実のところ、1969年4月には決定的と言っていい出来事がもうひとつありました。その当時、マサチューセッツ州ニュートンにあるヴィクトリア風の魅力的な3階建ての家に、妻と私は心を奪われていました。しんとした静かな通りに面した家で、リンゴ園が隣接しており、背後にはまだ人の手が入っていない丘の斜面が続いていました。売り手の希望する値段は4万ドルでした(現在の感覚ではおそらく100万ドル以上だったでしょう)。直前に下落していたものの、我が家の資産には余裕がありました。そのため住宅ローンを借りずに家を購入し、新車のBMW2002型を買ったとしても(小型ながらも高速で目立ちすぎることもありませんでした。そしてかなり安かったのです)、まだ数千ドルが手元に残る計算でした。ところが提示した金額3万7千ドルは拒絶され、取り下げになりました。そしてその件を再検討している最中にも、手持ちの株価は崩れ始めました。振り返ってみれば、私は幸運でした。「かもしれない」にすっぱり別れを告げて、1株60ドル台前半でおさらばしたのです。結局のところ、アメリカン・レースウェイに集まった当初の群衆のほとんどは新しもの好きと好奇心によって構成され、熱狂的な客はまったくと言っていいほど付きませんでした。アメリカ人が自分たちのスポーツと感じるには、本物のレーシング・カーではなく、自分たちの乗っているような車でないとダメなのです。そんなこととは露知らずでした。さて、完全に破産したわけではなく、かといってすっかり心を入れ替えてもいなかった私は、損失分を取り返すことに熱を入れました。当然ながら、本物の勝ち馬に早々と出くわしました。その新しいアイデアとは「マーケット・モニター・データ・システム」と呼ばれるものです。後になってから振り返ってみても、まさに革新的な技術でした。どのブローカーの机上にも「モニター」つまり電子的画面を表示し、独自の市場を作ってオプション取引を行うことができました。ただし、ある数学教授によるこの発明にはあやまちが一つだけありました。時代の先を行き過ぎていたのです。その技術が完全に受け入れられたのは15年後のことでした。いや、なんとも。さて、[株価が]好調に上昇したところで、株主にもわかるようになったことがありました。「モニターがインストールされると急に費用がかかるようになるが、ビジネスは入ってこない」ことです。ほとんど皆無でした。私にとってその後の展開は、典型的な調子よりもはるかにタカのように進みました。しかし破産寸前になった2週間をなんとか乗り切り、マージン借入と銀行ローンを返済する金額を確保した上で手元に5千ドルが残りました。すでに私は起業家として会社を立ち上げており、無給で働いていました。最初の通年期末に表計算ソフトに記録されていた預かり資産は10億ドルということはなく、ディーンの友人が出した資金1件のみで10万ドルでした。幸いなことに妻がMITプレスで働いていたおかげで、ある程度の収入は得ていました。ですから、ボストン・グローブ紙を買えるのはセルティックスの重要なゲーム[バスケットボール]があったときだけで、新しい服はご法度、必要な食料は1週間に一度バック湾にあるイングリッシュ・ティー・ルームに行って買いだめすることになりました。しかし、苦い薬をかなり飲んだものです。それほど苦くないのもひとつありましたが。たとえば、ニューヨークでの18カ月を特徴づけた倹約生活は、妻にとって愉快なものではありませんでした。今と同じように当時でも、お金があると生活の質に大きな違いが出る場所でした。財産を蓄えて帰郷することは、彼女にとって価値のあることだったと思います。おそらくそうです。しかし彼女にとっていちばん不満だったのは、仕事から帰ったあとにほぼ毎回料理をしなければならないことでした。現在の働く女性ならば我慢している人はいないでしょう。まあ当然だと思います。しかし自己弁護になりますが、60年代にはそうするのが風潮だったのです。ええと、たしかそうだったような気が..。しかし私たちの蓄えが根こそぎ失われたことや、それによって私たちの基本計画がどうなるのか、つまり裕福な身で故郷へ帰るために蓄えることについては、妻は何も触れませんでした。一言もです。経済面で穴の開いた私たちのボートが浮かんでいられるように、彼女はその役割をみずから担ったのです。しかし妻は尽きることのない貸しを私に対して積み残してくれました。つづく46年間にわたって、それは消えずに残り続けました。つまりそういうことなのです..。
In fact, in April 1969 came another nearly defining event: my wife and I fell in love with a charming threefloor Victorian house in Newton, Mass on a very quiet street next to an apple orchard and backing on to some undeveloped hillside. Asking price: $40,000 (today's guess, perhaps $1 million or more). Our family capital account after its then recent decline would still have allowed us to: a) buy the house without a mortgage; b) buy a new BMW 2002 (small, fast, not too showy, and remarkably cheap); and c) have a few thousand left over. But our $37,000 offer was turned down and we backed off. And, even as we reconsidered, our stock began to crumble and I was lucky, with hindsight, to be able to say goodbye to all might-have-beens and to scramble out in the low $60s a share. It turned out that American Raceway's original crowd was based almost completely on novelty and curiosity and had nearly no hard-core followers; Americans liked their blood sports to be in cars that looked not like real racing cars, but in cars that looked just like their own. Who knew? Well, I was neither totally broke nor fully chastened, and was eager to make back my losses. Naturally, I bumped immediately into a real winner. The new idea was called Market Monitor Data Systems and this really was a breakthrough technology, even with hindsight. It was going to put a "Monitor," an electronic screen, on every broker's desk, so that they could trade in options, making their own market. This brainchild of a mathematics professor had only one flaw: it was way ahead of its time. Fifteen years later the technology was completely accepted. Oh, well. After a good rise it became clear to stock holders that expenses rose rapidly with monitors installed and no business followed. Almost none at all. And, following the developments far more hawk-like than was typical for me, I managed to leap out two weeks before bankruptcy with enough to pay down margin and bank loans, leaving me with about $5,000. By then, however, I was in an entrepreneurial start-up that paid no salary and ended its first full year not with the $1 billion under management that had featured in our spreadsheets, but with one account from a friend of Dean's of $100,000. Fortunately, my wife had a job at MIT Press, which paid about what one would expect. So, the Boston Globe would only be bought after important Celtics games, absolutely no new clothes were allowed, and once a week we would stock up on an all-you-can-eat meal at the English Tea Room in Back Bay. But, oh my, did I have lots of painful lessons to absorb and at least one not so painful. First, my wife had not been amused by the frugality that characterized our 18 months in New York, a city then and now where some spending money makes a big difference in the quality of life. For her, to go home with a nest egg was maybe worth it. Maybe. Her biggest gripe was cooking in almost every day after work. No working wife today would stand for it, and rightly so. All I can say in my defense is that that was the style in the 60s. Very weak, I know. But, when confronted with the total loss of our savings and therefore our main plan - saving to go home well-off - my wife said nothing. And I mean nothing at all. She put herself to the task of keeping our financially leaky boat afloat. My wife, however, accrued an inexhaustible supply of IOUs. Well, inexhaustible for the next 46 years anyway. So …
2014年7月30日水曜日
若い頃の投資で学んだこと(2)(ジェレミー・グランサム)
2014年7月28日月曜日
若い頃の投資で学んだこと(1)(ジェレミー・グランサム)
ちなみにGMOの預かり資産の総額は、この3月末の段階で12兆円弱とのことです。
Summer Essays [PDF] (GMO's 2Q 2014 Letter)
1968年の夏に、私にとって決定的な出来事がありました。キーストーン社に勤めはじめて間もない頃で、私と妻は3週間の休暇をとって、故郷のイングランドとドイツへ帰った時のことです。やり手の人たちと昼食を共にする機会がありました。新参者だった私にはそこに加わる完全な資格はまったくもってなかったのですが、話題に出てきた「本日の銘柄、アメリカン・レースウェイ社」には心を奪われました。実のところ、圧倒されんばかりでした。同社はF1グランプリ・レースをアメリカに導入しようとしていました。ある既設のレース場を取得しており、レースも一度開催していました。目新しさに加えて純粋な興味も集めたことで、大変な数の観客になりました。レース場をもう何か所か保有すれば、どれだけの大金が稼げるか計算できました。私のような部外者にも失敗しようがない機会だと思えました。騒音やスピード、危険、そして死に至るリスクまであるのですから、まさにアメリカ的です。英国人がこぞってヒーローとみなしていた当時のチャンピオンだった[原文ママ]スターリング・モスが、取締役として加わっていました。そういうわけで、私は同社の株を買いました。1株7ドルで300株分です。(人生で決定的なことがあると、細かいことまで覚えているものです。それが正確な記憶のときもあります)。休暇から戻るまでの間に、株価はなんと21ドルになっていました。当時は外からビジネスに携わることはありませんでした。そうするのは非常にむずかしかったからです。さあ、そこで私が選んだ道を披露しましょう。初期の教訓を吸収した姿をお見せする絶好の機会です。私のとった行動とは、意欲的なバリュー志向の株式アナリストならだれでもやったと思われることでした。つまり保有する他の銘柄をすべて売り払い、その株を3倍に増やしたのです。1株21ドルで900株になりましたが、ほとんどは借入金で買いました。良心や道徳、行動全般を高めようとしたビクトリア期の小説ならば、思い上がった野心の先には悲劇が待っているところです。しかし現実がもたらす教訓とは、もっとややこしいものでした。そしてご存知のように、現実は人を焦らすことが好きなのです。クリスマスになる前に、アメリカン・レースウェイ社の株価は100ドルを付けました。当時の基準でみても、また当然ながら自分の期待とくらべてみても、私たちは金持ちになりました。寝室が4部屋あるロンドン郊外の値ごろな家であれば、1万ポンドで買えました。これはボストンでは4万ドルになります。私たちの資産は、信用取引込みの税引き前で8万5千ドルありました。しかし資金を引き揚げてイングランドへ帰るという筋書きをつづける可能性は、もっと複雑な状況へと早々に変化してしまいました。キーストーンに入社した1968年の4月から1年が経ち、ファンドマネージャーのひとりであるディーン・ルバロンといっしょに退社して資産運用会社を始めることにしたのです。我々は1969年の半ばに偵察活動を始め、1月にはボストンの下町にあるバッテリーマーチ通りに面したバッテリーマーチ・ビルに事務所を開きました。パッとしない社名で、「バッテリーマーチ資産管理」という会社でした。キーストーンを離れることを決めた際には、1969年初にいくぶん下がり始めていたものの、1968年終盤に新たな虎の子となった私の資産が重要な役割を果たしました。(つづく)
