講演の冒頭でコースラは、ガソリンが無敵だという前提に異議を唱えた。最近の実績を見れば、現在使われているほかのテクノロジーと同じくガソリンも脆弱だということがわかるはずだという。ガソリンに勝てる見込みが低いという事実こそ、まさに彼が勝利を目指す理由だった。勝てれば天文学的な金銭的利益が得られるからだ。「専門家たちは一様に2008年の金融危機について物知り顔で語っていますが、2008年6月の時点では誰もあんなことは予想していませんでした」と彼は言う。エネルギーについても事情は同じで、専門家はシェールガスの将来について今でこそきわめてはっきりした言い方をしているが、2008年には誰もそんなものが使いものになるとは予見していなかった。
「成功の確率が0.01パーセントだと言われても、私は受けて立ちます」と彼が言った。
壁にスライドが映し出された。「見えない方のために説明します。縦軸が成功の確率、横軸がインパクトの大きさを表します。テクノロジーの失敗する確率が90パーセント以上の場合、きわめて破壊的なインパクトが生じやすいということです」ベンチャーキャピタリストにとって、確立されたビジネスパターンの破壊、そしてそれに伴う新しいビジネス手法の創出は、ずば抜けて大きな利益をもたらすことが多い。
たいていのベンチャー投資家やエンジェル投資家はそんなやり方をしない、と彼は言う。失敗のもたらす結果と成功のもたらす結果に極端な差が生じない程度までリスクを抑えようとするのだ。
「私が提案したいのは、その正反対のやり方です」とコースラが言った。大きなリスクとそれがもたらす潜在的なメリットをむしろ歓迎すべきだという。
コースラは、目の前に座る出席者のほとんどまたは全員の耳に彼のメッセージが届いてはいても、聞き入れる者はごくわずかだとわかっていた。「ほぼ不可能なことに挑戦できるのは理性か知性を欠いた者だけ」だからだ。侮辱的な言葉を浴びせれば、少なくとも相手を困惑させるくらいの効果はあるかもしれない。「物事がうまくいかない理由を常に説明できる専門家は、理性と知性を備えた人間を常に脅かして、途方もないアイデアへの挑戦を妨げることができるのです」と彼は語った。(p.269)
2016年1月30日土曜日
理性か知性を欠いた者だけが挑戦できる(『バッテリーウォーズ』)
前回と同じように、『バッテリーウォーズ』から印象に残った文章を引用します。今回も本筋とは少し離れますが、ベンチャー・キャピタリストのビノッド・コースラ氏の大胆な発言です。なお彼は、UNIXやJavaで一時代を築いたサン・マイクロシステムズの創業者の一人です。
2016年1月28日木曜日
羊飼いの少年が期せずして成功する話(『バッテリーウォーズ』)
『バッテリーウォーズ』という本を読みました。内容は副題が示す通りのもので、「次世代電池開発競争の最前線」です。エネルギーや素材関係の話題には興味があるので期待して手に取ったのですが、読み始めのころはハズレだったかと案じました。書き出しには引きこまれず、突出したヒーローは不在、淡白な文体、そして地味な話題と、四重苦状態だと感じたからです。それでも100ページ目、150ページ目と読み進めていくうちに、実は楽しんでページを繰っている自分に気がつきました。そして静かなクライマックスに向けて一気に読了できました。
本書では研究開発やイノベーションの現場が、飾ることなく描写されています。登場人物は研究所や先端企業で働く頭脳明晰な人ばかりですが、彼らのふるまいや願望は一般人と同じで、等身大の群像劇が展開されています。様々なものごとがごったがえす中、技術はたゆまずに進歩し、ビジネスは拡大の機会をうかがい続けます。本書の中心的な役割はそういったイノベーション小史を楽しむ点にあると思いますが、それ以外の読み方もできます。日米におけるR&Dの比較という視点が持てたり、ベンチャー・ビジネスのケース・スタディーとしても参考になります。なおテスラモーターズのCEOイーロン・マスクも出番が少しありますが、端役の扱いです。
その本書から今回引用するのは、主題とはまるで関係のない話題です。モロッコ出身のアミーンという名の印象的な人物が登場しますが、彼の祖父が過ごした劇的な人生についてです。
本書では研究開発やイノベーションの現場が、飾ることなく描写されています。登場人物は研究所や先端企業で働く頭脳明晰な人ばかりですが、彼らのふるまいや願望は一般人と同じで、等身大の群像劇が展開されています。様々なものごとがごったがえす中、技術はたゆまずに進歩し、ビジネスは拡大の機会をうかがい続けます。本書の中心的な役割はそういったイノベーション小史を楽しむ点にあると思いますが、それ以外の読み方もできます。日米におけるR&Dの比較という視点が持てたり、ベンチャー・ビジネスのケース・スタディーとしても参考になります。なおテスラモーターズのCEOイーロン・マスクも出番が少しありますが、端役の扱いです。
その本書から今回引用するのは、主題とはまるで関係のない話題です。モロッコ出身のアミーンという名の印象的な人物が登場しますが、彼の祖父が過ごした劇的な人生についてです。
一族の伝説は20世紀の初めごろにさかのぼる。アミーンの母方の祖父ベナディールが、12歳のときにアガディール港周辺の山で羊飼いをしていたころの話だ。ベナディールはしょっちゅう年配の男に叩かれた。しかしあるとき、耐えかねたベナディールが石をつかんで老人の頭を殴りつけると、相手は倒れて動かなくなった。少年はおびえて逃走した。
