人生ではひどい目に遭ったり不公平な仕打ちを受けることがよくありますから、それらに立ち向かう必要もあります。しかし、そこから立ち直れる人もいれば、立ち直れない人もいます。そのような状況で人が適切に対応するには、エピクテトス[古代ギリシアの哲学者]のみせた生きる姿勢が道を示してくれると思います。「人生におけるあらゆる不運とは残念ながら不愉快であるが、よりよく生きるきっかけとなってくれる」と彼は考えたのです。どんな不運であろうと有意義なことを学べる機会をもたらす、と深く信じていたのですね。人が果たすべきは自己憐憫に浸ることではなく、降りかかった災いを前向きなやりかたで利用することだ、と。彼の考えは非常に健全だったので、古代ローマ帝国でもっとも優れた皇帝だったマルクス・アウレリウスやその他大勢の人たちに何世紀にもわたって影響を及ぼしました。みなさんも、エピクテトスが自身の墓碑銘に残した言葉を覚えておられるかもしれません。「奴隷であり、身は損なわれ、貧しきこと極まるも、神々に愛されたエピクテトス、ここに眠る」という言葉です。そうです、彼は「神々の寵愛を受けた者」として記憶されているのですね。彼が寵愛されたのは賢くて雄々しい人間となったからであり、当時だけでなくその後何世紀も人々を導いたからでした。[同じ話題にふれた過去記事]
Another thing to cope with is that life is very likely to provide terrible blows, unfair blows. Some people recover, and others don't. And there I think the attitude of Epictetus helps guide one to the right reaction. He thought that every mischance in life, however bad, created an opportunity to behave well. He believed every mischance provided an opportunity to learn something useful. And one's duty was not to become immersed in self-pity, but to utilize each terrible blow in a constructive fashion. His ideas were very sound, influencing the best of the Roman emperors, Marcus Aurelius, and many others over many centuries. And you may remember the epitaph that Epictetus made for himself: "Here lies Epictetus, a slave, maimed in body, the ultimate in poverty, and favored by the Gods." Well, that's the way Epictetus is now remembered. “Favored by the Gods.” He was favored because he became wise, became manly, and instructed others, both in his own time and over following centuries.
2015年12月6日日曜日
エピクテトスの教え(チャーリー・マンガー)
チャーリー・マンガーが2007年に南カリフォルニア大学グールド・ロースクールの卒業式で述べた祝辞の17回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)
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