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2020年6月8日月曜日

長期投資を心がける際の売却方針について(2)なぜ長期投資なのか

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このシリーズの前回分の投稿で、トシユキさんのご質問にはひとまずご回答したつもりです。しかし彼がそもそも知りたかったことは、長期投資銘柄の売却についてだととらえています。もっと言えば、「長期に保有してきた銘柄を、どこかの値段で売却する必要があるのか。そうだとすれば、いつが売り時なのか」と問われていたように感じました。

その問いに対しては、トシユキさんのコメントから始まるやりとりでご紹介したフィル・フィッシャーからの引用が端的に答えています。「ときが経つほど大きな価値を生み出してくれる株は決して売らない」。さらに言えば、その条件を満たさない銘柄は売っても差し支えないことを意味していると受けとめています。

その答えを踏まえて元の問いを書き直せば、「離れるほどに漠然とする将来を、どのように値踏みすればよいのか」といった問いになると解釈しました。

この問いに対する包括的な答えを持っている人は、少なくともわたしは知りません。当然ながら、わたし自身も答えられません。それゆえに、これにて幕を引くべきなのでしょう。そうだとしても最低限のことは、たとえば先人の知恵をまとめたり、自分の経験を書くことはできるので、もう少し進んでみたいと思います。

<なぜ長期投資の方針を選ぶのか>
長期投資という方針を選ぶ理由は、その人が「他の方針と同じか、それ以上の成果が期待できる」と少なからず信じているからだと想像します。「ウォーレン・バフェットのような成功した投資家がそうしてきたから」「S&P500インデックス・ファンドに投資すれば、アメリカの成長を享受できるから」などのきっかけがあったかもしれません。たしかにそれらは過去に素晴らしい成績をあげています。しかしそこで一つ言えるのは、前者のやりかたでは個別株を選別する眼力が必要ですし、後者では「アメリカ大企業」というセクターに賭けている点です。つまり「何に投資するのか」を決めることは投資家自身に任されています。そしてその選択が長期的な当たりであるゆえに、長期的な成功をおさめられる..、さきほどのフィッシャーの引用に戻った形になりましたが、つまりこういうことでしょうか。「私には、長期的な当たり銘柄を探し当てることができる」、だから「私は長期投資をえらぶ」。

<長期投資に適した銘柄を選ぶ方法の一例>
その場合、どのようにして「長期的な当たり銘柄」を選ぶのでしょうか。見通しのきかない将来をみわけるにはどうすればよいのでしょうか。単純な戦略が一つ思い浮かびます。「好調な業績が継続中の銘柄をえらぶ」方法です。そして事業環境や競争力が、今後も継続あるいは拡大強化されること。そのような見通しを容易に立てられる銘柄があれば、候補に挙げることができるでしょう。ただし、その場合に問題となるのが「株価」です。見目麗しき銘柄には人気があつまり、将来の大きな成功を織り込んだ株価が付けられがちです。行き過ぎた株価になった銘柄をえらんで、そこから長期投資をはじめるのは難しい仕事だと思います。「買値にふさわしいほどに、将来予測の信頼性が高いこと」が要求されるからです。つまり、この戦略をとって長期投資を進める場合には、「買値及びそれに伴う投資規模」が重要な要因となってきます[参考記事]。 

今回のまとめです。

・長期投資をする際には、「長期的な当たり銘柄」を選ぶこと。(これは前提条件) 
・その買値や投資規模に見合った水準で、将来が予測できること。 (これは難しい)

結局のところ、上の文章は反語的な意味で記しましたが、救いの意味も含めてチャーリー・マンガーがウォーレン・バフェットに授けた教えを再掲します。

長続きする競争優位性を見極める
「すばらしい企業にそこそこの値段がついているほうが、そこそこの企業にすばらしい値段がついているよりも良い」

(つづく)

2020年6月7日日曜日

幸福な結末(GMOベン・インカー)