ベナディールが隠れていると、青果を積んで牽引車につながれた荷車が通りかかった。ベナディールは荷車によじ登ってすぐさま身を隠した。それから二、三日間、荷車は海岸沿いを進んでいった。ベナディールは積んである果物や野菜を食べて過ごした。しかしカサブランカに到着すると、荷主に見つかって路上に放り出されてしまう。ベナディールは歩きながら物乞いを始めた。汚れまみれで疲れきった彼は、一軒の家の前に立った。中にいたフランス人の婦人が哀れんで、ベナディールを招き入れた。それから彼の体をきれいにして、家事係としてこの家にいてよいと言った。
この婦人が何という名だったか、アミーンは覚えていない。ともあれ、婦人の夫はいくつもの店を所有する商人で、あるときベナディールはこの主人から一軒の店番を命じられる。ベナディールはこれをとても責任の重い仕事だと思い、きちんと朝5時に店を開け、真夜中に店を閉めた。夜は店で眠り、食事も店でとった。しばらくすると、主人は店の儲けが大きく増えたことに気づいた。そこで少年にさらに多くの店を任せ、彼を息子のように扱い始めたのだ。
1956年、モロッコはフランスとスペインから独立を勝ち取った。ベナディールを置いてくれたフランス人一家は、ほかの多くの外国人と同様に大あわてで帰国した。出国する際に、主人は事業をベナディールに譲った。こうして、アミーンの祖父は地元でかなりの大物になったのだった。(p. 72)
2016年1月26日火曜日
ガルブレイスの好んだ寒々とした世界(チャーリー・マンガー)
チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の5回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
備考です。同じガルブレイスの話題は、過去記事「Febezzlement」でも取りあげています。
次にあげたいのは、経済学者の伝統的な考えにおいて、bezzle(ベズル)という考えに含まれる意味を考慮していないことがよくある点です。もう一度言いますよ、「ベ・ズ・ル」です。
この「ベズル」という言葉は「横領(embezzle)」という言葉を短縮したものです。ある期間において未発覚の横領が増加した数量を示すために、ハーバードにいた経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスが考案しました。彼は、1ドル当たりでみた未発覚の横領が、消費に対して非常に強力な刺激を与える様子を観察したことから、この言葉を考え出したのですね。結局は、横領をした者は実入りが増えるので消費を増やしますし、雇用主のほうは自分の資産が消えたとは露ほども知らず、以前と同じように消費するわけです。
しかしガルブレイスは自分の洞察をそれ以上押し進めませんでした。物議を醸すだけにとどめることで満足していたのです。ですから、これから私がガルブレイスの持ち出した「ベズルな」概念を、論理的に考えられる次の段階に進めてみることにしましょう。ケインズが示したように、収入の動きに敏感な経済では、たとえば針子(はりこ)が靴職人へコートを20ドルで売れば、靴職人は消費に回せる金銭が20ドル減りますし、針子のほうは20ドル増えます。この場合、消費全体でみると「とびっきりな」効果は生じません。ところがそこで政府が20ドル札を1枚刷って靴を1足買えば、靴職人は20ドル増えることになり、貧しさを感じる者はいなくなります。さらに靴職人がコートを買って…というプロセスが連続すれば、無限に増えることはないものの、ケインズが言うところの乗数効果が生まれます。これは消費における、ある種の「とびっきりな」効果ですね。それと同じで、未発覚の横領は同規模の誠実な物々交換とくらべて、1ドル当たりでみた消費に対して強い刺激を与えます。スコットランド人であったガルブレイスは、自分の洞察が示した荒涼とした世界を好んでいました。結局のところスコットランド人たる彼は、さだめであって修正のきかぬ出来たての天罰を喜んで受け入れたのです。我々にとってガルブレイスの洞察は心惹かれるものではありません。にもかかわらず、彼の考えが大筋で正しいことは認めなければならないでしょう。
For another thing, the traditional thinking of economists often does not take into account implications from the idea of “bezzle”. Let me repeat: “bezzle,” B-E-Z-Z-L-E.
The word “bezzle” is a contraction of the word “embezzle”, and it was coined by Harvard Economics Professor John Kenneth Galbraith to stand for the increase in any period of undisclosed embezzlement. Galbraith coined the “bezzle” word because he saw that undisclosed embezzlement, per dollar, had a very powerful stimulating effect on spending. After all, the embezzler spends more because he has more income, and his employer spends as before because he doesn’t know any of his assets are gone.
