最後にいくつか思うこと
まずは、たぶんに利己的な観察からひとつ。「人生の前半よりも後半のほうが楽しめた」、そう申し上げられることに満足しています。ここでみなさんに助言しますと、「過去におかした失敗で、自分をいつまでも責め立てないこと」です。失敗から少しでも学んだら、前に進んでください。改善するのに遅すぎることはありません。的確なヒーローを見つけて、その人たちを真似することです。トム・マーフィー[ABC]から始めてもいいと思います。彼はほんとうに最高でした。
アルフレッド・ノーベルの例もあげましょう。のちにノーベル賞で有名になった彼は、伝えられるところによれば、自分を追悼する記事を読んだそうです。兄が亡くなったときに新聞社が取り違えてしまい、まちがって印刷されたのですね。読んだ内容に愕然とした彼は、自身のふるまいを改めるべきだと認識しました。
ニュースを編集する際に手違いがおきることを当てにしないように。どうかみなさんは、自分の追悼記事に書いてほしいことを定めた上で、それにふさわしい人生をおくってください。
莫大な資金、繰り返される報道、強大な公権力。しかしそれらが集積しても、偉大なものごとが生じるわけではありません。幾千もの方法から自分のやりかたでだれかを助けるときに、みなさんは世界を助けているのです。思いやりにお金はかからないものですが、それはまたかけがえのないものです。信心深さはどうであれ、行動する上での指針たる黄金律をしのぐものは見つけ難いでしょう。
この文章を書いているわたし自身が、熟慮せぬこと数知れぬ、そしてあまたの過ちをおかしてきた人間です。しかしまた、すばらしい友人たちから優れたふるまいかたを学ぶことができて、ほんとうに幸運でした(完璧までは道半ばですが)。掃除をしてくれるご婦人も、この会長と同じ人間であることを忘れてはなりません。
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この文章をお読みになっているみなさんがすばらしい感謝祭を迎えられることを、お祈りいたします。そうです、たとえおばかさんであっても、変わるにはもう手遅れということはありません。みなさんの前に大きな機会が開かれている米国へ感謝する気持ちをお忘れなく。ただし、まぬがれないこともあります。米国という存在は気まぐれであり、そして利益を分配する際には賄賂に弱いことがある点です。
模範としたい人たちを慎重にえらび、その人たちを真似してください。完璧とはいかないものですが、そのたびにうまくなりますから。[終わり]
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A Few Final Thoughts
One perhaps self-serving observation. I'm happy to say I feel better about the second half of my life than the first. My advice: Don't beat yourself up over past mistakes – learn at least a little from them and move on. It is never too late to improve. Get the right heroes and copy them. You can start with Tom Murphy; he was the best.
Remember Alfred Nobel, later of Nobel Prize fame, who – reportedly – read his own obituary that was mistakenly printed when his brother died and a newspaper got mixed up. He was horrified at what he read and realized he should change his behavior.
Don't count on a newsroom mix-up: Decide what you would like your obituary to say and live the life to deserve it.
Greatness does not come about through accumulating great amounts of money, great amounts of publicity or great power in government. When you help someone in any of thousands of ways, you help the world. Kindness is costless but also priceless. Whether you are religious or not, it's hard to beat The Golden Rule as a guide to behavior.
I write this as one who has been thoughtless countless times and made many mistakes but also became very lucky in learning from some wonderful friends how to behave better (still a long way from perfect, however). Keep in mind that the cleaning lady is as much a human being as the Chairman.
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I wish all who read this a very happy Thanksgiving. Yes, even the jerks; it's never too late to change. Remember to thank America for maximizing your opportunities. But it is – inevitably – capricious and sometimes venal in distributing its rewards.
Choose your heroes very carefully and then emulate them. You will never be perfect, but you can always be better.
2025年11月19日水曜日
バフェットからの最後の手紙 (7)最後にお伝えしたいこと
2025年11月18日火曜日
バフェットからの最後の手紙 (6)妬みと強欲は手を取り合う
わが子たちの財団に対する生前贈与を加速するからといって、それがバークシャーの将来性に対するわたしの見方の変化を映しているわけではありません。「グレッグ・アベルはバークシャーの次期CEOにふさわしい」と最初に考えたときに、ある程度高い期待を抱いていました。しかし彼はそれを超えてくれました。彼は当社が手がける数多くの事業やその従業員のことを、現在のわたしよりもはるかによく理解しています。さらに彼は、多くのCEOが考慮すらしていない諸課題についても、迅速に学んでしまう人です。みなさんやわたしの財産を扱う人間としてグレッグを差しおいても選びたい、そのように思えるCEOや経営コンサルタント、学者、政府関係者などは一人もいません。
たとえばグレッグは、損害保険会社で長年勤めてきた経営幹部の大多数よりも、当社の損保事業における業績の上昇余地と危険性の両面について、はるかに理解を深めています。彼が何十年間にもわたって健康であり続けるよう、祈るばかりです。バークシャーが次の100年間をやっていく上で、少しばかり運がよければ5名あるいは6名のCEOで間に合います。これ見よがしの金持ちになるために、あるいは閨閥を立ち上げるために65歳で引退しようと考える人物は、ことさら避けるべきです。
ここで喜べない現実をひとつ申し上げましょう。親会社・子会社を問わず、すばらしくて誠実なCEOが、認知症や、アルツハイマー病、慢性的な消耗性疾患を前に屈服してしまうことがあります。
チャーリーとわたしはこの問題に何度か直面しましたが、うまく対処できませんでした。これは巨大なあやまちへとつながる可能性があります。そのためCEOのレベルに関しては取締役会が、また子会社のレベルに関してはCEOが、この可能性を警戒せねばなりません。しかし、言うは易しです。過去に大企業でおきたその事例をいくつか示すこともできます。しかし取締役のみなさんは警戒を怠らず、そして声に出すべきです。わたしから言えるのはそれだけです。
わたしが生きてきた間のことですが、規制改革者たちがCEOたちに対して、平均的従業員に支払っている金額と比較する形で、彼らが受けとる報酬額を開示するように義務付けたことがあります。この嫌がらせによって、委任状説明書はたちまち100ページを超える厚さになりました。それ以前には、多くても20ページだった文書です。
しかし狙いとしてはよかったのですが、裏目に出てしまいました。わたしが観察した事例の大多数は、次のようなものでした。A社のCEOはB社の競争相手の数字をしらべます。そして「私のほうが、たくさんもらうべきですよね」と自社の取締役会でそれとなく伝えます。もちろん、取締役たちへの報酬もお手盛りですし、報酬委員会のメンバーは用心深く選任してあります。結局のところ、新しい規則が生んだのは妬みであって、抑制ではありませんでした。
その一方通行現象は、己が仕組みにしたがって進みだしました[原文ではラチェット機構を意味する言葉を用い、ものごとが不可逆的・一方方向的に進む様子を示している]。つまり非常に裕福なCEOたちは、他のCEOたちのほうが金持ちになっている事実を知って、しばしば気に病むのです(結局、彼らも人間なのです)。妬みと強欲は手を取り合って歩むものですね。一体どんなコンサルタントが、CEOの報酬や取締役への支払いを大幅に削減するよう推奨してきたでしょうか。
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全体としてみれば、バークシャー傘下の事業は、巨大ながらも相関してはいない珠玉の数社を筆頭に、平均よりもまずまず良好な見通しを有しております。しかし10年あるいは20年後には、バークシャーよりもすぐれた成果をあげる企業が数多くあらわれると思います。当社の規模が仇となるためです。
バークシャーは、わたしが知るいかなる企業よりも破滅的な大損害を被る可能性が低いと考えます。さらに、わたしがなじみのある(あるいは観察してきた多数の)企業のほぼすべてよりも、株主の立場にたった経営陣と取締役会を備えています。そして米国の一資産たる存在として、また進んで歎願者と成り果てぬように、ひきつづき経営されていくでしょう。重責を担っている当社事業の経営陣が、時の経過に合わせてますます裕福になるのは当然のことです。しかし閨閥を築いたり、富を誇示したりすることを望むべきではありません。
当社の株価はきまぐれに上下したり、過去60年間に現経営陣の下で三度起こったように、50%ほど下落することもあるでしょう。しかし落ち込まないでください。米国は復活しますし、バークシャー株もそうなりますから。
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The acceleration of my lifetime gifts to my children's foundations in no way reflects any change in my views about Berkshire's prospects. Greg Abel has more than met the high expectations I had for him when I first thought he should be Berkshire's next CEO. He understands many of our businesses and personnel far better than I now do, and he is a very fast learner about matters many CEOs don't even consider. I can't think of a CEO, a management consultant, an academic, a member of government – you name it – that I would select over Greg to handle your savings and mine.