The defining event for me was in the summer of 1968, when my wife and I took a three-week holiday back in England and Germany, shortly after joining Keystone. Lunching with some of the hot shots - being a newbie I was by no means a fully-fledged member - I was fascinated, indeed, almost overwhelmed, by the story du jour: American Raceways. The company was going to introduce Formula 1 Grand Prix racing to the U.S. It had acquired one existing track and had one race, hugely attended out of novelty as well as genuine interest. With a few more tracks we could calculate how much money - a lot - the company could make. It seemed to me as a foreigner to have little chance of failure. With noise, speed, danger, and even the ultimate risk of death, it seemed, well, just so American. And every Brit’s hero, the then current champion Stirling Moss, was on the Board. So I bought 300 shares at $7. (For defining events in your life you do remember the details. Sometimes even accurately.) By the time we returned from our vacation - in those days we were never in touch with business, it was just too difficult - the stock was at $21! Here was my opportunity to show that I had internalized early lessons; to demonstrate my resolve. So I did what any aspiring value-oriented stock analyst would do: I sold everything else I owned and tripled up! Nine hundred shares at $21, mostly on borrowed money. In a Victorian novel aimed at improving morals, ethics, and general behavior, this is where tragedy follows hubris. But real life is more confusing as to how it delivers lessons and it likes to tease, apparently. By Christmas, American Raceways hit $100 and we were rich by the standards of those days, and certainly compared to my expectations. You could still buy a reasonable four-bedroom house in the London suburbs for £10,000 and in Boston for $40,000, and we had about $85,000 after margin borrowings and before taxes due. But, the possibility of continuing the storyline by cashing in our chips and going home to England quickly became more complicated: a year after joining Keystone in April 1968, I left with one of the fund managers, Dean LeBaron, to start a new investment management company. We started a reconnaissance patrol in mid- 1969 and by January we had an office in the Batterymarch building on Batterymarch Street in downtown Boston, bearing the unsurprising name of Batterymarch Financial Management. In deciding to leave Keystone, my new nest egg of late 1968 played a key role even though it had begun to decline some in early 1969.
2014年7月26日土曜日
カミソリに関する豆知識(ウォーレン・バフェット)
<質問者> 今日のバフェットさんのお話ではバークシャーが保有する銘柄、コークとジレットの2つが登場しました。そういった日用品を扱う別の会社にリグリー[チューインガム]がありますが、バークシャーが同社を購入しないのはなぜでしょうか。どのような理由があればリグリーを購入するのでしょうか。
<バフェット> 銘柄の保有動向のことは触れないようにしています。つまりある銘柄は報告書で開示する義務がありますが、すべての保有状況を示す必要はないわけです。そこには閾値があるのですが、しかし明らかにリグリーは世界規模にわたるフランチャイズを有しています。さて、チューインガムの売上数量の伸びと清涼飲料水の売上数量の伸びをくらべてどう思うか、これがひとつめの疑問点です。それともうひとつ、チューインガムの価格変更のしやすさとコークやジレットをくらべてどうか、これも疑問点です。さらに、その会社の株価をどうとらえるかが大きな要因になると思います。個別の銘柄のことは触れないのでリグリー固有の話はしませんが、しかし世界中で認知されているのは確かです。それはわたしたちの好む種類のものです。
ジレットの話をしますと、彼らは製品をたびたび改良しています。どうか新製品のセンサー・エクセル[替え刃式カミソリ]を買ってみてください。すごくスムーズに剃れますよ。ニューヨーク証券取引所の銘柄コードに使われている「GS」とは、「Good Shave」を意味しています。カミソリ刃の年間販売数は210億本で、ジレットの販売はそのうちの70億本だけですが、価値でみれば60%のシェアを占めています。技術面で進んだ製品を出しているからです。センサーの開発には11年間かかりました。まさに価値ある製品ですよ。ここでおもしろい話をひとつご紹介しましょう。女性用のセンサーはかなりの大型製品になりました。販売開始後の18か月間の売上をくらべると、元々のセンサーよりも女性用センサーのほうがよく売れました。女性の間でカミソリがそこまで広まったのは初めてでした。女性はふつう、使い捨てカミソリか、ご主人やボーイフレンドの替え刃式カミソリを使うものです。しかしある調査結果は興味深いことを示しています(聴衆のみなさんは、いろいろな意味に受けとるでしょう)。男性の場合、カミソリを使っているときに切り傷や擦り傷あるいはどこかを切ってしまうと、カミソリのせいにするものです。しかし女性の場合は自分を責めるのです。そしてその製品は、女性が買いたいと考える種類のものへ加わるわけです。さらに、次のような事実もあります。顔とくらべると脚には、平方センチメートル当たりの感覚器の数がおよそ10分の1しかありません。そのため男性はヒゲ剃りの感触にうるさい傾向があり、女性のほうは脚に切り傷や擦り傷ができるかを気にします。(カミソリにはいろいろな興味ぶかいことがあるのですね)。人類がヒゲを剃り始めたころは石を使っていました。他の人間や動物と戦う際にヒゲがあると不利だったからです。つかみやすいものがあると、敵がつかんでひっぱることで首をへし折られてしまうのですね。この理由は時と共に小さくなりましたが、ヒゲを剃る当初の理由はそうだったのです。
Q. Mr. Buffett, two of the Berkshire holdings that you have were mentioned today, Coke and Gillette. Another company that has repeat daily sales like that is Wrigley. Why has Berkshire not purchased that and what would make you purchase Wrigley?
A. Well, I won't comment on whether we own or don't own anything. I mean there are certain holdings we have to show in our report, but we don't have to show all of our holdings. There are certain threshold levels, but Wrigley is obviously a strong worldwide franchise. How you may feel about the growth in unit sales in chewing gum verses the growth in units sales of soft drinks is one question. How you may feel about the pricing flexibility that they have verses the pricing flexibility that Coke or Gillette may have is another. And then how you feel about the price of a stock in the company would be a major factor. I'm not going to get specific on Wrigley because I don't get specific on stocks. But, it clearly has the kind of worldwide recognition that we like.
In the case of Gillette, they improve the product periodically. I hope you buy a new Sensor Excel because it produces a very smooth shave! The ticker abbreviation used to be "GS" on the New York Stock Exchange, which stood for "good shave". There are about 21 billion blades sold every year. Gillette sells only about 7 billion of them, but they've got about 60% value share because they've done it technologically. The Sensor took 11 years to develop; that is really some product. One thing you'd find interesting: the Sensor for women has become a very big product. More Sensor for women razors were sold in the first 18 months than Sensors were sold originally in their first 18 months. That's the first time a razor's become remotely that popular with women. Normally, women use disposables or they use their husband's or boyfriend's razor. But, one thing research has shown, which is kind of interesting (those of you in the audience will take this several ways). When a man gets a nick or a scrape or cuts himself with a razor, he blames the razor. But when a women does, she blames herself and that enters into the kind of product she wants to buy. It is also true, of course, there's only about one-tenth of the nerve receptors per square centimeter in the leg than there are in the face. So, the man tends to be more sensitive to the feel of the shave, and the women is more sensitive to whether she gets nicks or scrapes on her legs. (There are all kinds of interesting things about razors.) People originally started shaving with rocks because it was a disadvantage in combat with other humans or animals to have something the enemy could grab you by and snap your neck with. That's diminished over the years, but that was the original reason.