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本サイトでは何度か、資産運用会社GMOの創業者(の一人)ジェレミー・グランサムの文章を取り上げてきました。最近の彼は気候変動などの大きな課題に注力し、第一線的な職務からは離れていたようです。その彼が直近四半期の顧客向けレターで筆をとっていたので目を通しましたが、後任的存在のベン・インカー氏が書くところと主旨は変わらないため、今回はそのベン・インカー氏による文章をご紹介します。この波乱の時期にあって、いかにもバリュー志向のファンドらしい内容です。(日本語は拙訳)

1Q 2020 GMO QUARTERLY LETTER (GMO)

要約

3月につけた安値の時点では、今後予想される厳しい景気後退によって生じる平均的な悪影響を各種資産の適正価値へ反映したとしても、ほとんどのリスク性資産に対する市場評価は、適正あるいは割安だと思われた。そのため我々が運営している「多種資産ポートフォリオ」では、その安値近辺の数週間のあいだに株式および債券の保有割合を増加させた。経済における不確実性が非常に高い水準にあること、さらにそれら不確実性のほぼすべてが下落を招くものだという事実を考慮すれば、市場は今後も変動しつづけ、厳しい前進の時期が度重なるものと、我々は予想した。ところがその後の6週間を超える期間において、リスク性資産の価格は大幅に上昇した。特に株式は顕著で、2か月に満たない間に4-6年間分の「標準的な」リターンを実現した。その一方で、グローバル経済面での下落リスクは、我々が評価するところでは目を引くほどには減少していなかった。そこで我々は高値の機会に乗じて、「多種資産ポートフォリオ」における株式の実質配分比率を大幅に縮小させた。そして、その資金の一部をロング・ショート戦術に投入した。具体的には、相対的に割安な株式を継続保有する傍らで、市場全体の価格変動に対する感応度を低下させた。これらの施策を講じたのは、今後の市場の方向性に確信を持ったからではない。「最良のシナリオに近い状況が将来到来することを市場が想定し、現在の価格を形成している」と判断したためである。そのようなシナリオが実現する可能性は、たしかに存在する。Covid-19に対する有効なワクチンが広範に流通するか、あるいは顕著な効果を発揮する治療法が速やかに開発されるのであれば、なおさらそうだと言える。しかしそういった幸福な結末に至らない場合、ほとんどの株式市場において大幅に下落する可能性が高いと、我々は考えている。そのような魅力に欠けたリスク対リターンを比較対照した結果、我々が顧客諸氏のためにできることは、市場が提供してくれている稀有な株式選別の機会をとらえる一方で、今後何か月間において市場が実際に向かう方向に関するリスクを低減させることだと判断した。それがために、「ベンチマーク無比較資産配分戦略」における実質株式配分比率を、55%近辺から約25%へ低下させた。

Executive Summary

At the March lows, most risk assets appeared to be fair value or cheap, even assuming a moderate hit to fair value from a severe recession. In our multi-asset portfolios, we added to our holdings of equities and credit over the few weeks around the lows. Our expectation was that markets would continue to be volatile and would have a hard time making too much headway given very high levels of economic uncertainty and the fact that most of that uncertainty was to the downside. Instead, over the following six weeks we saw a massive rally in risk assets, particularly equities. We got four to six years of “normal” equity returns in the space of less than two months. Meanwhile, our estimate of the downside risks to the global economy have not notably lessened. As a result, we have taken advantage of the higher prices to significantly reduce the effective equity weight in our multi-asset portfolios, turning some of it into long/short trades where we maintain exposure to relatively cheap stocks but reduce the portfolio’s sensitivity to overall market direction. We are not doing this out of a sense of certainty as to the market’s direction from here, but due to a belief that at current prices, markets seem to be pricing in something close to the best-case scenario. Such a scenario is certainly possible, particularly if an effective and widely available vaccine or strikingly effective treatment for Covid-19 were to be developed quickly. But if we do not get that happy outcome, we believe substantial losses would be likely across most equity markets. In the face of that unattractive risk/reward trade-off, we believe we can do better for our clients by taking more risk on the extraordinary relative stock selection opportunities the market is offering and less on the direction the stock market actually takes over the coming months. To that end, we have reduced our net equity exposure in our Benchmark-Free Allocation Strategy from around 55% to about 25%.

