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2013年3月19日火曜日

最高に魅力的な、尊敬に値する賭博(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーによるハーヴァード・ウェストレイク高校での講話、その7です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

まあ、それはともかく、無制限の取引は文明にとって大きなプラスになるとその人たちは考えたのです。経済学者のような人たちがそろってケインズを崇拝するのは、なんとも皮肉なものです。そんなことは考えていなかったのですよ、彼は。ケインズはこう言っています、証券を取引できる市場は、これまでに創造されたもので最も魅力的な賭博場のひとつだ。賭けごとの持つ楽しみがそろっており、そのうえ尊敬を集めている。さらには、各種手数料の分を失うゼロサムゲームとは違って、手数料を払った上で実際に利益をあげることができるのだから、と。人間が生み出したもっとも魅力的な賭博の手段ということで、ならば大きくて良きものにすれば文明の進展にもよかろうと考えた経済学バカがいたわけです。この理論がいかにうまく機能しているか、おわかりですね。非常に自由な市場や証券に対する麗しき学術的信仰を試すものとして、かくもすばらしき「取引が多いほど望ましい」市場があるわけですから。それだけにとどまらず、彼らはデリバティブと呼ばれる新種の証券もつくりました。証券市場でイカれた勝負に出る人は当時からいたので、マージン取引の規制が定められ、投機するために借金できる金額は制限されていました。そこでオプションの取引所をつくり、デリバティブをうみだし、レポ取引のシステムもこしらえたのです。てっとりばやく金持ちになりたがっている血気盛んな人が待ち望んでいた最高のギャンブルが、こうして作りあげられました。まさしく、これまでに起きたもっとも魅力的なできごとと言えるでしょう。もちろんですが、いずれ大流出をまねき、最後にはとてつもなくやっかいな状況に陥ります。そうならないほうがおかしいですね。

Well, so at any rate, these people got the idea [that] unlimited trading is a big plus for civilization. It’s [ironic] that the economists and most of these people worship Keynes - who thought no such thing. [Keynes] said a liquid market of securities is one of the most attractive gambling devices ever created. It has all the joy of gambling, plus it’s respectable. Furthermore, instead of being a zero-sum game, where you are bound to lose the frictional cost, it’s a game where you can pay the frictional cost and actually make a profit. This is one of the most seductive gambling devices ever invented by man, and some nut who took economics thinks that the bigger and better it gets, the better it is for wider civilization. You now see how well that theory has worked. We made a wonderful market test of all this wonderful academic faith in utterly free markets and marketable securities - the more trading the better. And not only in marketable securities, but they have new securities called derivatives. In the old days, knowing that people went crazy gambling in securities, they had margin rules. You could only borrow a limited amount to speculate with. [Then] they brought in option exchanges, they brought in derivatives, they brought in the repo system -- they created the most wonderful gambling game for anybody with blood really coursing in his veins who wants to get rich quick. This is one of the most attractive things that ever came down the pike. Of course, it runs the great exodus and creates a big mess in the end. How could it not?

2013年3月17日日曜日

バリュー投資のすすめ(セス・クラーマン)

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ファンド・マネージャーのセス・クラーマンの著書『Margin of Safety』[安全余裕]の文章をこれまで散発的にとりあげましたが、あらためて章立てにしたがう形で少しずつご紹介します。今回はイントロダクションからの引用です。

なお本書について以前は「ですます」調で翻訳しましたが、講演やレターではなくて一般的な論述なので、今回から「である」調に変更します。ご了承ください。(日本語は拙訳)

最終的には、投資家はどちらかの道を進むのか決める必要がある。まずは間違った選択について。こちらはおそらく苦労のいらない道のりで、他人と同じという居心地のよさをあじわえる。ほとんどの市場参加者はその力に従うままとなり、感情は傲慢と恐れによって左右され、相対的な成績の良否を競う短期的な見方をするようになる。この道を歩む投資家は株式のことを、塩漬け豚バラ肉のような売買できる商品として捉えるようになっていく。しまいには他の市場参加者が何をやるのか予想し、自分が真っ先に動き出そうと思案するばかりとなる。「株という名の紙っきれを売り買いして儲けるゲーム」に参加すれば、高いリターンがすぐに得られるかもしれない。そんな想いが投資家の胸をときめかせ、それがばかげたことなのに気づかなくなってしまう。

