3/26付けのForbesの記事
Warren Buffett's $50 Billion Decisionは、パートナーシップを設立した頃の思い出をウォーレン・バフェット自身が書いたものです。アリス・シュローダーによる伝記『
スノーボール』でも知られた内容ですが、微妙にニュアンスが異なっているあたりが含みを感じさせます。以下に一部を引用します。(日本語は拙訳)
大学を卒業した時[1950年]の資産は9,800ドル[現在価値で約650万円]でしたが、1955年の末には127,000ドル[8,000万円]に増えていました。ですから、[ニューヨークを離れて]オマハに戻って、大学で授業をとったり、読み物にふけったり、そんな引退生活をしようと考えていたのです。1年間で12,000ドルもあればやっていけますので、127,000ドルの資産からすれば楽勝だと思いました。妻には「複利で増えるので、いずれ金持ちになれるよ」と説明しました。
(中略)
当初は、パートナーシップをはじめたり、仕事をやるつもりはありませんでした。自分で運用する分には何も心配なかったからです。他人に株を売ってまわる仕事はもうごめんでした。ところがひょんなことから、親戚も含めた7人の知り合いが相談してきました。株の商売をしていたのだから、自分たちの資金をどう運用したらよいか教えてほしい、と。そこで私は答えました。「株を売るのはもうやりませんが、ベン・グレアムとジェリー・ニューマンがやっていたようなパートナーシップだったら作れます。私も入れておきたければ、それでもかまいません」。そういうわけで、義理の父、大学時代のルームメイトとその母親、おばのアリス、私の妹、義理のきょうだい、私の弁護士の7名が判をつきました。まったくの偶然でしたが、それがはじまりだったのです。
(中略)
特に参加を募ったわけではないですが、面識のない人からも小切手が送られてくるようになりました。その頃、ニューヨークのグレアム=ニューマン・パートナーシップは解散中でしたが、パートナーのひとりにヴァーモント州のある大学で学長をつとめるホーマー・ドッジがいました。彼はベンにたずねました。「私の資金はいったいどうしたらよいかね」。ベンいわく「以前、うちで働いていた若いのがいるのですが..」。そんなわけでドッジはオマハまで車でやってきて、借家暮らしだった私の家をたずねてくれました。当時の私は25歳でしたが、みためは17歳といったところ、ふるまいときたら12歳でしょうか。ドッジは切り出しました。「で、きみは何をやっているのですか」私は答えました。「家族と暮らしながら、ここで仕事をしています。あなたの分もいっしょにやりますよ」
The thing is, when I got out of college, I had $9,800, but by the end of 1955, I was up to $127,000. I thought, I’ll go back to Omaha, take some college classes, and read a lot?I was going to retire! I figured we could live on $12,000 a year, and off my $127,000 asset base, I could easily make that. I told my wife, “Compound interest guarantees I’m going to get rich.”
I had no plans to start a partnership, or even have a job. I had no worries as long as I could operate on my own. I certainly did not want to sell securities to other people again. But by pure accident, seven people, including a few of my relatives, said to me, “You used to sell stocks, and we want you to tell us what to do with our money.” I replied, “I’m not going to do that again, but I’ll form a partnership like Ben and Jerry had, and if you want to join me, you can.” My father-in-law, my college roommate, his mother, my aunt Alice, my sister, my brother-in-law, and my lawyer all signed on. I also had my hundred dollars. That was the beginning?totally accidental.
I did no solicitation, but more checks began coming from people I didn’t know. Back in New York, Graham-Newman was being liquidated. There was a college president up in Vermont, Homer Dodge, who had been invested with Graham, and he asked, “Ben, what should I do with my money?” Ben said, “Well, there’s this kid who used to work for me.…” So Dodge drove out to Omaha, to this rented house I lived in. I was 25, looked about 17, and acted like 12. He said, “What are you doing?” I said, “Here’s what I’m doing with my family, and I’ll do it with you.”