But Galbraith did not push his insight on. He was content to stop with being a stimulating gadfly. So , I will now try to push Galbraith’s “bezzle” concept on to the next logical level. As Keynes showed, in a naive economy relying on earned income, when the seamstress sells a coat to the shoemaker for twenty dollars, the shoemaker has twenty dollars less to spend, and the seamstress has twenty dollars more to spend. There is no lollapalooza effect on aggregate spending. But when the government prints another twenty-dollar bill and uses it to buy a pair of shoes, the shoemaker has another twenty dollars, and no one feels poorer. And when the shoemaker next buys a coat, the process goes on and on, not to an infinite increase, but with what is now called the Keynesian multiplier effect, a sort of lollapalooza effect on spending. Similarly, an undisclosed embezzlement has stronger stimulative effects per dollar on spending than a same-sized honest exchange of goods. Galbraith, being Scottish, liked the bleakness of life demonstrated by his insight. After all, the Scottish enthusiastically accepted the idea of pre-ordained, unfixable infant damnation. But the rest of us don’t like Galbraith’s insight. Nevertheless, we have to recognize that Galbraith was roughly right.
備考です。同じガルブレイスの話題は、過去記事「Febezzlement」でも取りあげています。
2016年1月24日日曜日
望まない習慣に生活を支配される(『脳が冴える勉強法』)
チャーリー・マンガーやウォーレン・バフェットが好んで使う表現のひとつに、「習慣という鎖は、初めは軽すぎて感じられないが、やがて重くなって壊せなくなる」というものがあります。過去記事で何度かとりあげています(例1や例2)。 最近読んだ本『脳が冴える勉強法』でも同じことに触れた箇所がありましたので、以下に引用します。
ヘッブの法則[脳神経ネットワークの同じ箇所に同じ刺激が繰り返し与えられることで、学習がなされる]が重要な意味を持つのは、学習の原理としてだけではありません。人間の行動が強化される原理、つまり習慣化の原理としても、ヘッブの法則は重要な意味を持っています。
習慣化の原理として考えたときに、ヘッブの法則が怖いのは、それが望むと望まざるとにかかわらず、起こってしまう、ということ。本人が望んでいなくても、繰り返した行動がヘッブの法則により強化されてしまう、ということです。
たとえば、デスクについてまずパソコンを起動させる。起動させたら、まずブラウザを立ち上げる。ブラウザを立ち上げたら、何となくニュースサイトを読み始めて、特に興味のない記事までリンクを辿って読んでいく。そういう行動を毎日繰り返したとします(それが悪いことだというわけではありませんが)。
そうすると、その行動を習慣化したいと望んでいるわけではなくても、その行動にまつわる回路が強化されます。デスクにつくというきっかけの行動を取っただけで、後は自動再生されるように、一連の行動をとってしまう。
生活のごく一部にそういう望まない習慣を持っているだけならいいですが、私たちは普段から注意していないと、いつの間にか望まない習慣に生活を支配されている状態になりがちです。
サミュエル・スマイルズの『自助論』の中に、次のような表現が出てきます。
「時間の浪費は、精神に有害な雑草をはびこらせる」
神経学的に翻訳するなら、実際に(脳の中に)はびこるのは、悪習慣の強い回路です。そして、いつの間にかそれに動かされて、膨大な時間を浪費するようになってしまう。
これは若い頃だけの話ではありませんが、若い人の方が残されている人生の時間が長いので、より大きな損失を被るのは確かだと思います。(p.136)
2016年1月22日金曜日
バリュー投資家は難しい時期に恩恵を受ける(セス・クラーマン)
2009年3月のOID誌に掲載されたセス・クラーマンの講演記事から引用がつづきます。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
<クラーマン> 短期的な成績を追求する投資ビジネスに固有の圧力に抵抗でき、狙いを定め続けられるバリュー投資家は、むずかしい時期でさえも利益を上げることのできる多面的で柔軟な各種の道具を備えています。第一に、バリュー投資家はおのれの原則を守って良い時も悪い時も辛抱し続けられるので、割安な銘柄を保有できます。これは根底にある価値よりも割安に買った証券なので、安全余裕を授けられています。ただし保有銘柄の株価が下落しないとか下落などありえない、という意味ではありません。株価が下落すれば買い増しを検討したくなるような、より好ましいバーゲン銘柄になるという意味です。高い割合で借り入れをしている企業の株式や問題を抱えた金融会社、いつまで経っても大きくなれない事業やリスクの大きいジャンク債、そのような証券には手を出さないとする規律を厳格に守ってきたバリュー投資家は、むずかしい時期にはまちがいなく恩恵を受けます。それらの投機的な銘柄を保有している人は、市場が下落するとみずからの選択を早々に後悔することになるでしょう。(p. 2)
Klarman: Value investors who are able to maintain their focus and resist the pressures inherent in the investment business to pursue short-term results have a multifaceted and adaptable tool kit that should allow them to prosper even in difficult times. First, by maintaining their discipline and by remaining patient in good times and bad, value investors own bargains - securities trading at a discount to underlying value which confer a margin of safety. This doesn't mean those holdings can't or won't drop in price; it means that when they decline, they'll be an even better bargain to which you are likely to seek to add. In difficult times, value investors certainly benefit from their relentlessly-kept discipline by having avoided highly-leveraged stocks, troubled financials, perpetually marginal businesses, and risky junk bonds. When the market drops, holders of such speculations quickly regret their choices.