投資家の取るべき正しい道はわかりきっている。「ファンダメンタルズ分析」という名の道で、株式はおおもとにあるビジネスの部分的な所有権を示したものとみなされる。こちらを歩むには、普通の人ならそこまではしたくないと感じるほど、徹底したやりかたが要求される。それでも私はこの戦略、すなわちファンダメンタルズ分析の一種で「バリュー投資」として知られている投資のやりかたをお勧めしたい。

バリュー投資というのは単純そのもので、奥義のようなところは何もない。証券の根底にある価値を見極め、その価値よりも十分に割安な価格で買うという手順にすぎない。しかし非常に難しい点がある。じっと辛抱できること、そして「買うのは価格が魅力的なときだけで、そうでなくなったら売る」とする規律を守りとおせること。ほとんどの市場参加者は短期的な成績にとらわれた狂乱に飲み込まれているが、それを遠ざけるために必要なものだ。

ほとんどの投資家とバリュー投資家では、焦点とするものが異なっている。たいていの投資家がはじめに考えるのは、リターンつまりどれだけ儲かるかであり、リスクつまりどれだけ損になりそうかにはほとんど目を向けない。機関投資家ともなると、マーケット全体や所属するセクターや同僚と相対的に比較して成績を評価されるのが通例で、自分自身に対してもそのやりかたで値定めするようになる。

対照的にバリュー投資家は、もっとも重要な目標として資産保全をかかげる。正確さに欠けていたり、不運を被ったり、分析を誤ったりした場合でも、大きな損失を避けられるようにつねに安全余裕を求める。価値を推定することは技であるがゆえに不正確さを伴い、未来は予想しても当たらず、人間である以上投資家は過ちをおかすことを考えると、安全余裕は不可欠なものと言える。バリュー投資家とその他の人、つまり損失のほうを検討しない人の最大の違いは、安全余裕の概念をきちんと守り抜くかどうかにある。

市場が将来どちらに進むか当てることができるならば、投資家がバリュー投資の道を選ぶことはありえない。実際、証券が順調に値上がりするときは、バリューに着目するやり方はふつう、ハンデとなる。大衆に人気のある証券とくらべると、不人気のものはあまり上がらないからだ。市場が価値相応の値段をつけてそれ以上になっていくと、バリュー投資家はずっと以前に売ってしまっているので、またしてもお粗末に終わる。

バリュー投資家であってもっとも有益なのは、マーケット全体が下落しているときだ。また下落リスクが取りざたされており、よくなることしか頭になかった人が過度な楽観の招いた結末を甘受するときもそうだ。バリュー投資家は下落相場で大きな損失を出さないように安全余裕をもって投資する。

未来を当てられる投資家ならば、市場が上昇する前には実のところマージン取引も使って精いっぱい投資すべきだし、下落する前に市場から退出すればよい。市場の方向を見通せる能力があると吹聴する投資家は数知れぬほどだが、実際にそのような能力のある人は残念ながらそれほど多くない。(私自身、一人も出会ったことがない)。証券の価格がどうなるか正確に予想することはできない、そう承知している人にはバリュー投資、すなわちあらゆる投資環境において安全に成功をおさめられる戦略をぜひお勧めする。

バリューに基づいた規律はかなり簡単なものだが、それを固守できるかとなると、ほとんどの投資家にとっては難しいことかもしれない。バフェットがときどき触れているように、バリュー投資は学んだあとに時間をかけて徐々に適用できるといった概念ではない。理解して即使い始めるようになるか、あるいは本質を理解できないままのどちらかなのだ。(p.xviii)

Ultimately investors must choose sides. One side - the wrong choice - is a seemingly effortless path that offers the comfort of consensus. This course involves succumbing to the forces that guide most market participants, emotional responses dictated by greed and fear and a short-term orientation emanating from the relative-performance derby. Investors following this road increasingly think of stocks like sowbellies, as commodities to be bought and sold. This ultimately requires investors to spend their time guessing what other market participants may do and then trying to do it first. The problem is that the exciting possibility of high near-term returns from playing the stock-as-pieces-of-paper-that-you-trade game blinds investors to its foolishness.