2014年7月24日木曜日
(解答)事業を相続した老婦人への助言(チャーリー・マンガー)
かなり短い解答ですが、だいたい次のような感じでした。「その事業領域、特にその事業をその地域で行うことは、そこに喫緊の問題があることを示している。世慣れていない老婦人方が、雇った人物の助力を得てうまく解決するには、あまりに困難な問題である。そのような難しい状況や避けがたいエージェンシー費用を考慮すると、老婦人のとるべき道は製靴工場を速やかに売却することだと言える。売却先は、限界効用がもたらす優位を最大限に享受できると思われる競合他社がよいであろう」。つまり正解が拠りどころにしていたのは、学生たちがビジネス・スクールでちょうど学んだことではなく、より根源的な概念、つまり学部生が習う心理学と経済学から引っぱりだしてきたエージェンシー費用そして限界効用だったのです。
ハーバード・ロー・スクール1948年同窓生のみなさん。我々がそのようなテストをもっと頻繁に受けていたら、いったいどれだけのことを達成できただろうか、考えてみてください。
それはともかく、今では多くの優秀な私立校において、中学1年の理科の授業でそのような学際的な方法を広く採用するようになりました。その一方で、いまだに同じ理解に達していない大学院がたくさんあります。これはホワイトヘッドが言うところの「致命的なまでの連携のなさ」を教育機関が露呈した、もうひとつの残念な事例です。
第三に、ほとんどのソフトサイエンスの大学院では優れたビジネス刊行物をもっと活用すべきです。ウォール・ストリート・ジャーナルやフォーブス、フォーチュンといった新聞・雑誌です。そういった刊行物の内容は今ではかなり良質です。学際的な要因(それらは相互関連することがよくありますが)に関する出来事を学ぶきっかけとすることで、航空機シミュレーターの役割を果たしてくれます。また単に昔からの知識を呼び起こすだけではなく、それらの要因を説明する新たなモデルを紹介することもあります。「みずからの判断力をできるだけ優れた状態にしたければ、正規の教育が済んだ後でも営々と取り組む必要がある」、学生たちが学校にいる間にそのことを練習させるのは、少しばかり役に立つという程度ではありません。実証済の優れた判断力ゆえにビジネスの世界で尊敬されている人たちは、私の知る限りではだれもが、知恵を維持する仕組みにそのような新聞や雑誌を取り込んでいます。そうだとすれば、学術界は違っていてもよい理由などあるのでしょうか。
4番目として、学術界における数少ない空席を埋める際に、高圧的かつ短気で左派右派は問わず政治的なイデオロギーを持った教師を、ふつうは選ぶべきではありません。これは学生についても同じです。最上の学際性に必要なのは客観性です。それは、短気で怒りっぽい人が失ったものです。また難しい綜合ともなれば、イデオロギー的な足枷につながれた精神の持ち主には果たせないでしょう。我々の頃のハーバード・ロー・スクールの先生の中にも、そのようなイデオロギーから生じた愚行の見事な例を示せる人がいましたし、実際に示してくれました。これはもちろんイェールのロー・スクールのことです。法律教育を改善するために、イェールはある特定の政治的イデオロギーを主要な要素として取り込もうとしている、そう捉える人が当時のハーバードにはたくさんいました。
5番目として、根源的なものを体系的にまとめあげるというハードサイエンスにおけるエートスを、ソフトサイエンスはもっと強烈に模倣すべきです(そのエートスとは「4つの根源的な学問領域、つまり数学・物理学・化学・工学の組み合わせ」によって定義されます)。このエートスはもっと真似されて然るべきです。[参考記事]
It was very short and roughly as follows: "This business field and this particular business, in its particular location, present crucial problems that are so difficult that unworldly old ladies can not wisely try to solve them through hired help. Given the difficulties and unavoidable agency costs, the old ladies should promptly sell the shoe factory, probably to the competitor who would enjoy the greatest marginal-utility advantage." Thus, the winning answer relied not on what the students had most recently been taught in business school but, instead, on more fundamental concepts, like agency costs and marginal utility, lifted from undergraduate psychology and economics.
Ah, my fellow members of the Harvard Law Class of 1948: If only we had been much more often tested like that, just think of what more we might have accomplished!
Incidentally, many elite private schools now wisely use such multidisciplinary methods in seventh grade science while, at the same time, many graduate schools have not yet seen the same light. This is one more sad example of Whitehead's "fatal unconnectedness" in education.
Third, most soft-science professional schools should increase use of the best business periodicals, like the Wall Street Journal, Forbes, Fortune, etc. Such periodicals are now quite good and perform the function of the aircraft simulator if used to prompt practice in relating events to multidisciplinary causes, often intertwined. And sometimes the periodicals even introduce new models for causes instead of merely refreshing old knowledge. Also, it is not just slightly sound to have the student practice in school what he must practice lifelong after formal education is over if he is going to maximize his good judgment. I know no person in business, respected for verified good judgment, whose wisdom-maintenance system does not include use of such periodicals. Why should academia be different?
Fourth, in filling scarce academic vacancies, professors of superstrong, passionate, political ideology, whether on the left or right, should usually be avoided. So also for students. Best-form multidisciplinarity requires an objectivity such passionate people have lost, and a difficult synthesis is not likely to be achieved by minds in ideological fetters. In our day, some Harvard Law professors could and did point to a wonderful example of just such ideology-based folly. This, of course, was the law school at Yale, which was then viewed by many at Harvard as trying to improve legal education by importing a particular political ideology as a dominant factor.
Fifth, soft science should more intensely imitate the fundamental organizing ethos of hard science (defined as the "fundamental four-discipline combination" of math, physics, chemistry, and engineering). This ethos deserves more imitation.
10年以上前に初めて読んだときには、文章の価値だけでなく内容もうまく理解できませんでした。今読み直してみると、正答を出した学生の明快な論旨には感心させられます。
2014年7月22日火曜日
(ハーバード・ビジネススクールでの出題)事業を相続した老婦人への助言
いよいよ最後の疑問へと達しました。第一級のソフトサイエンスにおいて、最適な学際性へと発展する足取りを早めるには、どのような取り組みが必要でしょうか。これもまた容易な答えがいくつか挙げられます。
第一に、選択ではなく必修の科目をもっと増やすべきです。このことは翻ってみれば、何が必須かを決定する人に対して、幅広い学際的知識を深く理解した上で維持し続けることが要求されています。パイロット候補生の訓練では当然のことですし、幅広い問題を解決に取り組む役割に就こうとする人の訓練でも同じです。たとえば法学を修了するには、心理学及び会計学の両方に習熟することを必須とすべきです。ところが今日の優秀な学校においても、そのような要件を定めていないところがたくさんあります。カリキュラム立案者の精神が狭いゆえに何が必要かを判断できずに見逃してしまい、欠陥をそのまま修正できない例が多いのでしょう。
第二に、さまざまな学問分野にわたる問題解決の練習をもっとたくさんやるべきです。航空機シミュレーターは使わない能力が錆びつくのを防ぐ役割を果たしていますが、それを真似した取り組みも含みます。例をひとつあげてみましょう。おおざっぱに記憶しているものですが、ハーバード・ビジネス・スクールの教授が何十年も前に出した課題です。彼はこの種の教育を非常に賢明に、しかし型にはまらないやりかたで実践しました。
その教授が出したテストとは次のようなものです。世間知らずの2人の老婦人が、ニュー・イングランドにある製靴工場をちょうど相続したところでした、そこではブランド物の靴を製造していましたが、事業上の深刻な問題にはまり込んでいました。テストにはその詳細が綿々と描写されており、老婦人へ向けた助言を文書化しなさい、と要求されていました。学生には答えを書くのに十分な時間が与えられました。さて、出てきた全員の解答に対して教授は好ましくない成績をつけました。ただしある学生だけは、他を大きく引き離したトップの成績をもらいました。成功をおさめたその解答とはどんなものだったでしょうか。(解答編へつづく)
This brings us, finally, to our last question: In elite soft science, what practices would hasten our progress toward optimized disciplinarity? Here again, there are some easy answers:
First, many more courses should be mandatory, not optional. And this, in turn, requires that the people who decide what is mandatory must possess large, multidisciplinary knowledge maintained in fluency. This conclusion is as obvious in the training of the would-be broadscale problem solver as it is in the training of the would-be pilot. For instance, both psychology mastery and accounting mastery should be required as outcomes in legal education. Yet, in many elite places, even today, there are no such requirements. Often, such is the narrowness of mind of the program designers that they neither see what is needed and missing nor are able to fix deficiencies.
Second, there should be much more problem-solving practice that crosses several disciplines, including practice that mimics the function of the aircraft simulator in preventing loss of skills through disuse. Let me give an example, roughly remembered, of this sort of teaching by a very wise but untypical Harvard Business School professor many decades ago.
This professor gave a test involving two unworldly old ladies who had just inherited a New England shoe factory making branded shoes and beset with serious business problems described in great detail. The professor then gave the students ample time to answer with written advice to the old ladies. In response to the answers, the professor next gave every student an undesirable grade except for one student who was graded at the top by a wide margin. What was the winning answer?
2014年7月20日日曜日
2014年バークシャー株主総会;大富豪らが倹約について語る
<質問42> 倹約家なのはどちらですか?
<バフェット> さて、どっちでしょうね。
<マンガー> 個人的な消費という意味では、ウォーレンのほうが倹しい(つましい)ですね。
<バフェット> なにか例を示してもらえますか?(笑)
<マンガー> 1950年代からずっと同じ家に住んでいるでしょう。
<バフェット> 引っ越したのは1958年です。
<マンガー> 私が引っ越したのはその1年後です。しかも建築士に1900ドル払いました。標準的な料金の30%分でしたが。
<バフェット> 生活に必要と思うものは、何でも持っていますから。生活水準と生活費を結びつけて考えてはいません。それらは相関していても、やがては逆転する地点がくるからです。家が6軒や8軒もあったら、わたしの生活はひどくなりますよ。それらは相関しないので、そんなには持てないのです。たしかに、ある点までは違いが生じます。たとえばxドルあれば、それまでとは違った考えができるようになります。しかしそれが10倍や100倍になったとしても、変わるわけではありません。
<マンガー> バークシャーは倹約によって助けられてきました。こうして聴衆を見渡してみると、身なりも控えめに倹約している様子がわかります。我々はそういう人たちを誘い招いたわけですね。
<バフェット> ですがみなさん、この週末の間は倹約のことは忘れてください。[バークシャー子会社が臨時に開いている出店で]買えば買うほど節約できるわけですから(笑)。
Q42: Station 3, Neal Patel, Chicago. Frugality?
