇所をご紹介します。ひとつめの引用は、製造を担当していた同氏が営業の最前線も担当することになった頃の話です。

飛び込み営業を始めた初期においては、訪問先から「エンドミルは大手メーカーのもので間に合っているから、テストカットなどしなくてよい」とか、「今、忙しいから、帰れ」-など、罵声に近い言い方を何度もされた。

"営業担当として、訪問先からのお断りをいかにして乗り越えるか"-追い詰められていた私は、いろいろ考えた。

こうした局面においては、他社の営業担当は、サンプル品を置いて、後日、再訪問して売り込むケースが見られた。お客様からも「サンプルを置いていけ」とよく言われた。

私はこれをやらず、訪問先から材料と機械を借りて、私が自ら段取りを行い、切削加工してみせた。すると、お客様は関心を示し、加工で困っていることなどを話し始めてくれた。入社以来、地道に製造に携わり、培ってきた知識とノウハウが役立ったのだ。嬉しかった。いわゆる"実演販売"である。

同時に、大切なことを学んだ。それは、顧客は製品の価値を理解して購入して下さるのだから、絶対に、大幅な値引き販売、安易なサンプル品提供などは行わないことである。あわせて、常に、顧客のニーズを探求し、これをベースに製品開発する重要性も学んだ。これを怠ると、他社製品との差別化が進まず、過当競争を招き、その結果、価格の維持が困難になる。大事なことは、使い手と作り手双方に利益をもたらす"価値の等価交換"である。(p. 29)

"実演販売"の部分は心理的なうまいやりかたが何重にも組み込まれていて、つくづく感心しました。

もうひとつは株式投資家にはおなじみの概念、「逆張り」についてです。

中小企業にとって、優秀な人材を確保することは、至難の業に近い。このため、私は、常に、世の中が不景気な時に、意欲的に、社員を採用するようにしている。不景気になると、大企業は採用を必要最小限に止める。この時こそ、中小企業にとってはチャンスとなる。

また、機械を設備する時も同様で、不景気の時に行うようにしている。不景気になると、売り手市場から買い手市場になるので、納期が早まり、手間の掛かる特別仕様に対しても柔軟に対応してくれる。それに、価格交渉も有利となる。

工場用地の取得や工場建設に関しても、事情は同じ。土地の価格交渉でも有利だし、建設資材は値下がりし、工期も早まる。

私は、こうした不景気での対応を"逆張り経営"と称し、これを実践してきた。この結果、大きな成果を生み出すことができた。

ただし、常に、思い切った"勇気"と"決断"を要した。社内では、「人は不足していないのに、なぜ、不景気な時に社員を採用するのか」といった反対の声が聞かれた。機械を設備する時も同じで、「今は間に合っているのだから、わざわざ、不景気な時に設備することはない」など、ブーイングに近い声が私の耳に届いた。

そうした時、私は、「責任はすべて社長にある」とし、信念を持って、実行した。(p. 155)

よくあるエピソードなのかもしれませんが、厳しい時期に投資に踏み切れる経営者こそ、視点を共有できるという意味で投資家が探すべき経営者だと思います。