2016年1月20日水曜日
投資家がみせる行動特性で注目すべきもの(ハワード・マークス)
オークツリーの会長ハワード・マークスが新しいレターを公開しています(1月14日付)。今回引用する箇所は短い文章なので翻訳をつけるまでもないですが、いつもの形でやっています。なお投資雑誌Barron'sのWebサイトでも、全文がそのまま掲載されていました。
On the Couch [PDF] (Oaktree Capital Management)
On the Couch [PDF] (Oaktree Capital Management)
投資家がみせる行動特性の中でもっとも注目すべきひとつとして、悲観的なものごとが生じてもしばらくの間は見過ごしたり、あるいはその重要性を軽視したりしがちな点が挙げられます。しかし結局は下落の途中で降参し、今度は過剰に反応するのです。私としては、そういった行動の多くは心理的な弱点に因るものであり、そうでなければ出来事が持つ本当の重要性を的確に評価する能力がないことに帰すると考えています。(p. 4)
One of the most notable behavioral traits among investors is their tendency to overlook negatives or understate their significance for a while, and then eventually to capitulate and overreact to them on the downside. I attribute a lot of this to psychological failings and the rest to the inability to appreciate the true significance of events.
2016年1月18日月曜日
さらばシボレー、ようこそキャデラック(チャーリー・マンガー)
チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の4回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
しかしそのような経済学的考えかたはまちがいなく、現在の実情を相当誤解していますね。まちがった数字を見ていますし、まちがった疑問を投げかけています。それでは究極のアマチュアたる私がもう少し上手なやりかたを、あるいは少なくとも若干は異なるやりかたを大胆にも試みてみましょう。
ひとつめとして、たぶん次の内容で合っていると思いますが、「FRBのデータ群は実際的な障害のせいで年金から生じる影響を適切に考慮していない」とする話を聞いたことがあります。これには401Kや同様の制度などが含まれます。たとえば次のような例を考えてみましょう。ある63歳になる歯科医が私的年金口座でGE株を100万ドル分保有しているとします。ところが株価が上がって持ち分が200万ドルになると、気分がほくほくした歯科医はかなり古くなったシボレーを下取りに出して、新しいキャデラックを現在一般的なタダのような料率のリースで乗り始めます。私からすればこれは言うまでもなく、歯科医の消費行動に大きな「資産効果」が働いています。しかしFRBのデータを使う多数の経済学者にすれば、この状況が歯科医による浪費性の貯蓄取り崩しにみえるのではないですかね。しかし彼や彼と同じような人たちが多額の消費をしたのは、年金にかかわる非常に強力な「資産効果」が働いたからだと思いますよ。ですから、現在生じている年金制度由来の「資産効果」は些細とは程遠いものであり、過去に生じたものよりもずっと巨大であることは間違いないと思います。
I believe that such economic thinking widely misses underlying reality right now. To me, such thinking looks at the wrong numbers and asks the wrong questions. Let me, the ultimate amateur, boldly try to do a little better, or at least a little differently.
For one thing, I have been told, probably correctly, that Federal Reserve data collection, due to practical obstacles, doesn’t properly take into account pension effects, including effects from 401(k) and similar plans. Assume some sixty-three-year-old dentist has $1 million in GE stock in a private pension plan. The stock goes up in value to $2 million, and the dentist, feeling flush, trades in his very old Chevrolet and leases a new Cadillac at the giveaway rate now common. To me, this is an obvious large “wealth effect” in the dentist’s spending. To many economists, using Federal Reserve data, I suspect the occasion looks like profligate dissaving by the dentist. To me, the dentist, and many others like him, seems to be spending a lot more because of a very strong pension-related “wealth effect.” Accordingly, I believe that present-day “wealth effect” from pension plans is far from trivial and much larger than it was in the past.
2016年1月16日土曜日
グレアムとドッドに返れ(セス・クラーマン)
2009年3月のOID誌に掲載されたセス・クラーマンの講演記事から、ひきつづきの引用です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
<クラーマン>バリュー投資家が自分以外の何かになりたいと望むのであれば、グレアムとドッドがみせてくれた知恵を思い返すのが一番です。この75年間で最高の成功をおさめた投資には、彼らが示した見事なロードマップに従うことで達成されたものがあったからです。難解かつ未知なこともある領域を通過する者を導き、成功をおさめさせてくれる地図です。
現在継続している市場環境において、ほとんどの投資家は舵を失っています。無能力となったことで、極端な混乱や企業業績の悪化、苦悶する経済や積み上がる損失がつづく最中に舵を取れないでいます。現金を手放そうとはせず、資金償還や損失増加を恐れています。しかし市場から身を引き、ある種の「絶対明白な」徴候が現われるまで再参入するのを待ちたいと思案する投資家にとって、有益なことがあります。1934年にグレアムとドッドが書いた忠告を思い返すことです。「我々は本書を書き記す間、世間に広まった『金融崩壊は永続必然』とする信念と戦わなければならなかった」。彼らが当時そう言えたのであれば、今私から同じように申し上げねばならないでしょう。
Klarman: When a value investor is tempted to become something other than what he or she is, I find it best to recall the wisdom of Graham and Dodd. Graham and Dodd have provided us with a remarkable road map that has been carried on some of the world's most successful investment journeys for 75 years - a road map that allows us to navigate through difficult, even uncharted, territory and come out ahead.