WB: Who is more frugal?
CM: In personal consumption, Warren is more frugal.
WB: Would you care to give example? [laughter]
CM: Same house since 1950s.
WB: I moved in in 1958.
CM: I moved in a year later and paid architect $1900 dollars, 30% of the regular price.
WB: I have everything in life I wanted. Standard of living does not equate with cost of living. There is point where you get inverse correlation. My life would be worse if I had 6 or 8 houses. It doesn't correlate. You can't have more than that. It makes a difference up to a point. You can start thinking differently at x dollars. But it doesn't make a difference at 10x or 1000x.
CM: Frugality has helped Berkshire. I look out at audience, and I see frugal understated people. We collect these people…
WB: But forget that this weekend ‐ the more you buy the more you save this weekend people! [laughter]
2014年7月18日金曜日
株式市場の評価による価値(セス・クラーマン)
株式市場価値
証券のおおよその価値を算出するために、株式市場や債券市場に頼らざるを得ないときがある。クローズ・エンド型のミューチュアル・ファンドのような場合には、関連する評価方法が他にないからだ。また短時間で価値を判断せざるを得ないときには特に、株式市場方式が他の貧弱な方式より優れていることもある。
投資会社の価値を評価する方法を考えてみてほしい。1990年の半ばにクローズ・エンド型ミューチュアル・ファンドであるシェーファー・バリュー・トラスト社は、会社清算の議題を目的として株主総会を招集した。シェーファー社を清算する際の評価方法としてもっとも関連した評価方法は、株式市場価値によるものだった。すなわち、保有株式を市場で一斉に売却することで得られる価値である。これよりも適切な評価方法は考えられないだろう。
株式市場価値は他の状況にも当てはまる。たとえば本業と関係のない子会社や合弁会社の持ち分を評価するには、当然ながら次のようなやりかたを検討するはずだ。期待される将来のキャッシュフローの額を割り引く方法(正味現在価値)、同様な企業が売買された際の評価額(相対取引価値)、負債分を差し引いた正味有形資産の価値(清算価値)である。それに加えて株式市場価値、つまり同様な企業が株式市場でどう評価されているかを考慮する方法も有用だ。株式市場が投じる評価は、特に長期的にみた場合はかならずしも正確とは言えないが、短期的に見たときの大まかな価値を示してくれる。
ここで読者諸氏が何を考えているか、私には理解できる。市場で取引されている株価が価値に対しておおよそ妥当であれば、株式市場が効率的であることを示しており、バリュー投資上の基本的な信条への反対命題となることを認めざるをえないだろう、と。それに対する答えは、疑うまでもなく否である。同等とみられる企業が株式市場から受けた評価を使う方法は、あくまでも評価手段のひとつである。つまり企業ならぬ証券のほうが、明日にでも売りに出されたときに得られる対価を測る手段にすぎない。
株式市場価値には評価手段としての欠陥がいくつかある。ある産業に属する各企業を評価する際に、株式市場価値を使うことはないだろう。たとえば市場が新聞社に対して税引き前キャッシュフローの8倍の値段を付ける傾向があるからといって、新聞社とはそのような価値なのだと判断することは、循環論法に陥っていると言える。ただし、株式市場が新聞業界をどのように評価しているのか知っていれば、あるメディア・コングロマリットが子会社の新聞社をスピン・オフして株主に還元するときに、その新聞社の短期的な株価を見積もるのにある程度は役に立つだろう。
Stock Market Value
Occasionally investors must rely on the public equity and debt markets to provide an approximation of the worth of a security. Sometimes, as in the case of a closed-end mutual fund, this is the only relevant valuation method. Other times, especially if the time frame in which the value must be realized is short, the stock market method may be the best of several poor alternatives.
Consider the valuation of an investment company. In mid-1990 the Schaefer Value Trust, Inc., a closed-end mutual fund, scheduled a vote of its shareholders to consider liquidation. The most relevant measure of the liquidation value of Schaefer was its stock market value, the value that its holdings would bring when sold at once in the stock market. No other valuation method would have been appropriate.
Stock market value applies in other situations as well. In attempting to value a company's interest in an unrelated subsidiary or joint venture, for example, investors would certainly consider the discounted anticipated future cash flow stream (net present value), the valuation of comparable businesses in transactions (private-market value), and the value of tangible assets net of liabilities (liquidation value). Investors would also benefit from considering stock market value, the valuation of comparable businesses in the stock market. While the stock market's vote, especially over the long run, is not necessarily accurate, it does provide an approximate near-term appraisal of value.
I know what you must be thinking. If the prices at which stocks trade in the market is a reasonable approximation of their value, then isn't this an admission that the stock market is efficient, the antithesis of one of the basic tenets of value investing? My answer is decidedly no. The stock market valuation of comparable businesses is but one of several valuation tools and provides a yardstick of what a security, if not a business, might bring if sold tomorrow.
Stock market value has its shortcomings as a valuation tool. You would not use stock market value to appraise each of the companies in an industry. It would be circular reasoning to observe that since newspaper companies tend to trade in the market at, say, eight times pretax cash flow, that is what they must be worth. Knowing the stock market's appraisal for the newspaper industry would be of some use, however, in estimating the near-term trading price of the newspaper subsidiary about to be spun off to the shareholders of a media conglomerate.
2014年7月16日水曜日
私がしばしば依頼されること(チャーリー・マンガー)
<質問者> そういう科目[前回の質問で登場した世知補習のこと]ができればすばらしいと思います。しかし残念ですが、それができた頃にはわたしたちはもうここにはいません。講義科目として教えるのによいとのご提案ですので、受講する人には取り組みやすいものになると思います。しかしわたしたちにもとっつきやすい別の方法があるでしょうか。これは必須である、というのは除いてですが..。
<マンガー> 容易に学べる方法がないものか。そのような要求をいつも受けます。今日は簡単に学べる方法を少しながら紹介したつもりです。しかし今回のような説明が適切な方法だとは思いません。正しく学ぶ方法とは書物の中にあります。
私の話を聞いたことで、物事をうまくできるようになったり、良き人間となる助けになればと願っています。そうであれば、みなさんが金持ちになれなくても私自身は気になりません。ところが私がいつも受ける要望は、「あなたの知っていることを手取り足取り教えてください」とくるわけです。さらに、こんな風に言われることもよくあります。「即座に金持ちになる方法を、やさしく優雅に手っ取り早く教えてください。すぐに金持ちになれるだけでなく、どうか手短にお願いします」と。
自分で本を書くことには、あまり興味はありません。その上、私のような人間が70代ともなると、その作業には多大な労力を要します。やりたいことが他にいろいろあるので、本を書くつもりはありません。しかしやる気がある人にとっては、これは見逃すことのできない好機です。適切な本を書こうと考えている人がいて、その人に知恵があり、その仕事を正しく遂行する意思を持っていれば、 私から活動資金を提供したいところです。(この項つづく)
Q: I think it would be a wonderful thing to have. Unfortunately, when it's created, we won't be here anymore. You're proposing that this would be good to teach people in a course form so it would be accessible to them. Is there any way that it could be more accessible to us - other than having to….
I get requests for pointers to easy learning all the time. And I'm trying to provide a little easy learning today. But one talk like that is not the right way to do it. The right way to do it would be in a book.
I hope what I'm saying will help you be more effective and better human beings. And if you don't get rich, that won't bother me. But I'm always asked this question: "Spoon-feed me what you know." And, of course, what they're often saying is, "Teach me now to get rich with soft white hands faster. And not only let me get rich faster, but teach me faster, too."
I don't have much interest in writing a book myself. Plus it would be a lot of work for somebody like me to try and do it in my seventies. And I have plenty else to do in life. So I'm not going to do it. But it's a screaming opportunity for somebody. And I'd provide funds to support the writing of an appropriate book if I found someone with the wisdom and the will to do the job right.
