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2020年5月31日日曜日

長期投資を心がける際の売却方針について(1)

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今年の1月5日にいただいたコメントで、「トシユキ」さんから次のような問い合わせがありました。

トシユキ 2020年1月5日 15:56 のコメント

最近、私は長期投資の売りのルールについて考えています。バフェットさんに関した本には、よく買いのルールについては詳細に書いてあるのですが、売りには殆ど言及されていない気がします。

バフェットさん自身、素晴らしい銘柄を永久に保有するという話はよく聞くのですが、個人的には永久と言われても少しピンときていません。

そこで、質問なのですが、betseldomさん自身は、銘柄を売買する際には、どういった売りのルールを設けているのでしょうか?損切りなどは取り入れているのでしょう?

まずは、トシユキさんからのお問い合わせに対して返信が遅くなったことをお詫びいたします。もたもたしているうちに世間の事態が急変し、投稿する機会を逃してしまいました。ここにきて、この話題にふさわしくない状況が少なくとも一時的には後退したと思われるため、今のうちにお答えします。

さて、ご質問に対して端的にお答えした後に、長期的な投資を意識しながらも売却に踏み切ったときを省みることで、なんらかの教訓が得られればと思います。

<用語の定義>
話題に進む前に、本ブログで使っている「長期」などの株式投資期間を指す言葉の定義を記しておきます。

・短期: 0-1年
・中期: 1-3年
・長期: 3-10年
・超長期: 10-30年だが、便宜的に「長期」に含める。

ここでは、企業が立案する事業計画上の表現や債券における区分を参考にし、さらには「3」の累乗でほぼ表現できる数を当てはめています。3年間を指して長期投資と呼ぶには短いように感じられるのはその通りで、むしろ7-10年超を長期投資と呼ぶほうがしっくりきます。しかし機械的な定義のほうが客観的で説得力があるため、個人的には上記の基準をとっています。

<売りのルールについて>
売りのルールとして漠然としたものはありますが、厳密な基準はできていません。自分が想定している企業価値の平均値を100としたときに、その周辺で売却する銘柄もありますし、150以上になった時点で売却するものもあります。そもそも企業価値を想定する上で成長性はある程度盛り込んでいますが、購入価格の水準によって譲渡益課税額の割合が異なったり、個人的な理由が他にあるため、銘柄による売却基準が異なっています。

さらに、できるだけ売却したくない銘柄の株価が短期的に高すぎると感じた場合には、信用売りをしてヘッジすることがあります(ただし、気休めにしかなりませんでした)。

<損切りについて>
損切りは実行します。そもそも新規に買う銘柄数が少ない上に上昇相場が続いたので、近年は損切りする局面がそれほどありませんでした。しかし過去記事で取り上げた銘柄に、いくつか例があります。たとえば、クックパッド(2193)やツムラ(4540)です。

クックパッドの場合、事業の方向性が個人的には見通せなくなったことで、株価暴落後ながらも全売却し、投資額に対して大きな比率の損失におわりました。またツムラの場合は、敬愛する企業ではあるものの、事業環境を踏まえると買値に不満が残ったため、購入後それほど間を置かずに、いったん売却することにしました。

2018年の投資をふりかえって(2)全売却銘柄:クックパッド(2193)
2014年の投資をふりかえって(8)その他:日精ASB,任天堂,しまむら,ツムラ

今になって振り返ってみると、ウォーレン・バフェットが触れてきたような投資の基本方針からはずれていると個人的に強く感じた際に、損切りに踏み切っていたように思えます。

投資家が見極めるべき5項目(ウォーレン・バフェット1993年)

超一級の企業ではなくても十分に割安だと思える銘柄は、多くの場合、含み損があっても損切りせずに継続保有します。一方、投資利益はあがりながらも見誤ったと感じられる銘柄は、適宜売却しています。

(つづく)

2020年5月30日土曜日

2020年バークシャー株主総会(15)わが上司ベン・グレアムの答弁

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バークシャー・ハサウェイの株主総会より、前回の投稿から始まった上院銀行委員会の話題がつづきます。(日本語は拙訳)