Greg understands, for example, far more about both the upside potential and the dangers of our P/C insurance business than do a great many long-time P/C executives. My hope is that his health remains good for several decades. With a little luck, Berkshire should require only five or six CEOs over the next century. It should particularly avoid those whose goal is to retire at 65, to become look-at-me rich or to initiate a dynasty.
One unpleasant reality: Occasionally, a wonderful and loyal CEO of the parent or a subsidiary will succumb to dementia, Alzheimer's or another debilitating and long-term disease.
Charlie and I encountered this problem several times and failed to act. This failure can be a huge mistake. The Board must be alert to this possibility at the CEO level and the CEO must be alert to the possibility at subsidiaries. This is easier said than done; I could cite a few examples from the past at major companies. Directors should be alert and speak up is all that I can advise.
During my lifetime, reformers sought to embarrass CEOs by requiring the disclosure of the compensation of the boss compared to what was being paid to the average employee. Proxy statements promptly ballooned to 100-plus pages compared to 20 or less earlier.
But the good intentions didn't work; instead they backfired. Based on the majority of my observations – the CEO of company "A" looked at his competitor at company "B" and subtly conveyed to his board that he should be worth more. Of course, he also boosted the pay of directors and was careful who he placed on the compensation committee. The new rules produced envy, not moderation.
The ratcheting took on a life of its own. What often bothers very wealthy CEOs – they are human, after all – is that other CEOs are getting even richer. Envy and greed walk hand in hand. And what consultant ever recommended a serious cut in CEO compensation or board payments?
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In aggregate, Berkshire's businesses have moderately better-than-average prospects, led by a few non-correlated and sizable gems. However, a decade or two from now, there will be many companies that have done better than Berkshire; our size takes its toll.
Berkshire has less chance of a devastating disaster than any business I know. And, Berkshire has a more shareholder-conscious management and board than almost any company with which I am familiar (and I've seen a lot). Finally, Berkshire will always be managed in a manner that will make its existence an asset to the United States and eschew activities that would lead it to become a supplicant. Over time, our managers should grow quite wealthy – they have important responsibilities – but do not have the desire for dynastic or look-at-me wealth.
Our stock price will move capriciously, occasionally falling 50% or so as has happened three times in 60 years under present management. Don't despair; America will come back and so will Berkshire shares.
2025年11月17日月曜日
バフェットからの最後の手紙(5)バフェットの子どもたち
ウォーレン・エドワード・バフェットは本日付で、そのA種株式1,800株をB種株式270万株へ転換した。それらB種株式を4つの家族財団へ寄贈するためである。その数量は、スーザン・トンプソン・バフェット財団[大学奨学金]へ150万株、シャーウッド財団[スーザン・アリス]、ハワード・G・バフェット財団ならびにノヴォ財団[ピーター]へ40万株ずつである。この寄贈は直ちに実行された。*
Today, Warren E. Buffett converted 1,800 A shares into 2,700,000 B shares in order to give these B shares to four family foundations: 1,500,000 shares to The Susan Thompson Buffett Foundation and 400,000 shares to each of The Sherwood Foundation, The Howard G. Buffett Foundation and NoVo Foundation. These donations have been delivered today.
その次のことわが子たちの年齢は、72歳、70歳、67歳と、いずれも一般的な定年を越えています。今や多くの点において頂点を迎えている彼ら3人のいずれもが、長命を得られたわたしのような破格の幸運を享受できる、そのような見方に賭けるのはまちがいでしょう。そのため、補欠受託者が彼らにとってかわる前に、つまりわたしの残す事実上すべての遺産を、わが子自身が処分できる確率を高めるために、わたしが3人の財団へ生前贈与するペースを早める必要があります。わが子たちは経験や知恵といった点で最高潮の状態にあり、老年期にはまだ至っていません。しかし、そのような蜜月期はやがて終わりをむかえます。幸いにも、この歩みは容易に変更できます。ただし考慮すべき点がひとつ加わってきます。バークシャーの株主のみなさんが次期CEOのグレッグに十分満足するようになるまでは、わたしの有する大多数のバークシャー「A」株は、ひきつづき保有したいと考えております。チャーリーとわたしは以前から彼に満足していたので、十分な水準になるまで長くはかからないでしょう。わが子たちは完全にグレッグを後押ししていますし、バークシャーの取締役諸氏も同じです。3人の子供たちはいずれも成熟し、知性的で、情熱があって、多額の財産を投じる意識に満ちています。そしてまた、わたしが永い眠りについた後も、彼らにはこの地上界にいる強みがあります。連邦税制などが進展して慈善活動に影響するときには、必要に応じて予見的・反応的に各種方針を採用できます。あるいは、彼らを取り巻く世界が劇的に変わりゆくときには、それに適応する必要があるでしょう。そのような状況で墓の中から指示を出しても、ろくなことにはなりませんし、また今まで要求したこともありません。そして実に幸運だったのは、3人の子供たちのだれもが母親からの遺伝子を強く受け継いだことです。何十年間と経つにつれて、わたしも彼らの思考や行動に対する良き手本となりました。しかし彼らの母親に並ぶことは、これからも叶(かな)わないでしょう。わが子たちは不測の死や障害を負った場合に備えて 、財団の補欠受託者を3名選任しています。補欠者の各人は特定のわが子に結び付けられてはいません。その補欠者3名は非凡な方々で、世間のことをよくわかっておられます。また彼らには相反する動機はありません。わが子たちには早い段階で伝えてあります。奇跡を起こしたり、失敗や失望を恐れる必要はない、と。それは避けられないことですし、わたしも相当やらかしてきました。政府の事業や民間の慈善活動によって概して達成されることよりも、いくぶん改善できれば十分です。その際に、そういった他所(よそ)で取り組まれている富を再配分するやりかたをみて、その欠陥を認識する必要はあるでしょう。かつてわたしは、さまざまな包括的慈善計画を熟考したことがあります。意固地になったものの、結局それらは実現に至りませんでした。また何年にもわたって取り組む間に、あやまった財産移転が生み出される様子を観察してきました。それらは政治屋連中や、権力者の好み、さらには無能あるいは風変わりな慈善家によってなされました。わが子供たちはまずまずの仕事を果たすだけで、父母は喜ぶことがわかるでしょう。彼らはよき心根をもち、またかなりの少額から始めて実践を積んできました。そして今では分不相応なほど増大し、年間5億ドルを超えました。3人はそれぞれのやりかたで、他者を助けるためにはよろこんで、長時間仕事にとりくむと思います。*What Comes NextMy children are all above normal retirement age, having reached 72, 70 and 67. It would be a mistake to wager that all three – now at their peak in many respects – will enjoy my exceptional luck in delayed aging. To improve the probability that they will dispose of what will essentially be my entire estate before alternate trustees replace them, I need to step up the pace of lifetime gifts to their three foundations. My children are now at their prime in respect to experience and wisdom but have yet to enter old age. That "honeymoon" period will not last forever.Fortunately, a course correction is easy to execute. There is, however, one additional factor to consider: I would like to keep a significant amount of "A" shares until Berkshire shareholders develop the comfort with Greg that Charlie and I long enjoyed. That level of confidence shouldn't take long. My children are already 100% behind Greg as are the Berkshire directors.All three children now have the maturity, brains, energy and instincts to disburse a large fortune. They will also have the advantage of being above ground when I am long gone and, if necessary, can adopt policies both anticipatory and reactive to federal tax policies or other developments affecting philanthropy. They may well need to adapt to a significantly changing world around them. Ruling from the grave does not have a great record, and I have never had an urge to do so.Fortunately, all three children received a dominant dosage of their genes from their mother. As the decades have passed, I have also become a better model for their thinking and behavior. I will never, however, achieve parity with their mother.My children have three alternate trustees in case of any premature deaths or disabilities. The alternates are not ranked or tied to a specific child. All three are exceptional humans and wise in the ways of the world. They have no conflicting motives.I have assured my children that they do not need to perform miracles nor fear failures or disappointments. These are inevitable, and I have made my share. They simply need to improve somewhat upon what generally is achieved by government activities and/or private philanthropy, recognizing these other methods of redistribution of wealth have shortcomings as well.Early on, I contemplated various grand philanthropic plans. Though I was stubborn, these did not prove feasible. During my many years, I've also watched ill-conceived wealth transfers by political hacks, dynastic choices and, yes, inept or quirky philanthropists.If my children simply do a decent job, they can be certain that their mother and I would be pleased. Their instincts are good and they each have had years of practice with very small sums initially that have been irregularly increased to more than $500 million annually.All three like working long hours to help others, each in their own way.