The correct choice for investors is obvious but requires a level of commitment most are unwilling to make. This choice is known as fundamental analysis, whereby stocks are regarded as fractional ownership of the underlying businesses that they represent. One form of fundamental analysis - and the strategy that I recommend - is an investment approach known as value investing.

There is nothing esoteric about value investing. It is simply the process of determining the value underlying a security and then buying it at a considerable discount from that value. It is really that simple. The greatest challenge is maintaining the requisite patience and discipline to buy only when prices are attractive and to sell when they are not, avoiding the short-term performance frenzy that engulfs most market participants.

The focus of most investors differs from that of value investors. Most investors are primarily oriented toward return, how much they can make, and pay little attention to risk, how much they can lose. Institutional investors, in particular, are usually evaluated - and therefore measure themselves - on the basis of relative performance compared to the market as a whole, to a relevant market sector, or to their peers.

Value investors, by contrast, have as a primary goal the preservation of their capital. It follows that value investors seek a margin of safety, allowing room for imprecision, bad luck, or analytical error in order to avoid sizable losses over time. A margin of safety is necessary because valuation is an imprecise art, the future is unpredictable, and investors are human and do make mistakes. It is adherence to the concept of a margin of safety that best distinguishes value investors from all others, who are not as concerned about loss.

If investors could predict the future direction of the market, they would certainly not choose to be value investors all the time. Indeed, when securities prices are steadily increasing, a value approach is usually a handicap; out-of-favor securities tend to rise less than the public's favorites. When the market becomes fully valued on its way to being overvalued, value investors again fare poorly because they sell too soon.

The most beneficial time to be a value investor is when the market is falling. This is when downside risk matters and when investors who worried only about what could go right suffer the consequences of undue optimism. Value investors invest with a margin of safety that protects them from large losses in declining markets.

Those who can predict the future should participate fully, indeed on margin using borrowed money, when the market is about to rise and get out of the market before it declines. Unfortunately, many more investors claim the ability to foresee the market's direction than actually possess that ability. (I myself have not met a single one.) Those of us who know that we cannot accurately forecast security prices are well advised to consider value investing, a safe and successful strategy in all investment environments.

The value discipline seems simple enough but is apparently a difficult one for most investors to grasp or adhere to. As Buffett has often observed, value investing is not a concept that can be learned and applied gradually over time. It is either absorbed and adopted at once, or it is never truly learned.

2013年3月15日金曜日

李鶴洙(サムスン電子元副会長)

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今回は「備える、逃げる」というテーマについて、何年か前に手にとった本『サムスンCEO』で印象に残っていた箇所をご紹介します。このテーマは自分の中でもそれなりに重要な位置を占めているものです。

1976年12月のとても寒い夜だった。ある病院が火事になり、そこから水に濡らしたベッドのシーツを身にまとってかけだしてくる者がいた。李鶴洙[イ・ハクス]だった。彼はその年、急性肝炎で大邱病院に入院していた。彼の病室は6階。そして、その病院で火事が発生した。当時、第一化織の管理部長だった李鶴洙は、「火事だ!」という叫び声で目が覚めた。彼は突然の出来事にもかかわらず、シーツを水で濡らし、非常口に向かって走り出した。幸いにも、外へ逃げることができた。彼のこのような行動は、以前から火災が起きることを予見し準備していたかのようだった。

彼が非常事態でも適切、迅速に対処できたのは、父親のおかげだった。彼が大邱病院に入院して数日も経たないうちに、父親が見舞いにやってきた。その時、父親は李鶴洙にこのように言ったという。

「私がさっき見たのだが、この病棟には非常口が2つある。右側の非常口は閉じられ、左側は空いている。もしかして知らないと思ったので知らせておく。人間はいつも準備しておくものだ

