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2017年7月28日金曜日

逃げることが英雄的だった(『進化は万能である』)

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英国の著述家マット・リドレーの作品は楽しみにしており、昨年翻訳された『進化は万能である』をようやく読了しました。

題名が示すように、本書では「進化」現象が生物に限定されるものではなく、さまざまな領域でみられることを論じています。たとえば、経済・教育・政府・宗教・通貨といったソフト・サイエンスの章が登場します。過激な論調あり、やや飛躍的(に感じられるよう)な論理もありますが、リチャード・ドーキンスの系譜を感じさせるスタイルや主張は、個人的には十分に楽しめました。

ところで、同氏は興味の対象がハード・サイエンスにとどまらず、拡散するタイプの人なのだろうかと感じて少し調べてみたところ、いまさらながら納得しました。そもそも貴族の家系で世襲議員でもあり、金融危機前の一時期には銀行の取締役会会長も務めていたのですね。元気のいい、一介のサイエンス・ライターかと思っていましたが、大違いでした。

さて今回ご紹介する文章は、本題からはずれた内容です。「逃げる」話題について、2つの章から引用します。まずは、第10章「教育の進化」からです。

経済史学者のスティーヴン・デイヴィスは、現代の学校形態はナポレオンがプロイセン王国を破った1806年にその起源を有すると考えている。苦汁をなめたプロイセンは、同国でも並ぶ者のない知識人のヴィルヘルム・フォン・フンボルトに意見を乞い、厳格な義務教育プログラムを策定した。おもな目的は、若者を戦争中に逃亡しない従順な兵士に育成することにあった。現在の私たちが当然と受け止めている学校教育の特徴の多くは、これらのプロイセンの学校で導入されたものだ。

(中略)

『教育の再生』という著書でラント・プリチェットは、19世紀日本の文部大臣の次のようなあからさまな発言を引用している。「あらゆる学校の管理において、なすべきことは生徒のためではなく、国家のためであることを忘れてはならない」(訳注 初代文部大臣、森有礼の言葉。原文は「学政上に於ては生徒其人の為にするに非ずして国家の為にすることを始終記憶せざるべからず」)。(p. 233)

改めて考えてみれば、自由を尊重するリベラルな人々が、5歳の子供を12-16年にわたって一種の刑務所のような場所に送り出すというのも少々おかしな話だ。そこでは罰をほのめかして教室という監獄に児童を収容し、罰を匂わせて椅子にすわって指示に従うよう強いる。もちろん、現在はディケンズの時代とは違うし、多くの児童がすばらしい教育成果を上げるが、それでも学校は人を教化しようとする、いたって全体主義的な場所だ。私の場合、刑務所のたとえはまさにぴったりだった。私が8歳から12歳のあいだを過ごした寄宿学校は規則が厳しく、苦痛を伴う体罰が頻繁に用いられ、ナチス・ドイツの戦争捕虜がトンネルを掘り、食べ物を貯め込み、鉄道の駅まで田園地帯を逃亡するルートを計画した話に、生徒は共鳴したものだった。逃亡はしょっちゅうで、厳しい罰が与えられたが、周囲からは英雄扱いされた。(p. 233)

もうひとつ、こちらは第11章「人口の進化」からです。

イギリス、フランス、そしてアメリカ政府はドイツからのユダヤ人移民の受け入れに強く抵抗し、それを正当化する理由として、あからさまな優生学的主張を使った。既存の定員に加えて、ユダヤ人の子どもたちをさらに2万人アメリカに受け入れることを認める法案は、1939年初頭、ハリー・ラフリンが組織した移民排斥主義者と優生学的圧力団体の連合によって連邦議会で否決された。1939年5月、ドイツを逃れた930名のユダヤ人を乗せた客船セントルイス号がアメリカにたどり着いた。船が入港許可を待つそのさなかにラフリンは、アメリカはその「優生学的、人種的水準」を下げるべきでないと主張する報告書を提出している。結局乗客のほとんどがヨーロッパに戻され、そこで大勢が殺されてしまった。(p. 268)

2017年7月24日月曜日

負けぬが勝ち(スティーブン・ローミック)

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ファンド・マネージャーであるスティーブン・ローミックの文章を久しぶりに取り上げます。バリュー志向の投資家の代表格であるウォーレン・バフェットと同じように、市場全般が好調な現在は相対的な成績という意味で彼も遅れをとっています。今回引用する文章は、そんな彼を信じて資金を託してくれている投資家に向けた経過報告であり、啓蒙の言葉でもあります。引用元の文章は以下のリンク先にあります。(日本語は拙訳)

Two Decades of Winning by Not Losing by Steven Romick [PDFファイル]