備考です。同氏へインタビューした少し前の記事が、Barron'sのサイトに掲載されています。日本語サイトの翻訳記事は有料のようですが、本家のサイト記事は無料公開されているようです。

Stocks Are Too Risky. What GMO’s Inker Says to Buy Instead. (Barron's)

2020年6月6日土曜日

2020年バークシャー株主総会(19)市場に臨む際の注意

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バークシャー・ハサウェイの株主総会より、 今回は株式などの市場に関する話題です。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)  

それではここからは、もっと幅広い話題に進みたいと思います。「わたしにはわからないこと」についてです。これは偏った見方なのかもしれませんが、明日の市場がどうなるのかは、誰にもわからないはずです。さらには来週どうなるか、来月どうなるか、来年どうなるのかも、わからないはずです。長い目で見ればアメリカは前進するでしょうが、確信はできません。そのことは2001年9月10日に学びましたし、ウィルスという点では数か月前に学んだばかりです。市場という点ではあらゆることが起こり得ます。アメリカに賭けること自体はかまわないのですが、どのように賭けるかは注意が必要です。理由は単純で、市場ではなにが起こるかわからないからです。


1987年10月の、たしか11日の月曜日だったと覚えていますが[原文ママ]、市場はその日のうちに22%下落しました。1914年には、株式市場が4か月間閉鎖されました。911の事件後の市場は4日間閉鎖されました。再開させるために奮闘したものですが、つまり「明日なにが起こるかは、だれにもわからない」わけです。ですから、アメリカに賭けろと言われたとしたら、わたしからもお話ししておきましょう。11歳のときに初めて株を買ってからまさしく経験してきましたが、わたしはアメリカに吹く極めて強い追い風に乗ることができました。そうだとしても、行く手へと向かう風が毎日必ず吹いていたわけではありません。ですから、明日どうなるかはわからないのです。

(Warren Buffett 01:00:59)

Now, let's move on now to a much broader subject, what I don't know. I don't know, and perhaps with a bias, I don't believe anybody knows what the market is going to do tomorrow, next week, next month, next year. I know America is going to move forward over time, but I don't know for sure, and we learned this on September 10th, 2001, and we learned it a few months ago in terms of the virus. Anything can happen in terms of markets, and you can bet on America, but you got to have to be careful about how you bet, simply because markets can do anything.

(Warren Buffett 01:02:15)

On October, whatever it was in 1987, October 11th I believe, a Monday, markets went down 22% in one day. In 1914, they closed the stock market for about four months, after 9/11 closed the market for four days, we hustled to get it going again, but nobody knows what's going to happen tomorrow. So when they tell you to bet on America, and I tell you that that's what's really gotten me through ever since I bought my first stock when I was 11, I mean I caught a huge, huge, huge tailwind in America, but it wasn't going to blow in my direction every single day, and you don't know what's going to happen tomorrow.

2020年6月5日金曜日

2020年バークシャー株主総会(18)もう一度言います

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バークシャー・ハサウェイの株主総会より、 「米国史まとめ編」はここまでになります。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

<ウォーレン・バフェット> コロニアル・ウィリアムズバーグ[バージニア州にある野外博物館の街]を訪れてみるとわかりますが、わたしも数回行ったことがあり、1976年には実際にそこでジミー・カーターとジェラルド・フォード[どちらも元大統領]の論戦を観ました。しかし、[建国]当時は黒人にとって好ましい時代ではなかったですし、女性にとっても良い時代ではありませんでした。そうだとしても、1776年の宣言で「すべての人間が生まれながらにして平等なことは自明である」と信じた米国民がその実現をめざすという観点に立てば、その範疇に含まれる人たちの待遇が大幅に改善される可能性は、明らかに存在していました。その後、この国は発展を遂げ、良き社会を築いてきました。また、ときが経つとともにますます良くなることでしょう。次のスライドに進みますと、このスライドで順番が正しいか確認しますが、この場で振り返ってきたように、さまざまな事実の良し悪しをみてきたことで、はっきりわかるかと思います。1776年に謳われた大志を、実際のところ1776年の文書は現実を映したものではなく、大きな志を湛えた(たたえた)ものでしたが、この国の人々はその志を実現しようと力を尽くしてきました。道のりはまだ続きますが、かさねて申し上げておきます。次のスライドにあるとおり、決してアメリカの失敗に賭けてはいけません。