2025年11月16日日曜日
バフェットからの最後の手紙(4)幸運の女神と時の翁
それでは次に、ここまで来たわたしの年齢についてです。受け継いだ遺伝子が格別によかったわけではありません。一族における最高齢は、わたし以前には92歳でした(家系の記録はさかのぼるほど、あやふやになるものですね)。しかしわたしには、賢明で親しみやすく献身的なオマハの医師の方々がおられました。ハーリー・ホッツ先生をはじめ、彼らには今までお世話になってきました。命を救ってもらったことは、少なくとも3回ありました。そのたびに、わが家から数キロ以内を拠点にするお医者さんたちが応じてくれました。(ただし看護師さんの指紋を採取するのは、もうやめにしています。95歳にもなると、多くの突飛な行動から卒業できるものです。限度はありますけれど)
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長生きをするには、幸運が山のように必要です。ちょっとした危険や、自然災害、飲酒・無謀運転をするドライバー、落雷などから日々逃れつづけるためです。しかし幸運の女神は気まぐれ(としか言いようがない)で、不公平なこと甚だしい存在です。社会における指導者やお金持ちが、はるかに分を超えた幸運に授かる例が少なくありません。しかしその受益者たちは、往々にしてそのことを認めたがりません。大富豪の財産を相続する者は、母親のおなかから出てきたときに、生涯を通じた金銭的独立を達成しています。他方で、そうでない者がそこまで達するには、若かりしころに地獄をみたり、もっとひどい場合には身体的・精神的な欠陥ゆえに、わたしが当然のように授かったものは奪われていたことでしょう。あるいは、世界に数ある人口稠密な地域に住んでいたとしたら、わたしは散々な人生をすごしたでしょうし、わたしの姉妹のほうはそれ以上にひどかったと思います。
わたしは1930年に生まれました。健康な、そこそこの知性を持った、白人のアメリカ人男性としてです。なんとも、幸運の女神には感謝するばかりです。わたしの姉妹はわたしと同じように知性があり、性質面ではわたしよりもずっと良い人たちでした。しかし、わたしとは異なる数々の状況に直面しました。かの女神はわたしの人生に数多くの幸運をもたらしましたが、今は90代の相手をするよりもやるべきことがあるはずです。幸運には限りがありますから。
それに対して時の翁(ときのおきな)は、年齢を重ねるわたしにますます注目するようになりました。そして彼は無敵です。彼からすれば相手がだれであっても「勝利」をおさめます。平衡感覚や視覚、聴覚、記憶力はどれも下り坂を降りつづけます。時の翁がすぐそばにいることを覚えずにはいられません。
わたしの場合、老いを感じた時期はおそいほうでした。その兆候は人によって大きく異なるものですから。しかし、ひとたび現れれば拒否できるものではありません。
意外だったことに、おしなべていえば調子のいい日々を過ごしています。歩くのはゆっくりですし、文字を読むときに難儀を感じる一方です。それでも、週に5日間はオフィスに出て、すばらしいみなさんと仕事をしております。ときに有益なアイデアを思いついたり、他では得られぬかもしれない提案を受けることもあります。バークシャーの大きさ、さらには市場の水準ゆえに、そのようなアイデアはごくわずかです。が、ゼロではありません。
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しかしながら、わたしが予想以上に長生きしたがために、家族に関する重大事や、わたしが手がける慈善上の目標達成において、避けがたい結果を招くことになりました。
以下では、それらについて詳しくみていきます。
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Now let's move on to my advanced age. My genes haven't been particularly helpful – the family's all-time record for longevity (admittedly family records get fuzzy as you work backwards) was 92 until I came along. But I have had wise, friendly and dedicated Omaha doctors, starting with Harley Hotz, and continuing to this day. At least three times, my life has been saved, each with doctors based within a few miles from my home. (I have given up fingerprinting nurses, however. You can get away with many eccentricities at 95 . . . . . but there are limits.)
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Those who reach old age need a huge dose of good luck, daily escaping banana peels, natural disasters, drunk or distracted drivers, lightning strikes, you name it. But Lady Luck is fickle and – no other term fits – wildly unfair. In many cases, our leaders and the rich have received far more than their share of luck – which, too often, the recipients prefer not to acknowledge. Dynastic inheritors have achieved lifetime financial independence the moment they emerged from the womb, while others have arrived, facing a hell-hole during their early life or, worse, disabling physical or mental infirmities that rob them of what I have taken for granted. In many heavily-populated parts of the world, I would likely have had a miserable life and my sisters would have had one even worse.
I was born in 1930 healthy, reasonably intelligent, white, male and in America. Wow! Thank you, Lady Luck. My sisters had equal intelligence and better personalities than I but faced a much different outlook. Lady Luck continued to drop by during much of my life, but she has better things to do than work with those in their 90s. Luck has its limits.
Father Time, to the contrary, now finds me more interesting as I age. And he is undefeated; for him, everyone ends up on his score card as "wins." When balance, sight, hearing and memory are all on a persistently downward slope, you know Father Time is in the neighborhood.
I was late in becoming old – its onset materially varies – but once it appears, it is not to be denied.
To my surprise, I generally feel good. Though I move slowly and read with increasing difficulty, I am at the office five days a week where I work with wonderful people. Occasionally, I get a useful idea or am approached with an offer we might not otherwise have received. Because of Berkshire's size and because of market levels, ideas are few – but not zero.
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My unexpected longevity, however, has unavoidable consequences of major importance to my family and the achievement of my charitable objectives.
Let's explore them.
2025年11月15日土曜日
バフェットからの最後の手紙(3)1等20兆円を当てる方法
10代のうちの数年の間、わたしはワシントンD.C.に住んでいました(父が議会の一員だった時期です)。そして1954年には、生涯つづけるものと考えていた仕事をマンハッタンで得ることができました。そこではベン・グレアムやジェリー・ニューマン[二人は投資ファンドの共同創設者]からうれしいまでに処遇され、生涯を通じた友人がたくさんできました。今でも同じですが、ニューヨークは異色の人物やものごとに出会える場所です。それにもかかわらず、わたしは1年半ほど滞在した後の1956年にオマハへ戻りました。そして、その街を再び逍遥することはありませんでした。
その後、3人の子供たちや何人かの孫たちはオマハで育ちました。子供たちは3人とも公立学校に通いました。彼らが卒業した高校で同じように学んだ人をあげると、わたしの父(1921年卒)や、わたしの最初の妻スージー(1950年卒)がおります。またチャーリーやスタン・リプシー、ネブラスカ・ファミリー・マート[家具販売巨大店を運営するバークシャーの子会社]を成長させてきた中心人物であるブラムキン家のアーヴやロンもそうです。ジャック・リングウォルト(1923年卒)もそうでした。彼はナショナル・インデムニティー社を設立して1967年にはバークシャーに売却してくれた人で、同社はわたしどもが巨大な損保事業を築く際の礎となりました。
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この国にはたくさんのすばらしい企業があり、すばらしい学校やすばらしい医療機関もあります。それぞれがまさしく独自の強みを持っており、能力のある人たちを有しています。しかしわたしがとても幸運だったと感じているのは、次のようなありがたい財産を得られたからです。生涯にわたる友人が数多くできたこと、2人の妻に出会えたこと、公立校で受けた教育によってすばらしいスタートが切れたこと、わたしがまだ幼少の時期に、親しみやすくて心おどる様々なオマハの大人に出会えたこと、そしてネブラスカ州兵部隊において幅広い友人ができたことです。そうです、ネブラスカ州はわたしの家そのものでした。
こうして振り返ると、バークシャーやわたしがうまくやれたのは、わたしが他の場所に移り住むのではなく、オマハを拠点にしたからだったと思います。米国の中央に位置するこの街は、生を享けて、家族を育て、事業を築くにはもってこいの場所です。生まれたときからわたしは途方もない当たりくじを引いたわけですが、それはあくまで単なる偶然のことでした。
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I lived a few teenage years in Washington, DC (when my dad was in Congress) and in 1954 I took what I thought would be a permanent job in Manhattan. There I was treated wonderfully by Ben Graham and Jerry Newman and made many life-long friends. New York had unique assets – and still does. Nevertheless, in 1956, after only 1½ years, I returned to Omaha, never to wander again.
