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2018年7月28日土曜日

(解答)プロの投資家たちが選ぶ数を当てよ(おまけ、バブル3景)

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まずは、前回の投稿でとりあげた問題に対する解答です。(日本語は拙訳)

66を越える答えがいくつもあったことには、少しばかり首をひねりましたね。そもそも取り得る数の最大値は66です。だれもが100を選んだ時にちょうどそうなる数字です。図表7をみると度数の上昇が認められることから、さまざまな水準で帰納的推論がなされたことがわかります。各参加者が選んだ数字の平均は26でした(この手のゲームではよくある値です)。それゆえ、平均値の2/3は17.4となります。このゲームにおいて他の人たちから一歩先んじることが、実に難しいことがわかる数字です。(p. 6)

(出典: 後述)

The fact I got a number of answers above 66 is a little disturbing! The highest possible answer is 66, because to pick this one must believe that everyone else has just picked 100. In Exhibit 7, you can see spikes at various levels of induction. The average number picked turned out to be 26 (which is fairly typical of such games), and thus the two-thirds average was 17.4. It proved incredibly hard to be one step ahead of everyone else in this game.

もうひとつご紹介する内容は、バブルについてです。今回引用した文書の著者ジェームズ・モンティエ氏は、現在の(主に米国)株式市場は一種のバブル状態にあると評価しています。ただしバブルには次に示すような種類があり、現在のバブルは上述したような「美人コンテスト的バブル」だと述べています。なお、引用元の文献は以下のとおりです(少し前に発表された文書のため、すみませんがURLが見つかりませんでした)。

The Advent of a Cynical Bubble (James Montier, GMO Asset Allocation Insights, Feb 2018)

1つ目の種類のバブルは典型的なもので、「XX現象」や「XX狂」と呼ばれることもあります。まさしくこれは「信念」がバブル状態にあるものです。この種のバブルでは、「今回ばかりは違う」「新たな時代が始まったのだ」と信じ込むようになります。巨大バブルの歴史を飾ってきた実例を挙げてみると、ドットコム・バブル[ハイテク、メディア、通信関連業界]、日本でのバブル、米国住宅バブル、行け行けの1920年代、があります。それらはいずれも、「妄想的な新時代思考」を示した輝かしい事例として際立っています。

2つ目の種類のバブルは「本源的バブル」と描写されるものです。このバブルでは、バブルの源にファンダメンタルズが存在します。さらに言えば、利益の上昇率が継続不能な水準まで増加することで、投資家が[将来の見通しをそのまま]外挿したり、過剰資本を起こしがちになります。米国住宅バブル期の金融企業は、この種のバブル状態にあった好例でした。住宅市場で沸いたバブルのおかげで彼らの利益は増大しましたが、多くの投資家はその事実を認識していませんでした。

3つ目の種類のバブルは、アカデミックな文献において「近合理的バブル」として知られています。個人的には、この命名にまるで賛成できません。その言葉は「見せかけの敬意」を匂わせていますが、私としては価値が認められないからです。私からすれば、このバブルは「さらなる愚者を待つ市場」をうまく描写したものだと考えています。「当該資産を妥当な価格(あるいは本源的価値)で買えたとは考えてもいないのに、バブルがはじける前にもっと高値で他人へ売りつけたいがゆえに買う」点で、なんとも冷笑的なバブルです。シティバンクの元CEOだったチャック・プリンスは、よくある冷笑的バブル思考を的確に披露してくれました。2007年7月にそれを示す言葉を口にしたのです。「曲の演奏がつづく限り、席を立って踊り続けねばなりません。当社はまだ踊り続けているのです」と。(p. 3)

The first and canonical type of bubble is the what might be called the “Fad” or the “Mania.” This is truly a bubble of belief. In this type of bubble, people really do believe that this time is different, that a new era has been begun. These are the great bubbles of history: the TMT bubble, the Japanese bubble, the US housing bubble, and the Roaring 20s all stand out as shining examples of delusional new age thinking.

The second type of bubble is described as an intrinsic bubble. In an intrinsic bubble, it is the fundamentals that are the source of the bubble. That is to say, earnings booming at an unsustainable rate, which then often gives rise to extrapolation and overcapitalization by investors. Financials during the US housing bubble were a good example of this kind of bubble. Their earnings were inflated by the economic bubble in the housing market, and this wasn’t recognized by many investors.

The third type of bubble is known in the academic literature as a near rational bubble. I am not a great fan of this nomenclature as it suggests a veneer of respectability that I find undeserved. To me these are really better described as greater fool markets. They are cynical bubbles in that those buying the asset in question don’t really believe they are buying at fair price (or intrinsic value), but rather are buying because they want to sell to someone else at an even higher price before the bubble bursts. Chuck Prince, the former CEO of Citibank, aptly demonstrated the typical cynical bubble mentality when in July of 2007 he uttered those fateful words, “As long as the music is playing, you’ve got to get up and dance. We are still dancing.”