本質的にパッシブ投資(受動的投資)とは、長期間継続する上昇相場の間は常にすばらしく見えるものです。

もし市場なみの収益率を望んでおり、なおかつ上下変動に抵抗できるのであれば、パッシブ投資は効率的で低コストな道具としても働きます。下落相場から離れるほど、「市場が下落しても対応できる」と自負する人の数は増す一方です。もちろん、次がやってくるまでの話ですが。

同時に、指数の成績が好調なときは、「上昇に乗れるものなら何でも実行すべき」という圧力を感じる投資家が、個人であれプロであれ大勢いるのは相違ないでしょう。

他者と違うことを恐れるわけです。他者から逸脱するのはまずいわけです。ですから、あらゆるセクターにわたる証券を過度なまでに多数保有しておけば、他者と違うことでクビになる事態を確実に回避できます。しかし、そのような投資をしなければいけないとしたら、わたしならばサーフィンに出かけて時間をつぶします。

パッシブ投資は加速的に増加し、今や米国市場で40%前後を占めるようになりました。しかしそれゆえに、「ベンチマークを上回るのは実に容易だ」と思える時期ができる一方、そうは思えない時期が続いてやってくるのは間違いないと思います。

先ほど触れたアクティブ投資に対する学術的な反論は、根本的な部分で間違っています。というのも、誤った前提に基づいているからです。「最高の成績をあげる株式だけが投資成績を左右する」とありましたが、別の面を考慮していません。わが心に刻んでいる格言をです..。

つまり、成績が最低の株式を避けることでも良い数字をつくれる点です(わたしが自分自身の成績を話しているとすれば、結論がどうなのかはみなさんにお任せしましょう)

さらに、そういった批判者は単年度の成績を重視しすぎています。そして市場サイクル1周分にわたる成績を無視しています。そのような見方は短期志向につながります。変節して群衆に加わることで、頭のいい人たちがあらゆる類の認知的不協和の犠牲となりますが、短期的な見方がそういった認知的不協和を生み出す土壌になっています。

1990年代末期におけるインターネットは、破壊的な変革者として急成長するとみられていました。たしかにそうなりましたが、当時のインターネット株の大半は、みなさんもご存知の通り、まったくもって不合理な水準の値段が付けられていました。

しかし、それを見送ることのできなかった頭のいい人たちが大勢いました。おそらく彼らは、友人のように儲けられないことを心配したのでしょう。あるいは、クビになるのが怖かったのでしょう。理由はどうであれ、参加した人たちは概して大きな損失を出しました。

2008年は恐慌の瀬戸際に立たされた年でした。悪化する経済と共に株も下落し続けると信じて、多くの投資家が早々に持ち株や債券を処分しました。その行動が正しかったように見えたものの、それはしばらくの間だけでした。

市場を離れたものの自分の過ちを認識し、後になってから、つまり経済の足取りが堅実だとわかってから市場へ戻ってきた人もいました。しかしまた、価格はすでに反発していました。

これらは短期的な見方と言えます。

投資で成功するためにはカギがあります。辛抱すること、長期的視点を持つこと、流行りものを避けることです。この数十年間において米国でもっとも成功した株式投資家のなかには、最新・最高を探し当てたわけではない人もいます。

少しばかり名前を挙げてみましょう。ウォーレン・バフェット、セス・クラーマン、ジャン=マリー・エベヤール、そして20年間にわたって私のパートナーだったボブ・ロドリゲスです。それらの人たちは、あらゆる種類の投資家から尊敬される成績を長期間築いてきました。

彼らは大きな成功をおさめました。しかし、うらやむほどの成績をあげるために、ある年に最高だった数少ない銘柄を保有していた人は、皆無です。ホームランを打つことではなく、三振をとられないことで彼らは成功したのです。言い換えれば「負けないことで勝った」わけで、これはわたしたちのやりかたを象徴する言葉でもあります。(p. 2)

Fundamentally, passive investment is always going to look great during a long-lasting bull market.

If someone wants market rates of return and can withstand some volatility, then it can also serve as an efficient, low-cost tool. The further you get away from a bear market, the greater the number of people who have convinced themselves they can handle the downside - until the next time, of course

In the interim, if the indices are performing well, then you can bet that many investors - individuals and professionals, alike - are going to feel pressure to do whatever they can to ride the bull.

They fear being different. Tracking error is bad. Owning too many securities in every sector is a sure way to avoid being fired for being different. I’d rather spend my time surfing than to have to invest like that.

Thanks to the accelerated increase of passive investing - now around 40% of the U.S. market - I’m confident that there will be a period when it will look really easy to beat a benchmark - followed by another time when, again, it won’t.

This academic argument against active investment is fundamentally flawed because it’s built on a false premise, which holds that only the best performing stocks will drive returns. The argument doesn’t consider the other side…. A maxim I’ve taken to heart….

If you avoid the worst performing stocks, you can still put up good numbers. (I’ll leave it to you to conclude if I’m just talking my book.)