2014年7月14日月曜日
宇宙船に乗って100年間の旅に出る(ウォーレン・バフェット)
<質問者> ここ数年になって最も関心が寄せられるようになってきた政治的な問題、特に環境問題についてお聞きしたいと思います。この国や世界中で環境問題に対する懸念が増してきました。一般に環境問題の多くは、企業が環境にあまりやさしくないテクノロジーを採用し、負の方向へと適用した結果だと言われています。産業界におけるリーダーとしては、企業がもっと環境に負荷をかけないテクノロジーを採用するために、どのような基準を定めればいいとお考えですか。
<バフェット> 環境問題についてですが、すでに法規制が実施されており、環境に有害な影響を与えている企業にとっては極めて重荷になっています。すべての詳細は知りませんが、環境保護庁(EPA)からの指示はそれなりに見聞きしているので、少なくともこの国では25年前とくらべて状況は大きく変化したと思います。しかし、他の国が同じようにしているかは別の問題です。世界経済の中でみれば、ある種の規制を設ける以上、つまり児童労働や環境問題や労災について規制していない他の国とくらべると、コスト競争力で不利になります。これは社会として負担すべき代償ですが、費用として現実に発生するものです。
世界が直面しているもっとも重要な問題のひとつだと個人的に考えているものは、核兵器拡散の問題が避けられないことを除くと、おそらく人口問題だと思っています。世界における適切な人口とはどうあるべきか、また今後どうなるのか、わたしにはわかりません。ただし100年前とは状況が変わっていますし、たぶん100年後にも変わっていると思います。しかしそのような数字が存在することは理解できます。テクノロジーの進展によってその数字が変わるかもしれません。利用可能な資源が現在認識しているよりも大量にある、という事実がわかることでも変わるでしょう。もしこの教室のみなさんで宇宙船に乗って100年間かけてどこかへ旅をすることになれば、ここのみなさんが宇宙船で過ごすのに十二分なまでの準備をするでしょう。しかしその宇宙船にはいったい何人まで載せられるのかは、生存をかけてその能力を実際に確かめ、100年後に[地球に]戻ってきてからでないと判断できないでしょう。しかしその数が有限であることはわかりますし、低い側に逸れるのはまちがいないと思います。「それではためしに、もう500名追加してみようか」とは言わないと思います。有限の世界だからです。人間の想像力が有限である必要はありませんし、有限であることを念頭に置かずにさまざまなことを実行できます。しかし結局のところ、地下に眠る原油や天然ガスには限りがあります。わたしたちは限りある資源でやっていくわけです。未知のものがあるにせよ、限りがあります。この地球にどれだけの環境収容力があるのか、人間という種でそれを試すのはとんでもないあやまちだと言えます。大きくまちがえてもいいように、余裕をとっておくべきです。ですから人口問題は非常に重要なことだと固く信じています。
ところでもっとも重要な課題とは、往々にして積み重なって起こるたぐいのものだということも、社会における問題だと思います。明日の地球の人口が今日よりも20万や25万人増えるからと言って、それで地球が終わりになるわけではありません。その数字は現在毎日増えている人数です。そのことに終末論的なところはありません。終末的な予測は今後もつづくと思いますが、この件はたとえてみれば人が1日で消費できるよりも300キロカロリー分を多く食べているようなものです。今日の一日としては何も影響はありません。しかしテーブルから立ち上がれなくなったときに、突如こう言われるようになります。「どうやら、座った時とくらべて太ったようだね」。そういったことをずっと続けていくほど、積み重なった問題に取り組むのがむずかしくなります。パイを1切れ多く食べても違わないからです。しかし明日の25万人は大きな違いにはみえませんが、それが積み重なることでやがては大きな違いを生み出します。食べ過ぎを続ければ、やがては大きな違いになるのとちょうど同じです。そういった問題は、とにかく早々に手を付けるべきです。現在抱えている状況が今後どうなるか、大きく決定づけることになります。そういった課題を真剣に検討すべきなのは、まさしく今からだと思います。
Q. My question concerns something that has come to the forefront in the last couple of years in politics especially - environmental issues. We have seen an increase in the concern of this country, and around the world, with environmental issues. People say a lot of the environmental problems are a result of businesses taking technologies that are not so benign to the environment and applying them in negative ways. In your opinion, as a corporate industrial leader, what would be some criteria that should be established so that corporations could find ways to apply more benign technologies?
A. I would say on environment that we've already got legislation in place which makes it extremely painful for companies who are doing things which are environmentally harmful. I don't know all the details, but I’ve seen enough of the Environmental Protection Agency’s operation that I think that situation has changed dramatically from 25 years ago, at least in this country. What we do about the rest of the world is another question. In a world economy, to the extent that you apply any kind of restrictions, in terms of child labor or environment or workers compensation that other countries don't impose, you have a competitive cost disadvantage. That’s a price that society has to pay here, but it is a real cost.
I personally think that population is probably one of the most important issues the world faces, except for the eventual problem of nuclear proliferation. I don't know how with the proper population of the world should be or will be. I know that number is different from what it would have looked like hundred years ago, and it probably will look different a hundred years from now. But, I do know there is a number and it may be affected by technology and it may be affected by the fact that our resources are greater than we think now. If we in this room were to all embark on a space ship journey some place, which was going to last a hundred years, and they were going to put provisions in the space ship that would be ample for this group, we might not know how many more people we could take on that space ship before we endangered the ability to survive and return in a hundred years. But we would know that the number was finite. And, we would certainly err on the low side. We would not say, “Well let's just take a shot at it and have 500 more join us.” It is a finite world. Man’s imagination is not necessarily finite, and we can do a lot of things that we haven't even thought of with resources. But in the end, there is only so much oil and gas in the ground. We’re dealing with finite resources. They're not known, but they are finite. I would say it is a terrible mistake for the human race to test what the ultimate carrying capacity of this planet is. We had better have a margin of error. I believe that population is a terribly important issue.
Now, one of the problems in society is that the most important issues are often these incremental type things. The world is not going to come to an end because tomorrow there are 200 or 250 thousand more people on the planet than there were today. That’s about the number it grows every day. There is nothing apocalyptic about it. People will go on making apocalyptic projections. But, it is like eating about 300 calories more each day than you burn up; it has no effect on you today. You don't get up from the table and all of a sudden everybody says, “My God, you look fat compared to when you sat down!” But, if you keep doing it over time, the incremental problems are hard to attack because that one extra piece of pie doesn't really seem to make a difference. The 250,000 people tomorrow don’t seem to make any difference, but the cumulative effects of them will make a huge difference over time, just like overeating will make a huge difference over time. The time to attack those problems is early. It's a huge determiner of the kind of environment we have. I think the time to be thinking about those issues is now.
ちなみに、ウォーレンが宇宙旅行に対してどのようにリスク評価をしているか、以前の投稿「冒険はすばらしいものだと思いますが」で示されています。
2014年7月12日土曜日
パクるときの注意(チャーリー・マンガー)
さて、4番目の疑問へと到達しました。「実現可能な範囲において、最適化された学際性の目指すところ」という観点から判断すると、我々が卒業した後に第一級のソフトサイエンス教育にはどれだけ修正が加えられてきたでしょうか。
望ましい学際性へ向けようと修正するために、さまざまな試みがなされてきました。そして非生産的な結果もある程度許容したことで、正味でみてかなり改善されました。しかし望ましい修正はまだまだ実現されておらず、これからも長い道のりが続きます。
たとえばソフトサイエンスの分野では、異なる分野の教授と共同で作業したり、教授らが複数の分野の資格を得るようになって、それらが有用なことにますます気づくようになりました。しかしもっともうまくいった修正とは、たいていはそれとは異なる種類のものでした。増強という名の、あるいは「欲するものを得る」を実行することだったのです。つまり他の分野から選んだものがなんであれ、そのまま吸収することをあらゆる学問分野に奨励する方法です。そのやりかたが一番うまくいった理由は、単一学問的な非合理を招いている伝統やなわばりが原因で生じる、学問上のささいな口論を避けているからだと思います。そういうことがあるから、修正する方策を探し求めているわけですね。
それはともかく、「欲するものを得る」やりかたが増えることで、ソフトサイエンスのさまざまな分野で「かなづちを持たぬ傾向」によって生じる愚かな行動が減少しました。たとえば我らがクラスメートのロジャー・フィッシャーが指導するロー・スクールでは、他の学問分野に接したことで交渉術を導入することになりました。賢明かつ倫理的な交渉を説いたロジャーの本は300万部以上売れ、我々のクラス全員の中では彼の果たした業績がおそらく最大だと思われます。それにとどまらず、そのロー・スクールでは良質で有用なさまざまな経済学も導入しました。優れたゲーム理論さえもいくらか取り入れています。それらは実際の競争がどのように起きているかをうまく説明しており、反トラスト法[独占禁止法]を説明する際に使われています。
経済学でも同様なことがみられます。こちらではある生物学者による「共有地の悲劇」モデルを採用し、正しくもそれによって不道徳なる「見えざる足」を見つけました。これは、アダム・スミスの示した天使のような「見えざる手」と共存するものです。今日に至っては「行動経済学」という分野まで登場しています。これは賢明にも心理学から助力を求めたものです。
しかしながら、「欲するものを得る」のように徹底して自由にやらせる方法をとっても、ソフトサイエンスの世界が完璧なる賞賛を受けられる結果にはなりませんでした。実際のところ、最低の結末をむかえた例では次のような変化を招いています。第一に、フロイト主義を吸収した文学系の学部があったこと。第二に、右派・左派問わず過激な政治的イデオロギーが多くの場所へ持ち込まれたために、そこの教授らが改めて目的を手にしたこと。それは純潔を取り戻すこととはまったくと言っていいほど違うものです。第三に、自称企業財務専門家から誤った指導を受けて、多数のロー・スクールやビジネス・スクールでハード・フォームの効率市場理論が取り込まれたこと。その中の一人は、バークシャー・ハサウェイが投資で成功したことを説明するのに、幸運面における標準偏差を増すことでしのいでいました。しかし標準偏差が6に至ったところで、その説明を撤回せざるを得ないほどの冷笑を受けました。
さらには、そのような愚行を避けたときでさえも、「欲するものを得る」ことには深刻な欠陥がありました。たとえば、より根本的な学問分野から借りてきたときに、その引用元を示していないことがよくみられました。新しい名前をつけているものもありました。つまり、吸収した概念がどれだけ根本的かという意味で位置づけられる順序には、ほとんど注意を向けませんでした。そのようなやりかたでは次のような事態を招きます。第一に、乱雑なままの文書管理体系のように働くことです。吸収した知識を使って総合しようとする際の支障となります。第二に、ライナス・ポーリングは化学の水準を向上させるために物理学を体系的に探索しましたが、ソフトサイエンスとしてそれに相当することが発揮できません。これはもっとうまくやれるはずです。
Which brings us to our fourth question: Judged with reference to an optimized feasible multidisciplinary goal, how much has elite soft-science education been corrected after we left?