<ウォーレン・バフェット> 上司だったベン・グレアムは、知りたい情報がいくつかあったので、ニューヨークの図書館へわたしを調べにやらせました。今となれば、彼自身がコンピューターを使って5分で入手できる程度の情報です。わたしがその情報をひっぱり出してくると、参考人だった彼は答弁に向かいました。この報告書の全部に目を通す必要はなかったのですが、今日お話しするくだりが545ページ目のどこに載っているか、覚えています。ベン・グレアムは、かつてわたしが出会った人の中で、もっとも頭の良かった三本指に入る人物です。彼は証券業界の中で大御所とみなされていました。1934年には、古典として知られている『証券分析』を書き著しました。そして1949年には、わたしの人生を変えた一冊『賢明なる投資家』を執筆しました。彼は驚異的な才人でした。

ダウ平均が404ドルの日に、彼は委員会で答弁しました。そのとき準備しておいた書面の冒頭すぐそばには、次のような一続きの文が書かれています。「株式市場は高値を付けている。たしかに割高に見え、実際に高い。しかし、見かけほどは高くない」。そして彼は「実際に高い」と発言したのです。次のスライドに進みますと、その後の米国は強力な追い風を受けて、ダウ平均の値段は昨日の金曜日には下がったものの、スライドを作成した日には24,000ドルに達していました。[ウォーレンがコロンビアを卒業した]当時の1ドルが、今日の100ドルをもたらしたことになります。つまり、その当時にとるべき行動とは、いちずにアメリカを信じ、アメリカを代表する諸企業を信じることでした。ウォール・ストリート・ジャーナル紙を読まなくてもよし、株価を確かめなくてもよし、多額の手数料をだれかに払う必要もありませんでした。「アメリカは確実に奇跡を果たす」と、信じるだけでよかったのです。


(Warren Buffett 50:17)

But Ben Graham, my boss, sent me over to the public library in New York to gather some information for him, something he could do in five minutes with a computer now, and I dug out something, and he went to testify, and on page 545 of this book, I knew where to look, I didn't have to go through it all, but the quote which I remember, and I remember because Ben Graham was one of the three smartest people I've met in my life, and he was the dean of people in securities business, he wrote the classic Security Analysis book in 1934, he wrote the book that changed my life, Intelligent Investor in 1949, he was unbelievably smart.

(Warren Buffett 51:09)

And when he testified, with the Dow at 404, he had one line in there right toward the start in his written testimony, and he said, "The stock market is high, looks high, it is high, but it's not as high as it looks." But he said, "It is high." And since that time, if we'll turn to the next slide, of course, we felt the American tailwind at full force, and the Dow, well let's see, when the Dow was ... it went down on Friday, but when we made the slide it was about 24,000 so you're looking at a market today that has produced $100 for every dollar, all you did was you had to believe in American just by a cross-section of America, you didn't have to read the Wall Street Journal, you didn't have to look up the price of your stock, you didn't have to pay a lot of money in fees to anybody, you just had to believe that the American miracle was intact.

2020年5月29日金曜日

ヴォルテールは、かく語れり(ハワード・マークス)

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ハワード・マークスが書いた今回のメモから、最後の引用になります。まとめ編です。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

この件について考えるほどに、結論はいっそう明確になります。

・この世は不確かな場所である。

・現代を生きる人々にとって、今ほど不確かな時期はない。

・どのような未来のほうが良いのか、ほとんどの人にはわからない。

・しかしながら、投資が扱うのは未来のことだけであり、つまるところ投資家は未来について決断せざるを得ない。

・投資において自信を持つことは不可欠だが、過剰になれば身を亡ぼしかねない。

・大きな話題をとりあげるほど(世界・経済・市場・通貨・金利)、卓越した知識を備えられる可能性は小さくなる。

・小さな話題(企業・産業・証券)においても、大きな話題に関する仮定を踏まえた上で状況を判断せざるを得ない。そのため、こちらも不確かである。

・不確かな状況で理知的に行動できる能力は、もっとも重要なスキルのひとつである。

・そのように行動したければ、みずからの予測力の限界や、提示された予測が他のものと比較してどれだけ信頼できるかを、理解すべきである。

・それができない人は、おそらく無鉄砲な行動をとっているのだ。

[経済評論家の]ニール・アーウィンは、先に引用した文章の4ページ目で次のように書いています。

「これほど不確かな状況で、今後5年間あるいは5か月間だとしても、世界経済がどのような趨勢をたどるのか自信満々に予測するのは、なんともおろかなことである」

あるいはすでにヴォルテール[フランスの啓蒙家]が、250年前に正鵠を射ています。「疑念の心は平安ならず。されど、自信は愚劣の極みなり」と。

The more I think about it, the bottom line is clear:

- The world is an uncertain place.

