第一に、1年前にウォーレン・バフェットと夕食を共にしたとき、彼が次のように指摘した件です。「そういった情報に追い求める価値があるとしたら、それが重要なものであり、さらに[客観的に]認知できるものでなければいけませんよ」。今日の投資家はマクロ的な未来に対する識見をかつてないほど要求しています。それが重要だからです。つまり市場を動かすからです。ところが、ここで待ったがかかります。私もそうですが、「その手のものはかなりの部分が認知できない」とウォーレンはみているのです。それらに基づいて彼が投資の行動を起こすことは稀ですし、オークツリーでも同様です。
第二に、先ほど取り上げたメディアに関するObserver[ウェブサイト]の記事にあった極めつけの段落をここに含めたいと思います。圧巻です。
「自分を向上させたいのであれば」、とエピクテトス(1世紀のギリシャ人哲学者)がかつて言った。「畑違いのことについては、無知か愚鈍に見えるよう、みずから進んで振る舞うこと」。現代のような相互接続おびただしい24時間休日なしのメディア漬けの世の中では、「私にはわかりません」と答えるのが、我々の取り得る最強の一手だろう。あるいはもっと挑発的に、「それがどうかしましたか」と。もちろん全てというわけではないが、ほとんどはそうだと言える。なぜならば、ほとんどのことは問題とは言えないし、ほとんどのニュースには追いかける価値がないからだ。(強調部は原著者ハワード・マークスによるもの)(p. 11)
First, I had dinner with Warren Buffett about a year ago, and he pointed out that for a piece of information to be worth pursuing, it should be important, and it should be knowable. These days, investors are clamoring more than ever for insights regarding the macro future, because it’s important: it moves markets. But there’ s a hitch: Warren and I both consider these things largely unknowable. He rarely bases his investment actions on them, and neither does Oaktree.
Second, I want to include a final paragraph from the Observer article about the media that I mentioned earlier. I think it’s golden:
“If you wish to improve,” Epictetus [first-century Greek philosopher] once said, “be content to appear clueless or stupid in extraneous matters.” One of the most powerful things we can do as a human being in our hyperconnected, 24/7 media world is say: “I don’t know.” Or more provocatively, “I don’t care.” Not about everything, of course – just most things. Because most things don’t matter, and most news stories aren’t worth tracking. (Emphasis added)
2017年7月16日日曜日
自分を向上させたいのであれば(ハワード・マークス)
オークツリーのハワード・マークスが1月に書いたレターから引用が続きます(前回分はこちら)。常識感覚に富んでいて、良い文章です。(日本語は拙訳)
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