In a market like we've been experiencing, most investors lose their rudders. They become incapacitated, unable to navigate amidst extreme turmoil, declining corporate results, and a litany of economic woes and mounting losses. They become unwilling to part with their cash - afraid of possible redemptions, and afraid of adding to their losses. Investors today, who are tempted to pull out of the market and wait for some kind of "all clear" signal before recommitting, would be well advised to remember the counsel of Graham and Dodd who wrote in 1934: "While we were writing, we had to combat a widespread conviction that financial debacle was to be the permanent order." If they could say that then, I must restate it now.
2016年1月14日木曜日
経済学者曰く、消費に対する株価の影響は小さい(チャーリー・マンガー)
チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の3回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
ですから、次の2つは認めるべきなのです。ひとつは、消費の傾向が株価動向の影響を受けることが、今や重要な主題であること。もうひとつは、日本で不景気が長引いている事態は憂慮すべきであること。では、米国の株価は経済にどれほどの影響を与えているでしょうか。主として連邦準備制度が収集したデータに基づいて経済の専門家が下す見解では、「株価が原因で消費に影響する『資産効果』は、まるで大きくない」というのが中間的になるでしょう。結局のところ、現在においても家計部門の年金を除いた実質純資産の上昇率は、この10年間では100%以下だったでしょうし、世帯当たりの金額は月並みなまま推移したと思います。その一方で株式の時価総額は、年金を除いた家計純資産全体の1/3に達していないでしょう。さらに家計部門の資産における普通株は、信じがたいほど一部に集中して保有されています。その上、超大金持ちが消費する金額は、保有資産とは比例しません。年金を除いて考えれば、普通株の評価額のうちで家計部門上位1%の人たちが保有する割合は50%ぐらいでしょうし、下位80%が保有するのは4%程度だと思います。
そのようなデータに加えて、過去における株価と消費の相関は心躍るものでもありません。ですからプロの経済学者にしてみれば、「家計における消費支出の平均金額が株式資産の評価額のたとえば3%ずつ増加すると仮定したところで、巨大かつ前代未聞の長期にわたる一貫した株価上昇のなかであっても、過去10年間における消費の上昇率は年率0.5%以下にとどまった」と判断するのはたやすいと思います。
Well, grant that spending proclivity, as influenced by stock prices, is now an important subject, and that the long Japanese recession is disturbing. How big are the economic influences of U.S. stock prices? A median conclusion of the economics professionals, based mostly on data collected by the Federal Reserve System, would probably be that the “wealth effect” on spending from stock prices is not all that big. After all, even now, real household net worth, excluding pensions, is probably up by less than 100% over the last ten years and remains a pretty modest figure per household while market value of common stock is probably not yet one third of aggregate household net worth, excluding pensions. Moreover, such household wealth in common stocks is almost incredibly concentrated, and the super-rich don’t consume in proportion to their wealth. Leaving out pensions, the top 1% of households probably hold about 50% of common stock value and the bottom 80% probably hold about 4%.
Based, on such data plus unexciting past correlation between stock prices and spending, it is easy for a professional economist to conclude, say, that even if the average household spends incrementally at a rate of three percent of asset values in stock, consumer spending would have risen less than one-half percent per year over the last ten years as a consequence of the huge, unprecedented, long-lasting, consistent boom in stock prices.
2016年1月12日火曜日
割安な銘柄を買う以外にバリュー投資家がすべきこと(セス・クラーマン)
2009年3月のOID誌に掲載されたセス・クラーマンの講演記事から、ひきつづき引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
<クラーマン> ですから、個別銘柄の株価が本当に割安な水準に達したときにそれを買わないとしたら、バリュー投資家がすべきこととは何でしょうか。それはマーケット・タイミングです。投資家は即時的な時間軸で暮らしています。数カ月や数日、数時間、はたまた数分間の人もいるでしょうが、数年間隔ではありません。将来を知ることはできません。またサイクルの途中においていつ終わりが来るのかわかりませんし、その始まりでさえ必ずしもはっきりしてはいません。ですから市場が下落する間に、それらしき機会に誘われてやられてしまうわけです。魅力なバーゲン銘柄あるいはバリューを装う銘柄だったり、騙し上げあるいは正当なる回復だったり、巧みな底値買いあるいは軽率な下落買いだったりと、そういった諸々を目の当たりにするでしょう。しかし実際に事実が起きてからでないと、どこまで下がるのかを知ることはできません。マクロ的な予測をすることはできます。その場合、今後生じる2回の景気後退のうち10回を予言するわけです。あるいはマクロ経済を無視する道もあります。その場合、経済が悪化して信用が収縮し、あらゆる証券から波が引いていった後に、もはや割安にみえなくなったバーゲン銘柄を買うわけです。
Klarman: So when individual stocks reach levels where they are truly undervalued, what are value investors supposed to do other than to buy them? Anything else is market timing. Investors live in real time - not in several year intervals, but in months, days, hours and even minutes. Because we cannot know the future - and cannot see in the middle of the cycle its end, and not even necessarily its beginning - we will be bombarded by apparent opportunity as the market descends. We will see tempting bargains and value imposters, false rallies and legitimate recoveries, smart bottom fishers and mindless buy-the-dippers - and we will never know until after the fact how low things might go. We can become macro forecasters, predicting 10 of the next two recessions, or we can ignore the macro economy, buying bargains that cease to look cheap as the economy deteriorates and credit contracts and the tide goes out on all marketable securities.