李鶴洙が「火事だ!」という声を聞いて目が覚めた時、最初に浮かんだのはこの父親の言葉だったという。そのため、彼は迷うことなく冷静に左側の非常口に向かって逃げ出せたのだった。(p.37)


余談になりますが、はじめて買った株がノキアだったこともあり、アメリカ市場における各社の動きを注視していた時期がありました。当時はRAZRを擁するモトローラが息を吹き返す一方、サムスン電子もクラムシェル型(折りたたみ型)端末を連発していました。センスのよい日本各社の端末とくらべるとサムスンの初期製品は「ドン亀」といった見ためでしたが、折りたためないストレート型の端末が多い市場でクールな印象を与え、着実にシェアを伸ばしていました。

サムスンの最新型端末ギャラクシーS4が本日発表されました。製品のデモを一瞥して同社の大躍進ぶりに感嘆するとともに、この業界の生態系は次の新たな勝者を望んでいるようにも感じられました。

2013年3月13日水曜日

グロッツ印の炭酸甘味飲料(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講話『実用的な考え方を実際に考えてみると?』の第6回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

次にパブロフの条件付け[いわゆる条件反射のこと]ですが、こちらも欠かせないので考えておく必要があります。パブロフの条件付けでは、単に連想するだけで強力な効果がうまれます。エサが出てこないベルが鳴ったときでも、パブロフの犬の神経系は唾液を出すように働きました。同じように人間の男性の頭脳も、高嶺の花が手にしている類の飲み物をほしがるのです。ですからグロッツさん、称賛に値するきちんとしたものであれば、思いつく限りのあらゆるパブロフの条件付けを我々は利用すべきです。この商売を続けていく以上、消費者が自分の好きなものや賞賛するものを思い描く際には、そのどれをとっても我らの飲み物や広告が思い起こされなければなりません。

パブロフの条件付けを広範にわたって進めることになると、特に広告面で多額の費用がかかります。想像をはるかに超えた莫大な資金を費やすことになるでしょう。ですが、無駄金にはなりません。新たな飲料市場を迅速に拡大することで、競合他社がパブロフの条件付けをつくりだすために広告代を払おうとしても、全体としてみれば規模の不利益に直面するからです。これは、他の「大は力なり」効果とあいまって再び追い風を送ってくれ、あらゆる新市場で少なくとも半分は押さえられるようになるでしょう。実際のところ、我々は大量の製品を扱うがために、買い手が分散しているほど配送コストの面できわめて優位に立てるのです。

さらには単なる連想が起こすパブロフの条件付けは、風味や舌触りや色をどうすればよいのか選ぶ際の案内役にもなります。パブロフの効果を考慮すれば、ありきたりな名前「グロッツ印の炭酸甘味飲料」などとつけるのではなく、エキゾチックで高価な印象を漂わせた「コカ・コーラ」と名づけるほうが賢明でしょう。同じようにパブロフの理由から、砂糖水よりもワインに似せた感じのほうが利口です。濁らないのであれば人工的に着色し、そしてシャンパンなどの高価な飲み物を思わせるように炭酸を注入します。これは風味がよくなるだけでなく、競合製品から真似されにくくなります。最後に、風味には高級な心理的効果をいろいろ持たせたいので、他によくあるものとは異なったものとすべきです。なるべく模倣されないために、また風味上の効果がたまたま一致して既存製品が利を得ることのないようにです。

このほかにも、我々の事業に役立つものが心理学の教科書からみつかるでしょうか。ひとつあげられるのが「猿真似すること」、人間が持つ本性の強力な一面ですね。心理学者は「社会的証明」と名づけていますが、たとえば単に他人が消費しているのを目撃したことで、それを真似して消費する行動です。これは我々の提供する飲料を試してみようかと思わせるだけでなく、飲むと得られる報酬を補強する役割も果たしてくれます。ですから、我々が広告や販売促進の企画をする際には、また現在の利益を我慢して今後の消費拡大を図るには、この強力な社会的証明の要因を必ず考慮にいれることになります。他のほとんどの製品以上に、売上数の増加が販売力の強化につながるのです。