Subsequently, my three children, as well as several grandchildren, were raised in Omaha. My children always attended public schools (graduating from the same high school that educated my dad (class of 1921), my first wife, Susie (class of 1950) as well as Charlie, Stan Lipsey, Irv and Ron Blumkin, who were key to growing Nebraska Furniture Mart, and Jack Ringwalt (class of 1923), who founded National Indemnity and sold it to Berkshire in 1967 where it became the base upon which our huge P/C operation was constructed.
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Our country has many great companies, great schools, great medical facilities and each definitely has its own special advantages along with talented people. But I feel very lucky to have had the good fortune to make many lifelong friends, to meet both of my wives, to receive a great start in education at public schools, to meet many interesting and friendly adult Omahans when I was very young, and to make a wide variety of friends in the Nebraska National Guard. In short, Nebraska has been home.
Looking back I feel that both Berkshire and I did better because of our base in Omaha than if I had resided anywhere else. The center of the United States was a very good place to be born, to raise a family, and to build a business. Through dumb luck, I drew a ridiculously long straw at birth.
(注) 196,317株 * $770,000/株 = 約$150B = 約22兆円
2025年11月14日金曜日
バフェットからの最後の手紙(2)オマハの謎めいた水
まずはチャーリー・マンガーから始めましょう。彼は64年間にわたり、わたしにとって最良の友でした。その彼が1930年代に住んでいたのは、わたしが1958年に購入して住みつづけてきた家から1街区離れた場所でした。
若かったころのわたしは、紙一重でチャーリーと友人になり損ねました。わたしよりも6歳8か月ほど年上だったチャーリーは、1940年の夏にわたしの祖父がいとなむ食料品店で働いていました。10時間働いて2ドルの賃金でした(倹約精神はバフェット家の血筋に深く根ざしているのです)。翌年にはわたしもその店で同じように働きましたが、チャーリーに出会えたのは1959年になってからで、彼が35歳、わたしが28歳のときでした。
チャーリーは第二次世界大戦で従軍した後、ハーバードのロー・スクールを卒業してからは、カリフォルニアに根を下ろしました。しかし彼はオマハで過ごした若かりし時期が自己を形成したと、常々語りつづけました。チャーリーは60年間以上にわたって甚大なる影響をわたしに及ぼしました。優れた先生でありながら庇護者をつとめる「兄者(あにじゃ)」でもあった彼は、他に望むべくもない存在でした。わたしたちのあいだで、見解は違えど論争になることは皆無でした。「たしか、そう言っておいたよ」、彼がそんな口を利くことはありませんでした。
1958年にわたしは最初で最後の自宅を購入しました。もちろん場所はオマハであり、(大雑把に言えば)わたしが育った場所から3km強ほど離れています。義理一族の住まいからは2街区も離れておらず、バフェット食料品店からは6街区ほどの距離でした。そしてわたしが64年間にわたって通勤してきたオフィスからは、自動車を運転して6-7分間で着く場所です。
それでは、別のオマハ人であるスタン・リプシーの話題にすすみましょう。彼は週刊新聞を発行していたオマハ・サン新聞社を、1968年にバークシャーへ売却してくれた人物です。その10年後に彼はわたしの要請に応じて[ニューヨーク州の]バッファローへ転居しました。バークシャーの関連会社が保有していた当時のバッファロー・イブニング・ニュース社は、朝刊紙の競合相手との闘争に終始し、手詰まり状態にありました。競合相手はバッファロー地域で唯一の日曜版を発行しており、わたしたちのほうが苦戦していました。
そこで、とうとうスタンがわたしたちの日曜版を立ち上げました。われらが新聞は何年間にもわたって、バークシャーが投資した金額3300万ドル比で年間100%以上の(税引き前)利益をあげました。これは1980年初頭のバークシャーにとって重要な資金となりました。
スタンが育ったのは、我が家から5街区ほど離れた場所でした。そしてスタンのご近所にはウォルター・スコット・ジュニアも住んでいました。ご存じのように、ウォルターは1999年にミッドアメリカン・エナジー社をバークシャーに引き入れてくれました[同社はバークシャーの中核的なエネルギー企業]。2021年に亡くなるまで彼はバークシャーの重要な取締役でありつづけるとともに、わたしの親友でもありました。何十年間にもわたって慈善活動に率先して勤しんでくれたウォルターの功績を、オマハさらにはネブラスカ州は心に刻んでいます。
ウォルターは[公立の]ベンソン高校で学びました。実はわたしもそこに入学するはずでした。ところが、わが父が1942年の連邦下院議員選挙で4期務めてきた現職候補に勝利したことで、みんなを驚かせた上にわたしの予定も変わってしまいました。人生とはまさかの連続ですね。
さあ、まだ続きがあります。
ドン・キーオと彼の若々しい一家が1959年に住んでいたのは、我が家からまさしく通りをはさんだ向かい側にある家でした。さらに言えば、そこから100メートルも離れていない場所にマンガーの一家が住んでいました。当時のドンはコーヒーを扱う営業マンでしたが、やがてはコカ・コーラ社の社長となる定めにありました。そしてバークシャーの取締役に専念してくれるようにもなります。
わたしがドンに出会ったころ、彼は年収12,000ドルをとっていました。彼は奥さんのミッキーと5人の子供を育てており、全員がカトリック系の学校へ進むことになっていました(学費は必要)。
ドンとわたしの家族同士は堅い友情で結ばれました。ドンはアイオワ州北西部の農家出身で、オマハにあるクレイトン大学を卒業しました。彼はまだ若いころにオマハの女性であるミッキーと結婚しました。そしてコカ・コーラ社に加わったのちに、全世界における伝説的な存在となっていきました。
ドンがコカ・コーラ社の社長だった1985年に、苦難が待ち受けるニュー・コークを販売開始しました。そしてドンは、かの有名なスピーチを行うことになります。ドンは、コカ・コーラ社「究極のバカ者」殿と宛名書きされた郵便物が彼の机へ早々に配られてきたと説明しました。それがきっかけで彼は考えを入れ替えて、「『かつての』コークを元に戻します」と世間にむけて謝罪したのです。この「撤回」発言はすっかり有名になり、YouTubeでも視聴できます。「実のところ、コカ・コーラ製品はみなさんのものであって、当社が好きにできるものではありません」と彼は高らかに謳いました。その後、売上は急増しました。
ドンを取り上げたすばらしいインタビューは、CharlieRose.comで視聴できます(トム・マーフィー[ABC]とケイ・グラハム[ワシントン・ポスト]にも、珠玉のものがあります)。チャーリー・マンガーと同じように、ドンも中西部の男子としてありつづけました。情熱にあふれ、親しみやすく、アメリカ人そのものでした。
最後にあげるのがアジート・ジェインです。彼はインドで生まれて育ちましたが、わたしたちの次期CEOであるカナダ人のグレッグ・アベルと同じように、20世紀の終盤にオマハで何年間か暮らしていました。実際のところグレッグは1990年代に、我が家からファーナム通りに沿って数街区ばかり離れたところに住んでいました。ただしそのころに面識はなかったですが。
どうも、オマハの水には謎めいた成分が含まれているのでしょうかね。
*
I'll begin with Charlie Munger, my best pal for 64 years. In the 1930s, Charlie lived a block away from the house I have owned and occupied since 1958.
Early on, I missed befriending Charlie by a whisker. Charlie, 6 ⅔ years older than I, worked in the summer of 1940 at my grandfather's grocery store, earning $2 for a 10-hour day. (Thrift runs deep in Buffett blood.) The following year I did similar work at the store, but I never met Charlie until 1959 when he was 35 and I was 28.
After serving in World War II, Charlie graduated from Harvard Law and then moved permanently to California. Charlie, however, forever talked of his early years in Omaha as formative. For more than 60 years, Charlie had a huge impact on me and could not have been a better teacher and protective "big brother." We had differences but never had an argument. "I told you so" was not in his vocabulary.
In 1958, I bought my first and only home. Of course, it was in Omaha, located about two miles from where I grew up (loosely defined), less than two blocks from my in-laws, about six blocks from the Buffett grocery store and a 6-7-minute drive from the office building where I have worked for 64 years.
Let's move on to another Omahan, Stan Lipsey. Stan sold the Omaha Sun Newspapers (weeklies) to Berkshire in 1968 and a decade later moved to Buffalo at my request. The Buffalo Evening News, owned by a Berkshire affiliate, was then locked in a battle to the death with its morning competitor who published Buffalo's only Sunday paper. And we were losing.