2016年1月10日日曜日
米国は日本と同じ状況になるのか(チャーリー・マンガー)
チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の2回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
金融面で数々の腐敗があった日本では、非常に長期間にわたって株価や不動産価格が著しく上昇しました。その間、米国と比較して極端なまでの実質経済成長を果たしましたが、その後は資産価値が暴落し、日本経済は最上からは大きく離れた水準で立ち往生しました。その後の日本は経済立て直しを期待してケインズ経済学や金融上の施策をことごとく学び、強力かつ長期間推進しました。政府部門では莫大な赤字を何年間も続けただけでなく、金利をゼロ近辺の位置まで引き下げて維持しました。にもかかわらず、日本経済はいつまでたっても手詰まりのままだったのです。日本人消費者の意識は経済学者が繰り出すあらゆる術策に頑固として逆らいましたし、株価も低迷しつづけました。日本が経験したこの事態は、だれにとっても憂慮すべき例ですね。それと似たことがこの国で起きたとしたら、収縮した慈善基金は運命に打ちのめされたと感じることでしょう。日本で起きた惨めな状況のかなりの部分は、おそらくそうだとは思いますが、日本固有の心理面における社会的影響や腐敗によって起こされたものだったと願いましょう。そうだとしたら我が国は、広く考えられている程度の半分は大丈夫かもしれません。
In Japan, with much financial corruption, there was an extreme rise in stock and real estate prices for a very long time, accompanied by extreme real economic growth, compared to the United States. Then, asset values crashed, and the Japanese economy stalled out at a very suboptimal level. After this, Japan, a modern economy that had learned all the would-be-corrective Keynesian and monetary tricks, pushed these tricks hard and long. Japan, for many years, not only ran an immense government deficit but also reduced interest rates to a place within hailing distance of zero and kept them there. Nonetheless, the Japanese economy, year after year, stays stalled, as Japanese proclivity to spend stubbornly resists all the tricks of the economists. And Japanese stock prices stay down. This Japanese experience is a disturbing example for everyone and, if something like it happened here, would leave shrunken charitable foundations feeling clobbered by fate. Let us hope, as is probably the case, that the sad situation in Japan is caused in some large part by social psychological effects and corruption peculiar to Japan. In such case, our country may be at least half as safe as is widely assumed.
2016年1月8日金曜日
3割下がっても、油断は禁物(セス・クラーマン)
数回前の投稿でとりあげたセス・クラーマンの講演記事から、つづく部分を引用します。(日本語は拙訳)
<質問> 30%下落した後に、次はどれだけどうなるのか、わかる人がいるのでしょうか。
<クラーマン> 市場が下落している最中に参入する時期が早すぎると、当然ですがどんな投資家にも大きなリスクとなります。それはバリュー投資家も同じです。上昇相場が継続中の間であっても、割安な証券がみつかればバリューに飢えた投資家は前進して買いに出るのはまちがいないでしょう。しかしほどなくして、その多くはまるでバーゲンでなかったことが明らかになります。世界全体が悪化するにつれて、それゆえに強気筋が拒絶していた欠陥がますます明白となるからです。株式市場が30%下落した時点で、今後どうなるのかを言い当てる術はありません。「あらゆる下落相場は大恐慌につながる」と予想するのは愚かしいことですが、「割高な水準から下落してずっと妥当な水準に達すれば、そこからはひどく激しい下落が起こるなどありえない」と期待するのも、同じようにまちがったことだと思います。(p. 2)
After a 30% drop, who knows how much further it might go?
Klarman: Of course, getting in too soon as the market falls involves great risk for all investors, including value investors. Certainly, when a few securities start to get cheap even as the bull market continues, a valuestarved investor will step up and buy them. Soon enough, many of these prove to be no bargain at all, as the flaws that caused them to be rejected by the bulls become more glaringly apparent when the world gets worse. After a stock market has dropped 30%, there's no way to tell how much further it might have to go. It'd be silly to expect every bear market to turn into the Great Depression. But it would be equally wrong to expect that a fall from overvalued to more fairly valued couldn't badly overshoot on the downside.
