科学者の思考プロセスを参考にしたいという思いは常々抱いています。今回は『物理学者のすごい思考法』という本を通読しました。本書の著者は橋本幸士さんという方で、京都大学大学院理学研究科に所属し、素粒子物理学の分野で教授をなさっておられます。本書に至ったきっかけは、youtube上のPIVOTというチャンネルで科学系映像をいくつか視聴していた折に、彼の登場する映像に出くわしたことでした。
本書で取り上げている話題は全般として、「すごい思考法」という題名が示唆するおおげさなものではなく、ほのぼのした楽しめるものばかりです。日々の生活におけるさまざまな局面を、いかにも理系の研究者らしい視点で切り取っています。とりあげられている話題の例としては、餃子の包み方、漢字の対称性、建築家やアーティストに共通する原点、研究室にある黒板の効用、バーベキュー大会での提灯などがあります。
今回の投稿でご紹介するのは「物理学者の思考法の奥義」という話題です。こちらも「奥義」とは銘打っていますが、仰々しいものではありません。科学的な手法や問題解決の手法としては、一般に仮説演繹法(仮説・検証)が知られています。この「奥義」も本質的にはその範疇におさまるものだと受けとめており、容易に理解できる思考法です。それではどこが「奥義」なのかといえば、「理論物理学者が、日常的な研究活動を通じて使いやすい形に特殊化簡略化していった」手作り的な側面がある点なのかもしれません。そして著者も記しているように、この思考法は日常的な思考や問題解決の際にも使いやすい、簡潔で強力なプロセスだと思います。
[p.77から始まる話題]
科学の進歩の背後には、科学者独特の思考法が存在しているのだ。
これは奥義と言えるものかもしれないと僕は思っている。というのは、大学の物理学の講義においても、特に思考法についての講義はなされず、物理の各論が教育されるだけだからである。僕もこれをどなたかの先生に習った記憶はない。
大学院に入り自分で研究論文を書くようになって、初めてその奥義を自分で検討し始めた。まずは門前の小僧のように、先輩や先生たちが研究するスタイルを見ながら開発したのだ。
ここで、物理学的思考法の奥義を惜しげなく披露しよう。物理学の手法は、4つのステップからなると考える。問題の抽出、定義の明確化、論理による演繹、予言。この4つのステップをフォローし思考することで、物理学の研究が進んでいく。
冒頭の満員バスについての会話は、この物理学的思考法にのっとった問題解決なのだ。すなわち、この思考法は物理学の研究だけではなく、日常のあらゆる場面で有用になりうるのだ。(中略)
[本来冒頭部に位置している、前ふりとなる話]
物理学会にて、友人と僕との会話。
友人「この会場行きのバス、何人乗っとんねん、もうギューギューで死ぬで」
しばらくの沈黙ののち、僕はこう答えた。
「有効数字1桁で60人」
しばらくの沈黙ののち、友人はこう言った。
「明日は25分早くバス停に来よ」(中略)
(奥義その1) 問題の抽出、の巻
問題は一般に多種多様であるため、適切な問題を抽出せねばならない。抽出のための知恵として、多くの問題を一度に解決できるような問題にすることや、自分の専門性で解決できる問題に落とし込む、というものがある。
例えば冒頭の友人の発言においては、「死ぬで」の部分は医学部に任せ、「ギューギュー」という表現は文学部に任せてしまう。理学部向けに抽出された問題は「バス1台に人間を詰め込んだ場合、何人入るか。有効数字1桁で答えよ」となる。
(奥義その2) 定義の明確化、の巻
問題に存在する曖昧な表現が科学を阻害するため、適切な定義が必要である。定義のための知恵として、常識にとらわれず、かつ常軌を逸さない程度の定義が必要であること、そして自分の専門分野(理学部の場合は計算)での解決を容易にする定義にする、というものがある。
例えば冒頭の友人の発言においては、「バス」は「3 * 10 * 2メートルの直方体」と定義する。「人」は「質量70キログラムの水でできた球」と定義する。すると、友人の発言の理学部語への翻訳は「3 * 10 * 2メートルの直方体に質量70キログラムの水の球を詰め込んだ場合、球は何個入るか。有効数字1桁で答えよ」となる。
(奥義その3) 論理による演繹、の巻
問題が定義されれば、あとはそれを解くのみである。ここにコツはない。ひたすら、執念でその問題を解く。自分の専門性が大いに発揮される瞬間である。僕は友人が問題を出した30秒後、有効数字1桁で60個の球が入るとの計算結果を頭の中で得た。その計算方法をここに長々と得意げに述べるのは、浅はかである。
(奥義その4) 予言、の巻
物理学で最も重要であるのは、理論による予言と実証である。予言は、自分の計算や理論に基づき、かつ、それを実際の実験や観測によって実証できて理論の正当性がチェックできるものが望ましい。
最後の友人の発言「明日は25分早くバス停に来よ」は、もちろん予言である。友人の頭の中には、僕の計算結果である60人という数字と、学会会場に集まる物理学会会員の数、そしてバスが何分おきに発車しているか、という数字が組み合わさっていたはずである。
友人の最後の発言の後、僕はニヤリとした。僕の頭の中では、32分という答えが出ており、それと友人の答えはおおよそ一致していたからだ。
(つづきます)