Stan eventually built our new Sunday product, and for some years our paper – formerly hemorrhaging cash – earned over 100% annually (pre-tax) on our $33 million investment. This was important money to Berkshire in the early 1980s.
Stan grew up about five blocks from my home. One of Stan's neighbors was Walter Scott, Jr. Walter, you will remember, brought MidAmerican Energy to Berkshire in 1999. He was also a valued Berkshire director until his death in 2021 and a very close friend. Walter was Nebraska's philanthropic leader for decades and both Omaha and the state carries his imprint.
Walter attended Benson High School, which I was scheduled to attend as well – until my dad surprised everyone in 1942 by beating a four-term incumbent in a Congressional race. Life is full of surprises.
Wait, there's more.
In 1959, Don Keough and his young family lived in a home located directly across the street from my house and about 100 yards away from where the Munger family had lived. Don was then a coffee salesman but was destined to become president of Coca-Cola as well as a devoted director of Berkshire.
When I met Don, he was earning $12,000 a year while he and his wife Mickie were raising five children, all destined for Catholic schools (with tuition requirements).
Our families became fast friends. Don came from a farm in northwest Iowa and graduated from Omaha's Creighton University. Early on, he married Mickie, an Omaha girl. After joining Coke, Don went on to become legendary around the globe.
In 1985, when Don was president of Coke, the company launched its ill-fated New Coke. Don made a famous speech in which he apologized to the public and reinstated "Old" Coke. This change of heart took place after Don explained that Coke incoming mail addressed to "Supreme Idiot" was promptly delivered to his desk. His "withdrawal" speech is a classic and can be viewed on YouTube. He cheerfully acknowledged that, in truth, the Coca-Cola product belonged to the public and not to the company. Sales subsequently soared.
You can watch Don on CharlieRose.com in a wonderful interview. (Tom Murphy and Kay Graham have a couple of gems as well.) Like Charlie Munger, Don forever remained a Midwestern boy, enthusiastic, friendly and American to the core.
Finally, Ajit Jain, born and raised in India, as well as Greg Abel, our Canadian CEO-to-be, each lived in Omaha for several years late in the 20th Century. Indeed, in the 1990s, Greg lived only a few blocks away from me on Farnam Street, though we never met at the time.
Can it be that there is some magic ingredient in Omaha's water?
2025年11月13日木曜日
バフェットからの最後の手紙(1)わたしが若かったころ
同志たる株主のみなさんへ、
今後わたしはバークシャーの年次報告書を書いたり、株主総会で延々とお話しすることはありません。英国人が言うように、わたしは「そっと退いていきます」。
まあ、そのような感じです。
この年末にはグレッグ・アベルが当社のトップとなります。彼はすばらしい経営者であり、疲れを知らぬ労働者でもあり、そしてものごとを正直に話してくれる人です。彼の任期が長くつづくことを願いましょう。
さて感謝祭をむかえるにあたり、この文章ではみなさんやわが子供たちにバークシャーの話をしたいと思います。バークシャーに投資しておられる個人投資家のみなさんは、とても特別な人たちの集まりで、自分の得た利益をあまり恵まれていない人たちへ贈るという点で、非常なまでに寛大な方ばかりです。そのようなみなさんと関わり続けてこられたことに満足しております。話の冒頭で少しばかり郷愁にふけることを、今年はどうか大目に見てやってください。そのあとに、わたしが保有するバークシャー株をどのように処分するのか、お話しします。そして最後に、ビジネスや個人的な見解をいくつか述べたいと思います。
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感謝祭の日が近づくにつれ、わたしは95歳まで生きてこられたことに感謝するとともに、驚きを覚えています。わたしが若かったころ、このような顛末をむかえるという考えに、分があるとは思えませんでした。当時のわたしは死の瀬戸際をむかえていたからです。
1938年当時にオマハにあった病院では、カトリックあるいはプロテスタントの二択によって市民を区分けしていました。当時はそれが自然な受けとめかたでした。
我が家のかかりつけ医だったハーリー・ホッツ先生は親しみやすいカトリック教徒で、黒色の医者用かばんを携えて往診してくれました。彼はわたしのことを「船長」と呼んでくれました。そして往診の際に多くは請求しませんでした。1938年に腹痛がひどかったときにホッツ先生がやってきて、ざっと診察した後に「明日の朝にはよくなっているよ」と言ってくれました。
その後、ホッツ先生は帰宅して夕食をとり、ブリッジを少々楽しんでいました。しかし、わたしを診察したときのいくぶんおかしな症状が頭から離れませんでした。そのため彼はその夜のうちに、わたしを急性虫垂炎の患者として聖カタリナ病院へ入院するように手配してくれました。わたしにとってそれからの3週間は、まるで女子修道院にいるかのようでした。そこで、新たな「演壇」を楽しむことにしました。その当時もわたしは話をするのが好きで、そんなわたしを修道女のみなさんは受け入れてくれました。
さらに小学3年生を受け持っていたマドセン先生は、クラスメート30名がそれぞれわたしへ手紙を書くように指示しました。たしか男子からの手紙は放り出しておき、女子からの手紙は繰り返し読んだかと覚えています。入院患者なりに役得があったわけです。
わたしの病気が回復するまでの最高潮といえば、麗しき叔母のイディーからもらった贈り物でした。ただし実のところ初週の過半は、どちらに転ぶかわからない病状ではありました。彼女は、実務で使えるほどの指紋採取器具をくれたのです。さっそくわたしは、面倒を見てくれていた修道女さんの指紋を片っ端から採取しました。(たぶんわたしは聖カタリナ病院があつかった初めての新教徒の子供だったのでしょう。だから何をしでかすか、あの人たちにはわからなかったのです)
これはもちろんまったくの世迷言ですが、「修道女のだれかがいつか悪事をおかす一方で、修道女たちの指紋採取を怠っていたとFBIは気づくはずだ」とわたしは推断していました。1930年代のアメリカ人は、FBIとその長官だったJ. エドガー・フーヴァーを崇めていました。わたしは、フーヴァー氏本人がオマハにやってきて、わたしが採取した価値ある指紋情報を調べるだろうと夢想していました。そして、その夢想はますます高ぶりました。エドガーさんとわたしが悪質な修道女をすぐに特定して逮捕するだろうと。そして国中から称賛の声があがるのも当然だと。
当たり前ですが、わたしの夢想が実現することはありませんでした。しかし皮肉なことに、わたしがフーヴァー氏の指紋を採取すべきだったことが 、何年か後になって明白となりました。それというのも、彼は地位を乱用して名声を失ったからです。
オマハの1930年代とはそのような時代でした。わたしや友だちが、橇(そり)や自転車、野球のグローブや電気仕掛けの電車を羨望していたころです。さてここからは、当時の他の子供たちがどんな様子だったのかを振りかえります。彼らのことは長い間知らずにおりましたが、我が家から実にご近所で生活し、のちにわたしの人生に多大な影響を及ぼした人たちのことです。
*
To My Fellow Shareholders:
I will no longer be writing Berkshire's annual report or talking endlessly at the annual meeting. As the British would say, I'm “going quiet.”
Sort of.
Greg Abel will become the boss at yearend. He is a great manager, a tireless worker and an honest communicator. Wish him an extended tenure.
I will continue talking to you and my children about Berkshire via my annual Thanksgiving message. Berkshire's individual shareholders are a very special group who are unusually generous in sharing their gains with others less fortunate. I enjoy the chance to keep in touch with you. Indulge me this year as I first reminisce a bit. After that, I will discuss the plans for distribution of my Berkshire shares. Finally, I will offer a few business and personal observations.
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As Thanksgiving approaches, I'm grateful and surprised by my luck in being alive at 95. When I was young, this outcome did not look like a good bet. Early on, I nearly died.
It was 1938 and Omaha hospitals were then thought of by its citizens as either Catholic or Protestant, a classification that seemed natural at the time.
Our family doctor, Harley Hotz, was a friendly Catholic who made house calls toting a black bag. Dr. Hotz called me Skipper and never charged much for his visits. When I experienced a bad bellyache in 1938, Dr. Hotz came by and, after probing a bit, told me I would be OK in the morning.