2016年1月6日水曜日
フィランソロピー円卓会議での朝食会(チャーリー・マンガー)
本ブログでは、チャーリー・マンガーの講演・講話を集めた『Poor Charlie's Almanack』に収録されている原文を、当方の和訳付きでご紹介してきました。今回からは講演その7(Talk Seven)を全訳でご紹介します。2000年3月にITバブルが弾けて、株式市場が下落しはじめた時期の講話です。いつものように、インターネット上に原文がアップロードされているサイトがありますので、お急ぎの方はたとえば以下のサイトをご参照ください。
The Philanthropy Round Table (Mungerisms)
なお本シリーズを以って、同書に収録されている全11話をひとまず取りあげたことになります。
The Philanthropy Round Table (Mungerisms)
なお本シリーズを以って、同書に収録されている全11話をひとまず取りあげたことになります。
フィランソロピー円卓会議での朝食会
2000年11月10日
今日は、米国普通株の価格が上昇したことで生じた、いわゆる「資産効果」について話をします。
まずは早々に申し上げますが、「資産効果」が経済学における学問的原理の一部であることは、認めざるを得ません。それから、私自身は経済学に関する講義をひとつも履修していませんし、マクロ経済的な変化を予測して儲けようとしたことはビタ一文ない点も付け加えておきます。
それにもかかわらず、「現在の極端な状況下で普通株が『資産効果』に対してもたらす影響力を、博士号を取得した経済学者のほぼ全員が過小評価している」と私は判断しています。
次の2点は異論がないと思います。第一に、消費の傾向は株価が上がれば上向きへ、株価が下がれば低迷する方向へと影響を受ける点。第二に、消費という傾向がマクロ経済学的に著しく重要な要素である点。しかしながら、「資産効果」の規模や発生時期だったり、それが他の効果とどのように相互作用するかについては、その分野の専門家同士でも見解が一致していません。たとえば、消費が拡大することで株価を押し上げる傾向が生じる一方、株価自身の上昇につられて消費が押し上げられる、といった明らかに複雑な相互作用についてです。もちろんですが消費が横ばいであっても、株価上昇によって企業があげる利益を増加させることができます。たとえば株価がひきつづき上昇傾向の際に、年金費用の計上を減額するやりかたです。つまるところは、物理学の理論のように鮮やかなものとはほど遠く、まるでうまく解けないかもしれない。「資産効果」は、そのような数学的パズルを伴っているのです。
Breakfast Meeting of the Philanthropy Roundtable
November 10, 2000
I am here today to talk about so-called “wealth effects” from rising prices for U.S. Common stocks.
I should concede, at the outset, that “wealth effects” are part of the academic discipline of economics and that I have never taken a single course in economics, nor tried to make a single dollar, ever, from foreseeing macroeconomic changes.
Nonetheless, I have concluded that most Ph.D. economists underappraise the power of the common-stock-based “wealth effect”, under current extreme conditions.
Everyone now agrees on two things. First, spending proclivity is influenced in an upward direction when stock prices go up and in a downward direction when stock prices go down. And, second, the proclivity to spend is terribly important in macroeconomics. However, the professionals disagree about size and timing of “wealth effects”, and how they interact with other effects, including the obvious complication that increased spending tends to drive up stock prices while stock prices are concurrently driving up spending. Also, of course, rising stock prices increase corporate earnings even when spending is static, for instance, by reducing pension cost accruals after which stock prices tend to rise more. Thus, “wealth effects” involve mathematical puzzles that are not nearly so well worked out as physics theories and never can be.