The answer is that many things have been tried as corrections in the direction of better multidisciplinarity. And, after allowing for some counterproductive results, there has been some considerable improvement, net. But much desirable correction is still undone and lies far ahead.
For instance, soft-science academia has increasingly found it helpful when professors from different disciplines collaborate or when a professor has been credentialed in more than one discipline. But a different sort of correction has usually worked best, namely augmentation, or "take what you wish" practice that encourages any discipline to simply assimilate whatever it chooses from other disciplines. Perhaps it has worked best because it bypassed academic squabbles rooted in the tradition and territoriality that had caused the unidisciplinary folly for which correction was now sought.
In any event, through increased use of "take what you wish," many soft-science disciplines reduced folly from man-with-a-hammer tendency. For instance, led by our classmate Roger Fisher, the law schools brought in negotiation, drawing on other disciplines. Over three million copies of Roger's wise and ethical negotiation book have now been sold, and his life's achievement may well be the best, ever, from our whole class. The law schools also brought in a lot of sound and useful economics, even some good game theory to enlighten antitrust law by better explaining how competition really works.
Economics, in turn, took in from a biologist the "tragedy of the commons" model, thus correctly finding a wicked "invisible foot" in coexistence with Adam Smith's angelic "invisible hand." These days, there is even some "behavioral economics," wisely seeking aid from psychology.
However, an extremely permissive practice like "take what you wish" was not destined to have one-hundred-percent-admirable results in soft science. Indeed, in some of its worst outcomes, it helped changes like (1) assimilation of Freudianism in some literature departments; (2) importation into many places of extremist political ideologies of the left or right that had, for their possessors, made regain of objectivity almost as unlikely as regain of virginity; and (3) importation into many law and business schools of hard-form, effcient-market theory by misguided would-be experts in corporate finance, one of whom kept explaining Berkshire Hathaway's investing success by adding standard deviations of luck until, at six standard deviations, he encountered enough derision to force a change in explanation.
Moreover, even when it avoided such lunacies, "take what you wish" had some serious defects. For instance, takings from more fundamental disciplines were often done without attribution, sometimes under new names, with little attention given to rank in a fundamentalness order for absorbed concepts. Such practices (1) act like a lousy filing system that must impair successful use and synthesis of absorbed knowledge and (2) do not maximize in soft science the equivalent of Linus Pauling's systematic mining of physics to improve chemistry. There must be a better way.
備考です。文中に登場するロジャー・フィッシャーの著書は『ハーバード流交渉術』(原題: Getting To Yes)のはずです。わたしも10年以上前に読んだことがありますが、当時は日本語版の題名にあまり好印象を抱いておらず、腰が引けた姿勢で読んでしまいました。しかし内容は王道と言えるもので、厳しい交渉の場で闘っている方は本書のことはご存知でしょうし、これからそのような立場につく方にはお勧めできる本です。
2014年7月10日木曜日
2014年バークシャー株主総会;獣毛でできた極めつけのシャツを着る
(質問39に対する回答の一部; 競争優位の話題)
<マンガー> 競争が激しいビジネスで、そこで闘っていけるだけの能力がないならば、他をあたるべきでしょう。私の場合、カルテック[カリフォルニア工科大学]で熱力学の教授になるのはやめよう、と即断したものです。そういう決断を何度もくだし、結局早々に残ったのはひとつかふたつだけでしたね!(笑)。
<バフェット> わたしも運動の分野では似たような経験をしましたよ(笑)。
CM: If it is a very competitive business, and requires competitive abilities you lack, you should look elsewhere. I immediately decided I wasn’t going to be thermodynamics professor at Caltech. I did that over and over and soon there were only one or two choices left! [laughter]
WB: I had similar experience in athletics. [laughter]
<質問41> GEICO[子会社の損保会社ガイコ]は最大の広告費をかけていますが、一方で低コスト体質を保っています。ガイコ(現在のシェアは10%)は19%のシェアを持つステート・ファーム社を追い越すでしょうか。
<バフェット> それはだれにもわからないと思います。当社は今年になってオールステート社を追い越しました。ステート・ファームはこの国で偉大な社歴を有する企業のひとつです。イリノイ州マーナ出身の農家の人が1920年ぐらいに始めました。同社のことを書いた本が出ていますね。うまい商売でしたが、ガイコのほうが良いビジネスモデルでした。ステート・ファームは巨大でした。一方のガイコは1926年に創業してから、今では10%に達しました。現時点での予測によれば、第1位になるのはちょうどわたしが100歳になる年です。わたしのほうは自分でなんとかするから、とガイコには言ってあります。顧客のことを非常に大切にしていけば、もっとシェアを伸ばせるでしょう。それに、リスクに応じて適切な値段をつけることもできます。[ガイコの会長]トニー・ナイスリーの仕事ぶりは、まさに世界殿堂入りですね。トニー以前の15年間は、市場シェアは2%周辺をうろうろしていましたが、1993年に彼が指揮をとってからはシェアが上昇し、今では10%強になりました。まだまだ続くと思います。ステート・ファームの純資産は600億から700億ドルです[同社は非公開企業]。住宅保険の商売は強力ですし、保険代理人の体制も強力で、たくさんの顧客が満足しています。ですから急にとはいきませんが、しかしやがてはそうなると思います。
<マンガー> ガイコはコストコと似てますね。すばらしい商品やサービスを、すばらしい値段で提供する。そのことを聖なる義務と受けとめています。そういう会社はずっと伸びていきますよ。
<バフェット> コストコに当てはまることはガイコにも当てはまります。当社の人間はあまり出入りしません。いったん仲間になると辞めないのです。他の保険会社から移ってきたマネージャーはほとんどいません。仕事のやりかたについて独自の考えを持っており、そして正しく実行しています。そのやりかたが成功することで、さらに強化されていきます。
<マンガー> コストコは実に信じがたい会社です。値段を下げつつもサービスは向上させようと、たくさんの人が精力的に取り組んでいます。これは人間の本性に反することです。獣毛でできた極めつけのシャツをじかに着るようなものです。しかし、彼らは実現しているわけですよ。
Q41: JG: GEICO. Largest advertising budget while maintain low cost. Will GEICO (now 10% share) overtake State Farm at 19% market share?
WB: No one knows answer. We passed Allstate this year. State Farm has one of great company histories in America. Farmer from Merna Illinois started it, started around 1920, there is a book about it. It was a better business model, GEICO though had an even better model. State Farm was huge, and now GEICO has taken us since 1926 to get to 10%. On current projections are that we will be #1 the same year I am 100. I tell GEICO that I will do my part. We will gain share as long as we take extremely good care of customer, and we can properly rate risk. Tony Nicely has done a job that belongs in the world hall of fame. 15 years prior to Tony taking over, market share had hovered at 2%. Since he took over in 1993, we have gained and now stand at +10%. It will keep going. State Farm has net worth of $60‐70bil, and a strong homeowners business, strong agency force and a lot of satisfied customers. It won’t come fast, but it will come.
CM: GEICO is like Costco. They feel a holy duty to have wonderful product and a wonderful price. Companies like that get ahead over time.
WB: What is true about Costco is also true about GEICO: our people don’t come and go. People come to us and they don’t leave us. We have very few managers from other insurance companies. They have their own idea about how to do it and do it right. It is reinforced by success too.
CM: Costco is unbelievable. It is against human nature of many entrepreneurial people to get price down and get service up, like wearing the ultimate hairshirt. But it works.