He then went home, had dinner and played a little bridge. Dr. Hotz couldn't, however, get my somewhat peculiar symptoms out of his mind and later that night he dispatched me to St. Catherine's Hospital for an emergency appendectomy. During the next three weeks, I felt like I was in a nunnery, and began enjoying my new “podium.” I liked to talk – yes, even then – and the nuns embraced me.
To top things off, Miss Madsen, my third-grade teacher, told my 30 classmates to each write me a letter. I probably threw away the letters from the boys but read and reread those from the girls; hospitalization had its rewards.
The highlight of my recovery – which actually was dicey for much of the first week – was a gift from my wonderful Aunt Edie. She brought me a very professional-looking fingerprinting set, and I promptly fingerprinted all of my attending nuns. (I was probably the first Protestant kid they had seen at St. Catherine's and they didn't know what to expect.)
My theory – totally nutty, of course – was that someday a nun would go bad and the FBI would find that they had neglected to fingerprint nuns. The FBI and its director, J. Edgar Hoover, had become revered by Americans in the 1930s, and I envisioned Mr. Hoover, himself, coming to Omaha to inspect my invaluable collection. I further fantasized that J. Edgar and I would quickly identify and apprehend the wayward nun. National fame seemed certain.
Obviously, my fantasy never materialized. But, ironically, some years later it became clear that I should have fingerprinted J. Edgar himself as he became disgraced for misusing his post.
Well, that was Omaha in the 1930s, when a sled, a bicycle, a baseball glove and an electric train were coveted by me and my friends. Let's look at a few other kids from that era, who grew up very nearby and greatly influenced my life but of whom I was for long unaware.
2025年11月9日日曜日
おちょことバケツ(『新・バフェットの教訓』より)
メアリー・バフェットなる人物らが著した本として、本書『新・バフェットの教訓』の以前の版は、過去に刊行されて流通してきました。その改訂版である本書を少し前に読んでみましたが、新味のある内容はこれといって目につきませんでした(節穴かもしれません)。そのためウォーレン・バフェットのことを継続的に観察してきた方々が、あえて手にとる類の本ではないと感じています。
そうは言いつつも、反省復習しながら一読できました。以下に引用した文は、経済や株式市場が現在のような状況にあるからこそ、(個人的に)心に刻んでおきたいと感じた言葉3つです。
No. 12
我々にとって最高なことが起きるのは、
偉大な会社が一時的なトラブルに見舞われたとき……。
我々が買いたいのは、
手術台に横たわっているときの優良企業だ
No. 29
好機は稀にしか訪れない。
空から黄金が降ってきたときは、
おちょこではなくバケツで受け止めなさい
No. 31
株式市場とは、
忍耐力の低いものから高いものへ金[かね]を移転する装置である
2025年11月3日月曜日
日進工具(6157)、再訪
わたしが当社(YahooJ株価)にはじめて投資したのは、2011年の東日本大震災のあとでした。精密微細加工用の工具を製造販売する当社のことはそれ以前から留意しており、震災がきっかけとなって株式を買い始めました(過去記事)。それ以降は2018年までの株価上昇の時期に一部を売却したものの(過去記事)、残りは継続保有してきました。
当社の業績はCovid-19以前にピークを付け、その後は現在まで下げ気味の横ばいをつづけている状況です。その当社が今回の決算発表(通期業績予想の下方修正)とあわせて、目を引く決定を発表しました。それは以下の2点です。
・自社株買いの実施
・プライム市場からスタンダード市場への市場変更
今回の文章では、これら3つの発表がどのように関わっているのか整理し、興味ぶかいと感じた点を記したいと思います。
<現在の業績>
まずは、今回発表された通期(2026年3月期)業績予想の下方修正にふれておきます。売上高は91億円(前期比3.1%減)、純利益が9.4億円(前期比25.7%減)と、利益面での大幅な業績悪化を発表しました。この利益水準は10年前を下回るもので、たとえば2016年3月期には売上高が83億円、純利益は13億円に達していました。さらにCovid-19禍が始まる前の2019年3月期にはピークをつけ、売上高は104億円、純利益は19億円を超えていました。
このところ利益が減少している要因には、売上高の減少だけでなく、販管費の増加もあげられます。粗利益率は比較的安定しているのに対して、10年前とくらべて従業員数は30%弱増加し、研究開発費も漸増しています。ただし間接部門の強化は次なる売上増を果たすのに不可欠でしょうし、事業の質を示す利益率自体はまだ高い水準にとどまっています。
売上減少の要因としては、直近数年間では自動車産業における認証不正問題やトランプ関税が影響大だと当社は説明しています。これらは一時的な要因とみてよいかもしれません。また競合企業からの圧力が高まっている側面もあり、こちらは永続的なリスクだといえます。
一方で前向きに評価したい推移としては、得意とする製品領域(6mm以下)の売上構成比増加や海外売上比率の増加があげられます。さらに今後の戦略としては、インド市場での拡販やさらに要求度の高い精密微細領域の市場開拓を掲げています。こういった要因を総合的に見渡したうえで、いまは当社を「今後の成長が見込めない残念な会社だ」と見切る段階ではないと、個人的には判断しています。
そして業績予想の下方修正を発表すると同時に、当社は以下の2点を発表しました。
<自社株買いの決定>
今月から2026年3月19日までの期間において、発行済株式数の約10%、金額は20億円までを上限とした市場買い付けを行うことを決議しました(引用元PDF)。だれしもが思いつくことですが、これは上記の下方修正を意識した決定だと受けとめることができます。悲観した売り注文を引き受けて、株価下落を和らげる狙いがあるのだろうと。ただし10%という規模はそれなりに目を引きます。ましてや、当社は創業者色が強いゆえ自社株買いに消極的だったので、なおさらです。
そこで、この自社株買いの規模がどの程度のものなのか計算してみます。当社集計によれば、今年9か月間の1日あたり平均株式売買金額は0.21億円とのことです。また来年3月19日までの営業日は約100日なので、仮にこれまでと同じペースで取引されたとしたら、売り注文の大多数を当社が買い取ってしまう帳尻になり(0.21 * 100 = 21)、株価形成の面で大きな影響力をもつでしょう。下方修正発表は平時のイベントではないので株式売買数が急増しがちですが、それでも平時のたとえば10倍程度におさまるのではないでしょうか。
なお当社には余剰資金が現在約100億円あるので、今回投じる20億円規模の自社株買いをさらに2回繰り返しても余裕があります。
<スタンダード市場への市場変更>
当社が現在所属しているプライム市場から、11月7日付をもってスタンダード市場へ市場変更すると発表しました(引用元PDF)。これは自主的な判断によるもので、強制的に変更されるものではありません。かつてジャスダック市場に所属していた当社がプライム所属を経てスタンダードへ移ることは、単純にみると悲観的な状況にも思えます。しかしこの件は上述した動きと関連しており、以下にときほぐしてみたいと思います。
(当社発表資料より)
今回の決定に至ったのは言うまでもなく、プライム市場の基準を維持できなくなるリスクがあるからです。まずは「1日あたり平均売買金額」について。現在は0.21億円であり、上場維持基準0.20億円に肉薄しています。株価が上昇するか、市場での人気が高まって売買件数が増加すれば回復できる数字ではあります。しかし当社が採用している株主優待政策は長期保有の個人投資家を優遇しており、それが売買機会の停滞を招き、結果的に裏目に出ている見方もできます。一方のスタンダード市場については、この基準は設けられていません。
さらに「流通株式時価総額」については現在109億円であり、上場維持基準の100億円に近づいています。こちらも株価が上昇すれば回復できますが、それを期した自社株買いをすすめてしまうと流通株式数が減少するジレンマが待っています。しかしスタンダード市場へ変更することで、この制限は大幅に緩和されます(上場維持基準10億円)。つまり当社が自社株買いをすすめる以上、スタンダード市場へ変更したほうが目の前の株価を意識する必要がなくなります。
スタンダード市場への変更を悲観的にとらえた投資家が株式を売却する可能性もあります。それを考慮してか、当社は大口投資家(たとえば5%超の保有者には、フィデリティともう1社あり)に配慮し、立会外取引も応相談としています。それ以外にも単なる狼狽売りや投げ売りが発生することも想定されますが、10%の自社株買いの側に立つ者(すなわち継続株主)としては、安値を歓迎します。
最後に「流通株式比率」で、現在55.92%です。創業者一族は当社株式の多くを保有しており(おそらく33.4%超)、自社株買いを大規模に進めると流通株式が減って上場維持基準35.00%に近づいてしまいます。この点でもスタンダード市場のほうが要件が緩やか(25%)であり、当社の現状に合致するという意味ではスタンダード市場のほうが望ましいといえます。
