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2018年5月16日水曜日

2018年バークシャー株主総会(1)ウォーレン・バフェット直伝の教え

バークシャー・ハサウェイの株主総会が5月5日(土)に開催されました。今回からのシリーズでは、例によってウォーレン・バフェットやチャーリー・マンガーによる質疑応答(の一部)をご紹介します。

英文のトランスクリプトを入手するために、例年ですと有志の方が起こしてくれたものを待っておりました。しかし(少なくとも)今年は、先だってご紹介したCNBCのサイトで映像とともに公開されているので、そちらの文章をお借りします。

Morning Session - 2018 Berkshire Hathaway Annual Meeting (CNBC)

(映像の再生が始まらない場合は、テキスト本文の上下行間にマウスポインターを置いて、"SYNC VIDEO TO PARAGRAPH"という文を表示させた上で、クリックしてみてください)

今回からご紹介する文章は、おなじみの質疑応答を始める前に、ウォーレンが「株式投資一般」について特別に語ったものです。彼が過去に書いてきた文章を包括した内容なので、これといって目新しいところはありませんが、こうして彼が改めて語ることに大きな意味があると受けとめました。今回から続く数回分の文章が、「ウォーレン・バフェット自らが語る、究極の教え」になると思います。(日本語は拙訳)

3. バフェット直伝の教え: 投資をどのように捉えるべきか

<ウォーレン・バフェット> まずはじめに少しばかり時間をいただき、投資をどのように考えることができるか、ちょっとした見方をご紹介したいと思います。現在は「今日あるいはこの瞬間に起こっていることばかりに意識を向ける風潮」がみられますが、それとは対極にある話です。

話がわかりやすくなると思いますので、わたし自身のちょっとした昔話を振り返ってみます。

画面上で最初にご紹介するのがニューヨーク・タイムズ紙、1942年の3月12日付の紙面です。すみませんが、文章を読むのは若干遅いほうでして(笑)。

当時を振り返りますと、ええとこれは参戦してから3か月ほど経った時期です。その時点の我が国はまだ劣勢でした。

新聞の見出しに出ているのは、太平洋戦線からの悪いニュースばかりでした。このスライドは、3月11日に先立つ日々の見出しからいくつか抜粋したものです。これから話題にするその日こそ、わたしにとってまさしく重大な1日となりました。

2枚目のスライドの上側にある見出しだと思いますが、「太平洋戦線が深刻な事態に陥っている」と書かれています。フィリピンが陥落してから数か月が経ったばかりの頃でしたが、悪いニュースばかり続いていました。

見出しがお読みになれるといいのですが、3枚目のスライドは3月9日のものです。ちなみに当時の同紙の値段は、一部3セントでした。

そして次に出てきたスライドが、3月10日の記事です。この先進技術によるスライドをなぜ利用しているのか説明しますと、わたしの目の前にあるスライドと同じものを、みなさんもいっしょに読めるようにしたかったからです。


それはそうと本題に戻って3月10日ですが、その日のニュースもひどいものでした。「敵軍[=旧日本軍]、オーストラリア侵攻を確たるものに」。株式市場の動きも、それを反映していたようでした。

当時のわたしは、シティーズ・サービスという会社の優先株を追いつづけていました。前年の株価は84ドルでしたが、その日の2か月前だった年初には55ドルになり、3月10日には40ドルまで下落していました。

新聞の見出しはどうであれ、その日の夜にわたしは父に言いました。「いよいよ打って出ることに決めたよ。だからシティーズ・サービスの優先株を3株、買ってもらえますか」。次の日の注文でお願いしたわけです。

資金はそれですべてでした。つまり、過去5年間かそこらで蓄えたお金です。そして次の日の朝、父は3株分を買ってくれました。[ウォーレンの父ハワードは株式ブローカーだった。そして1943年からは、連邦議会の下院議員となる]

(つづく)

3. Master class: How to think about investments

[some sentences omitted]

And I would like to just spend just a couple of minutes giving you a little perspective on how you might think about investments, as opposed to the tendency to focus on what’s happening today, or even this minute, as you go through.

And to help me in doing that, I’d like to go back through a little personal history.

And we will start - I have here a New York Times of March 12th, 1942. I’m a little behind on my reading. (Laughter)

And if you go back to that time, that - it was about, what? Just about three months since we got involved in a war which we were losing at that point.

The newspaper headlines were filled with bad news from the Pacific. And I’ve taken just a couple of the headlines from the days preceding March 11th, which I’ll explain was kind of a momentous day for me.

And so you can see these headlines. We’ve got slide two up there, I believe. And we were in trouble, big trouble, in the Pacific. It was only going to be a couple months later that the Philippines fell, but we were getting bad news.

We might go to slide three for March 9th. Hope you can read the headlines, anyway. The price of the paper’s three cents, incidentally.

The - and let’s see, we’ve got March 10th up there, as slide - I - when I get to where there’s advanced technology of slides, I want to make sure I’m showing you the same thing that I’m seeing in front of me.

So anyway, on March 10th, when again, the news was bad: “Foe Clearing Path to Australia.” And it was like it - the stock market had been reflecting this.

And I’d been watching a stock called Cities Service preferred stock, which had sold at $84 the previous year. It had sold at $55 the year - early in January, two months earlier - and now it was down to $40 on March 10th.

So that night, despite these headlines, I said to my dad - I said, “I think I’d like to pull the trigger, and I’d like you to buy me three shares of Cities Service preferred” the next day.

And that was all I had. I mean, that was my capital accumulated over the previous five years or thereabouts. And so my dad, the next morning, bought three shares.

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