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2019年1月12日土曜日

2018年の投資をふりかえって(2)全売却銘柄:クックパッド(2193)

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(本シリーズの前回分記事はこちらです)

<企業の概要>
よく知られているように、当社は家庭料理のレシピを検索・投稿できるサービスを提供しています。主な収益源は2つで、有料会員向けのプレミアム・サービスと、Webやサイネージ等の広告です。サービス提供は国内にとどまらず、国外向けにも展開・拡充しています。ただし買収によって各国のレシピ情報等を自社資産としてきたことで資本投資がかさんだ一方、国外における有料会員や広告の事業はほとんど立ち上げておらず、諸外国からの収益貢献が大きな課題となっています。

<株価動向と売買の概要>

(赤矢印は株式購入、青矢印は売却)

当社への投資を検討し始めたのは2年ほど前からで、投資に踏み切ったのは1年と少しほど前からでした(2017年12月中旬の株価は600円強)。しかし結局のところ、保有期間が1年にも達しないうちに資金を引き揚げることにしました。業績が逐次悪化するとともに株価がかなり下落した時点で失敗を認め、全売却して損失を確定させました(最低売却価格は8月中旬の425円と、当初からの下落率は約30%)。

この投資が失敗につながった原因は少なくとも2つあります。第一に、株式投資の基本方針として株価下落を買い増しの機会としているものの、当社については継続投資する自信が持てなくなった点、つまり自分にとってはそもそも投資すべき対象ではなかったことです。第二に、購入株数を投機的な気持ちで拙速に増やしたこと。これによって傷口を広げました。

現在の株価300円強は、当社の財務面から測ると相当なまでに割安です。これは、滞留させた現金を経営陣がどのように使うのか、その姿勢に対して市場が疑念を抱いている結果だと想像します。そういった状況にある企業の株式は、いつかは再評価されることがあるものです。しかし、だからといって当社のような「一杯に詰まった貯金箱」タイプの投資候補には安易に近寄るべきではない、その哲学を厳守すべきだと改めて感じました(同じような失敗を、以前にも何度か繰り返しています)。

<当社へ投資した理由>
主な理由として次の2点がありました。

・資本効率の高さ
情報を扱う企業であり、また利用者が作成したコンテンツを自社の資源として利用できることから、少なくとも現行事業の利益率は高く、魅力に感じました。さらには、自社に蓄積された利用者の行動データを活用して新規事業につなげる余地が残されている点や、利用者のコミュニティーが形成されている点にも惹かれました。これらは無形資産として働き得ると捉えたからです。

・市場評価額の割安さ
これは現在も変わらず、1株当たり200円超の純現金資産を有しています。

<当社への投資をやめた理由>
一方で、投資を考え直した理由は次のとおりです。

・社員数増加に見合った収益機会の増加が、見通せないこと
当社の業績を監視している間に、従業員数が漸次増加しました。この理由として2方向の要因が考えられます。ひとつはお家騒動で抜けた欠員補充であり、もうひとつは新規事業展開のための要員追加です。しかしいずれであろうと、投資の是非を判断した時点での収益性は定常的ではなかったと言えます。売上高が横ばいあるいは低下する局面において要員コスト増が利益を圧迫する事例はよく見受けられますが、わかったつもりでいながら過小評価していました。この踊り場がいつまで継続するのか、個人的にはうまく判断できません。

・社員(特に技術系)の言葉から利益追求の意識があまり感じられないこと
あくまでも主観的な印象なので、説明は控えます。しかし業績が盤石であればともかく、そうでなければ金儲けやコストに対する意識を企業ぐるみで高めてほしいとは、一般論として感じています。

<教訓>
・企業価値を見積もる際に、「将来提供され得る新規事業」については、利益貢献を見込む以上に費用増加を意識すること。

・余剰資金が多くても有効的に使えていない企業の価値を評価する際には、その稚拙さを割り引いて考えること。

2019年1月8日火曜日

<新訳>誤判断の心理学(0)はじめに(1)

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チャーリー・マンガーによる「誤判断の心理学<新訳>」、今回から本文に入りますが、しばらくは前書きがつづきます。なお、前回分の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

誤判断の心理学

ものごとを考える際に犯しがちな典型的な過ちについて、私はずっと以前からひどく興味を抱いてきました。

しかしながら私が教育を受けた時代には、臨床現場に携わらない心理学が誤判断を理解する際に寄与するなど、主流派の有力者らからはほとんど認知されていませんでした。心理学上の興味の対象は、内輪で論議したり論文の大半を発表したりしていた学者たち一群へ限定されていたのです。そして隔絶された彼らは集団思考に陥っていたため、さまざまな悪影響がおのずと生じていました。