グロッツさん、ここまで3つの要因の組み合わせをみてきました。第一に強いパブロフ型条件づけ、第二に強力な社会的証明によって得られる効果、そして最後にオペラント条件付けを力強くも呼び起こす、美味上々、滋養豊富、刺激爽快、冷涼愛好な飲み物。このように我々の選んだ要因が劇的に合わさることによって、我らの事業は長きにわたって売上げをどんどん増やしていくでしょう。つまり化学でいうところの自触媒作用的なもの、より正確には複合要因によって生じる種類の「とびっきりな」効果が始まります。これこそ、私たちの望むものであります。

We must next consider the Pavlovian conditioning we must also use. In Pavlovian conditioning, powerful effects come from mere association. The neural system of Pavlov's dog causes it to salivate at the bell it can't eat. And the brain of man yearns for the type of beverage held by the pretty woman he can't have. And so, Glotz, we must use every sort of decent, honorable Pavlovian conditioning we can think of. For as long as we are in business, our beverage and its promotion must be associated in consumer minds with all other things consumers like or admire.

Such extensive Pavlovian conditioning will cost a lot of money, particularly for advertising. We will spend big money as far ahead as we can imagine. But the money will be effectively spent. As we expand fast in our new-beverage market, our competitors will face gross disadvantages of scale in buying advertising to create the Pavlovian conditioning they need. And this outcome, along with other volume-creates-power effects, should help us again and hold at least fifty percent of the new market everywhere. Indeed, provided buyers are scattered, our higher volumes will give us very extreme cost advantages in distribution.

Moreover, Pavlovian effects from mere association will help us choose the flavor, texture, and color of our new beverage. Considering Pavlovian effects, we will have wisely chosen the exotic and expensive-sounding name “Coca-Cola,” instead of a pedestrian name like “Glotz's Sugared, Caffeinated Water.” For similar Pavlovian reasons, it will be wise to have our beverage look pretty much like wine instead of sugared water. And so, we will artificially color our beverage if it comes out clear. And we will carbonate our water, making our product seem like champagne, or some other expensive beverage, while also making its flavor better and imitation harder to arrange for competing products. And, because we are going to attach so many expensive psychological effects to our flavor, that flavor should be different from any other standard flavor so that we maximize difficulties for competitors and give no accidental same-flavor benefit to any existing product.

What else, from the psychology textbook, can help our new business? Well, there is that powerful “monkey-see, monkey-do” aspect of human nature that psychologists often call “social proof.” Social proof, imitative consumption triggered by mere sight of consumption, will not only help induce trial of our beverage. It will also bolster perceived rewards from consumption. We will always take this powerful social-proof factor into accounts as we design advertising and sales promotion and as we forego present profit to enhance present and future consumption. More than with most other products, increased selling power will come from each increase in sales.

We can now see, Glotz, that by combining (1) much Pavlovian conditioning, (2) powerful social-proof effects, and (3) a wonderful-tasting, energy-giving, stimulating, and desirably cold beverage that causes much operant conditioning, we are going to get sales that speed up for a long time by reason of the huge mixture of factors we have chosen. Therefore, we are going to start something like an autocatalytic reaction in chemistry, precisely the sort of mutifactor-triggered lollapalooza effect we need.

2013年3月11日月曜日

ニュートンとバブル

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バブルの本家といえば、18世紀のイングランドでおきた南海泡沫事件です。その騒ぎの中で科学者アイザック・ニュートンも投機に失敗したとされる話は、よく知られているかと思います。今回ご紹介するのは最近読んだ本『ニュートンと贋金づくり』からで、ニュートンが具体的にどれぐらい損をしたのか描かれた箇所です。

1720年1月、噂の流布からバブルが始まった。出どころは、市場のご他聞に洩れず社内の消息筋で、南海会社の株価が上がりそうだという内容だった。エクスチェンジ・アレイが、それにしっかりと食いついた。南海会社の株価は1か月で128ポンドから175ポンドに上昇し、同社がさらに国債を引き受けると発表されると、3月末には330ポンドに跳ね上がった。