- It’s more uncertain today than at any other time in our lifetimes.

- Few people know what the future holds much better than others.

- And yet investing deals entirely with the future, meaning investors can’t avoid making decisions about it.

- Confidence is indispensable in investing, but too much of it can be lethal.

- The bigger the topic (world, economy, markets, currencies and rates) the less possible it is to achieve superior knowledge.

- Even our decisions about smaller things (companies, industries and securities) have to be conditioned on assumptions regarding the bigger things, so they, too, are uncertain.

- The ability to deal intelligently with uncertainty is one of the most important skills.

- In doing so, we should understand the limitations on our foresight and whether a given forecast is more or less dependable than most.

- Anyone who fails to do so is probably riding for a fall.

As Neil Irwin wrote in the article cited on page 4:

It would be foolish, amid such uncertainty, to make overly confident predictions about how the world economic order will look in five years, or even five months.

Or maybe Voltaire said it best 250 years ago: Doubt is not a pleasant condition, but certainty is absurd.

2020年5月28日木曜日

2020年バークシャー株主総会(14)アメリカ合衆国上院銀行委員会

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バークシャー・ハサウェイの株主総会より、世界恐慌前に付けた株価のピークをまさに超えようとしていた、1950年代なかばの話です。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

<ウォーレン・バフェット> そのような反応は、いささか信じがたく思えるかもしれません。1954年には、以前とは異なる国に変わっていたからです。しかし、だれもがその疑念を抱いていました。実際のところ、「崖の上から、またしても飛び降りるのか」と不安がられるほどでした。なぜなら、1929年に付けた381ドルを超えていたからです。そこで、アーカンソー州選出のビル・フルブライト上院議員は、のちに外交委員会の件でとても有名になる人物ですが、上院銀行委員会の委員長だった彼は特別調査を開始しました。彼は「株式市場調査」と称していたと思いますが、その報告書を読んでみれば、彼が「次なる砂上の楼閣を築いてきたのか否か」という疑念を本当に抱いていたことが読みとれます。ところで、この委員会には興味をひく点があります。委員の一人はプレスコット・ブッシュ、かのジョージ・H・W・ブッシュの父であり、ジョージ・W・ブッシュの祖父に当たる人でした。そのほかにも著名な名前が散見されます。

彼の委員会は1955年3月のダウ平均が405を付けた日に、米国きっての英邁(えいまい)なる20名の参考人を招致しました。そして、わが国が狂った領域へと再び突入しようとしているか否かについて、意見を聴きました。市場を代表する指標のダウ平均が400ドルに達したものの、かつてそれが大変な問題となったからです。それがこの国における受け止めかたでした。それほどまでの重大事でした。

実際のところ当時の人たちは、現実の歴史が示したようにはならないと考えていました。今日持参したこの1,000ページの本を読めばわかります。この本は昨夜自宅の書架から見つけだしたもので、わたしにはおなじみの一冊です。さて、フルブライト議員の面前で発言をすることになった20名のなかには、わたしがニューヨークで働いていた時の上司が含まれていました。上司の前に発言した参考人は、シアーズ・ローバックを率いていたジェネラル・ウッドでした。そして上司の後の参考人は、連銀を率いていたビル・マーチンでした。彼らの示した見解はきわめて重要なものでした。ビル・マーチンは言うまでもなく、連銀創設以来、議長の座にもっとも長く就いていた人物です。連銀が果たすべき仕事について彼が語った言葉に、有名なものがあります。「パーティーがいよいよ活気づいてきた頃に、パンチ・ボウル[いわば酒瓶]を下げることである」。

(Warren Buffett 47:33)

And that seems a little farfetched because it was a different country in 1954, but that was the common question, and it actually achieved such a level of worry about whether we were about to jump off another cliff just because the 381 of 1929 had been exceeded, that they held, Senator Fulbright, Bill Fulbright of Arkansas, who became very famous later in terms of the foreign relations committee, but he headed the Senate Banking Committee, and he called a special per special investigation, and he calls it the, what did he call it? The stock market study, but it really, if you read through it, he really was questioning whether we had built another house of cards again, and on this committee, it's interesting to see the Senate Finance Committee, one of the members was Prescott Bush, the father of George H. W. Bush, and grandfather of George W. Bush, and it had some illustrious names.