2014年7月8日火曜日
サーカスのようにぴたりと決まる(チャーリー・マンガー)
<質問者> お使いになっているモデルを3つ示して頂きましたが、他のものはどうやって見つけたのでしょうか。心理学の教科書を通読しないでも見つかる簡単な方法をご存知ですか。それを避けたいからではないのですが、かなり時間がかかると思うのでお聞きします。
<マンガー> ちょっとした数の原理、そして少しばかりの本当に重要なアイデア、そういったものを見つけ出すのは相当楽しいことです。さらに自分自身で探しだして描いたほうが、他人の用意したお題目一式を覚えこむよりもずっと心に残りますよ。
さらにうれしいことに、その楽しみは尽きることがありません。私は実にまちがった教育を受けたせいか、ネオ・ダーウィニズムと呼ばれる考えには注意を向けてきませんでした。他のものはいろいろ読んできましたが、それは逃していました。そして昨年になって不意に、私がとんでもない大バカ者だからその考えにきちんと接しておかなかったのだ、と気がつきました。そこで私は振り返り、オックスフォードの偉大な生物学者であるドーキンスらの助力を借りて、その考えに取り組むことにしました。
70代である私にとって、現代総合説/ネオ・ダーウィニズムを頭に取りこんだのは、まさしくサーカスのようでした。その考えは見事なまでに美しく、見事なまでに正しいものでした。わかってしまえば非常に単純なことです。しかしそのような楽しみに終わりが来ないことも、私のやりかたの麗しい点のひとつです。病後療養施設に入って戯言を話すようになれば終わりでしょうが、そうだとしてもそれまでに長い時間があります。
もし私がロー・スクールの王として君臨できるのであれば、独裁者を許すロー・スクールはどこにもないでしょうが(学部長へ大きな権限を与えることも嫌がっています)、「世知補習」と命名する科目を新設します。その科目で教える内容には、他の有用なことよりも優先して、これだけあれば十分と言えるだけの心理学を含めます。履修期間は、3週間か1カ月ぐらいになると思います。
その科目では簡潔な事例や強力な事例そして力強い原理を扱うので、とてもおもしろい内容に仕上がると思います。まさしくサーカスとなるでしょう。その後にロー・スクールで経験する全般に対して良い影響を与えると思います。
そのような考えを聞くと「まさかそんなことを」という顔をする人がいます。「ふつうはそんなことはしないですよ」と言ってきます。「世知補習」という講義名から揶揄を感じられるのが気に食わないのかもしれません。しかしそのような名前をつけたのは、「誰もが知るべきこと」を伝えたいがための私の流儀なのです。「補習」という言葉には、「まさしく基本的なことで、だれもが知っておくべき」という意味が含まれているはずですよね。
そのような科目は実に見事な働きをすることでしょう。事例は多数になります。しかしだれもそうしないのはなぜなのか、私にはわかりません。「やりたくないからそうしない」のがほとんどかもしれませんが、やりかたがわからないのかもしれません。あるいは何のことか知らないからかもしれません。
しかしロー・スクールにおける伝統的な題材へと進む前に、1カ月かそこらの期間をかければいいだけです。本当に基本的な概念が統合され、適切な事例の力を借りて頭に叩き込んでしまえば、ロー・スクールでその後に経験するあらゆることがずっと楽しいものとなります。教育上のあらゆる取り組みがうまく機能すると思います。ところが、そういうやりかたに興味を示す人はだれもいません。
ロー・スクールが伝統的な題材を超えたところへ手を伸ばす時は、私からすればなんともお粗末なやりかたにみえることがよくあります。このアメリカで心理学が誤った形で教えられていると思うならば、企業財務がどうなっているかを見るべきでしょう。モダン・ポートフォリオ理論、あのトチ狂ったやつはまったく奇妙なものですね。
そういったものがどのように誕生したのかは知りません。しかしハードサイエンスや工学の世界では、実に信頼できるやりかたをとっているものです。ところがそれらの領域から少しでも出た学術界では、ある種の愚かさが忍び込んでいるように思えます。たとえ非常に高いIQを持つ人が関わっている領域であってもです。
そうなりかけたものの、いろんなダメなことを叩き出せた学校もあります。しかし叩きだすために70を過ぎた資本家を連れてきて、年のいった人たちに対して「とりあえずこれが世知補習です」と教え込むのは、正しい方法ではありません。そういうやりかたではありません。
そうではなく、ロー・スクールでの最初の1カ月の間にまさに基本的なドクトリン[教義、中心となる概念群]を叩き込むわけです。すると法律上のさまざまなドクトリンが他のドクトリンとつながります。固く結びつくわけです。しかしそういった法律上のドクトリンを教える際に、他の重要なドクトリンとどのように関連しているのか指摘しなければどうなるでしょう。それは愚かです。まったくもって愚かですよ。
「判事は、みずからの前に出されていない法的問題について語ってはならない」とする規則があるのはなぜでしょうか。私の頃にはその規則が教えられていたものの、学部生が習う科目の肝へと結びつく理由は説明してくれませんでした。そのような理由を与えないのは、どうかしていますよ。人間の心というものは、理由もなしにうまく働けるようにはできていません。理由を伴った理論的構成の上にこそ、現実を重ね合わせるべきです。使いものになる形でそれらを合わせることによって、効果的に考えられるようになります。
理由を説明しなかったり、まずい説明でドクトリンを教えるのは、まちがいです。
世知補習を科目にしたいのは別の理由もあります。教授たちにもっとまともであるように強制できると思えるからです。正しいことが明白であり、「世知補習」という名の科目において強調された教えがあるときに、それによって否定されることを教えようなどとは考えたくもないでしょう。そんなことをしようものなら、まさに自分を正当化しなければならないからです。
この考えがまるでおかしなことだと感じますか。これが実現することを期待するという意味では、おかしいかもしれません。しかし誰かが実際にやっていれば、有用なことだと理解できていたと思いますよ。
Q: You've given us about three of the models that you use. I wondered where you found the other ones. And, second, do you have an easier way for us to find them than going through a psychology textbook? I'm not averse to doing that, but it takes longer.
There are a relatively small number of disciplines and a relatively small number of truly big ideas. And it's a lot of fun to figure it out. Plus, if you figure it out and do the outlining yourself, the ideas will stick better than if you memorize ‘em using somebody else's cram list.
Even better, the fun never stops. I was miseducated horribly. And I hadn't bothered to pick up what's called modern Darwinism. I do a lot of miscellaneous reading, too. But I just missed it. And in the last year, I suddenly realized I was a total damned fool and hadn't picked it up properly. So I went back. And with the aid of Dawkins - Oxford's great biologist - and others, I picked it up.
Well, it was an absolute circus for me in my seventies to get the modern Darwinian synthesis in my head. It's so awesomely beautiful and so awesomely right. And it's so simple once you get it. So one beauty of my approach is that the fun never stops. I suppose that it does stop eventually when you're drooling in the convalescent home at the end. But, at least, it lasts a long time.
If I were czar of a law school - although, of course, no law school will permit a czar (they don't even want the dean to have much power) - I'd create a course that I'd call "Remedial Worldly Wisdom" that would, among other useful things, include a fair amount of properly taught psychology. And it might last three weeks or a month….
I think you could create a course that was so interesting - with pithy examples and powerful examples and powerful principles - that it would be a total circus. And I think that it would make the whole law school experience work better.
People raise their eyebrows at that idea. "People don't do that kind of thing." They may not like the derision that's implicit in the title: "Remedial Worldly Wisdom." But the title would be my way of announcing, "Everybody ought to know this." And, if you call it remedial, isn't that what you're saying? "This is really basic and everybody has to know it."
Such a course would be a perfect circus. The examples are so legion. I don't see why people don't do it. They may not do it mostly because they don't want to. But also, maybe they don't know how. And maybe they don't know what it is.
But the whole law school experience would be much more fun if the really basic ideas were integrated and pounded in with good examples for a month or so before you got into conventional law school material. I think the whole system of education would work better. But nobody has any interest in doing it.
And when law schools do reach out beyond traditional material, they often do it in what looks to me like a pretty dumb way. If you think psychology is badly taught in America, you should look at corporate finance. Modern portfolio theory? It's demented! It's truly amazing.
I don't know how these things happen. Hard science and engineering tend to be pretty reliably done. But the minute you get outside of those areas, a certain amount of inanity seems to creep into academia - even (in) academia involving people with very high I.Q.'s.
But, boy, what a school would be like that pounded a lot of the silliness out. But the right way to pound it out is not to have some seventy-plus-year-old capitalist come in and tell seniors, "Here's a little remedial worldly wisdom." This is not the way to do it.
On the other hand, a month at the start of law school that really pounded in the basic doctrines…. Many of the legal doctrines are tied to other doctrines. They're joined at the hip. And, yet, they teach you those legal doctrines without pointing out how they're tied to the other important doctrines?! That's insanity - absolute insanity.
Why do we have a rule that judges shouldn't talk about legal issues that aren't before them? In my day, they taught us the rule, but not in a way giving reasons tied to the guts of undergraduate courses. It's crazy that people don't have those reasons. The human mind is not constructed so that it works well without having reasons. You've got to hang reality on a theoretical structure with reasons. That's the way it hangs together in usable form so that you're an effective thinker.
And to teach doctrines - either with no reasons or with poorly explained reasons?! That's wrong!
Another reason why I like the idea of having a course on remedial worldly wisdom is that it would force more sense on the professors. It would be awkward for them to teach something that was contravened by lessons that were obviously correct and emphasized in a course named "Remedial Worldly Wisdom.," Professors doing so would really have to justify themselves.
Is that a totally crazy idea? It may be crazy to expect it to be done. However, if somebody had done it, would you have found it useful?
2014年7月6日日曜日
投資とは芸か、それとも科学か(セス・クラーマン)
Is Investing an Art or a Science? (Institutional Investor)
彼の会社であるバウポスト・グループはボストンを拠点として270億ドルを運用している。もっとも古くから続いているファンドは1983年の設立以来、年率10%台後半の成績をあげてきた。そのバリュー投資家は「私ならば第一に芸が最重要で、第二が技能、第三が科学だと言いたいですね」と答えた。そして次のように説明してくれた。証券を評価する際の「科学」は、今日ではほぼありふれたものと化している。一方でその様子が日々はっきりと見えると彼が言う「技能」は、バリュー投資において格別に重要なものであるとする。バリュー投資で成功するカギのひとつは規律に従うことであり、高い値段を出さないことだと。そして「芸」だが、これはある投資対象から主要なテーマを2,3つ抽出する能力であり、その問題の核心を突くことだと彼は表現してくれた。
The value investor, whose Boston-based Baupost Group manages about $27billion, replied: I would say art first and foremost, craft second, science third. Klarman, whose oldest fund has delivered an annualized return in the high teens since its 1983 inception, explained that the science of valuing securities is almost a commodity these days, while the craft what he calls showing up every day is especially important for value investing, where one of the keys to success is being disciplined and not overpaying. The art, he went on to describe, is the ability to distill two or three major themes out of an investment and get right to the heart of the matter.