2013年3月11日月曜日

ニュートンとバブル

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バブルの本家といえば、18世紀のイングランドでおきた南海泡沫事件です。その騒ぎの中で科学者アイザック・ニュートンも投機に失敗したとされる話は、よく知られているかと思います。今回ご紹介するのは最近読んだ本『ニュートンと贋金づくり』からで、ニュートンが具体的にどれぐらい損をしたのか描かれた箇所です。

1720年1月、噂の流布からバブルが始まった。出どころは、市場のご他聞に洩れず社内の消息筋で、南海会社の株価が上がりそうだという内容だった。エクスチェンジ・アレイが、それにしっかりと食いついた。南海会社の株価は1か月で128ポンドから175ポンドに上昇し、同社がさらに国債を引き受けると発表されると、3月末には330ポンドに跳ね上がった。

だが、それはまだほんの序章だった。あぶく銭が簡単に手に入るという感覚が、投機ブームを煽った。5月には、株価は550ポンドとなり、その1か月後には、夏に10パーセントの配当が出るという告知によって1,050ポンドに達した。

しかしその後、株価はあっけなく暴落した。初めはともかくも、終わりの頃には南海会社はネズミ講同然で、後から投資した者の金に報酬がついて先に投資した者の利益になるという、できすぎた仕組みになっていた。やがて新しく投資する者がいなくなり、その仕組みは破綻した。同社の株価は7月に下落し始め、8月にはまだ800ポンドの値を保っていたものの、その後急落した。そして、1か月もたたないうちに175ポンドとなり、わずか数週間前には絶対に枯れるはずがなさそうに見えた金の成る木に飛びついていた大勢の投資家が、ほぼ完全に姿を消した。

その最後に飛び乗り、最初に打撃をこうむった投資家の一人が、アイザック・ニュートンだった。彼は、そもそも初期に南海会社に投資した、理論上は最も傷の少ない投資家だった。記録を見ると、1713年頃には彼の所有財産のなかに同社の株式がかなり含まれているが、その一部は1720年4月の株価上昇の折に首尾よく売っている。だが、同社の株価がその後も上昇を続けたため、元手をさらに膨らませようとする大胆なプレーヤーのように機を待ったニュートンは、2度目の賭けに出た。6月、株価が最高値を記録した頃、彼は取次ぎ業者に指示して、1,000ポンド分の株を購入した。そして1か月後、株価が下落し始めたときにも、さらに買い足した。その後の暴落によって、彼は2万ポンドにおよぶ損失を被ったと、姪のキャサリン・コンデュイットは記している。彼の造幣局監事の基本給に換算すると、およそ40年分の額だった。(p.264)


損失は間違いなく身に堪えていたものの、ニュートンの全財産が泡と消えたわけではなかった。東インド会社の大株主の一人であることに変わりはなく、1万1000ポンドという同社への投資は、1724年当時としては非常に安定した事業だといえた。また、彼の所有する不動産の評価額はその数年後に最高値となり、リンカンシャーの所有地を除いても3万2000ポンドであった。つまり、彼はどこから見ても、やはり裕福な男だった。しかし、最悪の失敗の記憶は彼を苛み、自分に聞こえるところで誰かが南海会社の話をするのを嫌がったといわれている。彼がそれほどいら立ったのは、大損をしたせいだけではないかもしれない。理性にかけるただの愚か者と同じように、自分もだまされたと思えて腹立たしかったのではないだろうか。投機熱が最高潮に達していた頃の南海会社株の魅力的な値上がりに関する話が出たとき、彼はラドナー卿に「大衆の熱狂を計算することはできない」と言ったという。

後悔はしていたにせよ、友人たちの記憶にあるニュートンの晩年は、おおむね満ち足りていて、知的で獰猛なファイターであった若かりし日よりも、ずっと温和になっていた。裕福であったにもかかわらず暮らしぶりは控えめで、朝食にはバターを塗ったパンを食べ、ワインを飲むのは夕食時だけだった。彼の姪によれば、彼は動物に辛くあたるのを嫌い、古くからの友人を大切にし、かつてはよそよそしく他人行儀だったものの、親戚の者たちに対して家長らしい振る舞いを見せるようになった。結婚式には必ず出席し、「いつもの生真面目さはどこかにしまって、自由に、楽しげに、くつろいでいた」。しかも、家族にとってはさらに嬉しいことに、「彼はたいてい、花嫁には100ポンドを贈り、花婿には商売や仕事の面倒を見てやった」。(p.265)


「彼は2万ポンドにおよぶ損失を被った」とありますが、当時の1ポンドが現在の日本円で25,000円の価値とすると、5億円に相当する損失になります。なおイギリスポンドのインフレ換算は、以下のサイトをお借りして計算しました(1751年までさかのぼれます)。

Historical UK Inflation And Price Conversion