そのような状況で、カルテック[カリフォルニア工科大学]とハーバード・ロースクールを卒業した私は、心理学に対して早々に無関心を決めこんでしまいました。それらの教育機関は、心理学という学問に関する知識を追究し損ねていたのです。そして当然ながら、心理学のことをわかっていない以上、学内で教えていた他の学問と心理学とを統合することもできませんでした。ニーチェの著作に登場する「不自由な脚を誇りとした」人物と同じように、「不明確な」心理学や「あやふやな」心理学者を意図して忌避することを、それらの学校は誇りとしていたのです。[参考記事]

多くの人たちと同様に、私もそのような尊大な心持ちをずいぶんと長期間にわたって抱き続けていました。我々はいったい何を考えていたのでしょうね。たとえばカルテックの講義一覧には、心理学の先生がただ1人しか含まれていない期間が何年間も続いていました。その先生はみずからを「精神分析分野の教授」と称し、「異常心理学」や「文学における精神分析」の両講座を教えていたのです。

ハーバードを巣立つや否や、「心理学を無視する」という役立たずな最低の見方を放りだすために、私は延々とつづく奮闘を始めました。今回は、基礎的な知恵を身につける上で重ねてきた我が長き闘争を語り、締めくくりにざっと要約したいと思います。その後、いくつかの事例を挙げてみます、それらは仕事上での心理だけでなく、心理的な機能不全に対処する面においても、実に鮮明かつ興味深いものばかりです。それから最後に、私がお話ししたことに対して疑問が挙げられれば、それらにお答えして終わりにしたいと思います。さて、長い話になりますよ。(p. 443)

The Psychology of Human Misjudgment

I have long been very interested in standard thinking errors.

However, I was educated in an era wherein the contributions of non-patient-treating psychology to an understanding of misjudgment met little approval from members of the mainstream elite. Instead, interest in psychology was pretty well confined to a group of professors who talked and published mostly for themselves, with much natural detriment from isolation and groupthink.

And so, right after my time at Caltech and Harvard Law School, I possessed a vast ignorance of psychology. Those institutions failed to require knowledge of the subject. And, of course, they couldn't integrate psychology with their other subject matter when they didn't know psychology. Also, like the Nietzsche character who was proud of his lame leg, the institutions were proud of their willful avoidance of "fuzzy" psychology and "fuzzy" psychology professors.

I shared this ignorant mindset for a considerable time. And so did a lot of other people. What are we to think, for instance, of the Caltech course catalogue that for years listed just one psychology professor, self-described as a “Professor of Psychoanalytical Studies," who taught both “Abnormal Psychology” and “Psychoanalysis in Literature"?

Soon after leaving Harvard, I began a long struggle to get rid of the most dysfunctional part of my psychological ignorance. Today, I will describe my long struggle for elementary wisdom and a brief summary of my ending notions. After that, I will give examples, many quite vivid and interesting to me, of both psychology at work and antidotes to psychology-based dysfunction. Then, I will end by asking and answering some general questions raised by what I have said. This will be a long talk.

2019年1月4日金曜日

2018年の投資をふりかえって(1)全般について

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全般的にみると、年末近くまでは高値の銘柄を順次売却すると共に、つなぎ売りとその買い戻しに終始しました。しかし年末近くになってからは方針を転換し、証券を少しずつながら購入しました。12月になってから株価が大きく下落したことで苦い感覚が何年かぶりによみがえりましたが、買いの時期が始まったことに対して心躍らせている部分もあります。ふりかえる時期がもっと後であれば、2018年は転換期だったとはっきり言えるのかもしれません。

さて例年と同じように、銘柄ごとの売買概況を以下に列挙します(銘柄コード順)。また昨年度分の同じ話題の記事はこちらです。

<新規購入(New Buy)>
・アップル(AAPL)

<買増し(Add)>
・メック(4971)
・日東電工(6988)
・しまむら(8227)
・iShares シルバー・トラスト(SLV)

<現状維持(Hold)>
・クラレ(3405)
・日精エー・エス・ビー機械(6284)
・マニー(7730)
・任天堂(7974)
・バークシャー・ハサウェイ(BRK.B)
・従来からの主力銘柄

<一部売却(Reduce)>
・日進工具(6157)
・インテル(INTC)
・モザイク(MOS)
・マイクロソフト(MSFT)
・ウィートン・プレシャス・メタルズ(WPM)
・従来からの主力銘柄

<全部売却(Sell)>
・クックパッド(2193)