このように、「業績見通しを下方修正することで予期される株価下落に対して、自社株買いを発表するとともに、スタンダード市場への変更を必然とし、それがさらなる株価下落を呼べば、自社株買いの価値がもっと高まる」、この関連構造が今回発表の興味深い点です(うまくいくかは別として)。
<おわりに>
先述したように、当社が現在保有する余剰資金は約100億円なので、今回の自社株買いによる株価訂正幅が小さければ、来年度以降も自社株買いを実施することが期待できます。当社も今回の発表文の中でその旨を示唆しています。たとえば現発行済株式数の5%規模であれば、自社株買いに必要な資金は10億円であり、今回以降に4年間継続しても余剰資金は十分に残っています。そしてそれだけの期間があれば、当社の製品である切削工具の市場が好転したり、拡販努力が実ったりすることで、業績が回復成長する可能性もあります。つまり株価上昇につながるダブルプレー達成の可能性も、それなりにあるでしょう。
その一方で、創業者一族たる経営陣がこのような株主還元を継続遂行したとしても、市場が当社の価値を評価しない事態も考えられます。その際には当社経営陣によるMBOのリスクが高まることを忘れてはならないでしょう(非上場企業となる不利益もありますが)。そもそも100億円の余剰資金があり、10億円近くの利益をあげるニッチトップの企業が190億円で売りに出されている現状をみて、見逃したい人がいるのでしょうか。だから経営陣はその好機を見送る代わりに、当社の資金を使って当社の株を買う道を選んだ、そう考えることもできます。このシナリオが実現する場合、MBOを実行する前の株価が安いうちに残りの株数を(できれば上限寸前まで)減らせるわけですから、合理的な道筋をたどっているといえます。このことも、わたしが興味を抱いた点です。
2025年3月7日金曜日
2024年度バフェットからの手紙(3)これからも米国株式を重視
解説者のなかには、現在のバークシャーが抱えている現金の割合は甚大だとみる方もおられます。しかし、みなさんからお預りしている資金のおおよそは株式に投じられており、その方針をとりたいのは今後も変わりません。当社が保有する市場流通株式の価値は、昨年において3,540億ドルから2,720億ドルに減少しました。一方で、市場で取引されない当社支配下企業の株式価値はいくぶん増加しました。それらの価値は、売買可能な株式ポートフォリオよりもひきつづき大きく上回っています。
バークシャーの株主のみなさんはご安心ください。みなさんからお預りしている資金の大半は、これからも長きにわたって株式へ投資し続けてまいります。その投資先のほとんどは米国株式ですが、それらの企業の多くでは国際的に展開された事業が重視な地位を占めることでしょう。そして買収あるいは部分的のいずれかによって良い事業を手に入れる以上に、現金等価物のほうを保有したいとバークシャーがより好むことはあり得ません。
財政において愚行が進展していけば、紙幣のような通貨の価値は蒸発する可能性があります。このような暴挙が常態化している国家もあります。米国の歴史はみじかいながら、その瀬戸際に今や立たされています。そして制御不能になった通貨に対して、固定利息の債券に防御できるところはありません。
しかしながら、望ましい才覚を有する個人と同じように、自社の製品やサービスがその国の一般市民によって望まれている以上は、金融不安定な状況を乗りきる道を、企業はたいてい見出すものです。だから、能力のある個々人においても同じことが言えます。しかし、そのような資産、つまり高い身体的能力やすばらしい声色、医学的あるいは法務的能力といったなんらかの特殊技能を持っていなかったわたしは、人生を通じて株式へ依拠しなければなりませんでした。要するにわたしは米国企業の成功を頼みにしてきたのです。そしてこれからもそれを続けていきます。
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Despite what some commentators currently view as an extraordinary cash position at Berkshire, the great majority of your money remains in equities. That preference won’t change. While our ownership in marketable equities moved downward last year from $354 billion to$272 billion, the value of our non-quoted controlled equities increased somewhat and remains far greater than the value of the marketable portfolio.
Berkshire shareholders can rest assured that we will forever deploy a substantial majority of their money in equities – mostly American equities although many of these will have international operations of significance. Berkshire will never prefer ownership of cash-equivalent assets over the ownership of good businesses, whether controlled or only partially owned.
Paper money can see its value evaporate if fiscal folly prevails. In some countries, this reckless practice has become habitual, and, in our country’s short history, the U.S. has come close to the edge. Fixed-coupon bonds provide no protection against runaway currency.
Businesses, as well as individuals with desired talents, however, will usually find a way to cope with monetary instability as long as their goods or services are desired by the country’s citizenry. So, too, with personal skills. Lacking such assets as athletic excellence, a wonderful voice, medical or legal skills or, for that matter, any special talents, I have had to rely on equities throughout my life. In effect, I have depended on the success of American businesses and I will continue to do so.
2025年3月2日日曜日
2024年度バフェットからの手紙(2)両手利きのバークシャー
みなさんの資金が向かう先
バークシャーは両手利きによって資本を運用しています。まず一方の手において、当社は多数の事業を経営支配しています。つまり 株式を80%以上保有しているわけです。実際は100%保有のものばかりですが。そういった子会社は189社を数えます。市場で取引されている普通株と同じだとはとても言えないものの、似た点がいくつかあります。この子会社群には何千億ドルもの価値があります。そのなかには貴重な逸品が一握りあり、秀逸からは遠くも良好な事業が数多くあり、失意におわった鈍重な事業も若干あります。ひどくお荷物な事業こそ保有してはいませんが、買うべきでなかった事業もいくつかあります。
そしてもう一方の手において、当社は非常に高収益な巨大企業を若干ずつ保有しています。その企業数は十指に余る程度で、アップル、アメリカン・エキスプレス、コカ・コーラ、ムーディーズなどの、日常生活でおなじみの会社を含んでいます。それら企業の多くは、事業運営に必要な純有形資本とくらべて非常に高いリターンをあげています。それら企業に関して当社が保有する株式の市場価値は、年末の時点で2,720億ドルでした。言うに及ばないことですが、真に傑出した事業がまるごと売りに出されるというのは、極めて稀な事態です。しかしそういった逸品であっても、ごく一部であれば買えることがあります。平日のウォール街で、それも相当な頻度で、そういった企業が安売りされていることがあります。
資本を運用する先の形態においては、わたしどもは不偏な見方をしております。つまり、みなさん(や我が一族)の貯えを投じるうえで最良の投資となる側を選んでいます。たいていの場合、魅力的な投資先は見当たりません。しかしすごく稀には、好機にどっぷり漬かっていたと気づくことがあります。[副会長の]グレッグはそのような機会に乗じて行動する能力を、鮮やかに披露してくれました。それは、あたかもチャーリー[・マンガー]のようなふるまいです。
わたしが過ちをおかした場合でも、市場で取引できる株式であれば容易に方針転換できます。しかし強調しておきますが、現在の規模となったバークシャーでは、その選択肢の有用性は減じられています。当社の規模だと、すばやく出入りすることはできません。資金を一定程度投じたり、投資先から引きあげるには、1年間あるいはそれ以上かかることもあります。それに加えて持ち分が少数にとどまる場合、そうする必要があっても経営陣を入れ替えることはできませんし、あるいはわたしどもが承服できないような、資産の出入りを伴うことが決定されても、その行動を指揮統制できません。他方で経営支配している企業に対しては、そういった決定を命じることができますが、あやまちを始末する上での柔軟性はずっと低くなります。実際のところ、バークシャーが支配下にある事業を売却した例は、ほとんどありません。終わりが見えない問題に直面していなければですが。その代償として、事業のオーナーにはバークシャーを[売却先として]見出してくれる方がおられます。なぜならば、わたしどもの行動が不動不変だからであり、それがときには当社にとって決定的にプラスとなることがあります。
*
Where Your Money Is
Berkshire’s equity activity is ambidextrous. In one hand we own control of many businesses, holding at least 80% of the investee’s shares. Generally, we own 100%. These 189 subsidiaries have similarities to marketable common stocks but are far from identical. The collection is worth many hundreds of billions and includes a few rare gems, many good-but-far-from-fabulous businesses and some laggards that have been disappointments. We own nothing that is a major drag, but we have a number that I should not have purchased.