だが、それはまだほんの序章だった。あぶく銭が簡単に手に入るという感覚が、投機ブームを煽った。5月には、株価は550ポンドとなり、その1か月後には、夏に10パーセントの配当が出るという告知によって1,050ポンドに達した。

しかしその後、株価はあっけなく暴落した。初めはともかくも、終わりの頃には南海会社はネズミ講同然で、後から投資した者の金に報酬がついて先に投資した者の利益になるという、できすぎた仕組みになっていた。やがて新しく投資する者がいなくなり、その仕組みは破綻した。同社の株価は7月に下落し始め、8月にはまだ800ポンドの値を保っていたものの、その後急落した。そして、1か月もたたないうちに175ポンドとなり、わずか数週間前には絶対に枯れるはずがなさそうに見えた金の成る木に飛びついていた大勢の投資家が、ほぼ完全に姿を消した。

その最後に飛び乗り、最初に打撃をこうむった投資家の一人が、アイザック・ニュートンだった。彼は、そもそも初期に南海会社に投資した、理論上は最も傷の少ない投資家だった。記録を見ると、1713年頃には彼の所有財産のなかに同社の株式がかなり含まれているが、その一部は1720年4月の株価上昇の折に首尾よく売っている。だが、同社の株価がその後も上昇を続けたため、元手をさらに膨らませようとする大胆なプレーヤーのように機を待ったニュートンは、2度目の賭けに出た。6月、株価が最高値を記録した頃、彼は取次ぎ業者に指示して、1,000ポンド分の株を購入した。そして1か月後、株価が下落し始めたときにも、さらに買い足した。その後の暴落によって、彼は2万ポンドにおよぶ損失を被ったと、姪のキャサリン・コンデュイットは記している。彼の造幣局監事の基本給に換算すると、およそ40年分の額だった。(p.264)


損失は間違いなく身に堪えていたものの、ニュートンの全財産が泡と消えたわけではなかった。東インド会社の大株主の一人であることに変わりはなく、1万1000ポンドという同社への投資は、1724年当時としては非常に安定した事業だといえた。また、彼の所有する不動産の評価額はその数年後に最高値となり、リンカンシャーの所有地を除いても3万2000ポンドであった。つまり、彼はどこから見ても、やはり裕福な男だった。しかし、最悪の失敗の記憶は彼を苛み、自分に聞こえるところで誰かが南海会社の話をするのを嫌がったといわれている。彼がそれほどいら立ったのは、大損をしたせいだけではないかもしれない。理性にかけるただの愚か者と同じように、自分もだまされたと思えて腹立たしかったのではないだろうか。投機熱が最高潮に達していた頃の南海会社株の魅力的な値上がりに関する話が出たとき、彼はラドナー卿に「大衆の熱狂を計算することはできない」と言ったという。

後悔はしていたにせよ、友人たちの記憶にあるニュートンの晩年は、おおむね満ち足りていて、知的で獰猛なファイターであった若かりし日よりも、ずっと温和になっていた。裕福であったにもかかわらず暮らしぶりは控えめで、朝食にはバターを塗ったパンを食べ、ワインを飲むのは夕食時だけだった。彼の姪によれば、彼は動物に辛くあたるのを嫌い、古くからの友人を大切にし、かつてはよそよそしく他人行儀だったものの、親戚の者たちに対して家長らしい振る舞いを見せるようになった。結婚式には必ず出席し、「いつもの生真面目さはどこかにしまって、自由に、楽しげに、くつろいでいた」。しかも、家族にとってはさらに嬉しいことに、「彼はたいてい、花嫁には100ポンドを贈り、花婿には商売や仕事の面倒を見てやった」。(p.265)


「彼は2万ポンドにおよぶ損失を被った」とありますが、当時の1ポンドが現在の日本円で25,000円の価値とすると、5億円に相当する損失になります。なおイギリスポンドのインフレ換算は、以下のサイトをお借りして計算しました(1751年までさかのぼれます)。

Historical UK Inflation And Price Conversion