(Warren Buffett 48:54)

His committee, in March of 1955, with a Dow of 405, assembled 20 of the best minds in the United States to testify as to whether we were going crazy again, because the market was at 400, the Dow was at 400, and we had gotten in this incredible trouble before, but that was the mindset of the country, it's incredible.

(Warren Buffett 49:24)

We didn't really believe America was what it was, and my was, the reason I'm familiar with this 1000-page book that I have here, I found it last night in the library, was that I was working in New York for one of the 20 people that was called down to testify before Senator Fulbright, and he testified right before Bill Martin, who was running the Federal Reserve, testified, and right after General Wood who was running shares testified, theirs was very, very important then, and Bill Martin of course was the fellow that longest running chairman in the history of the Fed, and he's the one that gave the famous quote about the function of the Fed was to take away the punch balls just when the party started to get really warmed up.

なお、ウォーレンが紹介していた報告書『証券市場調査』のコピーは、Google PlayのBooksで閲覧できます(ただし、ページの端がうまく複写できていない箇所もあります)。

Stock Market Study, Hearings Before the Committee on Banking and Currency, United States Senate, Eighty-fourth Congress, First Session, on Factors Affecting the Buying and Selling of Equity Securities

2020年5月27日水曜日

2020年バークシャー株主総会(13)1929年の亡霊

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バークシャー・ハサウェイの株主総会より、第二次世界大戦後の1950年代、景気が回復する時期の話です。前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

<ウォーレン・バフェット> 1920年や1930年や1929年から1951年までの期間、あるいはわたしが産まれた年からの20年間というのは、この国が始まってから140年ほどしか経っていなかった時期でした。どうぞ、その点をお忘れなきよう。そして、建国以来つづいた目覚ましい231年間[原文ママ]のうちの「20年間」でした。人々はその間、「国富つまりアメリカ企業を全体としてみると、いつまで経っても経済が停滞したままの期間だ」と感じていました。しかし全体としてみれば、実際ははるかにずっと発展していたのです。そうだとしても、20年前にわたしが産まれた時の水準まで株価が戻るには、それだけの時間がかかりました。

ですから、現在わたしたちが数か月にわたって耐え忍んでいる事実を考えると、あるいはさらに幾月かを忍ぶことになるでしょうが、これからどのような事態になるのかわかりませんが、それは1930年代の人たちも同じでした。大恐慌がどうなるのかわからなかったものの、彼らは耐え忍び、辛抱を重ね、そして乗り越えた先に、米国の奇跡が再開されました。実は次のスライドは用意していませんが、それというのも昨夜すべてのスライドを準備し終えてから考えたもので、興味深いことを思い出したのでお話しします。1954年の初めには、市場つまりダウ平均はわずかに280ドルでした。1954年はわたしが株式市場で最高の成績をあげた年なので(笑)、覚えていたのです。

年の初めには、ダウ平均は280かそのあたりでした。それが年末には400を少し上回るところまで来ました。実は、400に近づこうとして381すなわち1929年の例の数字を超えるや否や、信じがたい方がおられるかもしれませんが、400に近づこうとしたときには誰もが思案したものです。「今回も1929年の繰り返しになるのだろうか」と。

(Warren Buffett 44:42)

So take the years from 1920, 1930, or 1929 really into the 1951, or take the year from my birth, 20 years, and bear in mind that the country was only 140 years old when they started, that's 20 years out of this amazing 231-year lifetime of our country, that was flat out a time of for a long time with no economic growth, and no feeling by people in terms about the wealth of the country, about what American economy was worth, about all these corporations that were doing far, far, far better than they were, all in all, but it took all of that time to restore in the market a price level that was equal to what it was when I was born 20 years earlier.

(Warren Buffett 45:51)

So, if you think about the fact that we're enduring a few months, and we'll endure some many more months, and we don't know how it comes out, and people in the '30s didn't know how it was going to come out, but they endured, persevered, prospered, and the American miracle continued. But it's interesting in that I actually don't have a slide for the next one, because last night I was thinking after all the slides had been prepared, I was actually thinking about this a little bit, and I remembered that at the start of 1954 the stock market was ... the Dow was only at about 280, and I remember 1954 because it was the best year I ever had in the stock market.

(Warren Buffett 46:53)

And the Dow went from essentially what? 280 or thereabout at the start of the year, to a little over 400 at the end of the year, and when it went to 400, as soon as it went across 381, that famous figure from 1929, when it went to 400, and this will be hard for some of you to believe, but everybody wondered, " Is this 1929 all over again?"