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2018年9月20日木曜日

ミクロがわかってもマクロがわかるとは言えない(『次なる金融危機』)

次なる金融危機』という本を読みました。本書の主張をまとめると、「家計部門や企業(除金融)部門の債務が、GDPと比較して高い割合へ上昇するほどに、経済危機を招きやすく、かつ回復も遅れる」というものでした。主流の経済学派からは大きく逸れた見解らしいですが、一市民としての感覚からすれば納得できる仮説だと感じました。なお同書の著者は、過剰債務がみられる国として中国などを挙げ、大きな揺り返しがやってくること必至と予測しています。

その本題とは別に、同書から今回ご紹介するのはハード・サイエンス関連の話題です。本ブログで取り上げる話題のひとつに、「ものごとを分析する際には還元的に捉えよ」というものがあります。その「還元的分析」に関して注意をうながすような文章がありましたので、引用します。

以上のようなわけで、ミクロ経済学からマクロ経済学を導くことはできない。だが、だからといって、ブランシャールが言うように、広く受け容れられてきた分析的マクロ経済学の核心、つまりその検討と展開の場が、夢想かもしれないことを意味しない。すべての経済学者が賛成する基礎から出発して、マクロ経済学を導き出す道が存在するのだ。だが、実際にその道を進むには、これまで主流派が避けてきた考え--複雑性を受け容れねばならない。

高い層の現象を低い層のシステムから直接的に推定するのは不可能だという発見は、今では純正な科学では共通の認識だ。それが複雑なシステムにおける、いわゆる「創発(エマージェンス)だ。 [参考記事]

ひとつの複雑システムの支配的な諸性質は、考えられた単独の要素の性質よりも、むしろ要素の相互作用に由来する。(中略)

(マクロ経済学のような)高いレベルの現象は(ミクロ経済学のような)低いレベルの現象から導き出され得るし、また導き出されねばならない、という信念の誤りについては、1972年--ルーカスが講演するよりも前に--ノーベル物理学賞受賞者のフィリップ・アンダーソンがつぎのように述べていた。

「この種の考えの主な誤りは、還元主義的な仮説が決して『構築主義的』な仮説を意味しないことだ。あらゆる事柄を単純な法則に還元できる能力は、そうした法則から出発して宇宙を再構築する能力を意味しない」

アンダーソンは、物理学で、とくに「ミクロ」から「マクロ」へと延ばす(外挿する)態度を排斥した。そうした排斥が素粒子の振る舞いにあてはまるならば、人間の行動にはどれほど多く応用されねばならないのだろうか。

「素粒子の大きな複雑な集合体の振る舞いは、少数の粒子の性質の単純な外挿として理解されるべきではない、ということが分かる。そうではなくて、複雑性のそれぞれのレベルにおいて、新しい性質が現れるのだ。だから、新しい振る舞いの理解には、他の場合と同じように、その性質について私が基本的と思う研究を必要とする」

アンダーソンは、科学には階層が存在するという考えをすすんで受け容れた。つまり、諸科学をほぼ直線的に階層として配列できるというわけだ。その着想に従えば、「科学Xの基本的存在は、科学Yの法則に従う」(表1を参照)。しかし、彼は、X欄のどの科学もY欄の相当する科学の応用版として扱えるという考えを排斥した。

表1
XY
固体物理学もしくは多体物理学素粒子物理学
化学多体物理学
分子生物学化学
細胞生物学分子生物学
......
心理学生物学
社会科学心理学

「だが、この階層は、科学Xは『単なる応用Y』を意味するのではない。各段階でまったく新しい法則、考え、一般化を要する。それにはインスピレーションや創造性が、前段階と同じ程度に必要だ。心理学は応用生物学ではなく、生物学は化学の応用ではない」(p. 28)

なお本書の主張は冒頭に示したとおりですし、引用文を読まれてお気づきと思われますが、本書を読むために自腹で購入する必要はないと思います。あくまでも個人的な意見ですが。

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