In the other hand, we own a small percentage of a dozen or so very large and highly profitable businesses with household names such as Apple, American Express, Coca-Cola and Moody’s. Many of these companies earn very high returns on the net tangible equity required for their operations. At yearend, our partial-ownership holdings were valued at $272 billion. Understandably, really outstanding businesses are very seldom offered in their entirety, but small fractions of these gems can be purchased Monday through Friday on Wall Street and, very occasionally, they sell at bargain prices.
We are impartial in our choice of equity vehicles, investing in either variety based upon where we can best deploy your (and my family’s) savings. Often, nothing looks compelling; very infrequently we find ourselves knee-deep in opportunities. Greg has vividly shown his ability to act at such times as did Charlie.
With marketable equities, it is easier to change course when I make a mistake. Berkshire’s present size, it should be underscored, diminishes this valuable option. We can’t come and go on a dime. Sometimes a year or more is required to establish or divest an investment. Additionally, with ownership of minority positions we can’t change management if that action is needed or control what is done with capital flows if we are unhappy with the decisions being made. With controlled companies, we can dictate these decisions, but we have far less flexibility in the disposition of mistakes. In reality, Berkshire almost never sells controlled businesses unless we face what we believe to be unending problems. An offset is that some business owners seek out Berkshire because of our steadfast behavior. Occasionally, that can be a decided plus for us.
2025年2月24日月曜日
2024年度バフェットからの手紙(1)日本企業への投資を増額
バークシャー・ハサウェイのウォーレン・バフェットが、2/22(土)付けで2024年度の「バフェットからの手紙」を公開しました。今年は徒然なるままにウォーレンの文章をご紹介します。今回は日本の総合商社に対する投資の話題です。なおウォーレンは、昨年もこの話題に触れていました。(日本語は拙訳)
・SHAREHOLDER LETTER 2024 [PDF] (Berkshire Hathaway)
バークシャーは日本企業への投資を増額
わたしどもは米国に注力する方針をとっているものの、ささやかながらも重要な例外点があります。それは日本への投資を増やしつづけている点です。
バークシャーが日本企業5社に投資をし始めてから、およそ6年間が経ちました。それらの企業はバークシャー自体といささか似たやりかたをもって、非常にうまく経営されています。その5社とは伊藤忠商事、丸紅、三菱商事、三井物産、住友商事(アルファベット順)です。それら大企業は多岐にわたる事業へ次々と出資しており、そういった事業の多くは日本で営まれていますが、世界中で操業しているものもあります。
バークシャーが5社の株式を買いはじめたのは2019年7月でした。各社の財務状況を調べてみただけだったのですが、その株価の安さに驚いたものです。それから何年間か経ちましたが、5社に対する称賛の想いは膨らみつづけました。グレッグは各社とたびたび面会してきましたし、わたしは5社の進展具合を定期的に把握しています。5社のとる資本配分や経営管理、投資家に対する姿勢を、わたしもグレッグも気に入っています。
5社は各社ともに配当金を適時に増額していますし、自社株買いも妥当な時機に実施しています。そして、経営陣は米国企業とくらべてずっと控えめな報酬体系を採用しています。
当社としては相当な長期間にわたって5社の株式を保有したいと考えており、各社に対しては取締役会を支持すると確約しました。またバークシャーは当初、株式保有割合を各社ともに10%未満へ抑えることに同意しました。しかし、その限界に近づくにつれて、5社側はこの制限をある程度緩和することを認めてくれました。そのため5社に対するバークシャーの持ち分は、いずれはそれなりに増えていくことでしょう。
バークシャーが保有する[日本株の]持ち分にかかった総取得費用は年末時点で138億ドルであり、その市場評価額は235億ドルでした。
他方で、バークシャーは一貫して円建ての借り入れを増やしてきました。ただし、なんらかの算式にしたがってはいません。その全額に課される金利は固定利率であり、「変動」のものはありません。わたしもグレッグも為替市場におけるレートが将来どうなるか見通すところはないので、およそ通貨中立的なポジションを探っています。しかしながらGAAP[米国会計基準]の規則によると、企業決算の際には当社が借り入れている円に関するあらゆる損益を、定期的に計算して認識する必要があります。その金額として、今回の年末時点では税引後利益に23億ドルが含まれていました。そしてその増加分には2024年に生じたドル高の8.5億ドルが影響しています。
グレッグやいずれ彼を継ぐ人物がこれらの日本株を何十年間にもわたって継続保有することを、わたしは期待しています。またバークシャーは今後、5社と建設的に協調していけるさまざまな方策を見出していくことでしょう。
わたしどもは、現在とっている円建て財産に関する戦略がもたらす勘定も気に入っています。この書簡の中で記したように、日本企業への投資から期待できる2025年の配当金収入を合計すると8.12億ドルとなり、一方で円建て債券にかかる利息費用は1.35億ドルになる見込みです。
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Berkshire Increases its Japanese Investments
A small but important exception to our U.S.-based focus is our growing investment in Japan.
It’s been almost six years since Berkshire began purchasing shares in five Japanese companies that very successfully operate in a manner somewhat similar to Berkshire itself. The five are (alphabetically) ITOCHU, Marubeni, Mitsubishi, Mitsui and Sumitomo. Each of these large enterprises, in turn, owns interests in a vast array of businesses, many based in Japan but others that operate throughout the world.
Berkshire made its first purchases involving the five in July 2019. We simply looked at their financial records and were amazed at the low prices of their stocks. As the years have passed, our admiration for these companies has consistently grown. Greg has met many times with them, and I regularly follow their progress. Both of us like their capital deployment, their managements and their attitude in respect to their investors.
Each of the five companies increase dividends when appropriate, they repurchase their shares when it is sensible to do so, and their top managers are far less aggressive in their compensation programs than their U.S. counterparts.
Our holdings of the five are for the very long term, and we are committed to supporting their boards of directors. From the start, we also agreed to keep Berkshire’s holdings below 10% of each company’s shares. But, as we approached this limit, the five companies agreed to moderately relax the ceiling. Over time, you will likely see Berkshire’s ownership of all five increase somewhat.
At yearend, Berkshire’s aggregate cost (in dollars) was $13.8 billion and the market value of our holdings totaled $23.5 billion.
Meanwhile, Berkshire has consistently – but not pursuant to any formula – increased its yen-denominated borrowings. All are at fixed rates, no “floaters.” Greg and I have no view on future foreign exchange rates and therefore seek a position approximating currency-neutrality. We are required, however, under GAAP rules to regularly recognize in our earnings a calculation of any gains or losses in the yen we have borrowed and, at yearend, had included $2.3 billion of after-tax gains due to dollar strength of which $850 million occurred in 2024.
I expect that Greg and his eventual successors will be holding this Japanese position for many decades and that Berkshire will find other ways to work productively with the five companies in the future.
We like the current math of our yen-balanced strategy as well. As I write this, the annual dividend income expected from the Japanese investments in 2025 will total about $812 million and the interest cost of our yen-denominated debt will be about $135 million.
2025年1月31日金曜日
2024年の投資をふりかえって
今さらですが、2024年の市場平均は日米ともに好調で、TOPIXが約17.7%、S&P500が約24%の上昇でした。一方でわたしの投資先の成績は全般的に低調で、株価は下落あるいは横ばいばかりでした。しかし、このような気の滅入る個人的状況下でも何をするべきかは、はっきりしています。「自分の判断に自信が持てる銘柄は、株価下落に合わせて逐次購入」です。数年前に投資先がみつからなかった時期とは空気が変わっていると感じています。
具体的な投資先について、現状維持(Hold)の銘柄は昨年分の投稿と同様に記載省略しました(銘柄コードのリンク先は株価チャート)。
<新規購入(New Buy)>
・マクニカホールディングス(3132); 富士エレ時代に保有時期あり
・TOWA(6315)
<買増し(Add)>
・ジーエルテクノホールディングス(255A)
・塩野義製薬(4507)
・ニデック(6594)
・アドテックプラズマテクノロジー(6668)
・ナカニシ(7716)
・Dollar General(DG)
<一部売却(Reduce)>
・Apple(AAPL)
・Intel(INTC)
また、保有株式全般にかかわるリスクとしては「大震災リスク」と「台湾侵攻からの中国リスク」のエクスポージャーが高いと考えています。前者に関する対策方針としては、余剰資金をもって復興急性期に備えることで、株式評価額の中期的な低迷は甘受するつもりです。後者に関しては二律背反ともいえる悩ましい主題と受けとめており、中国市場への依存度がそれなりに大きな投資先株式を継続保有すべきか、決めあぐねています。看過してはならない課題だととらえて、今年も情報収集や検討をつづけていくつもりです。