次回以降の投稿では、各銘柄に対する所感を簡潔ながら記したいと思います。

2018年12月31日月曜日

2018年投稿分からのおすすめ四選

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今年投稿した記事から、印象に残った4件を選びました。小粒で地味な記事ばかりですが、奥行きのある味わいを楽しめる文章です。なお、昨年分の自薦記事はこちらです。

<市場予測>

1. この良き時代に終わりは来ない(スティーブン・ローミック)
大衆が正しかった例は稀有であり、今回も例外とはならないようです。株価が後退する時期には、上昇するときよりも速やかに下落するものです。「この良き時代に終わりは来ない」と投資家が考える時期は、「この苦難の時代が終わるとは思えない」と投資家が考える時期へと姿を変えるのです。

<人生哲学>

2. 2018年デイリー・ジャーナル株主総会(4)正しい生き方とは
人生とは先の長いゲームで、易しい時期もあればむずかしい時期もあり、好機がやってくれば不運に見舞われることもあるわけです。だから正しい生き方とは、「あるがままを受けいれ、最善を尽くす」、そう歩むことです。

<知恵>

3. ミクロがわかってもマクロがわかるとは言えない(『次なる金融危機』)
高い層の現象を低い層のシステムから直接的に推定するのは不可能だという発見は、今では純正な科学では共通の認識だ。それが複雑なシステムにおける、いわゆる「創発(エマージェンス)だ。

ひとつの複雑システムの支配的な諸性質は、考えられた単独の要素の性質よりも、むしろ要素の相互作用に由来する。

<今年の名文句(迷文句?)>

4. ヨギ・ベラの卓見(ウォーリー・ワイツ)
しかしヨギ・ベラが言ったように、「理論と実践に理論上の違いはないが、実践してみると違いはある」ものです。

2018年12月24日月曜日

いつ買い始めればよいのか(後)(ハワード・マークス)

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前回の投稿のつづきで、ハワード・マークスによる「証券の買いどき」の説明です。『市場サイクルを極める 勝率を高める王道の投資哲学』からの引用文です。

だが、真意はこうなのではないか。「(とりわけ下げどまる前に買うこと、そして市場の状態が良くないことに)恐怖を感じるから、相場が底に達して混乱が収まり、先行き不透明感がなくなるまで待とう」。だが、これまで述べてきたことから、もうすっかりおわかりではないかと思うのだが、混乱が収まり、投資家の気持ちが落ち着いたころには、バーゲンは終わっているのだ。

オークツリーでは、底に達するまでは買わない、という考え方を徹底的に排除している。

・第一に、いつ底に達したのかを知る方法などない。ネオンサインが光って知らせてくれるわけではないのだ。その時点を過ぎてからでなければ、底に達したと認識することはできない。回復が始まる前の日というのが底の定義だからである。したがって、当然のように事後でなければ認識できない。

・第二に、欲しい資産を最大限に買うことができるのは、だいたいにおいて相場が下落しているときだ。ナイフを掴もうとしない市場参加者が傍観している間に、降伏した売り手から買うのである。だが、ひとたび相場が底に達して下げどまると、当然のように売り手はほとんどいなくなる。そして、その後の反騰の時期には買い手が優勢となる。売り物は枯渇し、買い志望者は競争の激化に直面するのである。

(中略)

確実性と精度を重視する方針に基づいて実施されるであろう他の多くの投資行動の場合と同じく、底打ちするのを待ってから買いはじめるのは非常に典型的な愚行である。では、底値に狙いを定めるのが間違いだというのなら、一体いつ買えばよいのか。答えは単純明快だ。価格が本質的価値を下回ったときである。価格が下がりつづけている場合はどうなのか。さらにお買い得になっているであろうから、買い増せばよい。したがって、最終的に成功を収めるために必要なのは、(1)本質的価値を推計すること、(2)初志貫徹するための精神的な強さを身につけること、(3)結果的に本質的価値の推計が正しかったと判明すること、の三つに尽きる。(p. 316)

上の引用文には重大な注意点があります。「価格が本源的価値を下回ったとき」が買いどきだとしていますが、ハワード・マークス氏自身が本書全般で触れているように、下落中の価格はさらに下落し続ける可能性が十分に考えられる点です。その方向性に対する感覚を学べるのが本書であり、それこそが本書の持つ最大の価値ですから、上記引用の字面だけをとらえて行動に移すのは早計だと思われます。

また価格下落については、高名な2人のバリュー投資家が教示してくれた言葉を以下の過去記事でご紹介しています。

3割下がっても、油断は禁物(セス・クラーマン)
「いずれ来たる下落を見やった投資家3名の言葉」中の、チャーリー・マンガーの言葉