Further, these critics place too much weight on performance in each year… and ignore performance over a full-market cycle. This leads to short-termism. And short-termism is a breeding ground for all sorts of cognitive dissonance to which smart people fall prey when trying to adapt and join the crowd.

People viewed the internet as a fast-growing disruptive game changer in the late 1990s. And so it was, but as you know, internet stocks of that era were largely priced at wholly illogical levels.

Yet, many smart people couldn’t handle not participating. Maybe they were worried about not making as much as their friends. Or maybe they were worried about being fired. Whatever the reason, if they participated they generally lost badly.

In 2008, we sat on the precipice of a depression and many investors quickly liquidated their stocks and bonds, believing the economy would get worse, and stocks would continue to decline. It appeared correct to do so… for a time.

Some of those who exited the market realized their mistakes and came back to the market… down the road… after the economy found firmer footing… but also after prices had already rebounded.

Short-termism.

Patience, a long-term focus, and avoiding the fads are key for successful investing. Some of the most successful stock investors of the last few decades in the United States aren’t known for finding the latest and greatest.

I give you as just a few examples: Warren Buffett, Seth Klarman, Jean-Marie Eveillard, and my former partner of two decades, Bob Rodriguez. Each compiled a long track record respected by investors of all types.

Each had their share of winners, but none created their enviable performance by owning those few golden stocks of a given year. They won by not striking out, rather than by hitting grand slams. In other words, they won by not losing - emblematic of our approach.

2017年7月20日木曜日

『日進工具のニッチトップ戦略』(元会長、後藤勇氏(故人))

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震災後の2011年から投資している企業に、日進工具(6157)という小さな会社があります(過去記事の一例はこちら)。同社の会長だった後藤勇氏は、先月開催された株主総会の直前に69才でお亡くなりになりました。過去に一度総会に参加した際に、細々とした質問にも気軽に答えてくださったことを覚えています。「カラッとした陽気な性格の、たたき上げの創業者一族経営者」という印象の方でした。

同氏は2年前に『日進工具のニッチトップ戦略』という本を出版されていました。その中から印象に残った箇所をご紹介します。ひとつめの引用は、製造を担当していた同氏が営業の最前線も担当することになった頃の話です。

飛び込み営業を始めた初期においては、訪問先から「エンドミルは大手メーカーのもので間に合っているから、テストカットなどしなくてよい」とか、「今、忙しいから、帰れ」-など、罵声に近い言い方を何度もされた。

"営業担当として、訪問先からのお断りをいかにして乗り越えるか"-追い詰められていた私は、いろいろ考えた。

こうした局面においては、他社の営業担当は、サンプル品を置いて、後日、再訪問して売り込むケースが見られた。お客様からも「サンプルを置いていけ」とよく言われた。

私はこれをやらず、訪問先から材料と機械を借りて、私が自ら段取りを行い、切削加工してみせた。すると、お客様は関心を示し、加工で困っていることなどを話し始めてくれた。入社以来、地道に製造に携わり、培ってきた知識とノウハウが役立ったのだ。嬉しかった。いわゆる"実演販売"である。

同時に、大切なことを学んだ。それは、顧客は製品の価値を理解して購入して下さるのだから、絶対に、大幅な値引き販売、安易なサンプル品提供などは行わないことである。あわせて、常に、顧客のニーズを探求し、これをベースに製品開発する重要性も学んだ。これを怠ると、他社製品との差別化が進まず、過当競争を招き、その結果、価格の維持が困難になる。大事なことは、使い手と作り手双方に利益をもたらす"価値の等価交換"である。(p. 29)

"実演販売"の部分は心理的なうまいやりかたが何重にも組み込まれていて、つくづく感心しました。

もうひとつは株式投資家にはおなじみの概念、「逆張り」についてです。

中小企業にとって、優秀な人材を確保することは、至難の業に近い。このため、私は、常に、世の中が不景気な時に、意欲的に、社員を採用するようにしている。不景気になると、大企業は採用を必要最小限に止める。この時こそ、中小企業にとってはチャンスとなる。

また、機械を設備する時も同様で、不景気の時に行うようにしている。不景気になると、売り手市場から買い手市場になるので、納期が早まり、手間の掛かる特別仕様に対しても柔軟に対応してくれる。それに、価格交渉も有利となる。

工場用地の取得や工場建設に関しても、事情は同じ。土地の価格交渉でも有利だし、建設資材は値下がりし、工期も早まる。

私は、こうした不景気での対応を"逆張り経営"と称し、これを実践してきた。この結果、大きな成果を生み出すことができた。

ただし、常に、思い切った"勇気"と"決断"を要した。社内では、「人は不足していないのに、なぜ、不景気な時に社員を採用するのか」といった反対の声が聞かれた。機械を設備する時も同じで、「今は間に合っているのだから、わざわざ、不景気な時に設備することはない」など、ブーイングに近い声が私の耳に届いた。