2016年1月4日月曜日
2015年の投資をふりかえって(1)全般について
2015年にとった投資上の行動も一昨年(2014年)とほぼ同じようなものでした。要約すると次のとおりです。
・シルバー関連の銘柄を買い増しした。
・従来からの主力銘柄を売却して持ち分を減らした。
・その他の銘柄は現状維持。
価格水準の観点からみれば、価格下落がつづいたコモディティー関連の銘柄を買い増しした一方、割高あるいは割高気味となった日本株を売却し、価格水準がそれほど過熱していない銘柄は現状維持のままとしたのが、基本的な方針でした。
ただしシルバー関連銘柄は価格変動に応じて持ち株数を調整したり、損失を確定させることで、平均購入単価を下げました。また現状維持などの銘柄では、つなぎ売りをして価格下落時に買い戻したものもありました。
銘柄ごとの売買概況は以下のとおりです(各分類での並び順は、持ち株の評価額が大きなものから)。
<新規購入(New Buy)>
・メック(4971); 9/29に購入したのみで、全ポートフォリオ中の割合は微小です。
<買増し(Add)>
・シルバー・ウィートン(SLW)
・iSharesシルバーETF(SLV)
・モザイク(MOS)
<現状維持(Hold)>
・マイクロソフト(MSFT)
・バークシャー・ハサウェイ(BRK.B)
・クラレ(3405)
・インテル(INTC)
・任天堂(7974)
・サンリオ(8136); ただし1単元だけ売却しました。
・日精エー・エス・ビー機械(6284)
・しまむら(8227)
・日東電工(6988)
・マニー(7730)
<一部売却(Reduce)>
・従来からの主力銘柄
・日進工具(6157)
・シルバー関連の銘柄を買い増しした。
・従来からの主力銘柄を売却して持ち分を減らした。
・その他の銘柄は現状維持。
価格水準の観点からみれば、価格下落がつづいたコモディティー関連の銘柄を買い増しした一方、割高あるいは割高気味となった日本株を売却し、価格水準がそれほど過熱していない銘柄は現状維持のままとしたのが、基本的な方針でした。
ただしシルバー関連銘柄は価格変動に応じて持ち株数を調整したり、損失を確定させることで、平均購入単価を下げました。また現状維持などの銘柄では、つなぎ売りをして価格下落時に買い戻したものもありました。
銘柄ごとの売買概況は以下のとおりです(各分類での並び順は、持ち株の評価額が大きなものから)。
<新規購入(New Buy)>
・メック(4971); 9/29に購入したのみで、全ポートフォリオ中の割合は微小です。
<買増し(Add)>
・シルバー・ウィートン(SLW)
・iSharesシルバーETF(SLV)
・モザイク(MOS)
<現状維持(Hold)>
・マイクロソフト(MSFT)
・バークシャー・ハサウェイ(BRK.B)
・クラレ(3405)
・インテル(INTC)
・任天堂(7974)
・サンリオ(8136); ただし1単元だけ売却しました。
・日精エー・エス・ビー機械(6284)
・しまむら(8227)
・日東電工(6988)
・マニー(7730)
<一部売却(Reduce)>
・従来からの主力銘柄
・日進工具(6157)
2016年1月2日土曜日
早すぎることと誤っていることが区別できないとき(セス・クラーマン)
金融危機の影響で株式市場が底をつけた2009年3月に、OID誌(Outstanding Investor Digest)がセス・クラーマンの記事を掲載した号を発行していました。インターネット上を検索したところ、同記事のPDFファイルがアップロードされていたため、一部を引用してご紹介します。なお同誌はバリュー投資家に人気のある投資雑誌で、インタビューや講演をとりあげた記事が秀逸です。(日本語は拙訳)
seth-klarman-oid-interview-march-2009 [PDF] (Above Average Odds Investing)
はじめは、2008年初めの頃にセス・クラーマンが抱いていた市場全般に対する見方です。
次は、2008年10月にセス・クラーマンが講演した際の発言からです。
なお「早すぎることと誤っていることの区別」については、以前取り上げたハワード・マークスの記事「連続正解数1回」でも触れられています。
seth-klarman-oid-interview-march-2009 [PDF] (Above Average Odds Investing)
はじめは、2008年初めの頃にセス・クラーマンが抱いていた市場全般に対する見方です。
彼は[2008年の早い時期に書かれたアニュアル・レポートの]最後でこう触れていた。「いわゆる『2008年1月のバーゲン』が本当に割安だったのか、それともバリューに飢える投資家を誘う単なる危険な誘惑だったのだろうか。それが明らかとなるには、かなりの時間がかかると思います」。そして彼が記した判断は、言うまでもなく正しかったのである。
and finally, that, “We will not be certain until much later whether the so-called bargains of January, 2008 were truly undervalued or merely dangerous temptations to value-starved investors.” Well, needless to say, that verdict is in.
次は、2008年10月にセス・クラーマンが講演した際の発言からです。
<クラーマン> 何年も前からですが、「自分のポートフォリオを運用する投資家として、いちばん恐れることは何か」との質問を受けることがありました。それに対して、「よくある非常に割高な水準から下落する際に、早すぎる時点で買いに踏み切っていること」と答えました。市場が崩壊する可能性はわかっていました。しかし「市場が頂点を付けた1年後、つまり30%下落した1930年に私がいたらどうなっただろうか」と何度か想像してみました。その当時、魅力的なバーゲンがあったのはまちがいないでしょう。しかしそれからの3年間に市場が大きく下落したことで粉々にされたのも確実だと思います。1929年を100%とすると、20%を下回る水準まで下落したからです。70が20に下落する場合と100が20に下落する場合をくらべても、20に落ちたときにはほぼまったく同じように感じられるでしょう。早すぎることと誤っていることは、ときとして区別できなくなるわけです。(p. 2)
For years, when someone asked me what my biggest fear was as an investor in managing my portfolio, my answer was that it was buying too soon on the way down from often very overvalued levels. I knew a market collapse was possible. And sometimes, I imagined that I was back in 1930 after the market had peaked the year before, and then dropped 30%. Surely, there would've been some tempting bargains then. And just as surely, you'd have been crushed by the market's subsequent plunge over the next three years - down to below 20% of 1929 levels. A fall from 70 to 20, and from 100 to 20, would feel almost exactly the same by the time you hit 20. Sometimes being too early becomes indistinguishable from being wrong.
なお「早すぎることと誤っていることの区別」については、以前取り上げたハワード・マークスの記事「連続正解数1回」でも触れられています。
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