(Warren Buffett 59:02)

When you go to Colonial Williamsburg, I've been there a couple of times, as a matter of fact, I watched the debate between Jimmy Carter and Gerald Ford there in the 1976, and it was not a great time to be black, it was not a great time to be a woman, and both of those categories still certainly got potential for significant improvement in terms of fulfilling that pledge made in 1776 about how we believe that it's self-evident that all men were created equal, but we have made progress, we are a better society, and we will, as the years go by. If you'll move to the next slide, and I believe that, and I think, let's see if I can get these slides in the proper order here. I believe that when you get through evaluating all of the qualitative facts, what we have done toward meeting the aspirations of what we wrote in 1776, what we wrote in 1776 wasn't a fact, but it was an aspirational document, and we have worked toward those aspirations, and we have a long way to go, but I'll repeat, if you move to the next slide, that never, never bet against America.

蛇足になります。上にあげたウォーレンの発言は1か月前になされたものですが、それがちょうど現在のアメリカの情勢を反映しているように見えます。しかしそれは単なる偶然ではなく、ウォーレンや彼の仲間にとって、重要で根深い社会問題として日ごろから考えずにはいられなかったからこそ、言葉になったのだろうと想像します。

2020年6月4日木曜日

為政者に求められる能力(ハワード・マークス)

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前回のつづきで、ハワード・マークスが書いた最新メモのなかで、ウォール・ストリート・ジャーナル紙から引用してきた部分をご紹介します。政治と専門家に関する話題です。

世界的な注目がますます集まっている場所を論じて、チャーリー・マンガー的世界へとつなげている部分を切り取るあたりは、ハワードらしさがよく表れています。(日本語は拙訳)

すくなくとも大統領に類するような職務に就いて統轄していくには、不完全な情報を基にして、競合する候補の中からむずかしい選択をすることが要求される。容易な問題であれば、執務室へあげられる前に解決済である。選出された高官たちが直面するのは、科学的データと世論のどちらによっても適切な解を出せない問題なのだ。そのどちらも重要なため、政治のリーダーはそれらを統合した判断を下さなければならない。しかしながら、それらは「決定的な判断をくだす」という行為自体の代わりを果たせるものではない。

大統領に要求される仕事には、他者の見解に異をとなえる専門家らの意見を聴いたあとに、それらのなかから選び出して、好機と危険の混じる道筋を描くことも含まれる。そして自らのくだした判断に非があれば認め、けりを付ける必要もあろう。これは危機に直面した時にかぎらず、頻繁に行われる。そのような仕事をうまく遂行できる手腕には、本人が身につけたある種の実際的な知恵がかかわってくる。すなわち、「専門家の見解を判断するという意味で、優れた専門家であること」が問われるのだ。 (「専門家では不十分」5月16,17日付)

To govern, at least at the level of the presidency, is to make hard choices among competing options with incomplete information. Easier problems are resolved before they ever reach the Oval Office. Neither scientific data nor public sentiments can properly answer the questions that face elected officials. Both are important and must be integrated into the judgments that political leaders make. But neither can substitute for that crucial act of judgment. . . .

The president’s job, and not only in times of crisis, frequently involves listening to experts disagree with one another and taking responsibility for choosing among them, plotting a course through opportunities and dangers. The capacity to do this well involves its own sort of practical wisdom, an expertise in judging expertise. . . . (“Experts Aren’t Enough,” May 16-17, emphasis added)

言うまでもないですが、この文章は大統領へ向けたものではなく、読み手自身が教訓を引き出すためのものだと受けとめています。

なおチャーリー・マンガーが説く世知、すなわち実践的な知恵の重要性については、おもに彼の講演集『Poor Charlie's Almanack』を訳出する形で、過去記事で取り上げてあります。以下のリンク先に目次ページがあります。

(目次)マンガーの主要記事