そうした時、私は、「責任はすべて社長にある」とし、信念を持って、実行した。(p. 155)

よくあるエピソードなのかもしれませんが、厳しい時期に投資に踏み切れる経営者こそ、視点を共有できるという意味で投資家が探すべき経営者だと思います。

2017年7月18日火曜日

予測に関する5つの警句(ハワード・マークス)

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ハワード・マークスが1月に書いたレターから、最後のご紹介です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

最後に特別付録です。予測のことを話題にした引用文ばかりを、私は40年来収集して(再利用もして)きましたが、その中から珠玉の5本をご紹介します。全体としてみれば、今回の主題について語るべき内容が事実上すべて盛り込まれています。

未来を予測する者たちは、2つの種族に分けられる。物事をわかっていない者たちと、自分が物事をわかっていないことを理解していない者たちだ。
(ジョン・ケネス・ガルブレイス[経済学者])

どれだけ洗練させようとも、「みずからが持つあらゆる知識は過去についてであり、みずからが下すあらゆる判断は未来についてである」という事実の重みを減じることはない。
(GE社の元重役イアン・ウィルソン)

予測をすると、未来がわかるという幻想が生まれる。
(ピーター・バーンスタイン[著述家、経済学者])

予測というものは、未来よりも予測者について語ってくれることが多い。
(ウォーレン・バフェット)

未来のことなど考えないですよ。すぐにやってきますから。
(アルバート・アインシュタイン)


Bonus section: I’ve been collecting (and recycling) quotations for almost forty years, more of them concerning forecasts than anything else. Here are five of the very best. Together they say virtually everything that has to be said on the subject:

We have two classes of forecasters: Those who don’t know – and those who don’t know they don’t know.
– John Kenneth Galbraith

No amount of sophistication is going to allay the fact that all of your knowledge is about the past and all your decisions are about the future.
– Ian Wilson (former GE executive)

Forecasts create the mirage that the future is knowable.
– Peter Bernstein

Forecasts usually tell us more of the forecaster than of the future.
– Warren Buffett

I never think of the future – it comes soon enough.
– Albert Einstein

2017年7月16日日曜日

自分を向上させたいのであれば(ハワード・マークス)

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オークツリーのハワード・マークスが1月に書いたレターから引用が続きます(前回分はこちら)。常識感覚に富んでいて、良い文章です。(日本語は拙訳)

第一に、1年前にウォーレン・バフェットと夕食を共にしたとき、彼が次のように指摘した件です。「そういった情報に追い求める価値があるとしたら、それが重要なものであり、さらに[客観的に]認知できるものでなければいけませんよ」。今日の投資家はマクロ的な未来に対する識見をかつてないほど要求しています。それが重要だからです。つまり市場を動かすからです。ところが、ここで待ったがかかります。私もそうですが、「その手のものはかなりの部分が認知できない」とウォーレンはみているのです。それらに基づいて彼が投資の行動を起こすことは稀ですし、オークツリーでも同様です。

第二に、先ほど取り上げたメディアに関するObserver[ウェブサイト]の記事にあった極めつけの段落をここに含めたいと思います。圧巻です。

「自分を向上させたいのであれば」、とエピクテトス(1世紀のギリシャ人哲学者)がかつて言った。「畑違いのことについては、無知か愚鈍に見えるよう、みずから進んで振る舞うこと」。現代のような相互接続おびただしい24時間休日なしのメディア漬けの世の中では、「私にはわかりません」と答えるのが、我々の取り得る最強の一手だろう。あるいはもっと挑発的に、「それがどうかしましたか」と。もちろん全てというわけではないが、ほとんどはそうだと言える。なぜならば、ほとんどのことは問題とは言えないし、ほとんどのニュースには追いかける価値がないからだ。(強調部は原著者ハワード・マークスによるもの)(p. 11)


First, I had dinner with Warren Buffett about a year ago, and he pointed out that for a piece of information to be worth pursuing, it should be important, and it should be knowable. These days, investors are clamoring more than ever for insights regarding the macro future, because it’s important: it moves markets. But there’ s a hitch: Warren and I both consider these things largely unknowable. He rarely bases his investment actions on them, and neither does Oaktree.

Second, I want to include a final paragraph from the Observer article about the media that I mentioned earlier. I think it’s golden:

“If you wish to improve,” Epictetus [first-century Greek philosopher] once said, “be content to appear clueless or stupid in extraneous matters.” One of the most powerful things we can do as a human being in our hyperconnected, 24/7 media world is say: “I don’t know.” Or more provocatively, “I don’t care.” Not about everything, of course – just most things. Because most things don’t matter, and most news stories aren’t worth tracking. (Emphasis added)