なお、訳していない部分ではヴァンガード(インデックス・ファンド)のジョン・ボーグルの意見が載せられています。彼のほうは「投資とは、芸というよりも科学である」との意見でした。個人的にはどちらの意見も正しいと思っています。株式市場のような投資対象もさまざまな側面を持っており、だからこそ自分に合ったやりかたで取り組むことでも適切なリターンを切り出せるだろう、と楽観的に考えています。
2014年7月4日金曜日
社会への貢献度とそれに対する報酬について(ウォーレン・バフェット)
<質問者> 世間一般より裕福な人は社会に借りがあるとのおはなしでした。これは尊敬に値するお考えだと思いますが、それではバフェットさんにとっての借りとはいったい何でしょうか。
<バフェット> 正直なところわたしの考えでは、有形の財という意味でそのほとんどは、結局は社会に属するものだと思います。たまたまこの社会でうまくやれたからといって、わたし一人で全部消費したり、一族で営々と狂ったように消費しつづけるのは節度を欠いています。この話の興味深い点は、わたしたちが市場社会で生きているということです。3割7分5厘の打率を残せたり、ゴルフをアンダーパーで回れたり、わたしのやっていることと同じようにできたり、あるいはある種の才能を持っていれば、市場はそれらの才能に対してたっぷりと支払ってくれます。ところが25年前の野球選手はそこまでもらっていませんでした。球場には5万人しか入らなかったからです。しかしテレビやケーブルがでてきたことで、2億5千万の人が球場の様子を観戦できるようになり、がらりと経済性が変わりました。この市場システムでは、ある種の才能を持つ人には報酬が浴びせられます。ところが、社会にとって重要な才能、たぶんずっと重要な才能を持った人たちが報酬をたっぷり受けることはありません。傑出した教師やすばらしい看護師・研究者がおどろくほどの報酬をもらっているとは思えません。たぶん、ダメな人とくらべても金額は多くないでしょう。しかしずば抜けたヘビー級チャンピオンやみごとな中堅手、株式選定で突出した成績をあげる人などは、びっくりするほどたくさん稼いでいます。市場システムがそのように働いているという理由によってです。
このシステムは、人々の欲する財やサービスを湧き出させるにはすばらしいシステムでした。その面では見事なまでの働きをしてくれます。しかし報酬の分配という面では、すばらしく機能しているとは思えません。この問題を解決するには2つの方法が考えられます。ひとつは徴税制度によって解決するやり方です。もうひとつは慈善を使う方法で、こちらは自己強制型の税金と呼べるでしょう。オマハの公立学校をあたれば、わたしのような人間や打率3割5分の人やボクシングのジュニア・ヘビー級チャンピオンと同じようにまぎれもなく社会に貢献している人が、300人は見つかるでしょう。しかし彼らが教師として適切に支払われる日は決してやってこないと思います。社会は教師に対してそのようには報いてくれません。どうすれば社会がそうするようになるか、わたしにはわかりません。そのような「同等な価値」を持つ取り扱いをするにはどうすればよいか、何も思い浮かびません。市場システムは財を配分するには最良のシステムだと思います。しかしそれは、市場という仕組みによって生み出された財やサービスを分配する、という意味においてです。ですから、慈善やある種の累進課税制度が適切な方法だと思います[参考記事]。
Q. Mr. Buffett, you said that people who are better off than society have a debt to society. I find this respectable. I just am wondering, what's your debt?
A. Well, I really think in terms of material goods that overwhelmingly eventually belong to society. I think it would be obscene if I tried to consume them all myself or have my family consuming like crazy forever just because I happen to be well-adjusted to this society. The interesting thing is that we live in a market society. If you can bat .375, if you can shoot sub-par golf, if you can do what I do, if you have certain kinds of talents, the market will pay enormously for those talents. Now, it didn't pay that well for ballplayers 25 years ago because the stadiums only held 50,000 people, but television and cable have made it possible for the stadiums to hold 250 million people and that changes the economics dramatically. This market system showers rewards on people with certain types of talents. Yet it does not shower rewards on other people with talents just as important to society; maybe more important to society. An outstanding teacher, outstanding nurse or researcher may not be paid dramatically more and maybe no more than the mediocre one. But the outstanding heavyweight fighter, or the outstanding center fielder, or the outstanding stock picker, or whoever, gets incredibly more because of the way the market system works.
It has been a great system for causing an outpouring of goods and services that people want. The market system works terrifically that way. I don't think it works terrifically in terms of distribution of the rewards. And, I think you solve that in two ways. One way is you solve it through your tax system and the other way is you solve it through philanthropy. You might call this a self-imposed tax. I think you could probably find 300 public school teachers in Omaha who have contributed absolutely as much to society as some fellow like myself or somebody that bats .350, or some guy that has won the light-heavyweight boxing championship. The teachers are never going to get paid properly. Society will not reward them that way. I don't see any way for society to do that. I don't have anything in mind about some "comparable worth" type of arrangement. I think the market system is the best system far delivering goods, but then I think in terms of distributing these goods and services produced by that market system. Both philanthropy and a progressive tax system of some sort are the appropriate methods.
2014年7月2日水曜日
13年間あります(チャーリー・マンガー)
第一に「必須とされるあらゆる能力」という概念は、「ラプラスが天体力学の分野で有していたまでに我々の能力を高める必要はないし、その他の学問でも同様な水準まで能力を高めるようにも要求されていない」と理解できます。そうではなく、各学問分野におけるまさに重要な概念、それは本質という意味でしか学べませんが、それらがほとんどの役割を担っているのです。幾多の人材と時間があることを考えれば、広く学際的に理解することのできない人がたくさん出てくるほど莫大な数には上らないですし、相互作用もさほど複雑でありません。
第二に、第一級の教育の場では要求にこたえられるだけの大量の人材や時間が用意されています。結局のところ、我々は上位1パーセントの才能を持つ人材を教育しており、教える教師も平均としてみれば学生よりも才能豊かな人たちです。さらには、非常に有望な12歳の子供たちを職業人の入り口に立たせるまでに、およそ13年の時間があります。
第三に、逆に考えることと「チェックリスト」を使うことは、航空機の操縦と同じように幅広い生活の場においても容易に学ぶことができます。
さらに、幅広い学際的能力に到達できると信じられるのは理由があります。アーカンソー出身のある同輩が浸礼に対する信念をこう語っていたのと同じです。「そうするのを見て育ったからね」と。現代のベン・フランクリンたちのことはだれもが知っているでしょう。(1)正規の教育を受けた時間はたくさんの賢い若者に許されたものより少なかったものの、学際的な総合を山ほどなしとげ、(2)みずからの専門領域を通常通り修める以外に、他のことに時間を回したにもかかわらず、それが足を引っぱることはなく、専門分野で優れた成果をあげた、という例です。
費やせる時間と利用できる人材、そして複数の学問分野を成功裏に修めた人の例を考え合わせると、ソフトサイエンスの世界が現状維持で満足したり、変化することのむずかしさにおびえて懸命に挑戦しないでいれば、学際的な面で大きな成果はあげられないでしょう。これは、「かなづちしか持たぬ傾向」からくる悪影響を最小限にとどめていない現状をみればわかります。
First, the concept of "all needed skills" lets us recognize that we don't have to raise everyone's skill in celestial mechanics to that of Laplace and also ask everyone to achieve a similar skill level in all other knowledge. Instead, it turns out that the truly big ideas in each discipline, learned only in essence, carry most of the freight. And they are not so numerous, nor are their interactions so complex, that a large and multidisciplinary understanding is impossible for many, given large amounts of talent and time.
Second, in elite education, we have available the large amounts of talent and time that we need. After all, we are educating the top one percent in aptitude, using teachers who, on average, have more aptitude than the students. And we have roughly thirteen long years in which to turn our most promising twelve-year-olds into starting professionals.
Third, thinking by inversion and through use of "checklists" is easily learned - in broadscale life as in piloting.
Moreover, we can believe in the attainability of broad multidisciplinary skill for the same reason the fellow from Arkansas gave for his belief in baptism: "I've seen it done." We all know of individuals, modern Ben Franklins, who have (1) achieved a massive multidisciplinary synthesis with less time in formal education than is now available to our numerous brilliant young and (2) thus become better performers in their own disciplines, not worse, despite diversion of learning time to matter outside the normal coverage of their own disciplines.
Given the time and talent available and examples of successful masters of multiple disciplines, what is shown by our present failure to minimize bad effects from man-with-a-hammer tendency is only that you can't win big in multidisciplinarity in soft-science academia if you are so satisfied with the status quo, or so frightened by the difficulties of change, that you don't try hard enough to win big.